Let Me Be the One
パールピンクのシャープペンシルが、走っては立ち止まり、また少し走っては立ち止まる。問題集の空欄が、着実に英単語で埋められてゆく。
自称「やればできる子」のももかは、時々こうして驚異的な集中力をみせる。
(問題なのは、“時々”っていう枕詞、よね)
彼女の斜向かいでノートとテキストを広げていたゆりは、心の中で呟いた。
(“もしも彼女がもっと熱心に勉強したら、彼女は試験に合格できるのに”)
―――仮定法過去の例文に、ありがちな。
そんなことをぼんやりと考えていると、
「・・・あ」
ふと、ももかの小さな声が聞こえた。ペンシルの頭をノックしながら、ペン先をじっと見つめる彼女。どうやら、芯がなくなったらしい。
ももかは小さく溜息をつくと、ペンシルを置き、筆入れから替芯のケースを取り出した。
右手だけで器用に蓋を開けたところで、動きが止まる。
替芯のケースを右手に持って、ももかは悩んだ。
彼女の左手は現在、包帯でぐるぐる巻きにされ、ミトンのようになっているのだ。親指以外の四本の指は一括りにされ、手首までがんじがらめにされて、上からネットが掛けられている。
考えた挙げ句、ももかは左手の親指と包帯の塊になった四指の間に替え芯ケースを挟み、少しずつ傾けて芯を取り出す作戦を取った。
手首までがっちり固定されて動かないので、肘を張って、腕全体を傾けて。
ケースの中身を全部バラ撒いてしまわないように、少しずつ―――
「ももか」
見かねたゆりが、手を差し伸べた。
「危なっかしくて見てられないわ。貸して」
「・・・ん」
ももかは苦笑しながら、素直に替え芯ケースを差し出した。
「このくらい、言えばやってあげるのに」
慣れた手つきで芯を取り出しながら、水くさいわね、とゆりは小さく溜息をついた。
「自分でできないと、ひとりで勉強する時とか困るかなー、って思って」
「・・・初耳だわ。ももかが家でそんなに勉強してたなんて」
ももかのシャープペンシルのキャップを外しながら、ゆり。
「・・・なんか、微妙に失礼なこと言われた気がする」
ももかは可愛らしくぷっと膨れて見せた。
「気のせいよ」
ゆりはくすりと笑って、
「二、三本、余分に入れておくから。そうすれば、家で勉強しても当分は持つでしょ」
芯を追加したペンシルを、ももかに返した。
「ん。ありがと」
ももかは柔らかく笑んで、再び問題集に視線を落とした。
「・・・痛みはもう、ないの?」
勉強しようとするももかに、ゆりが話しかける。
これは、非常に珍しいパターン。
「うん。直接触らなければ、ね」
問題集から目を離さずに、ももか。
これまた、極めて珍しいパターン。
「そう・・・なら、いいけど。大変そうね、左手がそれだと」
「ま、手首までガッチガチだしね」
更にゆりが話しかけると、ももかはやっと顔を上げて答えた。
「お風呂とか着替えなんかは、ママやえりかが手伝ってくれるけど、トイレだけはそういうわけにいかないじゃん?・・・まあ、親指だけは離れてるから、ここにこのへんを引っ掛けて―――」
「そこは詳しく説明してくれなくていいから」
活き活きと、動作までつけて見せようとするももかを、ゆりは呆れたように遮った。
「そう?遠慮しなくていいのに」
「別に遠慮とかじゃありません」
ももかはいひひ、と悪戯っ子のように笑って、シャープペンシルを握り締め、やりかけの文法問題に戻っていった。
包帯にくるまれた、ももかの左手。
その理由は、二日ほど前に遡る。
4限目、家庭科、調理実習の時間。
ごとり、と、何か重い物がシンクに落ちる音と、派手な水音。
