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 夜の海から、艦娘達が次々に桟橋へと上がってくる。

 海上護衛任務に就いていた水雷戦隊が予定より大幅に遅れて帰投したのは、もう日付が変わろうかという夜更けだった。彼女達が歩く度、足元の艤装が木製の桟橋に擦れてゴトゴトと重そうな音を立てる。季節は厳寒、二月の半ば。艤装の動力によって熱を帯びた彼女達の体からは湯気が立ち昇り、投光器の明かりに白く浮かび上がる。
「朝潮ちゃん」
 寒空の下、艦隊の帰りを待ち構えていた荒潮が、武装解除のためにドックへと向かう列に声をかけた。応えるように、朝潮が列を外れて彼女の元へと駆け寄り。
「お帰りなさぁい」
 そう言って柔らかく笑む荒潮と視線が合うと、ただいま、と目を細めた。
「寒かったでしょう。部屋で待っていてくれてもよかったのに」
「ん……まあ、ねぇ。けど」
 少し申し訳なさそうに苦笑する朝潮の艤装に、荒潮はちらりと目を遣った。爆雷がかなり減っているが、目立った損傷も朝潮自身の外傷も無いようで、内心ほっと胸を撫で下ろす。
「日付が変わる前に戻る、って聞いたから。折角だし、今日のうちに渡したくて」
 荒潮はそう言って、後ろ手に持っていたものを差し出した。白い包装紙に青いリボンのかかった、細長い小箱。
 ------今日は二月十四日、聖バレンタインデー。
 朝潮は一瞬きょとんと目を見開き、
「……ありがとう、ございます」
 その箱を両手で恭しく受け取ると、そう言って破顔した。
「今。開けても、いいですか」
「どうぞ」
 微笑みで答える荒潮の視界の端に、ドックの建屋の入り口から顔を出す明石の姿が映る。朝潮をここで引き留めていることを咎められるかと思ったが、明石はこちらの様子を少し窺って、何も言わずに引っ込んだ。
 そうしている間に、朝潮はリボンと包装紙を丁寧に解いて、小箱を開けた。中身は、整然と並んだトリュフチョコレート。
「一つ、頂いても?」
「勿論」
 そのために作ったんだもの、と荒潮。いちいち慇懃に尋ねる朝潮に、全く苛立たないと言えば嘘になるが、
「……うん。美味しいです」
「よかったぁ」
 真面目面をしつつ、口の端がもぞもぞして喜びを今一つ隠しきれていないその顔を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくるのだった。
「ギリギリだったけど、なんとか今日のうちに渡せたし」
 安心したようにそう言って、荒潮は目を細めた。その言葉に、朝潮は桟橋の時計を振り返って見る。
 時刻は二三五五、あと数分で日付が変わる。
「……ごめんなさいね、引き留めちゃって」
 そう言って、話を切り上げようとする荒潮を、
「もう一つ、頂いてもいいですか」
 繋ぎ留めるように、朝潮はそう問うて。
「どうぞ?」
 トリュフをもう一つ、口に入れ。
 丁寧に箱に蓋をし、落とさないように左手でしっかり握ると。
 荒潮が踵を返すより先に、その手を素早く彼女の腰に回して引き寄せ、
「!?」
 右手を冷え切った彼女の頬に添えて、唇に自分のそれを重ねた。
 目を白黒させる荒潮の、唇を割って滑り込む、朝潮の舌と、
「------、」
 少し溶けた、チョコレートガナッシュ。
 抱き寄せられた一瞬に感じた硝煙と潮の匂い、それをかき消すようなカカオのほろ苦い香りに砂糖の甘さ。
 頬に触れる掌から、制服越しに密着する身体から、伝わる熱。
 腰を引き寄せる腕の強さと、唇の柔らかな感触。
 突然与えられた様々な強い刺激に、荒潮が目眩を覚えたのも束の間。
「……すみません」
 唇が離れ、代わりに額が重なって。
「お持たせで申し訳ないのですが、私も、日付が変わる前に、何か渡したくて。私からのちゃんとしたチョコレートは部屋に置いてあるので、また後で改めて渡します」
 朝潮の言葉が途切れると同時に、解かれる抱擁。
「あと、これを。私がこのまま持っていると溶けてしまいそうなので、私が戻るまで預かっていてくれませんか」
「あ……うん、」
「では。また後で」
 差し出された小箱を荒潮が生返事で受け取ると、朝潮は機敏な動作で踵を返し、ごとごと、がちゃがちゃと音をたてながら小走りでドックへと駆けていった。


「も………、」
 唇を押さえてその場に立ちすくむ荒潮の、口の中で溶けて消えてゆくチョコレート。その香りとは裏腹に、胸の鼓動は速くなり。
「………ばか」
 先刻の出来事が頭の中でリフレインする度に熱くなる頬を夜風が冷ましてくれる頃には、もう二月十五日になって暫く経っていた。

(Fin.)


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