オレンジ


 明堂祭当日まで、あと一週間。明堂学園の放課後は、祭りの準備に忙しく立ち働く生徒達で活気に満ちている。
 無論、ファッション部も例外ではない。
 舞台リハーサルは前日、衣装合わせはその前に行うので、実際に作業できるのはあと四、五日といったところだ。部員達は最後の追い込みに余念がない。

 ぷちん

 飾りボタンを付け終えて余った糸を切り、
「できた!」
 ななみは完成したばかりの服を高々と掲げた。中学生の身で主婦業を兼ねている彼女は、他の生徒達と比べて自由になる時間が極端に制約されているのだが、それでも暇を見てはこつこつと作業を進め、なんとか作品の完成にこぎつけた。
「おお〜! やったねななみ!」
「うん、可愛い!」
「ステキです、ななみさん!」
 出来上がったワンピースを体にあてがって見せるななみに、他の部員達が口々に賛辞を浴びせる。
「早速試着!着て見せて!」
「んー、ごめん。今日はもう帰らなきゃ」
 ななみはそう言って、完成したワンピースを綺麗に畳み、ソーイングセットを片付けた。
「あ、ほんとだ、もうこんな時間? 私もそろそろ帰らなきゃ」
 つられて時計を見たなおみが言った。
「ん、二人ともお疲れさん!」
 作業の手を止めて、部長のえりか。
「ごめんねー、先に抜けちゃって」
 申し訳なさそうにそう言うなおみの視線の先では、つぼみが現在縫製作業真っ最中だった。
「いえっ! 大丈夫です! 気にしないでください!」
 力強く答えるつぼみに、頑張って、と声をかけて、二人は被服教室を後にした。
「・・・って、ほんとに大丈夫なの? つぼみ」
 二人を見送ってから、心配そうにそう言ったのは、るみこ。
 高校生二人がショーに出演することが決まったのは、夏休みが明けてからのこと。デザイン画こそ出来ていたものの、そこから採寸、製作に取りかかったので、進行はギリギリである。それでも、流石は部長というべきか、ももかの衣装を担当するえりかは縫製作業を粗方終えているが、問題は、ゆりの衣装を担当しているつぼみ。作業は丁寧だが、スピードにやや欠ける彼女は、ほんとうにギリギリ進行なのである。
「つぼみ、夏休みと比べたら全然上手くなったし。まあ大丈夫っしょ? ・・・ま、本当の本当にピンチになったら、つぼみが嫌だって言っても手伝うけど」
 トルソーに衣装を着せながら、えりか。
「大丈夫ですっ! 間に合わせて見せます!」
 そう言ってつぼみは拳をぐっ、と握り締めた。
   ぴんぽんぱんぽーん
 突然、校内放送のチャイムが鳴り響く。
『中等部二年、鶴崎クラスの来海えりかさん。至急、職員室、鶴崎のところまで来なさい。繰り返します。中等部二年・・・』
 放送の声の主は、どうやらつぼみ達の担任、鶴崎自身のようだ。
「うっきゃぁぁぁぁぁぁ!」
 呼ばれた本人のえりかが、突然声を裏返らせて絶叫した。
「どっ! どうしたんですかえりか!」
「今日、漢字テストの追試があったの忘れてた!」
 えりかは作業を投げ出して、大慌てで荷物をまとめ始めた。
「ちょっと、何それ!『明堂祭直前だから、居残りとか追試とか引っ掛からないように』って言ったのえりかでしょ!」
「メンゴ! 悪いけどあとよろしく! あと、ななみたちには内緒にしといて! 格好悪いから!」
 腰に手を当てて叱るるみこに、お願い、と手を合わせて、えりかは脱兎のごとく走り去った。
「もう・・・これだけ大々的に放送されて内緒もなにもないもんだわ」
 るみこは溜息をついて、えりかが途中で投げ出した、トルソーに衣装を着せる作業を最後まで終わらせた。
「まあ、えりからしいといえば、えりからしいですけど・・・。あ、るみこ、後の戸締まりとかは私がやりますから、お先にどうぞ」
「そう? じゃ、そうさせて貰うね」
 実際、今日るみこがやるべき仕事は、えりかと一緒にいま完成している分の衣装の最終チェックをすることだった。えりかが居なければ、話にならない。
「つぼみも頑張って。じゃ、お先」
 るみこはそう言って、鞄を手に、扉の向こうへと姿を消した。
 独り残ったつぼみは、再び縫製作業に戻る。ミシンで大きく縫う部分はひとまず終えて、今は細かい部分を手作業で縫い合わせているところだ。ファッション部で活動を始めて、半年弱。確かに、最近は指を針で刺したりしなくなったし、縫い間違えて延々と糸を解きつづけるということもあまり無くなった。
 急に誰もいなくなって、しんと静まりかえった被服室。つぼみは、あくびを一つ噛み殺した。辺りを飛び交っていた会話が無くなると、急に睡魔が襲ってくる。
「・・・駄目駄目。駄目です」
 つぼみは頭を振った。それでなくてもギリギリ進行なのだ。五分、いや、一分たりとも無駄にしていい時間などない。しかし、いくら頭を振ってみても眠気は飛んでいってくれない。
「・・・『急がば回れ』って、いいますし」
 確か、十五分の仮眠は作業効率をアップする、と何かの記事で読んだ気がする。眠気を纏った頭で作業をするとろくなことがない、ということも、経験から十分すぎるほど学んだ。
「・・・一寸だけ、十五分だけ・・・」
 つぼみはピンクッションに針を刺して、作業台に突っ伏した。


