炎剣の鞘紐
(何で)
妹の手を引いて走りながら、あたしは心の中で悪態をついた。
(月なんか出てんのよ!)
今夜が闇夜なら、逃げ切れたかもしれないのに。
「へへっ。手こずらせやがって」
あたしと妹は、男三人に路地のどん詰まりに追いつめられていた。この街を占領している軍隊の荒くれ者だ。金を持ってる奴は歓楽街で普通に女を買うけど、金のない奴とケチな奴はスラム街でこんな風に『女狩り』をする。
「おう、大人しくなったな。観念したか」
泣いたり喚いたりは、しない。スラムじゃそんなことしたって誰も助けてくれない。それどころか、別の男がおこぼれに預かろうと股間を膨らませて寄ってくるだけだ。
「……あたしのことは、好きにしていいから。この子には、手を出さないで」
前は、これで妹だけは何とか助かったけど。そういう趣味の奴だと、七つ八つの子供でも平気で犯すのもいるらしいし、そこは運を天に任せるしかない。
「ふん……いいだろう。その代わり、楽しませてくれよ?」
小柄な男と大男を連れた、リーダー格の男が言う。
「ビアンカ、目つぶってな、あたしがいいって言うまで。すぐ終わるから」
あたしが言うと、妹は頷いてぎゅっと目を閉じた。
「おっと。すぐ終わると思ったら大間違いだ。俺のはデカくて硬くて長持ちだからな、たっぷり可愛がってやるぜ」
男達はガハハと笑った。うっせぇ。女を買う金もない癖に、偉そうに。
と。
「あなた達」
不意に女の声がして、男達の動きが止まる。
奴らが振り返った視線の先を見ると、
(……悪魔?)
角の生えた女がいた。ほんとに生えてるのかそれともそういう飾りなのか、とにかく物語に出てくる悪魔みたいな角のある女。
「そこで何をしているの」
冷たい声。なんの感情も感じられない、何考えてるのかわかんない声。
「何って、なぁ」
男どもは顔を見合わせ、うひひといかがわしく笑った。ほんとキモい。っていうか、こいつらの興味があっちの女にいけば、あたし逃げられるかも。……っつっても、この子が一緒だと一寸難しいかな。
「楽しくて気持ちいいことに決まってんだろうよ、あ?」
一番図体のデカい男が、女に近づく。
「丁度いいや、姉ちゃん、おめぇも一緒に気持ちいいこ───」
不意に声が途切れた。何かがぼとり、と何かが落ちる音がして、地面に転がったのは男の首。少し遅れて、首から下がどさりと倒れ、首の切り口から血が吹き出す。
「その服装、ムスペル軍ね」
冷たい声で、悪魔が言った。
……うわ。
こいつ、今まで見た中で最高に激ヤバだ。何がヤバいって、いま男の首を斬り落とした時、ほんの一瞬でさえも、殺気どころか何の感情の揺らぎも無かった。どんな悪党だって、人を殺す時には殺気をむき出しにしたり、気合いを入れたり、息を乱したりするもんなのに。まるで普通に息をするみたいに人を殺せる奴───や、もしかしたらやっぱり悪魔なんじゃ───そんなの、スラムでも見たことない。
「占領地での略奪や陵辱は、重大な軍規違反よ」
「ちっ、将校か!」
小柄な男が舌打ちをした。
「ハッ。将校っつったってたかが女一人じゃねえか」
あたしの真ん前にいた背の高い男がのそりと立ち上がり、首をこきこきと鳴らす。こいつら何なの、バカなの? 相手が激ヤバにヤバい奴だって何でわかんないかな。
「ぶっ殺す前にひん剥いてヒイヒイ言わせてやるぜ!」
女の口から呆れたような溜息が漏れた、次の瞬間。
「っ、」
背の高い男の、首が飛んだ。ほらみろ、ざまあ。
「ひっ!」
「……答えなさい」
女は滑るような動きで残った小柄な男との間合いを詰めると、その眉間に剣の先を突きつける。
「この街でこういう事をしているのは、お前達だけなのか、それとも他にもいるのか」
「こっ、答えたらっ、たっ、たっ、助けてくれるのかっ、」
口から泡を吹きながら必死に問う男に、
「そうね」
考えてもいいわ、と女は短く答えた。
「いっ、いる! 大勢いる! 騎馬隊も、歩兵隊もいる! 俺たちだけじゃねぇ!」
「そう」
女は剣を引いた。
男がほっと息をついたその瞬間。
ひゅん、と風を切る音がして、ほんの今まで喋っていた男の首が飛んだ。
(……すごい)
あたし前にやったことあるけど、人間の体って、バラそうと思っても骨は硬いわ筋張ってるわでそう簡単にバラせるものじゃない。それを、あんな簡単に切り落とすなんて。何なの、あの剣。この女一体どんな腕してんの。
そんなことを考えてたら。
女が、こっちを見た。
「……考えるんじゃ、なかったの」
思ってたことが、思わず口をついて出る。
(ちょっ、待っ、バカバカバカバカ)
あたしのバカ! こんな激ヤバな相手に何自分から絡みにいってんのよ!
