The Place of Happiness
たまたま鉢合わせた帝国のフリゲート艦を一隻叩き落として、懐があたたまったあたし達は、手近な星で一休みすることにした。
朝食を終え、あたしはガレオンのリビングで、ソファーの肘掛けに脚を上げ、もう片方の肘掛けに頭を乗せて、戯れにカードを弄っていた。右手から左手へ、左手から右手へ、カードはしゅるしゅると小気味よい音をたて、流れるように往復する。
「・・・あふ・・・」
欠伸を噛み殺した拍子に手元が狂い、カードが数枚、床に落ちた。
眠くて頭がボーッとして、神経が指先までいってない感じが自分でもわかる。
原因は、睡眠不足。
「ルカさん」
と、その睡眠不足の原因が、バケツとモップを持ってやって来た。
「もう。お行儀が悪いですよ?」
新入りであるアイムは目下、ハカセの指導のもと、炊事洗濯掃除の修行中。ふりふりのエプロンがこの上なく似合ってる、ってか、ただのエプロンがなんだか高級そうに見えるあたり、さすが王女様。
「んー。アイムの掃除の邪魔になんないように、足上げて待ってたんだって・・・悪い、そこのカード取ってくんない?」
「はい」
アイムは優雅な仕草で床に屈み込むと、床に落ちたカードを拾い上げて手渡してくれる。
寝不足はあたしよりも深刻な筈なのに、
「ん、さんきゅ」
そんなことは、おくびにも出さないで。
アイムはにっこり笑って応えると、リビングの隅っこからモップがけを始めた。
その後ろ姿を眺めながら、昨夜の出来事を思い出す。
*
「―――っ、うう、う、ぁ・・・」
真夜中、というには、まだ夜も浅い頃。
「っあ・・・くっ、っあ・・・」
彼女の切羽詰まった喘ぎ声で、目が覚める。
「や・・・や・・・ぁ」
「―――アイム!」
ああしはすぐに半身を起こして、大声で、彼女の名を呼ぶ。
「ああっ、やっ・・・いやっ―――」
一度では、届かない。
「アイム! アイム!? 聞こえる!? あたしの声!」
あたしは彼女の両肩を掴んで、思い切り揺さぶった。
がくがくと、首が鞭のようにしなるほど、強く。
「アイム!」
アイムがこの船に乗り込んでから、半月近く。
帝国に滅ぼされたファミーユ星から落ち延びるどさくさで負った体の傷が癒えかけた頃、今度は彼女の心の傷が疼き始めたようで。
夜、ベッドに横になり、ようやく浅い眠りに落ちたと思ったら、悪夢にうなされ目を覚ます。そんなことを何度も繰り返しながら朝を迎える、それがここ数日のルーティーン。
彼女を苛む夢がどんなものなのか、あたしは知らない。
家族どころか、国じゅうが、自分だけを残して皆殺しになった―――そんな目にあった人間がどんな夢を見るか、なんて。
あたしにはとても、想像がつかない。
「っ、あ・・・」
アイムははっと目を開け、暫くは肩で息をしながら焦点の合わない瞳で天井を見つめ。
やがて、覗き込むあたしと、目が合って、
「・・・・・・・・・・・・」
そして、泣きそうな顔になる。
「・・・アイム」
その顔を見て、あたしは、内心ほっとした。
悪夢に苛まれる彼女の苦しむ声を聞く度、あたしは、このまま彼女の気が触れてしまうんじゃないかと、いつも怖くなる。だから、こうして彼女の瞳に正気の色が戻ってくれたなら、あたしは、それだけで安心できた。
たとえ、それが泣き顔でも。
「・・・だいじょうぶ」
小さな子どもにそうするように語りかけながら、玉のように浮いた汗で額に貼り付いた髪を指先で払って、撫でるように後ろへ流す。
「だいじょうぶ、だから」
「・・・ルカさん・・・」
か細い声で、アイムが答える。
あたしは右手で彼女の髪を軽く梳きながら、彼女の額に自分の額を重ねた。
「・・・ごめんなさい。わたくし、また―――」
「謝んなくて、いいから」
掌で、彼女の頬を包むように触れて、
「・・・大丈夫」
ただ、馬鹿みたいに、そう繰り返して。
「だいじょうぶ、だから」
目尻に浮かんだ新しい涙を、キスで拭って。
「・・・ね?」
彼女の豊かな黒髪に、手枕を添えて、ぎゅっと抱き締める。
「・・・ルカさん・・・」
肩に縋る、彼女の手の感触。
そうして、また二人、眠りの淵に落ちていく。
悪夢がまた彼女を襲うまでの、束の間の眠りに。
* * *
その日の、昼下がり。
「負けた奴が買い出し係だからね?」
リビングのテーブルで、あたしはカードをケースから取り出しながら、そう言った。テーブルについているのは三人、あたしと、マーベラスと、ジョー。
「ああ」
「いいだろう」
「持ち点は二千ザギンくらいでいい? アンティ※は百」
「・・・何でもいいから、早く決めてくれないかな・・・」
じゃらじゃらとチップを配るあたしの後ろで、ハカセがボヤく。
この船では、買い出し係は二人で務めるのがお約束。この間までは、ハカセと、残り三人のうちの誰か。アイムが仲間に入ってからは、ハカセかアイムのどちらかと、残り三人のうちの誰か。要するに、実際の買い物要員と護衛兼荷物持ちなわけだ。よく知らない星の、勝手のわからない街を、例えばハカセなんかが一人で歩いてたら、どんなトラブルに巻き込まれるかわかんないし、かといってマーベラスなんかに一人で買い物させたら、ロクな買い物しないのは目に見えてるから。
ちなみに、今日の買い出し係の一人はアイム。
「本当に。困りましたわ」
ボヤくハカセの隣で、アイムが頬に手を当て、ほう、と溜息をついた。
「買い出しが遅くなると、そのぶん晩ご飯も遅くなってしまいますわね・・・」
「一発勝負だ!」
アイムの台詞を聞いた途端、マーベラスが叫んだ。
「チップはいらねぇ。一発で決めるぞ!」
ポーカーそんなに強くもないくせに、マーベラスってば、そんなに晩ご飯おあずけが嫌なの。
・・・ってか、アイムってば、もうマーベラスの操縦覚えちゃった? ほんと、飲み込みの速いコ。
「はいはい」
あたしはチップを配るのをやめて、カードをシャッフルした。そして、手首のスナップでカードを飛ばし、ひとり五枚ずつを配り終えたら、残ったカードをカットして、山札にする。
三人が一斉に、手札を見た。
「チェンジは一回ね。・・・ちなみに、あたしはチェンジなしでいいわ」
あたしがそう言うと、ジョーとマーベラスはぎょっとしてあたしを見る。
「・・・ルカ、お前、イカサマしてねーだろうな?」
訝しげな顔をするマーベラスに、
「まさか」
してないわよ? と、あたしは余裕の笑みを浮かべて見せた。
「さ。あんた達、どうする?」
「・・・じゃあ、俺は一枚チェンジだ」
ぼそりとジョーが言って、手札を一枚取り替える。
ジョーは相変わらずの仏頂面で、どんな手かは全く見当がつかない。
「っ・・・全部チェンジだ!」
マーベラスはいつもの調子で、手札をテーブルに叩き付け、新しい手札を五枚、取った。
手元に来たカードを見た途端、眉間に皺が寄る。
ほんっと、わかりやすいね。
「だあっ! くっそ・・・ブタだ!」
