シーソーゲーム


  オレンジ色の夕日が射し込む、人気のない昇降口。
 あたしは柱に背中を預け、ぼんやりと立っていた。左の肩には通学鞄、右手にはジャージの入った巾着袋。
「おい、何やってるんだ!」
 と、渡り廊下から、先生の怒鳴る声が聞こえてきた。
「もう下校時間は過ぎてるぞ!」
 グレーのジャージにの上下にサンダル履き。体育の先生で、陸上部の顧問だ。ちなみに、あだ名は『グレコ』。いつ洗ってるのかわからない、グレーのジャージをいつも着てるから。グラウンドの使い方のことでサッカーと女子サッカーと陸上はよく揉めるし、あたしはよくも悪くも顔が売れてるから、当然ながら風当たりも強い。
「すみません!」
 あたしは素早く姿勢を正し、一礼して、
「できるだけ一人で帰らない方がいいと思って、友達を待ってます!」
 大声でそう言って、もうすぐ帰ります、と付け加えてもう一度頭を下げた。
「……うむ」
 急にトーンダウンしたグレコは、気をつけて帰るんだぞ、と一言残して、そそくさと行ってしまった。うまく立ち回れて、とりあえずあたしはほっと胸を撫で下ろす。
 れいかに習った『変化球』のおかげだ。
 近頃は物騒だから、生徒、特に女子は、できるだけ集団で登下校するように、って先生から言われている。だから、女の子に『一人で帰らないようにするために、友達を待っています』と言われたら、先生は『ダメだ』とは言えない。
 ―――あとは礼を尽くせば、まずそれ以上叱られることはありませんよ。
 いつだったか、れいかはそう教えてくれた。
 グレコの襲撃をやり過ごして、あたしは昇降口の奥に目を遣る。れいかの姿は、まだ見えない。
 一緒に帰る約束をしてるわけじゃ、ない。あたしも帰りが遅くなって、靴箱を見たられいかの靴がまだあったから、じゃあ待ってよう、と思っただけで。
(それにしても)
 弓道部はいろんな意味で厳しいから、下校時間を守らない、なんてことがあるはずがない。だとしたら、生徒会の仕事が長引いてるんだろう。
(遅いな)
 西に傾いたオレンジ色の太陽はもう、家並みの屋根瓦に尻餅をつきそうで。
 あたしは小さく溜息をついて、足元に目を落とした。ジャージの入った巾着袋が、長い紐の先でぷらぷらと揺れる。紐を握ったまま袋を足の甲でぽんと蹴ると、袋は振り子のようにスイングして、また足元へ戻ってきた。もう一度、こんどは少し強めに蹴ると、くるんと上に跳ね上がって、膝元に落ちてくる。
「よ、っと」
 反射的に膝で受けて、そのままリフティング。小学校の頃とか、体操服の袋でよくこうやって遊んでたっけ。
 と、昇降口の奥から、階段を降りてくる足音が聞こえてきて。
 あたしはリフティングをやめて、振り返った。
 強い西日に慣れた目には薄暗く見える階段を降りきったところに、二つの人影。一つはあたしの待ち人、れいか。もう一つは、入江生徒会長。れいかよりも頭一つ高い、校内きってのイケメンと評判の三年生。あたしが振り向いた時、その会長は、爽やかな笑顔で、れいかへの挨拶代わりのように軽く右手を挙げ、背中を向けようとしているところで。
 れいかは、頬を赤く染め、その会長に向かって何か言って。
 何を言ってるかはわからない。ただ、会長、という、少し拗ねたように呼びかけるれいかの声だけが聞こえたような気がした。

 ―――二人は、いったい。
 何の話を―――?

