はるかはみなみと街へ出かけ(世間一般にこれをデートという)。
 きららは仕事で夜まで帰ってこない。
 そんな日にやるべきことといったら、一つだけ。


日曜日のスケッチ


  KNOCK-KNOCK

「はい」
 朝の日射し降り注ぐ窓辺でハードカバーを開いていたトワは、読みかけのページに栞紐を挟むと、どうぞ、と扉の向こうの訪問者を促した。
「ごきげんよう、トワちゃん」
 挨拶とともに姿を現したのは、ゆいだった。
 トワはごきげんよう、と応え、柔らかな笑みを浮かべる。
「トワちゃん……あのね」
 近付いてきたゆいは、胸の前でスケッチブックを抱きしめるようにして抱えていた。肩からは、画材のキャリングケース。ベレー帽をかぶっていないことを除けば、彼女が外へスケッチに出かける時のお決まりのスタイルだった。
「実は、お願いがあって来たの」
「まあ……何ですの? 改まって」
 トワが首を傾げる。
「こんなこと、みんなのいるところじゃ、とても頼めないから。みんなが出かけてる、今日がチャンスかな、って……思って」
 意を決したように勢いよく話し始めたものの、段々とトーンダウンしていく、ゆい。
「勿体ぶらずに早く仰いなさいな」
 一端眉を顰めたトワだったが、
「他ならぬゆいの願い事ですもの。無理なことでも厭いませんわ」
 そう言って、にっこりと微笑んだ。
「……うん」
 ゆいは少し照れたように笑って、頷き。
「実は、トワちゃんに……っていうより、スカーレットに。スケッチのモデルになってほしいの」
 願いを、口にした。
「……そんな、こと」
 お易いご用ですわ、と。
 構えていたトワは、拍子抜けしたように溜息をついた。
「皆には秘密、なんて言うから、どんなとんでもないことをさせられるのかと思いましたのに。とんだ肩透かしですわ」
「だ、だって。プリキュアのみんなは命懸けで戦ってるのに、こんなふざけたお願い、他の人にはできないよ……」
 立ち上がり、読みかけの本を自分のデスクへ置きながら少し非難がましく言うトワに、ゆいは申し訳なさそうに答えてスケッチブックで顔を半分隠した。
「別に、ふざけているとは思いませんが。……そうですわね。確かに、みなみあたりが聞いたら『そんなことのためにドレスアップキーを使うなんて』って、言いそうではありますわ」
 ふふ、と笑ってそう言うと、トワはドレスアップキーとパフュームを取り出した。
「『プリキュア』」
 そして、静かに『力あることば』を唱え、キーを差し込む。
「『プリンセス・エンゲージ』」
 応えるように、彼女の全身を炎が包んだ。浄化の力を持った破魔の炎である。ゆえに、部屋の壁紙や絨毯を焦がす心配は無用。
「さて」
 炎が引いて、顕現したのは、キュアスカーレット。
 火の力もて邪を祓う、紅蓮の姫。
「それで。わたくしはこの後、どうしたらよろしいのかしら」 
 呆然とする、ゆい。
「……ゆい?」
「……やっぱり、綺麗」
「褒めても、何も出ませんわよ?」
 恍惚と呟くゆいに、スカーレットは苦笑して肩を竦めた。



「楽にしててね。動いてもいいから」
 絵のモデルというのは、苦行のように何時間も同じ姿勢を保ち続けるものだと思っていたスカーレットは、ゆいにそう言われてまたまた拍子抜けした。
「もちろん、同じポーズで暫くじっとしててくれたら嬉しいけど。動いてたら動いてたで、描くやりかたはあるから」
 無理はしないでね、と。
 そう言いながらスケッチブックを開き、黒鉛筆を握ったゆいは、椅子に凭れて立つスカーレットの目の前で、みるみるうちに自分の世界へと沈んでいった。こういうのを『スイッチが入る』というのだろう。まとまった時間があるときには一人でふらりとスケッチに出かけていくことが多いゆいの、こんな姿を目の当たりにするのは、トワ------今はスカーレット------にとっても珍しいことだった。
 が。
「……」
 いくら珍しいとはいえ、暫く眺めていれば見慣れてしまうもので。
 そうなると、同じ姿勢でじっとしていることが次第に苦痛に思えてくる。始める前は、ゆいのためならどんな苦行も厭わないと意気込んでいたが、ゆい本人にはそんなことはしなくていいと言われてしまったし、実際、この苦行はかなり辛かった。
「動いてもいいよ」
 察しのよいゆいが、絶妙のタイミングで水を向ける。
「っていうか、動いてるところも見てみたいな」
「動いているわたくしなら、戦いの時に見ているでしょう?」
 珍しくもないでしょうに、と首を傾げるスカーレットに、
「戦ってる時のトワちゃんは速すぎて。私じゃ、目が追いつかないよ」
「成程」
 ゆいが肩を竦めてそう言うと、スカーレットはそれもそうですわね、と得心がいったように頷いた。
「一寸ゆっくりめに、歩いたり、ストレッチとかしててくれたらいいな」
「お易いご用ですわ」
 スカーレットは華やかに微笑むと、バレエの稽古前にいつもそうしているように、柔軟運動を始めた。
「うん、そういう感じ」
 ゆいは鉛筆を走らせる。スカーレットは次第に興が乗ってきたのか、その場でターンをして見せた。
 緋色のスカートが、ふわり、と舞う。
「……綺麗」
 ほう、と思わず溜息を吐くゆい。
「お気に召して?」
 気をよくしたスカーレットは、軽やかに舞い続けた。
 長い手足が、しなやかなに空を切る。
「……ゆい。手が止まっていてよ?」
 彼女が言うと、ゆいははっと我に返り、慌てて鉛筆を動かした。
「ところで。いったい、どんな絵を描いてるんですの?」
 ふと思い立ったように、スカーレットは猫のような足取りでゆいに近付くと、彼女の隣に立ち、屈み込むようにしてその手元を覗き込んだ。
「絵、って言えるところまで、いってないんだけどね……あっ」
「? 何か、」
「トワちゃん、ちょっと、向こう向いてみて」
「……こう、ですか」
 熱っぽく要求するゆいに言われるがまま、スカーレットは彼女の指さす方に顔を向けた。
「うん。で、視線を、あの二段ベッドの上の枠のあたりに……うん、そうそう。そのまま一寸だけ、じっとしててね」
 ゆいはスケッチブックを繰って白紙のページを出すと、勢いよく鉛筆を走らせ始める。
「その、横顔。すごく綺麗」
「……先程から、そればかりですわね」
「だって。本当に綺麗なんだもん」
 微苦笑しながらも、スカーレットはゆいが描き終わるのを辛抱強く待った。