マーベラスが、札をテーブルに放り出した。
「あっはは! あたしはワンペアでしたー★」
「なっ!? ・・・くっそぉー!」
あたしの役は、カスもカス、三のワンペア。それを見て、マーベラスはますます悔しがった。
「チップなしの一発勝負なら、無理に一番にならなくても、負けなきゃいいんだもんねー」
「・・・そうだな」
ジョーがぼそり、と呟いて、手札をテーブルに放った。
スペードの、フラッシュ。
「命拾いしたな。ルカ」
「む・・・いいもんね、ビリじゃなきゃ、何でも」
仏頂面に限りなく近いドヤ顔に、ちょっとだけムカっとする。
こういう勝負勘はさすがよね、ジョーってば。
「くっそ、覚えてろお前ら! おらアイム、行くぞ!」
マーベラスは翻した上着に袖を通しながら、どかどかとリビングを出て行く。
「では、行って参ります。・・・マーベラスさん、待ってください」
くすくすと笑って、アイムがその後に続いた。
「あー、ちゃんと野菜も買ってきてよ、ね、って。大丈夫かな・・・」
ハカセが不安そうに、二人の背中を見送って。
静かになったキャビンで、あたしはソファーに体を投げ出した。
「・・・ちょっとだけ寝る。二人が帰ってきたら起こして」
アイムの前では我慢してたけど、ほんとは、目が潰れそうなくらい眠いんだよね。
「? ルカ?」
ハカセは何がなんだか分かってない風だけど、
「わかった。アイムが入ってくる前に叩き起こせばいいんだな」
ジョーは概ね事情をわかってくれてるみたい。
「ん、助かる。さんきゅ・・・」
それから三カウントもしないうち、手品もびっくりの速さで、あたしは眠りに落ちた。
*
―――で、その日の夕食は。
「何これ! すっごいてんこ盛り!」
「どうだ。すげえだろ。酒池肉林だぜ!」
超ドヤ顔で、本日の買い出し係、マーベラス。
「や、その言葉、使い方微妙に間違ってるから」
毎度のことだけど、一応ツッコんでおく。あたしにツッコまれてもマーベラスはご機嫌だ。よっぽど肉が食べたかったんだね、うん。
「たまたま行ったお店で、チキンウイングとドラムスティックがお安くて」
彼女がちらっとハカセを見遣ると、ハカセはこくりと頷いた。どうやらほんとにいい買い物だったらしい。すっかり庶民の金銭感覚も身についちゃって、まあ。
「へー。お手柄じゃん? アイム」
あたしが褒めると、アイムはちょっとだけ得意げな笑顔になった。
「フライドチキンはガーリック、マサラ、チリペッパー、ブラックペッパー。グリルはレモンペッパーとバジルとソイソース。飽きがこないように、フレーバーを色々工夫したんだから」
超ドヤ顔で、ハカセ。
んー、これは、ドヤ顔するだけのことはあると思う。さすがだね。
「ふむ。これなら、今日は腹いっぱい食えそうだな」
食べ物のことで普段あまりとやかく言わないジョーが口を開いた。
「これだけ肉があれば、コソ泥も大人しくしてるだろう」
そんなこと言って、あたしの方をチラっと見るから。
「む・・・!」
ムカっとして肘鉄を一発かますと、
「っ―――」
ジョーは眉を顰めて小さく呻いた。
ブロックが間に合わなかったらしい。ザマミロ。
・・・何はともあれ。
「よっしゃあ! 食うぞ!」
「「「「いっただっきまーす!」」」」
船長の号令一下、チキン争奪戦が幕を開けた。
最初は、さすがにこれ、全部食べきるの無理じゃね? って思ったけど。
もの凄い勢いでチキンは骨と化していった。
「んー、美味しかった・・・って、そういえば、ハカセが野菜野菜言ってたけど、野菜なかったね」
「ええ。何でも、最近の天候不順で、お野菜がすごく値上がりしているそうです」
最後の一本の骨をしゃぶりながらあたしが何気なく言ったことに、アイムがそう答えた。
「その代わりといっては何ですが、リンゴが特売でしたので」
・・・また特売・・・何なのその買い物センス。この子、ほんと凄いわ。
「多少日持ちがしますし、お野菜の代わりになるかと思って、沢山買ってきました」
アイムはテーブルの上の籠からリンゴを一つ手にとって、果物ナイフで皮を剥き始める。
「折角お買い得でも、わたくし一人ではそんなに持てませんが、マーベラスさんがいらっしゃったお陰で、沢山買えました」
マーペラスは照れ隠しに鼻でふんと笑って、リンゴを一つ手にとってそのまま齧り付いた。そういえば、買い物から帰ってきたときのマーベラス、荷物が歩いてるみたいなことになってて、凄かったっけ。相方がハカセだったら、そんなこと絶対しない癖にね。
そうしてる間に、アイムの手元ではしゃりしゃりと小気味よい音を立ててリンゴの皮が剥けてゆく。
「上手いもんだね」
その様子を、頬杖をついて眺める。
「練習しましたから」
微笑むアイム。
と、リンゴを持つ左手の親指と人差し指に、絆創膏が巻かれているのに気付く。
「・・・そうみたいだね」
「さすがに、無傷というわけにはいきませんわ。お稽古というのは、何事も」
あたしの視線に気付いたアイムは、微苦笑しながらそう答えて、剥き終わったリンゴを掌の上で切り分けた。
そんなハイレベルな技まで身につけて。そりゃ、怪我もするわね。
「はい、どうぞ」
「わ。いいの? さんきゅ! いただきまーす!」
あたしは皿に綺麗に盛られたリンゴへフォークを突き刺して、口に運んだ。誰かが自分のために一手間かけてくれたものって、三割増しで美味しいね。うん。
あたしが満足げにリンゴを食べる様子を見ながら、アイムはもう一個のリンゴに手を伸ばし、皮を剥き始めた。たぶん、ハカセか自分の分だろう。ジョーは、マーベラスと同じように丸かじりしてるから。
―――そんな風に、仲間の団欒の時間は穏やかに過ぎて。
消灯の時間がやってくる。
夜が更けるにつれて、アイムの表情はどんどん翳ってゆく。もちろん一生懸命平気なふりをしてるけど、夜着に着替え、洗い髪を乾かす頃になるともう、暗いというか怯えてる。本人はポーカーフェイスできてるつもりだろうけど、あたし相手にそれは無理ってもんよね。
だけど、お互い、そのことには敢えて触れないで。
同じ毛布にくるまって、おやすみ、の挨拶を交わして、眠りにつく。
彼女にとっては、無間地獄―――悪夢の連鎖の、始まり。
* * *
翌日。
あたしは、例によってソファーの肘掛けに脚を上げ、もう片方の肘掛けに頭を乗せて、カードを弄んでいた。いつものデッキではない、封を切ったばかりの新しいデッキ。滑りが良すぎるから、新品のカードは本格的に使う前にこうして馴染ませるのが常。
それだけじゃない。何か大きなものを賭けて真剣勝負するときは、イカサマがあらかじめ仕掛けられたりしていないことを証明するために、新品のデッキをその場で封を切って使うことがある。だから、滑りのいい新品のカードでも、ちゃんと自分の思い通りに操れるように、時々こうして新品で練習する必要がある。
―――まあ、日々精進、ってやつ?
