そんなつもりじゃなかったのに


 今日も、明日も、明後日も、いつもと変わらぬ様子の街があり、人々の営みがあること。秋葉星襲撃事件は、それが決して当たり前のことではないということを少女達に思い知らしめた。



 夕食後の自主練を終えた75期と77期の研究生達は、元気にお喋りをしながら居室エリアへと戻ってきた。先のDES軍による襲撃で、完膚無きまでに破壊、粉砕された劇場と違い、奇跡的に蹂躙じゅうりんを免れた寮舎。少女達はいま、体こそ疲れていたが、何の憂いもなくレッスンに打ち込める喜びを噛みしめている。
 ───ただ。
 そこには、美森がいない。智恵理がいない。
 そして、凪沙がいない。
 美森は八代目篠田麻里子として、智恵理は前代未聞の未襲名センターノヴァとして、他の襲名メンバーと行動を共にしている。そして凪沙はというと、襲名の有資格者たることを示す兆候の一つである「襲名熱」を発症、ひとり寮の自室で寝込んでいた。

「? どしたの、織音」
 寮のラウンジ、通称「憩いの場」の前で足を止めた織音に、釣られるように友歌が足を止めた。
「今、凪沙の声が聞こえた気がしたんだけど」
「んー、でも、凪沙はまだ寝込んでるんでしょ?」
 76期の子たちじゃないの、と彼方がいぶかしむ。
「げー。あくにん達ぃー、いやだぁー」
「ええ。ですが、発症してからそれなりに日数も経ちましたし、今日あたり熱が下がっていてもおかしくはありません。それに、あの凪沙さんですから」
 ずっと大人しく寝ていられるとも思えません、と、鈴子は楚方の頭を撫でながら答えた。
「どれどれ……おぉお確かにいるいる、凪沙いるっすよ!」
 ラウンジの様子を覗き見た真琴はそう言って素早く隠れると、声のトーンをぐっと落とした。
「智恵理も一緒っす」

 ───この真琴の行動が、後で話をややこしくすることになる。

「ちょ、真琴、何で隠れんのよ」
 友歌もツッコみつつ、釣られるように声のトーンを落とす。
「や。それが、なんてゆーか、あんな広い部屋なのにちんまりと肩寄せ合っちゃって、雰囲気がアヤシいってゆーか、お邪魔しちゃいけない感じっつーかぁ。禁じられた二人、って感じっす!」
 真琴のその言葉に、全員が一斉に食いついた。
「どれどれ……っ、と」
 真琴の報告通り、パジャマにカーディガン一枚を羽織った凪沙と普段着の智恵理が、座る場所はいくらでもある広いラウンジで、わざわざソファに二人並んで座り、肩を寄せ頬を寄せ、ぼそぼそと何か話をしている。
「うわ。智恵理デレデレじゃん」
「わぁ、顔近い」
「あらあら、まぁ……」
「ふぉぉぉ! なぎちえ、あやしー!」
「こら楚方! 声でかい!」
「彼方さんも十分声おっきいっすよぉ」
 そして全員が物陰で二人の会話に聞き耳をたてた。

「……怖いなら、やめてもいいのよ」
「ううん。それは嫌、かな」
 出歯亀が大量発生しているとは露知らず、二人は会話を続ける。
「そこはやっぱり、ちゃんとしたいんだよね」
「じゃあ。どっちにする? 私が上で凪沙が下か、凪沙が上で私が下か」
「私が下」
「即答なのね。どうして?」
「んー。上はちょっと、自信ない……かな」
「そういうネガティブな理由なら却下」
 凪沙の悪い癖よ、と智恵理が軽く返すと、凪沙はえー、と情けない声を上げた。
「うーん……何ていうか、智恵理は動きが激しくてもすごく巧いから、安心っていうか……そう、ぴったり合わさってすごく気持ちいい!」
 何それ、と、苦笑混じりに、けれど満更でもなさそうに、智恵理。

