A Twist in Life
「Sara,」
岸壁に腰を掛け、海原の彼方を見つめていたサラトガは、声のする方を振り仰いで。
「……Hi, 王子様」
そう言って、嬉しそうに目を細めた。
「もう。私の『プリンツ』は称号じゃないよ」
声の主はそう言って、困ったように笑う。
「ただの名前だから、普通にプリンツって呼んでよ」
「だって。印刷物って言ってるみたいで、気が引けるわ」
サラトガはくすくすと悪戯ぽく笑ったかと思うと、
「……それに」
ふ、と。
「あの時、あの赤い海で、私に手を差し伸べてくれた貴女は。本当に、白馬の王子様だったのよ------少なくとも、私にとっては」
防波堤のその先の、水平線の彼方に視線を投げた。
夏の昼下がりの太陽を、さざ波がきらきらと照り返す。
「んー。それ、褒めすぎ。私は、ただのラッキーガールだよ。そんな大それたものじゃないってば」
プリンツはまた、困ったように笑って、サラトガの隣に腰を下ろした。
「ところで。きょうって、アメリカの子たちはパーティーするって言ってなかったっけ」
今日の日付は、七月四日。アメリカ合衆国の独立記念日だ。
「ええ」
「もう終わったの?」
てっきり一日中どんちゃん騒ぎするんだと思ってたけど、と首を傾げるプリンツ。
「いいえ」
小さくかぶりを振り、
「パーティーはまだ、続いてるわ。皆へべれけだけど、まだまだ飲みそうよ」
日本中のバドワイザーをかき集めても足りないんじゃないかしら、と肩を竦めて笑うサラトガ自身は、へべれけどころか少しも酔っていないように、プリンツの目には映った。
「……サラって、さ」
「うん?」
「アルコール駄目だったっけ?」
「まさか」
「だよねぇ」
会話が、途切れる。
波の音と、頭上を飛び交う海鳥の声より他に音はなく、暫し訪れる沈黙。どこまでも澄んだブルーの空には、水鳥の綿毛のような雲がちらほらと浮かんでいる。
「------パーティーの、途中で」
先にそれを破ったのは、サラトガだった。
「抜け出してきたのよ。なんとなく、素直にお祝いする気には、どうしても、なれなくて」
視線を遠い水平線に向けたまま、ぽつり、ぽつりと言葉を繋ぐ。
「……どうして」
少し考えて、プリンツは問うた。
軍艦とは、祖国のために戦う使命のもとに生まれたものであり、祖国への固い忠誠と強い愛国心を持ち合わせていて然るべきである。故に、その軍艦たる者が祖国の記念日を祝いたくないなどと口にするのは、まずあり得ないことであり、許されないことだ。もしも他の米艦娘たちが彼女の台詞を聞いたなら、どういうことかと目を吊り上げて問い詰めるだろう。
「って。聞いてもいい?」
そんな許されざる本心を打ち明けてくれた、彼女の信頼を、裏切ってはならない------プリンツは、そう思った。
「……それは」
サラトガは、重たい口を開く。
「私が、最後の最後に、祖国に捨てられた身だから」
「------」
彼女の言わんとするところを、プリンツはすぐに理解した。
先の大戦後、プリンツ・オイゲンもサラトガも、他の軍艦達とともに米国による核実験の標的艦となってその一生を終えた。プリンツにしてみれば、敗戦国の軍艦が戦勝国にどう扱われようと仕方のないことだ。しかし、サラトガは違う。彼女は祖国のために戦い続けたその果てに、他でもないその祖国からあの酷い仕打ちを受け、汚れた海に打ち棄てられたのだ。
「私の祖国は、私に神の祝福を与える代わりに、私を生贄として悪魔の爆弾に捧げたわ」
サラトガの声は、微かに震えていた。
「そんな祖国にどうして。神の祝福を、なんて言えるの」
再び降りる、沈黙。
目の前の青い海の煌きと眩しい夏の太陽は、あの南の海を思い出させた。
「……比べても、仕方のないことなのは。分かっているの、だけど」
再び、サラトガが口を開く。
