―――男の子に、なりたい。 そのとき、僕は、心からそう思った。 それは、ファッション部の舞台リハーサルを終え、皆でショーの看板と告知ポスターの作製をしている時だった。 「うわぁぁぁぁっっ!」 「きゃあぁぁぁぁぁっ!」 校庭が急に騒がしくなり、生徒達の悲鳴が聞こえてきた。 「一寸様子を見てくる!」 そう言った僕の後について、その場にいたファッション部の面々だけでなく、作業を手伝ってくれていた子たちまでが、連れだって外へ飛び出した。 「何なの、あれ!」 「ば、化け物!?」 皆の視線が、一斉に屋内運動場の屋根に集まる。 「な、なんでデザほむぐっ」 「化け物っ! 化け物って言いたいんですねえりかっ!」 デザトリアン、と口走りそうになったえりかの口を、つぼみが慌てて両手で押さえた。 ・・・うん、ナイスフォローだよ、つぼみ。 「なんなのっ、あれっ!」 写真部の―――ええと、確か、かなえさん、だっけ―――が、夢中でシャッターを切る。プリキュアのスクープを狙っている、って、確かつぼみが言っていたっけ。 ―――これは、迂闊に動けない。 「どっ、どうしましょうっ!?」 えりかを押さえ込んだまま、つぼみがこちらを見る。 「どこかで・・・いや。みんなを避難させるのが先だ!」 今日は明堂祭の準備で、校舎内外の至る所を生徒がうろうろしている。特に、屋内運動場は特設ステージが設けられていて、その準備をしている生徒も多い。現に、今もリハーサルのために生徒達が校舎の方からこちらに向かってきている。仮にどこかで変身できたとしても、これでは戦えない。 「わかりました!」 「ぷはっ! ・・・オッケーっ!」 やっと解放されたえりかは、一寸息が上がっていた。つぼみは余程力を入れて押さえつけていたらしい。 「僕は校内放送で避難を呼びかけてくる。すぐ戻ってくるから、二人はこの付近から人払いをしてくれるかな。校舎の方へ誘導するのがいいと思う」 「ひとばらい?」 「了解です!任せてください!」 ああ、えりか・・・今度の勉強会では国語の特訓だね。 「二人も、気をつけて!」 僕はそう言って踵を返し、校舎の方へと走った。 途中で出会った生徒会役員たちに避難誘導の指示をし、校内放送で校舎内待機を呼びかけて、僕は再び現場に戻った。件のデザトリアンはグラウンドに降り、本格的に暴れ始めていた。辺りに轟音が響き、砂煙がもうもうと上がっている。 「みんな!心配するな!すぐにプリキュアが助けに来てくれる!」 誘導の男子生徒が声を張り上げるのが聞こえてきた。確かあれは、つぼみ達のクラスメイトで、番くん、とかいったと思う。 ・・・そのプリキュアは、君たちの目の前にいて、君たちが居るせいで変身できなくて困ってるんだよ・・・ 遠目にも、つぼみとえりかが慌てる姿が見えた。 と、デザトリアンが、誘導をする彼らの方を向いた。 「まずい! 花咲、来海! 逃げろ!」 気付いた番くんが警告する。 「ふぇっ!?」 「早く!」 彼は二人の手を掴んで、半ば引きずるようにして走った。 背後に、デザトリアンの放った衝撃波が着弾する。 どんっ! と大きな音がして、爆風が起こった。 「きゃあっ!」 「ひゃあっ!」 「ぐっ!」 三人は芝生の上に倒れ込んだ。 番くんが、二人を庇うように覆い被さる。 飛んできた石つぶてが、彼の背中を打った。 「みんなっ! 大丈夫かっ!」 僕は慌てて彼らの元に駆け寄った。 デザトリアンが、こちらを見ている。 ―――不味い。 このままでは、ここにいる皆が危ない。 もう、変身するしかないのかもしれない。 正体がばれるのが、僕だけで済めばそれで――― そんなことを考えていたら、不意に、デザトリアンがグラウンドの向こうに吹き飛んだ。 ? 一体何が――― 「あっ! あれってムーンラんぐぅ」 「・・・プリキュアです!」 ムーンライト、と口走りそうになったえりかの口を、つぼみが慌てて両手で押さえた。 「銀色のプリキュアだ!」 番くんが叫んだ。 そうだよ、これが一般の人の反応だよ。