† The Gift Of The Magi †

深森 薫

 買い出しからの帰途、ルカは大きな紙の手提げ袋とスーパーのレジ袋を両手に提げ、軽やかな足取りで歩いていた。
「あんな店があるなんてねー。もっと早く見つけたかったわ」
 ルカが機嫌良く自分で荷物を持って歩く。そんなことが起こりえるのは、
「本当ですね。あれだけお安くてたくさん食材が手に入れば、ハカセさんもマーベラスさんもお喜びになると思います」
 買い出しの相方が、アイムの時だけ。
 彼女以外の男共が相方の時は、絶対に自分で荷物を持ったりしない。それがルカ・ミルフィ。
「ね、それ、どの店の話?」
「? ええと・・・そうそう、ギョウムヨウ、とかいうお店でした」
 怪訝そうに問うルカに、アイムはレジ袋に印刷された店のロゴに目を落として答える。概して何事にも勉強熱心な彼女は、今や地球の言語の中でも難しい部類とされる日本語の読み書きがほぼ自由にできるようになっていた。
「では、ルカさんが仰るのは・・・?」
「もっちろん、あの酒屋よ。何でも揃ってて、しかも安いとかね」
 明日早速野郎共二、三人連れてくわよー、とルカは勢い込む。
 男は容赦なくこき使う。それがルカ・ミルフィ。
「・・・お酒のまとめ買いとなると、重いですから、いっそガレオンでお店に乗りつけてしまえばよいのではないでしょうか」
 少し考えて、アイムはそう言った。酒を買い込むことそれ自体に関しては、特に異論はないらしい。
「あは。いーね、それ―――」
「きゃあぁぁぁぁっ!」
「うわぁぁっ!」
 不意に聞こえてくる、都会の喧噪とは明らかに異質な人々の悲鳴に、二人の談笑は中断させられた。はるか前方のビルから、人が流れ出てくる。大当たりした台から吐き出されるパチンコ玉のように、人々は我先にと舗道へ転がり出て、四散し、逃げ惑う。二人の方へ向かって駈けてくる顔は、すべからく驚愕と恐怖の色を浮かべていた。
「ね、これって・・・」
 ルカの眉間に深い縦皺が刻まれ。
 通りに転がり出る人々を追い立てるように、帝国の雑兵―――ゴーミンの群れが現れる。
「・・・ですね」
 アイムは深い溜息をつき、
「〜〜〜っ! あいつら! なんで! よりによって! あたしがアイムと楽しくキャッキャウフフしてるときに出るわけ!?」
 ルカがキレた。
「・・・。 仕方ありませんわ」
 怒りに任せて歩道の石畳をげしげしと踏みつけるルカへのツッコミは敢えてぐっと飲み込んで、アイムは歩道の端に荷物を置き。
「『出物腫れ物所嫌わず』というそうですから」
「何それ。・・・ま、何でもいいわ」
 続いてルカも荷物を置いて、
「どっちにしろボコることにゃ変わりないんだからさ!」
 二人はモバイレーツを手に駈けだした。
 鍵を差し込めば、その身は一瞬のうちに戦装束に包まれ、言いようもない高揚感とエネルギーが全身を駆け巡る。両手には、得物の銃と剣。
「アイム」
「はいっ」
 ごく短いやり取りがあって、二人は互いに自分の得物を―――ルカは銃を、アイムは剣を、相手に投げ渡す。
 二刀を手に、ルカがスピードを上げた。
 それに気付いたゴーミン達が、身構える。
 ルカが接敵する寸前、アイムの両手の銃が火を噴いた。闇雲に撃ちまくっているように見えるが、狙いはそれなりに確かで、前を走るルカの背中には一切掠ることもなくゴーミンの群れに銃弾を浴びせる。
「はぁっ!」
 体勢の崩れたゴーミン達を、ルカの剣が薙ぎ倒した。刃を逃れた雑魚は、アイムの銃弾が仕留めてゆく。ビルから飛び出してきた雑兵の一団は、ものの数秒で地面に転がった。
「フゴォォォォおのれ海賊ども!」
 ビルの中から、本日の行動隊長が姿を現す。棘だらけの頭から紐状の組織を垂らした容貌は、どこか地球の伊勢エビを思わせた。
「まあ・・・今日の隊長さんは美味しそうでいらっしゃいますね」
「そう? なんかドブ臭くて不味そうだけど・・・ちょっとアンタ!よっくもあたし達のキャッキャウフフ邪魔してくれたわね! エビの癖に!」
 行動隊長(エビ風味)に向かって剣をずびし! と突きつけ、ルカが叫ぶ。怒りの形相は残念ながらマスクに隠れて見えない。
「! ルカさん! こんな所でそういうことを大声で言わないでください!」
 慌ててツッコむアイムの恥じらう表情も、残念ながらマスクの下。
「えぇぇいうるさい! 貴様等の首は俺様が獲る! 全軍突撃ィィ!」
 行動隊長(エビ風味)の号令一下、地響きのような音とともに、ビルの中からおびただしい数のゴーミンが雪崩れ出る。
「どぅわっ! 何これ、多っ! ウザっ!」
 動揺するような素振りを見せたのは一瞬、ルカはすぐに体勢を整え、柄に仕込まれたワイヤーで、剣を振り回す。死角から高速で飛んでくる刃が、雑兵達を次々と餌食にしてゆく。
「・・・ゴキブリ・・・みたい、ですね」
 呟いて、アイムは再び銃を撃ちまくる。
 しかし、二人が軽口を叩いていられたのはそこまで。幾ら斬っても撃っても、ゴーミン達は次々に押し寄せる。
「だぁっ! もう! 邪魔!」
 足許に転がったゴーミン達が、足捌きの邪魔をする。ルカは隠しきれない苛立ちを吐き捨てた。
 アイムは殆ど無駄弾を撃つことなく、押し寄せる兵が近付くより先にことごとく倒してゆく。楽に戦いを運んでいるように見えるが、その実、撃つ度に跳ね返る銃の反動は決して小さくない。食いしばった奥歯がぎし、と軋んだ。
 そして、疲労は狙いを甘くする。
 銃弾を逃れたゴーミン達が彼女に迫った。
「スゴッ!」
 間抜けな声を上げ、金属の棍を一斉に、彼女に向かって振り下ろす。
「!」
 アイムは間一髪で振り下ろされた棍をかわした。
 地面を転がり、すぐに体勢を整え、至近距離で敵に銃弾を撃ち込み、
「はっ!」
 それでも駆逐しきれなかった兵を、足払いで蹴散らす。
 しかし、相手の数が圧倒的ならば、一度均衡を破られてしまえばあとはジリ貧。瞬く間に、周囲を囲まれた。飛び道具が有利なのは、彼我の距離が大きい場合の話。接近を許しては、為す術がない。
「っ―――!」
「アイムっ!?」
 ルカが振り返った。ワイヤーが唸り、アイムに群がっていたゴーミン達が刃に弾かれ、吹き飛ぶ。
 アイムに気を取られた瞬間、ルカに隙が生まれた。
 ゴーミンの振りかざした棍が、横薙ぎに彼女を襲う。
「づぁっ!」
 咄嗟に受けた左腕が軋み、激痛が走った。軽量な体が、弾き飛ばされる。
「ルカさん!」
 何とか受け身を取って地面を転がり、体勢を整えかけてがっくりと膝をつくルカ。アイムは一瞬、駆け寄りたい衝動に駆られたが、再び押し寄せるゴーミンの群れに気付いて銃を構え直した。
  ごごごごごごっ!
 不意に、彼女のものではない銃声が響いて、ゴーミン達がばたばたと倒れた。
「憤っ!」
「うりゃうりゃうりゃぁぁぁぁーーー!」
 続いて、二人の頭上を、静かな人影と騒がしい人影が跳び越え、敵の只中に舞い降りる。
「おう。随分派手にやってるじゃねーか」
 二人の背後から、マーベラスのふてぶてしい声がして。
「お待たせー・・・って、うわ、凄いねこれ・・・全部、二人で?」
 地べたに転がった無数のゴーミン達を見て、感心したように、ハカセ。
「〜〜! あんた達来るのおっそい! すっごい大変だったんだから、もう!」
 緊張の糸が切れたルカは、地べたに座り込んで駄々っ子のように足をばたつかせた。
「だろうな」
 ふ、と笑って、マーベラス。
「・・・ありがとうございました」
 アイムは姿勢を正して軽く頭を垂れた。
「まだ、やれるか?」
 マーベラスの問いに、アイムはちら、とルカの方を窺い見る。
「んあー・・・やれないことはないけどさ、キリないじゃん? あいつら」
 いくらでも出てくるんだもん、と、ルカは右肩を軽く竦めながら言った。
「雑魚はどうでもいい。親玉はどいつだ」
「あれです」
 剣でとんとんと肩を叩きながら問うマーベラスに、アイムはジョーと鎧とゴーミン達の乱戦の向こうに見え隠れする、伊勢エビの頭を指さした。
「は、なんだありゃ。旨そうな奴だな」
「あっは。アイムとおんなじこと言ってるし」
「・・・・・・。」
 揶揄うように笑うルカに、アイムは沈黙で応えた。表情は、残念ながらマスクに隠れて見えない。
「あいつを叩きゃ、雑魚どもも引き揚げるだろう。行くぜ!」
「はいっ」
「OK!」
 ―――マーベラス登場から、行動隊長(エビ風味)粉砕まで、所要時間約四分半。


