noblesse oblige
ごがががががががががががが
不穏な音がして、ガレオンの船体が嫌な感じに震える。
ぎぎぎぎぎいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
かと思うと、軋むような音を立てて、船体が大きく傾いだ。
「うわあっ!」
ハカセが転んだ。それはもう、まるでマンガみたいな見事さで。
「お、っと」
ジョーはというと、よろめきかけたのは一瞬、すぐにバランスを取り戻した。平然と立っているように見えるけど、その実足腰の筋力で両足をしっかり床につけて踏ん張ってるんだよね。手に持ったマグカップのコーヒーは一滴もこぼさないあたり、さすが。
・・・それはそうと。
「ちょっと。ハカセ! この音どうにかなんないの!?」
あたしはとうとうキレた。昨夜は一晩中この音に悩まされて眠れなかった。今だって眠くて目が潰れそうなのに、ソファーでうとうとしかけたと思ったらぎぎぎぎ、って。そりゃ、キレたくもなるよ?
「うーん・・・機械系統ならどうにかなるんだけど、船体そのものとなると、ちゃんとした設備と、人手がないと。僕一人じゃとても」
ちょっとムリかな、と首を振るハカセ。こと機械いじりに関しては、できないなんて滅多に言わないのに、あっさり白旗を揚げたってことは、本当に無理なんだろう。
「っせーな、音がするくらいどうってことねぇだろ。死ぬわけじゃなし」
マーベラスがぼそりと言った。いつもにもましてかったるそうなのは、たぶん寝不足のせい。
・・・生憎、寝不足で不機嫌なのはあたしも一緒なのよね。
「死ぬわよ! 宇宙で空中分解とかしたら死ぬに決まってんでしょ!・・・だいたい、体当たりで強行突破とかムチャするからこんなんなったんでしょうよこのバカ船長!」
「・・・んだとコラ」
「・・・何よ」
「ま、まあまあ二人とも、抑えて抑えて」
睨み合うあたしとマーベラスの間に、ハカセが割って入った。ビビリまくって腰が思いっきりひけてるけど。
「た、確かに、ルカの言う通り、空中分解の危険が無くはないんだ」
「無くはないって、あるのかないのかはっきりしろ」
「あるんだってば」
バッカじゃないの、って言いたいのは、ぐっと飲み込んだ。
「・・・今すぐどうこうは無いだろうけど。いつまたザンギャックの戦艦と鉢合わせるか分からないし、攻撃をまともに食らったり、もう一度同じような体当たり戦法をやったりすれば、間違いなく航行不能になると思う」
「んじゃ、どうすりゃいいんだ」
ハカセの説明を聞いて、マーベラスはそう尋ねた。ことメカの事に関しては、マーベラスはハカセに従順だ。普段は雑に扱ってるけど、専門家としての彼には敬意を払ってるってことなんだよね。
「うん、できるだけ早く、直してくれそうなドックを探して―――」
「なかなか難題だな、それは」
ずっと黙ってひとりでコーヒーをすすっていたジョーが、口を開いた。
「この船が入る大きさのドックがあるような星は大抵、帝国の支配下だろう。門前払いされるか、密告されるかのどちらかじゃないか」
ジョーだってあまり眠れてない筈なのに、イラついてるどころか眠そうな素振りもない。鍛え方が違うのか、はたまた筋金入りのいいカッコしぃの成せる業なのか。
「じゃ、倍額払う、っていえば? 地獄の沙汰も金次第、って言うじゃん」
「今の俺たちにそんな金があると思うか?」
「・・・です、よ、ねー・・・」
あたしの提案に異を唱えたのはマーベラスだった。まあ、どうせダメだろうとは思ったけどさ。ってか、ただ『金がない』って言うだけなのに、この男ってば何でこんなに偉そうなんだろうね。
「・・・! そうだ、ファミーユ星!」
不意に、ハカセが声を張った。ハカセがこんな風に声を張り上げるのは、画期的なアイディアを思いついた時だ。
「ファミーユ星?」
初めて聞く名だ、とジョーが首を傾げる。あたしも聞いたことがない、けど。
「なんか、いい名前だね。『famille』って」
『家族』―――か。
「僕も実際に行ったことがあるわけじゃないんだけどね。いまだに帝国の手が及んでない、珍しい星だよ」
「ふん・・・今時、そんな星があんのか」
ハカセの話に、マーベラスが食いついた。
「いろいろ古風な国でね。街もレトロな感じで、いまだに王制敷いてて、騎士道とか武士道とかが息づいてるみたいだよ。現国王が凄いやり手の強者で、帝国がちょっかい出してくるのをことごとく蹴散らしてるって話だし」
「へーっ。やるじゃん」
ほんと、帝国がふんぞり返ってるこのご時世に、そんなことやってる国があるなんて。
「ほぉ。面白いじゃないか」
いつもスカしてて無表情なジョーも、感心したように相槌を打った。
「ふん・・・そういうことなら、帝国とドンパチやってる海賊は、さぞかし歓迎されるだろうな」
さっきまで気怠そうだったマーベラスが、目を爛々と輝かせている。
「小さな国だけど、それこそ帝国とドンパチやってるくらいだから、ちゃんとしたドックもあると思うんだ」
ハカセのとどめの一言で、あたし達の行く先は決定した。
「決まりだな。・・・おい、鳥!ファミーユ星に進路を取れ!」
「とりッテイウナー!」
ナビィは文句をいいながらも、船をファミーユ星に向けた。
*
銀河系の古都・ファミーユ王国。
石畳の広場には昔ながらのマーケットが軒を連ね、自由な空気の中を、たくさんの人々が笑顔で行き交う街―――
って、ハカセ言ってたよね?