 明堂祭当日まであと一週間、実行委員会の仕事もいよいよ大詰め。
 ショーの本番まで、あとどれだけファッション部の方に顔を出せるかわからない。下校時刻までそんなに時間はないけれど、少しでも時間があるなら、と、いつきは被服室へと足を運んだ。
 扉の前で足を止め、聞き耳を立てる。
 人の声は、聞こえない。
「さすがに、みんな帰っちゃったかな」
 ―――明かりは点いているから、誰もいない、なんてことはないだろう。
 こんな時間まで残っていそうなのは、えりかとつぼみくらいかな。
 そう考えて、いつきは扉を開けた。
「・・・あれ?」
 衣装ハンガーも、作業台も、ミシンも、綺麗に片付けられていて、人の気配が全くない。
 誰もいない―――と、思ったときに、窓際の作業台に置かれた作りかけの衣装と、その傍らに突っ伏す人影が目に入った。
 いつきは静かに扉を閉め、部屋の奥へと進んだ。
 顔は隠れて見えないけれど、二つに分けて結ばれた、少し癖のある豊かな髪と、傍らに置かれた通学鞄からぶら下がるマスコット。それらの持ち主を、いつきが間違える筈もない。
「・・・つぼみ?」
 遠慮がちに、呼んでみる。
 返事は、ない。
 眠りの底に沈んだ彼女を呼び戻すには、少々刺激が足りないようだ。
「・・・随分、お疲れみたいだね」
 最近のつぼみは多忙を極めていることを、いつきはよく心得ていた。放課後はクラスの準備にもそれなりに顔を出して、それから衣装作り。帰宅して、予習復習に宿題もやって、それからまた衣装作り。加えて、時々砂漠の使徒の襲撃。明堂院流の後継者としての稽古と生徒会活動をずっと掛け持ちで続けてきたいつきと違い、ごく普通の生徒であったつぼみにとって、今の状態は未曾有の忙しさ、未知との遭遇のはずだった。
 いつきは、時計をちらりと見た。
 下校時間までは、まだ少しある。
 それなら、と、いつきは自分の上着を脱いで、眠るつぼみの背中にそっと掛けた。
 つぼみは気付かぬまま、眠り続けている。
 いつきは図書館で借り出したばかりの本を鞄から取ると、窓辺の椅子に腰を下ろした。


