Crying for the Moon


cry for the moon
 to ask for something that is difficult or impossible to obtain
 (LONGMAN Dictionary of Contemporary English)
 得られないものを欲しがる(旺文社オーレックス英和辞典)


† first contact †


『プリキュア達の連れている妖精共は、花の声を聴く。
 故に、花を徹底的に痛めつければ、プリキュア共は必ず現れる。
 ダークプリキュアよ。今度こそ奴らを倒し、こころの種を始末するのだ』
 ―――サバーク博士は、そう言って私を送り出した。


 私はスナッキーを率いたサソリーナを従え、花が咲いていて、人間共がうじゃうじゃ居る場所を選び、出向いてきた。野外に低い天井が人工的に設けられ、それに添って蔓を伸ばした植物から薄紫の花が無数にぶら下がっている。実に、奇妙な場所だ。
「スナッキー! やっておしまいぃぃ!」
『ウッキッキー!』
 サソリーナの号令で、人間共の群れの中に、スナッキーの群れが飛び込んでゆく。
「なっ、なんだ!?」
「きゃあぁぁっ!」
 人間共が、慌てふためく。
「わあぁ!」
 スナッキー共が浮かれた様子で得物を振り回せば、薄紫の花弁が、渦を巻くように辺り一面を舞った。
 ……この色を見ると、『奴』のことが思い出されてならない。
 実に、不愉快だ。
「……サソリーナ」
「あぁん? 何よぉ!」
「仕事が遅い。もっと手際よくできんのか。これではいつまで経ってもプリキュア共は誘き出せん」
 サソリーナは一瞬顔をしかめたが、すぐに手近な人間を捕まえ、こころの花を奪い取った。そして、人間共が落としていった機械を依代として、デザトリアンを生み出す。
「デザトリアンのお出ましよぉ〜ん!」
  うおぉぉぉーーーーーーん!
 デザトリアンは、腕の一振りで、薄紫の花の蔓を根こそぎにした。
 人間共の悲鳴が一際大きくなる。
 しかし、デザトリアンはわめき散らしながらむやみに暴れ回るばかりで、『花を痛めつける』という点では決して効率は良くない。
「……ふん」
 かといって、自らこんな茶番を演じるのは億劫だ。
 私は、高見の見物を決め込むことにした。
 その時、
「…………ゆり!?」
 ―――脇から、何者かの声がした。

*        *        *

 連休中は思い通りに撮影や移動ができないし、見物人も多くて困るから。
 そんな理由で、例年、大型連休の時期になると私はちょっと長めのオフを貰う。そしてその時が、来海家が揃ってお出かけできる数少ないチャンスだった。
「うえー。すんごい人!」
 うんざりしたように、えりかが言う。確かに、春爛漫、連休、晴天、とくれば、フラワーガーデンが売り物の観光農園は超絶混雑。そんなの、来る前からじゅうぶん分かってたことだけどね。
「もう、人多すぎて、花どころじゃないし!」
「はいはい、すいませんねー。この連休しか休めない私のせいです」
「……別に、そーゆー意味で言ったんじゃないってば」
 私が少し卑屈っぽく言うと、えりかは急にトーンダウンした。憎まれ口を叩く癖に、こういうところは可愛いげがあるのよね。
「ん。わかってる」
 私はえりかの頭に手を置いて、ちょっぴり無造作に、わしゃわしゃと撫で回した。
「ちょ、もも姉、やめてよ! ちょっと自分がおっきいからって!」
「あんたがちっちゃくて可愛いからよ」
「ちっちゃい、は余計っ……まあ、可愛い、ってのは当たってるけど」
「自分で言う? それ」
 一応突っ込んでおくけど、そういうことを自分で言っても何故か嫌味に感じられないのが、えりかの七不思議の一つ。あとの六つは知らないけど。
「いいじゃん、ほんとのことだし……ってか、売店どっち?」
 えりかに突っつかれて、私は園内マップを広げた。この辺りは元々タバコと蚕の産地で、タバコ畑と桑畑だった場所をごっそり花畑にしただけあって、とにかく敷地がだだっ広い。
「えーっと……私達が来たのがあっちからで……売店は藤園とチューリップ園の間だから……たぶんあっち」
「何その『たぶん』って」
「ちっちゃい癖にちっちゃいこと気にしないの。ほら、行くよ」
「ちっちゃいって言うなー!」
 えりかの細かいツッコミは軽く流して、私は売店があると思われる方に向かって歩き出した。