「って。ちょっと、何これ!」
いよいよファミーユ星に到着して、大気圏に入ってみれば、眼下に広がるのは一面の瓦礫と煤けて崩れた建物の痕跡ばかり。瓦礫の山のところどころが燻っているところをみると、ひとしきり燃えて、燃え尽きた後なんだろう。瓦礫が途切れると、一面の荒野。所々にぼろ服の継ぎ当てみたいに残った緑が、そこが元々畑だったことを物語っている。
「ハカセ! どういうことよ! 何なの一体!」
あたしはタータンチェックのシャツの襟元を掴んでがくがくと揺さぶった。
「ルカっ、ちょっ、おちついっ、てっっ」
ハカセに当たっても仕方ないのはわかってるんだけど、さ。
気が済んだわけじゃないけど、とりあえずあたしは手を離した。
「・・・おかしい。変だよ、これって、普通じゃ考えられない」
モニターに映った地上の映像を見ながら、ハカセがぼそぼそと呟く。
「ほんとよ! こんな酷いことできるなんて。普通じゃないよ!」
「いや、そうじゃなくて―――確かにそうなんだけど、そうじゃなくて」
いきり立つあたしに、ハカセは首を横に振った。
「国っていうのは、国土や国民そのものが財産だから。他国を奪って自分の支配下に置こうとするなら、こんなやり方はしない筈だ。国土を荒らして、国民を、その―――皆殺しに、するみたいな」
「・・・『見せしめ』だな。いかにも、ザンギャックのやりそうなことだ」
ジョーがぼそりと言った。
「帝国に服従しない者がどんな目に遭うかを周りの国に知らしめる、ただそれだけのために、服従しない者を徹底的に叩く。そういう奴らだ、ザンギャックっていうのは」
そういえば、ジョーは、ザンギャックのそういうやり方が気に入らなくて、命懸けで抜け出したんだった。
「・・・それにしたって。こんなの・・・」
あの瓦礫って、元は家とか店とかだったわけでしょ。その一つ一つに、人が暮らしてたわけで―――
酷い。
酷すぎる。
酷い奴らだ、って、分かってたつもりだったけど。
「ねえ、ちょっと! ハカセ! どっかにいないの!?」
嫌悪 恐怖 憤怒 悲哀 憎悪
ありとあらゆる負の感情がこみ上げて、総毛立つ。
「誰か、生きてる人! ・・・ねえ!」
「痛い、痛いルカ! ちょ、やめっ」
例によってやり場のない気持ちを(拳に乗せて)ハカセにぶつけていたら、見かねたジョーがあたしたちの間に入った。どうやら、ハカセの代わりに殴られてくれるつもりらしい。
「・・・で。どうなんだ」
ソファーにどかっとふんぞり返って、高々と脚を組んで黙っていたマーベラスが口を開いた。
「へ?」
気の抜けたような返事をして、ハカセが振り返る。
あたしはジョーを殴る手を止めた。ジョーってば全然痛がらないから殴り甲斐がないし、ハカセのヒョロい背中と違って、ジョーの背中はごっつくて、殴ってるあたしの手の方が痛くなってきた。
「生きてる奴は、いそうなのか」
マーベラスは言葉を継いだ。いくらおバカでも、さすがに自分の言葉が足りないことぐらいは分かったらしい。
「それは分からない、けど。お城になら、或いは」
ハカセは考えを巡らせながら、ゆっくりと答える。
「城っていうのは、有事のときには要塞になるものだから、一番頑丈に造られてる筈だし、文字通り最後の砦だから・・・って、ま、さか―――」
「ああ」
マーベラスはにやりと笑って、ソファーから立ち上がった。
「城へ行くぞ。生きてる奴がいないか、探しに行く」
「さっすがマーベラス。そう来なくっちゃ!」
あたしは平手でばちーーーん! とジョーの背中を叩いた。
うっ、って一瞬息を呑んだのは、聞かなかったことにしてあげるね。
「ええっ!?」
ハカセは素っ頓狂な声を上げた。
「そんな、危険だよ! まだザンギャックの兵が残ってるかもしれないし、この船だって、万全のコンディションじゃない。こんな壊れかけた船で、ザンギャックの一個艦隊に囲まれたりしたら一巻の終わりだよ!」
「っせぇな。んなのが怖くて海賊やってられっか」
ほんと、大物なのか、ただのバカなのか。
・・・たぶん、両方だね。
「仮に生きてる人がいたとして。それで、どうするんだよ!」
ハカセの言うことも、もっともなんだよね。ほんと、正論。
「骨のある奴なら、仲間にする。帝国とドンパチやるんだ、戦力は多い方がいいだろう?」
けど、海賊が正論いってちゃダメじゃん?
「ん。あたしは賛成」
「ふん・・・俺は別に構わん」
はい、三対一。あの仏頂面からは想像つかないだろうけど、ジョーはマーベラスの決めることには基本イエスマンだし。
「ルカぁ・・・・・・ジョーまで・・・・・・」
ハカセが情けない声で言う。
なに今更いってんだか。これっていつものパターンじゃん?
「決まりだな。よし、鳥、城はどっちだ。教えろ」
「とりッテイウナ! 城ハアッチダヨ!」
ナビィはぷんすか怒りながらも、ちゃんと城のある方を指した。
ハカセの言うとおり、王城は派手に壊されていたけれど、他の建物と比べればよく形をとどめていた。幸い、ザンギャックの団体様がお出迎え、なんてこともなく、まずは高度を下げてモニターで様子を見る。
「いた!」
さっきまであんまり乗り気じゃなかったハカセが、真っ先に声を上げた。
「塔の上!」
促されて目を凝らせば、石造りの丸い塔の屋上で、小さな人影がわらわらと動いているのが見えた。画像がズームになるにつれ、段々と状況がわかってくる。
わらわらと動く人影の正体は、ザンギャックの雑兵たち。
そして、そのザンギャックの雑兵の群れに囲まれながら、剣を振るって戦っている人の影が、一つ。
そして、戦っているのは――
「女の子!?」
思わず声がひっくり返る。
女の子は寄せ来る雑兵たちの剣をかわしながら、時折、細身の剣で狙いすました一撃を繰り出す。結構腕はたつみたい。あたしが見てる間にも、鋭い突きで敵を一人仕留めた。
けど。
所詮多勢に無勢。そう長く持つ筈がない。
「・・・ちょ、マーベラス!早く! 船寄せて!」
「っせえ! 分かってら!」
もう待ってらんない。あたしはサーベルを取り、艦底のハッチに向かって駈けだした。
女戦士の敗北は、男のそれよりも悲惨だ。
男は命を取られるだけだけど、女はそうはいかない。
そうなる前に、どうにかしないと―――!
「おい、ハカセ! 操縦代われ! 俺も行く!」
ジョーとマーベラスが後からついてきた。ジョーはともかく、マーベラスよりあたしの方が先走るって、ちょっと珍しいパターンかもしんない。
艦底に着いて、ハッチを開く。剣劇の真上、高さはOK。ほんと、荒事以外はいい仕事するね、ハカセ。
「っりゃあぁーーー!」
飛び降りたその勢いで、あたしは女の子を背後から狙っていた兵を一人叩っ斬る。
彼女が、振り返った。
アップにして纏めた、少し癖のある黒髪と、黒い瞳。それとは対照的な、白い肌。
整った顔立ち。柔らかそうな、唇。
少し幼さの残る、いわゆる可愛い系。それでいて、綺麗。
雰囲気が、っていうか―――存在そのものが、っていうか。たぶん、高貴な生まれなんだと思う。醸し出す空気が、あたしみたいなド貧民とは全然違う。
「助太刀するよ!」
突然現れたあたしに驚いて、ザンギャックの雑兵たちは一歩退いた。
「うりゃあっ!」
「憤っ!」
続いてマーベラスとジョーが降り立ち、兵たちが一気に浮き足立つ。
「―――感謝いたします」
きりりとした表情のまま、女の子は頷いて、剣を構え直した。
ほらね。『感謝いたします』なんて言い方、庶民はしないよ?
