4人の86時間

<7>

美奈子とレイの寝室。
 歯磨きを終えて洗面所から部屋に戻ってきたレイは、美奈子がソファーの窓際の席に座って、食堂から持ってきたチラシの裏面に手書きでテニスコートの平面図を書いて、その上にプレーヤーとおぼしき○印とボールとおぼしき小さな黒丸印を描いてテニスの試合のシミュレーションをしているのを見ると、その隣に、すっと腰掛けて話しかける。
 
「で、どうなの?明日の見通しは。」
「まあ、そろそろダンスの練習もしておかなくちゃっ、てとこね。」
 ちょっと間をおいてからシャープペンを机の上に置いてそう答えると、美奈子は、両手を頭の後ろに組んで、背もたれに身を沈めた。

 今日までの2日間、他のメンバーのプレーぶりを見て、大体みんなの実力はわかった。
 総じて言えば、思っていたよりみんな上手なことは認めざるを得ない。発言とは裏腹に旅行前の楽勝気分では既にない。
 
 しかし、その中でも、レイは、予想外に上手だ。また、この2日間でも相当上手になった。
 多少ミスはあるものの、ストロークは力があり、ボレーも性格を反映して積極的で、かつ、決定力もある。自分がつなぎめにプレーすれば、ペアのバランスも悪くない。
 
 みちるとせつなのペアは、守備力はなかなかのものだが、自分からポイントを取りにいく術がみちるのコースを狙ったストロークだけというのでは、いかにも決定力不足である。
 今日も4-1で快勝しているし、明日も決められる球を確実に決めていけば、勝利は自ずと手に入るはずだ。
 
 もう一つの山をみれば、はるかとほたるのペアは、はるかのプレーはオールラウンドで恐らくは自分に次ぐ実力を持っており、特に守備範囲の広さは驚異的だが、いかんせん、ほたるの穴が大きすぎる。
 亜美とまことのペアは、亜美のプレーは堅実だがどちらかといえばつなぎのテニスで決定力には乏しい。まことは上達著しいフォアハンドの威力は脅威だが、バックハンドとボレーがまだまで、フォアハンドさえ打たせなければむしろお荷物である。
 
 結局いずれが出てきても、ほたるなりまことのバックなりに球を集めれば、難しい相手とは思われない。

「大した自信ね。」
 憎まれ口をききつつも、元々勝ち気なレイの表情も自信ありげだ。レイにしても、今日は充実の1日であった。今日の出来から見れば、個々の実力としても、せつなやみちるよりも自分の方が上ではないかとの感覚もある。
 
「そっりゃそうよー。レイちゃんもお世辞じゃなくて結構上手だし、この美奈子プロが付いていれば、鬼に金棒ってやつよ。」
 身を沈めたままニカッと笑みを浮かべた美奈子の珍しく意味としては間違いではない例えではあったが、鬼にも金棒にもなりたくないレイは、ふっと笑って、腰をあげる。

「その言葉、明日も聞けることを期待してるわ。明日も早いから、今日はこのくらいで休もうかと思うんだけどいいかしら。」
「そしたら、私もそうするわ。」
 美奈子も、筆記用具をそそくさとかたづけると、部屋の照明を落としてレイに続いて自分のベットに入った。

 
 レイが目を閉じてしばらくすると、左手小指と薬指に、隣人の右手とおぼしきものが絡み付いてくるのを感じる。
「レイちゃん。」
 見ると暗がりの中、美奈子がこちらを向いているのが見える。
「なによ。」
 レイも美奈子の方に向けて体を横にする。
「レイちゃんほんと上手になったわ。」
 絡んだ指をもてあそびながら褒め言葉を発する美奈子に、レイはぼそりと礼をいう。
「ありがと。」
「レイちゃんには絶対明日ダンスしてもらうからね。」
 美奈子の指に少し力が入ったのを感じる。暗がりの中、表情は見えないが、もし見えていたとしたら、彼女が滅多に見せない真剣な表情をしているのがレイにもわかる。
「ありがと・・。私も頑張るわ。」
 レイも少し左手の指に力を入れて美奈子に感謝を伝えると、仰向けに戻って、目を閉じた。


 暗闇の中、冴えて眠れない目を開けると、カーテンの隙間から一筋の光が差しているのがわかる。
「あさって頃が満月ね・・。」
 レイは布団の中から身を半分起こしてカーテンを少し開けると、昨日よりさらに一回り丸くなった月がまぶしいくらいに輝いている。
 隣をみると、月の光を浴びて金髪を輝かせている安らかな寝顔が見える。

