The Winner Takes It All


 ノーブル学園 学生寮 寮則(抜粋)
第二十一条 体調不良者の扱い
寮生が体調不良を訴えたときは、状況によって次のような措置をとるものとする。
一、安静・休養によって回復が見込まれるときは、休養室で休養するものとする。寮職員は、昼夜を問わず、体調不良者を常時観察し、必要な処置を行う。
二、寮生本人が医師の受診を希望した場合、又は寮職員がその必要があると判断した場合は、保護者の了承を得て、学校医の診察を受けることができる。

 cough-cough

 軽めの咳を一つ二つして、海藤みなみは枕に頭を預けたまま深い溜息をついた。目の前に見えるのは、見慣れた自室、二段ベッドの上段の裏側ではなく、白い天井板。ここは休養室、寮母の白金がいる詰所の、隣にある小部屋。風邪をひいたみなみは、寮の規則に則り、寮母の白金の観察の下、一晩ここで様子を見ることになったのだ。
(−−−−−−結局)
 『みなみは、冬になるとよく風邪をひくから。心配だわ』
(今年もまた、ひいてしまったわね)
 母の言葉を、思い出す。
(去年のことを思えば、随分まし、だけど)
 一年生の時には、ひどい高熱を出して、寮母の白金にも実家の両親にも随分心配をかけてしまった。その時の事を思い出しながら、みなみはサイドテーブルに置かれた常備薬の風邪薬とミネラルウォーターのボトルをぼんやりと眺めた。

 knock-knock

 と、入り口の扉をノックする音。寮母の白金ではない。礼儀作法に厳しいこのノーブル学園で、二回ノック、所謂「トイレノック」が何度注意されても直らない人物に、みなみは一人だけ心当たりがあった。
「はい−−−−−−っ、」
 みなみは答えて、また軽く咳込む。声を張り上げようとすると、どうしても喉に何かが引っかかった。
「失礼します」
 入ってきたのは、みなみの幼馴染みにして同級生、生徒会副会長の東せいら。彼女は、部屋の中に寮母の白金がいないとわかると、ほっとしたような顔をした。腹の中で何を考えているか、傍目にも分かり易いタイプである。
「みなみ。具合、どう?」
 せいらはそう言って、ベッドサイドにある丸椅子に腰を下ろした。
「まあまあ、ね」
 さすがに去年みたいなことはもうないわ、と、みなみ。思えば、その時はこの幼馴染みにも随分心配をかけた。
「そっか、うん。『大丈夫、心配ないわ』って言わないってことは、大丈夫、ってことだね」
 せいらは安心したように笑った。
「……私って、そんなに天邪鬼かしら」
 少し、憮然とするみなみ。
「天邪鬼、っていうか。強がり、かな……あ、これ、お見舞いね」
 せいらはくすくすと笑いながらそう言って、持っていたビニール袋の中身をサイドテーブルに置いた。
「十疋屋の白桃ゼリー。みなみ、これ好きだったよね?」
「ええ」
 十疋屋、といえば日本橋に店を構えるセレブ御用達の高級フルーツ専門店で、その白桃ゼリーは、厳選された最高級の白桃の果汁と果肉をふんだんに使用した至高の逸品。こんな代物がパッと出てくるあたり、東せいらもやはり名家の令嬢なのである。
「好意は『素直に』受け取らせていただくわ」
 ありがとう、と、みなみは少し掠れた声で答えると、悪戯ぽく笑った。

