49th Year

星に願いを


「Hey提督!」
 一応礼儀に則ったノックに続き、執務室の扉が派手な音をたてて開いた。
「……金剛」
 老提督が、丸眼鏡越しにじろりと睨めつけた。事務方の大淀は完全にスルーを決め込んでいる。
「あんたは。もうちょっと静かに出入りできないもんかね」
 齢七十を過ぎてなお眼光鋭いこの人物が、精鋭揃いの当鎮守府を預かる提督その人である。
「堅いことは置いとくネ」
 その眼光をさらりと流す金剛もまた、この提督と長年を共にしてきた歴戦の武勲艦である。
「私はレディをエスコートして来ただけヨ」
 金剛がそう言うと、その後ろから小柄な少女が二人、ひょこりと姿を現した。
「Здравствуйте」
「ごきげんよう、提督」
 姿勢を正して敬礼する響と、スカートを摘み、頭を垂れて跪礼する暁。
「ああ、ごきげんよう。……お前たちが金剛を見習わなくて、本当に良かったよ」
 老提督はちらり、と金剛を一瞥するが、当の本人は聞こえないふりをした。
「提督もこれ! 書いてくださいね!」
 暁が元気よくそう言って、執務机に紙を一枚、置いた。
 一番上にひとつ穴のあいた、萌葱色の和紙の短冊。
「……何だい、こりゃ」 
「短冊です。七夕の」
 響が簡潔に答える。
「食堂に大きな笹飾りを置いて、皆で願い事を書いています。提督も、一筆どうぞ」
「大淀さんも、はいっ、これ」
 暁はそう言って、秘書艦の机上にも短冊を置いた。こちらは、淡い浅葱色。
「ありがとうございます。そういうことなら」
 大淀は微笑んで、短冊を手に取った。
「またあとで取りに来ますから------」
 そう言う響の目の前で、老提督は愛用の万年筆を手に取ると、萌葱色の短冊にさらさらと何かを書きつけ、
「持ってっておくれ」
 無造作に突き出した。
「えっ、早っ!?」
 暁が素っ頓狂な声を上げる。
「私も。できました」
「え、ちょ、大淀さんも!? 早っ!」
 いつもポーカーフェイスの響も、声こそ出さないが少なからず意外そうな顔をした。
「どれどれ、何て書いたノー?」
 響の受け取った短冊を、金剛が後ろからのぞき込む。

  『ピンコロ    木暮光子』

「『ピンコロ』って……何?」
 金剛と駆逐艦娘が、揃って首を傾げた。大淀は微苦笑を浮かべている。
「元気でピンピンしてたのがコロっと死ぬ、ってことだよ」
 万年筆のキャップを締めながら、老提督が答えた。
「Oh……」
 金剛が微かに眉を顰める。
「大淀さんは?」
 暁が尋ねると、大淀はにっこりと笑んで浅葱色の短冊を差し出した。