「なっ、何て話してんのよあいつら……!」
「上とか下とか、気持ちいいとか……ふえぇっ!?」
「あらあら、まあ……うふふ」
「ふおぉ。なぎちえ、やっぱりあーやしー!」
「楚方は聞いちゃ駄目!」
「なっ、なになに、どゆこと!?」
 盗み聞きチームがザワつく。

「……別に、私が上でもいいんだけど。私だってたまには凪沙に上からリードされたいし」
 前髪を掻き上げながら、智恵理が言う。
「その、ぴったり合って気持ちいい感覚、私も味わいたいわ」
「あ。じゃあさ、一回目と二回目でチェンジすればいいんじゃない」
「そうね。じゃあ、三回目は?」
「うーん……」

「ぶぇーっくしょい!!」
 突如、盛大なくしゃみの音がした。
 犯人は、真琴。

「っ、誰!?」
 覗き魔達の潜んでいる方を、智恵理が睨む。
 ───もはや、これまで。 
「〜〜っ! ちょっとあんた達!!」
 友歌がすっくと立ち上がり、二人に向かって声を張り上げた。
「あ、友歌。おかえり。みんなも」
 馴染みの顔を見つけてふにゃりと笑う凪沙。
「『おかえりぃ〜』じゃないわよ!! あんたら公共の場で何っっって話してんの!!」
 友歌の剣幕は止まらない。
「あたし達みんな、アキバスターの復興とあんた達のお披露目公演に向けて必死で頑張ってんのに、当のあんた達が何でそんな……不謹慎よ! ってか不潔!!」
「ちょっと、友歌。それ何の言いがかり?」
 智恵理は友歌を睨みつけると、片耳に挿していたイヤホンを外し、眼前のローテーブルに置いて立ち上がった。
「私達のどこがどう不謹慎で不潔なのよ」
 少し背の高い智恵理が友歌を見下ろす恰好になるが、友歌は負けていない。
「どこがって、全部よ全部!! どっちが上だの下だの、気持ちいいとか、はっ、激しいとか!! 破廉恥もいいとこよ!! そもそも、凪沙は熱だして寝込んでんのよ!! 病人相手に何考えてんの!?」
「……破廉恥?」
 六。
 五。
 四。
 三。
 二。
 一。
 たっぷり六秒かけて、智恵理は友歌の言わんとすることを飲み込んだ。
「なっ……!」
 智恵理の顔が一気に赤くなる。
「ばっ、なっ、何考えてんのってそれ、こっちの台詞よ! っていうか、今の会話が何でそういう意味に取れるの! 友歌の変態、ド変態!」
「何ですってぇぇぇ!?」
「……あれ? 凪沙、それってもしかして」
 ぎゃんぎゃん吠える友歌の斜め後ろでおろおろしていた織音の視線が、凪沙の手元にある端末のスクリーンに留まる。
「あっちゃんのMV?」
「うん。あっちゃんとマ……先代マリコ様のデュエットだよ」
 凪沙はそう言って、スクリーンを織音の方に向けた。小さな画面の中で、13代目前田敦子と7代目篠田麻里子が歌っている。音声は、聞こえない───よく見れば、その端末から延びた一対のイヤホンの、片方が凪沙の耳に装着されている。もう片方は、先刻智恵理が外してテーブルの上に置いたそれだ。
「『てもでもの涙』? わ、懐かしい! 昔よく一緒に観たね」
 織音は吸い寄せられるように画面へと近づいた。
「うん。何べん観てもほんと、カッコいいよね」