 藤園に入った所で、私は何だか人の動きが妙なことに気がついた。前の方から、やたらと人が流れてくる。それも、駈け足で。
「変な奴らが暴れてるぞ!」
「警備員はいないのか!」
 その原因は、走ってきた人たちの言葉から察しがついた。何か事件があったらしい。
「ばっ……化け物が! 出た!」
 さらにその後ろから血相を変えて掛けてきた人たちの言。
 化け物、って……何なの?
 よくわかんないけど、これは、近寄らない方が無難かもね。
「えりか、ちょっと、売店行くのやめた方が―――」
「売店ね! あたしちょっくら急いでひとっ走り行ってくるわ!」
 私が言ってるそばから、えりかは売店の方―――人の流れてくる方、つまりは化け物が出たっていう方に向かって駈けだして。
「ちょっ! えりか! 待ちなさいったら!」
 私はワンテンポ遅れてその後を追った。


 結局、一瞬の遅れが命取りとなって、私はえりかを見失った。
 逃げ足だけじゃなくて、普通に足速かったのね、あの子……。
 そして、ふと気がつけば、周囲から人影が消えていた。
 ……これは、ヤバい。
 凄まじく、ヤバい。とにかく、早く見つけて、ここから離れないと。
 私は、えりかの姿を探して、藤棚の間を縫って走った。
「えりか……えりか!」
 声を張り上げながら辺りを見回すうち、私は遠くに人影を見つけた。
 咲き乱れる藤の花の間に、ぽつりと佇むその人影を目指して走り。
「えり…………」
 途中で、それがえりかではないということに気付いた。
 断じて、えりかなんかじゃなく。
 横顔の目鼻立ち、白い頬と黒髪のコントラストと、少し俯き加減の佇まいが、
「―――ゆり!?」
 一瞬、確かに、そう、見えた。
 大声で呼んだ後で、とんでもない勘違いだと、気付いたけれど。
 髪は肩までしかないし、服は黒ずくめでゴスっぽいし、確かに綺麗な子だけど、まったく別人だし。そして何より、背中に何か大きな―――羽根みたいなのがついてて、奇抜を通り越して、変。
「…………」
 更に、こちらを振り向くなり思いっきり睨んでくるし。
「あ、あの……」
 しかも何故だか片眼で。
「ごめんなさい、人違い……です」
 私のバカ馬鹿ばか!よりによって何でこんな変な子をゆりと間違えたの私!
 もう、ほんと、ごめん、ゆり。マジごめん!
「……今、何と言った」
 黒ゴス少女(羽根付き)は、低い声でそう言った。低い、といっても、女の子にしては、って意味だけど。
「え? あ……人違い、で、す……」
「その前だ」
 口調も突っけんどんで、やたら偉そうだし。
「……『ごめんなさい』」
「その前!」
「…………」
 私は思わず口ごもった。
 私の最愛の心のマイハニーと赤の他人を見間違えたなんて、それでなくてもトラウマになりそうなのに。この上もういっぺん言えなんて、無理。マジ無理。超無理。絶対無理。
「その前! 何と言ったか聞いている!」
 しかもなんか怒ってるし。
 それでも私が黙っていると、黒ゴス少女(羽根付き)は、私の方へ飛んできた。
 …………
 えぇぇぇぇぇぇぇええええっっ!?
 ちょ……飛んで……ええっっっ!?
「……答えろ」
 そして、狼狽する私の目の前に降り立つ。顔が近いよ。
 肌が白い。首長い。背高い。……そういえば、普段、女の子で私を見下ろせるのって、それこそゆりぐらいなものだから、何だか新鮮。よく見れば、顔もとても整っていて、睫も長くて、綺麗な子だし。
 ―――けど。
 その次に目に入ったのは、ばさり、と音を立てて羽撃く、片方だけの黒い翼。
 よく見たら、布じゃないし。動いてるし。