「……うん、もういいよ。ありがと」
 やっとのことで二段ベッドとの睨めっこを終えることを許されたスカーレットは、首を巡らし、ゆいの顔を見る。
「さあ。次は何をすればよろしくて?」
「っ------」
 スカーレットの横顔を写し取ることに夢中になっていたゆいは、我に返った途端にその端正な顔と間近で出会い、頬を赤らめ、言葉を詰まらせた。

 スカーレットの中で、ふと、出来心が頭をもたげる。

「……ゆいは、わたくしのこの姿が随分とお気に召したようですのね」
 持ち前の悪戯好きと、少しの嗜虐心、それから、嫉妬心------ゆいの賞賛を一身に浴びるスカーレットに対する、トワの一寸した焼き餅。自分自身に嫉妬するなど、おかしな話ではあるのだけれど、そういうおかしいところがあるのもまた、人の心というもので。
「え? あ、えと、う、ん」
「それでしたら------」
「ひゃっ!?」
 スカーレットは機敏な動作で、戸惑うゆいの華奢な体を椅子から掬い上げ、
「この姿で。貴女を、誘惑してみましょうか」
 そう言って、妖艶に、微笑んだ。 
「え、っ、あ、っ」
 そして、その椅子に自ら浅く腰を掛け、顔を真っ赤にしたゆいを自分の膝の上に座らせた。
「------ゆい」
 彼女が膝からずり落ちてしまわぬよう、片手でしっかりと腰を抱くと、もう片方の手で彼女のスケッチブックを取り上げ、そっと机の上へと置き。
「わたくしの、可愛いひと」
 普段のトワよりもずっと大人びた視線に射抜かれ、動けなくなったゆいの頬を、スカーレットは指先で愛おしげに撫でる。
「------」
 トワちゃん、と言いかけたゆいの唇が、戸惑うように震えた。
 その唇に、スカーレットがゆっくりと口づける。
 触れるだけの、柔らかなキス。啄むように、触れては離れ、離れては触れる、その感触に、ゆいはゆるりと目を閉じた。
「ゆい」
 やがて、唇を離したスカーレットが、問いかける。
「如何かしら……少しは、ときめきまして?」
「……ん、あのね」
 目を細め、余裕たっぷりに笑みを見せるスカーレットに、ゆいは小さく頷いて、
「はじめはちょっと、戸惑ったけど。でも、声も、気配も、ゆびさきの、優しい触り方も。てのひらの温かさも……くちびるの、感触も。何もかもみんな、わたしのよく知ってるトワちゃんそのままだったから」
 安心したよ、と。
 ふわり、と微笑んだ。
「っ、」
 一転、赤面したのはスカーレットの方。
「ゆ、い……」
 顔から火が出る、の例えそのままに、熱くなる頬。
「うん?」
 首を傾げるゆい。
「……そういうことを、さらっと言うの。ずるいと思いますの……」
 堪らず、スカーレットは赤い顔を隠すように、ゆいの肩に額を預けた。
「え。そ、そうかな」
「……そうですわ」
「ん……なんか、ごめんね」
「……別に、ゆいが謝るようなことでは、ありませんわ……」
 先刻の余裕綽々とした様子はどこへやら。頬の火照りが冷めるまで、スカーレットは暫し、ゆいを膝に抱きかかえたまま俯いていた。

《fin.》

  


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