 れいかが、こちらを向く。
 あたしは思わず、背中を向けた。
 二人が階段を降りてきたことには、気付かなかったふりをして。

 ―――『入江会長って、副会長のコとつきあってるってホント?』
 昼休みの中庭で聞こえてきた、噂話を思い出す。
『副会長って、二年の? 違うんじゃない?』
『すっごい綺麗なコでしょ? あるんじゃない?』
 そんなことない、根も葉もない噂、って、分かっていても。
『えー。イケメンに美人とか、話うますぎだし。世の中不公平!』
 もしかしたら、って―――

「なお」
 背後から、呼ぶ声がして。
 振り返ると、靴箱の前に、れいかが立っていた。
「待っててくれたんですね」
 まるで何事もなかったように、普通の顔をして、上履きを靴に履き替える。
「ん、あ……うん。あたしも今日は一寸遅くなって。もしかしたら、って思って、靴箱見たら、れいかの靴がまだあったから、さ」
 どうだろう。上手く喋れてるかな、あたし。
「……そうですか」
 れいかはあたしの動揺には気付かない風で、華やかに微笑み。
「ありがとうございます」
 そう言って、あたしの隣に立った。
 その時丁度、三年生の靴箱の陰から、入江会長が姿を現した。こちらを向いて小さく右手を振る会長に、れいかは深々とお辞儀をして見送る。あたしも一緒に、ぺこりと小さく頭を下げた。……先輩だからね、一応。
「私たちも。帰りましょう」
「……いいの?」
 思わず口をついて出た言葉を、
「え?」
「あ、いや」
 何でもない、と。
 あたしは慌てて誤魔化した。