普通の人はムーンライトなんて呼び名は知らないんだから。ナイスフォローだよ、つぼみ。 どんっ、と衝撃音が響く。 今度のそれは、ムーンライトがデザトリアンを地面に叩き付ける音だった。ムーンライトは、クモジャキーのブレスレットで強化されたデザトリアンを物ともせず、圧倒的な力で封じ込め、浄化してしまった。 「強くて、綺麗で・・・やっぱりステキです、ムーンライト」 激しい戦いの轟音の中で、うっとりとしたつぼみの小さな呟きを、僕の耳はしっかりと拾っていた。 「それでは、掲示と印刷物の進捗状況、お願いします」 明堂祭まで、あと二日。今日という日はもう終わろうとしているから、実際にはあと一日。祭典の実行委員である生徒会の仕事も、いよいよ大詰めだ。こうして何度も、特に最近はほぼ毎日、繰り返してきたミーティングも、あと少しで終わる。 「はい。まず、受付で配布する中等部のマップですが、先ほど1500枚印刷して、三つ折りにする作業が終了し・・・」 各係からの報告をぼんやりと聞きながら、僕の頭の中は今日のことをずっと反芻していた。 「・・・今日の騒ぎで多少壊れた看板等もありますが、全体の進行には差し障りはありません。関係のクラブには、できる範囲での修復を依頼済みで・・・」 まず、あの時。 生徒を避難させることを優先させたけど、やっぱり変身して迅速にデザトリアンを排除するべきではなかったのか。以前、学校にデザトリアンが現れた時には、ゆりさんの指示で学校の敷地から離れた場所に誘導した。今回もそうすれば、あの場にいた人たちを危険に晒すこともなかった筈なのに。 「次、展示・企画の係、進捗状況をお願いします」 ミーティングは進んでいく。 「はい。今日、展示・企画向けの物品の貸し出しを行いました。各クラス・部活とも準備は概ね順調です。明日の夕方、内容に不適切な物がないか、安全性は問題ないか、巡回チェックを・・・」 それは仕方なかったとして、次の判断。 あの場所は、危険だった。 つぼみ達に放送を任せて、僕があの場所に残って誘導すればよかった。 「・・・短時間で全クラス・部活を回りますので、委員全員の協力をお願いします。配布した資料に担当の割り当て案が・・・」 そうすれば、彼女たちを危険な目に遭わせることはなかったのに。 「・・・無いようですので、次、ステージ発表の係、お願いします」 「はい。屋内運動場のステージですが、今日、各団体のリハを行いました。進行は概ね順調・・・」 『強くて、綺麗で。やっぱりステキです、ムーンライト』 彼女の呟きが耳に蘇る。 ―――そうだね。 僕とは、大違いだ。文字通り、月とスッポンくらい。 そもそも比べるのが間違いだとは、分かっている。 彼女の眼と気は、修羅場を幾つもくぐってきた人間のそれだ。 武道の世界でも、滅多に出会うことのない程の。 「・・・出順は一度組んだのですが、ファッション部にモデルの来海ももかさんが出演するということで、人が殺到するのではないかという指摘を受けましたので、もう一度組み直す判断をしました」 ―――だけど。 ちっぽけな僕は、どうしても、比べずにはいられないんだ。 「ありがとうございました。その他、特に質問や報告すべき事項がなければ、会長の方から一言お願いします」 司会をしていた文化委員長の言葉に、僕は我に返り、立ち上がった。 「・・・予想外のアクシデントもありましたが、準備にはあと一日あります。最後まで全力で、でも無理はせず、明堂祭の成功を目指して最善を尽くしていきましょう」 ・・・なんて。 こんなことを言っているけれど、合気道部の公開演武の稽古、ファッション部の準備とリハーサル。実行委員会の仕事。何か一つをやっていると、別のところからお呼びがかかる。僕がいないと次に進まないから呼びに来るんであって、つまり、僕がいないことで周りに迷惑がかかっているってことで。 三つも掛け持ちして、実はどれも、中途半端なんじゃないか。 僕は会議の卓を囲む役員達の顔を見回した。 ―――ごめん。 