668マイル

  

7/19 8:14 EST    Tampa, Florida


 窓からさし込む、真夏の朝の日射し。
 テーブルに並ぶ卵と牛乳、市販のミックス粉。
「おはよう」
 みなみが小振りの薄いパンケーキを三枚ほど焼き上げたところで、あすかがキッチンに入ってきた。何も予定のない休日に、みなみに起こされる前に彼女が自分から起き出してくるのは、非常に珍しいことだった。しかも今日は、着替えまで済ませて。
「じゃ、食べたら、出かけよっか」
「……え?」
 あすかの言葉に、首を傾げるみなみ。
 何のことですか私なにも聞いていませんけど、と、いう顔である。
「……ん?」
 あすかが眉を顰める。
 あれっもしかしてあたしまたやらかした? という顔である。
「……あたし、ゆうべ、言わなかったっけ……?」
 青ざめるあすかに、
「全く。何も。ひとことも」
 伺っておりませんが、と。
 みなみはその美しい顔で、凄絶に微笑んだ。



7/19 9:29 EST    Tampa, Florida


「それで」
 一泊ぶんの荷物を車の後部に積み込んでから、みなみは助手席に乗り込んだ。あすかの愛車、年代物の白いランドクルーザーは、潮風にやられて、足まわりやバンパーのそこかしこに錆が浮いている。
「そろそろ、どこに行くのかぐらいは教えて貰えますか」
「ん、っとね」
 運転席のあすかは、ドアポケットから紙の地図を取り上げると、ハンドルの上にばさっ! と広げた。『塩水をかぶって使えなくなるようなものには頼らない』と言って憚らない彼女の愛用するロードマップは、使い込まれてもう折り目の部分がすり切れている。
「ここ」
 指さされたのは、アパラチア山脈。
「ノンストップで、十時間くらい、かな」
「……」
 もう、どこからツッコんでいいかわからない。そんな遠出をするのに、なぜ今日の今日なのか。ノンストップで十時間ということは、普通に走ったら到着は夜更けになるではないか。いったい、夜にそんなところで何をしようというのか。とりあえず、みなみがアパラチア山脈という単語をこんなにも意識したのは、高校の地理のテスト以来だった。
「こう、半島を斜めに突っ切って」
 あすかの指が、地図の上を走る。黄色い太線は、州間高速道路(インターステート)だ。
「東海岸沿いに北上して、このへんから西へ、ね」
「じゃあついでに、何しに行くのかも教えてください」
「んー。それは着いてからのお楽しみ、かな」
 地図を畳みながら片目を閉じ、悪戯っ子のように笑ってそう言うあすかは、とても楽しそうで。
「姥捨山に私を捨てにいくつもり、とか」
「あは! その答え面白いけど、残念、はずれ」
「……それなら、安心しました」
 みなみは結局いつものように、振り回されるのを楽しむことにした。フロリダの大学に通い始めてもうすぐ一年が経とうとしているが、飛行機の乗り換えを除けばアメリカ国内でフロリダ州の外へ出るのは初めてのことだった。
「ん。じゃあ、行くよ。しゅっぱーつ!」
 イグニッションキーを回せば、ぶるん、と豪快な音をたててエンジンがかかり、ランドクルーザーが走り始めた。



7/19 12:56 EST Jacksonville, Florida


「みなみ。お昼、何食べたい?」
 高速を降り、街の中を走りながら、あすかが尋ねる。
「うーん。野菜があれば、何でも」
 みなみが答える。二人で出かけるときの、これは大体お決まりの遣り取りだった。
「ええと。ポテトとオニオンリングも野菜に」
「入りません」
 ですよねー、と、これもお決まりの返しをして、あすかは最初に目に付いたダイナーの駐車場へとハンドルを切った。



