Can you keep a secret?

 

- 3 -

「あー、いいね、その感じ! で、視線だけこっちに頂戴!」
 高層ビルの最上階にある展望台。
 シャッター音が鳴り響く中、青空とミニチュアの街を背景に、ももかをはじめ四人のモデル達がポーズを取っている。共通のアイテムは、ロングブーツとコート。一足早い、冬物の撮影だ。
「ももかちゃん、もうちょいツンな感じで・・・そうそう」
 カメラマンの指示で、少しずつポーズを替える。
 カメラマンの後ろには、黒山の人だかり。
「リサちゃん、ちょい上目遣いで・・・うん、いいね!」
 学校に怪物が現れたあの日以来、BiBiの編集の関係で撮影が立て込み、ももかは続けて学校を休んで、そのまま週末に入ってしまった。無論、週末といえども撮影漬けである。
 ―――その間、ゆりとは話らしい話をしていない。
「じゃ、今度は二人ずつ・・・エリナちゃん、ももかちゃんに絡んでみて」
 エリナ、と呼ばれたモデルが、ももかの肩に凭れるようにポーズを取った。それに合わせて、ももかも姿勢を変える。本当に体重をかけられる訳ではないので、重くも何ともない。
「もうちょいお互いに顔寄せて・・・そうそう!」
 あの日は、怪物騒ぎのことには触れないで、他愛もない話をしながら一緒に帰って。
「ちょっとポーズ替えてみようか・・・エリナちゃん、気持ち、顔こっち・・・オッケぇ!」
 休んでいる間は、いつものように、休んでいる間に授業がどこまで進んだか、どんな宿題が出たか、を綴ったメールが労いの言葉とともに届いて、次の登校は月曜になる旨と、ありがとうの言葉を綴ったメールを送って。
 ―――それっきり。
「じゃ、リサちゃん、まりかちゃん、絡み頂戴!」
 聡いゆりのこと、彼女の秘密にももかが気付いている、ということは察しているだろう。
「あ。じゃあさ、そこの望遠鏡に二人で凭れてみて・・・そうそう!」
(―――で?)
 これから、どうする?
 問い詰めたところで、ゆりは絶対に口を割らないだろう。
 じゃあ、どうする?
 お互い、臭い物には蓋をして、何もなかったように振る舞う?
 そうしてこのまま、ぎくしゃくしたまま、少しずつ距離を置いて。
 ただの親友―――それ以下の、ただのクラスメイトに戻る?
   かしゃかしゃっ
 不意打ちのように自分に向けられたカメラに、ももかははっと顔を上げた。何年も写真を撮られ続けると、シャッター音だけでカメラがどちらを向いているかが分かるようになるものだ。
「ももかちゃん、今のアンニュイな感じ、よかったよ!」
 テンションの高いカメラマンの言葉に、ももかはスマイルで応えた。
 カメラに心の中まで写す機能がついていなくて、本当によかったと思う。


 休憩に入ったところで、急に展望台のフロアがざわつき始めた。撮影を見物している群衆の後方、撮影隊が陣取っている反対側で、何かが起こっているようだった。
「―――っ、何だ? 騒がしいな」
 異変に気付いたスタッフがそう呟いた時。
「怪物だ!」
 誰かが、叫んだ。
「どこどこ!」
「本当だ!」
「っ、おい、すげえ暴れてるぞ!」
 撮影隊を囲んでいた群衆の興味が、一気に怪物の方へと移る。
 ももかは、飲みかけのダイエットコークを放り出し、駈けだした。
「えっ、ちょっ! ももかちゃん! どこ行くの!」
 カメラマンの制止を振り切り、人混みを掻き分け、展望台のガラスに貼り付くようにして目を凝らすと、街並の向こうで砂塵がもうもうと立ち上るのが見えた。市民公園とホールがある付近だ。
 振り返ると、下りのエレベーターの扉が丁度開いている。
「ももか! 何やってるの! 戻りなさい!」
 再び人混みを掻き分け、マネージャーの呼ぶ声を振り切って、ももかは下りのエレベーターに飛び乗った。
(―――ゆりが口を割らないなら、現行犯で押さえる!)
 エレベーターが地上に着くと、真っ先に飛び出す。少し気が早いロングブーツにコート姿で石造りのホールを全力疾走する美少女は衆目の的となったが、そんなことには構っていられない。
 コートのポケットには、先刻コークを買った時に使った財布がそのまま。
 ももかはビルの前で客待ちをしていたタクシーに飛び乗った。
「市民公園までお願いします!」
 急き込むようにそう言うと、
「えぇっ!? ダメだよ、あっちは今、怪物騒ぎで」
「お願いします! どうしても行かなきゃいけないんです! お願い!」
 四角い眼鏡に白手袋の初老の運転手は渋ったが、ももかの勢いにとうとう押し切られ、途中までならと車を出してくれた。