もうもうと、煙のように上がる白い湯気。
「あっ!」
ほぼ同時に聞こえる、短く鋭い悲鳴。
調理台を囲んでいた生徒達が、一斉に音のする方を振り返った。
「っ、く・・・」
エプロン姿のももかが、首をすくめ、立ち尽くしている。左腕を右手で押さえ、柳眉を苦悶に歪めた姿から、何が起こったかは容易に想像がついた。
「ももかちゃん!?」
同じ班の女子生徒が叫ぶ。
「大丈夫!?」
左手の、手首から先が真っ赤になっている。元々の肌の白さとのコントラストが痛々しい。
「ももか!」
隣の調理台で作業をしていたゆりは、小さな人垣ができはじめている所をすり抜けて彼女の元へ寄ると、水道の蛇口を捻り、その左腕を掴んで、手首から先を勢いよく流れ出る冷水に突っ込んだ。
「っ!」
ももかの肩が跳ねる。痛みに思わず引っ込もうとする手を、ゆりはしっかり掴んで放さない。
「ごめん、でも我慢して」
「んう・・・大丈夫」
流水の冷たさに火傷の痛みが次第に和らぎ、ももかは詰めていた息をゆっくりと吐いて、肩の力を抜いた。
「大丈夫!?」
先生が白衣の裾を翻し、泡を食ったように飛んできた。ベテラン、と呼んでもいいような、そう呼ぶのは少々失礼なような、そんな年頃の女性である。シンク周りの惨状と火傷を冷やしているももかの姿を見て、先生はそこで起こった出来事を察した。
「手の他に、お湯がかかった所は?」
「・・・大丈夫、です」
ももかが首を横に振ると、先生はそう、と安堵の溜息を漏らした。
「ここでは落ち着かないだろうから・・・そうね、準備室で、氷水で冷やしましょう。氷持って来るから、月影さん、大きいボウルに水張って。手首まで浸かりそうなやつ」
はい、とゆりが答えると、先生は踵を返し、教室の隅に据えられた業務用の無骨な銀色の冷蔵庫に向かった。
「みんな・・・ごめん。全部ひっくり返しちゃって」
班のメンバー達と、シンクの底に落ちて流水に晒されている麺とを交互に見ながら、気まずそうに、ももか。
「ううん、気にしないで」
「そうそう。麺はまた茹でればいいから」
クラスメイトたちに気遣われながら、ももかは先生と、氷水の入ったボウルとともに調理室を後にした。
―――その後彼女は学校を早退し、病院で診察と治療を受け、現在に至る。
いつのまにか問題集の空欄を埋め終えたももかは、解答の冊子を開き、シャープペンシルを赤ペンに持ち替えて、添削を始めていた。
○○××○×××××○××○○×○×××××○×××○○××
「あ゛ー・・・・・・」
30問中、10点。
採点し終えて、ももかはぐったりしたように頬杖をついた。
「まあ、授業に出てないんだから。仕方ないわね」
赤ペンの手元を覗き込んで、慰めるように、ゆり。
「・・・野球だったら、三割打ったら強打者じゃん」
鞄からミネラルウオーターのボトルを取り出しながら、ももか。
「100点満点のテストなら33点。赤点ギリギリね・・・少し休憩する?」
ももかは取り出したボトルをテーブルに置くと、その肩を右手のひらで押さえながら、指先で器用にキャップを捻った。
「ううん、もう一寸やる。間違ったとこ、何でダメなのか教えて?」
そして、一口二口、水を含んで喉を潤すと、ボトルの蓋を閉めて、背筋を伸ばして座り直し、シャープペンシルを手にとった。
「ももか・・・どうしたの?」
眼鏡のフレームをくいと上げながら、ゆりが尋ねる。
「ん? 何が?」
「今日はやけにやる気なのね」
「・・・また失礼なこと言う。私が勉強する気だと、そんなに変?」
「ええ。変ね」
先刻と同じように膨れっ面を見せるももかに、ゆりは力強く頷いた。