ついでに言うと、レイピアが使える庶民ってのも、あんまりいないね。
「ふんっ!」
あたしはサーベルで横薙ぎにザンギャックを一人ぶった斬り、返す剣でもう一人をぶん殴った。これが、庶民、っていうか、海賊の剣。
「はっ!」
多勢に無勢じゃなく、ほぼ一対一になれば、彼女は十分に強かった。気合いとともに、目の前に現れる敵を、一人、また一人、急所を確実に狙い、倒していく。
「ギィッ!」
最後の一人を彼女が倒して、剣劇は終幕。ザンギャックの雑兵たちは全員、石の床に転がった。
どちらからともなく目を合わせると、彼女は小さく微笑み。
「おい、大丈夫か?」
マーベラスとジョーが近付いてくるのに気付くと、剣を収め、手を体の前で重ねて背筋を伸ばした。
「はい・・・危ないところを助けていただき、ありがとうございました―――」
そして、そう言って頭を下げたと思ったら、そのまま前のめりに崩れ落ちた。
* * *
彼女の躰は、とても綺麗だった。
女の子らしい、しなやかで華奢な体つきだけど、出るトコはしっかり出てるプロポーション。カメオみたいに白く滑らかな肌。
―――だからこそ、そこかしこについた刀傷や痣が、余計に痛々しかった。
「ん・・・」
小さな声がして、毛布がもぞりと動く。
「・・・う・・・」
眠り姫が、まる一日と半日ぶりにお目覚めの様子。
「ああ。気がついた?」
あたしがそう声をかけてから、
一、
二、
三、
四、
五カウント目。
「!!」
彼女は勢いよく飛び起きた。
「気分は? どう? 」
「えっ、あっ―――きゃっ!」
飛び起きた拍子に、豊かな(少なくともあたしよりは遙かにボリュームのある)胸がポロリとなって、慌てて毛布を引き上げる。恥じらう姿が可愛いね、うん。
「あ、ごめ。怪我の手当したり体拭いたりするのに邪魔だったから、勝手に脱がせたよ。ちなみに、やったのはあたし一人で、野郎共には一切触らせたり見せたりしてないから」
安心して? と、一寸冗談めかして言うと、彼女は、改めて自分の体のあちこちに巻かれた包帯や絆創膏を確かめて、
「・・・本当に、何から何まで・・・ありがとうございました」
毛布で胸を隠したまま、深々と頭を下げた。
「でも、何故・・・あなた方は、いったい・・・」
「ああ、うん、なんていうか、その、通りすがり? 旅の途中の、みたいな」
あたしは事実をできるだけオブラートに包んで言った。いきなり『あたしたち海賊なんだけど』っていうのは、ちょっと刺激が強すぎるよね?
「んで、あたしはルカ。ルカ・ミルフィ」
「ルカさん、ですね」
あたしが名乗ると、彼女は確かめるようにあたしの名前を呼んだ。
ルカ「さん」なんて、言われ慣れてないからなんだかむず痒い。ってか、そもそもこれまでの人生の中、そんな風に呼ばれたことなんてあったっけ?
「わたくしは・・・その―――」
彼女は次の言葉を言い淀んだ。まあ、たぶんそれが原因で、命を狙われてたんだもの。当然か。
「知ってる。王女様だよね?」
だから、あたしがそう言うと、彼女は心底驚いたように目を見張った。
「あんたの着けてたロケット。そこに外して置いてるけど、それ、王家の紋章なんだってね? ハカセ―――仲間にすごい物知りな奴がいて、そいつが言ってた。剣と短剣にも、同じ紋章がついてたし。そういうのってやっぱ、ほんとの王族しか持てないんでしょ?」
「・・・そうですか」
彼女は小さく苦笑して、では改めて、と背筋をぴんと伸ばして座り直し、
「いかにも。わたくしはファミーユ王国第一王女、アイム・ド・ファミーユと申します」
胸を張ってそう名乗った。あんまり堂々としてるから、素肌にただの毛布を纏っただけなのに、まるで上物の、ベアトップのドレスを着てるみたいに思えた。やっぱ、「本物」はオーラが違う。
「危ないところを助けて戴き、ありがとうございました」
「あー、そういう堅っ苦しいの、やめようよ」
深々とお辞儀する王女様に、あたしはぱたぱたと手を振ってそう言った。
「ていうか、王女様、結構、ってかかなり強いじゃん。何、王女様って剣の修行とかもすんの?」
「王女様、はやめてください。・・・『堅苦しいの』は、無しで」
彼女は苦笑しながらそう言って、
「それに―――国がこんな風になってしまった今。『王女』などと呼ばれても、滑稽なだけですから」
顔を曇らせ、ふい、と目を伏せた。
「じゃ。何て呼んだらいい?」
「お好きなように」
目を伏せたまま答える、彼女。
「んじゃ、『アイム』。・・・さん、とか付けた方がいい?」
私がそう言うと、
「それで結構です」
彼女は小さく首を振って、少しだけ、微笑んだ。
BEEP-BEEP BEEP-BEEP
と、あたしの通信機の呼び出し音が鳴った。
ハカセからだ。あたしは彼女に断って、通話ボタンを押した。
『あ、ルカ? 夕飯には早いけど、お昼がブランチだったから、そろそろお腹すいてるかと思って。何か食べる?』
・・・普段あんなに雑に扱ってるあたしに、こんな風に気を遣ってくれるなんて。ハカセってば、マジ超いい奴だね。ほんと、いいお嫁さんになるよ。
ま、あたしはノーサンキューだけど。
「ん、お願い、ありがとね。・・・そうそう、お―――彼女、目覚ましたよ」
『あ、ほんと? それなら、何か口に入れた方がいいと思うけど、食べられそうかな?』
「そだね。ちょっと聞いてみる・・・アイム、食欲ある?」
あたしがそう言った途端、受話器の向こうでがっしゃーん!って何か派手な音が聞こえてきた。何やってんだろうね、ハカセってば。
「え、あ・・・お構いなく」
「ん、食べるってさ」
「え、あの」
『あ、そ、そう・・・』
「んじゃ、そゆことで。よろしくね」
アイムのささやかな抗議もハカセの歯切れの悪い返事もぜんぶ流して、あたしはさっさと通信を切った。
「『お構いなく』ってのは、遠慮するときの台詞だよね? ・・・あ、っと、ハカセが来るのにその恰好じゃ不味いよね。とりあえず、これ着て」
あたしはクローゼットから下着一式(※パンツは除く)と自分のワイシャツを出して、彼女に放った。
「え、あの」