7/19 14:42 EST    Kingsland, Georgia


「あ……ふ」
 ダイナーを出て三十分経つか経たないか、という頃。
「ふぁ……」
 ハンドルを握るあすかが、続けて欠伸を噛み殺した。
 眠そうですね、と、心配そうにみなみが声をかける。
「ん……満腹になったら、ちょっと、ね」
 少しでも眠気を覚まそうと、首を左右に傾けてこきこきと鳴らすあすか。
「代わりましょうか。運転」
「ん…………んぇえっ!?」
 みなみから予想外の台詞が聞こえて、あすかの眠気が一瞬吹き飛んだ。
「みなみ、免許------」
「持ってます」
「……知らなかった」
「いま初めて言いましたから。学生の身ですし、車の運転は極力控えようと思ってたので。……それより」
 澄ました風で、みなみは答え、
「あすかさん、驚きすぎです。やっぱり、私のこと子供だと思ってるでしょ」
 拗ねたように、そう言った。
「いや------あ、うぅん……もしかしたら、そうなのかな……」
 あすかは前髪をかき上げたその手で頭をぼりぼりと掻きながら、ひとしきり唸り、やがてぼそりと、ごめん、と呟いた。
「……それで。運転、どうします?」
 ふ、と表情を和らげ、みなみが水を向ける。
「生意気なこと言いましたけど、ほんとは、こんな大きな車は運転したことがないし、そもそも日本でしか運転したことないんです。だから、真っ直ぐ走るだけしかできません、けど」
「ん……じゃ、お願いしようかな」
 あすかは少し跋が悪そうに、ちらりとみなみを見た。
「正直、ほんと助かる。たとえみなみがペーパードライバーでも、今のあたしより絶対安全だと思うわ」
 そして、ウインカーを出して、右の路肩へと車を寄せた。


 余程眠かったのか、あすかは助手席に座り、みなみが問題なく車を走らせる様を見届けると、少しシートを倒し、三分と経たないうちに寝息をたてはじめた。
 日本車なら助手席があるはずの側に座って、ハンドルを握る。三車線の道路が、どこまでも真っ直ぐ、どこまでも平らに続くハイウェイ。自分の右側ではなく左側を流れていく、対向車。ラジオから流れてくるのはオールディーズ。アクセルを踏み込めば、すぐに時速七十マイルを越えて疾走する車。異国の地で自分がこんなことをしているなど、一年前のみなみは想像もしていなかった。
(------来年の今頃、私は)
 みなみはぼんやりと、未来に思いを馳せる。
(何をしているだろう。三年後は。五年後は。------十年後は)
 何にせよ、今の自分には思いもよらない展開が、待っているに違いない。
 そう------隣で寝息をたてる、この人と一緒にいる限り。

 カーラジオからは、Route 66 が流れていた。



7/19 16:11 EST   Savannah, Georgia


 アメリカは、広い。
 もう6時間も車を走らせて、まだフロリダの隣の州をうろうろしているのだから。

 車の給油を済ませたあとは、人間の方も補給をせんとばかりに、あすかはドーナツ屋に立ち寄った。夢が浜のマーブルドーナツの印象が強すぎてアメリカのドーナツの味がどうしても好きになれないみなみは、普段あまりドーナツ屋に近寄らない。
「みなみ。どれにする?」
 問われて、みなみの目に飛び込んできたのは、ショーケースに並んだ、目にも鮮やかなドーナツの数々。パステルピンクにローズピンク、ブライトオレンジ、蛍光グリーン、そしてシアンブルー。たっぷりと振りかけられた、アラザンやカラースプレー。
「あ……『オールドファッションと、それから------』」
 みなみは、ショーケースの向こうにいる、アフロアメリカンの店員に向かって英語で言った。
「『------それだけ』」
「『これと、それからこれ』」
 あすかが続けてオーダーする。店員はにこりともせず、事務的な手さばきでドーナツを取った。
「『飲み物は?』」
「『エスプレッソと、カプチーノ』……で、よかった?」
 みなみが頷くと、あすかは先に座っていて、と店の奥を指した。


 窓際の二人掛けのテーブルで待つみなみの元へ、あすかがドーナツとドリンクを持ってやってきた。
「……凄い色」
 目の前に置かれたトレーには、みなみの選んだオールドファッションと、蛍光グリーンのシュガーをべったり塗った上にカラースプレーを散らしたドーナツ、そして鮮やかなシアンブルーに紅白のストライプが入ったドーナツ。
「ほんと、凄いよね。スゴすぎて、どんな味なのか逆に気になる」
 笑いながら、差し向かいにあすかが座る。
「みなみが絶対選ばなそうなの選んでみたけど、どうかな」


