「『もしもし……ええ、いいわよ』」
 ママの携帯が鳴ったのは、DLP*でひとしきり遊んで、一休みしに入ったカフェでオーダーしたワッフルが丁度出てきた時だった。


The Night Is Still Young


「『今? DLPのカフェよ。こっちに来て初めてのオフを満喫中』」
 英語で話してるとこをみると、たぶんこっちに住んでる友達か、ショーの関係者なんだろう。
「『キッズ? ……ああ、ティーンズモデルのこと?』」
 ママはえりかとつぼみちゃん、いつきくんをちらりと見て、
「『連れてきてるわよ。三人、ちっちゃいのと、中くらいのと、大きいの』」
 そんなこと言うから、私は危うくカプチーノを吹きそうになった。当の中学生トリオは、嬉しそうにワッフルを頬張ってる。ママの台詞を聞いてなかったのか、それとも英語だから解ってないのか。もし聞いてたら、えりかは「ちっちゃいって言うな!」って怒ってる、きっと。
「『いま? 私と一緒……え? ……はぁ!?』」
 と、不意にママの声が不機嫌そうに裏返る。
「『貴方、私の話聞いてた? 私は、休暇を満喫してる、って言ったのよ。しかも、こっちに来て初めての』」
 ……あー。
 コレハ、オ仕事ノ電話デスネー。
「『DLPの一日パスポートだって買って……え?』」
 電話は、中学生トリオを連れて来い、って話のようで。
「『馬鹿言わないで頂戴。入場券じゃないわよ、一日パスポート……そうそう。それから、今夜のディナーも貴方持ちね。……何言ってるの、貴方の作品のためでしょ? 渋ってんじゃないわよ』」
 どうやら、DLPの一日パスポートとディナーで商談成立する模様。
 私は、まだたっぷり残っていたカプチーノを飲み干した。
「……みんな、ごめんなさい」
 ママは電話を切って大きな溜息をつくと、私たちの方に向き直って話を切りだす。
「私の知り合いのデザイナーが、どうしても今日ティーンズモデルに会いたいって聞かなくて。つぼみちゃん達、申し訳ないんだけど、今から私と一緒に来てくれるかしら」
 ママがそう言うと、えりかはさも不満げにえー、とかそんなぁ、とかボヤいていたけど、聞き分けのいい二人は笑ってはい、と頷いた。
 ……いつきくんって、ほんとイケメンよね……って。
 あれ?
「私は?」
 私も一応ティーンエイジャーの端くれなんだけど。
「ティーンズモデル、って、私は入ってないわよね?」
「ああ、ももかはお呼びじゃないみたいだけど、どうする? 折角だし、一緒に行く? ピエールの所」
 ピエール、ってのが、件のデザイナーの名前。ママと同い年のオネェさんで、私も小さい頃は可愛がって貰ってたけど、背が伸びたら途端に相手にしてくれなくなったっけ。たぶんあの人、ロリコンなんじゃないかな。オネェだけど。
「遠慮しとく。どうせショーの前には嫌でも会うんだし」
「嫌でも、って。ピエールが聞いたら泣くわよ。……で、どうするの?」
「ん、先にアパルトマン帰ってるわ。もしかしたら、ゆりが戻ってるかもしんないし」
 うん、と両手を上げて伸びをしながら、私は答えた。
 ……そう。
 今日の私がテンション低いのは、ゆりがここにいない所為。
「……そうね。こっちはたぶん、遅くなるだろうから」
 その方がいいわね、とママは頷いた。

 それから。
 一時間ほどで、私たちはママの運転でアパルトマンがある6区まで戻ってきた。車はここで私だけを降ろして、ピエールさんのアトリエに向かう。
「ねー、もも姉も行こうよー。二人で留守番とか、つまんないじゃん?」
 私が車を降りようという段になって、えりかがそう言った。
 分かってないなぁ。二人きりで留守番、ってのがいいんじゃん? ……ま、あんまり分かられても困るけど。
「そうですよ。ゆりさんも誘って、皆で行きませんか?」
 すかさずつぼみちゃんが援護射撃。
「んー。お誘いはありがたいけど、ピエールさんとこには仕事で行くわけでしょ? ティーンズモデルじゃない私達が行ったって、放っとかれて退屈するだけだし」
 やめておくわ、と、お断り申し上げて。
「私はまだ、ピエールさんのこと知ってるからいいけどね。ゆりにとっては完全アウェーだし」
「そっかぁ……そだね」
 とどめのようにそう言うと、えりかは案外あっさりと諦めた。こういうとこ、この子は何ていうか、引き際をよくわきまえてる。
 それ以上誰も私を引き留めようとしなかったので、私は一人、車を降りて。
「じゃ、こっちはたぶん遅くなるから、晩ご飯はゆりちゃんと、作るなり外食するなりしてね」
 ママの言葉に右手でOKサインを作って応え、車のドアを閉めた。