『化け物が出た!』

 つい今しがた、逃げてきた人達が言っていたのを思い出して、
「……化け物、って……」
 私は無意識に、声に出していた。
「…………『化け物』か……」
 ふと、黒ゴス少女(リアル羽根付き)は、不意に声のトーンを落とし、
「……まあ、その通りだな」
 私は所詮、作られた存在だ、と。
 苦笑するような微妙な表情で、呟くようにそんなことを言うから。
「ごめんなさい」
 私はまた、思わず、そう口走っていた。
「……なぜ、謝る」
 綺麗な容姿とは裏腹に、不機嫌そうに、黒ゴス少女が唸る。
 傷つけた、と思ったから、なんて。
 そんなことを言ったら、きっと怒るだろうし。
 ふい、と目を伏せた仕草と、どこか寂しげな表情が、やっぱり『彼女』と重なったから、なんて、
「……さあ?」
 口が裂けても言えるわけがないから、私はただ、肩を竦めて誤魔化した。
  ずうぅぅぅぅんっっ!
 不意に、地響きのような音が辺りを揺らし。
「ふん……まあ、いい。怪我をしたくなければ、とっとと失せろ」
 黒ゴス少女は吐き捨てるようにそう言うと、片方だけの黒い翼を一、二度羽撃かせ、地面を蹴って飛び去っていった。


 私は暫し呆然とそこに佇んで、
「…………そうだ、えりか!」
 自分が何のためにそこに居たのかを改めて思い出し。
「売店に行く、っつってたんだから……」
 売店で待ってれば、会えるよね?
 そう思い直して、小走りで売店を目指した。





† Second Impact †


 ここはスタジオじゃなくて、街のオープンカフェ。
「それじゃあ」
 いま私を映しているのは、テレビカメラ。スチールカメラじゃなく。
「期間限定の特別メニュー、お願いします」
 私と一緒にフレームに収まっているのはモデル仲間じゃなくて、カフェの店長さん。
 そして。
「はいっ。こちらになります」
 私がいま、魅力的に見せなきゃいけないのは、このスイーツ。
 服じゃなくて。
「わぁ。こちら、何ていうメニューですか?」
「はい。こちら、抹茶とわらびもちのパルフェ、になります。静岡産の無農薬栽培の茶葉で作りました抹茶と―――」
 どうしても、って、事務所の社長に頼まれて引き受けたけど、正直あまり気が乗らない。っていうか、いま激しく後悔してる。これを機にマルチタレント路線で売り出そう、なんてことになったらどうしよう、って……や、マルチタレントを馬鹿にしてるわけじゃなくて。トークで人を楽しませるとか、私には無理。私はやっぱり、ランウェイを歩きたい。
「―――を使って、大人の味に仕上げています」
「へぇ……では、早速頂きます」
 ほら。気の利いたコメントなんか何も浮かばなくて、もう食べるしかない……とはいえ、どう食べればこのパフェが魅力的に見えるのか、全くわかんない。
「わ……すごく上品な甘さ、ですね」
 とりあえず、当たり障りのないことを言って。
 さて、これからどうしよう―――
  ずーーーーーん………

 ……ん? 今何か聞こえた?
 いやいや、集中集中。気乗りしない仕事だからって手抜きは駄目。
「全然しつこくなくて、大人の味―――」

  ずずーーーーん………

 ……また。
 地響きみたいな、低くて、足下から伝わってくるみたいな音。それから、波の音っていうか、開演前のコンサートホール、超満員みたいなざわめき。
「カットカット! ……ももかちゃん、どうしたの」
「あ、っ、ごめんなさいっ」
 そうしてる間にもざわめきはだんだん大きくなって、悲鳴みたいなものも聞こえてくる。
「ん、なんだ? 何が―――」
 監督さんもここにきてやっと異変に気付いた。
「怪獣だ!」
「こっちに来るぞ!」
 目の前の歩道を勢いよく走ってきた人が、叫ぶ。
 ……なんか、すごいデジャ・ヴ。