 knock-knock-knock-knock

 再び、誰かが扉をノックする音がした。正式な作法に則り、ノックは四回。
「はい−−−−−−、」
「どうぞ」
 やはり思うように声の出せないみなみの代わりに、せいらが応えた。
 よく通る、アルトの声。
「失礼します」
 開いた扉から姿を現したのは、西峰あやか。せいらと同じく、みなみの幼馴染みにして同級生、生徒会では書記を務める。ついでに言うと、せいらのルームメイトで、長身にショートヘアでアスリート然としたせいらとは対照的な、ふわふわヘアの白皙の美少女。
「みなみ。具合は、どうかしら?」
「まあまあ、ね。……少し、薬が効いてきたみたい」
 先刻のせいらと同じ質問を投げるあやかに、先刻とほぼ同じ答えを返すみなみ。
「私も、お見舞いを持ってきた……というか、連れてきたのだけど」
 あやかは、サイドテーブルの上に載せられた白桃ゼリーをちらりと見ながらそう言うと、ドアの外に振り向き、どうぞ、と声をかけた。
「あっ、はい! えっと……失礼します!」
 甲高い声とともに姿を現したのは、一年生、春野はるか。
 その瞬間、東せいらは『あーっ!』と声を上げ、額に手を当てて天を仰いだ。
「みなみさ……ん、っと、東せんぱい! ごきげんよう!」
 みなみの傍らに先客の姿を見つけたはるかは、ぺこりと頭を下げる。
「やられた……その手があったかぁ……」
「……せいら? ちょっと、何なの、いったい」
 訳が分からない、という風に、みなみは眉を顰めた。
 せいらの不可解な反応に、はるかも首を傾げている。
「別に、何でもないのよ?」
 澄ました顔で、あやかが言う。
「ただ、せいらと私で、ゲームをしよう、っていうことになってね。みなみにお見舞いを一つずつ用意して、みなみをより喜ばせた方が勝ち、っていう」
「……ちょっ、」
 思わず咳込むみなみ。せいらは、というと、一人頭を抱え、うあー、とか、負けたー、とか、そんなことを喚いている。はるかはまだ、きょとんとしたまま首を傾げていた。
 その様を見て、あやかは満足げに微笑む。
「貴女達……病人を出汁にして遊ぶの、どうかと思うわ」
 深く息を吐き、乱れた呼吸を整えながら、みなみ。頬の赤みが増したように見えるのは、熱や咳のせいばかりではないようだ。
「あら、ごめんなさい?」
 全く悪びれもせずに、あやか。
「それで、みなみ。この勝負、どっちの勝ちだと思う?」
「……それ、どうしても答えなきゃいけない?」
 みなみは呻くように言って、眉根を寄せた。学園一の才媛・海藤みなみが答えに窮するという、実に希な光景。
 そうねぇ、とあやかは、少し考える風で自分の唇に人差し指を当て。
「……いいわ。みなみのそんな顔を見られただけで、十分よ」
 そう言って、うふふ、と悪戯ぽく笑った。
 そして、
「ほら、せいら。これ以上『お邪魔』しては良くないわ。帰りましょう。……それじゃ、みなみ、春野さん、ごきげんよう。ごゆっくり」
 『ないわー、ホントないわー』だの、『ムリムリムリ、マジムリ』だの、ノーブル学園の生徒にはあまりふさわしくない台詞をぶつぶつと呟いているせいらをせき立てて、ドアの向こうへと姿を消した。


