Side Y: ゆりのターン


 貰った! と思った瞬間、私の手錠は空を切って。
「っ!?」
 ミスった―――と思う間もなく、
  どごんっ!
「っ!」
 衝撃が、来た。
 少し遅れて、自分がロッカーの扉に勢いよく体を押しつけられたのだと解る。ロッカーは中が空洞だし、大きな音がした割にはそう強いショックではなかったけど、それでも一瞬息が詰まる程度にはダメージが来た。
「・・・ももか?」
 呆れたような、ゆりの声。そこで初めて、自分が肩と手首を掴まれていることに気付く。
「あなた今、私に何をしようとしてた?」
 随分と手加減はしてくれているみたいだけど、全く身動きできない。
 ・・・そうですよねー・・・大の男をあっというまにねじ伏せちゃう凄腕さんですもんねー私ごときが出し抜けるわけがありません、よ、ね・・・。うん。
「えー、っと。何のこと?」
 一応とぼけてみせると、掴まれた右腕が、私の背中でゆっくり、じりじりと、あらぬ方向に捻られてゆく。
「え、ちょ、待って、ちょ、ちょ待ってゆり待ってちょいちょいごめんなさいごめごめごっギブギブギブギブいででで!」
「・・・素直に白状する気になった?」
 ひとしきり捻られてぐったりとした私を揶揄うように、ゆり。私がギブアップしてからも少しだけ捻り続けたのは、たぶんわざとだと思う。
「・・・ゆりに手錠かけようとしてました。はい」
「そうみたいね」
「わかってるなら聞かないでよ・・・」
「とりあえずこれは没収ね」
 そう言って、彼女は締め上げた私の右手から手錠を取り上げた。
 私の抗議はスルーですか。
  がちゃがちゃっ
 と思っていると、聞き慣れた金属音がして、両手首に冷たい感触。
「えっ、ちょ! ゆり! 何すんの!」
「何、って。ももかが私にしようとしてたことでしょ?」
 涼しい顔で、ゆり。手は離してくれたけど、その代わり両手を後ろ手にがっちり手錠で拘束されてしまった。
「・・・それで?」
 私の体を自分の方に向けさせて、彼女は尋問を続ける。
「手錠をかけて、それからどうするつもりだったの?」
「え」
 それを。聞きますか。敢えて、面と向かって。聞きますか?
「ええと・・・何も考えてませんでした」
 私は、お約束な感じでしらばっくれてみせる。
「・・・そう。まあ、いいわ」
 と、彼女は案外あっさり許してくれた。
 ・・・あれ?
「もう夜も遅いし。早く着替えて帰りましょう?」
 拍子抜けしたのも束の間。そう言って、彼女は私に背を向ける。そして、手錠を掛けられたままの私を放置して、自分のロッカーの前で着替えを再開した。
 ・・・って! 放置ですか!?
「え。ちょ、ゆり、待って、何それ」
「何、って?」
 プルオーバーのカットソーに袖を通しながら、問い返す彼女。
 いかにも、『何のことかわかりません』って顔で。
「や。何、じゃなくて、私も着替えたいんだけど」
「ああ」
 それもそうね、なんて。
 彼女は襟元から長い髪を掻き出し、ようやく合点がいった、とばかりにわざとらしく頷いて、
「仕方ないわね。じゃあ―――」
 私の前に立つと、私のネクタイに触れ、手慣れた風でそれを解きにかかった。
「え、ちょっ・・・」
「こんどは何?」
 淡々とした声で、彼女。
「何・・・する、気?」
「何、って」
 しゅる、と音を立てて、ネクタイが抜かれ、
「着替えたいんでしょう?」
 そう言って、顔を上げた彼女と、真っ直ぐに目が合って。
「―――」
 不敵な笑みに、心臓が跳ねる。
 思わず後ずされば、背中がロッカーの扉に当たった。
 彼女の指先が、私の襟元のボタンに伸びる。
「脱がなきゃ、着替えられないわよね?」
 一つ、また一つ。ゆっくりと外されるボタン。後ろ手に束縛されて胸を張ったような姿勢になってる所為で、元々胸回りのサイズにあまり余裕のないワイシャツは勝手にはだけてゆく。最後のボタンを外してシャツの下に滑り込んだ彼女の手が、鎖骨を辿り、素肌の肩を掌で撫でるようにして二の腕の方へとシャツを落とした。
 次は、スカート。
 彼女の両手が腰に回される。
 顔が、近付く。
「っ、」
「どうしたの?」
 思わず息を詰めると、彼女は至近距離で首を傾げた。
「着替えるくらい、今更、恥ずかしがることもないでしょ?」
 口角で微笑む彼女。
 腰のホックが外されて、ファスナーが半分だけ下ろされる。
 スカートは、中途半端なところで腰骨に引っ掛かった。
「っ、そう、だけど・・・」
「けど?」
 スカートの外に出たワイシャツの裾から、彼女の手が潜り込み。
 キャミの脇腹を滑り、指先が、背中の、腰の窪みへと辿り着いた時、
「んっ―――」
 思わず、体がびくりと小さく跳ねた。
「・・・ももか?」
 触れるか触れないかの微妙なタッチで、彼女の指先が背筋を這い上がる。
「!」
 抑えきれずに、仰け反る背中。
 手錠のチェーンが、じゃらり、と鳴った。
「ももか」
 彼女の端正な顔に、意地の悪い笑みが浮かぶ。
「ただ着替えるだけなのに。貴女、何を期待してるの?」
 もう、完全に彼女のペース。
「べ、つに私は、何も・・・ゆりの触り方がエロいから・・・ってか、全然着替えさせるつもりなんかない癖に」
 よく言うよ、と、ささやかな抵抗をしてみる。勝てる気はしないけど。
「あら。ひとに手錠掛けてあれこれしようとしてた人に、言われたくないわね」
 ・・・ほらね。全然効いてないし。
「そりゃ、まあ・・・そう、なんだけ、ど」
「そういうことを言うのは」
 彼女の掌が私の頬を包み、指先が唇をついと撫でた。
「どの口かしら、ね」
 スローモーションで、顔が近付く。
 ぐい、と上を向かせられ、
「っ―――」
 唇を塞がれて、舌が割り込んできた瞬間、甘い痺れが背筋を走った。
 キスなんて、いつもやってることなのに。
 それこそ、息をするのと同じくらい。
「・・・ん・・・」
 ゆりに主導権獲られるのだって、別に初めてじゃない。
 ―――それ、なのに。