「ルカ」
足許で、ジョーの声がする。
あたしが脚を上げてるからそうなるんであって、ジョーは普通に立ってるだけなんだけど。
「んー・・・?」
「大事な物、落としてるぞ」
ジョーが、あたしの顔の上に一枚のカードを放った。
降ってきたのは、あたしの袖口に隠れてる筈の、ハートのエース。
うわ・・・ガチマジのゲームだったら、イカサマがバレて袋叩きコースだね、これ。
「ちょ、床に落ちたものを人の顔に投げないでよ」
一寸気まずいのを隠すように、渋面を作ってジョーを睨め付ける。
「らしくない、じゃないか」
「新品のデッキだからね、滑りが良すぎて」
ハートのエースを手の中でくるくると回しながら、そんな風に言ってみるけど。
「相変わらず、眠れてないのか」
どうやら、ジョーにはバレバレみたいで。
「・・・・・・ん・・・・・・まあ、ね」
あたしは観念した。
「大丈夫だ」
辺りの人の気配を伺うあたしに、ジョーはそう言って、傍らのストゥールに腰を下ろし、
「アイムなら、ハカセと一緒に大掃除するといってマーベラスの部屋に乗り込んでいった」
あれはまず当分出てこないだろうな、と、肩をすくめた。
「へー。ハカセ一人じゃ、できない芸当だね」
マーベラスも、ハカセ一人だったらうぜぇとか何とか言って蹴り出すとこだろうし、そもそもハカセが単身そんなチャレンジャーなことする筈がないし。
「ああ。ハカセより、アイムの方が張り切っていたな」
「・・・そう、なんだよね」
あたしは体を起こして、ソファーにきちんと座り直した。
「あの子、ここんとこほとんど寝てない癖に、昼間は、すごく明るくて、やたらハイなんだよね」
「ここんとこ、っていうのは、どの位だ?」
長い脚を組んで、ジョー。どうやら、本格的に話を聞いてくれるらしい。
「五日・・・んん、六日、かな。寝付いてから一時間もすると、うなされ始めて。すっごい、苦しそうに、泣き叫ぶみたいな声出すから、慌てて起こして、さ。それからまた寝直すんだけど、またうなされて。一晩中、そんなこと繰り返して、ただひたすら、朝を待って」
ちゃんと聞いて貰える、と思ったら、もう、止めどもなく溢れだす。
「・・・ほんとに、凄い声出すんだよ、あの子。普段の様子からは、全然想像つかないような。悲鳴あげたり、時々暴れたり」
ああ。
たぶん、誰かに聞いて欲しかったんだ、あたし。
「まるで、気が狂ったみたいに―――そのうち、ほんとに気が狂っちゃうんじゃないか、って。怖くなる」
けど。言葉にしてしまったら、現実になってしまいそうで。それはそれで、怖い。
あたしは額に手を当て、俯いた。
「・・・俺が、ザンギャックにいた頃」
ジョーがぼそり、と話し始める。あまり自分のことを話さないジョーがそんなことを言うなんて、ちょっと珍しい。
「捕虜や囚人に施す拷問に、眠らせない、というのがあった。実際にどうやって、とは敢えて言わんが、とにかく一瞬たりとも眠らせない。そうすれば、どんなに口の堅い奴でも、一週間か十日もすれば大抵口を割る。そこまでいくと、精神が錯乱する奴も少なくない」
「っ、ちょ、縁起でもないこと言わないでよ!」
「それだけ事態は深刻だ、ってことだ。どうしようとか怖いとか、うだうだ言ってる場合じゃない」
噛みつこうとするあたしに、ジョーはもの凄く真剣な顔と声で、ぴしゃりと言った。
「お前が狼狽えてどうする。根性据えてシャキッとしろ、お前らしくもない」
「・・・そんなこと言ったってさぁ・・・あたし自身のことならともかく、アイムのことだよ? そりゃ、ビビるし狼狽えるよ・・・」
両手で髪をかき上げ、頭を抱えてうずくまるあたしに、ジョーは自分のサラサラヘアをかき上げて盛大に溜息をついた。
「・・・乙女か、お前は」
ほとんど脊髄反射で、ジョーの脛にトゥキックを入れる。
「何そのツッコミ! しっつれいね!」
ジョーはうぐっ、って小さく呻いた。ブーツ越しとはいえ、脛だから相当痛かったはず。
「・・・まあ、要は、アイムが眠れればいいわけだが」
暫くひとり静かに悶絶してから、やがてジョーは口を開いた。
「方法が、なくもない」
「!?」
その台詞に、あたしはがばっ! と顔を上げる。
「絶対に上手くいくという保証はないが、一つ方法がある。たぶん、お前にもできる筈だ」
「ちょっ・・・! そんなの知ってんだったら最初から教えてよ!」
ジョーはちょっと勿体付けるように一度俯いて、それから顔を上げ、声のトーンを少し落とした。
「あまりいい方法とは言えんが・・・寝る前に、くたくたに疲れさせてしまえばいい。疲れ果てて、何も考える余裕のないままに、気絶するように意識が落ちれば、朝まで夢も見ないでぐっすり眠れる筈だ」
一体ジョーが何を言ってるのか、あたしはすぐには解らなかった。
ジョーの言葉を反芻して、つまりは、いったい、どういうことなのか、考える。
くたくたに、疲れさせる?
寝る前に、って。ベッドルームで、ってこと?
疲れ果てる、って?
気絶、って―――
「―――!」
解った途端、顔にかっと血が上る。
「それっ・・・! なっ、何考えてんのよ馬鹿! スケベ! 色魔!」
あたしは平手でジョーの肩から腕をべちべちと叩きまくった。
「お前が教えろと言ったから教えたまでだ」
あまり応えてない風で、ジョー。
「それに。俺の言ってることが解ったということは、お前もアウトだ、ルカ」
「うっさい! ってか、あたしにもできる筈って、あたしのイメージってどんなんなの!」
「できんか? なら、俺やマーベラス―――」
「ぜぇっっったいだめーーーー!!!!」
「・・・冗談だ」
絶叫して肩で息をするあたしに、ジョーは真顔でそう言って。
「まあ、そういう方法もある、ってことだ。ウジウジ悩んでるだけじゃ、何も変わらんぞ」
ゆらりと立ち上がり、後ろ手にひらひらと手を振って、行ってしまった。
あたしは暫く呆然として、それからソファーにへたりと体を沈めた。
『くたくたに疲れさせてしまえばいい。何も考える余裕のないままに、気絶するように』
それって。
あたしにアイムを抱けってこと・・・よ、ね?
気絶、って。
そこまでヤれってこと・・・よ、ね?
それをしている自分を想像して、また心臓が跳ねる。
「んっとに、何てこと言うのよ・・・ジョーのばか!」
誰が見ているわけではないけれど、あたしは思わず赤くなった顔を隠すように、膝を抱えてうずくまった。
* * *
「その時」は、存外早くにやって来た。
消灯前、いつものように夜着に着替えたアイムは、乾かした洗い髪を緩やかな三つ編みに結い終えると、何を思ってか、キャビネットから予備の毛布を引っ張り出した。
「何? もしかして、寒い?」
彼女が具合悪くて熱でもあるんだと思って、あたしはマジで心配した。
「具合悪いなら、ハカセが常備薬持ってるから、貰って来よっか?」
「いえ、そういうわけでは」
彼女は小さくかぶりを振った。
「ここではルカさんにご迷惑がかかりますから、わたくしはリビングで寝ようと思いまして」
「は?・・・どういうこと?」
あたしは思わず眉を顰めた。一瞬だけど、ちょっと怖い顔してたかもしれない。
「わたくしが隣に居ると、うなされる度に、ルカさんを起こしてしまいますから。このところずっと、そんなことが続いていますし、このままでは、ルカさんが睡眠不足で健康を損ねかねません。ですから―――」
「駄目!」
あたしはベッドから跳ね降りて、ドアの前を遮るように仁王立ちした。
「何言ってんの? うなされるから一緒に居るんじゃん? あんなうなされ方するような夢見て、目が覚めたら真っ暗闇に独りとか、あたしなら無理。マジ無理」
「・・・わたくしなら、大丈夫ですから。ご心配には及びません」
彼女は微笑を浮かべ、そう言って、譲らない。
よく言うよ。目の下に隈、出来てるし。
「・・・嘘ばっかし」
あたしは溜息をつく。
「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃん。昼間はやたらテンション高いくせに、夜になるとすごい凹んでさ。・・・怖いんでしょ? 寝るのが。また、嫌な夢みるんじゃないか、って」
彼女は一瞬目を伏せて、
「・・・そんなに、分かり易かったでしょうか。わたくし」
困ったような顔をして、そう言った。
「ううん。ハカセやマーベラスは上手く騙せてると思う。ジョーは、何となく気付いてるっぽいけど、全部ってわけじゃなさそうだし」
あたしがぺらぺら全部喋った、ってのは勿論内緒。
「・・・本当に。ルカさんには、敵いませんわ」
微苦笑して、今度は彼女が溜息をついた。
沈黙が、降りる。
『ウジウジ悩んでるだけじゃ、何も変わらん』
『根性据えて、シャキッとしろ』
昼間の、ジョーの言葉が、頭の中で蘇る。
あたしは、ごくりと生唾を飲み込んで。
「・・・アイム」
根性を、据えた。
「あたし、一つだけ、心当たりがあるんだ。あんたがぐっすり眠れる方法」
あたしの言葉に、彼女は少し驚いたように目を見開く。
「! それは、どういう―――」
「上手くいくって保証はないけど、試して、みる?