  『鎮守府予算が大幅増額されますように  大淀』

「Oh……my goodness!」
 金剛は顔を手で覆い、天を仰いだ。
「ちょっと、二人とも何なノ、そのRomanticさのカケラもない願い事は!? 二人とも、乙女がそんなことじゃ駄目ネ!」
「何寝ぼけたこと言ってんだい」
 老提督は革張りの椅子に深く背を預けた。
「七十過ぎのババアをつかまえて何が乙女だよ」
「何言ってるノ! 歳なんか関係ないネ! 女は幾つになっても乙女ヨ!」
 ふん、と鼻で笑う老提督に、金剛は人差し指をびしっ!と立て、胸を張って言い返す。
「そんなこと言われてもねぇ」
「ないノ!? もうちょっとRomanticな願い事!あるでしょ!? ひとつやふたつ!」
 金剛は執務机にばんっ! と両手をついて、老提督に向かって身を乗り出す。
「いくら言われても、無いものは無いよ」
 老提督は心持ち面倒臭そうに眉根を寄せ、
「そういう意味じゃ、あたしゃ何の不足も不満もないからね。これ以上何を願えっていうんだい」
 さらりとそう言って、金剛の顔を見た。
「っ------」
 不意を突かれて、金剛の貌にさっと朱が挿す。
「……ミツコ、急にさらっとそういうコト言うの、ほんとズルいネ……」
「えっ、なになに、今のどういうこと?」
「……うん、あとで教えるから、暁、ちょっと静かにしてようか」
 熱を持った頬を手で押さえる金剛の横で、わけの分かっていない暁を響が静かにたしなめた。
「〜〜っっっ、大淀! 大淀はどうなノ!? YouならRomanticな願い事があるでショ!?」
 金剛は照れ隠しのように殊更に声を張り上げて、秘書艦のデスクの方に向き直った。
「あっ、そうだ!そういえば、明石さんがね------」
「……『明石』……?」
 何かを言いかけた暁を、大淀は抑揚のない声で遮り、すぅっ、と目を細めた。
「そんなポンコツ艦、うちの鎮守府にいましたでしょうか?」
 暁は表情を引きつらせ、ひっ、と息を呑んで後退る。ここは踏み込んではいけない領域だと、瞬時に理解したようだ。
「……じゃあ、短冊は貰っていくよ。暁、行こう」
 響はそう言って、早々にここから退散することに決めた。流石は不死鳥と呼ばれた幸運艦、咄嗟の判断力は流石である。
「ああ、私も行きます」
 と、大淀は机に両手をついて立ち上がった。先刻の修羅のようなオーラは微塵も感じられない。
「皆さんがどんな笹飾りを作ったのか、私もちょっと見てみたいと思って……提督、よろしいでしょうか」
 そう言って大淀が暇乞いをすると、老提督は鷹揚に頷いた。
「では、ちょっと失礼します」
「ごきげんよう!」
「До свидания」
 駆逐艦娘たちと大淀が退室し、後には提督と金剛だけが残された。
「……マッタク。うちの鎮守府は女子ばっかりの割に女子力が足りないネ!」
 金剛は溜息をついて両掌を天に向け、大仰に肩をすくめて首を振った。
「人のことばっかり言って、そういう自分は何て書いたんだい」
 執務机に両肘をつき、手を組んで、老提督が問う。
「ワタシの願いなんて、一つしかないヨ」
 金剛はそう前置きをすると、ふいと微笑みを浮かべた。
「『ミツコと、一日でも長く一緒に居られますように』」
 いつもの自信に満ちた不敵な笑みではなく、柔らかく、儚げな、そのまま泣き出してしまいそうな。
「……まあ」
 そんなこったろうと思ったよ、と、老提督はぼそりと呟いた。
「ミツコは、そう願ってはくれないノ?」
 苦笑混じりに、金剛が問う。
「そんなことは、ね。神頼みなんかするもんじゃないよ。そんな暇があったら、ちっとでも長生きする努力をした方がマシだね」
「……ミツコらしいネ」
 ふん、と鼻を鳴らす老提督に、金剛は愉快そうに笑った。
「だいたい」
 老提督は言葉を続け、
「牽牛織女、ってのは、怠け癖が過ぎた罰で別れさせられた馬鹿者夫婦だよ。そんな連中に大事な頼みごとなんてできるもんか」
 そう言って、眉間の皺を一層深くした。
「------ホンっ、トに。ミツコってば」
 金剛が苦笑する。
「……何だい」
 何か文句があるのか、と、老提督が睨む。彼女が照れ隠しに不機嫌を装うようになったのは、随分歳をとってからのことだ。金剛は満足げに微笑んで、首を横に振った。
 暫し訪れる、沈黙。
「それなら」
 金剛が、口を開いた。
「もしも、ヨ? 現実にはありえないコトでも、どんなコトでも、一つだけ、願いが叶うとしたら」
 ------ミツコは、何を願う?
 そう問われると、老提督は、机の上で両手を組んで、ふ、と息を吐いた。一見ただの不機嫌に見えるが、これは何かを彼女なりに真剣に考えている時の仕草である。
