「失礼しました」 生徒会室の鍵を職員室に返して、れいかは小走りで昇降口に向かった。時刻は、最終下校時刻の三分前。走るリズムに合わせ、右手に持った紙袋の中で、リボンのかかった大量の袋や小箱がかさかさと音を立てる。 昇降口まで来ると、二年生の靴箱の辺りで佇む人影が目に入り、彼女は思わず息を呑んだ。 「れいか」 「……なお」 人影の正体がよく見知った人物だと分かって、れいかは安堵の溜息をつく。 「お疲れ様。また、ファンの待ち伏せかと思った?」 「……図星です」 苦笑して、れいかは靴箱を開けた。特に変わったものが入っていないことを確かめて、また安堵する。 「? なお、それは一体……」 靴に足を入れながらふと、れいかはなおの荷物に目を留めた。 通学鞄と、大きな黒いゴミ袋。 「え? あ、これ? …………今日貰ったチョコレート」 少し跋が悪そうに答えるなお。 れいかは驚きに目を見張った。 「……そんな顔しないでよ。部室に置いて帰るわけにいかないし、抱えて持って帰るのも無理だし。使えそうなのがもうこれしかなくってさ」 「それにしても。ゴミ袋なんて」 いくら何でも、下さった方々に失礼ですよ、と、れいかが苦言を呈する。 「わかってる。だから、人目があるうちは帰れないと思って。れいかがこの時間までいてくれてよかった……で、れいかはその紙袋、どこで手に入れたの?」 彼女が持っているのは、駅前のホテルの名前が入った、結婚式の引き出物を入れる特大の紙袋。 「生徒会室で余っていたのを拝借してきました」 「……ってか、また増えたね」 袋の中を覗き込んで、なお。 「なおほどではありませんよ」 答えて苦笑する、れいか。 そうして、二人は歩き出した。 いつもの道を、いつもより少しゆっくりと辿る。 「……なんだか、随分お疲れだね」 原因は、れいかの歩調が遅いことだった。 「やっぱ、それのせい?」 れいかの紙袋を指さして、なお。 「ええ……なおはいつも、こういうものを、どういう風に受け止めているのですか?」 「どう、って?」 溜息混じりに疑問を口にするれいかの、意図を汲みかねて、なおは首を傾げた。 「……バレンタインの贈り物は『好意の表現』ですし、それはとても有難い、感謝すべきことだと思います。けど」 言葉を探しているのか、それとも疲れのせいなのか。れいかは普段よりも随分ゆっくりとしたテンポで、言葉を紡ぐ。 「私の全く知らない人が、私の何を、どう見て、どういう好意を寄せてくださっているのか。私はそれを一体どういう風に受け止めればいいのか、どう応えればいいのか。皆さんは私に何を求めているのか。……分からないことだらけで、これからどうすればいいのか」 そう言ってまた溜息をつくれいかの表情は、困惑と不安で曇っていた。 「んー……とりあえず、ホワイトデーのお返しはしなきゃいけないだろうけど、たぶん、れいかが思ってるようなことは、何もしなくていいと思うよ?」 なおは、チョコの大袋をサンタクロースのように担ぎなおして、努めて気楽に、そう言った。 「例えば、あたしにチョコをくれた子たちは、女子サッカー部の九番緑川のファンで。言ってみれば、あたし達がオリンピック選手とかを応援するのと同じようなもんだと思うんだ。……オリンピック選手なんて、例えが図々しいかも、だけど」 少し跋が悪そうに笑うなお。れいかは、黙って耳を傾けている。 「れいかにチョコをくれた子たちも、きっと、青木生徒会長のファンで、会長が頑張ってる姿をみて、憧れて、応援したいっていうか。だからあたしたちは、応援してくれる人たちに素直に感謝して、自分のやるべきことを全力で頑張る。それでいいと思うんだ。……どう?」 ちょっとは気が楽になった? と問うと、 「……はい」 れいかは小さく笑んで、頷いた。 短い沈黙があって、 「……そういえば」 なおが、それを破る。 「学校でチョコのやりとり、って、れいかはあんまりいい顔しないと思ってたけど……断らないで、全部受け取ったんだね」 ちょっと意外、と、謎をかけて。 「ええ。それは」 「それは?」 「………みなさん、とても、真剣でしたので。無碍に断るわけにも、いかなくて」 彼女にしては少したどたどしい口調で、れいか。 ―――たどたどしい、というのは、なおが感じただけで。 普通の人には恐らく分からない、その程度の違い。 「……そっ、か」 ―――八割の本音の陰に、二割の嘘や隠し事がある。 そんな時、彼女はこういう話し方になる。 そのことを承知で、なおはそれ以上の詮索をやめた。 陽はとっぷりと暮れて、蛍光灯一本の質素な街灯が点々と立ち並ぶ、住宅街の路地。