その代わり」
あたしは足を進めて彼女の前に立ち、手を伸ばして、掌で、その頬に触れた。
「あんたの、純潔。あたしが、奪うことになるけど、それでも、いいなら」
一拍ぶんの、間があって。
「え。・・・・・・っ、あ―――」
狼狽える彼女の白い頬に、さっ、と朱が差す。
「嫌なら、このまま、何もしない。いつもと同じように、一緒に寝るだけ」
熱を帯びた頬を軽く撫でて、どうする? と問えば。
「・・・・・・いえ。お願い、します」
アイムは、目を伏せて、小さな声で、そう答えた。
心臓が、ばくばくと暴れ始める。正直、こんなにすんなり受け入れられると思ってなくて、少しビビってる。かといって、もし拒絶されてたら、それはそれできっと凹んでいただろうけど。
「いいの?」
頬に添えた手を、首筋から、うなじへと滑らせ、
「・・・ほんとに? 後悔・・・しない?」
抱き寄せながら問うと。
「・・・そんなに・・・何度も、聞かないでください」
彼女は少し拗ねたように、目を伏せたままでそう言った。
「あ。 ・・・うん、ごめ」
あたしは彼女の手から毛布を取り上げ、部屋の端に放り投げてから、細い腰を引き寄せる。そのまま強く抱き締めれば、密着する体から、薄い夜着越しに伝わる体温。昨日まで何とも思わなかったのに、いったん意識してしまうと、かっと体が熱くなった。
腕を緩め、頬に軽く口付ければ、間近に彼女の、黒い瞳。
透き通った、黒。
彼女と出逢ってこの瞳を見たとき、初めて、黒という色を綺麗だと思ったのを、ふと、思い出す。
頬から離した唇で、彼女の唇に、触れる。
ふっくらとしたそれは、見た目通りの柔らかさと、艶やかさで。
二度、三度、軽く啄むように口吻ければ、瞼がゆるりと閉じられて、背中に、彼女の両手が縋る感触。
抱いた肩は、少し強張っていて。
「・・・怖い?」
掌で、その肩を撫でながら尋ねると、
「・・・全然、と言えば、嘘になります、けど―――」
「『けど』?」
「・・・ルカさんのなさること、ですから。怖くは、ありません」
小さな声で、けれど、しっかりと、そんなことを言うから。
「そんな、あんましハードル上げないでよ」
あたしは、思い切り苦笑いしながら、彼女をベッドへ誘った。
船室に備え付けの使い古したベッドは、二人分の重さを受けて、ぎし、と軋む。三つ編みを解いて、華奢な体を組み敷けば、軽く波打つ髪がシーツの上に広がった。
シーツの白に、艶のある黒髪が映える。
「・・・やっぱ、アイム、ってさ」
白い肌に、黒い瞳のコントラストと、相まって。
「綺麗、だよね」
彼女の右手に、自分の左手を重ねて、指を絡めながら、
「そんな、こと―――」
言葉の続きを、キスで遮って。
開きかけた唇の隙に、舌を割り込ませる。
「んっ・・・」
浅い処から、少し深いところまで。舌で軽く撫でると、絡めた指がきゅっ、と軽く握られた。
「・・・こういうキス、初めて?」
唇を解いて、鼻先が触れる距離で、問う。
「・・・ぁ・・・はい」
「嫌・・・?」
続けて、囁くように問うと、アイムは少し恥ずかしそうに、小さく首を横に振った。
「ん。じゃ、遠慮無く、いただきます」
あたしは一寸戯けてから、キスの続きに戻る。
片手を彼女の頬に添えて、上唇を、それから下唇を、軽く食んで。
少しずつ、口吻を深いものに変えてゆく。
歯茎から、口蓋へ。ゆっくりと、じっくりと、愛撫を与えて。
彼女の舌を求めて、更に奥へと進む。
最初に触れた一瞬、怯えたように引っ込んだそれを、すぐに追いかけて絡め取った。
―――彼女の手が、あたしのTシャツの右肩に縋る。
悪戯に掠めるように、ねっとりと撫でるように。舌を動かすたび、頭の中で淫靡な水音が響いた。
息苦しさに、少し荒くなる呼吸。組みあった唇の隙間から、唾液が一筋流れ落ちる。
顎のラインから、首筋へ。唇と舌で、その跡を辿り。
白い首を、跡のつかないギリギリの強さで吸い、鎖骨を甘く噛めば、彼女の肩がぴくりと跳ねた。
「・・・ね。これ」
彼女の夜着の襟刳りを指で軽く引っ掛けながら、尋ねる。
「自分で脱ぐのと、あたしに脱がされるの、どっちがいい?」
胸元までしかボタンのない、丈の長いプルオーバー。正直、やりにくい。いろんな意味で。
「えっ? ・・・ぁ―――ぇ、と、はい、じぶんで」
アイムは半身を起こし、少し落ち着かない風でもぞもぞと夜着を脱いだかと思うと、それを胸の前でぎゅっと抱えた。
それを取り上げようとすると、
「・・・脱ぐのは、わたくしだけ、ですか・・・?」
「え」
恨めしそうな視線の抵抗に遭遇。
「えー・・・・・・・・・・だめ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・どうしても?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・わかりました」
陥落。
ヘタレとか言わないでよね? 彼女に、こんな風に、上気した顔で、潤んだ瞳で上目遣いにじっと見つめられたら、誰だって落ちるに決まってる。
あたしは小さく溜息をつき、渋々Tシャツを脱いだ。
「・・・これでいい?」
「―――!」
アイムの視線は、あたしの胸元に留まった。
「ああ。そういえば、見せたこと、なかったっけ」
―――あたしの体には、でかい傷跡がある。
胸の谷間を通って、縦にばっさり、胸の下を、横にばっさり。十字に斬られた、刀傷の跡。
「その昔、大ヘマやらかしてね。その頃あたし、ド貧乏で、ドブネズミみたいな暮らししてたから、ロクな手当もできなかったし」
ほんと、よく生きてたよね、と、あたしは軽く肩を竦めたけど。
「あ・・・・・・」
アイムは俯いて、消え入るような声で、ごめんなさい、と、呟いた。
「あー、別に、見られたくないとか、そんなんじゃなくてさ。ただ、面倒くさかっただけなんだけど」
あたしは腕を伸ばし、彼女の首を引き寄せる。
「なんか、気ぃ遣わせちゃったね」
ごめん、と呟くように囁くあたしに、彼女は目を伏せたまま、小さく首を横に振った。
その額にキスを落として、
「・・・ほら、折角可愛い顔なのに、変な皺ついちゃうじゃん」
彼女の眉間に刻まれた皺を唇で均すように、触れる。
「あたしは、ホントに気にしてないから。・・・あたしが気にしてないのに、あんたが気にするなんて、おかしいでしょ?」
「・・・すみません」
「ほらまた謝る。・・・ま、そういう真面目なとこ、アイムらしくていいけど」
あたしは苦笑しながら、彼女の体をシーツの上に押し戻した。
目元から頬、頬から、唇へ。軽く口吻けながら辿って、
「・・・もう少し、落ち着いたら」
額にかかる髪を、指先で軽く払う。
「ちゃんと話すから、さ。この傷のこととか、いろいろ、あたしがこの船に乗る前の話。その時は・・・聞いてくれるかな。あたしの昔話」
「ルカさん・・・」
覗き込んだ黒い瞳が、今にも泣き出しそうに揺れた。
―――お喋りは、ここまで。
まだ何か言いたげな彼女の口を、自分の唇で塞いで、深く、口吻ける。口の中を舌で縦横に愛撫すれば、彼女は、わからないなりに懸命に応えようとした。角度を変えれば、にちゃ、と、品のない水音。
「ふ―――」
苦しげに息を継いだ彼女の手から、脱いだ夜着を取り上げ、ベッドの下に放れば、白く滑らかな肌が露わになる。
カメオの美女も、裸足で逃げ出すような。