 故郷・藍花星の灰色の空の下で、小さな画面を夢中で見ていた幼い日。その頃に戻ったように、二人は声を弾ませる。
「『てもでもの涙』はAKBの代表的なデュエット曲で、00でも代々、人気・実力ともに折り紙付きのコンビが歌ってきました」
 鈴子が口を挟む。眼鏡をくい、と上げるのは、AKBの蘊蓄うんちくを語る時の彼女の癖だ。
「そうなの!? ……ひぇぇ、大丈夫かなぁ」
 凪沙は眉をハの字にして、情けない声を上げた。
「大丈夫、って?」
 織音が首を傾げる。
「昼間ツバサさんが来て、襲名公演で智恵理と二人でこの曲歌うから、サビの所どうするか相談しときなさいって言われたんだ。ハモるのか、ハモらないのか。ハモるとしたらどっちが上でとっちが下を歌うか。決めなきゃいけなくて」
「えっ」
「はぁっ!?」
「あら」
 織音に友歌、それに鈴子が、一斉に頓狂な声を漏らす。
「……そうよ」
 智恵理は前髪を掻き上げながら、深い溜息を一つ落とした。
「私達が話してたのは、上のパートと下のパート、どっちがどっちを歌うか、ってこと。友歌が考えてたような、そんなピンクな話じゃないから」
「〜〜っ、紛らわしいのよ! 二人でイチャイチャくっついてそんな話してたら、誰だって誤解するでしょ!」
「しないわよ普通! っていうかイチャイチャしてたんじゃなくてイヤホン! イヤホンが短いの!」
「……『てもでもの涙』のコーラスは難度が高いですから」
 再び喧々囂々けんけんごうごう始めた二人をよそに、鈴子がくい、とまた眼鏡を上げた。
「歴代の00でこの曲を歌ったコンビも、確か、ハモった人とハモらずにユニゾンで歌った人が半々くらいだったかと。13代目あっちゃんと7代目マリコ様は、完璧なハモリで歌いこなした数少ないコンビの一つです」
「そっかぁ……凪沙、ほんとに『あっちゃん』になるんだね」
 しみじみと、感慨深げに織音が言う。
「ちょっと鈴子! 織音! 何『あたし達無関係です』みたいな顔してんのよ! あんたたちだって今の今まであたしと同じこと考えて、顔真っ赤にして『ふえぇ』とか言ってたじゃない!!」
 友歌の怒りの矛先が、こんどは鈴子と織音に向けられる。
「ねえ友歌、友歌はさっきから何で怒ってんの?」
 凪沙が、まるで訳がわからないという風に首を傾げた。
 友歌は一瞬うぐ、と言葉を詰まらせたが、
「……そ、それは智恵理に聞いて! あたしがなんで怒ってるか、智恵理はよーく分かってるし説明も巧いから!」
 最後に智恵理に向かってとんでもないパスを繰り出した。 
「はぁ!? ちょっ、何いってんの───」
「智恵理?」
 凪沙の双眸そうぼうが、狼狽える智恵理を見つめる。
 ───それはもう、きらきらとした目で。
「っ、わかった、わかったから! ……後で説明するから、今は勘弁して」
 智恵理はそう言うと、凪沙には見えない角度で、友歌に向かって口パクで『覚えてなさいよ!』と捨て台詞を吐いた。
「さ。もう遅いし、とっととお風呂いこ、お風呂!」
 当の友歌はそれで溜飲りゅういんが下がったのか、そう言って踵を返し、皆を促してすたすたとラウンジを出ていった。




