Can you keep a secret?
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「ごめんねー、こんなとこまで付き合わせちゃって」
大判の薄い問題集が入った紙袋を抱え、ももかは本屋の自動ドアのボタンを押した。
「私こそ、ごめんなさいね。学校でテキスト販売があった日に代わりに買っておけばよかったんだけど」
そこまで持ち合わせが無くて、とゆりが肩を竦める。
「さすがにそこまでして貰っちゃ申し訳ないわ」
ももかは小さく首を振り、
「だけど、こういうテキストってほんと、ペラい割に高いんだよね」
言葉通り、袋に入ったテキストをぺらぺらとを振って見せながら、鞄に収めた。
「BiBiなんて、これよりおっきくて厚くて650円とかだもん」
「出回ってる部数が違うんだから、そもそも比較にならないわよ」
ゆりが言う。半分溜息混じりなのは、もはや彼女の癖と言っていい。
「確かに。こんなのが飛ぶように売れる世の中とか、絶対住みたくないし」
「・・・ももかったら」
まんざら冗談でもなさそうにももかが言うと、ゆりはくすくすと笑った。
不意に、どんっ、と地響きがして、二人の背後から人々のどよめきと悲鳴が聞こえた。
「っ、何なの今の音!?」
二人は同時に振り返った。ももかは驚きと不安の色を浮かべて、ゆりは厳しい表情に、探るような鋭い視線で。
ずどんっ!
再び轟音がして、ビルの間から、巨大な異形の者が姿を現した。
「ちょ、何あれっ!?」
ももかの声が上擦る。
異形の怪物は、ヒステリックに何かをわめき散らしながら、腕のような物を振り上げ、地面に打ち付ける。その度に地響きがして、大地が揺れた。
通りの向こうから、恐慌状態に陥った人々の群れが押し寄せてくる。
「ももか、走って!」
ゆりに背中を押され、ももかは駈けだした。
「いやぁぁぁんっ! 何なのあれ!」
「いいから黙って走る!」
周囲に居た人々も走り出す。通りの両脇に立ち並ぶ店舗から、次々に人が流れ出してくる。二人はあっという間に人の群れに呑み込まれた。
(ごめんなさい)
ゆりは走りながら心の中で密かに謝って、とんっ、とももかの背を突き放した。
彼女は一瞬後ろを振り返ったが、すぐにその姿は人波に押し流されてゆく。
(―――どうか、無事で)
そう祈りながら、ゆりは脇の路地へと身を滑り込ませ、人の流れとは逆方向に走る。
ひとしきり走って、辺りに人の気配が無いことを確かめてから、彼女は『種』を取り出した。
「プリキュア・オープンマイハート!」
彼女の唱える『力あることば』とともに、光の奔流の中から、こころの大樹の加護を受けた、月光の戦士が顕現する。
銀の装束に身を包んだ月光の戦士は、力強く地を蹴り、ビル街を跳び越えて異形の怪物の元へと向かった。
「ももか、走って!」
ゆりに背中を押され、ももかは駈けだした。
周囲に居た人々も走り出す。後ろから逃げてきた人々と混じり合って、通りはあっという間に人の河となった。
「いやぁぁぁんっ! 何なのあれ!」
「いいから黙って走る!」
訳がわからないまま、流されるように走る。恐慌状態の只中にいながら、ももかは背中を押す手と叱ってくれる声があることに安心感を覚えていた。
と。
不意に、突き飛ばされるような感覚。
背中に触れていた手が、離れた。
「っ、ゆり!?」
慌てて振り返ってみても、視界に映るのは怯えた人々の顔、顔、顔。
足を止めることは、できない。立ち止まればきっと、もみくちゃにされ、倒され、何百もの足に踏み潰されてしまう。
「ゆり!」
彼女を求めて叫ぶ声は、悲鳴と怒号に掻き消される。
大きな力に押し流されながら、ももかはそれでも人波をかき分け、脇の細い路地へと逃げ込んだ。そして、思い切り背伸びをして、逃げ惑う人々の中にゆりの姿を求めて目を凝らす。
怪物は暴れ続けている。
通りを逃げてゆく人々の姿が少なくなってきた。
ゆりの姿は、ない。
(ゆりのこと、だから―――)
まさか、こんな所ではぐれるなんて思ってもいなかったけれど。
(―――大丈夫、よね?)
自分よりも、彼女の方がずっとしっかりしている。
(けど・・・もしも)
万が一、逃げ遅れていたら。途中で、倒れていたりしたら。
(ゆり!)