  どがしゃぁーーーーんっ!
 と、ちょっと向こうの路上に突然、車が降ってきて。

 一気に、辺りがパニックになる。

 誰もが一斉に走り出した。押し合い圧し合い、怒号と悲鳴をあげながら。撮影スタッフも機材を放り出して一人残らず逃げだした。
 私も慌てて立ち上がり、走ろうとしたけれど、所狭しと置かれた重い椅子やテーブルが邪魔でうまく抜け出せない。しかも今日は足下がミュールだし、いくら履き慣れてるっていっても動きやすいとはいえなくて、ひとり席に座っていた私は完全に出遅れた。

  ずどーーーーーんっっ!!
 地響きの音がさっきより近い。
 ちょっと、これは―――
 ヤバい、と思ってふと見上げた空、ビルとビルの間に、なんか変なものが動いてる。目っぽいものがあって、口っぽいものがあって、ロボットっていうか、怪獣っていうか。化け物? 巨大な。それが、こっちを向いたかと思うと、深呼吸するみたいな仕草をして、

  ぼんっっ!
 口からなんか出した。こっちに向かって飛んでくる。
 ちょちょちょ待って待って待って!
「―――」
 心の中は大騒ぎだけど、口からは何も出ない。声も、呼吸も止まって、ただその場で頭を抱えてしゃがみ込む。

 ―――『モデルはね。ただ綺麗でいりゃいいってもんじゃないの』
 なぜか、ピエールさんの言葉が蘇る。……ああ、これが走馬燈ってやつなのかな。死ぬ前にいろいろなことが頭を過ぎるっていうアレ。ピエールさんはママの友達で、フランス人のデザイナー。
『あんた達の仕事は、生き方を示すことよ。人がどう思おうが関係ない、自分の好きな服を着て、胸張って、まっすぐ前を見て、肩で風切って歩くの。まあ、実際ショーじゃ、別に好きでもないへんちくりんな服を着なきゃいけないこともあるけどね』
 ……あの一言で、私の人生変わったよね。ピエールさんほんとかっこいい。オネエでロリコンだけど。ああ、でも、人生で最後に思い出すのがあの人のことかぁ……