「鎧! がーいーー!」
 戦闘を終え、皆で帰途につこうという段になって、ルカは鎧を呼びつけた。
「はい! 何すかルカさん!」
 威勢よく応えて駆け寄る鎧。まるで姐さんと舎弟である。
「これ、持って帰って」
 ルカは斜に立ち、先刻二人で道端に置いた買い出しの荷物を、右手の親指でくいくいと指しながらそう言い放った。
「どえっ!?」
「何よ」
「・・・いえっ、何でもないっす! 運ばせていただきまっす!」
 鎧は荷物の多さに驚いたが、荷物を運ぶ労力とルカの機嫌を損ねた時の面倒臭さを瞬時に天秤に掛けると、すぐに姿勢を正して最敬礼でそう答えた。
「ん、さんきゅ。・・・アイム、帰ろ?」
 ルカが満足げに頷いて振り返ると、アイムは浮かない表情で立ち尽くしている。
「アイム?」
 そして、ルカが首を傾げると、
「ルカさん・・・申し訳ありませんでした」
 そう言って、目を伏せた。
「何が?」
 僅かに眉を顰めて、ルカ。
「・・・わたくしが、不甲斐ない所為で・・・」
「は? 何言ってんの」
 突っ慳貪に言うルカに、アイムは静かに歩み寄ると、だらりと下げられたその左手を取った。
「、っ―――」
 不意に走る痛みに、ルカは思わず息を呑む。
「・・・あの時。わたくしがゴーミンに囲まれさえしなければ、ルカさんにお怪我などさせずに済みましたのに―――」
「別に、あんたの所為じゃないよ。あたしがヘマやらかした、ってだけで」
 苦しげな表情で目を伏せたアイムに、ルカは溜息混じりに、殊更つまらなさそうに言う。
「大体、大袈裟なのよアイムは。こんなん平気だって」
「・・・嘘」
 アイムは、ルカの左手をゆっくりと持ち上げた。ルカは相変わらず不機嫌そうな表情で眉一つ動かさないが、僅かに呼吸が乱れるのをアイムは見逃さない。
「こちらの、腕。先ほどから、殆ど動かしていらっしゃいません」
「んん、そりゃ、ま、痛くない、っつったら、嘘になるけど・・・だぁっ! もう! わかりました正直に言います痛いです結構っつかかなり痛いです! だからそんな顔しないでよ!」
 それでも何とか誤魔化そうと頑張っていたルカだが、とうとう観念して、半ばやけのように白状した。
 アイムは押し黙ったまま、ルカの左手を握り締め、俯いている。
「〜〜〜っ! じゃああたしにどうしろっつーのさ!?」
 ルカがついに苛立ちを露わにした。
 ―――最初から、お世辞にも抑えていたとは言い難かったが。
「・・・戦いの最中は・・・わたくしに、構わないでください」
 沈黙のあと、アイムが重い口を開いた。微かに、声が震える。
「助けていただいておきながら、このようなことを申し上げるのは、心苦しいのですが・・・わたくしのために、ルカさんが傷つくのは―――」
「はぁ? んじゃ、何? あんたのことに構ってたらヘマするに決まってる、って? あたしそんなに当てになんないわけ?」
「っ、そういうつもりで申し上げているのではありません!」
 次第にルカの物言いが刺々しさを帯び、釣られてアイムも語気を強めた。
「そうじゃん!」
「違います!」
「ああもう! 別にあんたのためにやってる訳じゃなくて! あたしがそうしたいからやってんの! いいじゃん別に! あたしがあたしの為にやってることに文句つけないでくれる!?」
 押し問答の末に、ルカは感情のままにそう言い放って。
「っ―――」
 返す言葉に詰まってしまったアイムの表情に、自分の言い過ぎを悟った。
「・・・あーもう! この話はもうお終い! 帰るよ!」
 けれど今更あとに退くこともできず、ルカは立ち尽くす彼女の肩を軽く叩いて、さっさと歩き出した。
 ―――結局、ガレオンに着くまで一度も後ろを振り返ることなく。