  knock-knock-knock

 消灯時間を少し過ぎた頃、ノックの音がして。
「もう、誰よこんな時間に───っ、」
 応対に出た友歌は、訪問者の顔を見た瞬間にドアを押し戻す。
「ちょっ! 友歌、なんで閉めるのよっっ!」
 訪問者───智恵理は咄嗟に足を扉の隙間に突っ込み、閉じられようとするそれを力一杯押し返した。
「うっさい! ってか智恵理こそ何しに来たのよっっ!」
「いいから中に入れなさいよ!」
「入れてください、でしょ! こんな時間に訪ねて来て何その態度!」
「はいはいわかりました! 入れてください!」
「かーっ! 何なのその言い方!」
  すぱんすぱーーーーん!
「あんた達うっさい!」
 スリッパが二閃、甲高い音が二発して、キャプテン彼方の一喝。
「消灯時間過ぎてんだよ! ほらほら、入った入った!」
 彼方は頭を押さえて沈黙した友歌と智恵理を部屋の中に押し込むと、自分も部屋の中に滑り込んで静かに扉を閉めた。

「……で。何の用」
 眉間に深い皺を刻んだ友歌が、自分のベッドに腰をかけ、腕組みをして智恵理を問いただす。
「鈴子を連れ戻しに来たのよ」
 智恵理は憮然とした顔で、最低限の返事だけをした。確かにこの部屋には、元々の住人である友歌と織音・真琴・楚方、騒ぎを聞きつけて押し入ってきた彼方に加え、なぜか鈴子がいる。ちなみに、楚方は二段ベッドの上段で既にすやすやと寝息をたてていた。
「あんた、ねぇ」
 友歌は溜息をついた。
「よっく言うわよ。大体、智恵理が凪沙とイチャついてっから、鈴子はこっちに避難してきたんでしょ」
「それ、誤解だから……まあ、紛らわしいことしてたのは、否定できないけど」
 微妙に視線を逸らしながら、智恵理。
「ちょ、一体何しとったん」
 えらい気になるわぁ、と。自室でリラックスモードなせいか、真琴の言葉に難波星の訛りが混じる。
「とにかく、鈴子。お願い、こっちに戻ってきて! ……でないと、私の神経が持たないのよ」
 智恵理は拝むように両手を合わせ、鈴子に向かって頭を下げた。
「うわ、珍しい。智恵理の拝み倒しとか」
「神経が持たない、って。どういうこと?」
 友歌が茶々を入れる横で、織音が首を傾げる。
「……部屋に戻ることについては、やぶさかではありませんが。あの時、私が部屋に入る前後に二人の間で何があったのかは、非常に気になります」
 淡々とした口調で、鈴子が答えた。
「そうよ、これだけの人間に迷惑かけてんだから。ちゃんと説明しなさいよ!」
「〜〜っっ! 何その言い方! だいたい、元はといえば友歌が勝手に変な勘違いしてその後始末を私に押しつけたのが原因でしょ!」
  すぱんすぱーーーーん!
 スリッパが二閃、甲高い音が二発。
「喧嘩してないで話を進める!」
 キャプテン彼方による本日二回目の一喝。
 智恵理はちらりと不服そうな顔を見せたが、やがて観念したように溜息を一つついて、渋々話し始めた。

*   *   *

 『憩いの場』で友歌と喧々けんけんやり合った後、智恵理は凪沙とその場に暫く残って曲のパート分けについて話し合い、消灯時間近くになって自室に戻る道すがらも、ずっとその話をしていた。
「ねえ、そういえば」
 部屋の明かりを点け、扉を閉めたところで。
「さっき、友歌が怒ってた理由」
 あれ、何だったの? と。
 凪沙がふと思い出したように言った。
「ああ……あれ、ね」
 智恵理としては、彼女の意識をその件から逸らすために曲の話を延々と続けていたのだが、それも結局徒労に終わったようだ。
「ちょっとした誤解よ。何ていうか……私達が、よくない相談をしてると思ったみたい」
 考えた末、当たり障りのない言い方になるのだが、
「よくない相談? なんの話してると思ったのかな」
 案の定、凪沙には全く通じない。
「ねえ智恵理。どういうことかな」
 首を傾げる凪沙。
 その様子を見ていた智恵理は、何故か急に苛立ちを覚えた。
 友歌にあんな風に丸投げされて、さあどう説明したものかと頭を悩ませ、凪沙にそのことを思い出させまいと帰る道すがらも別の話題を振り続け、今も当たり障りのない説明では満足してくれない彼女に更なる説明を求められて。何故に自分がこんなに厄介事を背負わなければならないのか。
「それはね。つまり───」
 そう考えたら、何もかも面倒になってきて。
「───こういうこと!」
「わぁっ!?」
 智恵理はそう言って、不意に凪沙を正面から抱き締めると、自分のベッドの上に背中から倒れ込んだ。そもそも「そういうこと」をする造りになっていない木製のベッドは、ふたりぶんの体重をいっぺんに受け止めて軋む。
「友歌は、こういう相談を私たちがしてると思ったの」
 凪沙の耳元で囁く智恵理の声が、艶と湿度を帯びて。
「こんな風に、ベッドの上で、私が下で、凪沙が上になるか。それとも」
 今度は凪沙を抱き抱えたままごろりと転がると、彼女の肩をぐいとシーツに押し当て、組み敷く形になった。
「こう。私が上で、凪沙が下になるか」
 わかる? と。
 息がかかる距離で、顔を覗きこめば。
 凪沙は眉間に皺を寄せ、「展開が速すぎて頭がついていきません」という顔をしていた。こういう時彼女は、決まって
「うーん……」
 唸る。
「あー……そう」
 智恵理は凪沙に覆い被さったまま、困ったように苦笑した。