再び、轟音と地響き。先刻よりも随分近い。
怪物への恐怖と、彼女を失う恐怖と。
どちらが怖いか、と問われたら―――。
ももかは両頬を掌でぱんっ!と叩いて自分を奮い立たせると、元来た道を駆け戻った。
異形の怪物―――デザトリアンは、よく見れば、巨大な車輪と鉄パイプををでたらめに組み合わせたような姿をしていた。恐らくは、放置自転車か何かを依代に生み出されたものだろう。操っているのは、クモジャキー。辺りで一番高いビルの給水塔の上に、その姿がある。コブラージャも一緒のようだ。
他の仲間は、まだ到着していない。
さほど大きな脅威ではない―――無論、相手を見くびるつもりは毛頭ないけれど―――が、バラバラに動かれると叩くのが少々面倒だ。
ブロッサム達が早くこの騒ぎに気付いて駆けつけてくれることを願いつつ、ムーンライトは渾身の蹴りの一撃をデザトリアンに叩き込んだ。
ずどんっ、と一際激しい破壊音がして、異形の怪物が地面に伏す。
ムーンライトは身を翻し、続けてその胴めがけて踵落としを見舞う。
怪物の体が一瞬くの字に曲がり、そして力なく横たわった。
「プリキュアぁぁぁぁ! 今日こそ目に物見せてくれるぜよ!」
ビルの上から、クモジャキーが飛び込んでくる。
突き出された剣を、ムーンライトは紙一重で避けた。
パワーとスピードこそ凄まじいが、彼は常に真っ向勝負を挑んでくる上に、その太刀筋も単調で読みやすい。
返す刀をタクトで受け流し、
「―――インパクト!」
彼女は振り向くことなく、横向きに『気』を集めて放った。
「ぐぅっ!」
死角から迫っていたコブラージャの体が、衝撃波に弾かれて吹き飛んだ。
むしろ、夜討ち朝駆け何でもありの、彼の方が厄介だと思う。
「うおりゃぁ!」
再びクモジャキーの斬撃をかわしながら、視界の端でデザトリアンが起き上がるのを見つける。
(これだから、多勢に無勢は面倒だわ)
デザトリアンは、柳眉を顰めるムーンライト目がけて、巨大な車輪を飛ばしてくる。大きく跳躍してそれをかわせば、車輪はビルの壁にぐしゃりとめり込んで止まった。
(・・・不味いわね)
こういう飛び道具で攻撃されると、被害を受ける半径が格段に広くなる。
(やっぱり、あの二人よりもデザトリアンを沈黙させるのが先―――)
ムーンライトは、車輪の落ちた先を見遣って、
(―――!)
そして、息を呑んだ。
コンクリートが砕け、粉塵が舞い散る中、頭を抱え、体を縮めて立ちすくむ人の姿。明堂学園のキャメルのジャケットとプリーツスカート、緩やかに波をかたどるロングヘア。見慣れたその姿を、見紛う筈もない。
(ももか!?)
「っ、どうして―――」
疑問を口にしかけたところで、一つの考えに思いが至る。
先刻、自分が彼女と別れたのが、たしかあの辺りだった。
(もしかして・・・まさか―――)
デザトリアンが再び身構えるのが目に入って、ムーンライトは思考を打ち切った。
地を蹴って、全力で、真っ直ぐに、飛ぶ。
ももかの元へ。
二人が最後に別れたと思われる場所まで、ももかは戻ってきた。
「ゆり!」
辺りを見回しながら、声を張り上げる。
倒れている人どころか、人っ子一人見あたらない、とはこのことだ。
「ゆり!」
脇の路地を、無人の店舗の中を、一つ一つ確かめる。
ずずーーーんっっ!
一際激しく、天地が崩れるような衝撃音に、腹の底が揺さぶられた。見れば、怪物が倒れ、その巨体の周囲を何かが飛び回っている。
陽光を受けて銀色に輝くそれは、人の形をしていた。
あれが―――
(プリキュア?)
少女の姿ながらそのパワーは凄まじく、巨大な怪物を相手に互角以上の戦いを繰り広げ、倒し、浄化してしまうという。噂には聞いていたが、
(・・・すごい)
実際に目の当たりにすると、思わず目を奪われる。
目を奪われている間に、怪物がゆらりとその巨体を持ち上げ。
そのプリキュアを狙い、巨大な黒い物体を飛ばした。
プリキュアは大きく跳んでそれを避ける。
巨大なそれは、緩やかな弧を描いて、ももかの立つ場所へ目がけて飛んできた。
「ひぇっ!」
どごぉぉぉぉんっ!