二人の帰路が分かれる三叉路まで、あと五十メートル。 「なお」 れいかがふと、足を止めた。 うん? と短く返事をして、なおも立ち止まる。 「さっき、私がなぜ、皆さんからのチョコレートを断らなかったのか、と、尋ねましたよね」 「ん? うん……」 憂いを帯びたれいかの声に、なおは少しどぎまぎしながら頷いた。 「……皆さんが真剣だったので、無碍に断れなかったから、と、私は答えました」 「うん」 「それも、嘘ではありません。けど」 れいかはおもむろに、紙袋を足元に置き、 「本当は―――」 通学鞄のファスナーに手をかけた。 「私も同じだから、です」 なおは黙って、彼女の一挙手一投足に見入っている。 「私も、彼女たちと同じ事を、しようとしているから」 通学鞄の中から、れいかは小さな包みを取り出した。光沢のある、透き通った淡いブルーの包装紙に、白銀のリボン。彼女の『もう一つの姿』を彷彿とさせる、美しい小箱。 「……なお」 顔を上げたれいかと、目が合って。 なおは、息を呑んだ。 れいかは背筋を伸ばし、長い呼吸を一つ、して。 「あなたを、お慕いしていました……ずっと、前から」 ゆっくりと、言葉を紡いだ。 「もう遠すぎて、よく覚えていないくらい、ずっと前から。あなただけを」 そして、一歩。前に踏み出し、 「……受け取って、いただけますか」 小箱を、差し出した。 なおは暫し、この美しい幼馴染みの姿に目を奪われていたが、 「………………よろこんで」 ふと我に返り、肩に掛けた鞄と担いだ袋を無造作に足元へ置くと、彼女に向かって両腕を伸ばした。あ、と、悲鳴ともつかない小さな声をあげて、差し出された小箱ごと、れいかの華奢な躰がその腕の中に収まる。 「どうしよう。……すごい、嬉しい」 そう言って、なおは腕の拘束を緩めて、れいかの顔を覗き込んだ。突然の抱擁に少し驚いたような表情の彼女の、白い肌は夕闇を照らす僅かな街灯の光にもよく映える。 「……あたしも」 なおは、れいかの額に自分のそれを重ねて、 「れいかのことが、好きだよ……ずっと前から、今まで出会った誰よりも、好き」 ゆっくりと、そう告げた。 「っ―――」 れいかは息を呑んで。 はらり、と一筋、瞳から涙を零した。 「……何で、泣くのさ」 なおは少し困ったように、 「何で、泣くの……あたしが断ると、思った?」 少し困ったように、なお。 「断られるとは、思っていませんでした。なおは優しいから、きっと受け取ってはくれるだろう、と。ただーーー」 れいかはゆっくりと、 「ただ?」 「……私の想いは、なおの負担になるかもしれない、とは思いました。こんな重たい物を押しつけてもいいものかと、少し思案しました」 自分を落ち着かせるように深い呼吸を繰り返しながら、そう言った。 「……れいかって、さ。あたしのこと分かってるようで、案外分かってないね」 なおは小さく溜息をつき、苦笑して、 「たぶんあたし、れいかが思ってるよりずっと、れいかのこと好きだよ。だから―――」 彼女を抱き寄せる腕に力を込めた。 「れいかのこと独り占めしたいって思ってるから、れいかが有名になって人気が出るの、正直心配だし。今日だってほんとは、その袋の中にもしかしたら本気の本命チョコとか混じってるんじゃないかと思うと、けっこう、っていうか、かなり不愉快」 息がかかるほどの距離でそう言って、覗き込むなおの瞳は、いつの間にか熱を帯びていて。 「なお―――」 その熱が、れいかにも伝染しかけた、その時。 甲高いエンジン音と白いヘッドライトが近づいてきて。 慌てて離れた二人の横を、50ccのスクーターが一台、通り過ぎていく。 辺りを再び、静けさが包んで。 二人は目を見合わせ、毒気を抜かれたように、どちらからともなく、笑った。 「……ね、れいか。それ、今ここで食べていい? 家に持って帰って、うっかりけいた達に食べられたりしたら、あたし一生後悔する」 なおがそう言うと、れいかは大袈裟ね、と笑いながら、シャーベットブルーの小箱を手渡した。 「……ところで、これ。何て書いてあるの?」 小箱に添えられた純白のカードに、一行だけのメッセージ。れいかの達筆でしたためられた、流れるような英語の筆記体。 「"Be My Valentine."です」 「意味は?」 「辞書を引いてください。お家で、自分で」 Valentineの見出しのところに、必ず例文で載っていますから、と。 すっかりいつもの『生真面目な青木さん』に戻った風で、れいかは言った。 ――― Be My Valentine.
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