  どごぉぉぉんっっっ!
 凄い音がして、お腹の底がびりびりと震える。

 ………………………あれ?
 痛みも、衝撃も、何も感じない。ただ耳に、つーんとした感覚があるだけ。
 私はゆっくりと目を開け、顔を上げた。

「なんだ」

 ……なんて、デジャ・ヴ。
 この、後ろ姿。ゴスロリっぽい黒ワンピースに黒ニーハイ、ショートボブの黒髪、なぜか背中に黒い翼。いつかフラワーガーデンで出会った、あの女の子が、目の前にいた。
「また、貴様か」
 ゆっくりと振り返り、私を見下ろすスレートブルーの片瞳。黒ずくめの装いに、肌の白さが一層際立つ。
「こんな所で何をしている」
「何、って、仕事……してたんだけど」
 ふんぞり返って上から尋ねる黒ゴス少女に、私はごく正直に答えた。
 彼女は暫く私を品定めするようにじっと見つめると、
「こころの花を萎れさせてまで、か」
 そう言って、ふん、と鼻で笑った。
「……!」
 花、ってのが意味わかんないけど。
 心が萎れてる、って。
「何で、わかるの」
 まだ、二回しか会ったことないのに。
「そんなもの。見れば分かる」
 黒ゴス少女はまた、ふん、と鼻で笑う。前に出会ったときと同じように、右目だけを固く閉じたまま。その顔を見ていたら何だかすぅ、と気持ちが落ち着いて、私は改めて辺りを見回した。街が、なんていうか、ぐちゃぐちゃ―――潰れた車が何台も転がって燃えてたり、そこらじゅう瓦礫だらけ―――なんだけど、私の、っていうか、私と黒ゴスさんの周りだけ、何事もなかったように綺麗で。
「もしかして。助けて、くれたの?」
 尋ねると、
「そんなつもりは毛頭ない。私は自らに降りかかる火の粉を払った、それだけだ」
 彼女は殊更、不機嫌そうに言った。
「そ、っか。……でも、ありがと。おかげで助かったことには、変わりないし」
 私がへらり、と笑うと、彼女は一瞬鼻白んで。
「妙な奴だ。だが、貴様は、あの化け物が私の仲……差し金だったとしても、同じ事が言えるのか」
 顎をしゃくって、ビルの向こうを指した。今は姿が見えなくなったけれど、大きな音と地響きが時折聞こえてくるから、さっきの怪物がまだ暴れているんだろう。
 ―――もしも、あの怪物が現れなかったら。
「……そうね」
 私はきっと、無難に、あの食レポの仕事を終えていた。
「それでもやっぱり、ありがとう、かな」
 そして、その番組はテレビで放送されて、また同じような仕事が来て、なし崩しに引き受けて、いつのまにかモデル業よりそっちの方がメインになる。あれはやっぱり、引き受けちゃいけない仕事だった。
 だから。
「この仕事、ぶち壊してくれて、正直助かったし」
 私がそう言うと、黒ゴスさんは驚いたように目を見開いた―――といっても、左目だけなんだけど。右目は相変わらず、閉じたまま。
「呆れた奴だ。人間の癖に、自分の都合だけか」
「人間なんて、自分のことしか考えてないものよ」
 私は肩を竦めて答える。
「今だって、ほら。撮影クルーもお店の人も、私を置いて一人残らず逃げちゃったし」
 ああ。事実だけど、改めて言葉にすると、結構精神的にダメージくるわ。私の価値って、所詮そんなものなのかな、って。
「っていうか。『人間の癖に』なんて、自分が人間じゃないみたいなこと言うのね」
「当然だ。私は、貴様等から見れば『化け物』だからな」
 そう言って彼女が浮かべた、仄かな微苦笑に。
「……そうかな」
 あの日、フラワーガーデンで会った時に見た、悲しげな色が透けて見える。 
「私から見たら、貴女、すごく人間らしいっていうか、人間くさいわよ。いい意味で」
「……私が? 人間くさい、だと」
 私がそう言うと、彼女は面食らったような顔をして、何かを言いかけて、やめて、また言いかけて、またやめて。
 ああ。やっぱり、こういうとこ、ゆりにそっくり。最初の直感、当たってたんだ。
 暫く逡巡した彼女は結局、くだらん、と一言吐き捨てて。
「ふん……まあ、いい。死にたくなければ、とっとと失せろ」
 やっぱり、フラワーガーデンで会ったあの時と同じ台詞を残し、背中の翼を一、二度羽撃かせ、地面を蹴って飛び去っていった。

  ずず……ん

 暫くへたり込んだまま呆然としていた私は、地響きにお腹の底を揺さぶられてふと我に返り、慌てて立ち上がった。
 ―――帰ったらまず、今回の仕事、断ろう。
 我が侭と言われても、私は自分の歩きたい道を歩こう。
 胸を張って、肩で風切って。
 瓦礫が散らばり、人影まばらな街を走りながら、私はそんなことを考えた。