「あたしはこっち向いてるからさ、早く。ハカセ来ちゃうじゃん?」
「あ、はいっ」
よいお返事。さすが育ちのいいコは・・・って、王女様か。
王女様に命令してんのか、あたし。考えたら凄いね。
「どう?」
背後で聞こえる衣擦れの音が止んだところで、振り返る。
「はい。大丈夫、です」
黒髪と白いシャツのコントラストとか、
肌が白くて、白いシャツとの境界線が曖昧なとことか、
襟元から覗く首筋や、袖口から覗く手首の華奢なとことか。
何これ? 何だろう。何だか、グッとくる。野郎共が変な気起こさなきゃいいけど。
ってか、あたしが大丈夫じゃないかも。
「正直、胸、きつくない?」
「あ、え・・・と、少し・・・はい」
申し訳なさそうに、アイム。
「・・・ですよ、ねー」
胸以外は、むしろ余裕だと思うんだけど。
「あ・・・え、っと・・・すみません」
「・・・いや、謝られても、切ないだけだし」
KNOCK-KNOCK
そうこうしているうちに、ノックの音がして、
「・・・失礼しまーす・・・」
ハカセが入ってきた。お盆の上に、スープの入ったマグカップと、フレンチトーストの皿を二つずつ乗せて。
「んー、美味しそう・・・あ、アイム、こいつがさっき言ってたすごい物知りな奴ね。ほんとはドンなんとかって名前だけど、似合わないからみんなハカセって呼んでる。アイムのことはハカセの思った通りだったからもう別に紹介しなくていいよね?」
「ちょっ、ルカ! 何だよその雑な説明!」
お盆をテーブルの上に置きながら、ハカセが文句を言う。
「あー、うっさい。ハカセ、ちっちゃいこと気にしすぎ」
「小さくない! ルカがおおざっぱ過ぎるんだってば! 大体ドンなんとかって何っ何で覚えてないのっていうか何で王女様のこと呼び捨て!?」
「いいじゃん本人がそうしろって言うんだから。ってかもうホントうっさい、食べ物置いてとっとと出てけ」
あたしは足でしっしっ、とハカセを追っ払うように蹴った。
「うわ、酷っ! じゃあ晩ごはん、ルカだけ抜きでいいんだね!」
「あっ! 何ソレ! 晩ごはん人質に取るなんて、卑怯者!」
「・・・お二人、仲がよろしいんですね」
と、そんなあたし達のやり取りを見ていたアイムが、くすくすと笑い出した。
うわ、なにその笑顔。ちょー可愛いんですけど。
「えー・・・こいつと? あたしが?」
「何だよその嫌そうな顔」
あたしはジト目でハカセを見ながら、スープを一口すすった。
「!」
衝撃が、走る。
「何これ、うまっ!」
「ただのチキンスープ、だけどね。昨日から煮込んでるし、アク取りも十分してあるから、不味くはないと思うよ?」
超ドヤ顔で、ハカセ。
うーん・・・これは、ドヤ顔でも許せる味だわ。
「ほらほら、アイムも飲んでみな? ちょー美味いよコレ!」
「・・・では、お言葉に甘えて、戴きます」
彼女はあたしとハカセにそれぞれ会釈するように微笑みかけてから、マグカップを両手で持った。
こういう小さな仕草に、生まれ育ちって出るんだね、うん。
「・・・美味しい」
スープを一口すすった彼女は、ほうっ、と、安らいだような吐息混じりに、そう呟く。
「ほんと? よかった。王女様の口に合うかどうかしんpっ!」
ぺしこーん!
ハカセがそんなことを口走るから、思わずあたしはその後頭部を平手で思いっきり引っぱたいた。
「ちょ、痛いなルカ! いったい何―――」
お う じょ さ ま っ て い っ ちゃ だ め !
ムッとするハカセに、口パクでそう訴える。
口パクだから伝わるかどうかは謎。ハカセは口をつぐんだけど、単にあたしの顔が怖かったから黙っただけな気もするし。
「・・・美味しい、です・・・」
言葉とは裏腹に、アイムの表情がみるみる曇っていく。
「美味しい、と思ってしまいました・・・国がこんなことになってるのに、わたくしは、普通に空腹を感じて、食べ物を美味しいと思って・・・」
「っ、だって、しょうがないじゃん? 生きてんだから」
生きてりゃ、お腹すくっしょ?
あたしのその言葉が、どうやら地雷だったみたいで。
「そう、ですね・・・わたくし・・・生きてるんですね・・・」
彼女はマグカップをぎゅっと抱き締めるように、うずくまって、
「・・・生き残って、しまったんですね・・・」
ぼろぼろと、涙を零した。
掛けられる言葉なんて、見つからなくて。
ハカセは明らかに狼狽えてる。・・・や、あんたは何もしなくていいから。
あたしは静かに涙を流す彼女の隣に腰を下ろして、震える背中をそっと撫でた。
ただ、黙って、彼女が泣き止むまで。
*
アイムが再び落ち着きを取り戻して、トーストの皿がようやく空になった頃、
「おう。姫さんの具合はどうだ」
野郎共が、ノックもせずにどかどかと入ってきた。
「・・・あんたらねぇ。ノックくらいしたらどうなの? 着替えとかしてたらどうすんのよ」
「俺は別に構わんが」
仏頂面で、ジョー。
「俺もだ」
ニヤけた顔で、マーベラス。
「こっちが構うの!」
ったく、マーベラスは確信犯だと思うけど、ジョーのはどこまでマジボケでどこから確信犯なんだかわかんない。
「・・・アイム、一応紹介しとくね。こっちがジョー。ごっつくて無愛想だけど別に怖くないからね、ただの筋トレマニアだから。んで、あっちがマーベラス、この船の船長。バカだけど」
「誰がバカだコラ」
「ほんと酷い説明だねルカ・・・」
苦情は受け付けません。
「・・・アイム・ド・ファミーユ、と申します。危ないところを、ありがとうございました」
王女様モードで背筋を伸ばして、お辞儀をするアイム。緊張してる、ってか、ちょっと引いてる?
「で、どうだった?」
「ダメだな」
色々端折ったハカセの問いに、色々端折ってジョーが答える。
「ああ。城の中と、あと街の方も見てみたが、生きてる奴は一人もいない・・・その姫さんを除いて、な」
「っ、ちょっと―――!」
このバカマーベラス!本人の前でそういうことストレートに言うかな!
「・・・そうですか。やはり・・・」
目を伏せて、答えるアイム。そりゃ、覚悟はしてただろうけど。だからって、思いっきり現実突きつけられたら、やっぱキツいじゃん?