*       *       *

 翌日。
「ドンさん、ドンさん。ドーーーンさん」
「何だよ、うるさいな・・・そんなに何度も呼ばなくても聞こえてるから」
 マーベラス率いる海賊団は、六人揃って街を歩いていた。目指すは、「回る寿司屋」。初めての場所を訪れる時は地球(日本)のネイティブである鎧が道案内をするのが常だが、回る寿司屋はもう数回目とあって、マーベラスが張り切って先頭を歩いている。続いてジョー、その後ろを女子二人が歩いているのだが。
「ルカさんとアイムさん・・・何かあったんすか?」
 その二人の様子を更に後ろから見て、鎧は首を傾げている。
「は?」
 問われたハカセは、面倒臭そうに眉を顰めた。
「ほら。お二人はいつも、見てるこっちがこっ恥ずかしくなるくらいラヴラヴイチャイチャなのに。今日はこう、微妙な距離感があるっていうか」
「ああ、そういえば、今朝から、ってか、ゆうべからほとんど喋ってないね、あの二人・・・ま、いくら仲良くたって、たまには喧嘩くらいするんじゃない? アイムはともかく、ルカはあんな性格だし」
  すこーーーん!
「あいたっ!」
 正面から飛んできた団扇のプラスチックの柄が、ハカセの額を直撃する。つい今し方渡ってきた交差点で配られていた、新築マンションの広告が入った団扇である。
「全部モロ聞こえよ! こんな性格で悪かったわね!」
 前を歩いていたルカが振り返り、ハカセに向かって悪態をつく。
「・・・ほら、ね」
 言うだけ言って、踵を返してすたすたと歩いていくルカの後ろ姿を見送りつつ、歩道に落ちた団扇を拾いあげて、鎧が首を傾げた。
「いつもならここで、『ったく、失礼しちゃう。ねえ、アイム?』ってルカさんがアイムさんに振って、アイムさんが『もう、ルカさんったら。ダメですよ、道にゴミを投げ捨てちゃ』とか言って、ビミョーなツッコミってか返事するところでしょ?」
「や、物真似までしなくていいから、そこ」
 肩をすぼめ、くねくねとしなを作って裏声で喋る鎧に、ハカセは眉を顰める。
「いやほんと。珍しいっすね」
 ハカセの冷たい反応にもめげず、鎧は拾った団扇を片手で弄びながら、平行線のように真っ直ぐ前を向いて歩いていく二人の後ろ姿を見た。