† third encounter †


 平日真っ昼間の商店街。
「制服デートとか超嬉しすぎる……ずっと試験だったらいいのに」
 うちは私立で他校と試験の日程が違ってるから、私達以外にうろうろしてる学生はいないし、たまに見かけても明堂の制服だし。来海ももかだー、って騒がれる心配なく街を歩けるって、ほんと気が楽。
「デートじゃなくて、家庭科で使う布買いにきただけ」
 隣から、ゆりの鋭いツッコミが飛んでくる。
「だいたい、いま試験中なんだから。買い物済んだらすぐ帰るわよ」
「えー」
「えー、じゃありません」
 うん。二人でこんな軽口たたきあいながら歩くの、超楽しい。
「はーい……じゃ、帰ったら勉強会デートね」
「だからデートじゃな……」
 ゆりは言いかけて、はたと言葉を切り。
「……そうね。そんなに勉強したいなら、みっちり、気が済むまで、勉強させてあげるわ」
 すぅ、と細められたゆりの瞳が、危険な光を放つ。あ、私これ余計なこと言ったね?
「……っ」
 と、不意にゆりが足を止める。つられて私も立ち止まった。
「? どしたの、ゆり」
 彼女の視線の先を目で追ってみる。確かに、街が何だか妙にざわついていて、人がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 逃げてくる人の数は、みるみるうちに増えて。
「変な奴らが暴れてるぞ!」
「化け物だ!」
 聞こえてくる、声。
 ―――二度あることは三度ある、って。
 ほんと、昔の人、よく言ったね。
「ももか!」
 呆然としていた私は、ゆりの声で我に返った。
「走って!」
 そして、言われるままに走り出す。私の手首を、彼女の手が掴んで引っ張る。ちょっと痛い。っていうか、ゆり、走るの速い。ついてくのがやっと、っていうか、ついていけてない。加減して走ってくれてる、たぶん。そういえば、昔陸上やってたって、聞いた気がする。
「ももか、ごめん!」
 彼女はちら、と後ろを振り返ったかと思うと、ぐい、と私の手を引き、肩で私を横に突き飛ばした。
「ひぁっ!?」
 突かれた勢いと走る勢いで、私は派手に吹っ飛んだ。

  どごーーーーんっっ!
 次の瞬間、すぐ近くで、何かが砕けるような爆音がする。自分の悲鳴も聞こえないくらい、大きな音。続いて、制服のジャケット越しに小石がぶつかる感触。
「……ちょ、何―――」
 たった今、私達が走っていた辺り。砂煙の中、砕けたアスファルトの上に。

 あの、黒ゴスさんが立っていた。
 
「―――ももか! 逃げて!」
 ゆりが叫ぶのと同時、あっ、と私が思わず声を上げると、
「……何だ、また貴様か」
 黒ゴスさんは私の方を見た。声音も表情も、前に出会った時より随分厳しい。
「今日は、貴様の相手をしている暇はない。怪我をしたくなければ、今のうちに失せろ」
 彼女はそう、言って。
「覇ぁぁぁっ!」
 目にも止まらぬ速さで、ゆりに向かって突進した。
「っ!」
 勢いのまま突き出された拳を、ゆりは両腕で顔をかばうようにして受け止める。
「逃げて! ももか!」
「余所見とは随分余裕だ……な!」
 黒ゴスさんはくるりと体を返して、回し蹴りをゆりに叩き込んだ。
 明堂学園の制服が、吹き飛ぶ。
「ゆり!?」
 彼女は体を丸め、アスファルトの上をくるりと転がって、すぐに起きあがった。バレーの回転レシーブみたいに。そして、後ろに跳びながら、突進してきて次々繰り出される黒ゴス少女の拳を受け流す。
「吩っ!」 
 一瞬の隙に、ゆりは黒ゴス少女の手を掴んで、その体を背負い投げた。黒ゴス少女は空中でくるりと体を返して止まる。そういえばあの子空飛べるんだったっけ。羽根ついてるし。片っぽだけだけど。

 ……っていうか。

 どういうこと? 何なのこれ。映画かなんか? 何でゆりがあの黒ゴスさんに喧嘩売られてんの。それはそうと、ゆり何でそんな強いの!? ちょっと凄い格好いいんですけど!? ってそうじゃなくて!!
 