「私も、この人と一緒で輝いていけるのかしら・・・。」
 視線をそのままにして、そして軽く笑みを浮かべてレイは思う。
 
 美奈子はいつも明るくて、本当に愉快過ぎるぐらい愉快な人だ。
 容姿も時として自分がうらやましいと思うほど端麗だ。
 はらはらさせられることも、最近は心地よい良いスパイスとさえ思えるようになってきた。
 自分は、彼女のことが好きだ。
 仲間としてはもちろんだが、それ以上の気持ちになっていることは自覚できている。
 そして、彼女の自分への愛情も、・・有り難いと思わなければならないほど十分にあふれている・・のではないかと思う。
 昨晩の思いやりには、不覚にも涙が出そうだった。
 
 自分は幸せ者のはずだ。しかし、幸せ者だと思うほど、心の底からにじみ出てくる将来への不安感・・。
 うさぎが見せる、そして、隣室の2人がしばしば見せる安心しきった表情。
 美奈子といるとき自分もああいう表情をしているのだろうか・・・。多分していない。
 なぜ、できないんだろう。幸せの条件はこんなにもそろっている、何も欠けているものなどないはずなのに・・・。

 年を経れば、お互いの若さは失われる。お互いの気持ちだって、変わることはある。いろんな意味で将来のことはわからない。
 しかし、そんなことは当たり前だ。そんなことはみんな一緒なはずなのだ。

「ごめんね、美奈子ちゃん・・。でも、・・わからないの・・。」
 体を寄せて、自分の唇を美奈子の唇にそっとつけて濡らすと、レイは再び自分の布団に潜り込んだ。


 まことと亜美の寝室。
 歯磨きを終えて洗面所から部屋に戻ってきたまことは、ソファーの窓際の席に座ると、机の上に開かれたれたテニスコートの平面図が描かれたノートに目をやった。プレーヤーとおぼしき○印とボールとおぼしき小さな黒丸とにたくさんの線が引かれているのを見れば、ノートの持ち主が持ち前の綿密な事前対策を練っていたことが瞬時に読み取れる。
 まことは、ノートをはたりと閉じると、振り向いて、ベットの上に仰向けに寝ころんでいるその持ち主に話しかけた。
 
「明日の初戦はどうなりそうかな。」
「そうね、普通にやれば勝てると思うわ。」
 何か考え事をしていたらしい亜美は、起きあがってベットの上で体育座りをしてから、しかし、はっきりとした声で答える。
「具体的には、どんな感じになるんだろう。」
 亜美にしては珍しくはっきりと楽観的な見通しを示した返事にまことは少し驚くと、ベットの方にいき、亜美のとなりに座って、続きを求める。
「いろいろ考えたんだけど・・・」亜美は、まことの方に顔を向けて説明する。

 要は、ほたるに球を集めれば勝てるというのである。
 ほたるが後衛にいるときは、はるかを避けてロビングで深く球を返す。ほたるの腕力では安定的に深い球を返すのは難しいから、つなぎ合いで球が浅くなったところを亜美が前に出てボレーで決めれば良い。
 ほたるが前衛にいるときは、ほたるのボレーの守備範囲は広くないから、思い切ってほたるに速い球を送ればほたるのサイドを抜くことができる。もしほたるのボレーに引っかかったとしても、ボレーが浅く返ってきたところを打ち込むかコースを狙って返せばポイントを取れるというのである。

「しかし、最後のほたるちゃんのボレーが浅くなったところを狙うっていうのは大丈夫なのかな。」
 亜美らしい理路整然とした説明に納得しつつも、最後のところはちょっとと思ってまことは尋ねる。
「それは、ほたるちゃんに生きた球を送ればそうなるはずなの。」亜美は、まことへの説明を続ける。

 硬式テニスのボレーというのは、来た球にラケット面を合わせただけでは、生きた球は飛んでいかない。インパクトの際に面を少し押し出す・・ワンプッシュと表現する人もいる・・・ことが必要なのだ。それができていないボレーは、特に勢いのある球に対してはラケット面が押されて、一般的には球足が遅いふわりとした、相手コートの浅いところに落ちる返球となり、受ける側にとってはそれを予測さえしていれば、チャンスボールとなる。

