「・・・っ・・・ぅ・・・」 声が、聞こえる。 「・・・・・・ゃ・・・っ・・・」 その声の主が、自分の隣で眠る彼女であることは、私のまだ目覚めきらない惚けた頭でもすぐに理解できた。 「ぅ・・・・・・ぅ」 彼女は拳を強く握り締め、腕で顔を隠して、聞いているだけで窒息しそうな、呻きとも唸りともつかない苦しげな声を絞り出す。 「―――ゆり」 私は彼女の名を呼んだ。 「・・・っぐ・・・・・ぅ・・・」 届かない。 今度は、顔を覆う両腕を掴んで、引き剥がすように、思い切り揺さぶって。 「ゆり!」 顔を寄せて、強く、声に力を込めて、呼ぶ。 引きつったように固く強張っていた彼女の腕から、力が抜ける。 「・・・ふ・・・」 肩で息をしながら、彼女はうっすらと目を開いた。 「・・・ゆり?」 焦点の合わないまま、宙を彷徨っていた視線が、やがて落ち着いて。 彼女は大きく息をついて、私の目を見て。 「―――ももか」 そして、私の名を呼ぶ。 この瞬間、私はいつも絶望的な気分にさせられる。 悪夢の淵から浮かび上がり、私の顔を瞳に映した瞬間、彼女は微かに落胆の色を浮かべ、心を閉ざす。ほんの一瞬のことだけれど、私はそのことに、ある時、何故だか、何となく、気付いてしまった。 幾度となく彼女を苛む悪夢の中に、彼女が求めて止まないものがある。 それは、少なくとも私ではない。 そして、彼女は私にそれを知られたくないと思っている。 こんな風に、彼女が悪夢にうなされる度、私はそれを思い知らされる。 「・・・また、嫌な夢?」 そして、私もまた、その絶望的な気持ちを微笑みの下に隠して、彼女の頬にまとわり付く髪を指で払い、涙を、唇と舌で拭い取る。 「・・・ん」 曖昧に答えて、彼女はのろのろと身を起こし、 「何?」 「・・・・・・水」 長い髪をかき上げながら、気怠い声でそう言った。 「あるわよ。私ので良ければ」 「ん・・・貰っていい?」 私は身体を起こし、脇のデスクへと腕を伸ばして、コントレックスのくびれたボトルを手に取った。癖の強いその水を、彼女は美味しくないとか後味が良くないとか言って普段あまり飲みたがらないけれど、それでもいい、ということは、余程渇いているのだろう。 「ありがと―――」 手を伸ばして礼を言う彼女を横目に、私はボトルに口を付けると、一口飲み下し、二口目を口に含んだまま、彼女の方へ向き直る。私が何をしようとしているかを察した彼女は、少し呆れたように小さく溜息をついたけれど、突っぱねる気はないようだった。 彼女の頬に手を添え、重ねた唇の隙間から水を流し込む。 入りきれなかった水が、彼女の口の端から流れ落ちた。たぶん、入った分よりも零れた分の方が多い。 もう一度、私はボトルを呷った。 膝立ちになって、少し上を向かせて、唇に、水を流し込む。 やっぱり少し零れたけれど、彼女の喉がごくりと鳴ったところを見ると、今度はちゃんと入ったようだ。 私はもう一度水を口に含んで、彼女を見た。 無意識なのか、彼女は口を半開きにして待っている。 普段は絶対に見せてくれない表情に情欲を掻き立てられながら、私は彼女の唇に温い水を流し込んだ。 二度三度、同じ事を繰り返したあと。 「・・・まだ、欲しい?」 吐息混じりに、とびきり甘い声で問うと、彼女は無言で、小さく首を振った。 私はボトルを握ったまま、彼女の背中に腕を回し、また唇を重ねる。 「んっ―――」 不意打ちに、彼女は鼻に掛かったような声を小さく漏らした。 水のことを考える必要がなくなったので、私は彼女の唇を貪るようにキスをした。苦しげな呼吸をしながら、それでも彼女は応えてくれる。 私は、彼女の背中に回した両手でボトルのキャップを締めて、ベッドの下へ放り出した。輸入物のミネラルウオーターに特有の柔らかいプラスチックボトルは、床に落ちると、いかにも軽そうな音を立てた。 自由になった手で、私は彼女をシーツの上に押し戻した。 