女は一瞬何のことかと考えて、
「ええ」
すぐに鼻で笑った。
「考えた結果の結論よ。簡単な軍規ひとつ守れないうえに、一寸脅せばすぐに口を割るような屑。生かしておいても百害あって一利なしだわ」
言葉が難しくてよくわかんないけど、生かしておいてもあまり意味がない、ってことか。
だと、したら。
生かしておいても意味がないから、って理由で殺されるなら、あたしなんて即ぶっ殺されるに決まってる。あたしは思わずビアンカを抱き寄せた。当のビアンカは、あたしの言いつけを守っていまだに目をつむっている。
「その子は。あなたの妹?」
抑揚のない声で、女が問う。
「……だったら、何」
「そう」
女はすぅっ、と目を細め、次の瞬間。
「っ!」
腕を掴まれた、と気付いた時には体ごと地べたに放り投げられていた。慌てて起きあがると、女がビアンカに向かって剣を振り上げているのが見えた。
「うあぁぁぁっっ!」
ありったけの気合いを入れて、あたしは剣を振りかざすその腕にしがみついた。
「んのクソ女! やめろ! 妹に手ぇ出すなぁっ!」
そのまま手に噛みついてやろうとしたけれど、女の手は指先まで鎧に覆われていて無理だった。仕方なく、腰や脚を鎧の上から力一杯蹴りつける。
「くっそ! ビアンカ! 逃げ───!」
女の体はびくともせず、あたしはいとも簡単に振り落とされ、石畳の上に組み伏せられた。
「ぐっ!」
「お姉ちゃん!」
ビアンカが悲鳴のように叫ぶ。
(ばか! いいから早く逃げて───)
ものすごい力で押さえつけられ、思うだけで言葉が声になってくれない。押されたかと思うと今度は胸倉を掴んで引っ張られ、あたしは激ヤバ悪魔女と初めて正面から向き合うことになった。浅黒い肌に、月明かりにきらきら光る明るい色の髪、切れ長の目、整った顔立ち。角みたいなのはどう見てもやっぱり角だ。近くで見ても、何考えてるのかぜんぜんわかんない表情。
「気に入ったわ」
女は相変わらず抑揚のない声で、唐突にそう言った。
「あなた、私の軍に入る気はない?」
「……はぁ?」
あたしは思わず顔をしかめる。
「あたしが、軍隊? 何それ、軍隊で何しろっての? 軍隊でこいつらみたいな男どもの相手しろとでもいうの? こいつらが街で女漁りしなくていいように?」
冗談じゃないわ、と吐き捨てるように言うと、
「まさか」
悪魔女はまた、鼻で笑った。
「言い方が悪かったわね。軍で、私の直属の部下になる気はないか、と訊きたかったのよ」
「? チョクゾ……何?」
「私の子分にならないか、と言えばわかるかしら」
わけのわかんないことを淡々と言う悪魔女。
「はぁ? 何それ、意味わかんない。ってかあんた誰」
あたしがキレ気味に突っかかるのを気にする風でもなく、女はああそうね、と呟いて、
「私はレーギャルン、ムスペル王国の第一王女で、この辺り一帯に展開しているムスペル軍を束ねる将よ」
最高にわけわかんないことを言った。
「……おうじょ、って、お姫様? お姫様がなんでんなとこウロウロしてんのよ。お姫様って、ドレス着てお城で踊ってんじゃないの」
「私は王女である以前に、軍人であり将軍だから」
あなたの中では王女ってそういうイメージなのね、なんて言って悪魔女は小さく笑う。この女から感情らしいものを感じたのは、これが初めてだった。
「それに。ショウウンって何」
「『将軍』。軍隊で一番偉い人、といえば分かるかしら」
