きちんと閉めた筈のカーテンの隙間から漏れ来る光が眩しくて、目が覚めた。 まだぼんやりとしている頭で考えて、理由にふと思い当たる。 確か、昨夜カーテンを閉めたのは、彼女だった。 時計を見ると、アラームを仕掛けた時刻の十分前。それならまあいいか、と妥協する。幾分身体は怠い気もするけれど、こんな風に夢もみないで一気に夜から朝を迎え、すっきりと目覚められたことは、近頃ではあまり無かった気がする。 ・・・で。 昨夜きちんとカーテンを閉めなかった張本人の彼女は、私の肩先に顔を押し当て、私の躰を抱きかかえるように腕を回して、静かに寝息をたてている。半分は隠れて見えないけれど、その寝顔が安らかで幸福そうなのはわかった。もう少し寝かせておいてあげたいのは山々だけれど、残念ながらこのままでは私が起きられない。そして、私が起きられなければ二人揃って遅刻の憂き目を見ることは確実。 「・・・ももか」 名前を呼んでみたけれど、返事どころかぴくりとも反応がない。 「ももか。起きて」 少し声のボリュームを上げてもう一度呼んでみる。 「ん゛ー・・・・・・」 やっと反応があった。 朝日が射して眩しいのは彼女も同じ筈なのに、この反応の鈍さは何だろう。 寝付きが良くて、寝起きが悪い。余程、眠りの精霊に愛されているのだろう。寝起きは良いけれど寝付きの悪い私とは正反対だ。 「・・・ももか。まだ起きなくていいから、とりあえず、この手離して」 「う゛ー・・・・・・」 理解しているのかいないのか、私が軽く叩くと、彼女は私の躰に回した手をのろのろと引っ込めた。 ようやくベッドから抜け出した私は、床の上からパジャマの上着を拾い上げて羽織った。いくら自宅でも、たとえ他に誰もいなくても、一糸纏わぬ姿で歩き回る気にはとてもなれない。 そして、いつもの机の上に眼鏡がないことに気付き――― 記憶を手繰り寄せて、最後に外して置いたのはバスルームだと思い出す。 どちらにせよ、シャワーを浴びるつもりだった私はバスルームへ向かった。 洗面台の鏡の横の、小さな棚。果たして、眼鏡は確かにそこにあった。 鏡をふと見れば、ボタンを外したままのパジャマの、合わせの隙間からちらりと覗く、赤い痕。 胸の真ん中を、矢で射られたような。 ―――昨夜の記憶が、不意に蘇る。 自分を見つめる彼女の濡れた瞳を。 自分の名を呼ぶ彼女の声を。 耳元をくすぐる彼女の吐息を。 肌に触れる彼女の掌を、指先を、唇を。 胸の奥を締め付ける痛みを。 躰の奥深くで蠢く甘い疼きを。 そして、狂ったように彼女の名を呼ぶ、自分の声までも。 それら全てを思い出し、顔が熱くなる。 私はそれらを振り払うように、少し乱雑にパジャマを脱ぎ捨て、バスルームへ入って蛇口を思い切り捻った。 ―――何考えてるの、私。 平日の朝で、これから学校だというのに。 シャワーの水が湯に変わる間に、私は何とか落ち着きを取り戻した。 体を洗おうとすれば、嫌でも自分の姿を直視しなければならない。 先刻はたった一つの痕を見つけただけで動揺したけれど、こうして明るい場所でまじまじと見ると、それは酷いものである。人目につく可能性のある首や胸元、腕や脚は無傷だが、それ以外は、よくもまあこれだけ付けたものだと、恥ずかしさを通り越して呆れてしまう――― 「あっ」 ―――いや。 一つだけ、胸元に残る、紅い花びらのような痕。 普通の服ならばおそらく、襟元から覗きそうで覗かない、ギリギリの場所に。 「やられたわ・・・」 私は頭を抱えた。 制服や体操服を着るぶんには全く問題はない。 私服でも、たぶん大丈夫。パジャマでも、気をつければ大丈夫。 けれど。 「変身したら、見えちゃうじゃない・・・」 あの衣装は違う。スクエアネックで、私が持っているどの服よりも胸元が大きく開いているのだ。 独りで戦っていた頃ならば、よかった。けれど、今は違う。 あの子達に見つかったら、どんな反応をされるだろうか。 考えただけで、また頭を抱えたくなる。 「暫く三人で頑張って貰うしかないかしらね・・・」 冗談でなく、かなり本気で、私はそう考えた。 