皆の信頼を裏切っているような気がして、いたたまれない気持ちになった。 ミーティングが解散する頃には、生徒の下校時刻が間近に迫っていた。役員が下校するのを見届けて、僕も急いで帰り支度を整えた。 生徒会室の鍵を閉めて、廊下を歩き出す。無人の校舎は、足音がよく響いた。窓から射し込む光は、もうすっかり弱っている。秋の陽は釣瓶落とし、とはよく言ったものだと思う。 階段の踊り場にある大きな鏡の前で、僕はふと立ち止まった。 ―――何て、頼りない。 狭い肩幅、細い腕。薄い肩。 学生服で少しばかり嵩増ししたところで、貧弱なことには変わりない。 上着を脱いでみる。 夕日の色に染まる、白いカッターシャツ。 ―――ほら。 そこらへんの女子生徒と、さして変わらない体格。いや、女子で、僕より体格のいい子はいくらでもいるだろう。ましてや、男子なら――― 僕は、昼間みた光景を思い出した。 つぼみの手を引いて走る、彼。 身長は、彼女よりも頭二つぶんくらい高くて。 彼女の手首をがっちりと掴んで離さない、大きな手。 二人の女の子を軽々と引っ張って走る力強さ。 彼女を庇うように覆い被さった、大きな背中。 彼ならば、何があっても彼女を守れそうな、そんな気がする。 僕は、拳を握り締め、そして、開いてみた。 ―――こんな小さな手で、何が守れる? 毎日朝夕の稽古を欠かしたことのない僕よりも、美術部で絵を描いている彼の方が、力強くて逞しい、なんて。 「・・・狡いよ・・・」 溜息を一つ落として、僕は上着を着た。 玄関まで辿り着くと、下駄箱に背中で凭れるようにして立っている人影が見えた。逆光だったけれど、決して見間違うはずのない、その人。 「・・・つぼみ?」 「お疲れ様です、いつき。遅くまで大変でしたね」 彼女は柔らかく微笑んだ。 いつでも一番会いたくて、でも、惨めな気分の今、一番会いたくなかったかもしれない、ひと。 「もしかして・・・待っててくれたの? えりかは?」 「えりかは、強制連行されました」 「強制連行!?」 可笑しそうに笑うつぼみの表情とはミスマッチな不穏な単語に、僕は思わず驚いてそう繰り返した。 一体何をやらかしたんだ、えりか。 「はい。えりか、放っておいたら、明日の朝まで被服室に居座りそうでしたので、ももかさんとゆりさんが無理矢理引っ張ってお帰りになりました」 「・・・そうだったんだ。さすが部長、というか。凄い気合いだね」 ―――僕とは大違いだ、という言葉は、ぐっと飲み込んだ。 「はい。それで、ももかさんが殺し文句で『じゃあ私もあんたの言うこと聞かない、ショーに出るのやめる』って」 「それは。えりかも、言うこと聞くしかないね」 「ええ。それでも、『もも姉の卑怯者ー!』とか駄々をこねていましたけど、最後はゆりさんの『えりかちゃん。いい加減にしなさい』で、大人しくなりました」 「ああ・・・」 えりかは、あれで勘の鋭いところがあるから。ゆりさんの凄みが、本能的に分かるんだろう。 「・・・で、つぼみは、一緒に帰らなかったの?」 「帰りかけたんですけど。校舎の方を振り返ったら、生徒会室にまだ明かりがついてたので・・・ごめんなさい、迷惑でした?」 「いやっ! 迷惑だなんて、とんでもない!」 僕は慌てて首を振った。 「今日は遅くなるのが分かってたし、一緒に帰れるなんて、思ってなかったから、驚いた。それから・・・凄く、嬉しかった」 ありがとう、と言うと。 彼女はにっこりと笑った。 「今日は、いろいろありましたね」 靴を履いて、歩き出すと、彼女の方が先に口を開いた。 「うん。そうだね」 「衣装合わせに、舞台リハーサルに、看板とポスター作り」 「看板はともかく、ポスターを忘れるなんてね。結構、どこのクラスも、宣伝のポスターだけは早々と作って貼ってるよ?それを見て、『あ、うちも作らなきゃ』って思うものだけど」 「宣伝よりも、まず自分の作りたい服。えりからしいといえば、らしいです」 つぼみがくすくすと笑う。 「自分のやりたいこと第一、だもんね」 僕もつられて笑った。 ・・・って。 