「ちょ! 即答って、酷くない!?・・・せめて、もうちょっと申し訳なさそうにしたっていいじゃん」
「生憎、無駄なお世辞は言わない質なの」
ゆりは涼しい顔でそう言って、
「・・・ついでに言うと、やる気満々に見える割には勉強に身が入ってないのも、変ね」
探りを入れるような視線をももかに投げた。
「っ―――」
ももかは一瞬、鼻白んで、
少し、俯いて。
ちらり、と、上目遣いにゆりの方を見て、
「・・・やっぱ・・・わかる?」
そして、苦笑した。
「ええ」
ゆりは頷いて、
「何となく、だから。細かいことは、わからないけど?」
頬にかかる髪を後ろに払い、小さく微笑む。
穏やかな瞳に、探るような光はもう、ない。
短い沈黙があって、
「今日って・・・さ」
ももかがぽつり、と口を開く。
「ほんとは、撮影があったんだよね。けど、これのせいで撮影できなくなって」
彼女は、包帯でくるまれた自分の左手に視線を落とし、
「急遽代役立てて紙面埋めるってことで、私だけオフになったわけ。普通のオフだったら速攻遊びに行くんだけど、火傷したのって、私の不注意でしょ? それで仕事に穴あけたわけだから、遊ぶのはなんだか後ろめたいし。勉強でもしてれば、気が紛れるかな、って、思って」
―――ごめん。
と、呟くように、言った。
「・・・どうして、謝るの?」
ゆりが首を傾げる。
「ん・・・だって」
ももかは目を伏せたまま、前髪をかき上げた。
「勉強したいから教えて、なんてさ。騙して、付き合わせて」
「そんなの、いつものことじゃない」
さらりと、ゆりが言う。
「ちょ、それ、酷っ―――」
少しかちんと来て顔を上げれば、自分に向けられる彼女の視線がとても甘いのに気付いて、ももかは息を呑むのと一緒に、抗議の言葉をぐっと呑み込んだ。
「・・・それを言ったらおしまい、なのかもしれないけど」
ゆりは、ゆっくりとした動作で頬杖をついて、口元だけで笑む。
「ももかの『勉強教えて』の半分は、『会いたい』で・・・私は、それを承知で誘いに乗る。それがいつものパターン、でしょう?」
そう問われて、
「・・・うん」
ももかは大人しく、頷いた。
「じゃあ、いつものことじゃない。別に今更謝ることでもないわ」
「・・・うん」
再び降りる、沈黙。
「・・・それで」
今度はゆりが、それを破る。
「他には?」
「え?」
あまりにも短い問いに、ももかは思わず問い返した。
「ももかの気が晴れない、理由。それだけじゃ、ないでしょ?」
温かく見守るような、探りを入れるような、挑発するような。
微妙な視線に、ももかは一瞬、揺れて。
「・・・そんなに、バレバレかな」
頭を抱えるように、髪を掻き上げた。
「結構、ね」
揺れ動くももかとは対照的な静かさで、ゆり。
「・・・他の人なら、ばっちり騙されてくれるんだけどな」
ももかは溜息混じりに、けれど少しだけ嬉しそうに苦笑して。
「あの日・・・あの後、さ。先生にタクシー呼んで貰って、病院行ったんだ。明堂の校医さんのとこなんだけど」
重い口を、少しずつ、開く。
「ほら、内科とか歯医者さんは、検診とかで学校に来たりするけど、外科なんて、運動部やってて怪我でもしない限り、お世話になることないじゃん? だから、知らなかったんだよね」
「・・・何を?」
目的語を欠いたももかの言葉はさすがに理解できないようで、ゆりは疑問を口にした。
「私のこと。サンタクロースみたいなお爺ちゃんの先生でさ、私のこと、ただの女子高生だと思ってたみたい。受付の人や看護婦さんは気付いてたみたいだけど・・・あ、そうそう。ゆりのこと、すごい褒めてた」
「? 私を? どうして?」