巨大な黒い物体は、ももかの立つ場所の三つ隣のビルに激突する。
飛び散った瓦礫が、頭を抱えて身を縮める彼女を掠めて落ちた。
凄まじい轟音に、耳がおかしくなりそうで。
逃げようにも、あまりのことに足が竦んで動かない。
(助けて―――ゆり!)
自分が助けに来た筈の相手に助けを求める矛盾にも気付かないほどに、今のももかは動顛していた。ただぎゅっと目を閉じて、じっとしているより他に為す術もない。
と。
不意に、軽い衝撃と、体を掬われるような浮遊感があって。
「ひぁっ!?」
目を開けると、風景が変わって―――有り体にいえば、空を飛んでいた。
ももかの元に降り立ったムーンライトは、素早く彼女の肩を抱き、脚を掬い、その体を抱き上げ、跳んだ。
「ひぁっ!?」
腕の中で、ももかが頓狂な声を上げる。
(どこか、安全なところへ―――)
「キュアムぅぅンライトぉぉぉぉぉっ!」
考える暇もなく、正面からクモジャキーの刃が迫る。恐らく、死角からコブラージャも狙っているだろう。
両手が塞がったままで相手をするのは、少々辛い。
「しっかり掴まってて」
ムーンライトは有無を言わせぬ口調で、ももかにそう告げた。
「手、放すかもしれないから」
その一言が利いたのか、ももかはムーンライトの首に腕を回し、強くしがみついた。
「覚悟!」
ムーンライトはももかの脚を支えていた右手を放した。
左手一本で彼女の体を支えながら、
「―――リフレクション!」
クモジャキーの斬撃を、光の盾で受け止める。
激しく擦れるような金属音が耳に障った。
そしてすぐに体を翻し、回し蹴りで後ろの空を薙ぐ。
「おっ、と・・・おぉ怖い」
コブラージャが余裕の表情で跳び退る。身軽であれば、確実に捉えられていた筈の間合いだ。
再びクモジャキーが正面から迫る。
ぎっっ!
振り下ろす剣は光の盾に阻まれたが、クモジャキーは一歩も退かず、
「どぅおぉぉぉりゃあぁぁ!」
渾身の力で押してくる。
ムーンライトはももかを抱く腕に力を込め、コブラージャの奇襲に備え、上下左右に前後、全てに神経を研ぎ澄ます。緊張が伝わったのか、ももかが身を固くするのが分かった。
と、クモジャキーの視線が動く。
「っ!」
クモジャキーが跳び退くのと、ムーンライトが跳ぶのはほぼ同時―――厳密には、ムーンライトの方が一瞬遅れた。
二人の間を、デザトリアンが放った巨大なタイヤが猛スピードで通り過ぎてゆく。
ムーンライトの体勢が崩れた。
「せいっ!」
ごっ!
コブラージャの攻撃を何とか掌でしのぎ、足蹴りで突き飛ばす。
間髪入れず、クモジャキーが来る。
盾を展開するタイミングは逸した。
おそらく、避けきることもできない。
ならば―――
ムーンライトはクモジャキーの懐に飛び込み、刀身を右手で掴んで止めた。
ぎり、と歯噛みする音がして、紫のグローブに鮮血が滲む。
「むぅ!?」
意表を突かれたクモジャキーの顔に、動揺が走る。
「―――インパクト!」
「ぐぉっ!」
至近距離で放たれた衝撃波は、クモジャキーを沈黙させるには十分だった。
肩で息をするムーンライト。安心するにはまだ早い。
デザトリアンは容赦なく次の攻撃態勢に入る。
コブラージャもまだ健在だ。
どちらが先に仕掛けてくるか―――
きんっっ!
どどどどどっ!