 私達の部屋は、アパルトマンの最上階にあった。部屋、というか、こっちにいる間のアトリエや事務所とかいろいろ兼ねてるから、2LDKを4つ、ワンフロアまるごと借り切ってるんだけど。
 階段を上りきったところに、ドアが一枚。ここの鍵を開ければ、その向こうは廊下も含めてまるごと私たちのプライベートスペース。
「……ただいまー……」
 内側からドアの鍵を掛け、声をかけてみる。
 返事は、ない。
 廊下の両側に二つずつ並んだ入り口のうち、まずは手前右側、普段みんなが集まるリビングを覗く。日本の家なら靴があるかどうかで誰がいて誰がいないのか見当がつくけど、ここじゃそうはいかない。
「ゆりー? いる?」
 人の気配は、ない。
 続いて、奥側の左、私とゆりに割り当てられた2LDK。
「ゆりー?」
 ───いた。
 リビングのソファの、背もたれに頭を預けて、目を閉じて。
 膝の上には、大判の、ハードカバーの本が一冊。
「ゆり……寝てる?」
 近づいて、そっと声をかけてみる。
 返事は、ない。
 ……そりゃそっか。昨夜はなかなか寝付けなくて、ずいぶん遅くまでベッドの中でもぞもぞしてたもんね。
 ここは、暫くそっとしといて───

  がつっ!

 ───あげよう、と思って後ずさりしたら、ローテーブルに蹴っつまずいて。
「ひゃあっ!」
 思わず声を上げて、もう一つのソファにお尻から落下。
 ショーの直前にモデル負傷、っていう最悪の事態は回避したけど、マイスイートハートの眠りを邪魔しない、っていう私のささやかな気遣いは木っ端微塵に吹き飛んだ。
「…………ももか?」
 寝起きの彼女は、ぼんやりと私を見て。
「…………おかえりなさい」
 ふわり、と微笑んだ。

 わ。
 わ。
 わ!

「ちょ、ゆり、いまのもう一回!」
「……何?」
 思わず身を乗り出す私に、ゆりは怪訝そうに眉を顰める。
「今の台詞。もう一回言って!」
「台詞、って……『おかえりなさい』?」
 んー、残念。ナチュラルさが皆無だわ。
「ね、ゆり。卒業したら、一緒に暮らそうよ」
「……何なの、藪から棒に」
 ますます怪訝そうに、ゆり。
 あああ、そんなに眉間に皺寄せちゃ、美人が台無しですよ。
「だって。そうすれば、ゆりに毎日、今みたいに『おかえりなさい』って迎えて貰えるでしょ? それって超ウルトラハッピーライフじゃん。たぶん私、百倍増しで仕事頑張れるし」
「………………」
 残念な人を見るようなゆりの眼差しが、痛い。
「……そんな、えりかを見るような目で見ないでよ」
 これでも結構マジなんだから、と、ちょっぴり拗ねてみせると。
「ん。意外と欲がないな、と思って」
 ───それだけでいい、なんてね。
 そう言って、彼女は小さく破顔した。
 ……ん?
 あれ?
「え、ちょ、それってd」
「ところで、ずいぶん早く帰ったのね? 一日パスポートで遊びまくって来るんじゃなかったの」
 ……はぐらかされてしまった。
「んー、そのつもりだったんだけど。ママの友達のデザイナーさんから急に電話かかってきて、キッズモデルにいますぐ会いたいから連れてきてくれって」
 仕方がないので、質問にお答えしましょう。
「で、みんなはそっちに行って、お呼びじゃない私は一人こっちに帰ってきた、ってわけ」
「そう……それは残念だったわね」
 彼女は軽く眉根を寄せ、
「んー。ま、別にいいけどね」
「でも。楽しみにしてたじゃない? DLP」
「ゆりが『行かない』って言うまではね」
「……ごめんなさい」
 顔を曇らせた。
「ゆりが謝るようなことじゃないわよ」
 私は苦笑する。ほんと真面目だなぁ、この人。
 ま、そういうとこもひっくるめて、好きなんだけど。
「私にとっては、『ゆりと一緒』ってのがポイントで、DLPは正直どうでもよかったの。だから」
 私はソファーに埋まった体を起こして、彼女の隣に座った。
「今こうしてゆりと二人っきりになれたの、超ラッキー。棚ボタ、って言うんだっけ? こういうの」
 そう言って唇を寄せると、彼女は、
「……もう」
 仕方ないわね、という顔をして、目を閉じた。