 ―――いいの?
 会長じゃ、なくて。
 あたしと―――あたしなんかと、一緒で―――

 ……とは、口に出しては言えなくて。
「帰ろう」
 それだけ言って、歩き出す。
 そうしている間に、前をゆく会長の背中は、校門の陰に消えていった。

*       *       *

「……それで、どうしても噛み合わなくて」
 れいかと二人で辿る、いつもの通学路。
「ずっと揉めて……」
 歩く速さも、立ち位置も、いつもと同じ。
「……それで、今日やっと……」
 違うのは、いつもより少し時間が遅くて、辺りが薄暗いことと、
「……こんな時間に……」
 あたしが、れいかの話を全く聞いてないこと。
  『会長っ!』
 れいかの声が、耳の奥で蘇る。
「……………か?」
 今聞こえているような、落ち着いた声じゃなく、どこか焦ったような、恥ずかしそうな声。そして、真っ赤に染まった頬。拗ねたように見つめる瞳。
 ―――それはみんな、あの生徒会長に向けられたもので。
「……なお?」
 ふと気付くと、れいかの声が、隣ではなく後ろから聞こえてきて。
 振り返ると、れいかは足を止め、少し困ったようにこちらを見ていた。
 さっき見たれいかとはまるで、別人みたいなテンションで。
「……………何?」
「『なおは、今日は何で遅くなったんですか』と。私は尋ねたのですが」
 穏やかな声で、れいか。
「あ……。ごめん」
 聞いてなかった、と、ぼそりと言うと。
「そのようですね」
 れいかは特に責める風でもなく、小さく苦笑して、
「何か、心配事ですか?」
 そう言って、ゆっくりと歩を進め、あたしの横に立った。
「……や。別に」
 見つめられて、あたしは思わず目を逸らす。
 あたしは生まれてこのかた、れいかに対して隠し事というものがまともにできたためしがない。小さい頃からあたしは極端に嘘や隠し事が下手くそだったし、れいかはとにかく賢くて察しがよかった。
 だから、
「そうですか」
 れいかがそう言って微苦笑するのは、『何か隠しているのはわかっているけど、これ以上は詮索しません』っていうサイン。言いたくなったら、いつでも聞きますよ、って。
 そして、れいかはゆっくりと、家のある方向へ足を踏み出した。あたしも、それに合わせて歩き始める。
 会話は、ない。
 いつもなら、あたしの方がこの空気に耐えられなくなって口を割ってしまうところだ。言いたいことを言わないでいつまでもウジウジしているのは、あたしの性分じゃない。言いたいことがあるなら、真っ向から直球で。それがあたしのスタイル。だけど。
 もしも、本当の事を聞いてしまったら。あたしの持っているこの疑惑をれいかにぶつけて、もしも否定されなかったら―――。
 そう思ったら、いくら直球勝負が信条のあたしでも、敬遠したくなる。
 そうこうしている間に、あたしたちは三叉路にやってきた。あたしの家と、れいかの家の、分かれ道。
 れいかは足を止め、あたしの方を振り返り。
「それじゃあ―――」
 『また明日』
 いつもならそう言って別れるのに、今日はそこで言葉を濁す。どうやられいかは、あたしに口を割る最後のチャンスをくれるつもりらしい。もしもあたしがこのまま黙っていれば、あたしは今日一晩、悶々として過ごすことになる。宿題をやるどころか、きっと一睡もできないだろう。じゃあ明日になったら聞けるかっていうと、たぶん無理。
 どっちみち、聞くなら今。
 今聞かなければ、もう永久に、聞くチャンスはない。
「……あの、さ」
「はい」
 あたしが重い口を開くと、れいかは背筋を伸ばしてあたしの顔を見た。人のお話を聞くときの、模範的な姿勢だ。
「あのとき。……何、話してたの」
 ……ああ。
 とうとう、聞いてしまった。
 もう、あとには引けない。どんな答えが返ってきても、受け止めるしかない。
「……あのとき、って?」
 首を傾げるれいか。
「さっき。階段降りてきたとき、昇降口で、会長と」
「え?……あっ……」
 あたしがそう言うと、れいかの頬が、ぱっ、と、赤く染まった。
「なお……聞いてたんですか」
 握った手を口元にあてて、恥ずかしそうに。
 ―――何。
 あたしに聞かれちゃ不味い話なわけ?
 あたしは絶望的な気分になった。
「……や。最後の『会長』ってのしか聞こえなかったよ。れいかが真っ赤な顔してたから、気になっただけで……言いたくないならいいよ、言わなくて」
 違う。ほんとは、あたしが聞きたくないんだ。
「…………」
 短い沈黙があって。
「……あれは、ですね」
 恥ずかしげに、俯いたまま、れいかが口を開く。
「帰りが遅くなったので、会長が、『女の子の一人歩きはよくないから、家まで送る』と仰ってくださったんです」
 ほらね。
 ああ。ほんと、あたし、今にも全身からバッドエナジー吹き出しそう。今このタイミングでウルフルンとか出てきても、あたしはとても戦えそうにない。
「ご厚意はありがたかったのですが、それでなくても根も葉もない噂が囁かれていますし、これ以上火のないところに煙が立つようなことは慎みたかったので、どうやってお断りしようかと考えていたんです」
 ……あれ?
「それで、下に降りたら、ちょうど玄関のところになおの姿が見えて。……つい、嬉しくて顔が綻んでしまったのを、会長に見られてしまって」
 ……え?
「それで、会長が笑いながら『青木副会長のお出ましを、ナイトがお待ちかねだよ。お邪魔虫は早々に退散するとしよう』って仰るから……」
 ナイト云々のくだりになると、れいかは耳まで真っ赤に染めて、声は今にも消えそうで。
「え……あー……そういう、こと……?」
 なんだろ、この。
 負けたと思った試合で、残り一分で同点ゴール、ロスタイムで逆転、みたいな展開。
「……それなら」
 あたしは、れいかの家がある方向に足を進め、振り返って彼女を見た。
「ナイトらしく、家まで送ってくよ」
 そう言ったあたしの顔はきっと、ものすごく緩んでたと思う。鏡で見たら、きっと恥ずかしくて穴を掘って埋まりたくなるくらいに。
「っ、そんな……なおだって、女の子なんですから」
 遠回りはダメですよ、と、少し冷静さを取り戻したれいかが言う。
「あたしは走って帰るから大丈夫。……さあ姫、お手をどうぞ?」
「もう!」
 頬を染めて、拗ねた表情のれいかは、とても可愛くて。
 この表情を生徒会長にも見せたのかと思うと、ちょっと癪だけど。
 この試合はあたしの勝ちだから、いいことにしよう。


《fin.》

  


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