唇で耳朶を甘く食み、ゆっくりと喉を伝って、胸元へと這い降りながら、掌で脇腹に触れれば、彼女の躰に緊張が走るのを感じた。肉の薄いウエストラインから、胸へとその手を滑らせると、感触は一転。豊かな膨らみは柔らかく、揉みしだけば手の中で自由に形を変える。
と、固い突起が、指の間に引っ掛かった。
「んっ・・・」
彼女の喉が小さく鳴る。
白い膨らみの頂上で自己主張しはじめたそれを、口に含めば、
「っあっ!」
彼女の背中が一瞬、びくんと跳ねた。
張り詰め、固さを増したそれを、口の中で転がすように、愛撫する。
「っ、―――んっ・・・」
彼女の両手が、あたしの首を掻き抱く。抑えきれずに漏れ出す声が、一気に熱と湿り気を増した。
もう片方も、手で、撫でて、挟んで、潰して。
固くした舌の先で、柔らかくねっとりとした舌の腹で、執拗に、嬲る。
「・・・、―――っはっ」
仰け反った白い喉に、徒に強く吸い付けば、紅い花びらがひとひら舞った。
身を捩る彼女の、胸の双丘を舐る舌はそのままに、掌を下へと滑らせる。きめ細やかな肌は、しっとりと掌に吸い付くような感触。贅肉もないけど筋肉もあまり付いていない、柔らかなお腹を伝って、腰骨の形を辿り、太腿へ。
不意に、彼女の両脚が閉じようと動く。勿論、間に割り込んだあたしの膝が、それを許さないけれど。
内腿を撫で上げれば、彼女の躰がきゅっと強張るのが分かった。
「アイム」
上気した頬に軽くキスを落として囁く。
彼女の濡れた視線が、掠めるように見上げてきた。
「・・・やっぱ、怖い?」
「・・・すこし、だけ。・・・でも」
乱れた呼吸の合間に、切れ切れに答えながら、
「だいじょうぶ、ですから・・・続けて、ください」
彼女は両腕をあたしの背に回して、縋った。
「・・・ん」
軽く音を立てて、耳許に口吻け。
『優しくするから』なんて、いい加減な台詞を囁いて、彼女に残った最後の着衣を剥ぎ取る。
―――優しく、なんて。できるわけがないのに。
両脚をゆっくりと開き、秘所に手を伸ばす。
「、っ」
指が触れた瞬間、走る緊張。
秘裂に沿って、ゆっくりと指を這わせれば、指先に感じる、湿度と熱。
「・・・っ、ふ・・・」
震えるような吐息が、耳許にかかる。
―――だって、そもそもこれは『愛し合う行為』なんかじゃない。
入り口を浅く掻き、花弁の一枚一枚に、滲んだ蜜を指で塗りたくるように撫で回す。
次第に熱を帯びる、彼女の呼吸。焦れたように、捩れる腰。
そして、花弁の陰に潜む秘芯に触れた瞬間、
「っはっ!」
仰け反るように、彼女の背が跳ねた。
彼女は思わず出てしまった声を封じ込めるように息を飲み込み、あたしの体に縋る。
一度捉えてしまえば、あとは、思うまま、弄ぶだけ。
彼女の首筋に舌を這わせながら、緩やかに、急くように、それを指の腹で捏ねれば、そのリズムに合わせて彼女の躰が波打った。
くぐもった声に混じって、ぎり、と歯の軋む音。
「あぁ、そんな、噛みしめたら欠けちゃうじゃん。折角綺麗な歯なのに」
そう言って、彼女の口を塞ぎ、舌を絡ませて、再び手を動かす。
「・・・ん、っく・・・」
喉の奥で、喘ぐ声。
溢れる、蜜。
「んぅっ――――!」
不意に、首を抱く彼女の腕がぎゅっと強く締まり、彼女の躰が大きくしなって。
ふ、と力が抜けた。
―――ただ、悪夢から逃れるために。攻めて、責めて、何度もイかせて。何も考えなくて済むように、くたくたに疲れ果てるまで。これは、そのための行為で。
「・・・ね、アイム」
肩で息をする彼女の、零れそうな涙を舐め取って、
「ここ。入れて、いい?」
「っ、そんなのっ、わざわざ聞かないでくださいっ!」
入り口で手遊びのようにちりちりと動きながら問えば、彼女は眉根を寄せ、濡れた瞳で睨め付けた。
「全てお任せした身、ですから・・・どうぞ、お心のままに」
―――心、ね・・・。
お互い、心を殺してやってる筈なのに。なんで、そういうこと、言うかな。
「・・・ん」
一瞬、シニカルな苦笑を浮かべてしまったの、気付かれただろうか。
あたしは軽く答えて、潤いと熱を帯びたその場所へ、指を沈めた。
「・・・んっ・・・」
彼女はぐっと息を詰め、これから押し寄せる波に備えて身構える。
―――あたしが今、考えてるのは。
「・・・うん・・・」
どうすれば、効率よく彼女を狂わせることができるか、で。
「、っく・・・」
彼女の気持ちも、自分の気持ちも、そんなもの、二の次で。
「・・・っあっ!」
彼女を狂わせるスイッチ。一旦、その在処を曝いてしまえば、あとは。
撫で上げ、擦り上げ、突き上げる、その一つ一つに合わせて、彼女の背が跳ね、短い嬌声が上がる。
掻き混ぜられる蜜がたてる、粘度の高い水音。煽られる羞恥。
「っ、ルカさっ・・・んっ・・・」
乱れた呼吸の中で、必死に名を呼んでくれるけど、それが余計に後ろめたさを煽って。
あたしは、彼女の視線から逃れるように躰をずらし、胸の膨らみの先端を口に含んだ。
乱れた呼吸の間で、は、と切なげな吐息が漏れる。
舌の動きはそのままに、指先で彼女の中のざらつきを突けば、一瞬、彼女の躰が大きく波打ち、あたしの首を抱く腕にぎゅっと力が籠もり。
更に、残った指で秘芽を軽く弄れば、
「っう!」
彼女の躰が一際激しく跳ね上がり、白い首筋が仰け反った。
シーツの上に広がる、乱れた黒髪。
その上で悶え苦しむ彼女は、まるで蜘蛛の巣にかかった蝶。動けない、どこにも行けない、蝶の弱みにつけ込んで食い物にする悪い蜘蛛は、あたし。
痙攣するように脚をびくつかせて藻掻く蝶に、覆い被さって、吸い尽くす。
彼女は握った拳の甲を自分の口に押し当てて堪えようとするけれど、それでも嬌声は抑えきれずに溢れ続けて。
「ぁ・・・!」
やげて、彼女の躰が、一際強く波打って、くたり、とベッドに沈んだ。
荒い呼吸に合わせて、大きく上下する胸。
「・・・アイム」
小さく呼んで顔を覗き込めば、彼女は気怠そうに首を傾げ、うっすらと目を開けた。
―――あと、もう少し。
彼女から、悪夢を追い出すまで。
あたしは、ベッドの端に押しやっていた枕を引っ張って、彼女の腰の下に押し込み、片脚を押さえ込んで、もう片脚を肩に担ぎ上げた。
「えっ・・・っあっ―――!」
彼女の呼吸が整うより先に。彼女の正気が抵抗するより先に。
真っ白な脚の間に顔を半分埋め、蜜を纏っててらてらと光るその場所に吸い付いた。
「やっ、そんなっ、駄―――ぁっ!」
抗議の視線も言葉も強い刺激に攫われて、あたしの頭を押し退けようと伸ばされた手にも力は入らず、ただあたしの髪を闇雲に掻くだけ。
秘芽を舌で転がし、或いは唇で挟む。
「はっ・・・っ、あ」
意地汚く、ただただ欲に任せて舐め回す舌。貪る唇。ぬめぬめとした肉の塊が蠢く様は、まるで下等な生き物のようだと思う。
更に二本の指で蜜壺の中を漁れば、
「―――! あ、っ、っあ!」
ぐちゅぐちゅと卑猥な水音、切羽詰まった嬌声と喘ぎ。聞いてるだけで、頭がおかしくなりそう。
「は・・・っ、ルカさん・・・、ルカさ、んっ、ぁ・・・」
―――だから。
呼ばないで、あたしの名前を。
こんな、デリカシーの欠片もない、ただヤってるだけみたいな抱き方、あたしの本意じゃない。あたしは、こんなことしたかった訳じゃない・・・って言ったら、一寸嘘になるけど。
こんな風にしたかったわけじゃない。
本意じゃないけど。
しょうがないじゃん!