「火傷って、一秒でも早く冷やせば、それだけ治りがいいんだって。あの時、ゆりがほんとにすぐ冷やしてくれたじゃない? そのこと話したら、大したもんだ、って」
「そう」
嬉しそうに話すももかに、ゆりは素っ気なく答えながら、微かに口元を綻ばせた。
「すっごい感じのいい先生でさ。『女の子だし、跡が残ったら大変だ』って、丁寧に手当してくれたんだけど・・・その後、ね。マネージャーさんに連絡したら、すぐ事務所に来い、って言われて」
明るかった声のトーンが、急に蔭を帯びる。
「行ったら、すっごい怒られた・・・まあ、仕事に思いっきり支障が出るわけだし、それは仕方ないって思うけど。それからすぐに、事務所の御用達の形成外科に連れていかれて、手当てをやり直されて、事務所に戻ったら、保険の手続きの書類書かされて」
「保険・・・火傷の治療の?」
ゆりの問いに、ももかは小さく首を横に振り、
「・・・私が撮影できなくなったぶんの、事務所の損害保険」
そう言って、深い溜息をついた。
「どの程度の火傷なのか、全治するのに何日かかるか、完治するのに何日かかるか、跡は残るのか、そんなこといっぱい聞かれて・・・その時、分かったんだよね。『ああ、今の私って、商品価値のない傷物ってことなんだな』って」
「ももか」
彼女の言葉に、ゆりは思わず眉を顰める。
ももかは構わず、喋り続けた。
「クラスの子とか、先生とか、他のクラスのファンの子とかにも、いっぱい声掛けられたけど、みんな言うこと一緒なんだよね。『どの位かかるの』とか、『火傷って、跡は残らないの』とか。『そんなの私が知りたいよ!』って思うけど、まあ、それは言わない約束? として」
肩をすくめて、少し戯けたように、ももか。
「いい加減なことは言えないから、『早くて2週間、長くて1ヶ月』とか、『このくらいなら、大抵は綺麗に治るけど、絶対とは言い切れない』って、病院で言われた通りに答えるわけね。そしたら、ほとんどの人は、『そうなの』って、すごく残念そうに言うの。・・・その時、思うんだよね」
そこまで言うと、俯いて、額に手を当て、テーブルに肘をついた。
「・・・みんなに心配されてるのは、来海ももかがまたカメラの前に立てるかどうかであって、今目の前にいる私のことじゃ、ないんだな、って」
「ももか・・・」
「わかってる。別に、他意も悪意もないんだよね。単純に、それが気になるだけで」
「ももか」
「いつまで休むの? 次に雑誌に載るのはいつ? その傷、綺麗に治るの? 治らなかったら、どうするの? モデル、続けられるの?」
「ももか!」
ゆりは名を呼ぶ声に力を込め、ももかの肩を引き寄せて、
「分かったから・・・もう、いいわ。それ以上、言わなくて」
その頭を包むように、自分の胸元に抱き込んだ。
「・・・ほんとに、ゆりだけ、なんだよね。跡のこと、ひとことも言わなかったの」
呟くように、ももか。
「・・・ん」
「痛くないかって、不便じゃないかって、心配してくれたのも」
ゆりの背中に、両手を回して。
「ん」
「事務所もマネージャーさんも、お金とスケジュールの話ばっかりだし」
「ん」
「・・・そりゃ、家族はもちろん、ちゃんと心配してくれるけど」
「ん」
「・・・・・・」
「・・・馬鹿ね」
ゆりはふ、と小さく笑って、
「私にはいつも、泣きたい時は我慢せずに泣け、って言うのに。自分は一人で、じっと我慢するつもりだったの?」
ももかを抱く腕に少しだけ力を込めて、その髪に頬を擦り寄せた。
「私はいつも、ももかに支えられてばかりだけど。たまには私が、勉強以外のことでも、ももかの支えになりたいから」
だから。もっと、甘えて?
