49th Year

春の海


 春の海 ひねもすのたりのたりかな

 鎮守府の管理棟から見える海はまさしくそんな風情なのだが、その管理棟の中は、というとそうでもなかった。
「……ふん」
 老婦人は、まるで取るに足らぬ物をあしらうように、鼻を鳴らした。
 男性であれば、ロマンスグレーなどと持て囃されるであろう、白に黒の混じった引っ詰め髪。しゅっと通った鼻筋、薄い唇、眉間の縦皺、丸眼鏡。若い頃はさぞかし美しかったであろうと思われる容姿の持ち主だが、レンズの奥の鋭い眼光とぴんと張りつめたような隙のない姿勢は、軍人、しかもかなりの武闘派のそれらしい。
「……海軍中将殿がわざわざこんなところまで、直々にお出ましになって。何を言うかと思えば」
 溜息混じりに、老婦人が言う。
  ふつふつ、ふつふつ。
 耳を澄ませば、臓腑が煮えたぎる音が聞こえてきそうで。
 正面に座った初老の男性は、微動だにせず、老婦人の言葉を待っている。ロマンスグレーと呼ぶにはまだ少し早い七三分け、こちらも詰襟の軍服姿だが、纏う空気は老婦人のそれよりも遙かに穏やかである。
「人を馬鹿にするのもいい加減におしよ。そんな要求、誰が飲むもんか」
「……お言葉ですが」
 中将、と呼ばれた男性は、円やかな、けれど張りのあるテノールで言った。
「要求、ではなく、命令、だそうです」
  ぐつぐつ、ぐつぐつ。
「……中々、面白いことを。言うじゃないか、え?」
  ぐらぐら、ぐらぐら。
「こんな老いぼれを戦に引っ張り出しておいて、よくもまあそんなふざけたことが言えたもんだね……そんなに、あんた等の思い通りにしたいなら」
 ーーー一気に、沸騰する。
「さっさとあたしの首を切ることだね! それで何も知らないガキでも後釜に据えて、お人形遊びでも何でもすりゃいいだろう。その気がないなら今すぐ帰んな! おとといおいで、このヒヨッコが!」
 暫しの、沈黙があって。
 もうとりつく島もないほどにすっかり機嫌を損ねてしまった老婦人に、中将は無言で一礼をすると、ゆっくりと席を立った。ヒヨッコ、などと罵られていたが、急に立ち上がれば腰を痛めかねない、彼だってその程度には年を重ねてきた人物なのである。
 中将が廊下に出ると、巫女装束に似た衣装に身を包んだ艦娘が控えていた。戦艦娘の榛名である。今日のように招かれざる客を追い返すとき、見送りとしてせめてもの礼を尽くすのは、秘書艦の金剛でも、ましてや老婦人自身でもなく、大抵はこの榛名の役割である。今日も、老婦人の『今すぐ帰んな!』という怒鳴り声を聞き、そろそろ自分の出番が近いことを察して廊下で控えていたのである。
 こうして、中央からはるばるやってきた海軍中将は、とぼとぼと帰途についた。
「金剛! 金剛、こーんーごーう!」
 老婦人は深い溜息を一つつくと、応接室のソファから立ち上がり、秘書艦の名を呼んだ。
 ほどなく、提督室へと続くドアが開き。
「Hey, 提督。ちゃんと聞こえてるヨ」
 現れた金剛が、呆れたように肩をすくめる。
「そんな、竿竹屋みたいにヒトの名前を連呼しないで欲しいネ!」
「……そういう口ごたえの仕方を、いったい何処で覚えてきたのかね、あんたは」
 老婦人は腰に手を当て、また小さな溜息を一つつく。
「ま、いいわ。金剛、玄関に塩撒いてきて頂戴……って。何が可笑しいんだい」
 くすくす笑いをかみ殺す金剛を、丸眼鏡の隙間からじろりと睨めつけて、老婦人は眉間の皺を深くした。並の艦娘なら思わず怯むところだが、
「……だって」
 怯むどころか、金剛は可笑しくてたまらない、という風で肩を揺する。
「提督、あのオジサンに『こんな老いぼれを引っ張り出して』なんて言ってたけれど、自分では老いぼれだなんてこれっぽっちも思ってないでショ」
 老婦人は当たり前だ、とでも言うように、ふん、と鼻を鳴らした。
「それに」
 金剛はふ、と目を細め。
「私、ちゃんと覚えてるネ。さっきのオジサンがあの日、私たちの家にやってきて、ミツコに『軍に戻って欲しい』って言ったときのこと」
 公務中は提督とお呼びなさい、と、老婦人はまた眉をひそめる。
「……テートク、口では渋ってたけど、本当は満更でもなかったネ」