「っ、く・・・」
 今日は何故だか、ゾクゾクする。
 彼女の舌がぬるりと動くたびに、背中が疼く。
 長いキスの間に、いつの間にかキャミの中に忍び込んだ彼女の右手が、ゆっくりとウエストのラインを撫で、少しずつ這い上がり、迷わず私の胸の谷間に辿り着くと、ブラのフロントホックをいとも簡単に外した。
 ―――まるで、何もかも知り尽くしてるみたいに。
 そうして、締め付けから解放された胸の膨らみを、彼女の掌で持ち上げるようにゆっくりと揉みしだかれれば、頭の芯まで痺れてゆく。
「ん、っ、ふ・・」
 唇が解け、息を継ぐ隙に、耳許に口付けられる。
 腰を抱く手が、妖しく蠢く。
 引っ掛かっていたスカートが、ぱさり、と床に落ちた。
 柔らかな舌が耳許を這い回り、舐めずる水音が淫靡に響く。
 固く実を結んだ胸の先を、指先が弄ぶ。
 微妙なタッチで、掌が背中の窪みを辿る。
 唇が、跡がつく寸前の、絶妙な加減で首筋を吸い、甘く噛む。
 両手と口でこんなにも別々の動きができるなんて、つくづく彼女は器用だと―――
「っあっ!」
 胸の先に触れる暖かなぬめりが、私の思考を中断させた。
 慌てて、声を殺す。
「・・・っは・・・」
 急くように、澱むように。自在な舌の動きに弄ばれて、背中が波打つ。
 ストッキングに包まれた脚を、腰を、好き放題に這い回る掌。
 限界まで切なく張り詰めた実を舐り続けられても、
「ん・・・っく・・・」
 縋れない。
「っん・・・ぅ」
 縋りたい。けれど、手首を戒められたまま、体をくねらせるより他に、どうしようもなくて。
「ももか」
 と、彼女の声が、耳の奥を震わせる。
「そういえば貴女、お腹空いたから早く帰ろう、って言ってたわね?」
 その刺激さえ、快感を煽って。
「ここから先は―――どうする?」
 焦らすように、掌を下腹部で遊ばせながら、そんなことを言う彼女。
 冗談じゃない。
 ひとの情欲に火を点けておいて放り出すなんて、放火魔と一緒よ?
「っ、や・・・」
「やめる?」
 言葉がすんなりと出てこなくて、ただ闇雲に首を横に振る。
「・・・やめな、い、で・・・」
 やっとのことでそう絞り出すと、彼女は鼻で笑うようにふ、と息をついて、遊ばせていた右手をストッキングの端に掛けた。
 腰を撫で回すように、少しずつ、薄布がずり下ろされてゆき。
 その手が、ショーツの中に滑り込んできた。
「んあっ!」
 秘芯を捉えられて、びくり、と躰が跳ねる。
 きっと、雷に撃たれるのって、こんな感覚。体のまんなかを電流が走って、脳がショートして。一瞬呼吸が止まって、全身が強張ったかと思うと、次の瞬間には下半身から力が抜ける。
 更に奥へと分け入り、入り口を探り当てた彼女の指を、『私』はぬるり、と何の抵抗もなく迎え入れた。
「・・・余程、待ち遠しかったみたいね?」
 含み笑う表情で覗き込まれて、頬がかっと熱くなる。
「そ・・・っんっ」
 すぐに探り当てられれば、抗議の言葉は波に攫われて。
 あとは、翻弄されるばかり。
 私が彼女を知り尽くしているように、彼女も私を知り尽くしている。
 私の火種の在処を。
 どうすれば、私を狂わせることができるか。
「んっ・・・っあ! っ」
「ももか。声」
 窘める、彼女の声。
 ・・・そんなこと言われたって。
 無理。
「仕様のない子ね」
 何も言えないまま闇雲に首を振ると、彼女は揶揄するように言って、自分のスカートのポケットからハンカチを出し、小さく折り畳んで私の口に宛がった。そして、私がそれをぎゅっと噛みしめるのを見届けると、再び指を動かし始める。
「むっ・・・う、んっ」
 脚から力が抜ける。
 がくん、と体が傾ぐ。
「ほら。しっかりしなさい?」
 躰をぴったりと密着させ、ロッカーとの間に私を挟むようにして、足元が覚束なくなった私を支える彼女。もしこれが逆だったら、脱力した彼女を支えて立ったまま・・・なんて、私には到底無理。つくづく、私とは鍛え方が違うんだな、って思う。
「っんう!」
 強い刺激に、ぱあっ、と頭の中がフラッシュを焚かれたように熱くなる。
 かと思うと、漣のように、優しく。
 震えるように、揺さぶるように。
 急かすように、焦らすように。
 また、急かすように。
「っく・・・ふぅ、っん」
 登り詰め、狂わされる。
  どんどんっ!
 不意に、更衣室のドアを乱暴にノックする音がした。
 心臓がそのまま止まってしまいそうなほど、ぎゅっと縮まる。
 彼女の動きも、止まった。
「おーい、まだ誰かいるのか?」
 課長の声。
「・・・はい。月影と来海です」
 彼女は私と躰を重ねたまま、首だけを巡らせ、答えた。
「なんだ、まだいたのかお前ら」
「はい・・・すみません。今、ちょっとドアを開けるわけには」
 何食わぬ風で答える彼女。
 同時に、私の中に埋まったままの指が、ぐにゅりと動いた。
「っ―――!」
 抑えきれずに、びくり、と背中が跳ねる。
「あ、いや! いい! 居るならいいんだ!」
「・・・そうですか」
 冷静な受け答えの裏で、彼女の指はゆっくりと、力強く蜜壺を掻き回す。
 背筋が、ぞくりと震えた。
「っ・・・・・・っ・・・!・・・っ」
 声を殺して、耐える。
「電気の消し忘れかと思ってな。居るなら、いいんだ」
 腰の辺りからじわじわと、侵蝕するような痺れ。
 足元が、いよいよ覚束なくなる。
「わかりました。消灯して帰ります」
 不意に、強く突き上げられ。
「―――!」
 がくんっ、と衝撃が走る。
 一瞬、呼吸が止まる。
「おう。早く帰って休めよ」
「・・・ありがとうございます」
 肩で息をしながら、廊下を遠ざかっていく課長の足音を聞いて。
「よく我慢したわね、ももか」
 なんて。
 嗜虐的に微笑む彼女の表情にぞくりとする。
「うー・・・」
 私はハンカチを咥えたまま、唸ることしかできなくて。
「今。楽にして、あげるから」
 彼女のその台詞に。淫靡な予感に、また震えた。