 と。

 かちゃ、と扉が開く音がして。
 部屋に戻ってきたもう一人の住人、鈴子と、凪沙を組み敷いたまま振り返った智恵理の視線が絡み合う。
「!……あ、の、鈴子、これは、その」
「お気になさらず。私は向こうの部屋に泊めて貰いますので、どうぞ、ごゆっくり」
「あ、まって、ちょっ」
 鈴子は眉一つ動かさずそう言って、部屋に入ってきた時と全く同じ歩調で部屋を出ていった。
 かちゃ、と扉が静かに閉まる音がして、
「あー……もう、ほんとやだ……」
 智恵理はがっくりと項垂うなだれ、凪沙の肩口に額を押し当てた。
「智恵理? どしたの? あれ、鈴子は?」
 事の成り行きがまったく分かっていない凪沙が、無邪気に問う。
「……向こうの部屋に用事があるって」
 腑抜けた声で適当に答えつつ、智恵理はこの件の後始末をどうしたものかと思ったが、何もかも面倒臭すぎて、もう何をする気力も湧かない。
「そっか。ところで智恵理、さっきの上か下かの話なんだけど」
「んー、何」
 いかにも億劫おっくうげに答える智恵理。
「そういう意味だったら私、下がいいかな」
  げふげふん。
(そういう意味って!?)
 そういう意味というのが実際どういう意味なのか分かっていない癖に、この子は何を言い出すのか。智恵理は思わず咳き込んで、
「……何で?」
 一応、理由を問いただす。
「下だと、ほら、両手が自由になるから」
 凪沙はそう言って、両腕を智恵理の背中に回し、
「智恵理のこと、こうやって、ぎゅっ、て、できるじゃない?」
 力を込めて、抱き締めた。
 躰を締め付ける腕の強さ、背に触れる掌の感触。
 密着する躰、薄い部屋着越しに伝わる体温。
 身じろぐ動作に合わせて、強くなる彼女の香り。
 不意打ちで流れ込む強い刺激に、思考回路がたちまちパンクする。
 そして。
「ね?」
 ふにゃりと嬉しそうに笑む凪沙の、石榴ざくろ色の瞳を見てしまったら、
「ね、って───」
 衝動に、押し流されそうになる。
 その唇を奪って、深く口吻くちづけたい。
 こんな布越しじゃなく、素肌で重なりたい。
 この人は私のものだと、見る者全てに判るよう、印を刻みたい。
 彼女の、他の誰にも見せたことのない相貌かおを見たい。
 誰も聞いたことのない声を聞きたい。
「……熱。まだ、下がりきってないんじゃない」
 それらのくらい願望を胸の奥で捻じ伏せながら、智恵理は額を凪沙のそれにこつりと当て、
「んー。あともうちょっとだと思うんだけどな」
「そう、ね。あともう一寸、だから───」
 そう言ったかと思うと、
「───もう寝なさい」
「わぷっ!?」
 いきなり起きあがって、ベッドの足元に畳んで置かれていた毛布を無造作に凪沙の頭から被せた。