『美味しいんですよ! ここのドーナツ!』
『でしょー。みなみん、絶対これ好きだと思ったんだよね』


 ------ああ。
 思い出というものは、上書きされるのではなくて。
 全くの別物として積み上げられてゆくものなんだと。
 このとき、やっと、得心がいった。

「……いい選択ですね」
 みなみはくすり、と笑った。
「この青いのとか、私なら絶対選びませんもの」
 だよねぇ、と頷きながら、あすかはシアンブルーのドーナツを半分に割り、片方をみなみに差し出す。
「青は青でも、この青って青酸の色じゃん? 食べ物をこんな色にするとか、生き物としての本能が壊れてるとしか思えないよね……うわ、甘っ」
「……砂糖のかたまりですね、これ」
 砂糖の強烈な甘さを二人、コーヒーで洗い流す。
「それから、この緑」
 みなみはもう一つの、蛍光グリーンのドーナツに視線を落とし。
「日本の抹茶とは、似ても似つかない、なんていうか、青虫とか……鼻水?」
「みなみそれ今から食べる人に言ったらダメなやつだから!」
 酷いなぁ、とボヤくあすかをよそに、みなみは肩を揺らして笑った。



7/19 19:03 EST   Columbia, South Carolina


 そろそろ夕食のことを考えたい頃合い。
「うーん」
 時計を睨んで難しい顔をするあすかに、みなみはどうかしましたか、と尋ねた。
「や。ここまで来るのに、思いの外時間掛かっちゃって」
 ウインカーを出し、高速を降りる。目指すはコロンビアの街、サウスカロライナいちばんの都会。
「ほんとは、ゆっくり晩ごはんにしたいんだけど、ちょっと思うところがあってね。できれば、時間かけたくないんだ」
 運転席の窓から差し込む強い西日が、あすかの顔に影を作る。夏時間の今は、この時刻になっても太陽はまだまだ元気一杯だった。
「いいですよ」
 みなみは小さく溜息をついて、
「ポテトとオニオンリングも、野菜に入ることにして」
 くすり、と笑った。
「……何も、聞かないんだね」
 あすかの口調は、思いの外重かった。やったぁ、じゃあハンバーガーでいいかな、という反応を予想していたみなみは、少し驚いたように彼女を見る。
「いったい何をしようとしてるのか、って」
「ああ」
 横顔で言うあすかに、みなみは、何を今更、という風に小さく笑った。
「だって。聞いても教えてくれないでしょう? あすかさん」
「そりゃ……まあ、うん」
 口ごもるあすか。
 信号待ちで、車が止まる。
「それに」
 穏やかに、みなみは言葉を続けた。
「私、満更、嫌いじゃないですから。こんな風に、あすかさんに振り回されるの」
 暫しの、沈黙。
 西日が、眩しい。
 信号が、赤から青になる。
「……そっか」
 再び、車は動き出した。
「よし。うん、じゃあ、お許しが出たことだし、ハンバーガーいこう!」
 先刻までとは打って変わって、弾んだ声音で、あすか。
「あ、でも、ハンバーガーよりはサブマリンの方がちょっとでも野菜が」
「えー! ポテトとオニオンも野菜って今言ったじゃん!」
「……今回だけ、ですよ?」
「オッケーオッケー! わかってる!」
 苦笑しながら釘を刺すみなみを横目に、あすかは三百メートル先に見えてきたハンバーガー屋の看板を目指して、アクセルを踏んだ。



7/19 21:07 EST   Spartanburg, South Carolina


 やっとのことで太陽が完全に姿を隠し、夜の帳が辺りを包むと、車窓の風景はいよいよ単調になってきて。
「……みなみ」
 あすかは苦笑しながら、みなみに声をかけた。当のみなみは、半分意識を手放した状態で、小さく船を漕いでは頭を起こし、という動作を先刻から延々と繰り返している。
「寝てていいよ。着いたら、起こすから」
 何ならシートも倒してさ、というあすかの勧めに、みなみは小さくかぶりを振った。
「……運転してくれてる人の横で、私だけ寝るのは」
「あたしなら、大丈夫」
 視線は前に向けたまま、あすか。
「いま、ギンギンに目が冴えてるから。たぶん、布団に横になっても眠れないくらい」
 だから安心して寝てていいよ、と彼女が言っても、みなみは当分の間睡魔と壮絶な戦いを繰り広げていたが、やがていつのまにか陥落し、静かな寝息をたてはじめた。