洗面台の前でドライヤーを当てること、数分。 私の髪が粗方乾いた頃、ようやく起き出したももかが、Tシャツ姿でやって来た。 彼女は現れるなり、私に背後から抱きついて、 「おはよ」 鏡越しに視線を交わし、私の頬に口づけた。 「お早う」 そのまま唇をずらしてキスをせがむ彼女に、応えて今度は私から、少し屈み込んで、口づける。 と、彼女は私の肩を抱く腕に力を込め、唇を割って舌を滑り込ませてきた。 舌と一緒に、思考まで絡め取られそうになる。 ―――おはようのキスにしては、一寸度が過ぎない? 流されてしまいそうになったのは、ほんの一瞬。私は首を振って唇を解いた。背丈に少し差があるお陰で、こういう時、簡単に逃れることができる。 「ももか。今から学校なの、わかってる?」 「勿論。だから、今のうちにいちゃいちゃしとくんじゃない」 私は朝一番の盛大な溜息をついた。 「・・・それはそうと。ももか、これはどういうこと?」 私は例の痕を指で示して、彼女を睨め付けた。 「ああ、それね」 彼女は悪びれもせず、ふふっ、と笑ってみせる。 「我ながら絶妙だと思うのよね。見えそで見えないギリギリのとこ。ギリギリマスター、って呼んで?」 「冗談じゃないわ。バスタオルで隠れないところには痕を残さない、って約束でしょ」 現に、問題のそれは、バスタオルの胸元のラインよりも上にくっきりと見えている。 「見えなきゃいいじゃない? 体操服と制服は余裕で隠れるはずだし、私服だって、ゆり、そこまで胸元の開いた服着ないし、持ってないでしょ」 彼女は謝るどころか、そう切り返してきた。 「そ、れは、まあ・・・」 どうしてそんなことばっかり憶えてるの・・・ ・・・ただ、あるのよ。貴女の知らない『服』が。一つだけ。 あれを『服』というのかどうか、謎だけれど。 本当の事を打ち明けられないことをこんなにももどかしく思ったのは、久しぶりかもしれない。 「大体、何でそんなに痕つけたがるのよ」 キスマークなんて、付ける方にも付けられる方にも、何の快感ももたらさない筈だ。だいたい、その時は付けられたことに気付かないくらいなのだから。 「んー、何ていうか、マーキング? 私のものだ、って主張したいわけよ。大事な物には名前書いとけ、みたいな」 彼女はさらりとそう答えた。 「で、名前って、やっぱ、見えるところに書いておきたいじゃない?」 「だからって―――」 「本当にそうしたらゆりが困るのは、分かってる」 彼女は私の言葉を遮るように言った。それまでのふざけた口調とは少し違う、切なさを帯びた声に、私も思わず黙り込む。 「けど。次はいつ、ゆっくり会えるか、わからないじゃない? だから、それまで、何か、印っていうか、証っていうか。何か、欲しくて。ゆりが鏡を見る度に、私のことで頭が一杯になるように・・・でも」 ごめん、と、彼女は小さく呟いた。 そんな顔で、そんなことを言われたら。 「・・・もう、いいわ」 許すより他に、どうしようもない。 私は、彼女を抱き締めた。 「今回だけ、特別に許してあげる」 ふわりと抱き締め返す彼女の背中を、私はあやすようにぽんぽんと叩いて、そして離れた。 「急がないと、ほんとに遅刻するわ。シャワー浴びてらっしゃい。パン何枚?」 「2枚」 「卵は?」 「1個」 「OK」 洗面所を出る前に、私は一度彼女の方を振り返り、Tシャツを脱ぎ捨ててバスルームに入っていく後ろ姿を見た。 めりはりの利いたプロポーションに、柔らかな曲線を描くボディライン。柔らかく波打つ艶やかな黒髪と対をなす白い肌には、一点の曇りもなくて。 ―――もしもそこに、紅い花びらを散らしたとしたら。 『マーキング? 私のものだ、って主張したいわけよ』 『証、っていうか。鏡を見る度に、私のことで頭が一杯になるように』 そう言った彼女の気持ちが、一寸分かったような気がした。
《fin.》
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