主は愛する者に眠りをお与えになるのだから


 真夜中。
 喉の渇きを覚えて、アイムは目を覚ました。渇いたから目を覚ましたのか、目覚めたらたまたま喉が渇いていたのかは、よくわからない。すぐ隣では、ルカがぴくりとも動かず静かに寝息をたてている。彼女に起こされたわけではなさそうだから、きっと前者なのだろう。
 アイムは、ルカを起こさないようにそっとブランケットを捲くった。
(今日は、巧く抜け出せますかしら)
 体を起こそうと手をつけば、ベッドが小さく軋む。
 思わず息を詰めて、ルカのほうを見る。
 目覚める様子は、ない。
 ほっと胸を撫で下ろして、できるだけ音をたてないように、できるだけ揺らさないように、ゆっくりと、体を起こし、片足を、そろりと床に下ろす。
 もう片足を、床に下ろして、立ち上がろうとした瞬間。
「・・・・・・」
 夜着の袖を引かれて、アイムは動きを止めた。
 振り返れば、ルカが枕に半分顔を埋め、腕を伸ばして夜着の袖を掴んでいる。
「・・・すみません。また、起こしてしまいましたね」
 小さく溜息をつくアイム。
「・・・どこ・・・いくの」
 枕に埋まっていない片目をうっすらと開け、少し掠れた声で、ルカが問う。
 やっぱり空気が乾燥してますのね、と、頭の隅でぼんやりと考えながら、
「喉が渇いてしまって。ちょっと、お水を」
 アイムはそう答えた。
「・・・・・・」
 ルカは黙ったまま、手を放そうとしない。

 ―――ルカは、人の気配に敏感だ。
 ソファーでうたた寝をしていても、絶妙のタイミングで目を覚まし、悪戯を仕掛けようとして近づいた人間を手酷く返り討ちにするし、どんなに夜が深くても、アイムが目を覚まして起き出せば、必ずこうして目を覚ます。
 そして、アイムがベッドを抜け出そうとすると、必ずこうして引きとめる。

「・・・大丈夫。すぐ戻ります」
 アイムは微苦笑して、ルカの髪に手を伸ばした。
 さらさらとした髪が額にかかるのを、指先で、後ろへ流すように梳いて、
「どこにも、行きませんから。安心してください?」
 柔らかな声で、囁けば。
「・・・ん・・・」
 うっすらと開いた目が、どこか満足げに細められ、アイムの夜着から離れたルカの手が、ぽふ、とシーツの上に落ちる。
「ルカさんも、いりますか? お水」
 その手を包むように自分の手を重ね、アイムが尋ねると、
「・・・んん・・・」
 ルカの頭が、微かに動いた。
 アイムは、幼い子どもをあやすように、ルカの手を軽くぽんぽんと叩いて、ゆっくりと立ち上がる。そして、傍らの椅子の背に掛けてあったカーディガンを羽織ると、待っててくださいね、と言い残し、静かに部屋を抜け出した。

 ―――この船に乗り込んで、間もない頃。
 キッチンに向かって歩きながら、アイムは思い返す。
 こうして夜中に起き出す度に自分を引き止めるルカを、疎ましく思ったことがあった。ただ喉が渇いただけなのに。ただ夜風に当たりたいと、そう思っただけなのに。世をはかなんで、衝動的に、たとえば夜中にデッキから身を投げるような、そんな弱い人間に自分は映っているのだろうか、と。過保護にも、お節介にもほどがある、と。
 けれど。
 いつの頃にか、気付いてしまった。自分を引き止める時、ベッドの中のルカが、今にも泣き出しそうな、とても心許ない目をしていることに。自分の夜着を掴むその手が、とても必死なことに。

 グラス一杯の水で喉を潤し、部屋に戻る。
 ドアを開けると、ルカはこちらを向いて横になっていた。目は閉じているけれど、意識はしっかりドアの方に向けられていて、アイムの気配が戻るのをじっと待っている、そんな風で。
 アイムが静かにドアを閉め、カーディガンを脱いでベッドに腰を下ろし、
「只今、戻りました」
 そう囁いて、軽く髪を撫でれば。
「・・・ん」
 ルカはうっすらと目を開いて、安心したように口元を綻ばせた。
 そして、アイムが再びブランケットの中に滑り込むと、待ちかねたというように腕を伸ばし、抱き寄せる。
 すぐ目の前に、お互いの顔がある。
 睫と睫が触れそうな、そんな距離。

 ―――過保護でも、お節介でもなくて。
 ルカがアイムを自分の目の届く処に置きたがるのは、他でもない、ルカ自身のためなのだと。
 そのことにアイムが気付いたのは、いつだっただろう。

 当のルカは、先刻までの心細げな素振りの欠片もなく、安らかな寝息をたてはじめた。
 アイムが腕を伸ばし、彼女の肩に縋るように身を寄せても、目を覚ます気配すらなくて。

 ―――そんなことはもう、忘れてしまった。
 まだ王女と、姫と呼ばれていた頃。ふかふかの、豪奢なベッドで、独りきりで、一体どんな風にして眠りに落ちていたのか。そんなことも、今となってはもう、思い出せない。
 それほどに、ルカの腕の中は、心地よくて。
 色々なことが、もうどうでもよくて。

 ルカの寝息に聞き耳をたてながら、アイムもやがて、眠りの精の誘いに身を委ねた。


《fin.》

  


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