     *          *          *

 着替え終わって、署からの帰りの車内。
 運転手はいつものように、私。
 ・・・まだ、躰の奥で熾火がぷすぷす燻ってる状態です。はい。
 頭も多少、ボーっとしてます。ええ。
「・・・ももか?」
 助手席で、ゆりが少し訝しげにこちらを覗き込む。いつもなら、彼女が助手席に乗り込んでドアを閉めたら、すぐにエンジンをかけるのに、今日はそうしなかったもんだから。
「え? ・・・ああ」
 私はうん、と軽く頷いて、イグニッションキーを回した。軽自動車らしい甲高い音がして、エンジンがかかる。
「ももか。大丈夫?」
 って。
 誰のせいだと思ってるんですか・・・。
「あー、うん。大丈夫」
 とは答えたけど、なんとなく、納得いかない。
「・・・ああ、そうだ」
 よし。
「何?」
「ちょっと薬局寄っていい?」
 いいわよ、と軽く答える彼女。
「ん。じゃ、いつものとこね」
 私はそう言って、車を出した。


 ・・・前から気になってたんだよね。
 いつも行きつけの薬局に置いてる『LOVEカクテル・マカEX』って。
 この際、試しちゃおう。


 絶対、このままじゃ終わらないから。
 ―――覚悟してよ、ね?

  

《fin.》


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