「うわぁぁぁぁーーーー!」「きゃぁー!」
 ランチタイムの繁華街に、人々の悲鳴が響き渡る。
「うぇ。このパターンって」
 ハカセが心底うんざりしたように呟いた。
 逃げ惑う人の波が通り過ぎれば、目の前に広がるのは、ザンギャックの狼藉三昧の光景。ゴーミン達が通りの両側に並ぶ店舗という店舗を打ち壊して回り、
「ぐわっははは! 戦の基本は敵の物資、特に食料の供給を絶つことなり!」
 道の真ん中で、仁王立ちで哄笑する異形。
 勿論、一行が目指してやって来た回転寿司屋も、無惨に打ち壊されている。
「・・・てめぇら! 何しやがる!」
 マーベラスの憤怒の声が、異形の指揮官を振り向かせる。その姿は、どこか地球の蟹、それも高級食材のそれを思わせた。
「むむっ、海賊共! もう嗅ぎつけて来たか、意地汚い奴らめ!」
「食い意地張ってんのは否定しないけど。なんか、あーいう奴に言われるとすっごいムカつくんだよねぇ」
 斜に立ち、眉間に皺を寄せて、ルカ。
「昨日はエビで、今日はカニ・・・何? ザンギャックって海産物キャンペーン中とか・・・?」
 同じく眉間に皺を寄せて、ハカセ。ただし、少し腰が引けている所がルカとは若干違う。
「ンの野郎、俺等のメシの邪魔するたぁ、いい度胸だな・・・派手にいくぜ!」
 食い意地にかけても群を抜くリーダーのマーベラスが、憤怒の形相で戦いの狼煙を上げた。力を解放する『鍵』によって、海賊達は戦士へと姿を変える。
「海賊風情が偉そうな口を! 目にもの見せてくれるわ! 全軍突撃!」
 指揮官の号令一下、街で暴れ回っていた雑兵達が一斉に襲いかかれば、辺りはたちまち混戦状態となった。
「アイ―――」
 得物を手にルカが振り向くと、アイムはすでに両手に銃を構えていた。
 彼女の剣は、ジョーが持っている。
「ちっ・・・ハカセ! 剣ちょうだい!」
「何で舌打ち!? 嫌なら僕は別に―――あいたっ!」
 ハカセの非難を遮るように、ルカの銃がハカセの顔面めがけて飛んで来た。マスクがなければ鼻血ものである。
「敵が目の前に居んのにつべこべ言わない!」
 ルカはつかつかとハカセの元に歩いてくると、彼の落とした剣を拾い上げ、押し寄せる敵の群れに飛び込んで行った。
「ここまで歩いてくるんだったら投げないでいーじゃん! もう・・・うわ!」
 ルカの背中に抗議の声を浴びせつつ、ハカセは向かってくる敵をめがけて二丁拳銃を撃ちまくる。
「はぁっ!」
 両手の剣を振り回して、ルカはゴーミン達を一気に蹴散らした。相手を幻惑するような動きは舞を舞っているようで、同じ二刀使いでも、少しも無駄のないジョーの動きとは随分異なる。
「どぉぉっっせぇーーーいっ!」
 鎧はスピアを大きく振りかぶり、迫り来る雑兵の群れに横薙ぎに叩き込んだ。
「うりゃぁっ!」
 槍を返して、もう一振り。力任せに得物を振り回しているだけのように見えて、その実無駄や隙が殆どない。
「いい気になるな海賊ぅぅぅゥゥゥ!」
 ただならぬ気配に、鎧は背後を振り返り、槍を構えた。
 同時に、強い衝撃が来る。
  がっっ!
 質量の大きな、硬質の何か―――ハンマーのようなもので横薙ぎに打たれたような衝撃。
「づぁっ!」
 鎧の体が弾き飛ばされた。咄嗟に構えた槍でガードしていなければ、大ダメージを受けていたであろう。衝撃の正体は、異形―――蟹の姿をした敵の、腕。鋏のような形をしているが、節くれ立ち、先が大きく膨らみ、鋏というよりは巨大なハンマーである。
「うはは! 覚悟しろ海賊! 一人残らず殴り倒してくれる!」
 何より特筆すべきは、その速さだった。鈍重そうな見た目からは想像もつかない俊敏さで、一瞬で間合いを詰めてくる。
「っ! 何あれ! 速っ!」
 蟹男は、驚き狼狽えるハカセを一瞥したかと思うと。
 正面から、一気に間合いを詰めた。
「・・・わぁぁっ!」
 巨大な蟹の鋏に打たれ、ハカセも吹き飛んだ。尻餅をついて地面を転がる姿は無様だったが、突如目の前に現れた異貌に驚き大袈裟に跳び退いた分、ダメージはあまり大きくない。臆病が幸いして難を逃れた、といったところだ。
「うはは! 他愛もない!」
 蟹男が振り返る。
 その視線の先には、ルカの背中。
「―――」
 反射的に、声を上げるより先に、アイムは地面を蹴った。
 押し寄せるゴーミンを次々に屠るルカの、背面はノーガード。
 ルカまでの距離は、アイムの方が近い。
 瞬発的なスピードは、敵の方が上。
 遅れて気付いたルカが、振り向く。
「!?」
 全力疾走の勢いそのままに、アイムがルカを突き飛ばした。
 次の瞬間、鈍い音がして。
「っ!」
 アイムの体が宙を舞った。変身が解け、白いスカートが翻る。投げ捨てられた人形のように、受け身も取れないまま固いアスファルトに墜落し、バウンドし、転がり、止まった。
「アイムっっっ!!」
 悲愴な声を上げて、彼女の元へと、ルカが駆け出す。
「馬鹿め―――!」
  ぎぢっっ!
 追撃しようとした蟹男の行く手に、ジョーが立ち塞がった。金属の激しく擦れ合うような音をたて、蟹男の鋏とジョーの剣がぶつかり合い、鍔迫り合う。蟹男は人ならざるものの怪力で押してくるが、ジョーは一歩も退かない。
「くっ!」
 たまらず退いたのは蟹男。俊敏な動きで、一気にジョーの間合いの外まで跳び退いた―――つもりだった、が。
  ぢっっ!
「ぬぉっ!?」
 ジョーとの間合いは一向に広がらない。再び、鋭い摩擦音が響く。
「―――その程度の動きで、俺を振り切れると思ったか」
「ぬぅっ・・・!」
 再び蟹男が跳んだ。
 その動きよりもなお速く、ジョーの双剣が閃き、
  がづっっ!
「ぐぉあっっ!」
 蟹男の体から、巨大な鋏が千切れ飛ぶ。
「―――笑止」
 再び白刃が閃き、蟹男の断末魔の声が響いた。


「アイム! しっかりして! アイム!」
 ヒステリックに叫びながら、ルカはアスファルトにうつ伏せた彼女を抱き起こした。地面を転がった際にできた擦り傷を除けば目立った外傷はなかったが、アイムは気を失ったまま目を覚ます気配はない。
「アイム! ちょ、アイムってば!」
「あぁあ、ルカ! 駄目だよ! そんなに揺すっちゃ!」
 背後からハカセがルカを制止するが、ルカは全く聞く耳を持たない。
「―――落ち着け!ルカ!」
 変身を解いたジョーが目の前に屈み、鋭く一喝すると、ルカは雷にでも打たれたようにびくり、と肩を震わせ、動きを止め。
「負傷者を揺するんじゃない。頭を強打しているなら尚更だ。それから変身を解け。その恰好じゃ目立って仕様がない・・・とりあえず、ガレオンに連れて帰るぞ」
 そして更に強い口調で畳み掛けられると、驚くほど素直に言うことを聞いた。変身が解けると、不安げな表情が露わになる。そして、ジョーが気を失ったままのアイムを抱き上げ歩き出すと、虚ろな視線を泳がせながら、黙ってその後ろに従い歩き出した。