* * *
この船には、船倉を改造したトレーニングルームがある。暫くドンパチがなくて平穏な日が続いたり移動がやたら長かったりすると、あたし達はここで訓練と称して発散する。けど、実際ほんとに日常的に使ってるのはジョーくらいなもの。現にいまも、朝っぱらから踏み込みの音が聞こえてくる。
「何か用か」
入り口から覗くと、ジョーはこっちを振り返りもせずにそう言った。Tシャツの背中に随分汗が滲んでいる。今だって十分早いのに、いったい何時からやってんの?
「たまには、さ。あたしとも遊んでよ」
あたしは、傍の壁に立て掛けてあった木剣を手に取った。刃はついてないけど、当たれば結構痛い。
「剣は遊びじゃない」
ちょっとムッとしたような声音で、ジョー。ひゅん、と木剣が空気を斬る音が、離れていても聞こえた。
「それより。お前、こんな時間にウロついてていいのか」
ひゅん、と横に薙ぐ剣が鳴る。
「傍にいてやらなくて」
「ん・・・大丈夫」
あたしは木剣を元の場所に戻して、別の剣を手に取った。木剣なんてどれも同じように見えるけど、実は重さの違いとか手に馴染む馴染まないが結構あって、あたしみたいに腕力が乏しいと、そこんところが結構重要。
「今、よく寝てるから。あたしが抜け出すのも気付かないくらい、ね」
「・・・そうか」
ジョーが相手だと、こんだけ色々端折っても会話が成立するから、喋ってて凄く楽。察しの悪いハカセや、そもそも単純バカのマーベラスじゃ、こうはいかない。
「おっけ。じゃ、やろっか?」
何とか使えそうな剣を見つけて、あたしは振り返った。
「・・・遊びなら断る」
「まさか」
あたしは首をこきこきと鳴らしながら、その場で軽くジャンプして、体を解す。
「遊び気分でやったら、怪我すんのあたしに決まってんじゃん? 勿論ガチマジよ」
「ふん・・・なら、相手になってやろう」
ジョーの纏う空気が変わった。
「怪我をしても、文句を言うなよ」
左手を背中に回し、右手一本で剣を構える独特のスタイル。どうやら、マジで相手をしてくれるつもりらしい。
「ん。じゃ、遠慮なく―――!」
まずは一本、踏み込んで打ち込む。
これはあっさり止められた。かんっ、と、木剣のぶつかる軽い音がする。
すぐに横に飛び退けば、一瞬前にあたしが居た場所をジョーの剣が薙いだ。鋭く空気を裂く音。
当たったら痛そう・・・ま、当たる気はないけどね。
間髪入れずに次を仕掛ける。フェイントをかけて踏み込むけれど、これも弾かれた。返す刀で斬り込んでくるのを、すぐに跳び退ってかわす。まともに打ち合えば力負けするのは目に見えてるから、あたしは徹底的にヒット・アンド・アウェイ。
がんっっ!
「くっ!」
かわしきれなかったジョーの斬撃を、仕方なく剣で受ける。
思わずよろめいたところに、次の一撃。
横に低く跳び、床に手をついてくるりと一回転。
「よく避けたな」
「ん、あたしもそう思う」
ジョーの剣は重くて、まともに受ければ体勢を崩される。腕力に差のある相手の剣は、まともに受けないで、流して、衝撃を逃がさないと。
・・・って、頭ではわかってるんだけどね。
「来い。今度は返り討ちにしてやる」
そう言って、ジョーは剣を構え直した。顔はいつもの仏頂面だけど、声が余裕綽々。
「どうぞ? できるもんなら」
その余裕、消してあげようじゃない。
あたしは複雑なステップで様子を覗いながら、じりじりと間合いを詰めた。
今までのそれとは違う、幻惑するような足捌で、時折フェイントをかけて、ジョーの周囲を巡る。
勿論、隙を見せてくれるような相手じゃないけど。
隙がないなら、作ればいい。
「―――っ」
こっちから、仕掛けて。
踏み込んで、打ち込む直前の一瞬が勝負。
死角で剣を持ち替えて―――
ぱしっ!
体を返して振り抜けば、木剣じゃなく、生身の体を打つ音と手応え。
「くっ!」
ジョーの短い呻きを聞きながら、すぐに床を蹴って間合いを外す。
ちり、と首の横に感じる剣圧。一寸でもタイミングが遅れていれば、ぶん殴られてた。
「ごめ、さすがに寸止めする余裕なかった」
あたしが非力、っていっても、そこらの女子供よりは腕力あるだろうし、お互い防具らしいものは着けてない。いくらジョーが筋肉ダルマでも、痛くない訳がない。
「・・・ふん。中々味な真似をするじゃないか」
けど、全く効いてない風で、ジョー。
「でしょ? どうやったらあんたの裏をかけるか、いろいろ考えたんだから」
「そうか・・・なら、こっちも少し、本気を出させて貰おう」
そう言って、ジョーは不敵な笑みを浮かべた。
うわ、なんか、凄いヤバい気がする。
「避けられるものなら、避けてみろ」
ぞくり、と背筋を緊張が走り、本能が警鐘を鳴らす。
ジョーが踏み込んでくる。あたしは後ろに跳んだ。
普通よりかなり大きく跳んだ筈なのに、ジョーの剣の切っ先は、あたしの鼻先すれすれを掠める。
後ろにもうひと跳び。
すぐに追いつかれる。
右に、左に、体を捻って、反らして、やっとのことでかわすけど。
「くっ―――!」
返す刀が、耳元を掠めて。
最初のうちは少しはあった余裕が、段々なくなってきた。
じりじりと、壁際に追い詰められる。
鋭い刺突。
体を返して、あたしは跳んだ。
「だっ!?」
上に跳んで、逃げ切れた、と思った瞬間、頭にものすごい衝撃を感じて。
思わず閉じた瞼の裏で、火花が弾けたような光が交錯する。
体がふわりとするような浮遊感があって、また衝撃。
そこで、あたしの意識は途切れた。
気がつくと、あたしは壁際の床に転がっていた。額には濡れタオル、頭の後ろには氷の入った袋が宛がわれている。
「・・・あづづづ・・・」
起き上がろうとすると、頭がずきずきと脈打つように痛んだ。
「気がついたか」
そう言って近付いてくるジョーを見ながら、記憶の糸を辿る。
・・・確か、剣を避けようとして、天井に頭ぶつけたんだっけ。デコが痛いのは、落っこちた時に床にぶつけた、ってとこかな。
「うぁー、失敗した・・・ここ天井低いの、忘れてたわ・・・」
元々船倉として造られたこの空間は、広さはあるけど高さが一寸足りない。それでもジョーやマーベラスみたいな「普通の」ファイターが暴れるには十分だけど、あたしみたいに身軽さが売りの人間には少し窮屈。
「随分派手にやらかしたようだが、大丈夫か」
「ん・・・あんがと」
あたしは額の濡れタオルで顔を半分隠しながら、上から覗き込むジョーに応えた。
「悪かったね、トレーニングの邪魔して」
「・・・しおらし過ぎて気持ち悪いな。本当に頭は大丈夫か」
屈み込んで、あからさまに眉を顰めるジョー。
「ん・・・何かね、ガツンとぶん殴られて、一寸すっきりした」
「俺は殴ってないぞ。お前が勝手に頭を打っt」
「あたし、誰かにぶん殴って欲しかったんだ、多分」
なんか文句言われた気がしたけど、とりあえずスルー。
「結構面倒くさい奴だな、お前は・・・今度は何をウジウジ悩んでる」
ジョーは盛大に溜息をついて、あたしの横に胡座をかいた。
「アイムはちゃんと眠れたんだろう。まだ何か問題があるのか」
その名を出されて、昨夜のことを思い出し。
「うー・・・問題ありありよ・・・」
少し早くなった心臓の鼓動に合わせて、ぶつけた頭がずきずきとと疼く。
「実際やってみたら、あんなキツいと思わなかった・・・」
「まあ、初めての女は大体そういうもんだろう」
いつもの仏頂面で、ジョー。
あまりにもさらっと言うもんだから、あたしは一瞬頭がついていかなくて。
「・・・っば! バカ! ドバカ! そっちのキツいじゃないわよ! あに考えてんのよこの色魔! エロン毛! むっちり筋肉スケベ!・・・いたたたた・・・」
解った途端、濡れタオルをジョーの顔面に思い切り投げつけた。頭に血が上ったせいで、ぶつけた所が盛大にどっくんどっくん脈打って痛む。あたしは頭を抱えてまた床に背中を預けた。
「お前・・・人を罵倒する語彙は恐ろしく豊富だな」
当のジョーは涼しい顔で『冗談だ』なんて言って、
「で。何がそんなにキツい? まさか、体力的に、じゃあるまい」
何事もなかったようにタオルをあたしの頭に戻した。
ってか、人のことそんな絶倫魔神みたいに言わないで欲しいわ。
「・・・精神的に、よ・・・」
あたしは痛む頭に濡れタオルを宛がって、長い溜息をついた。
「なんか・・・さ。弱みにつけ込んで、無理矢理・・・その、強姦してるみたいで。何ていうか、すっごい、罪悪感。後味悪い。そんなことやってる自分が、ほんとキモい。マジ無理」
「? そんなに抵抗されたのか」
「・・・そうじゃ、ない。けど」
不思議そうに尋ねるジョーに、あたしは淡々と答える。
「だからって、嫌がってないとは限らないじゃん? あの子、じっと我慢のいい子ちゃんだから、苦しいとか嫌とか、絶対表に出さないし。もう他に方法がないの知ってるから、大人しく、されるがままになってるだけ、だと思う」
そうでなきゃ、こんなの、絶対―――
「―――!」
不意に背筋を走る、総毛立つような悪寒。
がっっ!