 オレンジ色に染まる校舎に、ショパンの夜想曲が鳴り響く。
『間もなく、最終下校時刻です。生徒の皆さんは、作業を止め、下校してください』
 放送部の鴬嬢の声が、生徒達の重い腰を上げさせる。
「ん・・・」
 眠りの底に沈んでいたつぼみも、こちらの世界に戻ってきたようだ。
 身じろいで、ゆっくりと頭をもたげる。
「おはよう」
 ―――朝じゃなくても、おはよう、って言うのかな。
 そう思いつつ、いつきは声を掛けた。
「・・・あ、いつき? おはようございま・・・あれ?」
 つぼみはそう答えて、ふにゃりと微笑んで、
「・・・!? いいいつきっ、いつからそこに!? わっ、私どのくらい寝てました!?」
 我に返って、慌てふためいた。
「ん、僕が来たのは20分くらい前で、その時はもう、ぐっすり」
 いつきは読みかけの本に栞紐を挟んで、鞄に納める。
「・・・起こしてくれればよかったのに・・・」
 跋が悪そうに言うつぼみに、
「ああ。つぼみの寝顔が可愛かったから、つい」
「っ!?」
 いつきがさらりとそう言うと、つぼみは一瞬固まって、そして顔を真っ赤に染めた。
「―――なんて、ね。ほんとは、伏せてたから顔は見えなかったんだ。残念」
「もう! からかわないでください!」
 愉快そうに笑ういつきに、つぼみは赤い頬を膨らませて抗議する。
 その肩から、白い学生服がぱさり、と落ちた。
「・・・あ」
 屈み込んで、床に落ちたそれを拾い上げたつぼみは、そこで初めて、いつきがいつもの詰め襟ではなくカッターシャツ姿であることに気付いた。
「ほんとに、よく眠ってたから。起こすのが、何だか忍びなくてね」
 そう言ったいつきは、つい今までの揶揄うような笑い顔とはうって変わって、とても優しい表情をしている。
「・・・ごめんなさい」
 つぼみは上着を軽く叩いて埃を払い、もう汚れは付いていないかと念入りに見てから、いつきに差し出した。
「ありがとうございます。・・・いつきは、寒くなかったですか?」
「うん、僕は大丈夫。だけど」
 いつきは上着を受け取ると、
「寝ちゃうと、体温が下がるから、ね。うっかりすると、風邪ひいちゃうよ?」
 ふわりとそれを翻し、慣れた仕草で袖を通した。
 元々明るい色をした髪を、窓から射し込む西日が金色に輝かせる。
 その姿は、思わず見とれてしまう程に格好良くて。
「・・・気をつけます」
 つぼみは、また熱くなる頬を隠すように俯いて、
「すぐ、帰り支度しますから。一寸待ってくださいね」
 作りかけの衣装を片付け始めた。
「それ、持って帰るの?」
 上着のファスナーを留め、襟を正しながら、いつきが問う。
「はい、もう、時間がありませんから。一寸でも、作業を進めておかないと」
 手提げ袋に裁縫道具を入れ、丁寧に畳んだ布をその上に入れて、帰り支度は完了した。
「そ、っか。でも、無理しちゃ駄目だよ? つぼみは、根を詰めすぎるから。ちょっと心配、かな」
 いつきの言葉に、つぼみは答えなかった。
 教科書の入った鞄と手提げ袋を台の上に置いて、じっと俯いている。
「・・・つぼみ?」
 訝しんで、いつきが問う。
「・・・無理、しなきゃ。駄目なんです」
 つぼみの声は、沈んでいた。
「分不相応な目標だ、って。分かっては、いるんです。本格的に服を作りはじめたばかりで、自分の服も、時間をかけて、完成させるのがやっとだった私が、こんなに短期間で、もう一つ作る、なんて」
 訥々と、つぼみは自分の思いを言葉にする。