囁くように、ゆりがそう言うと。
「―――っ―――」
ももかは声を詰まらせ。
ゆりの背中に回した両手に、ぎゅっと力を込め、
「・・・っ、う・・・っく」
彼女の胸に頬を埋め、声を殺して、泣いた。
一度堰を切ってしまえば、あとは、止めどもなく。
優しく肩を、髪を撫でられる感触と、
「―――ももか」
降り注ぐ柔らかな声に心を委ねて。
胸の底に溜まった澱が、やがて流れて尽きるまで。
「・・・・・・かな」
ゆりの膝枕に片頬を埋めたまま、ももかはぽつりと呟いた。
「何?」
「英語。ちゃんと勉強しようかな、って」
「・・・どうしたの?急に」
ももかの髪を弄んでいた手を止めて、ゆりが問い返す。
「高校出たら、事務所辞めて、フリーになってやろうかな、って思って。海外進出するなら、英語はマストアイテムっしょ?」
ごろり、と仰向けに転がって、ももか。覗き込むゆりの顔を、下から見上げる。
「そうね。・・・じゃあ、さっきの問題集の続き、やる?」
「えー」
ゆりの言葉に、ももかはいかにも不服そうに答えた。
「文法やっても、喋れるようにならないじゃん。『聞き流す英語』とか、どうかな?スポーツ選手がテレビでよくCMやってる、あれ」
「そんなの真に受けないの」
整った形をしたももかの額を、ゆりの掌がぺち、と叩く。
「彼等は学校の勉強もちゃんとしてた筈よ。一流を目指すんだったら、基本を疎かにしちゃ駄目」
「ちぇ・・・はーい」
ももかは笑いながら、渋々答えた。
と、玄関の方から、鍵の開く音がして、
『ただいま』
ゆりの母の声と、がさがさというビニール袋の摩擦音が聞こえて来る。
促されるまでもなく、ももかはむくりと体を起こし、再びテーブルについて問題集を広げた。
ほどなく、部屋の引き戸が開いて。
「お帰りなさい」
「こんにちは。お邪魔してます」
現れたゆりの母が何かを言うより先に、二人が口を開いた。
「あら。いらっしゃい、ももかちゃん。今日も頑張ってるのね」
「はい。仕事でどうしても授業を抜けちゃう分、どこかでカバーしないといけないですから」
シャープペンシルを握り締め、清々しい笑顔で話すももかの猫かぶりに、ゆりは懸命に笑いを堪える。
「そうそう、そういえば、ももかちゃん、手を火傷したんですって?」
「あ、はい。この通りです」
ももかは包帯を纏った左手を掲げて見せた。
「まあ! ・・・可哀想に、痛かったでしょう?」
想像以上に大惨事になっている様子に、ゆりの母は眉を顰めた。
「・・・ええ、最初は、結構。今はもう、大丈夫ですけど」
「そう。お大事にね」
「ありがとうございます」
ももかがそう言ってぺこりとお辞儀をすると、ゆりの母は『ゆっくりして行ってね』と言い残し、扉を閉めた。
「ちょ。ゆり、笑いすぎ」
足音が遠ざかると、ももかは頬を膨らませ、ゆりを軽く睨め付けた。
「・・・流石に、ここまで見事に騙されると、我が母親ながら一寸心配になるわね」
ゆりはお構いなしに笑い続ける。
『ゆりちゃーん。ちょっと』
と、キッチンの方から呼ぶ声がして、ゆりはやっと笑うのを止めて立ち上がった。
間もなく戻ってきた彼女の手には、小さなプラスチックのカップが二つ。
「・・・おやつ、ですって」
ゆりはそう言って、そのうちの一つをももかの前に置いた。
カップを覆う蓋には、『ニコニコプリン』の文字。ローカルなメーカーが作っている、三個パックで158円のお手頃なプリンだ。プラスチックの小さなスプーンが付いている。
「うわ、なっつかし! ちっちゃい頃、すごい好きだったのよね、これ・・・もう、ゆりのお母さん、最高!」
ももかは髪をかき上げながら、顔を綻ばせた。
「そんなに好きなの?」
それならもう一個持ってこようか、と、ゆり。
ももかは小さく首を振った。
「ん、そうじゃなくてね。なんかこう、かしこまったお客様じゃなくて、近所の子が遊びに来た、みたいに扱って貰えるのが、いいな、って・・・あ」
「何?」
はた、と動きを止めたももかに、ゆりは首を傾げる。
「・・・蓋あけて」
包帯の塊をゆらゆらと振りながら、ももか。
「・・・はいはい」
「ついでに食べさせて」
「調子に乗らないの」
「・・・ちぇー。ケチ」
そう言って見せる拗ねた仕草にほだされて、
「・・・今日だけよ?」
ゆりは溜息混じりにそう言って、プラスチックの小さなスプーンを手に取る。なんだかんだ言いつつ上手く乗せられたような気がしなくもなかったが、心底嬉しそうなももかの笑顔に、まあいいか、と妥協しながら、一口分のプリンをそっと掬った。
《fin.》
|