 ほどなく、流れてゆく車窓の景色に、州境を示す標識。サウスカロライナを抜け、ノースカロライナに入った。
(ついに、ここまで来ちゃったか)
 あすかは、ちらりと腕時計を見た。時刻は、九時十五分。二百メートル防水のダイバーズウォッチの文字盤は、乏しい光の中でもよく見えた。
 海から遠く離れたこんな山の中では防水機能も水深計も意味をなさず、今はただの時計でしかないダイバーズウォッチ。
(今のあたしって)
 ------まるで、陸に上がった河童みたい。
 あすかはぼんやりと、そう思った。



7/19 23:52 EST    Mount Mitchell State Park, North Carolina


「………み」
 名を呼ばれた気がして。
「着いたよ」
 ぽんぽん、と優しく肩を叩かれ、みなみは目を覚ました。
 車窓の景色は止まっていて、車のそばに外灯が立っている他は、ほとんど真っ暗だった。途中で眠ってしまったせいで、今自分がどういう場所にいるのか、全く見当がつかない。ただ、隣のあすかが車を降りるのを見て、反射的にみなみもドアの取っ手に手を掛けた。
「……!」
 みなみの目に最初に飛び込んできたのは、星明かりの空を波の形に切り取る、遠い山の峰々。そこから、視線を上に向けると。
 満天の、星。
「凄い……星が」
 邪魔な光の殆どないそこでは、暗闇に慣れた眼に、無数の光の粒が空にひしめき合って見えた。
「すごく、近い。ほんとに手が、届きそう」
「でしょ?」
 うわごとのように呟くみなみに、あすかは満足げに笑む。
「標高二千メートルの山の上だから、かな。空がすごく近く見えて。海の上で見る星空とは、また違ってて」
 星の密度が、違う。かつて天の川を『乳の道』と例えた人々が見ていた空は、きっとこういう風だったのだろう。
「これを。二人で一緒に、見たかったんだよね」
「……ついて来て、よかった」
 みなみはそう言って、暫し呼吸をするのも忘れるほど、星空に見入った。


「------みなみ」
 みなみの隣で星空を見上げながら、時折ちらり、ちらりと時計を見ていたあすかが、不意にみなみの名を呼んだ。
 星空に遊んでいたみなみの視線が地上へと引き戻され、心臓が、跳ねる。
「日付が、替わったよ。誕生日、おめでとう。……それから、成人」
 おめでとう、と。
 穏やかに、そう告げた。
「ありがとう、ございます。……もしかして、そのために、ここへ?」
 あすかの声に何か切羽詰まったものを感じ、みなみはおずおずと、尋ねる。
「この星空が、誕生日のプレゼント?」
「ん、それは……イエスであり、ノー、かな。ちゃんとしたプレゼントは、別にあるんだ」
 あすかはそう言って、ポケットから何かを取り出した。
「……ううん。これはプレゼントなんかじゃ、ないね……これは多分、あたしの我が儘、だから」
 掌に収まるサイズの、直方体の、小さな箱。
「嫌なら、断ってくれてもいいよ」
 蓋を、開くと。
「------みなみ」
 二つの、リング。
 仄かな光を照り返す、何の飾りもない、金属の環。
 みなみは、息を呑んだ。
「これからも、傍にいて、くれるかな。できるだけ、長く------ずっとなんて、図々しいことは言わないから」
 どうかな、と水を向けられても、みなみは暫く黙っていたが、
「……私、で。いいんですか------どうして、私なんですか」
 やがて色々なものを押し殺したような声で、問うた。
「あたしは、自由でいたい。何者にも縛られずに生きたいし、他人の自由も束縛しない。これまでもそうしてきたし、これからも多分、そうする------けど。みなみに出会って、初めて。この子になら縛られてもいい、って思ったし」
 あすかはそこまで言って、次の言葉を一瞬、躊躇った。
「------縛りたい、って。そう思った」
「縛られてもいい、なんて」
 微苦笑しながら、みなみが言う。
「そんなこと言って。あすかさんは、大人しく縛られなんてくれないでしょう?」
「そんなこと言って。みなみ、あたしのこと本気で縛ろうなんて、思ってないでしょ」
 あすかはくすり、と笑い、
「けど、本当に必要な時はきっと、繋ぎ留めてくれるよ、ね」
 すぐに真剣な顔に戻って、そう言った。
「……答えに、なってるかな」
 そして、窺うような視線を投げる。
「どうかしてます。いい大人が、私みたいな子供に、そんな期待」
「みなみがそれ言う? いつもは子供扱いしたら怒る癖に」
 目を伏せて溜息混じりに言うみなみに、あすかは頭を掻きながら、あまり虐めないでよ、とボヤいた。
「……ごめんなさい。でも」
 みなみはふ、と口を綻ばせ、あすかを見た。
「ほんとは私、そんなに嫌いじゃないんです。あすかさんに、子供扱いされるの」
「……そ、っか」
 あすかは今にも泣き出しそうに苦笑して、
「それで。そろそろ返事、聞かせてくれるかな」
 そう、問うた。
 みなみは姿勢を正し、深い呼吸を一つして。
「はい。謹んで、お受けします」
 そして、はっきりと、答えた。
「……ありがと」
 初めて解き放たれたように破顔したあすかは、小箱の中の台座から指輪を一つ取り上げる。
「それじゃ------あっ!?」