「―――で、だ」
マーベラスはアイムの前へと進み出た。
「姫さんよ、あんた、これからどうする?」
「ちょっ、マーベラス―――」
「っせえ! 黙ってろ!」
一喝されて、あたしは不覚にも怯んでしまった。
ここ一番って時に、有無を言わせない迫力、人を従わせるオーラ。
悔しいけど、これが船長の器ってやつかな、って思う。
「どうだ?」
「・・・分かりません」
マーベラスの問いに、アイムは首を小さく振って、そう答えた。
「本来なら、わたくしも王族の一人として、国を護る者として、先陣を切って戦い、国とともに滅びるべきでした」
「『noblesse oblige』ってやつ、だね」
ハカセが頷く。
「何それ」
「『高貴な義務』って意味でね。王侯貴族は、君臨し、民を支配して税金を取る代わりに、その民を守るために戦う義務がある、っていう考え方だよ」
あたしが尋ねると、ハカセは簡単に説明してくれた。
「ですが、それは叶いませんでした」
「・・・そこんとこ、なんだけど」
あたしは一寸口を挟んだ。黙ってろ、って言われたけど、やっぱ気になるんだよね。
「どうして、その・・・一人で残ることになっちゃったのか。聞いてもいい?」
「はい。ザンギャックの軍勢が押し寄せてきた時」
アイムは頷いて、話し始めた。
「わたくしも当然、武器を取って、打って出るつもりでした。ですが、臣下の一人に、わたくしさえ生きていれば王国再興の芽はある、だから何としても落ち延びよ、そう言われました。わたくしは即座に断りましたが、そのまま当て身を食らわされて―――気付いた時には、場内の隠し部屋に幽閉されていました」
「・・・・・・」
何、それ。
すごく、重い。
国の命運を背負わされて、生かされた。そういうことだよ、ね?
「皮肉にも、帝国の攻撃によって城が壊されたことで、外に出ることができたわけです。崩れた石壁を少しずつ掻き分けて、数日かけて、やっと」
「・・・それで、ザンギャックの雑兵どもと鉢合わせたわけか」
ジョーが、得心がいったという風に頷いた。
「でも、あたし達が戦った奴らって、国を滅ぼしたって割には、雑魚っぽかったし、何より少なすぎない?」
「・・・戦場では、よくあることだ」
あたしの疑問には、ハカセが答えた。
「私腹を肥やそうとする奴らが、中央の司令の目を盗んで、火事場泥棒みたいに略奪行為をする、なんてことはね。ルカ達が戦ったのはおそらく、本隊が引き揚げた後で、こっそり城の財宝を漁ってた連中だと思うよ」
「なるほどね」
通りで、いかにも雑魚っていうか、チャチな小悪党っぽい連中だと思った。
「・・・ですが。王家を再興する、といっても、どうしたらいいのか・・・何より、国民も、臣下も、誰一人として残っていない、そんな国の王家を再興することに、果たして意味があるのでしょうか」
アイムはそう言って、ぎゅっと唇を噛んだ。
沈黙が、降りる。
「それなら」
沈黙を破ったのは、マーベラスだった。
「俺らの仲間にならねぇか?」
「仲間・・・?」
「ああ。海賊の仲間に、だ」
うあ! 言っちゃった!
「かいぞく―――!?」
アイムは驚いたように目を見開いた。
「何だ、聞いてねぇのか?」
・・・ええ、話してませんが。何か?
マーベラスとアイムに同時に視線を向けられて、あたしは思わず目を逸らした。
「お宝探して旅してる、トレジャーハンター、って奴だ。堅気にゃ手は出さねえが、ザンギャックの奴らとは仲が悪くてな、俺ら全員賞金首だ」
「しょうきん・・・くび」
呆然とオウム返しをするアイム。
ああもう、畳み掛けるようなカルチャーショックだよね。ほんと、ごめん。
「ザンギャック相手にドンパチやる度胸と腕っ節のある奴なら、歓迎するぜ?」
「・・・その・・・海賊、が、なぜ、この星に?」
アイムの瞳に、疑惑の色が浮かぶ。
「ああ。ザンギャックと一寸ドンパチやりあったら、船がイカれちまってな。同じようにザンギャックと喧嘩してる星なら、海賊の船でも直してくれるかと思ってよ」
「・・・で、いざ来てみたら、こんなことになってた、ってわけ」
マーベラスに続いて、あたしはそう言葉を継いだ。
この星で悪さしようと思ったわけじゃない。そこだけは、解って欲しい。
「そう・・・ですか」
アイムは微苦笑して、目を伏せた。疑惑の色は、消えてはいない。
ぎり、と胸が痛んだ。
「で、どうなんだ。仲間になる気はあるか?」
「・・・少し、考えさせてください」
「いいだろう。ただ、あんまり時間はねぇぞ?」
「心得ました」
アイムがそう答えると、マーベラスは踵を返して部屋を出て行った。それに続いて、ジョーも出て行く。ハカセは、一瞬迷って狼狽えて、結局部屋を出る方を選んだ。
あたしは、ベッドの横のストゥールに、へたり込むように腰を下ろした。
「アイム」
目を伏せたまま、返事はない。
「・・・ごめん・・・色々、黙ってて。その・・・軽蔑、した?」
「・・・いえ」
恐る恐る尋ねると、彼女は小さく首を振った。
「皆さんが悪い人ではないことは、わかりますから。ただ―――」
「・・・ただ?」
やだ、何、この、間。刑の宣告されるみたい。
「―――少し、混乱しています。暫く、一人にしていただけますでしょうか」
「・・・ん、わかった」
あたしは大人しく頷いて、ゆっくりと立ち上がり、部屋を出た。
去り際に一度振り返ったけれど、彼女はじっと俯いたまま、最後までこちらを見ようとはしなかった。
* * *
ファミーユ星の空には、二つの月が昇る。
赤い月と、白い月。
赤い月が、この星の人々が流した血の色だとすれば、白い月はきっと、人々が流した涙の色。
柄にもなくそんなことを考えてしまうのはたぶん、彼女と出逢ったから。
赤い月は、彼女の血の色。白い月は、彼女の涙。
そのどちらもが、あたしの心を掴んで放さない―――
彼女は緩慢な動作でベッドを抜け出し、素足で床に降り立った。小さな窓から差し込む月明かりだけが頼りだけれど、暗闇に慣れた目にはそれだけで十分。部屋の隅へと歩みを進めると、そこには、剣で切り裂かれ、煤と血で汚れた彼女の服と、彼女の所持品―――王家の紋章が刻まれた細剣と、懐剣が置かれていた。
暫く、じっとその場に佇む彼女。
端正な横顔のシルエットが、月明かりに浮かぶ。
肌の白さが、光に映える。やっぱり、彼女には白い月の光が似合う。
やがて、彼女は懐剣に手を伸ばした。
右手で柄を握り締め、そろり、と鞘から抜き。
ぱっ
部屋の明かりが灯る。
アイムが振り返った時には、すでにあたしは彼女との間合いを詰め切っていた。