来る、と思った瞬間、眼前に黄金の光の盾が展開し、桜色の光弾が上空から降り注ぐ。
「ちぃっ!」
コブラージャが舌打ちをして飛び退くのが見えた。
「おまたー・・・って、えぇ!? 何でももぬんぐふぅ」
「マリン! マリンはコブラージャをお願いします!」
マリンの脳天気な声を、ブロッサムが慣れた手つきで封じ込める。
「ムーンライトは早く、そちらの方を安全な所へお連れしてください!」
そう促され、ムーンライトは無言で頷くと、ももかを連れて戦場を離れた。
―――どれくらい、そうしていただろう。
激しい打ち合いの音を間近に聞きながら、ももかはただ振り落とされないよう必死に銀色のプリキュアの首にしがみついていた。時間にすればほんの数分のことだったのかもしれないが、彼女にしてみればずいぶん長い間そうしていたように感じられた。
やっとの事で地上に下ろされ、腕を解いて、ももかは初めて自分を助けてくれた銀色のプリキュアと対面した。
雪花石膏の肌にラベンダーの瞳、プラチナブロンドの長い髪、端整な顔立ち。日本人―――というより、人間離れしたルックスに、ももかは一瞬息を呑んだ。他のプリキュアは、彼女を確か『ムーンライト』と呼んでいた、と思い出す。
「・・・怪我は?」
「え? ・・・あ、はい!」
そう問われて、ももかは我に返って慌てて答える。
「そう。 ・・・なら、早く逃げなさい」
銀色のプリキュア―――ムーンライトはそう言って踵を返した。
「あ、あの!」
踵を返すムーンライトを、ももかは呼び止めた。
「あの・・・女の子を見かけませんでしたか? えっと・・・私と同じ制服で、ロングヘアで、眼鏡の」
「・・・あの辺りで、逃げ遅れた人はいなかったように思うわ」
ムーンライトは足を止め、彼女を視界の端に映すように少しだけ振り向いて、そう答えた。低く、抑揚のない声。殊更に感情を押し殺しているようだと、ももかは思う。
「あなた以外には、ね」
「そうですか・・・ありがとうございました。それから・・・ごめんなさい」
ももかがそう言ってぺこりと頭を下げると、
「・・・気をつけて」
ムーンライトは再び地を蹴って彼方へと去っていった。
その後ろ姿を呆然と見送ったももかは、ふと、ムーンライトが立っていた辺りに目を落とし、
「・・・っ」
小さな血溜まりができていることに気付いた。
駅前の広場には、街中から逃げてきた人々が集まっていた。
♪♪♪
不意に、ももかの携帯がゆったりとした旋律を奏でる。只一人のためだけに選ばれ、設定された曲。ディスプレイには、見慣れた番号と、月影ゆりの名前。
(〜〜〜っっ!)
そこで初めて、ももかは自分の愚に気付いた。
(そうよ、最初っから携帯使えばよかったんじゃん!!!)
「ゆり!? 今どこ!?」
彼女は電話を取るなり、絶叫するように言った。
『ももか・・・声、大きい』
思わず電話を耳から遠ざけて眉を顰めるゆりの姿が目に浮かんで、ももかの肩から一気に力が抜ける。
『他の人たちと一緒に、駅前に避難してきたんだけど』
「ほんと!? どこ! どこ!?」
ももかは落ち着きなく首を巡らして周囲を見回した。
『だから、駅前って・・・ああ、見つけた』
電話越しの声がそう言うのとほぼ同時に、ももかは雑踏の中を近づいて来るゆりの姿を見つけた。
「ゆり!」
ももかは電話を切るのもそこそこに彼女の元へ駆け寄って、その胸に勢いよく飛び込んで。
「よかったぁ・・・・・・ほんと、心配したんだから・・・」
背中に両手を回し、肩口に顔を擦りつけ、ジャケットの背を握り締めて、子どものように泣きじゃくった。
「・・・ごめんなさい。途中で、人に押されて、はぐれちゃって」
ゆりはそう言って、左腕でももかの体をそっと抱き締めて、
「でも、よかった。ももかも、無事で」
宥めるように、その背を撫でた。
そうして、ひとしきり互いの無事を喜び合い、体を離したところで、ももかの目がゆりの右手に止まった。
「!!!? ちょ、ゆり! 何その手!」
彼女の右手には大判のハンカチが巻かれていて、掌の側がべっとりと血に染まっている。
「ああ、これ? 一寸、ガラスで切っちゃって」
応急処置はしたんだけど、とゆりは苦笑する。
「ちょっとじゃないわよ! 何その血! 救急箱のレベル超えてるから、それ! 病院! 病院行くわよ病院!」
ももかはそう喚き散らしながら、ゆりの左手を強引に取って駈けだした。
「そんなに慌てなくても」
「慌てるわよ! むしろゆりが何でそんなに落ち着いてるの!」
「・・・鉛筆が持てなくなったら、確かに困るわね」
「えんぴつとかマジ今どうでもいいから!」
走るももかに手を引かれながら。
いつもの調子で、元気に走るももかの姿を見つめながら。
それだけで、自分が全てを賭して戦う意味はある、と。
ゆりは、そう思った。
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