児童館の一角、濃紺のカーペット敷きの、絵本コーナーの片隅で。 「みーゆき」 壁に背中を預け、絵本を開いて座っていたみゆきを、あかねが仁王立ちで見下ろしていた。 「……あかねちゃん……」 「探したで、って言いたいとこやけど」 あかねは驚くみゆきの前にしゃがみ込み、彼女の顔を正面から覗いて苦笑する。 「ほとんど探してへんわ。ここにおるの、すぐに分かってん。みゆき、なんかあって凹んだとき、大抵いっつもここに来るやろ」 「……どうして……私が凹んでる、って思ったの」 困ったように、眉をハの字にして、みゆき。 「どうしてもこうしても。見たら分かるわ! あかねさんを舐めんなや?」 あかねはいつものツッコミ調子でそう言って、 「……けど、な。みゆきの本音がどこにあんのかまでは、わかれへん」 みゆきと同じく、困ったようにトーンダウンした。 「せやから、聞きにきたんや」 「やだな、あかねちゃん……私、別に落ち込んでなんか、ないよ?」 そう言って微笑むみゆき。 「そっか」 あかねは諦めたように溜息をついた。 かと思うと、 「……そーゆーこと言うならっ」 くわっと目を見開き、みゆきのすぐ横にある本棚に手を掛けた。 上段を右へ。 下段を左へ。 上段を中から外へ。 並べられた絵本をスライドすれば、強烈な光とともに、異界への扉が開く。 「ちょぉ場所変えて話聞こか!」 あかねはみゆきの左手を無造作に掴んで、本棚へと飛び込んだ。 「えっ、まっ、あかにゃぁっ!?」 みゆきの短い悲鳴を残して、二人の姿は異空間へと消え、あとには元通りの本棚が姿を現す。 児童館の係員が異変を察して駆けつけた時には、「星空みゆき」のネームが入った鞄と、読みかけのページが開いた絵本が一冊、床の上に残されているだけだった。 短く生え揃った緑の草の上に、あかねはみゆきを横抱きに、ふわりと降り立った。まるで特撮ヒーローか何かのように―――それこそ、やよいが見ていたら目をハートにして食いつきそうな格好良さで。もちろん、現実の世界では生身の女子中学生にそんなことは不可能である。 ここはふしぎ図書館、木々の間に無数の書架が並ぶ異空間。 「みゆき」 ことの展開に思考が全く追いついていないみゆきを両手に抱きかかえたまま、 「ごめん、な?」 息がかかるくらい、顔を寄せて、あかね。 「……どうして」 謝るの、と。 泣きそうな顔で、みゆきが問う。 「分かってるからや」 苦笑しながら、あかね。 「今日一日、みゆきがロクに口もきかんと、引き攣ったような愛想笑いばっかり浮かべて、誰にも見られてへん思うてこっそり溜息ついとったんは、多分、今日がバレンタインなのと……ウチのせいやて」 どや? と呟いて、視線で問う。 「……そんな。別に、あかねちゃんのせいじゃ―――」 言葉の途中で、みゆきの双眸から大粒の涙が零れ落ちた。 「あんな?」 慌てて指の背で涙を拭うみゆきの額に、あかねは自分の額を重ねた。 「今更言わんでも、よう分かっとると思うけど。ウチは、みゆきのことがいっちゃん大事やねん」 ―――甘い、声。 おそらく、みゆき以外の、他の誰にも聞かせたことのないような、切なさを帯びた囁き。 「せやから、今日みたいに、一日じゅう、みゆきがそうやって、しんどいのん無理して我慢して笑てんの見てたら、切っつうて仕方ないねん。しかも、みゆきにそんな無理させてんのが他の誰でもない、自分やて分かってるから、尚更や」 「……ごめん」 「何でみゆきが謝んねん」 あかねは溜息まじりに微苦笑して、 「みゆきはちぃとも悪ぅない、謝ることなんか、何もないで。ただ―――」 抱きかかえていたみゆきの足をそっと地面へ下ろして立たせると、 「みゆきがここに溜め込んでるもん、ウチにも分けて欲しいねん」 彼女の制服の胸の中心を、人差し指でとんとんと小突きながら、そう言った。 「……あのね、……」 みゆきは鼻をすすりながら、上目遣いにあかねの顔を覗い見て、 「………」 また、俯く。 「そんなら―――」 あかねは両腕を伸ばして、みゆきを思い切り抱き締めた。 ひゃ、と、小さな悲鳴が聞こえる。 「これなら。顔も見えへんし、恥ずかしないやろ?」 みゆきの耳元に鼻先を擦りつけるようにして、あかねが囁く。 「……あの、ね?」 