「―――だけど、ゆりさんの服を作りたい、どうしても、ゆりさんに、私の作った服でショーに出て欲しい、っていうのも、本当なんです」
 いつきは、黙って耳を傾ける。
「勿論、精一杯頑張っているつもりですし、これからも頑張るつもりです、けど。私の力で、本当にやり遂げられる保証はあるか、自信はあるか、って言われたら・・・・・・ごめんなさい、変なこと言って。気にしないでください」
 つぼみは小さく頭を振って、無理に笑って見せる。
「変じゃないよ」
 つぼみが話し終わるのを待って、いつきは静かにそう言った。
「つぼみの言いたいこと、何となく分かる気がする・・・何となく、だけど・・・それで、僕も上手く言えないんだけど」
 ゆっくりと、言葉を選んで。
「目標、って、さ。届かなくても、それはそれで、いいと思うんだ」
 いつき「らしくない」その言葉に、つぼみは思わず顔を上げた。
「目標って、自分の今の力よりも高いところに置くもの、だから。当然、届かないことだって、あると思うんだよね」
 中空を見上げて、いつきはゆっくりと言葉を探す。
「大事なのは、目標に向かってどれだけ頑張ったか、とか、どれだけ目標に近づけたか、で。目標に届いたか、届かなかったか、なんて、単純なものじゃない気がする」
 訥々と紡がれる言葉に、今度はつぼみが耳を傾ける。
「例えば、達成することだけが大事なんだったら、そんなに頑張らなくても手が届くところを目標にすればいい。だけど、それじゃ、目標の意味なんて無いよね。・・・だから」
 いつきはそこまで言って、つぼみを見た。
 目が合って、
「だから、つぼみが高い目標を掲げたことも、それに向かって頑張ってることも、すごく正しいと思う。それで、もしも目標に届かなかったとしても、誰も―――少なくとも僕は、つぼみのことを駄目だとか、絶対に、思わない。・・・絶対に」
 いつきが、静かに、力強くそう言い切って。
 つぼみの瞳から、はらりと涙が零れた。
「・・・あ・・・」
 跋が悪そうに少し慌てて、つぼみは制服の袖で涙を拭った。
「っ、と・・・ごめんなさい」
 いくら拭っても、堰を切ったように溢れる涙は止まらない。
 いつきは、そっと彼女に歩み寄り、両腕で包むように、抱き締めた。
「・・・ごめん。泣かせちゃったね」
 つぼみは小さく首を横に振る。
「けど、つぼみが辛そうなの、見てられなくて。どうしても、それだけ伝えたくて」
「・・・はい」
 答える彼女の声はまだ、涙声で。
 いつきは、きゅっ、と、抱き締める腕に力を込めると、彼女が泣き止むまで、幼い子どもをあやすように、掌でその背中を、肩を、ゆっくりと撫でた。


 再び、被服教室のスピーカーから、ショパンの夜想曲が鳴り響く。
 窓から射し込む夕日はすっかり力を失って、辺りを夕闇が包もうとしている。
『最終下校時刻になりました。生徒の皆さんは、すぐに下校してください』
 鴬嬢の声に、いつきは抱擁を解いた。
「・・・帰ろうか」
「・・・はい」
 目が合うと、どちらからともなく微笑んで。
 二人は鞄を手に、歩き出した。

「・・・もう少し。ギリギリまで、頑張ってみようと思います」
 ―――ありがとう。
 被服室の戸締まりをしながら、つぼみがそう言うと。
「よかった」
 いつきが、学校中の女生徒が釘付けになりそうな、そんな笑顔を見せるから。
 つぼみは、真っ赤に染まった頬を隠してくれる夕闇に、少しだけ、感謝した。


《fin.》

  


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