考えるより速く、弾かれたように起きて跳び退けば、今の今まであたしが転がっていた床を、ジョーの木剣が大きな音をたてて激しく打ち付けた。
「〜〜〜!!! ちょっ! いきなり何すんのよ!!!」
「ふん、流石だ。よく気付いたな」
悪びれた素振りの欠片も見せずに、ジョー。
「さすがじゃないわよ! あたし頭打ってんのよ! それが怪我人に対してすること!? ・・・いたたたた」
「・・・お前。これだけ人の気配が敏感に読めて、何故アイムの気持ちが読めん?」
「〜〜〜っっ! それとこれとは全然違うわよ!」
一寸痛いトコ突かれたけど、そこはおくびにも出さない。
「なら、直接聞いてみたらどうだ。本当に嫌なのかどうか」
・・・何て聞くのよ。
『あたしとするの、嫌?』って?
「んなこと聞けるわけないじゃん! バッカじゃない!?」
嫌じゃない、って言われても、素直に信じられないだろうし、嘘つかれるのも嫌。
かといって、嫌って言われたら、それはそれで凹むだろうし。
「・・・先に言っておくが、この件に関して俺は何もできんぞ? お前が自分で何とかしろ」
「いいわよ、別に。あんたにんなこと期待してないから」
「そうか」
ふ、と、まだ少し何か言いたげな表情で、小さく鼻で笑って、ジョーは立ち上がり。
「俺は飯の前に一風呂浴びてくる。頭はよく冷やしておけ」
そう言って、さっさと行ってしまった。
「・・・んあーーーー! もう! 何なのよ!!」
あたしは再び冷たい床に転がった。
ほんと、マジ頭痛い。いろんな意味で。
*
ダイニングに入ると、アイムはいつものエプロン姿でテーブルの支度をしていた。
「お早うございます、ルカさん」
あたしの姿を見ると、いつもの微笑でそう言う。昨日の朝より随分顔色がいいのは、ちゃんと眠れた証拠。
「もうすぐ朝食ができますから・・・え、と、その、頭・・・どうかなさいましたか?」
彼女はあたしが頭に載せた氷嚢とタオルを見咎めて、少し眉を顰めた。
「さっきジョーと模擬戦やったら、このザマよ。あいつ、マジなんだもん」
「・・・人聞きの悪いことを言うな、ルカ」
首からタオルを下げて、絶妙のタイミングでジョーがやって来た。
「マジで相手をしろと言ったのはお前だろう。それからアイム、その頭は俺が殴ったんじゃないぞ。こいつが自分でジャンプして天井にぶつけたんだからな。ついでに言うと、俺は先にこいつに一発殴られた」
「まあ。それでは、仕方ありませんね」
アイムはそう言ってくすくすと笑う。
「殴られたって何よ、あんたこそ人聞きの悪い。一本取られたって言いなさいよ」
軽くふて腐れるあたしを無視して、ジョーは自分の席にどかっと腰を下ろした。
「・・・酷く、痛みますか?」
アイムの手が、あたしの髪を遠慮がちに掻き分けて、頭に触れる。
「んー、さっきよりか大分いいけど・・・あづっ!」
触り方は結構大胆ですね、アイムさん・・・。
「これは立派なたんこぶですわね。傷にはなっていないようですが、念のために、今日一日は少し安静になさった方がよろしいかと思いますわ」
彼女はたんこぶから手を離すと、そう言って、あたしの顔を覗き込んで微笑んだ。
それは、いつもと少しも変わらない、愛らしい笑顔で。
―――昨夜のことなんて、なかったみたいに。
「ん。・・・ごめ、今日、体術の練習やろうって言ってたのにさ」
だからあたしも、何事もなかったようにそう返す。
自分はポーカーフェイス得意だって、今まで思ってたけど。
「いえ。体術の他にも、身につけるべきことは沢山ありますから」
アイムにだけは、敵わないかもしんない。
* * *
兎に角。
アイムが眠りを取り戻して以来、それは、あたし達のルーティーンになった。歯を磨いて、洗い髪を乾かして、夜着に着替える。眠りに就く前の一連の作業の最後に、肌を重ねることが加わった、そんな感じで。
―――そんなこと、長続きするはずがない、とは思ったけど。
それからまた、数日が過ぎた、晩。
お風呂上がりの日課を終えた彼女を抱き寄せようとしたら、両手でやんわりと押し返された。
「・・・アイム?」
俯き加減の、翳った表情。
「・・・わたくしなら、もう、大丈夫です」
辛いのを、これまで、ずっと、耐えてきた。そんな様子で。
「一人でも、眠れます。ですから―――」
台詞の最後、拒絶の言葉は、はっきりとは口に出さなかったけど。
「・・・ほんとに・・・大丈、夫?」
ついに、この時が来た。
「・・・はい」
俯いたまま、彼女は小さく頷いた。
「そ・・・っか」
これ以上、あんな風に、彼女を蹂躙しなくて済む。
「ん・・・それなら、いいんだ」
彼女は、あたしを拒絶した。
安堵と、失望。二つの感情が、あたしの中で複雑に混じり合う。
「アイムが、ちゃんと眠れるなら。それで」
あたしは、彼女の肩に触れた両手をそっと離した。
「・・・ごめんなさい。ルカさんには、嫌なお役目を押しつけてしまって」
そう言って、アイムは目を伏せる。
―――『嫌な役目』
「あたし・・・嫌がってるように、見えた?」
その一言が引っ掛かって、あたしは思わず尋ねる。
「最初は、そうは思いませんでしたが。日に日に、お辛そうな様子が、お顔に」
「・・・そんなに、バレバレだった?」
「いえ。その・・・伽のさ中に、ほんの一瞬、ふとした拍子に」
小さくかぶりを振る彼女。あたしは内心舌を巻いた。
「ほんと。アイムには、敵わないね」
事の最中に、そんな冷静に、観察されてるなんて。
「否定、なさらないのですね」
「ん・・・誤魔化したって、どうせバレんでしょ」
「・・・そう、ですね」
目を伏せたまま苦笑する彼女に、あたしは気まずさを誤魔化すように、髪をかき上げた。
「ごめん。アイムだって嫌なのじっと我慢してんのに、あたしが音をあげてちゃ、駄目だよね」
「・・・え?」
彼女ははっと顔を上げ、
「嫌なのを、我慢・・・わたくしが、ですか」
怪訝に眉を顰めて、あたしを見た。
「わたくしがいつ、そのようなことを申し上げましたか」
「・・・え? あ、っと・・・」
ムッとしたような強い口調に、あたしは思わず狼狽える。
「ルカさんは、最初に仰いました。『嫌なら、止めておく』と。わたくしは、そのうえで、お願いしますと申し上げました。お願いしたのは、お相手がルカさんだったからです。もしも伽のお相手が他の方でしたら、ルカさんでなかったら、お断りしていました。ルカさんになら、全てをお任せしてもいいと―――お任せしたい、と。そう思ったからで」
彼女は一気にまくしたてた。展開速すぎて、頭がついてかない。
何? 嫌じゃない・・・むしろウエルカム、ってこと?