  きんっ

 そして、頓狂な声に続いて、響く小さな金属音。アスファルトの上に落ちた指輪は、大きく弾んだのだろう。微かな金属音が二、三度続いて聞こえてきた。
「うわぁぁぁちょっと待って!ほんと勘弁してよぉ……」
 あすかは勢いよく地面にしゃがみ込むと、猛烈な勢いで指輪を探し始めた。頼りの明かりは、満天の星明かりと、車の側に立つ外灯一本だけ。地面に這いつくばり、頬をアスファルトに擦り付けんばかりのあすかを手伝おうと、みなみもその場にしゃがみ込み、地面に目を凝らした。
「……ありました」
「ほんと!?」
 勢いよく顔を上げたあすかに拾い上げた指輪を見せると、彼女は心底安心したように、よかった、と呟いた。そして、返してくれ、という風に掌を伸べる。

 みなみは少し考えて。
 そして、あすかの目の前で、自ら、左手の薬指に指輪を填めた。

「ふぁっ!? ちょっ!? みなみ------!?」
 映画やドラマのように格好良く、自分の手で彼女の指にリングをはめようと思っていたあすかは、アスファルトに膝をついたまま、窒息した魚のように口をぱくぱくさせている。
「------私は」
 ゆっくりと、みなみが口を開く。
「自分自身の意志で、あすかさんと一緒にいる、って決めましたから」
 そう言ってあすかの顔を見据える彼女の瞳は、仄暗い闇の中でも強い意志の輝きを宿していた。
「……ほん、っと。みなみには、敵わないなぁ」
 あすかは頭を掻きながら苦笑すると、見てて、とみなみに告げ、ケースの中からもう一つの指輪を取り出した。
「あたしも。自分の意志で」
 そして、自らの左手の薬指に、着け。
「みなみに、手綱を任せるよ」
 清々しく、笑った。

 ------っくしゅん!
「大丈夫?」
 張りつめていた気持ちが少し柔らいだ途端、みなみの身体は寒さを訴えはじめた。
「大丈夫……じゃないかも」
 ここは標高二千メートルの山頂、夏でも気温二十度に届かないことはざらで、夜は十度前後まで下がることがある。
「とりあえず、車に戻ろう」
 先に立ち上がったあすかは座り込んだみなみの手を引いて、その勢いで、彼女を抱き締めた。
 そして、唇に、触れるだけのキスをして。
「……随分、冷えたね」
 そう言って、彼女の肩を抱いて車の方へと歩きはじめた。



「ところで」
 シートベルトを締めながら、みなみが訊く。
「今日泊まる場所は、今から探すんですか」
「ふふん。実は、もう押さえてあるんだな」
 得意げに答えるあすか。てっきりいつもの行き当たりばったりだと思っていたみなみは、目を丸くした。
「麓の街に別荘持ってる人が職場にいてね。頼んだら、鍵貸してくれた」
 その眼前で、あすかは真鍮色の鍵をちゃりちゃりと振って見せる。
「!……それ、何て言って借りたんですか」
 答えを聞くのは怖かったが、それでもみなみは聞かずにはいられなかった。
「ん? もちろん、正直に『旅行先で彼女にプロポーズするから別荘貸してください』って」
「あぁ……!」
 みなみは顔を覆って天を仰いだ。ただでさえDr.Kitakazeの『my cutie sweetheart』(あすか談)として自分の知らないところで有名人になっているのに、このうえプロポーズの話まで広まったら、もうフロリダ水族館には近寄れない。
「さあ! 今夜は寝かせないよ!」
 頭を抱えるみなみをよそに、あすかは張り切って車のイグニッション・キーを回した。

  

《fin.》



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