「ほたるちゃんは、腕に力がないせいもあって、そのワンプッシュがまだ出来ないの。だから、相手コートに球を返すことはできても、こちらがそれを予測していれば、はるかさんとほたるちゃんの間に球を返してそれでポイントを取れるはずよ。」
 
「そうか・・。わかった。」
 目を閉じたまことは、さすがは亜美だ、と思う。相手の力を冷静に分析し、的確に弱点をつく。敵と戦っていた頃の亜美そのままのスタイルだ。
 しかし、妖魔相手ならともかく、ほたるだけに球を集めて勝つというのは、いささかかわいそうな気もする。何しろついこの間までは、自分も同じ初心者で、同じコーチに指導してもらって、同じように上達を喜んでいたのだ。差がついているのは、単に基礎体力に差があるからに過ぎない。
 それが一方は、コーチとともに一方的な攻撃側に回り、一方は、無惨な敗北を喫するのだ。勝負だから仕方がないとはいえ、球を自分一人に集中されてそのたびにポイントを失っていくほたるの姿を思い浮かべると、同情の念を禁じ得ない。

「でも、油断は禁物よ。相手はあのはるかさんなんだから。」
 亜美はそんなまことの心情を知ってか知らずか、真剣な眼差しで、まことに対してというより自分に言い聞かせるようにいう。
「えっ?でも、いまの話だと、はるかさんの出る幕はないんじゃないの?」
 まことは、少し意外そうに亜美に尋ねる。
 
「私の計算だと、そうなんだけど・・。でもはるかさんだったら・・・。」
 そういう亜美を見れば、目はまことを見ておらず、眉間には皺が1本刻まれている。
 
まことは亜美の肩に右手を回して、座ったまま顔を亜美の顔に近づけると、唇を重ねる。
「・・んんっ・・んっ・・」
 まことの舌がゆるゆると亜美の中に進入すると、亜美もそれに遠慮がちに応え、二人のものが亜美の中で絡み合う。
「・・んっ・・ふっ・・」
 暫しの情の交換の後、まことのものが亜美の唇から出ていくと、そのものの主は明るい笑顔をつくって、亜美の目を見て言った。
 
「大丈夫さ亜美ちゃん。そりゃはるかさんは足も速いし、スポーツ万能だけど、テニスの腕前だったらあたしが見たところ、亜美ちゃんとそれほど変わらないよ。それにあたしだって、亜美ちゃんのおかげで結構上手になったんだから、まあ、期待しててよ。絶対うまくやってみせるからさっ。」
 そういうまことに亜美も思い出したように笑顔を作った。

 
 電気を消して、ベットに入ったまことが目を閉じて閉じてしばらくすると、右手の小指と薬指に、隣人の左手とおぼしきものが絡み付いてくるのを感じる。
「まこちゃん。」
 見ると暗がりの中、亜美がこちらを向いているのが見える。
「なあに。亜美ちゃん。」
 まことも亜美の方に向けて体を横にする。
「まこちゃんほんと上手になったわ。」
 絡んだ指をもてあそびながら褒め言葉を発する亜美に、先程の亜美の風情が気になっていたまことはほっとしたように礼をいう。
「ありがと。亜美ちゃん。」
「明日も朝、練習に行くんでしょ?」
「うん。朝、体を動かすと1日調子いいしね。」
「そしたら、フォアハンドを強く打つ練習をしておいてね。特に、バックサイドに来た球を回り込んで強打する練習を。」

 意外な発言に、まことの指に少し力が入る。浴場でのやりとりが頭の中をよぎる。
「えっ。でも、あたし、バックハンドもサーブもまだよれよれなんだけど・・。いいのそっちは?」
「いいの。私も考えたんだけど、多分それが今まこちゃんにとって一番役に立つ練習だから・・。」
 亜美の指に力が入ったのを感じる。
 が、暗がりの中、表情は見えないが、声色は落ち着きを取り戻しているように聞こえる。

「わかった。やってくるよ。」
 まことも少し右手の指に力を入れて亜美に了解した旨を伝えると、仰向けに戻って、目を閉じた。

 