「アイオワやイントレピッドは、武勲艦として母なる祖国に暖かく迎えられて、大切に守られて。祖国は彼女たちを誇りに思い、彼女たちもまた祖国を誇りに思っている。------私とは、違ってね」
プリンツは、静かに耳を傾ける。
「普段は、そんなこと思ったりしないで、仲間として、自然に、上手くやっていけているの、だけど」
サラトガは俯いて、手のひらを額に押し当て、
「今日は------この日だけは、どうしても、駄目なの。彼女達が『God bless America』を叫ぶ度に、私は彼女達との違いを思い知らされる」
小さくかぶりを振って。
「そして。そう考えてしまう自分が、すごく、卑しく思えて」
長く、深く、息を吐いた。
「……サラ」
プリンツは、囁くように彼女の名を呼んで。
「サラは、悪くないよ」
サラトガの傍かたわらに跪くと、両腕で彼女の肩を抱き締め、煉瓦色の柔らかな髪に頬を埋めた。
------あの時、あの南の海で遭遇した、強烈な閃光と、身体を引きちぎられるような爆風。艦隊同士の海戦とは比べものにならない、この世のものとは思えない轟音と、太陽がそのまま落ちてきたような灼熱。まるで天地がひっくり返ったように巻き上げられ、瀑布となって打ちつける海水。
「私だって。もし------」
あの恐怖と苦痛は、その場に居合わせた者にしか分からない。
「------もしも、あの実験をやったのが、アメリカじゃなくて、ドイツだったとしたら」
そんな仕打ちを与えたのが、他ならぬ自分の祖国だとしたら。
「私だって、とっくにこの軍服の鉄十字を引っ剥ぺがして、地面に叩きつけてるよ、きっと。だから」
いったい誰が、祖国に忠誠など誓えるだろう。
「そう思うのは、仕方ないよ。……サラのせいじゃ、ない」
プリンツ自身も溢れそうになる涙を堪えながら、サラトガの肩を抱く腕にぐっと力を込めて、子守歌のように、そう繰り返した。
* * *
やがて、サラトガが小さく身じろいだのを合図に、プリンツは腕の拘束を緩めた。
「……そろそろ。パーティーに、戻るわ」
指先で涙を拭い、
「アイオワって、酔っ払うと、やたらとハグしてくるの。しかも、力一杯。他の子の力じゃとても引き剥がせないから、私がいないと、ガンビーやサミーが潰されちゃうわ」
そう言って肩を竦めて笑うサラトガの、声はすっかりいつもの張りを取り戻していて。
「ん」
プリンツは少し安心したように微笑んで、手を離した。
「……ありがとう、私の王子様。泣き言を聞いてくれて」
「Gerne,」
ゆっくりと立ち上がったサラトガの、白いスカートが風に踊る。続いて立ち上がった頭一つ小さいプリンツがわざわざドイツ語で応えたのは、いつまで経っても正しく名前を呼んでくれないサラトガへのささやかな抗議。
「サラ!」
居住エリアへと向かって歩き出したサラトガの背中を見送りかけて、プリンツは不意に、何かを思いついたように呼び止める。
「今度、一緒に飲もうよ。二人で」
「いいわね。……二十五日、なんてどうかしら」
プリンツには、すぐにピンと来た。
七月二十五日------あの珊瑚礁で、二発目の水爆が炸裂した日。
そして、サラトガが沈没した日だ。
「……いいよ。それじゃ、ベーレンアウスレーゼ開けちゃおっか」
彼女がその特別な日を共に過ごす相手に自分を指名してくれたことを、プリンツは素直に喜んだ。
「素敵」
サラトガは華やかに微笑んで、
「楽しみにしてるわ」
じゃあね、と軽く手を振ると、軽やかにスカートを翻ひるがえして歩き去っていった。
鉄の軍艦ふねだった頃は、
(まさか、アメリカの空母と仲良くなるなんてね)
そんなことは、夢にも思わなかった。
(これが「人生」ってやつなのかな)
------それならば、人の身体と心を持って生きるのも悪くない。
そんなことを思いながら、プリンツは空を見上げ、眩しそうに目を細めた。
《fin.》
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