「そうさ、ね。例えば、あんたと一緒に年を取る、なんてのは」
 どうだろうね、と。
 老提督は組んでいた手を解くと、革張りの椅子に背中を預けた。
「二人で、同じように、ババァになって、どっちが皺が多いかだの、どっちの腰が曲がってるかだの、なんて、くだらないことでケンカして」
 そうして、ふ、と口元を綻ばせ。
「で、できることなら、あんたより一日早く、お迎えに来て貰うのさ……どうだい、とびきりロマンティックだろう」
 これなら文句あるまい? と。
 そう言って、小さく笑った。
「……悪くないネ。けど」
 執務机に凭れて、金剛が眉を顰める。
「ひとつだけ気に入らないヨ。最後のところ、どうして、ミツコのお迎えが一日早いノ ------ I mean, そこは普通、一緒に天に召される、でショ? 私と一緒じゃ嫌なノ?」
「そんなんじゃ、ないよ」
 寂しげに微苦笑する金剛に、老提督は素っ気なく答えた。
「じゃあ、何デ?」
「別に。どうでもいいことだよ」
「嘘」
 突っ慳貪に言う老提督に、金剛が食い下がる。
「嘘なんかじゃないよ」
「嘘ネ。さっきミツコ、『一日早く』のとこ、大事そうに言ったネ!」
「別に、そんなつもりじゃないよ」
「誤魔化しても駄目ネ。それとも、何? 何か、やましいことでもあるノ?」
「そんなこと。あるわけないだろう」
「じゃあ何デ」
「どうでもいいじゃないか、そんなこと」
「どうでもよくないネ」
 金剛の容赦のない追求に、
「〜〜〜っ、しつっこいねあんたは!」
 老提督が爆発した。
「あたしがどうでもいいってんだから、どうでもいいんだよ!」
「しつこいのはミツコの方ネ!」
 金剛も誘爆する。
「やましいことがないなら、さっさと本音を言えばいいネ! 死ぬ時まで私と一緒にいたくないなら、そうはっきり言えばいいでショ!」
「だから! そうじゃないっつってんじゃないか! このわからず屋……っ!」
 老提督が急に激しく咳込んで、口論は一旦水入りとなった。白詰襟の軍服の背中を、金剛の華奢な手が上下に擦る。
「……ホラ、あんまり聞き分けがないから、バチが当たったネ」
 眉根を寄せ、呆れ混じりに、金剛が言う。
「……っがっ、ばっ………、かみさっ……も、っ、んで、……ど、暇……ないっ、」
 咳込みながらもまだ文句を言っていた老提督も、呼吸が落ち着くに従ってやっと冷静さを取り戻した。
「……別に」
 深い呼吸を一つ、二つついて、老提督が口を開く。
「本当に、大したことじゃ、ないんだよ。ただ」
「……ただ?」
 金剛は、提督の背を撫でる手を止め、途切れた言葉の続きを、彼女にしては辛抱強く、待った。
「……何でもない」
「OH!」
 天を仰ぐ金剛。
「ここまで引っ張って、それはないネ、ミツコ」
 そして、心底がっかりしたように首を横に振った。
「本当に、なんでもないことなんだよ。ただ」
 老提督は、ついに観念したように溜息をついて。
「ただ」
「ただ?」
「……ただ」
 金剛は急かしたくなるのをぐっと堪え、もう一度待った。
 やがて、
「……あたし一人が残って、あんたを見送るのも、あんたの見送りなしで一人で行くのも、面白くない、って、そう、思った」
 ------それだけのこと、だよ。
 老提督はぼそり、と、独り言のように呟いた。
「OH……」
 金剛は、二、三度目をしばたかせ。
「Mitsuko, you're so sweet! 可愛いネ!」
 飛びかかるような勢いで、老提督の首に抱きついた。
「だぁっ! 七十過ぎのババァを捕まえて可愛いなんて言うんじゃないよ!」
「Mmm, そんなに照れなくてもいいネ! Oh, how adorable!」
 老提督の悪態を聞き流し、頬を擦り寄せる金剛。
「照れてない! あぁあ執務室でまとわりつくんじゃないよ! 場所と時間をわきまえな!」
 提督は必死に振りほどこうとするが、艦娘、しかも戦艦娘に腕力でかなうはずもなく。
「……大丈夫」
 耳元で、金剛が囁く。
「私は、ミツコより先に死んだりしないネ。ゼッタイ」
「……そんなこと」
 老提督は眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げた仏頂面で、
「分かってるよ、わざわざ言わなくったって」
 殊更に素っ気なくそう言った。
「I know,」
 ------私が、言いたいだけネ。
 金剛はそう囁いて、目を閉じた。


《fin.》


ちなみに、執務室を出て行った大淀さんは

  


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