 市民公園まであと少し、というところで、ももかの乗ったタクシーは警察の非常線によって止められた。
「ありがとうございました!」
 千円札を二枚、ポケットの財布から出すと、釣り銭を貰う間も惜しむように車を飛び出す。
 勢いよく飛び出したものの、道路という道路は警察に封鎖されている。ももかは辺りを走り回って、ようやく抜け道を見つけた。ビルとビルの間の、人一人がようやく通れそうな隙間。もはや『道』とは言い難い。
「あー、もういい! 全部買い取る!」
 撮影用のブーツとウールのコートを目の粗いモルタル壁に思い切り擦りつけながら、ももかはその隙間を抜けた。非常線をくぐり抜けてしまえば、もう邪魔をする者はいない。
  時折、どんっ! と轟音が鳴り響く。
 怪物が暴れている現場は近い。音のする方へ、ひたすらに、走る。
 一方通行の細い路地を抜けて、ももかは市民ホールの正面入り口の前に出た。
(この裏手が公園―――!)
 ももかはぐるりとホールの周囲を回った。
 角を曲がりきると、そこには。

 怪物の背中があった。

「うわ!」
 危険は覚悟の上だが、ここまでドラマティックな出会いは想定外だ。
 ぎぎぃ、と軋むような音がして、怪物が振り返る。
 目が合ってしまった。
 両手を上げて、顔を引き攣らせながら、それでもできるだけフレンドリーにと、にっこり微笑んだら。

 怪物の目がぎらりと鋭さを増した。

「ちょ! 待って!」
 逃げたい心とは裏腹に、体は竦んで動けない。
(―――!)
 歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じた瞬間。
 コンクリートを叩き壊すような轟音が間近で響いた。
 軽い衝撃と、体を掬われるような浮遊感。
「ひぁっ!」
 その感覚に、ももかは憶えがあった。
 目を開ければ、間近に、白い肌と、風になびくプラチナブロンド。
 あの日と同じように、ももかを横抱きにして飛ぶ『銀色のプリキュア』。
 額、目鼻立ち、唇、顎のライン。そうと知ってじっくり見れば、確かにそこにはももかのよく知る『彼女』の面影があって。
 ももかはじわりと滲む涙を隠すように、銀色のプリキュアの首に両腕を回して、ぎゅっと抱き締めた。

 銀色のプリキュア―――確か、ムーンライトといった―――は、文字通りひと飛びで、公園の端の、怪物の禍の及ばない場所へとももかを運ぶと、横抱きにした彼女の脚を地面へ下ろし、そっと立たせてくれた。そして、ももかが首に回した腕を放さないでいると、
「・・・手を、放してくれるかしら」
 ムーンライトは、低く抑えた声で、不機嫌そうに言った。
「嫌」
 ももかは怯むことなく言い放つ。
「・・・どうして、こんな所に?」
 苛立ったように、ムーンライトが問う。
「ゆりに会いにきた」
 ラベンダーの瞳を見据えて、ももか。
「そんな人は此処にはいない」
「あなたに!」
 抑揚の無い声で紡がれる否定の言葉を遮るように、ももかが鋭く言った。
「・・・あなたに会いにきたんだってば、ゆり!」
「・・・何のことか、わからないわ」
 ムーンライトが柳眉を顰める。
「分からないなら何度でもうわ。ゆり、あなたに―――」
「だから。そんな人はいないって」
「ゆり!」
 ももかは語気を荒げた。
「ゆりは私が、ちょっと姿形が変わったからってゆりのこと分かんなくなるような朴念仁だと思ってるわけ!?」
「あなたとその人がどういう関係かは知らないけれど・・・そうね。あなたが私をその人と勘違いしているのだとしたら、とんだ朴念仁だわ」
 真っ直ぐに見据えてくるももかの視線を、ムーンライトは睨みつけるような目で正面から受け止める。
「・・・そう」
 短く言って、ももかは項垂れた。その腕から、ふっ、と力が抜ける。
 ムーンライトは深い溜息を一つ、ついた。
「それでも―――」
 その一瞬の隙に、ももかは、ムーンライトの首に回した両腕に思い切り力を込め、踵を浮かせて、その唇に、口づける。
「っ―――」
 先刻までの剣幕とは裏腹に、ただ触れるだけの、柔らかなキスをして。
「・・・あなたがどんなに、違う、って言っても」
 ももかは涙を湛えた瞳で、ムーンライトを見上げた。
「私の全部が、そうだって言ってる」
 大粒の涙が零れて、頬を伝う。
「私の全部が、ゆりを憶えてる。絶対に、間違うわけない」
 ムーンライトは無言で、ももかの視線と言葉を受け止める。
「何を言われても、何を見せられても、私は絶対、逃げないから。
 ―――だから。私を置いて、一人でどこかに行こうと、しないで」
 震える声で、それでも力強く、ももかはそう言った。
 ムーンライトは目を閉じて、
「・・・・・・私の、負けね」
 深い溜息とともに、呟いた。
「ほんとに・・・ももかには、敵わないわ」
 そう言って、髪をかき上げて苦笑する表情が、ももかのよく知る彼女そのままで。
 その首に縋って、ももかは、また泣いた。
「ももか」
 ムーンライトが、ももかの背をぽんぽんと叩く。
「少し、待ってくれるかしら。・・・先に、あれを片付けないと」
 ずん、と重い地響きがして、
「・・・・・・っあーー!」
 怪物がまだ現在進行形で暴れていることを思い出して、ももかは慌てて腕を解き、小さくなって、ごめん、と呟いた。
「終わったら、迎えに来るから。ここでいい子にしてて?」
 ムーンライトは悪戯ぽく笑んでそう言って、ももかが小さく頷くのを見届けると、銀の長衣を翻し、地を蹴って、あっという間に見えなくなった。