そして、先刻彼女の口の端から流れた水の跡を、唇で辿る。 顎のラインを伝って、喉元へ。 零れた水を、舌で、丁寧に拭って。 「―――っ、は・・・」 私の唇から解放された彼女の口が大きく開いて、空気を吸い込む。 水の跡は、喉から、胸元へ。 私のそれよりも少し控えめな胸の、谷間を流れて、臍へ。 舌を這わせながら、臍の整形をした、なんていうモデルの話をふと思い出した。その時は、わざわざ整形するなんて、と思ったけれど、こうしてみると、確かに、臍にも美醜があるのだと実感する。 「っ、ちょっ、ももかっ! 何してるのっ」 「何、って。 ・・・ゆりのお臍を観賞しつつ、味わってる」 「なっ・・・馬鹿っ! 何考えてるのっ―――」 彼女は少し上擦った声で抗議しながら、右手で私を押し退けようとする。 彼女の理性は、手強い。 いつだって、彼女を正気に戻す準備万端なのだから。 「何、って・・・私の考える事なんて」 だから、私も本気で戦う。 「ゆりのことに、決まってるじゃない」 抗う彼女の右手を背中に往なして、その瞳を覗き込めば、そこにはもう理性の光が戻っていた。 「どうしたら、私のものにできるか、とか」 「・・・もう・・・なってる、でしょ」 彼女は私の頬に手を添えて、駄々っ子を諭すようにそう言った。 「ううん」 そう。きっと私は、無い物ねだりの駄々っ子なんだ。 「全然足りない」 ―――お喋りは、もうお終い。 私は唇で彼女の口を塞いだ。 性急な深い口吻を、彼女はすぐに受け入れる。 「っん―――」 少し苦しげに、鼻を鳴らす彼女。 口蓋を、舌の根を、執拗に愛撫する。 彼女の舌を絡め取り、甘噛みをして、吸う。 そんなことを、幾度となく繰り返し。 「くっ・・・」 ごくりと喉を鳴らし、彼女は溜まった唾液を飲み下して、大きく息をついた。同時に私も大きな呼吸を一つ、二つ。私の顔を見上げる彼女の表情は恍惚としているけれど、瞳の中に宿る理性の光はまだ完全に消えわけではない。 再び、唇を落とす。 上唇を啄み、下唇を咥え、舌を絡め。 「―――ゆり」 口吻の合間に、私は彼女の耳元に唇を寄せて、囁いた。 もしも、言霊というものがほんとうにあるのなら。 「もっと。私に、夢中になって。もっと―――」 これだけの想いを載せた言葉が、力を持たない筈がない。 「―――狂って」 私は、噛みつくように彼女の唇を喰らい、舌を強引にねじ込んだ。 殊更に淫靡な音を立てて唇を貪りながら、彼女の頬を捉えていた掌で首筋から肩、鎖骨から胸へと撫で下ろす。なめらかな肌を滑ってきた掌が固く実を結んだ先端に引っ掛かると、彼女が一瞬息を呑んだ。 屹立するそれを指先で弄べば、私の躰の下で、彼女が身を捩る。 二つの場所に同時に愛撫を与えると、理性のガードは緩む。 『人間の脳って、二つの情報を同時に与えられると、思考が停止するものなのよ』 そう教えてくれたのは他でもない、彼女だった。 ちゃんと学習してますよ? 彼女は腕を私の首に絡めると、口吻は結んだまま、柔らかな胸を揉みしだく私の動きに合わせ、声を殺して喉の奥で喘ぐ。 数時間前、最初の眠りにつく前に達した感覚の残り火は、確実に、彼女の中で再び燻り始めていた。 私は唇を解いて、舌を首筋へと這わせる。 「っは・・・ぁ」 口を塞ぐものが無くなって、小さく彼女の声が漏れた。 「声・・・殺さないで」 私は彼女の喉元に唇を寄せ、そう囁いた。 彼女は答えなかったけれど、私はお構いなしに彼女の胸へと顔を埋め、その先を口に含んだ。 「っ!」 不意打ちのような刺激に、彼女の躰が波打つ。 ヘーゼルナッツのような二つの突起を、一つは舌で転がし、時折甘く噛み、吸い上げ、もう一つは指先で摘み、撫で、捏ね、弄る。 「・・・っ・・・・・・は・・・」 彼女は私の首を掻き抱いた。指先を掌に握り込んで、万が一にも私の肌に傷を付けないように。 理性の片鱗を感じさせるそんな小さな仕草に、私は少し苛ついて。 