せっかく二人きりで帰るのに、なんでえりかの噂話? まあ、あのキャラクターだし、二人の共通の話題としてはうってつけなんだけどね。 「いつきは、ファッション部だけじゃなくて、生徒会や合気道部もありますものね。もっと大変でしょう?」 見上げるつぼみ。 「うん・・・まあ、ね」 僕は少し気まずくて、思わず視線を逸らした。 「何か、ありましたか?」 聡い彼女は、そう尋ねてきた。 「・・・ううん。特に、何も」 「そうですか」 そして、聡い彼女は、僕が心を閉ざすと、それ以上何も訊かない。 「・・・ところで」 そして、何も言わない僕の代わりに、会話を続けてくれるつもりのようだ。 「やっぱりいつきは、凄いですね」 「え?」 僕は思わず彼女を見た。彼女は穏やかな瞳で、僕を見上げる。 「デザトリアンが現れたとき、私、どうしていいかわかりませんでした」 目が合うと、彼女は微笑んで、視線を前へ戻した。 「変身しなきゃ。でも、みんなの前ではできないし、って。けれど、いつきは、すぐに『皆を避難させる方が先』って判断をしました。今、落ち着いて考えると、それが正しい判断だったのがよく分かります」 僕は、はっとした。 ―――どうして。 「・・・どうして、そう思うの」 どうして彼女は、見抜いてしまうのだろう。 それとも、無意識なのか。 「あんなに生徒がたくさんいたのでは、仮に変身できても、戦うことはできませんでした。パワーアップしたデザトリアンを、暴れさせないように倒すのは、私達では役者が不足です。生徒を避難させて人払いをしたから、ムーンライトだって、思い切り戦うことができたわけですし」 「・・・前の時みたいに、校舎から離れた場所に誘導すればよかったとは、思わない?」 僕の問いに、つぼみは軽く頭を振った。 「学園祭の準備中は、学校の敷地内の、どこを生徒が歩いているかわかりませんから」 「そっか・・・」 「事が終わった後で、落ち着いてじっくり考えれば、ベストの選択は誰にでもできます。けれど、その場の咄嗟の判断で良い選択をすることは、だれにでもできるわけではありません。私なんて、咄嗟の判断とか、凄く苦手で」 ゆっくりと話す、彼女。一つ一つの言葉を丁寧に選びながら話しているのがわかる。 「それに。判断をして、人を動かす指示をするには、責任を伴います。責任感の無い人には、できないことです。だから、それができるいつきは、凄いと思いますし、私たちは、いつきを尊敬して、信頼してます。生徒会の皆さんも、いつきを会長として信頼しているんだと思います」 「・・・でも。僕は、君をあの場に残して。危険な目に―――遭わせた」 僕は、思わず、胸につかえているもう一つのことを打ち明けた。 「それは、しょうがないです。だって私達は、プリキュアなんですから」 彼女はそう言って、少し悪戯ぽく笑った。 「みんなの心を護るために、危ない目に遭うのがプリキュアです。『危ないから君は下がってて』なんて言われる方が、傷つきますよ?」 ―――目から鱗、って、こういうことなんだ。 「そうか・・・そう、だね」 僕らは、同じ使命を帯びている。 彼女は、護るべき弱い存在じゃない。 手を引いて導くべき無力な存在じゃない。 肩を並べて、共に歩く、同志なんだ。 「ありがとう」 僕は、彼女の手を取った。 彼女は少し驚いて、 「ふぇっ!?」 僕がその手をきゅっ、と握り締めると、顔を赤らめた。 「なんだか・・・凄く、楽になったよ。明日から、また、頑張れそうな気がする」 そして、僕が心からそう言うと、 「・・・そうですか。なら、よかったです」 彼女は、花が咲くように、笑った。 隣を歩くなら、背なんてそんなに高くなくていい。 歩幅が違うと、一緒に歩きにくいから。 手に手を取って歩くのなら、掌はこのくらいの大きさで十分だ。 ―――男の子でなくて、よかった。 いま僕は、心からそう思う。 歩いていこう。一緒に。
《fin.》
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