*       *       *

  KNOCK-KNOCK
 ハカセは、アイムの部屋のドアを軽くノックすると、部屋の主の返事を待つことなくそっとドアを開けた。街中でザンギャックに遭遇したのが、昼時。そして現在、日没を過ぎて夕餉時。部屋の主は、いまだ意識が戻らないままベッドに横たわっている。
「・・・ルカ・・・ナビィ?」
 ハカセは、この部屋の主ではなく、彼女にずっと付き添っているルカと、彼女の容態をモニターし続けているナビィの名を呼んだ。おずおずと部屋に足を踏み入れるハカセに続いて、ジョーとマーベラス、鎧が入ってくる。
「・・・どう?」
「・・・・・・」
「脳出血、確認セズ。内臓損傷、確認セズ。肋骨ニ複数ノ損傷ヲ確認。四肢ニ打撲ニヨル軽度ノ皮下出血ヲ確認。ドチラモ生命維持ニ支障ナシ。呼吸数、心拍数、トモニ安定。脳波、異常ナシ。意識れべるハぜろ・・・コンナ感ジ、ダヨ!」
 無言のルカに代わって、ナビィがつらつらと答える。
「そっか・・・とりあえず、脳に異常がないなら、一安心だけど・・・ぉっ!?」
「何が一安心よ!」
 じっと黙ったまま、うずくまるように座っていたルカが、突然勢いよく椅子を蹴飛ばして立ち上がるが速いか、ハカセの胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
「アイムの意識がまだ戻んないのに安心とか言ってんじゃないわよ!」
「やっ、ひとあんしんってのはまだ完全に安心できないけどとりあえず異常がないのが分かってそれだけは安心だねってこと・・・ぐぇ」
「異常ないなら何で目ェ覚まさないのよ!」
「知らないよ! 人体は専門外なんだから! そんなこと僕に訊かないで!」
 殆どヒステリーのように食ってかかるルカに、ハカセも声を荒げる。
「そんなことって何よ!」
「いい加減にしやがれ!」
 マーベラスはルカの襟首を掴んでハカセから引き剥がすと、そのまま彼女をドアの外に投げ飛ばした。ルカは廊下の壁にしたたかに頭と背中を打ち付け、床に崩れ落ちる。
「いっ!?」
 突然の展開に驚いた鎧が、頓狂な声を上げた。ジョーは眉一つ動かさず、胸の前で腕組みをしたまま、騒ぎの張本人たちを一瞥しただけで黙っている。ハカセは軽く咳き込んで、ルカに引っ張られて締まり過ぎたネクタイを緩めた。
「いったぁ・・・ちょっと! あにすんのよこの糞バカマーベラス!」
「馬鹿はてめぇだ! てめぇだけがアイムの心配してると思ってんじゃねぇぞ! ちっと頭ぁ冷やしやがれ!」
 すぐに立ち上がり、殴りかかってくるルカの拳をいなし、マーベラスはその横面に拳を叩き込んだ。ルカの体が再び床に転がる。
「どあっ!? ちょ、マ、マーベラスさん!?」
 慌てて止めに入ろうとする鎧を、ハカセが制止した。
「ちょ、ドンさん! 何で止めるんすか!」
「・・・無理だよ。こうなったら、気が済むまでやらせるしかないんだ」
「無理って、そんな―――ジョーさん! 何とかしてくださいよ!」
「構わん。やらせておけ」
 涼しい顔で、ジョー。
「ジョーさんまで・・・! ちょ、一体何なんすか皆さん!」
 苛立ちを押さえきれない鎧が、声を荒げた。
「大丈夫だ。あいつらもそれなりに加減は知っている」
「そういう問題じゃないっしょ! 仲間同士でこんな! しかもルカさん一応女の子―――」
「づぁっ!」
 納得がいかない、という風な鎧の抗議を遮るように、マーベラスが悲鳴とも呻き声ともつかない声を上げた。
「・・・くっそ、急所狙いたぁ・・・卑怯だぞ・・・」
「は。喧嘩に卑怯もへったくれもないよ」
 見れば、股間を押さえてうずくまるマーベラスを、口の端に血を滲ませたルカが仁王立ちで睨み下ろしている。
「・・・『一応』ね」
 ハカセは溜息混じりにそう言って、唖然とする鎧の肩をぽん、と叩いた。
「ルカってさ、普段は荷物持てとかサービスしろとか、とことんレディーファーストを要求するけど、こういう時は、女の子扱いされるの凄く嫌うんだ」
「はぁ・・・」
 鎧の目の前で、今度は呻くマーベラスに蹴りを入れようとしたルカの足を、マーベラスが掴んで思い切り掬い上げた。ルカは派手に転んで、背中を床にしたたかに打ち付ける。
「・・・それに、ね。こんなの、特に珍しいことじゃないんだ。前はいつもこんな感じだったし」
 ルカの胸倉を掴んで睨み付けるマーベラスの、一瞬の油断をついて、ルカが強烈な頭突きを食らわせる。
「あの、ドンさん、前、っていうのは」
 廊下で繰り広げられる乱闘に眉を顰めながら、鎧はハカセの言葉に首を傾げた。
「アイムが仲間になる前。あの頃は、ちょっと何か気に入らないことがあると、すぐこんな風に殴り合いの喧嘩になってさ。それが日常茶飯事で」
 はー、懐かしいな、このノリ。
 などと、呑気に郷愁に浸るハカセ。廊下では、どすん、ばたん、と破壊的な音が続いている。
「はぁ・・・」
「アイムがこの船に来てからだよ。こんな風に喧嘩しなくなったのは」
 まだ事態に頭の方がついていけていない風の鎧をよそに、ハカセは話を続けた。
「アイムがいるとね、不思議と、みんな落ち着くんだ。些細なことでいきり立ったり、いがみ合ったりするのが馬鹿馬鹿しくなる、っていうか・・・たぶん、カリスマなんだと思う。マーベラスとはまた、違ったタイプの」
「あ・・・それって、なんとなく、わかる気がします」
 鎧は感心したように頷いた。
「もしファミーユ王国が復活したとしたら、アイムなら、きっといい女王様になると思うよ。アイムの治める国なら、僕も住んでみたい・・・かな」
「ハカセ!」
 廊下で呼ぶ声に鎧とハカセが振り向くと、仁王立ちのマーベラスが鼻血を流していた。その足許に、ルカが横たわっている。ぴくりとも動かないところを見ると、完全に気を失っているようだ。
「メシだ、メシ! 何か食わせろ!」
 マーベラスはそう言って、上着を翻してリビングに向かって歩き出した。
「あー、うん! ・・・ごめん、鎧。ルカの方、お願いしてもいいかな」
 ハカセはそう答えて、また盛大に溜息をつきながら、鎧に向かって心底申し訳なさそうにそう言った。
「部屋に連れてって、ベッドに転がしておけばいいから」
「はいっ!・・・ってぇぇ!? そんな雑な!?」
 一旦びしっと敬礼で答えた鎧だったが、ハカセの指示に思わずそう突っ込む。
「んー、まあ、顔を濡れタオルで冷やしてあげるくらいは、してもいいと思うけど。余計なことしてうっかり起こしたりしたら、たぶんもの凄い八つ当たりされるから」
 ―――くれぐれも気をつけて。
 そう言うハカセは、少し遠い目をしていた。