 公園の木立の向こうで繰り広げられていた戦いの音が聞こえなくなってほどなく、ムーンライトが遊歩道を歩いて戻ってきた。怪我をしている様子は無く、ももかはほっと胸を撫で下ろす。
 歩きながら、ムーンライトはロンググローブに包まれた右手で左肩のブローチに触れた。
 一瞬、強い光が彼女を包み。
 その光が虚空に消えると、見慣れた明堂学園の制服が姿を現す。
「おかえり」
「・・・ただいま」
 そう言って、二人は互いに少し跋が悪そうに顔を見合わせた。
「ってか。ゆり、日曜なのに何で制服?」
 気まずい沈黙が降りるより先に、ももかが口を開く。
「図書館で勉強してたから」
 ゆりはごく簡潔に答える。
 当然だが、あまり、というより、全く会話は弾まない。
 仕方なく、本題に入る。
「・・・いつから?」
 ももかは、疑問に思っていたことを率直に口にした。
「いつから、あんな化け物と、戦ってたの?」
「・・・三年くらい前、かしらね」
 風に舞う髪を手で押さえながら、ゆりはやはり簡潔に答える。
「そんなに?」
 愕然としたように、ももかは目を見開いた。
「全然、気付かなかった」
「・・・それは。勿論、気付かれないように、気をつけてたもの」
「それにしても、よ」
 ももかは頭を抱えるような仕草で、髪をかき上げながら。
「ゆりのこと、分かってるつもりだったのに・・・かなり凹むわ、それ」
 目を伏せて、大きな溜息をついた。
「さっきは『間違える筈ない』って豪語してた癖に」
 くすりと笑って、ゆり。
「そりゃ、ね。いくらなんでも、あれだけ近くで見て触って分かんなかったら、どんだけ朴念仁なの私、って話よ」
 肩を竦めて、ももか。
「・・・そうね。近付き過ぎたのが、間違いだったわ」
 ゆりもまた、軽く肩を竦めてそう言って。
「でも・・・近付かずには、いられなかった」
 二人の視線が出会って、
 短い沈黙があって。
「ね、ゆり。・・・その、手」
 ももかの視線が、ゆりの右手の包帯に落ちる。
「私のせい、よ、ね?」
「違う・・・って言っても、ももかは、自分のせいだって思うんでしょうね」
 表情を曇らせるももかに、ゆりは小さく溜息をついた。
「そんな顔されるのが分かってたから、秘密にしておきたかったんだけど」
「当たり前でしょ」
 ももかは少しむっとしたように、抗議する。
「あんな化け物と戦ってんでしょ?心配するな、っていう方が無理よ。私なんかマジ死ぬかと思ったし」
「そりゃ、私だって生身で戦ったりしないわよ」
 さらりとそう返す、ゆり。
「・・・だいたい、何で、ゆりが戦わなきゃいけない訳? 何でそんなことになった訳? 誰が決めたのよそんなこと」
 苛立ったように、無造作に髪をかき上げながら、ももか。
「ももかと一緒よ。スカウトされたの・・・誰に、っていうのは一寸言えないけど」
 対照的に、ゆりは悪戯ぽく答えた。
「っ、あのねぇ―――!」
「ももか」
 堪忍袋の緒が切れた、と言わんばかりに語気を強めるももかを、ゆりはふわりと抱き締める。
「一度しか言わないから、よく聞いて」
 真剣な声音に、ももかは開きかけた口を閉ざした。
「・・・私は、世界のため、なんてご大層なことは考えてないし、自分を犠牲にしているつもりも、するつもりもないわ。私は、純粋に自分のために、自分の大切な人たちを護ろうとしている―――それだけよ」
 ゆっくりと、ゆりは言葉を紡ぎ始める。言葉を選びながら、丁寧に話していることが、ももかにも感じられた。
「その人が幸せであるためには、その人の大切なもの―――夢とか、将来とか、そういうものを護る必要があって・・・世界を護る、っていうのは、言ってみれば、成り行きね」
 ももかは少し、驚いた。
 真面目なゆりが、世界を護る動機が「成り行き」と言い放つことに。
「それに、私の大切な人の大切なものには、私自身も含まれている、って自惚れているから、自分の命を粗末にする気もないわ・・・だから、安心して?」
 優しい、声。
 ももかは素直に頷いた。
「それから、もう一つ。私は、自分や、自分の大切な人の命運を他人に委ねて安心していられるほど、お人好しではないの。・・・だから、戦う力を与えられて、私の大切なものたちを、私自身の手で護ることを許されたことに、私は感謝しているわ。そういう意味で、私はすごく幸せ」
 そこまで言って、ゆりは抱き締める腕を解いた。
「・・・分かって、くれた?」
「・・・ん」
 陶然とした表情で、ももかが頷く。
「なんか、すごい熱烈な愛の告白された気がする・・・ね、もう一回言って?」
「・・・一度しか言わない、って言ったでしょ」
 そう言ってそっぽを向くゆりの頬は、微かに染まっている。
「ところで、ももか。そのメイクと服・・・もしかして」
 すぐに気を取り直したゆりは、ふと心に引っ掛かったことを口にした。
「うん。撮影用」
「まさか・・・」
「撮影途中で放っぽり出してきた」
 事も無げに、ももか。
「!・・・それ、凄く、大変なことよね・・・?」
「うん。帰ったら、多分、ムッチャクチャ怒られると思う」
 売れっ子の人気モデルとはいえ、仕事に大穴を空けたのだ。今後の仕事に響かない訳がない。本人よりも、ゆりの方が青くなった。
「ばっ・・・何でそんなことするのよ!」
「ゆりのことが気になって我慢できなかったからよ!」
 ストレートなももかの答えに赤面しつつ、
「・・・私のせい、よ・・・ね」
 ゆりは事の重大さに頭を抱えた。
「違うわよ」
 ももかは涼しい顔で、
「その手の怪我が私のせいじゃない、っていうのと同じで、ね」
 してやったり、という風に笑う。
 ゆりは盛大に溜息をつき、暫し思案して。
「・・・なら、怒る気が失せるくらい、皆の度肝を抜けばいいのよ、ね」
 ふと、新しい悪戯を思いついた子どものような含み笑いを浮かべた。