私は右手を彼女の脚の間へと伸ばし、愛撫もそこそこに、彼女の最も敏感な部分を指の腹でぐい、と捻るように押し潰した。 「あっ―――!」 彼女の背が大きく反り、一際大きな嬌声が口から漏れた。 その続きで秘裂に指を這わせれば、しっとりと蜜の感触。 ゆっくりと、掻き回すように、深い部分へと沈めてゆくと、彼女は同じようにゆっくりと息を吐いた。 そして、沈みきった指をくねらせれば。 「はっ・・・・・・ぅ・・・・・・んはっ、ぁ」 その動きに合わせ、彼女が喘ぐ。 殺しきれずに溢れた嬌声に、私はぞくぞくした。 普段聞き慣れた声だけれど、コレの時の声は、全く別物。 『声は一番の媚薬。気持ちいいときは思い切り出して』 いつかBiBiで読んだ記事を思い出す。確か、「愛されテク24h」とか、そんなタイトルだったと思う。BiBiに書いてある恋愛テクなんて、って小馬鹿にしてたけど、一寸だけ見直した。 テンションの上がった私は、更にもう一本、指を増やした。 「んっ・・・く・・・」 彼女の両脚が、私の腰を挟む。 彼女の中に埋めた指を、引き攣る寸前まで激しく波打たせれば。 「っ、っ、う・・・・・・っあ、んっ!」 先刻眠りに就く前、散々達して果てた筈なのに、どこにそんな力が残っていたのか、と思うほどに彼女の躰は強くしなり、私の躰を突き上げる。 ―――もっと。 「ふっ・・・・・・んっ・・・」 ―――溺れて。 「・・・んぁっ・・・」 ―――何もかも、忘れて。 「くっ・・・ふっ・・・」 ―――空っぽに、なるまで。 「っは―――あっ!」 彼女の躰が一際大きく波を打ち。 私の首を抱く腕から、ぐったりと、力が抜けた。 私は胸元に埋めていた顔を上げ、彼女の顔を覗き込んだ。 「・・・ゆり」 呼びかけると、閉じられていた瞼がゆるりと開く。 私が彼女の中から引き抜いた指に絡みついた蜜を舐め取る様を、彼女は荒い息をしながら、まだ焦点の合わない目でぼんやりと見上げた。 ―――いま、この瞬間、彼女の心に棲んでいるのは、私だけ。 「ゆり」 名を呼べば、私だけを見つめてくれる。 私以外の、誰のことも考えないで。 私は、啄むようなキスを落としながら、彼女の頬に残る涙の跡と、目尻に浮かぶ雫を唇で拭った。 私を見つめ返す表情は、とても甘い。 彼女がこんな表情をすることを知っているのは、自分だけだと。 そう、思いたい。 「・・・ももか」 そして、彼女に、こんな風に甘く、名を呼ばれるのも。 私だけだと、そう思いたい。 彼女は私の首に回していた手を、頬へと滑らせた。 「・・・何で、あなたが泣くのよ」 「・・・え?」 そう言われて初めて、私は自分の目元が酷く熱をもっていることに気付いた。慌てて手の甲で擦っても、それでは涙は拭いきれなくて。 「何でだろ・・・・・・ゆりのこと、好き過ぎて?」 へらり、と笑いながら、冗談めかしてそう口にした途端、また涙が押し寄せる。 彼女は再び私の首に腕を回すと、そっと引き寄せ、私の目元に口づけた。そして、いつも私がそうしているように、流れたばかりの涙の跡と目尻に溢れる雫を、唇と舌で、丹念に拭い取る。 「・・・ももか、私が泣いてると、いつもこうしてくれるでしょう?」 残った涙を指の背で拭いながら、そう言った彼女の、少しはにかんだような優しい顔が目に入った途端。 もう堪えきれない程に、涙が零れた。 「・・・だから。どうして泣くの」 「だから、言ってるじゃない。ゆりのことが好きすぎて、って」 ねだるように顔を近づけると、彼女はつい今しがたそうしたように、丁寧なキスで私の涙を拭ってくれる。 ―――私は、ちゃんと、愛されてると。 私の想いは、ちゃんと、届いていると。 そう思って、いいのね? 「・・・意味がわからないわ」 「いいもん。わかんなくて」 彼女の唇は、とても温かかった。
《fin.》
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