「はぁ? あんたが? そんな───」
バカな、と言いかけて、さっきの出来事を思い出す。剣の一振りで首を落とし、男三人をあっという間に始末した、あのもの凄い腕前。軍隊で一番偉い奴だってなら、それも納得。
「───で、そんな偉い人があたしなんか雇って、何するのさ」
いつの間にか、あたしの胸倉を掴んでいた女の手は離されていた。逃げようと思えばたぶん、ダッシュで逃げられる、けど。
「あなたは」
何だろう。こいつが何考えてんのか、ちょっと興味が湧いてきた。
「肝が据わっていて、根性もある。恐らく、頭も切れる。鍛えれば、優秀な兵士になる筈よ」
「……けど。あたし、戦いなんてやったことないよ。いつも逃げ回るばっかで」
「構わないわ。それは今から鍛えればいい。けれど、頭の良さや抜け目のなさ、心の強さというのは鍛えてもどうにもならないものでね、そういう才のある人間にはなかなか巡り会えないものなのよ」
悪魔女はそう言って肩を竦める。
「あなたには、手間暇かけて育てる価値が十分にあるわ。脳味噌の足りない屑兵士五十人と引き替えにしても、お釣りがくる位にね」
「っ、」
あたしは身震いした。お前は価値のある人間だ、なんて。そんなこと言ってくれる人、生まれて初めて会った。
「嫌なら、無理にとはいわないわ。やる気のない者に無理強いしたところで、大した成長は見込めないから」
あたしは考える。
いつかこの街から抜け出したいと、ずっと思ってた。あたしと同い年くらいの女の子には、スラムの男どもに散々犯されて誰のかわかんない赤ん坊を産んで、すぐまた腹ボテになってるような子もいる。あたしはそんな風になるもんか、って思ってるけど、結局そうなるんだろうな、とも思ってた。これは、ここから抜け出す絶好のチャンス。だけど、
「……もし、あたしがあんたについて行ったら」
あたしはビアンカを見た。両手を広げておいで、と目で合図すると安心したように笑って駆け寄ってくる妹を、あたしはぎゅっと抱きしめる。
「この子はどうなるの」
「勿論、一緒よ」
「へ?」
予想してなかった答えに、あたしは拍子抜けする。
「聞こえなかったの。それとも意味がわからなかった? あなたとあなたの妹、二人一緒で私の所に来るのよ」
レーギャルンとかいうお姫様は、少し面倒くさそうにそう言った。
「なんで?」
あたしは眉をひそめる。
「そんな都合のいい話。やっぱ信じらんない」
「……あなたの強さは、その子がいてこそのものでしょう」
悪魔女は何故か満足そうに小さく笑って、あたしの目を見つめた。心の奥まで見透かすような視線で。
「あなたは、その子の為なら何でもできる、何でもやる。その子がいなければ、あなたの価値も可能性も半分になるわ。そう考えれば、その子一人養うくらい安いものよ」
───実際、見透かされていた。
「それに、そう都合のいい話ばかりでもないわ。あなたが使い物にならないと分かったら、その時点で私はあなたを切り捨てる。強くなれたとしても、軍人である私の部下───子分になるなら、あなたも戦場に立つことになる。長生きできる保証はないわ」
お姫様でショーグンな女はそう言って、どう? と 挑むような視線をあたしに投げる。
「……なるほどね。そう良いことばかりでもない、ってわけ」
あたしはまた考えた。
戦場とスラム、どっちがマシかなんて、そんなことわからないけど。