「もうちょい視線こっち・・・そうそう! いい感じ!」
 高層ビルの最上階にある展望台では、撮影が続いていた。
「こんどは一寸ポーズ変え・・・・・おわぁっ!?」
 カメラマンが突然絶叫した。見物人達も一斉にどよめく。
 窓に背を向けていたモデル達も振り返り、口に手を当てて唖然とする。
「んもっ、も、ももかちゃん!?」
 何せ、人気カリスマモデル・来海ももかが、高層ビルの最上階の窓の外で、『銀色のプリキュア』に抱きかかえられて空を飛びながら、にこやかに手を振っているのだ。驚かない筈がない。
 我に返ったカメラマンがシャッターを切る前に、ももかを抱えた『銀色のプリキュア』は、屋上の方へと飛び去った。

 ムーンライトは、屋上のヘリポートに降り立つと、そっとももかを下ろして自分の足で立たせた。
「・・・みんな、凄い驚いてたわね」
 うきうきと、満面の笑みで、ももか。
「・・・ももかも結構人が悪いわね」
 少し呆れたように、ムーンライト。
「最初に考えたのはゆりじゃん」
「この姿の時はゆりって呼ぶの禁止」
「はーい」
 超高層ビルの、滅多に使われないヘリポート。階下へ続く出入口の鉄扉は、当然鍵が掛けられている。
「はっ!」
  ばごっ!
 ムーンライトが「一寸」力を入れてノブを引くと、錠前の部分があらぬ形に曲がって、軋みながらドアが開いた。
「・・・いいのかなー、正義の味方がこんなことして」
「言ったでしょ。私は別に正義の味方やってるつもりはない、って」
 揶揄するももかに、ムーンライトは涼しい顔で答えた。
「ありがと、送ってくれて」
 ももかはそう言って微笑むと、コートを翻し、階段を駆け下りていった。
 その後ろ姿を見送って、『銀色のプリキュア』は、ビル街の彼方へと姿を消した。

《Fin.》

  

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