「・・・ねぇ、ジョー」
 ルカを抱えて部屋を出て行く鎧を見送って、ハカセはぽつりと呟くように言った。
「何だ」
「もしも、だよ? ・・・もしも、アイムがこのまま目を覚まさなかったら。僕たち、どうなっちゃうんだろうね」
 その問いに、ジョーは黙したまま、答えなかった。

*       *       *

「ジョー」
 前日の騒動から一夜明け。
 ハカセが一人で取り仕切る厨房、四人で囲む殺伐とした食卓。いつもとは違う朝のひとときを終え、ガレオンのデッキで一人黙々とトレーニングに励むジョーの元に、ルカがやって来た。
「何だ」
 ジョーはスクワットを続けながら、素っ気なく答える。
「剣の稽古、つけてくんない?」
 ルカはいつになく真剣な面持ちで、右手には、愛用のサーベル。
 左の頬が、まだ少し腫れている。
「・・・本気か」
 ジョーの口調に、軽い驚きが混じる。
「勿論」
「俺とはスタイルが違い過ぎて参考にならん、とか言ってなかったか」
「あー、うん、確かに、言ってたけどさ」
 ルカは少し跋が悪そうに髪をかき上げた。
「この際、なりふり構ってらんないんだよね。今よりちょっとでも強くなれるんなら、何でもする」
「・・・そういうことか」
 ジョーはスクワットを止め、ルカの方に向き直った。頭一つ分下から見上げる瞳は、まるでこれから親の仇でも討ち行くかのように鋭い光を放っている。
「・・・まったく。お前らは」
 ジョーは軽く溜息をついた。
「揃いも揃って、同じ目をして、同じ事を言う癖に、噛み合っていない・・・いや、同じだから、噛み合わないのか」
「は? 何それ」
 ルカは眉を顰める。
「お前らって誰のことよ。噛み合うとか噛み合わないって何」
「お前と、アイムのことだ」
「はぁ?」
 ルカの機嫌が一気に悪くなる。
「何でそこでアイムが出てくるわけ? ってか噛み合ってないって何」
「あの日―――お前が怪我して、アイムと喧嘩した日」
 睨み上げる剣呑な視線にも動じることなく、淡々と、ジョー。
「アイムが、俺の所を訪ねてきた」

 夜更けの、人気のないリビング。
「ジョーさん」
 名を呼ばれて、ジョーは長い脚をソファに投げ出したまま、読みかけの本から顔を上げた。無論、声の主が廊下を歩いている時から気配は感じていたのだが、声を掛けられるまではだんまりを決め込もうと思っていた。
「こちらに、いらっしゃったのですね」
 アイムはゆっくりとした足取りで静かにジョーの元へ歩み寄ると、柔らかなソプラノでそう言った。
「お部屋の方にお声を掛けたのですが、いらっしゃらなかったので」
「? 何か、急用か、深刻な話か」
 ジョーは本を閉じると、ソファから足を下ろして座り直した。いくら相手が気の置けない仲間とはいえ、彼女は夜更けに男の部屋を訪ねるようなことを軽々しくする女ではない。
「そう、ですね・・・少なくとも、わたくしにとっては、十分に」
 アイムは穏やかに、少し冗談めかして答えた。
「実は。銃を、暫く貸していただきたく、お願いに上がりました」
「銃?」
 彼女の意図が読めず、少し困惑したようにジョー。
「一体、何をする気だ」
「少々、鍛錬を、と思いまして。わたくしが不甲斐なくては、皆さんにご迷惑をおかけしますから―――現に今日も、わたくしの所為で、ルカさんにお怪我をさせてしまいましたし」
 答えるアイムの声音に、思い詰めたような色が滲む。
「・・・あまり、そう自分を責めるな。お前は十分よくやっているし、焦ったところで、一朝一夕に強くなれるものでもない」
「ご助言、痛み入ります・・・ですが」
 少し苦い表情で言うジョーに、アイムは軽く頭を垂れて、
「今より少しでも強くなれるのであれば、どんなことでもしたいのです。苦労は厭いません」
 意志を込めた瞳で、そう言い切った。
「・・・まあ、いい」
 ジョーは軽く肩を竦め、銃を取り出した。
「持って行け。俺は銃はあまり使わんから、暫くは持っていていい。ただし、オーバーワークには気をつけろ。訓練どころか、逆効果だからな」
「ありがとうございます。ご助言、肝に命じます」
 有り難く使わせていただきます、と、アイムはいつもの調子で慇懃に礼を述べ、差し出された銃を両手で受け取った。
「・・・ルカは。このことを知ってるのか」
 口元で両手を組み、ジョーが尋ねる。
「・・・わたくしがこのようなことをするのを、ルカさんは、おそらくご不快に思われるでしょうから」
 答えてアイムは軽く目を伏せ、苦笑する。“ご不快”なルカの反応が容易に想像されて、ジョーも思わず苦笑した。
「ふん・・・なら、あいつには黙っておくことにする」
「ありがとうございます」
 ジョーがそう告げると、アイムは安心したように微笑んだ。