「これでおしまいだ!」
 ギャラクシアの両腕から放たれたいくつも光球が自分たちの方に迫ってくる。そして、目の前で、マーズが、ジュピターが、そしてビーナスが次々と倒れ、見る間に力を失って行く。
「プリンセスもスターライツもあたしたちには大事な人だから・・」
 ビーナスの絞り出すようなかすれ声が聞こえる。
 ジュピターの側に駆け寄り、抱きしめると、愛しい人のその体は既にほとんど重さを感じなくなっている。そして、腕の中のその人は光の粒へと姿を変えていきながらも最後の力をふり絞って、話しかけてくる。
「あ、亜美ちゃん。これで良かったんだよね・・。これしかなかったんだよね・・。」

 そう。みんなと一緒に最後の戦いに赴く前、私が提示した作戦は「スターライツとも協力して戦おう。」の一つだけ。
 そんなことでは勝てる希望が一縷もないのに、助かる希望すら一縷もないのに、そして私にはそれがわかっていたのに、思考を停止したまま、かけがえのない仲間たちを敵の銃口の前に引き出したのが私。
 
 消えていく愛しい人を離すまいと泣きながら抱きしめる私の肩をたたく人がいる。振り向くとウラヌスとネプチューンが立っている。
「はるかさん、みちるさん・・。無事だったんですか?ギャラクシアは?」
「やあ、何とか倒したよ。こっちの犠牲も大きかったけどね。」ウラヌスが笑みを浮かべる。
「でも、せつなやほたるはわかってくれてたはずよ。必要な、そして意味のある犠牲だったってことが。」ネプチューンの表情にも達成感がある。
「そう。マーズやビーナスやジュピターの最期とは違うよな。」
「でも、亜美たちのおかげで相手も油断してくれたんだからその意味では犬死にではなくてよ。」
 2人の言葉の一つ一つが私の心に槍のように突き刺さる。
「亜美、3人の供養はよろしくな。あの最期ではなかなか成仏しきれないだろうからな。」
 2人は軽く手を振ると私に背を向け去っていく。
「まっ、まって・・。」
 そういう間にも、腕の中ではジュピターが、そして、マーズが、ビーナスが光の粒へと姿を変えていく。
 
「まこちゃんっ、レイちゃんっ、美奈子ちゃんっ。ごめんなさいっ。消えないでっ。お願いっ。戻ってっ・・」
 

「亜美ちゃんっ。亜美ちゃんっ!」
 遠くから呼ぶ声に、目を開けると、部屋の電気がついていて、目の前には自分を抱きかかえながら目を大きく見開いて自分を凝視しているまことの顔が見えた。


「あっ。まこちゃん・・・。どうしたの、大丈夫?」
 そういう亜美は全身に寝汗をかいていて、起きたばかりの目の下にはクマができ、目尻には涙の跡がついている。
「大丈夫って、それは、こっちのせりふだよ。」
 亜美を右腕に抱きかかえたまま、まことは半分心配したような、半分怒ったような口調で応える。
「わたし・・。何か言ってた?」
 亜美は、腕の中からゆるりと身を起こすと、汗で濡れたパジャマの襟を直しながら少しうつむき加減で顔だけまことの方に向けて尋ねる。
「うん・・。あたしと、レイちゃんと美奈子ちゃんの名前を何度も言ってた。それから、ごめんなさいとか、戻って、って言う言葉もね。」
「そう・・。」
 
「ねえ。何をずーっと一人で悩んでいるんだい。あたしも力になりたいんだ。溜め込んでないで良かったら話してくれないかな。」
 まことは、眉間の皺を1本残しながらも精一杯の笑顔をつくって、できる限りの優しい声色で話しかける。
「ごめんなさい・・。心配かけちゃったわよね。でも、もう大丈夫だから。」
 襟を直し終わって亜美は力のないつくり笑顔をまことに返すと布団に潜ろうとする。
 と、まことの両腕が亜美を肩から抱きしめて、亜美の顔はまことの胸の中に埋められた。

 力強くそれでいて優しい柔らかさを持った両腕、暖かく心地よい匂いのする胸。
 その中にくるまれていると、気持ちの高ぶりも、言いようのない不安も吸い取られるように収まってくる。
 何回これで癒されたことだろう。何回これで救われたことだろう。
 と、包み込んでいる胸の中から悲鳴のような軋む音が聞こえてくる。少し顔を動かすと、頬に暖かいものが落ちてきたのを感じる。