  どごーーーーんっっ!
 轟音で我に返る。もうもうと上がる砂煙の中、黒ゴス少女は地面にめり込んだ拳を引き抜いて、ゆっくりと立ち上がった。
 その目を見て―――ぞくり、と、冷たいものが私の背筋を駆け抜ける。
 これが、たぶん、殺意というもの。
 生まれてこのかた、他人から殺意を向けられたことはまだないけれど、きっとこれがそうなんだと思う。
 ……って。ちょっと待って。
 あの子、拳でアスファルト砕いたの!?
 私はやっと事の重大さに気付いた。あんな力で殴られたら死んじゃう絶対。
「ももか! 何やってるの! 早く―――」
「馬鹿め!」
 私の方に気を取られたゆりに、一瞬の隙。
 黒ゴス少女はものすごい速さで彼女に迫り、拳を突き出す。どんっ、と凄い音がして、身構えた姿勢のまま、ゆりは後ろに跳んだ。
 ―――違う。
 跳んだ、じゃなくて、飛ばされた。そして、アスファルトの上を転がる。さっきと違って、全然余裕がない感じ。私のせいだ。私がここにいるから、ゆりは黒ゴス少女の方に集中できない。
 じゃあ、言われた通り、ここから離れればいいの?
 ……違う。離れちゃだめだ、って、私の中の何か―――私の勘がそう言ってる。
 
  どごーーーーんっっ!
 また、轟音。砂煙がひいて、商店街の道路に三つめの穴。そこにゆりが倒れていないことに安堵する。もう、生きた心地がしない。
「ふん。もう息が上がったか」
 腰に手を当て、ふんぞり返って、黒ゴス少女が鼻で笑う。その視線の先には、肩で息をしながら構えるゆり。
「……何故。そこまで私に、拘るの」
「それは。貴様が私で、私が貴様だからだ」
「訳がわからな―――」
 意味不明な会話の途中で、黒ゴス少女が飛びかかる。ゆりは後ろに下がりながらそれをかわす。最初と違って、明らかに余裕がない感じ。
「っ―――」
 フェイントみたいに足を引っかけられて、ゆりがバランスを崩した。
 黒ゴス少女のスカートがふわりと翻って、
「!」
 今まで聞いたことないような鈍い音とともに、ゆりの体が飛ばされ、地面を転がる。もう、受け身も何もない感じで、人形みたいに。
「ゆり!」
 思わず叫ぶ。
「……ふん」
 他愛もない、と黒ゴス少女が呟いた。ゆりも黒ゴス少女も、私の声なんかまるで耳に入ってない。
 ちょっと、あんな、道路が砕けるような化け物じみた力で蹴られたら―――
『化け物、か……まあ、その通りだな』
 フラワーガーデンで彼女が見せた悲しげな表情と声音が、ふと脳裏に蘇る。
『こころの花を萎れさせてまで、やることなのか。それは』
 カフェで出会った時に、交わした言葉が。
『私は、貴様等から見れば“化け物”だからな』
 自嘲するような、苦笑が。
『……私が? 人間くさい、だと』
 面食らって、少しはにかむ仕草が。

 鮮明に思い出されるそれらが、枷のように私を繋ぎ留めていた恐怖を押しのけたとき。
 私は、駆けだした。
 まだ起きあがれないでいる、ゆりの元へ。

「貴様が。オリジナルが消えれば、コピーががオリジナルにとって代わることになる」
「だから……どういうことなの、それは」
 意味が解らないわ、と、絞り出すように言って、ゆりは地面に両手をつき、這いつくばるようにして身を起こす。
「解らずとも構わん。貴様はここで消えるのだからな」
 黒ゴス少女はそう言って、腰を落とし。
 地面を蹴って、突進した。
「だめぇっっ!」
 私は飛び込む。
 まだ立ち上がれないでいるゆりと、突っ込んでくる黒ゴス少女の間に。
 両手を広げて、立ちはだかる。
 黒ゴス少女が、片目をかっと見開くのが見えたのは一瞬。
「―――!」
 私はぎゅっと、目を閉じた。