「あっ、あの、えっと……、なんだか、その……ごめんなさい」
 先輩二人をお辞儀で見送ったはるかは、床に伏したみなみへと向き直ると、開口一番そう言った。
「……どうして、はるかが謝るの」
「え、っと。せっかく、お友達がお見舞いにいらっしゃってたのに、なんだか、お邪魔しちゃったみたいで」
 どうやらはるかは、自分があの二人の遊びに付き合わされていたことにも、あやかの台詞の含意にも全く気がついていないらしい。
「そんなこと、気にしなくていいわ。第一、あなたをここに連れてきたのはあやか自身でしょう?」
「あ。……そっか」
 −−−−−−なら、よかったです。
 みなみの言葉に、はるかは安心したように笑った。
 その純粋さこそが彼女の美徳ではあるのだが、こうもお人好しでは、さすがのみなみも一寸心配になる。
「あ。それで、みなみさん、具合どうですか?」
 と、ここではるかは、この部屋を訪ねてきた本来の目的を思い出して問うた。
「ええ、大丈夫……どうぞ、座って?」
 みなみは言いかけて、はるかが突っ立ったままであることに気付き、椅子をすすめた。
「あ、はいっ」
 先刻せいらが座っていた丸椅子に、ちょこん、と座るはるか。縫いぐるみを思わせるその仕草に、みなみは顔を綻ばせる。
「熱はあるけど、そんなに高くないし。咳も、薬がよく効いているから。一晩休めば、たぶん良くなるわ」
「……よかった」
 安堵したように、はるかは小さく溜息をついた。
「それに、いつまたゼツボーグが出てくるか分からないもの。おちおち寝込んでもいられないわ」
「そうですね。……あ、でも、無理はしないでくださいね? 辛かったらちゃんと、辛いって言ってくださいね? 絶対ですよ?」
「……随分、信用ないのね」
 前のめりになって言うはるかに、ほんの少しだけ、拗ねたようにみなみが言うと、
「え、あ、え、と! そういうわけじゃあ−−−−−−」
 はるかは風船の空気が一気に抜けるようにトーンダウンする。
「大丈夫、」
 みなみがくすりと笑った。
「はるかのこと、ちゃんと、頼りにしているから。だって、はるかは」
 −−−−−−私のナイト、でしょう?
 そして、囁くようにそう言うと。
「! −−−−−−はい!」
 満面の笑みで、はるかは頷いた。
「……ところで、はるか」
 満足げな笑みを返し、みなみはふとサイドテーブルに目をやった。
「このゼリー、食べない?」
「えっ」
 言われて向けたはるかの視線の先には、先刻せいらが置いていった十疋屋の白桃ゼリー。価格も横綱級だが、サイズもなかなかのものである。
「わ……あ、いえっ、でも、これ、みなみさんがお見舞いに貰ったものだし、そんな、悪いです!」
 慌てて手を横に振る、はるか。だがみなみは、彼女が遠慮の言葉を口にする前の一瞬の間を見逃さなかった。
「……私は、食べたいんだけど」
 みなみがそう言って、ゆっくりと体を起こし、
「もう夜だし、あまり調子もよくないから、一つ丸ごと食べるのは、ちょっと多い気がしてね。だから、はるかが半分手伝ってくれたら、正直とても助かるの」
 どう? と、はるかに向かって問いかけると。
「……そういうことなら」
 はるかは頷いて、いただきます、と微笑んだ。みなみの意を正しく汲んでそう答えたのか、それとも彼女の方便を真に受けたのか。後者だとしたら、と思うと、そのお人好しぶりにみなみは一抹の不安を覚えた。
「じゃあ」
 みなみはサイドテーブルからゼリーの器とプラスチックのスプーンを取り上げ、
「はい」
 はるかの方へ、差し出した。
「……へ?」
 みなみの言わんとすることを理解するのに、一瞬以上の時間を要して。
「! え、そんな、ダメです、みなみさんより先に食べるとか」
 はるかはまた、慌てて手を横に振った。
「何いってるの。私が先に食べたら、風邪がうつるでしょう? ここは、譲って頂戴」
 ね? と、首を傾げるみなみ。
 憧れのお姉様の懇願に抗える筈もなく、はるかは分かりました、と頷いて、ゼリーの器を受け取った。
 フィルムを剥がせば、果実の甘い、芳醇な香りが立つ。
「……いただきます」
 スプーンを突き立て、ゼラチンと一緒に角切りの果肉を一匙掬えば、滴り落ちる果汁。
 一口含むと、
「!」
 上品な甘さと香りが、口いっぱいに広がった。
 滑らかな喉越し、爽やかな後味。
 はるかの驚いた表情を、みなみは満足げに眺める。
「すごい……美味しい!」
「でしょう?」
 私のお気に入りなのよ、とみなみは笑って、
「よかったら、全部食べてもいいわよ? あとで恨んだりしないから」
 揶揄うようにそう言った。
「う……いえっ、ダメです、それはダメです」
 自分に言い聞かせるように言ってかぶりを振ったはるかは、もう一匙ゼリーを口に運び、恍惚の表情を浮かべた。
(もしかしたら)
 はるかの百面相を眺めながら、
(せいらとあやかの勝負で、一番得をしたのは)
 自分かもしれない、と。
 ふと、みなみは思った。
(せいらには、気の毒だけど)
 彼女の落ち込み方は尋常ではなかったが、いったい、あの二人は何を賭けていたのか。何にせよ、自分を出汁にしたり、揶揄ったりしたことを割り引いても、礼を言う価値は十分にありそうだ。
(明日元気になって、二人に会ったら−−−−−−)
「みなみさん!」
 と、はるかの声が、みなみの思考を遮った。
 我に返った彼女の眼前には、満面の笑みを湛えたはるかと、
「はいっ、どうぞ!」
 自分に向かって差し出されたスプーン。
 一口ぶんのゼリーが、ぷるぷると揺れている。
「え」
 −−−−−−どうやら彼女は、残り半分のゼリーを自らの手で食べさせてくれるつもりらしい。
(え、えぇ!?)
 人に何かを食べさせて貰う、という行為を最後に行ったのは、いつのことだったろうか。
(小学校に上がる前……かしら)
 いまと同じように、熱を出して寝込んでいた時だと記憶している。
(これって……かなり、恥ずかしい……けど)
 断れば、はるかはどう思うだろう。
(誰かが見ているわけじゃ、なし)
 熱に浮かされた頭でこれだけのことを考えて。
 サイドの髪が顔にかからぬよう、片手で押さえ、
「…………」
 みなみは意を決し、口を開けた。
 挿し入れられたスプーンをくわえ込むと、ゆっくり、けれど滑らかな動作で、スプーンが引き抜かれる。
(……あんまり久しぶりだから、上手く食べられるか、不安だったけど)
「はいっ」
(案外、ちゃんとできるものなのね)
「…………」
 中身がちゃんと舌の上に落ちるよう、気持ち上向きに引き抜かれるスプーン。
(それとも)
 はるかが、食べさせ慣れているからなのか。
(そういえば、小さな妹さんがいたわね)
「はいっ」
「…………」
 口の中に広がる、上品な甘さと香り。
 果肉のほどよい歯応え、滑らかな喉越し、爽やかな後味。
「はいっ」
 様々な思考と感情と情報が、交錯する。
「…………」
 思考回路はショート寸前、とは、こういうことをいうのだろう。
(はるかは)
 思惑があってこうしているのか、
(いま、何を考えているのかしら)
 ごく自然に、そうしているだけなのか。
「はいっ」
 どちらにしても。
「…………」
(私に勝ち目なんて、ないわね)

 −−−−−−YOU WIN.



《fin.》

  


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