「・・・何それ」
 愕然とした表情で、ルカはぽつりと呟いた。
「あたし、そんなの聞いてないし」
「当たり前だ。言ってないんだからな」
「・・・・・・なんで」
「お前が『ご不快』に思うからだろう」
 腑に落ちない、という風に零すルカに、半ば呆れたように、ジョー。
「こんな、今更なんだけど、みたいに知らされる方がよっぽどご不快よ! なんで教えてくんなかったのよ!」
 ルカが声を荒げて噛みつく。
「アイムが隠しておきたがっていることを、俺が勝手に言えるか」
「じゃ何で今言うのよ! 今言うくらいならもっと早く教えてくれたって良かったんじゃん!」
「・・・お前が、あんまり馬鹿で鈍感だからな」
 長い前髪を掻き上げながら、ジョーはまた溜息をついた。
「とても黙って見ちゃいられん。だからお節介をしたくなった」
「はぁあ!? 誰が馬鹿よ! あたしのどこが鈍感―――」
「・・・まだ分からんか」
 ぴくり、とジョーは眉を顰めた。気圧されたルカが、口をつぐむ。
「言った筈だ。お前もアイムも、揃って同じ目をして、同じ事を言う、とな。大事なものを守りたいと思ったり、不甲斐ない自分を責めたりするのは、なにもお前だけじゃない」
「・・・あ・・・」
 ルカは言葉を喉に詰まらせた。いきなり冷水を浴びせられたように、頭に昇った血の気が一気に引いてゆく。
「今お前が感じている苛立ちや怒りや、不安。それと同じものを、お前はアイムに与え続けていた。そして、この期に及んでもまだそのことに気付かない。馬鹿で鈍感以外の何者でもなかろう」
 淡々と告げられるジョーの言葉のひとつひとつが胸に突き刺さり、ルカは何も言えず、ただ呆然と立ち尽くすより他に術もなく。
「・・・分かったなら行け。そんな呆けた状態で剣を振り回せば、怪我をするのがオチだ。そうなれば、アイムの努力が無駄になるからな」
 とどめのようにそう突き放されて、ルカはすごすごとデッキを降りるより他になかった。

*       *       *

  KNOCK-KNOCK
 ルカは、アイムの部屋のドアを軽くノックした。
 返事は、ない。部屋の主はまだ、眠り続けている。
 ルカは静かにノブを捻り、内開きのドアを押し開けた。淡い照明の光に満たされた部屋はきちんと整頓されていたが、ベッドサイドの一角だけは、アイムの怪我の手当に使われた救急用品が散らかったまま。
 そして、ベッドに横たわる彼女の枕元に、爛々と輝く光が二つ。
「ナビィ」
 ルカが呼びかけると、光は応えるように明滅した。
「ありがと、ね。アイムのこと、ずっと見ててくれて」
 歩み寄ったルカがその頭を撫でると、ナビィは応えるように小さく翼をはためかせた。
「ばいたるハ正常、ドコモ悪クナイヨ」
 その足許に目を落とせば、そこにはアイムの寝顔。柔らかく閉じられた瞼と唇、穏やかに上下するブランケットの胸。
「ほんと。よく眠ってる・・・今にも、目ぇ覚ましそうなのに。なんで、起きないんだろうね」
「ナンデダロウネ」
 ナビィの鸚鵡返しを聞き流しつつ、ルカは手櫛で梳くように、アイムの額にかかる前髪をかき上げた。
『王子様がそっと口づけると、姫は永い眠りから目を覚ましました』
 アイムが教えてくれた、この星のお伽話をふと、思い出す。鬱蒼とした茨の森の奥、魔女の呪いで永遠の眠りについてしまったお姫様が、魔物を退治した王子様のキスで目覚めるお話。
 ―――確か、毒リンゴを食べて倒れちゃったお姫様も、王子のキスで目を覚ましたんだっけ?
 心の片隅に淡い期待を抱きつつ、ルカはベッドの上に屈み込んで、眠るアイムの唇にそっと口づけを落とした。
 唇を離して、じっと見つめれば、微かに、けれど規則正しく聞こえる寝息。
 目を覚ましそうな気配は、なくて。
「・・・ダメ、か。やっぱ・・・そうだよね」
 ルカは自嘲するように呟いた。
 ―――あたしは、王子様なんかじゃない。
 ナイト気取りで粋がってみても、アイムを守るどころか自分がヘマをしてあべこべに心配されて、その上逆ギレしてまた彼女を悲しませる始末。
 “あたしが守ってやる”なんて。
 “アイムはあたしが傍についてなきゃダメ”なんて。
「・・・アイム」
 そんな子どもっぽい思い上がりが、どれだけ彼女を苦しめていたか。
「早く、起きて。『ごめん』って、言わせてよ・・・」
 こんなことになって、マーベラスに殴られて、ジョーに説教されて、やっと気付くなんて。
「ほんとは、アイムが傍にいてくれなきゃダメなのは、あたしの方なのに・・・」
「ルカ?」
 ナビィがきょろ、と首を傾げた。
「泣イテルノ?」
「っ、ばっ! 誰が―――」
 反射的に乱暴な口調で言いかけて、ルカははたと我に返る。
 ―――だから。こういうガキっぽい強がりがダメなんだってば。
「・・・や・・・うん」
 自分の弱さを、素直に認めてしまえば、
「ちょっと、ね」
 少しは、強くなれるだろうか。
「ダイジョウブダヨ! アイムハ強イコダカラ、キット目ヲ覚マスヨ!」
「・・・そ、だね」
 翼を広げて力説するナビィの頭を軽く撫でて、微笑むルカ。
「アイムは、強いコだから、か。・・・あたしよか、ナビィの方がよくわかってんじゃん? アイムのこと」
 自分が何も見えていないことを認めてしまえば、少しは、周りがよく見えるようになるだろうか。
「エヘヘー。ソリャマァ、ネ!」
 得意げにふんぞり返るナビィに思わず笑みを零して、ルカはベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
「ね、ナビィ。あたしも暫く、ここにいていい?」
「イイヨ。目ガ覚メタ時、ルカガイタ方ガ、アイムモキット喜ブヨ」
「ん・・・だと、いいな」
 たとえ、アイムが喜んでくれなかったとしても。
 どうしても、伝えなければいけないことがある。
 ルカは半ば沙汰を待つ咎人のような心持ちで、いつ目覚めるとも知れないアイムの目覚めを待った。