 鼻の頭に、ふわり、と風が当たるのを感じて、私は恐る恐る目を開けた。最初に目に飛び込んできたのは、白い拳。一見とても華奢そうな、五本の白い指。危機一髪、って、こういうこと―――私の鼻先からほんの数センチのところで、黒ゴス少女の拳は止まっていた。
「―――ももか!?」
 背後から、ゆりの声が聞こえる。表情は、見えない。
「……貴様。何のつもりだ」
「お願い。もう、やめて」
 唸るように言う黒ゴス少女に向かって、私は口を開いた。心臓は馬鹿みたいにバクバクいってるし、声はたぶん震えてる。
 ただ、
「これ以上。ゆりを―――」
 黒ゴスさんは、話せばきっと解ってくれるはず。何故だか、私にはそう信じられた。
「―――私の、大事な人を。傷つけないで」
 彼女は一瞬驚いたように片目を見開いて。
「……そういう、ことか」
 私の目を見つめたままゆっくりと拳を下ろし、そう呟いた。
「所詮、コピーはコピーでしかない。そういうことことなのだな」
 そして、意味不明なことを口走る彼女は何故か、化け物、という言葉を口にするときと同じような、苦しげな表情をして。
 今にも、泣き出しそうな目をして。
「私が欲しいと思うものは、何もかも、貴様のものばかりじゃないか」
 ―――滑稽だな。 
 横顔で、自嘲した。
「……どういうこと?」
 私は思わず尋ねたけれど、
「道化になるのは、もう沢山だ」
 黒ゴスさんはくるりと背を向けると、黒い翼を一、二度羽撃かせ、そのまま飛んでいってしまった。



 彼女の姿が小さな黒い点になり、やがて見えなくなるまで目で追って。
 私はその場にへたり込んだ。
「ももか!?」
 ほとんど悲鳴みたいな声に、私はやっと、ゆりの方を振り向いた。
「ほっとしたら、腰が抜けちゃった」
「……もう」
 彼女は眉尻を下げ、いつもみたいに呆れたように溜息をつくと、膝行るようにして私の傍へ寄ってきた。
「ももかったら、あんな無茶して。生きた心地がしなかったわ」
「……その台詞、そっくりそのままリボンかけて返す」
 一寸むっとして私が返すと。
「……ごめんなさい。でも」
 素直にそう言ったかと思ったら、
「ももかが無事で、よかった」
 何いってんの、この人。自分はもう立って歩く力もないくらいボロボロなのに。
「もう……ほんと」
 私は溜息をついて、
「ばか」
 彼女を思いきり抱きしめた。どこか痛かったのか、うぐ、って小さく息を呑むのが聞こえてきて、思わずごめん、って口から出掛かったけど、私に散々心配させた罰だと思ってそこは黙っておいた。

*        *        *

 それ以来、私があの黒ゴスさんを見ることはなかった。ゆりと私の間で、彼女のことを話題にすることも。
 あの黒ゴスさんが何者なのか、とか、ゆりと一体どんな関係なのか、とか、ゆりが何であんなに喧嘩強いのか、とか、聞きたいことは山ほどあるけど。そうすると、私があの黒ゴスさんにゆりの面影を重ねたこととか、彼女が私の命と仕事の恩人だってこととか、そういうことも話さなきゃいけなくなりそうで。
 それに。
 私があの黒ゴスさんのことを嫌っていない、というか、好き―――とまではいかないけれど、割と好感を持っているということが、聡いゆりには見透かされてしまいそうで。
 だから、敢えて自分からは触れないことにした。ゆりの方も、黙っているところを見ると、たぶん言いにくいことがあるんだろう。

 ―――ただ。

『所詮、コピーはコピーでしかない。そういうことことなのだな』
『私が欲しいと思うものは、何もかも、貴様のものばかりじゃないか』

 彼女が去り際に残した言葉と、あの今にも泣き出しそうな、苦しげな表情を、私は今でも思い出す。
 その意味するところは、結局、わからないまま。


《fin.》

  


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