この街でのあたし達は、何の力もない、一方的に狩られる獲物だ。けど、訓練を受けて戦争するなら、それは対等な殺し合いだ。ただ黙って狩られるだけの弱い生き物じゃない。
それなら。
「わかった。そういうことなら───ただし、もう一つ条件がある」
「いいわ。言ってご覧なさい」
空気が一瞬、ぴんと張りつめた。その『いいわ』は、場合によっては斬り捨てるぞ、ってやつだよね、うん。
あたしは生唾をごくり、と飲み込んで、ショーグンの目を真っ直ぐに見つめ。
「……もし、戦場で、あたしが早死にしたら」
ありったけの気力を振り絞って、言った。
「あたしの代わりに、この子のこと、面倒見てほしい」
その一瞬の、ショーグンの表情。
「……いいわ」
ショーグンは真顔で、剣を胸の前に掲げた。
「約束しましょう。ムスペル王国軍第一軍将、レーギャルンの名にかけて」
すぐに無表情の仮面に覆い隠されてしまったけれど、ほんの一瞬、顔を覗かせたあの感情は一体、何だったのか。よくわからないけれど、一つだけ確かなことは、
「ただし。私が死んだ後のことまでは保証できないわ」
この人はあたしを、スラムのゴミ屑じゃなく、ちゃんと人間扱いしてくれているってこと。それだけでも、ついて行く理由としては十分だ。
「うん。いいよ、それで」
「交渉成立ね。……じゃあ、早速仕事よ。あの首を持って、私に付いてきなさい」
ショーグンはゆっくり立ち上がると、さっき自分が切り落とした男の首を指さして言った。
「げっ」
「嫌なら。辞めてもいいのよ」
「や、持つ持つ、持つってば」
人の頭って結構重いんだよ? しかも切り落としたばっかりとか、まだ血が抜けきってなくて超ウザい。
「うぇぇ」
案の定、持ち上げると血がぼたぼたと滴った。まだちょっと生温かくてキモい。
「今更汚れを気にするような服じゃないでしょう。城に帰れば軍服の替えがいくらでもあるわ」
残り二つの首を、髪の毛掴んで無造作に持ち上げながら、ショーグン。
「あたしも手伝う!」
あたしの周りをビアンカがぴょんぴょん飛び跳ねる。
「あら、いい子ね。何ならこの子のほうを子分にしようかしら」
「勘弁してよ……」
そんな軽口を叩き合いながら、あたし達は路地から表通りに出た。表通り、といっても所詮はスラム、石畳は手入れされてなくてボッコボコ、道端はゴミだらけ。
「こんなの持って帰って何すんのさ」
「晒して見せしめにするのよ。軍規を守れない者はこうなる、ってね」
「うえ。悪趣味」
考えたら、こんな風にわぁわぁ言いながら道の真ん中を堂々と歩いたのって、初めてかも。今までずっと、息を殺して物陰に隠れるようにして暮らしてたし。
「そういえば。あなたの名前を聞いていなかったわ」
うわ。今それ訊きますか。
「っ……あたし、は……アンジェリカ」
あたしは渋々答える。『天使』なんて、スラムのメスガキには似合わない名前だって、何度笑われたことか。
「そう。『天使』ね」
だけど、
「それなら私は差し詰め、天使を地獄へ引きずり下ろした悪魔ってところかしら」
うん、貴女は笑ったりしないよね。そうだと思った。
「自分じゃうまいこと言ったつもりかもしんないけど、スラムは天国じゃないよ」
「……やっぱりあなた、ついて来なくていいわ」
「わーごめんなさい許してください!」
───ついていくよ、貴女に。
《fin.》
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