盗賊の面目躍如、ってところ。
「!」
そして、彼女が声を上げるより先に、懐に飛び込んで懐剣を持つ右手を掴み、そのままの勢いで彼女の体を壁に押しつけ動きを封じた。
「っ・・・放してくださいっ!」
「やだね」
素っ気なく答えて、彼女の右手首を思い切り捻る。
彼女の短い悲鳴とともに、短剣が床に落ちた。
―――ごめん。今の、たぶん、すごい痛かったと思う。
あたしはすぐに、落ちた短剣を部屋の向こう側に蹴飛ばして。
お互い、肩で息をしながら、至近距離で見つめ合う。
「・・・何故・・・」
「あたし、分かるんだよね。追い詰められて、絶望して、死ぬことを選ぶ人間、たくさん見てきたから」
彼女の言う『何故』を、『何故死のうとしてるのがわかったのか』だと解釈して、あたしは答えた。
「昼間のあんた、そういう目をしてたよ」
「・・・ほんとうに・・・聡い方、ですね」
アイムはそう言って、泣き笑いのような表情を見せ、
「貴女のような方が、我が国にもいれば・・・手遅れになる前に、帝国の間者を見つけられたかもしれませんね」
冗談とも、本気ともつかない、そんなことを言った。
「・・・裏社会で長生きする秘訣はね、鼻が利くことなんだよ。危険の匂い、金の匂い、陰謀の匂い、殺意の匂い」
だからあたしも、半分冗談で返す。
「だから、さ。あたし達と一緒に行こう。長生きさせてあげるよ?」
「・・・今から死のうという人間にそれは、あまり魅力的な売り文句ではありませんわね」
彼女が苦笑する。
「わたくしは、これ以上生き恥を晒すわけには参りませんから」
「・・・何それ」
彼女のその言葉は、あたしの地雷だった。
「生き恥って何よ。生きてて何が悪いの? 何それ、意味わかんない」
突っかかるような口調になるのを、抑えきれない。
「・・・国を、民を守ることができなかった者が、のうのうと生きているわけには参りません。そういうことです」
「だから、そこが意味わかんないんだってば」
「当然です。国を護るために戦い、国と共に滅びるのは国を統べる者の責務です。一般の人々に分かる筈がありません」
それまでずっと穏やかな物腰を崩さなかったアイムが、語気を強くする。
「何それ。あんたみたいな小娘ひとりで国なんか守れるわけないじゃん。それで死ぬとか、バッカじゃない?」
「なっ―――!」
あたしの挑発に、アイムはかっと目を見開いた。
「例え恩人とはいえ、言っていいことと悪いことがあります!」
語気を荒げ、腕にも力が入る。正直、押さえつけてるのが精一杯。この華奢な体の、どこにそんな力があるんだか。
「あたしはね、あんた一人の力じゃどうしようもなかったことで、あんたが責任感じることなんかない、って言ってんの! 国が潰れたのって、あんたのせいじゃないでしょ!? あんたが後追って死んだって、国が元通りになるわけじゃないし、死んじゃった人たちだって、これっぽっちも喜びゃしないよ!」
「貴女に何が分かるというんですか!」
「わかるよ!」
ヒートアップする彼女に、負けじとあたしも怒鳴り返す。
「・・・あたしの妹は、十にもならないうちに病気で死んだ。あたしは妹を守れなかった、そのことで随分自分を責めた、けど、だからって、あたしは生きてちゃいけないなんて思ったことなんかない。むしろ、妹の分まで生きなきゃって、そう思ってる」
「・・・国と個人では、次元が違います」
唸るように、アイム。
「違わないよ。・・・スラムではね、人が簡単に死んじゃうんだ。大抵は、飢えか、病気か、殺しでね。死体だってそのへんに転がってるけど、腐って臭い始めるまでは、誰も気にしない。結局、死んだ人間は何も言わないし、何も思わないし、何も感じないんだよ。―――だけど」
あたしは、俯きかけた彼女の顔を覗き込んで、言葉を続け。
「生きてる人間は違う。あんた、生きてんでしょ? ザンギャックの奴らに好き放題に踏みにじられて、悔しくないの? 腹立たないの? ここであんたが死んじゃったら、それこそザンギャックの思惑通りじゃない! 王族としてのプライドがあんなら、それこそ生き延びて仇討ちするぐらいの根性見せなさいよ! だいたいあんた! 家来の人に『生き延びてくれ』って言われたんでしょ!? 何シカトこいて死のうとしてんのよ! あんたの国の人たち、死にたくなかったのに、もっと生きたかったのに、殺されちゃったんでしょ!? それなのに、せっかく生きてるあんたが自分から命捨てるなんて、その人たちに申し訳ないって思わないの!?」
気がつけば、言いたいこと全部、闇雲に彼女に叩きつけていた。息を継ぐのも忘れるほど、夢中で。
ふっ、と、アイムの腕から、力が抜ける。
―――もしかしたら、あたし、随分酷いこと言ったかもしれない。
「・・・では・・・」
彼女の声が、唇が、わなわなと震え。
「では! わたくしは! 一体! どうしたらいいんですか!」
アイムはかっと見開いた黒い瞳にあたしを映し、ほとんど悲鳴のような怒鳴り声で、そう叫んだ。
「国がなくなった王女など! 何の存在意義があると。いうのですか・・・」
俯いて、涙声になる。
「・・・わたくしが生きていることに、何の意味があるというのですか・・・」
最後は、殆ど声にならず、嗚咽のような音に。
「・・・あの、さぁ」
あたしは、彼女の手首を掴んだままだった手を放し、肩へと伸ばした。
「最初から意味があって生まれてくる人なんて、いないよ?」
そのまま、その手をワイシャツの背中へと滑らせる。
拒まれるかも、と思ったけれど、彼女は人形のように大人しかった。
「・・・そんなこと言ったら、あたしの存在意義なんて何? あたしがいてもいなくても、世の中なんも変わんないじゃん」
震える肩を、背中を、宥めるように、優しく撫でる。
「生きる意味なんてさ、最初からあるもんじゃなくて、生きてるうちについてくるもんなんだよ。あんた、自分で選んで王女様に生まれたわけじゃないでしょ? そのこと自体に、意味なんかない。今死んじゃったら、ほんとに何の意味もないまま終わっちゃう。あんたが王女であることに意味を持たせたいなら、これからそういう生き方するしかないんだよ」
返事は、ない。
沈黙が、あって。
「・・・ごめん」
あたしは、ただ黙って立ち尽くすアイムを抱き締めた。
「あたし、たぶん、すごく、酷いこと言ってるよ、ね」
彼女の、少し癖のある髪を、指先で軽く梳く。
「あんたは、何も悪くないのに・・・責め立てるみたいなこと、言って。これだけのことがあって、ボロボロになったあんたに、それでも生きろ、なんて・・・本当は、このまま死なせてあげたほうが、ずっと楽なの、分かってるのに」