ってか、もしかして、これって告白?
何それ。もう、頭が火吹きそう。
「・・・ルカさんこそ。嫌ならば嫌だと、仰ってくだされば。縋ったりなど、いたしませんでしたのに」
混乱しているあたしを他所に、彼女の声は次第にトーンダウンして、
「今更、拒絶なさるくらいなら。最初から、手を差し伸べたりなどなさらなければ、よかったのですわ―――」
最後は掠れそうな声を、絞り出すようにそう言って、顔に手を当て、俯いた。
嫌、って? 拒絶?
誰が―――あたしが?
何を―――アイムを―――?
「っ、ちょっ、待っ! 何でそうなんの!?」
「そうではありませんか!」
あたしが思わず声を上げると、アイムは珍しく語気を荒げた。
涙に濡れた瞳が、酷く恨みがましい。
「違うって!」
「何が違うのですか!? 先ほどは否定なさらなかったではありませんか!」
「っ、だから、誤解だって!」
「何がですか!」
あたしは必死に否定するけれど、彼女は普段のおしとやかさからは想像できない、強い口調で返す。
「あたしは、てっきり! アイムはそういうコトすんのヤなんだと思ってたんだってば!」
「―――! わたくしはちゃんとお答えしましたではありませんか! ルカさんが何度もお尋ねになる、その度に! ルカさんになら何をされても構わないと!」
そして、どうやらあたしは彼女の逆鱗に触れてしまったようで。
「ご自分が伽を苦痛に感じていらっしゃるから、相手もそうだと勝手にお思いなのでしょう!」
彼女の口調は一段と強くなって、
「わたくしを疎ましいとお思いなら、ひとこと、はっきり、そう仰ってください!」
最後は、ほとんど悲鳴のような声になった。
「だから! 何で! そうなんの!? おかしいっしょ!」
負けじとあたしも怒鳴り返し。
「あたしそんなことこれっぽっちも思ってない、言ってない! 絶対言わない! あたしは―――」
言葉に詰まったその時、ふと、一つの考えが頭を過ぎった。
「・・・・・・ああ」
頭に登った血の気が一気に引いて、自分でも不思議なくらい、冷静になっていく。
―――そうだ。
「そ、っか・・・そうだよ、ね」
あたしは大きな溜息を一つついて、
「あたしって、馬鹿。ほんと、馬鹿。そりゃ、アイムが怒んの、無理ないわ」
頭を抱えるように、髪をかき上げ、自分を嘲笑った。
「・・・ルカさん?」
急にトーンダウンしたあたしに、彼女は怪訝そうに眉を顰め、
「・・・ごめん、アイム。やっぱ、悪いの、あたしだわ。あたし、アイムに一つ、大事なこと言い忘れてる」
あたしがそう言うと、口をつぐんだ。
あたしは大きく一回、息を吸って、吐いて。それから、彼女の顔を見た。
「『好き』」
あまりにも短い一言で、彼女は肩透かしを食らったように、呆気にとられた顔をした。
「・・・え?」
「あたし、自分の中で思ってるだけで、アイムにちゃんと伝えてなかった。『好き』って。何で分かってくれないの、って、分かるわけないよね。ちゃんと言ったことないのに」
「ルカさん・・・」
潮が引くように、彼女の表情から、怒りと悲愴の色が引いていく。
「悲しませたくない。泣かせたくない。苦しませたくない。笑って欲しい。どうすれば喜んでくれる? どうすれば元気になる? って。いつもそんなことばっか考えてる。あたし結構自分勝手で我が儘だけど、アイムのためだったら大概のことは頑張れるし我慢できる。そのくらい、好き」
あたしは恐る恐る、彼女に手を差し伸べた。
振り払われるかと思ったけれど、彼女は大人しく、頬に触れさせてくれる。
「・・・けど。そういうこと、言葉にしてちゃんと伝えたことなかったんだよね。自分がものすごくそう思ってるから、いつのまにか、何となく、アイムも分かってくれてるだろうって、勝手に思いこんでた。そんなわけないじゃん、エスパーじゃあるまいし。ねぇ?」
―――ほんと、ごめん。
そう言うと、彼女は小さくかぶりを振って、あたしの手に自分の掌を重ね、その手に頭を預けるように、首を傾げた。
「アイムと天秤にかけたら、大概のことはホントどうでもいい。この世で生きてる人ぜんぶの中で、今、アイムのことが一番、好き」
あたしはそう言って、空いた手で彼女の背中を引き寄せ、華奢な体を抱き締めた。
返事の代わりに、彼女の腕が背中に回される。
「・・・では。・・・の時、お辛そうだったのは・・・何故、ですか」
耳元で囁くように、彼女が問うた。
「・・・いくらアイムがいい、って言ったって、成り行きが、仕方なく、って感じじゃん? だから、ほんとは嫌なのを、無理させてるんじゃないか、って思って・・・なんだか、弱みにつけ込んで、ご・・・その、手篭めにしてるみたいで、ヤだったんだよね」
「っ―――」
彼女はあたしを抱き締める腕にぎゅっと力を込めた。
「ごめんなさい・・・ルカさんのお気持ちも知らないで、責め立ててしまって」
「んん」
あたしも、抱く腕に少しだけ力を込めて、応える。
「・・・・・・怖かったんです」
「ん?」
「・・・ルカさんに、疎まれているかもしれない、と思ったら」
「、ん」
「近頃は、夢よりも、そちらの方が怖くて」
「・・・ん」
「伽のたびに、ルカさんのお顔を覗き見ては」
「ん」
「不安は募るばかりで」
「ん」
「・・・怖かったんです―――」
「・・・・・・ん」
彼女の体を抱き締めていた腕を緩めて、その顔を覗き込んで。
頬を伝う涙を指で拭って、震える唇に、キスをする。
深い口吻けに、彼女は覚えたばかりの舌使いで懸命に応えた。
何も、考えないで。
なんにも考えないで、ただ、愛おしいという思いだけに突き動かされてするキスは、胸を熱く、甘く、締め付ける。
―――ああ。
こんな風にしたかったんだ、あたし。
「っ、ふ―――」
もうこれだけで十分満足、なんて、乙女みたいなことをうっかり思ってしまうくらい。
息を継ぐのも忘れて、文字通り、ただただ、溺れるように口付けた。
「・・・ルカさん」
「ん?」
唇が離れて、乱れた呼吸が落ち着いた頃、アイムが再び口を開いた。
「ひとつ、伺っても、よろしいでしょうか」
「ん。何?」
抱き締める腕を緩めて、顔を合わせる。
と、彼女は少し恥ずかしそうに俯いて、
「え、と。その―――」
何か言いたげに、けど言いにくそうに、口ごもり。
「もしも、わたくしが、悪夢を見なくなってしまったら。その時は・・・ルカさんは、あの・・・」
そこで言葉に詰まってしまった。
・・・何これ。
メッチャメチャ可愛いん で す け ど !
「えー。何? ちゃんと言ってくんなきゃわっかーんなーい」
そんな顔されたら、ちょっと、虐めたくなっちゃうじゃん。ねぇ?
「・・・・・・」
彼女は一寸ムッとした顔をして、それからまた俯いて、
「ルカさん、意地が悪いですわ」
上目遣いにあたしを軽く睨め付ける。
「っ―――」
それは、あたしの理性を吹っ飛ばすに十分の破壊力で。
「・・・ごめ、今更『もういいです』とか言われても無理。あたしが我慢できない」
あたしは彼女を抱いたまま、シーツの海へダイブした。
こんな風に、言いたいことをぶつけ合って。
腹の中をさらけ出して。
それでも伝えきれないことは、肌を重ねてわかりあう。
これからも、きっと、あたしたちはそうやって一緒にやっていくのだろう。
―――あたしたちの旅は、まだ、始まったばかり。
《fin.》
―――蛇足―――
翌日、
「最初からそうすればよかったんだ。馬鹿かお前は」
そう言い放ったジョーを、あたしはグーで思い切りぶん殴った。
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