「起キテ! ルカ! 起キテ! ルーーーカーーー!」
 頭をごつごつと固いもので小突かれる痛みで、ルカは目を覚ます。いつのまにか、椅子に腰掛けたまま、アイムのベッドに突っ伏して眠ってしまったらしい。
「っっっ! だっ!? ちょ、ナビィ! 痛っ!」
「アイムガーーー! アイムガ目ヲ覚マスヨ!」
 寝起きの苛々も思い切り突っつかれた怒りも、ナビィのその一言で全部が吹っ飛ぶ。ベッドに目をやれば、上掛けの中で彼女が僅かに身じろぐのが分かった。
「アイム」
 静かに名を呼べば、瞼が小さく震え、そしてゆっくりと開いて。
「・・・アイム」
「・・・・・・ルカ、さん・・・?」
 目が合えば、その顔にじわりと微笑みが浮かぶ。
「オイラ、ミンナニ知ラセテク・・・フギャッ!?」
 そう言って部屋を飛び出そうとするナビィの足を、ルカが掴んで引き留めた。
「ごめ、ナビィ! 悪いけど、あいつら呼ぶのちょっと待ってくんない?」
 ―――少し、二人だけで話したいんだよね。
 ルカがそう言うと、ナビィは金属の体で目一杯ふんぞり返って、ジャア、チョットダケダヨ、と勿体付けてみせる。その様子に小さく笑いつつ、ルカは再びアイムの顔を覗き込んだ。
「・・・わたくしは、いったい・・・」
「アイム。怪我したの、憶えてる? でっかい毛ガニみたいなやつに、ド派手にぶっ飛ばされて」
 問われて、アイムは暫し瞑目し、
「・・・いま、思い出しました」
 面目ありません、と苦笑するアイムの頬を、ルカは両手で包み込み、その顔を覗き込んだ。
「ほんとに・・・心配、したよ。すごく」
「・・・すみません」
 弱々しく答えるアイムに、首を振るルカ。
「謝んなきゃいけないのは、あたしの方。あたし、アイムに謝りたいこと、いっぱいあるんだ。とりあえず、この怪我のこととか・・・あたしがもっとしっかりしてたら、アイムが怪我することなんてなかったのに、って、申し訳なくて、悔しくて、さ」
 今度はアイムが、首を小さく横に振る。
「・・・アイムが、眠ってる間」
 ルカは言葉を続け。
「このまま目を覚まさなかったらどうしよう、とか。目覚めたとしても、もしかしたら次はもっと酷い怪我するかもしんない、とか。この先もこんなこと続けてたら、いつか、ほんとに・・・何ていうか、取り返しのつかないことになるんじゃないか、とか。そんなことばっか、考えて、不安で、仕方なくて」
 深い呼吸をひとつ、継いで。
「ごめんね。こんな辛い思いを、あたし、今までずっと、アイムに。させてきたんだよね?」
 そうして、ゆっくりと、噛みしめるように、そう言った。
「何度も、何度も。あたしが無茶したり怪我したりする、その度に」
「っ、―――」
 アイムは吐息のように、声にならない声を漏らし、瞳から大粒の涙をぽろり、と零した。
「・・・それなのに、あたしの勝手じゃん、とか、ほっといてくれ、とか。酷いこと言って、またアイムのこと、傷つけて。こうして、いつもと立場が逆になって、あたし、初めてわかったんだ。今まで、気付かなくて・・・ごめん」
 ルカが言葉を続ける、その間にも涙は、ぽろぽろ、ぽろぽろ、止めどもなく溢れ続け。
「・・・ごめん」
 ルカはそれを、唇と指先で、根気よく、拭った。
「・・・・・・わたくし、も」
 ようやく涙が止まった頃、アイムがゆっくりと口を開いた。
「一つ、わかったことが、あります」
 うん? と優しく頷いて、ルカが続きを促す。
「あの時・・・敵がルカさんを狙っている、と気付いて。その次にはもう・・・体が勝手に、動いていました」
 アイムはまだ少し気怠さが残っているような口調で、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「何を考える余裕も、なくて・・・それが無茶だ、などとは、もちろん。ルカさんが危ない、とか、助けなければ、とか、そんな考えすら、浮かばなくて。ただ、体が勝手に、動いたんです」
「・・・ん」
 微苦笑しながら、ルカ。
「・・・ですから、今なら、わかります。『わたくしに構わないでください』と申し上げた時に、何故、ルカさんがご不快に思われたのか。それは、するな、と言われて、しないでいられる類のものではないのですから」
「・・・ん」
 ルカは観念したように、小さな溜息を一つ、ついた。
「そう、だよ・・・だから。いくらアイムがやめろ、って言っても。次にはまた、同じ事繰り返して。結局、アイムに辛い思いさせちゃうかもしんない」
「・・・構いません」
 アイムは小さく首を振った。
「それが、ルカさんがわたくしにお心をくださることの、代償であるならば。わたくしは、喜んでお受けします」
「アイム・・・」
 そう言って微笑むアイムに口吻けようとするルカの唇を、アイムは人差し指でそっと遮って。
「―――ナビィ」
 先刻からじっと二人のやり取りを見ている鸚鵡に向かって語りかけた。
「すみませんが、マーベラスさん達を、呼びに行って戴けませんか?」
「え、ちょ、待っ・・・ええっ!?」
「ガッテンショウチ!」
 肩透かしを食らって狼狽えるルカをよそに、ナビィは上機嫌でくるりとトンボ返りをして見せる。
「―――ただし」
 勢いよく部屋を飛び出そうとするナビィを、アイムは静かに呼び止め、
「できるだけ、ゆっくり。時間をかけて、行ってきてくださいね?」
 悪戯ぽく微笑んで、そう言った。
「エーッ!? ユックリ、ッテ・・・マッタクモウ、メンドクサイナァ」
 一転、少し拗ねたようにぶつぶつ言いながら、それでもゆっくり飛んでいくナビィの様子に、思わず二人で笑い合って。
 その笑顔のまま、唇を重ねた。
 すぐに深くなる口吻。アイムの両腕が、ルカの首を掻き抱く。
 そうして、また少し、強くなった互いの絆と思いを確かめあう。

 ―――言われたとおり、「ゆっくり」飛んでいったナビィが、仲間達を呼んでくるまで。

《fin.》

  


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