 ーーーそれなのに、まるで無理矢理引っ張り出されたみたいに言っちゃって。可笑しいネ!
 そう言って、ころころと笑った。
「……そんなこと言って、あんただって」
 老婦人はつかつかと、金剛の前を横切って提督室へと移動する。
「ここに来た日。顔は思い切りニヤニヤして嬉しそうな癖に、『Oh……またドンパチばっかりのヤクザな生活に逆戻りデース』なんて。よく言うわ、って思ったわよ」
 デース、のところでわざとらしく肩を竦めて、老提督は自分の椅子にどさり、と腰を落とした。
「何言ってるノ、提督」
 金剛は人差し指をぴっと立て、チッチッ、と左右に揺らし、
「私は元々艦娘ヨ。艦娘はドンパチする為に生まれたヤクザな生き物ネ。嬉しくて当たり前ヨ!」
 してやったり、といった風にニヤリと笑った。
 勝ち誇ったようにほくそ笑む金剛を、むすっとした表情で見つめていた老婦人だったが、結局返す言葉が見つからず、黒革張りの椅子に背を預けると、長い溜息を一つ、ついた。
「……ま、そうだわね」
 そして、両の肘を執務机につくと、両手を組み、その上に顎を載せてまた一つ、溜息をつき。
「思い出すわ。あんたと一緒に、ここに来た日のこと」
 ぼんやりと、どこか遠くを見るように、視線を虚空へと泳がせた。
「十年ぶりに戦装束に袖を通して、艤装を着けたあんたを見たとき、何ていうんだろうね……ゾクゾクしたわ。何て綺麗なんだろう、ってね」
 すう、と熱が引くように、金剛の顔から悪戯ぽい笑みが消える。老婦人はそれには気づかぬ風で、追憶の中に視線を彷徨わせていた。
「まるで生まれ変わったみたいに生き生きして……ああ、これが戦艦娘の本来の姿なんだ、って思って。何て美しい生き物なんだろう、って思ったわ。そして、その美しい生き物を、陸に引っ張り上げて十年も縛り付けてたあたしは、何て罪深いことをしたんだろう、って、ね」
 ーーーそう、思ったもんだよ」
 老婦人がそう言って、深く長く、息を吐いて。
「……ああ、嫌だ嫌だ。柄にもなくしんみりしちゃって。そんなことより金剛、とっとと玄関に塩ーーー」
 気を取り直し、そう言いかけた時。
「ーーーミツコ」
 いつの間にか椅子の横に立っていた金剛が、老婦人を背中から抱きすくめた。
「……公務中は『提督』だろう。それから、こういうことは、時間と場所をわきまえる」
 努めて淡々とした口調でたしなめる老婦人の、言葉を聞いているのかいないのか。白い引っ詰め髪に、金剛は頬を擦り寄せた。
「ゴメンなさい……そんなつもりで、言ったんじゃ、ないネ」
「……んなこた、わかってるわよ」
 酷く叱られた後の幼子のような心許ない声で呟く金剛に、老婦人は、あんたってそういう遠回しな嫌味とか苦手だもんね、と、さばさばした口調で言った。
「……私は、ミツコの行くところならどこだって良かったネ。海とか陸とか、そんなこと、どうでもよかったネ」
 老婦人の肩を抱く金剛の腕が、強くなる。
「……ん、」
 わかってる、と。
 素っ気なく、けれどどこか甘く。老婦人は零すようにそう言って、骨ばったその手を、少女のように瑞々しい、金剛の手に重ねた。
「……I love you」
 皺の刻まれた老婦人の頬に自分の頬を擦り寄せ、金剛が囁く。
 金剛は、彼女の皺が好きだった。それは、若き女寡の彼女が初めて金剛のいる鎮守府で提督の任に就いて以来、今日に至るまで、彼女の伴侶として苦楽を共にした日々の証だった。
「……I know,」
 愛の言葉というにはあまりにも素っ気ない、けれど柔らかな声音のそれは、幾歳取っても照れ屋の性分が治らない、老婦人の精一杯の答えで。
「……I love you」
 金剛も、それを咎めたりはしないで。
「……I know,」
 自分の手に重ねられた彼女の骨がちな手を、もう一方の手で包み込んで。
「……I love you」
「……I know,」
 静かに目を閉じ、もう幾度繰り返したか知れない遣り取りに、想いを重ねるのだった。


《fin.》

  


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