あかねの制服の背中をきゅっと握って、みゆきがぽつりと口を開いた。 「私も昨日、チョコ作ったんだ……あかねちゃんに、って思って」 「お。ほんまに?」 そら嬉しいわ、と小声で言って、あかねはみゆきを抱く腕に思わず力を込めた。 「……けど、ぜんぶ失敗しちゃって……ぼそぼそして美味しくなかったり、ぜんぜん固まらなかったりして。手作りじゃなくてもいいや、って思ったけど、ゆうべ夜遅くまでそんなことしてたから、今朝寝坊しちゃって、結局買いにも行けなくて」 みゆきはまるで恐怖から解放された幼い子どものように、堰を切ったように思いを口にする。 「……れいかちゃんやなおちゃんがいっぱいチョコ貰ってるの見て、みんな、ちゃんと大好きな人にチョコあげてて、いいな、って思って、うらやましくて。それに―――」 みゆきはそこで、言葉を詰まらせた。 「……それに?」 根気強く待ちながら、あかね。 「それに……あかねちゃん、一年のコからチョコ貰って、嬉しそうだったし……それに…………やよいちゃんからも、貰ったんだよね……? 去年……」 最後は消え入りそうな声で、みゆき。 「……そっ、か」 あかねはそう言って、みゆきの背中をそっと撫で、 「……悪い。みゆきには申し訳ないけどな、今ウチ、正直、むっちゃ嬉しいねん。みゆきが、やきもち妬いてくれとんのが」 彼女の耳元で、ふ、と小さく笑った。 「みゆき、いっつもハッピーハッピー言いよるから、てっきり、やきもちなんて妬いてくれへんのかなと思うてたから」 「あかねちゃん?……私、真剣なんだけど」 はっぷっぷー、と。 今日初めて、みゆき節が口をついて出る。 「お。やっと出たな。『はっぷっぷー』!」 あかねは腕を緩めて、笑いながら、みゆきの顔を正面から覗き込んだ。 「どんなみゆきも全部可愛いけど、やっぱ、笑てるみゆきが一番ええわ」 みゆきの頬に掌を添えて、臆面もなくそんな台詞を口にするあかねに、みゆきは思わず顔を赤らめる。 「……もし、みゆきのチョコレート作りが上手くいってたら」 ふと、何やら感慨深げに、あかねが口を開いた。 「こんな風に、二人っきりで本音で話したり、イチャイチャしたりでけへんかったやろな。『はい、チョコレート!』『おお、おおきにな!』って、あっさり終わってたかもしれん。せやから」 みゆきには悪いけど、と前置きして。 「みゆきのチョコレートが失敗して、それはそれで『よかった』かもしれんな?」 「あかねちゃん……」 少し驚いたように、みゆき。 「……それって、パレアナの『よかった探し』?」 「せやせや。『パレアナ』」 みゆきの愛読書やろ? と。 あかねは、少しはにかんだように笑って。 みゆきは、心から嬉しそうに、破顔した。 「あかねちゃん……あのね」 みゆきは胸のポケットから一枚の紙を取り出した。 「チョコは駄目だったけど、せめてカードだけでも、と思って、持ってたの」 ピンク色の色画用紙で作った、小さなカード。 「うん? ……ベー・マイ・バレンタイン?」 首を傾げるあかね。 「何て書いてあんのん? 『ハッピーバレンタイン』とちゃうのんか?」 「昨日ね、れいかちゃんに聞いたんだ。カードに何か英語で書きたいんだけど、何て書いたらいい? って。そしたら―――」 『”Happy Valentine”でも悪くはありませんが。 本気の、本命チョコレートに添えるなら、”Be My Valentine”ですね』 「―――義理チョコや家族のぶんには絶対書いちゃだめですよ、って」 「流石やな、れいか。そんなことまで知っとんか……で」 どういう意味やねん、とあかねが問うと、 「『それは、自分で辞書をひいてください』って、いわれたよ?」 れいかの口真似をしながら、みゆき。 「何やそれ! っちゅうか、みゆき、意味もわからんと書いたんかい!」 「えー。『マイバレンタイン』だから、私のバレンタインとか、そんなんじゃないのかな」 「あほぅ! それのどこが本命チョコ用のメッセージやねん!」 すっかりいつもの調子に戻った二人は、暫くボケツッコミ合戦を続けた。 ――― Be My Valentine.
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