*   *   *

「……と、いう訳よ」
「はぁ……」
「うわぁ…」
 成程、と頷く鈴子の横で、真琴と彼方がげんなりとした顔をした。
「凄く自分が試されてる気がする。理性が持たない、ほんとに」
 頭を抱える智恵理。
「んー……なんていうか、凪沙らしいね。すごく」
 そう言ったのは織音。
「あー……凪沙って、昔から『人ったらし』みたいなとこあるしね。しかも天然無自覚」
 友歌は、先刻までのツンケンした態度から一変、智恵理に心底同情するような視線を向ける。
「そうそう。私、凪沙にキス迫られたことあるし」
 しかもすごく軽ーいノリで、と、それこそ軽いノリで織音が言った途端、
「おぅっ!?」
「えぇっ!?」
「あら……」
「ちょっ……それ一体どういうこと!?」
「何それ! あたし初耳なんだけど!」
 蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「織音! それいつの話!?」
 友歌は掴みかかるような勢いで織音に迫り、
「ぜっ、00のオーディションに応募しようって言ってた頃、友歌がか、彼氏と喋ってた時に」
 藪蛇に遭った。
「彼氏!?」
「……ああ、藍花星の、WOTAのアジトにいた方ですね」
「護はそんなんじゃないってば!」
「で! 結局キスは!? したの!? どうなの!?」
「智恵理、顔近い! してないしてない、されそうになっただけ!」
「で? で? 友歌は? キスとかしたん?」
「してないわよ!! っていうか今あたしの話関係ないでしょ!!」
「うるさぁぁぁぁい! あんた達今何時だと思ってんの!」
 キャプテン彼方の一喝で、七十七期生達が一斉に口を閉ざす。
「……それはそうと。楚方、全然起きへんなぁ」
 真琴がふと気付いたように言う。
「こないに騒いどるのに」
「ほんとだ。そういえば」
 楚方の眠るベッドの上段を見上げて、織音。
「そうだね。我が妹ながら、さすがに心配になるよ」
 毎朝みんなに迷惑かけてない? と彼方は苦笑した。
「ん、それは大丈夫ですよ。あの子、朝はすっごく寝起きいいんです」
 丁寧に答えたのは友歌。
「ところで」
 鈴子がくい、と眼鏡を上げた。
「私が部屋に戻るのは構いませんが。智恵理さんはどのみち凪沙さんとの二人部屋になるのですから、今から慣れておいた方がよいのでは」
「……は?」
 智恵理の表情が固まる。
「え、ちょっと、それ、どういうこと」
「襲名メンバーと研究生では生活時間が大きく異なりますので、お二人はまもなく今の部屋を出て襲名用の居住ブロックへ引っ越すことになるでしょう。そちらは個室か二人部屋になりますが、現在の空き部屋状況からすると高確率で二人部屋かと」
「なんで襲名の空き部屋状況まで知っとんの」
 滔々とうとうと語る鈴子に、真琴がツッコミを入れた。 
「待って。それすごく困るんだけど」
「あーもう面倒臭いわね。どうせ二人部屋になるんだったらさ、もういっそ食べちゃえばいいじゃない」
「たべっ……!?」
 狼狽える智恵理に友歌が絡んで、
「ちょっと友歌、他人事だと思って勝手なこと言わないで!」
「何よ! 智恵理が柄にもなくウジウジしてっから背中押してあげてるんじゃない!」
 また言い合いになって。
  すちゃっ
 彼方がスリッパを構えるのを見て、大人しくなる。
「……そういえば」
 織音がふと思い出したように口を開いた。
「子供のとき、智恵理に最初に声かけたのって、凪沙だったよね?」
 藍花星で、四人で過ごした夏。智恵理がたった一度、故郷の射手座星を離れて過ごした夏。藍花星の少女たちが初めて、芸能に、00に出会った夏。
「あー、そうそう。あのお嬢様誰だよ、って、近所の子供たちがさ、みんな遠巻きにみてんのに。凪沙がたたたーって走ってって、あたしたちの仲間に引っ張り込んだんだっけ」
「うんうん、そうだった!」
 友歌と織音は唐突に思い出話に興じたかと思うと、
「……ま、凪沙の人たらしは今に始まったことじゃない、ってことよ」
「そうだね。もう、諦めるしかないんじゃないかな」
 不本意そうに眉を顰める智恵理の肩をぽんと叩いて、そう言った。

 

(Fin.)


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