「涙・・?まこちゃん・・泣いてる?」
 視線をあげると、腕と胸の持ち主は、澄んだ目に入りきれない程の涙をたたえ、それでも必死にそれをこぼすまいと唇を固く結んで喉が発する嗚咽をこらえている。
「ま、まこちゃん・・」
 そう漏らして顔を上げようとする亜美を、両腕はしっかと抱きしめて離さない。亜美の顔はまことの胸にぎゅっと押しつけられたまま、その代わり、まことの絞り出すような嗚咽混じりの声が聞こえてくる。

「あたしだって、亜美ちゃんがずっと悩んでいたことぐらいは、わかるんだ。だけど、あたしは、亜美ちゃんみたいに頭が良くない。亜美ちゃんが何に苦しんでいるかもわからない。だから、あたしが出来るのはこれだけ・・。これだけなんだ・・・。」


 人の悩みを聞きだしてそれを改善してあげるというのは実はそれなりの荒療治である。
 多くの場合、悩みを打ち明けさせること自体が、外科的手術と同様本人の心の傷口を広げることにもなるからだ。そして、人の心は、時間の経過とともに、自らの傷を癒していく力を持っている。
 だから、悩みを持った人を暖かくじっと見守る、自ら打ち明けられる程度まで傷が埋まるまで、いつも見ているよ、というメッセージだけ与えて見守るということが最善である場合が実は多いのだ。

 しかし、この一見手間いらずに見える対策は、身近にいる人、それも悩みを抱えた人こそ大事と思う人にとっては、一番根気のいる選択肢でもある。守るべき人の悩みが何かを知らずにいるという現実、自らが大事とする相手に関して無知であるという現実と戦い続けなければならないからだ。
 そして、その戦いは、相手が自ら打ち明けてくれるまで続くのだ。

 今、自分の体内の邪気を吸い取ってくれている人は、その戦いを続けている。私が言わなければ終わらない戦いを・・。
 

 亜美は、両手でまことの両手首をそっとつかむと、それを本人の両腰の脇に静かに置く。
 そして、体をまことから一旦離すと、体育座りをして、まことの左側に並んで、顔を向けた。

「ごめんね、まこちゃん。ずっと心配かけちゃってたよね。」
 ゆっくりとした話し方だが、しっかりと自分の目を見て話し始めた亜美に、まことも少し冷静さを取り戻す。
「ううん、いいんだ。苦しんでるのは亜美ちゃんなんだから・・。」
「もしよかったら、私の話をきいてくれる?」
「うん。もちろんだよ・・。でも、話せる範囲でいいんだよ・・。」
 気遣いに感謝の念を覚えながら、亜美は、とつとつとまことに語りを始めた。
 

 ギャラクシアとの戦いで、何ら自分が有効な作戦を立てられなかったこと。最後の戦いでは、勝ち目が全くなかったこと。そして、それを自分ではわかっていながら、まことたちを戦場に連れていったこと。その結果、4人とも、光の粒へと消されてしまったこと。
 亜美は、順々に説明する。

「でも、それは、相手が強かったからで、亜美ちゃんが責任を感じることじゃないよ。誰がやったって、同じ結果にしかならなかったんだから。」
 話の途中ではあったが、まことは、取りあえずの見解を伝えた。
「でも、はるかさんは違ったの。」
 少し語気を強めた一言の後、亜美の視線がまことから離れる。
 
 はて、とまことは思う。
 確かにはるかは万策尽きたと見られた後、みちるとともに衝撃的行為に打ってでて、一瞬あわやというところまで持ち込んだ。しかし、結局は、自分たちと同じ運命にしかならなかったはずだ。

「ご、ごめん。亜美ちゃんとはるかさんのどこが違うのかわからない。同じ結果だったと思うんだけど・・」
「はるかさんはあきらめなかったのよ。」
 正面のベットの縁に視線を移して、しかし、しっかりとした口調で亜美は続ける。
  
「はるかさんは、勝つ可能性があると思って、戦いにのぞんでいたわ。そして、最後まで、その希望を捨てないで、勝つための、そして助かるための最善の方法を探して、たとえ一縷でも望みのある方法で回りを導いていたわ・・。」
 それに比べて、自分は、途中で思考を停止してしまい、仲間を凶弾の盾以上のものとしなかったというのだ。
 
「私も、戦いの後、時間も経ったし、前向きにならなきゃだめだ、あれは仕方がなかったんだ、と思うようにしてるの。だけど、あの時の自分の無策ぶりはどうしても忘れられないし・・、思い出すと本当に・・自分がみじめになるの・・。」