ごめんね、と。
彼女のうなじに唇を寄せて、囁く。
「・・・何故・・・?」
消えそうな声で、アイムが、ぽつり、と、呟いた。
この『何故』が『何故自分に構うのか』だとしたら。
「・・・どうして、かな・・・・・・たぶん、一目惚れ?」
きっとそれが、一番ぴったりな言葉だと思う。
「初めて見たときにね、綺麗なコだと思った。ルックスじゃなくて―――や、ルックスも抜群だけど、何ていうのかな。存在そのものが、綺麗だと思った」
「・・・褒めすぎです」
あたしの肩で、アイムが呟く。
顔は見えないけど、きっと、苦笑してるだろう。
「だから、さ。こんなコがこんなとこで死んじゃうの、勿体ないって思った。このコと一緒に旅したい、そしたら絶対楽しいはずだ、って。そう思った」
相槌は、ない。
けど、ちゃんと聞いてくれていると、気配で分かる。
「一緒に、お宝探して、あちこち旅して、いろんなもの見て、いろんなことして、いろんなもの食べて。危ない橋渡ることもあるけど、言ったじゃん? あたし、鼻が利くって」
呼吸を一つして、あたしは彼女を抱く腕にぎゅっと、力を込めた。
「あたしは、長生きするよ? あんた残して先に死んだりとか、絶対しない。万が一、何かしくじって、死ぬことになったら。その時はちゃんと、一緒に連れてってあげる。一人で生きろなんて酷いこと、絶対、言わないから」
「っ―――!」
言葉にならない、嗚咽のような音が、アイムの口から漏れる。
「・・・だから。あたしと一緒に。行こう」
ね? と問いかければ、
「・・・ルカさん・・・っ―――」
彼女は絞り出すような声で、あたしの名を呼ぶ。
「・・・やっと、名前呼んでくれた」
あたしは思わず、苦笑した。
「名前、呼んでくれなくなったから。嫌われちゃったかな、って、一寸思った」
彼女は首を横に振って、初めて、あたしの背中に腕を回した。
ワイシャツ越しに伝わる、彼女の体温。
この温もりを失わずに済んで、あたしは心から、ほっとした。
*
一夜明けて。
見せたいものがある、というアイムに連れられて、あたし達は半壊した城の中を歩いていた。
「城の中なら、俺らは昨日散々見たぞ?」
マーベラスは一寸かったるそう。
「いえ。昨日のご様子では、わたくしがご案内しようとしている場所はご存じないかと」
「ねーアイムー。あたしに位は何があるのか教えてくれたっていいじゃん?」
先頭を歩く彼女の隣に寄り添って、甘えた声を出してみるけれど、彼女は『行けばわかります』の一点張り。
「ここです」
彼女が立ち止ったのは、中庭の、噴水だったと思しきものの前。大きな丸い枠の中に、水が溜まっている。
「ここなら昨日来たぞ」
ジョーがぼそり、と呟く。
アイムは服の袖を捲ると、水の中に手を入れ、何やら底のタイルをとんとんと軽く叩きはじめた。
―――これって、何かの鍵?
一見でたらめに叩いているようだけれど、どうやら、彼女にしかわからない規則性があるようだ。
ごっ
やがて、何か重い物が動くような音がして、水槽の水が抜け。
ずずずずずず
噴水の一角に、人一人がやっと通れそうな穴が口をあけた。
「こちらです」
アイムは躊躇する様子もなくその真っ暗な穴の中に入って行った。
ふんふん、ランタン貸してくれ、って言ったのはこういうことなのね。
急な階段を下りたその先には、小部屋があって。そのドアを開けると―――
「!? 何これ!」
金銀財宝の山―――や、宝石みたいなのは、あんまりないみたい。主に、金銀。
「へぇ」「ほう・・・」
いつもはふてぶてしい野郎どもが、珍しく驚きを顔に出してきょろきょろと辺りを見回している。ハカセなんか、開いた口が塞がってないし。
「相場にもよりますが、換金すれば、二、三億ザギンほどにはなるかと」
「にさんおく!?」
うわ、びっくりしすぎて変な声出た。
「国難に備え蓄えてあったものですが。今となっては、ここにあっても仕方のないものですから」
わたくしの持参金代りに、持って行ってください。
アイムはちょっとだけ苦笑を浮かべて、そう言った。
今さら、だけど・・・アイムって、ほんとに、一国のお姫さまなんだ・・・。
「・・・おい、ハカセ。ガレオン直すのに幾らぐらいかかるんだ?」
マーベラスは珍しくちょっと何か考えてから、そう尋ねた。
「え? あ、っと、うーん・・・そうだね・・・」
「このサイズの船でしたら、いちから建造すれば概ね一億から一億五千万ザギン。装甲の修理でしたら三、四千万、さらに強化を施すならそれに一、二千万の上乗せですわね」
「!?」
ハカセが返答に困ってる横でそんなことをすらすらと答えるアイムに、皆の注目が一斉に集まる。
「・・・我が国の戦艦の場合、ですが」
アイムは軽く肩をすくめ、にっこりと微笑んでそう言った。
・・・さすが、一国のお姫さまだね・・・うん。
「・・・六千万あれば、足りるってことだな?」
腕組みをして何やら考えていたマーベラスが、アイムに向かって問いかける。
「はい。その位は掛かるかと」
「そうか。なら、六千万貰おう。それ以上はいらん」
「「ええっ!?」」
マーベラスの無駄に力強い宣言に、あたしとハカセが同時に声を上げた。
アイムも驚いたように目を見開く。
「俺達は海賊だ。火事場泥棒じゃねぇ。船はまあ、お前さんの住み家にもなることだし、有り難く直させて貰うとしよう。だが、それ以上は貰う義理はねぇ。お前さんがここに戻ってくることがあれば、そん時に使やいいさ」
口の端をにやりと上げて、マーベラス。
こういうこと、ばーんと言えちゃうとこが、カッコいいんだよね。バカだけど。
「・・・はい」
アイムは微笑んで、頷いた。
「あー・・・せっかくマーベラスがいいこと言ったのに、申し訳ないんだけど・・・ほんのちょっとだけ、余分に貰ってっていいかな?」
あたしはぱんっ!と手を合わせて、お願いしますのポーズで言った。
いやほんと、申し訳ない。マジで。でもこれ結構切実。
「ルカ・・・またお前」
あたしの言葉に、ジョーが呆れたような声を出す。
「や! 違う違う! 服買うの服! あたしのじゃなくてアイムの!」
慌ててあたしが言うと、皆の視線が一斉にアイムに集まった。
今彼女が着てるのは全部、あたしの服。上から下まで、中から外まで。
はっきり言って、合ってません。いろんな意味で。ええ。
「・・・成程、な」
「ふむ・・・そういうことか」
「ああー・・・うん・・・だね」
ぺしこーーーーんっ!