「……第一、さ」
 少し長めの挨拶程度のキスをして、私は言葉を続けた。
「そもそもゆりが私の誘いに乗ったのって、お父さんの手掛かり探しのためでしょ? どう考えたって、遊びに行くよりそっちのが大事じゃん」
 そう。それが、ゆりが私達と一緒にパリに来た目的で、DLPに行かなかった理由。今日彼女は、パリでお父さんが頼りにしてたっていう大学の先生に会いに行くと言っていた。
「で。そっちはどうだったの……って、聞いてもいい?」
「……まるで駄目」
 私が訊くと、彼女は小さく首を横に振った。
「もともと、そんなに期待はしてなかったけど……当然よね。これまで誰も見つけられなかったものを、高校生の小娘が少しばかり話を聞いたくらいで、見つけられるわけがないわ」
 そう言って微苦笑する横顔に、胸が痛む。
 私が何も言えないでいると、
「……けど、そうね。これは、収穫って言っていいかしら」
 彼女は膝の上の本を取り上げ、私に見えるようにページを開いた。
「図鑑? でもこれ、イラストよね、すっごいリアルだけど」
 見開きのページの、左側には文字、右側には花のイラストがカラーで描かれている。フランス語はわからないけど、たぶん花の説明なんだろう。
「でも、写真より綺麗」
「今日お会いした大学の先生から戴いたんだけど」
 彼女はそう言って、別のページを開いた。こんどは見開きの全面に、色とりどりの花がいっぱいに描かれている。
「父が行方不明になる直前に注文していた本が、後から研究室に届いたそうなの。その中にこれがあったんだけど、他は専門書ばかりなのに、これだけが違っていて。なぜ父がこんな本を注文したのかが分からず、今日まで、その先生の本棚に眠っていたそうよ」
 彼女は本を閉じた。表紙には、流れるような書体で書かれたタイトルと、白い百合の花の絵。確かに、大きな判で、凝った装丁で、あまり分厚くなくて。専門家向けの本じゃないことは、私にもわかる。
「それで、今日、その先生を訪ねて、少しお話をして。私が花が好きだと言ったら、その先生が、もしかしたらこの本は私へのお土産だったんじゃないか、って。……もし、そうだとしたら」
 掌で、表紙をそっと撫でて。
「少なくとも、父は私と母を捨てたわけじゃない。家族を捨てるつもりの人間が、家族にお土産を買ったりはしない筈だから」  ───そのことが分かっただけで、十分。
 彼女はそう言って、表紙の白百合を見つめ、静かに微笑む。
 私は、どう答えればいいのかわからなくて。
 ただ黙って、彼女を抱き締めた。
 窓の外、西日に輝く街並みが、部屋の中まで淡い光を投げる。私も彼女も黙ったまま、ただお互いの息遣いと気配に心を傾けた。
「……ね、ゆり」
 どれくらい経っただろう。大して、時間は経ってないのかもしれない。
「これから、出かけよう? 二人で」
「……唐突ね、また」
 私が言うと、彼女は少し困ったように、小さく笑う。口では咎めるようなことを言いながらこういう表情をする時は、脈があるときだ。
「ママ達遅くなるから、晩ご飯は私達だけで、って言われてんのよね。向こうは豪華なディナーみたいだから、こっちはこっちで楽しんじゃおうよ。レストラン予約して、思いっきりドレスアップして、シャンパンで乾杯するの」
 どう? と表情をうかがうと、案の定彼女は少し渋い顔をした。
「シャンパン、って。私達未成年よ? 私はともかく、ももかは───」
「フランスは十六歳から飲酒OKな♪の♪」
 ゆりは言葉に詰まる。
 ふふん、してやったり。思わず頬が緩む。
「折角だから、さ。日本じゃできないこと、しようよ」
 ね? と私が可愛く首を傾げてお願いすると、例によって彼女は、
「……そうね」
 仕方ないわね、という顔をして、笑った。
「やった! じゃ、ドレス決めよう? たしかえりかの作ったやつがあの子の部屋にあるはず」
「ちょ、ももか」
 立ち上がる私を、彼女が引き留める。
「勝手に着ていいの? 第一それ、ショーで使う衣装でしょ」
「だぁいじょうぶ。全部は使わない、って言ってたし。結構いいデザインすんのよね、あの子……あ、レストランの予約の電話、お願いしていい?」
 私はそう言って、ゆりに携帯を手渡した。
「後で喧嘩になっても知らないわよ」
 呆れたように溜息をついて、ローテーブルの上からガイドブックを拾い上げる彼女に、
「平気平気。ゆりのドレスアップも、私に任せて? 頭のてっぺんから足の先まで、ばっちりプロデュースするから」
 私はとびっきりのスマイルで応えた。
「カリスマモデル・来海ももかの本気、見せてあげる」

 さあ。
 夜は、これから。



《fin.》


*DLP=Disneyland Paris のこと。

  


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