宴の前


 明堂祭を明日に控えた、準備日。
 学園全体が浮き足だって、満艦飾の雑多な活気―――例えるなら、東南アジアあたりの市場のような―――に満ちあふれている、午後。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーーーー!」
 喧噪の中、甲高い女子高生の悲鳴が聞こえてくる。完成したばかりの、我がクラスのお化け屋敷の中からだ。リハーサルとかテストとかシミュレーションとか称しているけれど、実のところは自分たちが楽しんでいるに過ぎない。明日の本番を迎えてしまったら、お客を優先しなければならないし、自分のクラスといえども無料で入場するわけにはいかないからだ。
「いやぁぁぁーーーー!」
 ・・・それにしても。
 いくら真っ暗にしてあるとはいえ、ここは教室で、仕掛けも自分たちで作った物だし、仕掛け人は皆クラスメイト。そこまで分かっているのに、そんなに怖いものだろうか。
「きゃーー!」
「・・・OK。次入りたい奴、いる?」
 入り口近くで聞こえていた悲鳴が遠くなったのを確認して、受付役の男子生徒が言った。
「はーーい! 次私達行きまーーーす!」
 不意に後ろから左腕を絡め取られて、軽い衝撃を覚える。
「ちょっと、ももか!」
「ゆり、一緒に行こ?」
 高らかに入場を宣言して、人の腕を強引に取って入り口まで引きずって来ておいてからお伺いを立てるなんて、明らかに順番が間違っている。
「それはいいけど・・・って、ももか。貴女、ホラーとか駄目なんじゃなかった?」
「うん、ダメ」
「じゃあ何で入るのよ」
「だって。入ってみたいじゃない」
「あのね・・・」
 答えになっていない彼女の答えに、私は溜息を禁じ得ない。
「だから、二人で入るんでしょ?」
 彼女は私の腕にぎゅっとしがみつき、少し上目遣いにこちらを見る。
「・・・仕方ないわね」
 つくづく、私は彼女に甘い、と思う。
「ふふっ」
 そして、嬉しそうに笑う彼女は、とてもコケティッシュだ。
「・・・でも、そんなにくっつかなくてもいいと思う」
「だって。怖いもん」
 私達が教室の中に入ると、背後でドアがぴしゃりと音を立てて閉じた。
 これも、演出のうちらしい。彼女の肩が小さく跳ねる。
 彼女は辺りをきょろきょろと見回してから、私の腕をぐいと引き、耳元に唇を寄せて。
「それに。こうして堂々といちゃいちゃできるのが、お化け屋敷の醍醐味じゃない?」
 そっと、囁いた。
 おかしいくらい熱く、赤くなった頬を隠してくれる暗闇に感謝しつつ。
 そんなことで陥落してしまう私は、つくづく彼女に弱い、と思う。


 黒く塗った段ボールで仕切られた細い通路を歩く私達の行く手を、赤いセロファンでマスキングされた豆電球が仄かに照らす。
「〜〜っ!何かいる!」
 通路の曲がり角の陰から覗いている白い物を見つけ、彼女は私の腕をきつく抱き締める。
「ただの人形よ」
 近づいてみると、それはやはりただの人形だった。白装束に額烏帽子、ざんばら髪の、いかにもなわざとらしい幽霊である。
「なぁんだ・・・」
 ほっとするももか。
「・・・そうやって、安心したところで―――」
 とんとん、と誰かに肩を叩かれる感触がして。
 振り返ると、お岩さんのグロテスクな顔が間近にあった。
「きゃあぁあぁあぁあぁっ!」
 彼女は思い切り悲鳴を上げ、私の腕をがっちりと捉えたままダッシュで逃げ出した。
 ・・・ここを出るまで私の腕と鼓膜がもつかどうか、心配になってくる。
「―――安心したところで、後ろからお化け役が脅かす段取りだから」
「それ早く言って!」
「言っちゃったら怖くなくなるでしょ」
 と、顔の辺りに何かがさわさわと触れる。
「きゃっ!」
 正体は、ビニールのひらひらしたテープを細かく裂いたもの。艶消しの黒で塗装されているので、闇の中では全く存在に気付かない。
 と、今度は、足首を誰かに掴まれる感触。
「ひぁっ!」
 そして私は正面から彼女に抱きつかれる。
「足っ! なんかっ! なんか触ったーーーーーー!」
「はいはい・・・先に進むわよ」
「ゆりったらなんでそんなに冷たいのーーー!」
 いくら閉鎖空間で真っ暗な中とはいえ、こんなにも辺りに人の気配が満ちている場所で彼女と密着するのは憚られる。どこにお化け役や維持管理役のクラスメイトが隠れているか知れないと思うと、別の意味で心臓に悪い。
 先に進むと、目の前に、柳の木と涸れ井戸のセットが出現した。青のセロファンでマスキングされたLEDの不気味な光は人魂を模しているのだろう。柳の枝や周りの草は本物をふんだんに使っており、辺りに漂う生の葉特有の青臭さに、作り物の空間であることをほんの一瞬忘れさせられる。
 ここは勿論、涸れ井戸の中から幽霊が―――
「・・・恨めしや・・・」
 と見せかけて、実は後ろから現れる段取りだ。
「いやぁぁぁぁぁぁっっっっっ!」
 不意をつかれて、彼女は見境いなく闇雲にしがみついてくる。今度は私の首に腕を巻き付け思い切り抱きつくものだから。
「ちょっ、ももか、苦しい」
「苦しくてもいいじゃない! 怖いんだから!」
 もう言ってることが支離滅裂である。
「あぁ〜ん、もうやだー」
 入った時から叫び通しの彼女は息も絶え絶えで、私の耳元で喘ぐようにそう言った。
 ぞくり、と、背筋を電流が走るような感覚。
「・・・自分で入りたいって言った癖に」
 殊更に素っ気なく言うことで、何とか冷静さを保つ。
「そりゃ、そうだけどー」
「はいはい、まだまだ先は長いんだから、先進むわよ」
「やっぱり冷たいー」