あたしはハカセの後頭部を平手で思いっきりひっぱたいた。
「あいたっ! ・・・ちょ、ルカ、酷いよ! 何で僕だけ!?」
「あんたの言い方だけムカついたからよ!」
あんただけよ、アイムを見たあとあたしの胸をちらっと見たのは!
「・・・おい。馬鹿やってないで、運ぶぞ」
あたしとハカセの頭を軽く小突いて、ジョーがすたすたとお宝に近づいた。ジョーってば、無造作に金塊を持ち上げてひょいひょい小脇に抱えてるけど、あれ、すっごい重いはずだよね? さすが筋トレマニア。
「ああ、そうだ、姫さんよ」
マーベラスが、ふと何か思い出したように、アイムに声をかけ、
「船に戻ったら、お前さんにひとつ、やって貰うことがある。・・・なに、仲間になるための儀式みたいなもんだ」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた。
*
ハカセが通信回線を開くと、モニターに派手派手しい格好をした、仮面の男の姿が映し出された。
ザンギャック帝国の将軍、ワルズ・ギル。
通称『皇帝のバカ息子』。
マーベラスが、通信機の前に立ち、ワルズの顔をぎろりと睨み上げる。
「よお、皇帝のバカ息子、久しぶりだな。相変わらず頭は悪いまんまか?」
・・・マーベラスだけには言われたくない台詞だね。
『!・・・貴様―――』
「おっと。今日は別にてめぇと楽しくお喋りしようと思ったわけじゃねぇんだ」
何か言おうとするワルズを遮って、マーベラス。
「最近、俺たちの海賊団に新入りが一人増えてな。そいつが、てめぇ等に一言挨拶したいそうだ」
彼はそこまで言うと、通信機の前から退いた。
マーベラスの目配せを受けて、アイムは深呼吸を一つすると、通信機の前に立った。
ぴんと背筋を伸ばし、画面を見据える。
そこにいるのは、彼女から全てを奪った、張本人。
「・・・ごきげんよう、ザンギャックの皆様」
凛とした、声。
「わたくしの名は、アイム・ド・ファミーユ。ファミーユ王国第一王女にして、ファミーユ王家最後の生き残りです」
静かに、はっきりと。胸を張って、そう告げるアイム。あたしは彼女が動揺して何も言えなくなっちゃうんじゃないかと心配してたけど、そんなの全く大きなお世話だった。
「我がファミーユ王国は、あなた方の卑怯な騙し討ちによって崩壊しました。ですが、わたくしがこうして生きている限り、ファミーユ王家は決して滅びませんし、あなた方帝国に屈することもありません。悔しければ、わたくしの首級を取ってごらんなさい。尤も、あなた方ごとき烏合の衆に、わたくしの首級が取れるとも思えませんが」
『なっ・・・!』
ワルズは声を詰まらせた。仮面で表情は見えないけど、きっと怒りで真っ赤になって唇を震わせてるに違いない。アイムもアイムだよ。可愛い顔してなかなか言うね。
「わたくしは、あなた方帝国を決して許しません。我が王国を蹂躙した罪の重さ、いつの日か、その身をもって思い知らせて差し上げましょう」
『こっ、この―――』
「それでは、ごきげんよう」
アイムは最後に極上の笑みを見せ、ワルズが喋る前にぷつりと通信を切った。
「ひゅう♪ かぁっこいい。最高!」
あたしはそう言って、ふぅ、と大きく息を吐く彼女に抱きついた。
茶化してるけど、本当に、心から、そう思う。
ほんと、頑張ったね、うん。
「本当。格好良かったよ!」
「上出来だ」
ハカセはともかく、滅多に褒め言葉を口にしないジョーまでもが、そう言って讃える。
「・・・こんなもので、よろしかったのでしょうか?」
アイムは少し照れくさそうにあたし達の顔を見回し、最後にマーベラスを見た。
「ああ。これでお前も、立派な賞金首だ。奴らが幾ら賞金を掛けてくるか、楽しみだ。なあ? アイム」
そう言って、マーベラスは、にやりと笑った。
「・・・あまり安く見られては、傷つきますわね」
応えるようにそう言って、アイムも愉快そうに微笑んだ。
*
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お尋ね者 生死問わず
キャプテン・マーベラス z 1,500,000
ジョー・ギブケン z 1,000,000
アイム・ド・ファミーユ z 500,000
ルカ・ミルフィ z 300,000
ドン・ドッゴイヤー z 100
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「!! ちょっ、何これ! なんでアイムよりあたしの方が安いのよ!」
次のニュースペーパーの発行日、あたしは『お尋ね者』の欄を見て叫んだ。
動揺しすぎてソファーにカフェオレこぼしちゃったし。
「当然だ。一国の王女の首が、コソ泥より安いわけがない」
コーヒーをすすりながら、ジョーがぼそっと言う。
「コソ泥っていうな!」
ジョーはあたしの蹴りを紙一重でするっとかわした。さすが凄腕の剣士、けどちょっとムカつく。
「・・・俺がただの筋トレマニアなら、お前もコソ泥で十分だろう」
あら。
この間のアレ、実は結構根に持ってたのね、ジョーってば。
「うわ、ほんと! 僕より高いなんて酷いよ!」
あたしの持ってたペーパーを横から覗き込んで、ハカセも声を上げる。
「ちょ、ハカセ! いくら何でもアイムがあんたより安いわけないでしょ!」
「!!! 酷っ!」
当のアイムは、自分に掛けられた金額を見て、
「・・・わたくしも、随分安く見られたものですわね」
帝国も意外と渋ちんですわ、と、がっかりしたように溜息をついた。
「アイムって、さ・・・時々、キッツいこと言うよね」
頬杖をついて、あたしがボヤくように言うと、
「そうですか?」
なんて。
可愛らしく首を傾げ、極上のロイヤル・スマイルで、言ってのけた。
きょうもまた一つ発見した、アイムの意外な一面。
あたしのことも、もっと知って欲しい。
お互いのこと、とことん知り尽くすまで、道のりはまだ、長いけど。
その方が、楽しみがたくさんあっていいよね?
《fin.》
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