 そこまで言って、顔を自分の両膝の間に伏した亜美を、まことはしばし凝視したまま言うべき言葉が見つけられなかった。
 

 亜美の悩みはわかった。
 が、まことは、同時に難しい悩みだとも思った。
 亜美は戦いに負けたことで自分を責めているのではない。勝つためにベストを尽くさなかったといって自分を責めているのだ。
 そして、勝ち負けが客観的、外面的に判断できるものであるのに対し、ベストを尽くしたか否かは、優れて主観的な問題であり、当の本人しか判断出来ない場合が多い。
 亜美なりの、というより亜美ほどに自分に厳しい者の判断を覆すことは、他人には難しいのだ。
 しかし、まことは、何か言葉をかける必要に迫られていた。このままでは、時の力によって埋められつつあった亜美の傷口をただ開いただけで終わってしまう。

「亜美ちゃんがどう思おうと、あたしは亜美ちゃんは精一杯やったと思うよ。亜美ちゃんがどう思おうと、あたしの亜美ちゃんは偉いんだという気持ちは変わらないよ・・。」
 それは、その時まことの思いついた精一杯の慰めの言葉だった。

 

 まことは、自分の右腕を枕代わりにして寝息をたてている亜美を抱えながら、興奮の後にやってくる妙に冴えた頭で亜美とはるかのことを考えていた。
 そして、ゆっくり考えてみると、まことなりにもいくつかのことがわかってきた。
 
 自分のこれまでのはるか像は、速さと力強さを持った理想の戦士、というものだった。
 そして、ライバルとまではいかないまでも、それを目標にし、いつかは超えたいとも思っていた。
 しかし、亜美の話を聞いて改めて気づいたことには、はるかは、作戦を立案しそれに従って仲間を動かすという、もう一つの役割も持っていて、その面でのはるかも、実は、その面では並ぶ者がないと思っていた亜美に勝るとも劣らない能力を持っていたのだ。
 
 亜美は、そういうはるかをずっと前から意識していて、多分、自分が格闘家としてのはるかに負けないようにと思う気持ちと同じように、作戦家としてのはるかに負けまいと思っていたのだ。
 だから、亜美はベストを尽くさなかったといって自分を責めてはいるが、もし、はるかも無抵抗で倒されていたら、あんな風に自分がみじめだなどとは言わなかったと思う。
 土壇場ではるかに劣る・・・少なくとも亜美自身の評価としてはとしては劣る・・・対応したできなかった自分自身をその道のプロとして悔しく思っているのだ。
 
 そう考えると、浴場での亜美の対応ぶりも、合点がいく。
 はるかの言ったアドバイスの有効性を認めながらも、いや、その有効性を瞬時に認めたからこそ、そのアドバイスをはるかではなく自分ができなかったことを、あの時亜美は自分の中で消化しきれなかったのだ。
 
 寝る前に、はるかのアドバイスどおりするよう指示を出したのは、亜美としては、辛い指示だったと思う。
 
 自分が至らなかったという現実を渋々認めて、そして、自らのプライドを、指示の必要性・有効性という苦い消化液で溶かした上でないと、出せない指示だからだ。
 あの時の亜美の落ち着いた声色を思い出すと、亜美の精神力の強さには改めて頭が下がる。
 

「こない方がよかったのかな・・・。」
 亜美を旅行に誘った時のことを思い出した。
 亜美の心の傷は埋まりつつあったが、完全には埋まっていなかった。そして、それを亜美自身もわかっていて、はるかと関わることで傷が広がるのを恐れていたのかもしれなかった。
 亜美からテニスを教わって無邪気に喜んでいた時のことが何か遠い昔のことのようにも思えてきた。

 しかし、現実は、合宿に来ている。それどころか、よりによってはるかペアとの試合が目前に迫っている。
「どうしよう・・。」
 しかし、事ここに至っては、どうしようもこうしようもないことはまことにも理解できる。
 
 
 勝つしかない。
 亜美の作戦に従ってはるかペアを粉砕する。
 それが、今、自分ができる亜美を勇気づける唯一最善の方法だ。

「よし、そうと決まればっ。」
 まことは、喝っと眼を見開いて天井を睨みつけると、右腕の中の人を静かに元いた場所に戻してから、滅多に使わず、もしものためにと持ってきた目覚まし時計を自分の鞄から取り出して、今日の起床時間よりも1時間早い時間をセットした。

  

<続く>

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