 彼女を促して通路を曲がると、正面で不意に明かりが点った。
 それは、小さなテレビだった。
 画面は砂嵐で、さぁーっ、と小さな音をたてるばかり。
 隣で、彼女が小さく息を呑むのが聞こえる。
 ―――実は、この仕掛けには意図がある。
 コースが中盤を過ぎて、そろそろ暗闇に目が慣れた頃。強めの光を見せ、瞳孔を閉じさせることで、闇に潜むお化け役に気付きにくくさせる効果が―――
「うがぁぁっ!」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁーーーー!」
 狙い通り、“突然”現れたお化けに驚いて、彼女は私に思い切り飛びついた。
「ちょ、ももっ―――!」
 不意を突かれたのは、私も同じだった。
 彼女が思いの外勢いよく飛びついてきたものだから、二、三歩たたらを踏んだ位では体勢を立て直せない。
 両側の壁は段ボール。この勢いで当たれば、壊れてしまう。
 受け身を取れば、彼女を庇えない。
 仕方なく私は、彼女を抱え、重力の法則に従って背中から落ちることにした。
 歯を食いしばり、せめて頭だけは打たないように、目一杯に顎を引いて。
「っ!」
 ふたり分の衝撃を背中に受けて、一瞬息が詰まった。
「・・・ゆりっ! ごめん! 大丈夫!?」
「・・・・・・ん、大丈夫―――っ」
 目を開けると、間近に彼女の顔があった。
 ねっとりとした闇の中で、仄かな光が、彼女の瞳と白い肌だけを浮かび上がらせる。
 密着した体が、制服越しに、彼女の重みと熱を伝える。
「ほんとに? 頭とか打ってない?」
「っ、まあ、うん」
 歯切れの悪い返事をすると、その顔が近づいて。
 唇に一瞬、柔らかいものが触れた。
「っ!」
 私が動揺する間もなく、彼女は体を起こし、続いて私の手を引く。
「ごめんね、大丈夫?」
「・・・あまり、大丈夫じゃないわね」
 ―――別の意味で。
「立てる?」
「ええ」
 彼女は私を支えるように寄り添った。
「・・・ほんと、ごめん」
「気にしなくていいわよ」
 何事もなかったように、私達は再び歩き出す。
「確か、もうすぐ出口の筈だから」
「・・・うん」
 心なしかしゅんとしたように見える彼女に、嗜虐心が頭をもたげる。
「でも、その前に、その壁」
 そう言って私が示す先を、彼女は素直に目で追った。
  ぱっ
 強力なフラッシュライトが、壁に吊された血みどろの生首を映し出した。
 美大志望のクラスメイトの渾身の作だというだけあって、怨嗟の表情といい流れる血の生々しさといい、見事な出来映えである。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
 彼女は、耳をつんざくような悲鳴を上げた。
「・・・そこ、生首が吊してある筈だから気をつけて」
「ゆりの馬鹿ぁぁぁぁぁぁっっ!」


「お疲れ様。どうだった?」
 出口で私達を出迎えたのは、お化け屋敷制作の中心メンバー達だった。
「怖かった! すごく怖かった!」
「よく出来てるわ。脅かし方も効果的だし・・・いろいろ、心臓に悪いわね」
 私の言葉に、おおっ、とどよめきが上がる。
「来海さんはともかく。月影さんがそう言うなら、上出来ね!」
 ―――どうやら私は、かなり沈着なイメージで通っているらしい。
 それから彼らに歩きながら気付いたこと、改善すべきと思われることを一通り伝え終えて、私は帰り支度を整えた。
「ももか」
 帰る前に、受付で入場券の確認を手伝っていた彼女に声をかける。
「あ。・・・探し物?」
「ええ」
 聡い彼女は、私が今からどういう行動を取ろうとしているのかすぐに察した。
「うちの店にあればいいんだけど、残念ながら靴は置いてないのよねぇ」
「まあ、あちこち覗いて、じっくり探してみるわ。・・・ところで、ももか。さっき転んだとき、思ったんだけど」
 ほんの悪戯心で、私は彼女にそっと耳打ちをした。
『・・・一寸、重くなった?』
 何故そんなことを言おうと思ったのか、自分でもよく分からない。もしかしたら、このお祭り騒ぎの空気に知らず知らずのうち感化されたのかもしれない。
「なっ―――!」
 彼女は少し顔を赤くして、口をぱくぱくとさせたが、すぐに気を取り直して、
『それ多分、服のぶんの重さだから』
 耳打ちで反撃してきた。
 ―――藪蛇って、こういうこと。
 今度は私が赤面する番だった。慣れないことは、やはりするものではない。

 宴の前の、そんなひととき。


《fin.》

  


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