I'd be nice to come home to
「ももか、また授業休ませちゃって、ほんっとごめんね。勉強遅れちゃって大変でしょ?」
学校に向かって車を走らせながら、マネージャーさんは私にそう言った。
「ええ、まあ。でも、出席日数はまだ大丈夫ですし、勉強の方は、頼りになる味方がいますから」
「あ。例の、学年主席っていうお友達?」
「はい」
学年主席。その言葉に私は何となく誇らしさを感じながら頷いた。
自分のことじゃ、ないんだけどね。
「あのコ、制服姿しか見たことないけど、綺麗なコよね? 背も高いし、スタイルもかなりいいと思うけど」
「駄目ですよ。彼女、そういう話すると、機嫌が悪くなるんですから」
マネージャーさんは彼女をこっちの世界に引っ張りたがっていて、ことある毎に私に謎を掛けるけど、それはできない相談。
「・・・ダイヤの原石、だと思うんだけど」
「私もそう思いますよ」
でも、原石のほうは、必ずしも磨かれることを望んでいるとは限らないんです。
車はほどなく、明堂学園の校門前に着いた。私は左肩に鞄を掛け、右手に紙袋を持って車を降りる。袋の中身は、美味しいと最近評判のお店のカツサンド。マネージャーさんのおごりだ。
「ありがとうございました。それから、カツサンドも」
「いいえ。それより、勉強がんばってね」
マネージャーさんの車を見送って、私は時計を見た。
時刻は、12時半。昼休みはまだ30分残っている。
私は中庭を目指して歩きだした。
中庭の端の、人の往来が少ない辺りに据えられたベンチで昼休みを過ごすのが、私と彼女の習慣だった。時には別行動をすることもあるけれど、私が学校にいるときは大抵一緒。今日も、約束はしていないけれど、彼女はきっとそこにいる。
校舎の間を抜けて中庭にたどり着くと、果たして彼女の姿がそこにあるのが見えた。艶のあるストレートの長い黒髪。ぴんと伸びた背筋。俯き加減の視線の先は、膝の上の文庫本。私は、思わず緩む自分の頬をぴしゃりと叩いて、足を速めた。
「ゆり」
十分に近づいてから、声をかける。以前、遠くから大声で呼んで、衆目を集めて気まずい思いをしたことがあるので、その辺りは気をつけるようにしている。
けれど、彼女は俯いたまま顔をあげようとしない。
「・・・ゆり?」
もう少し近づいて、呼んでみる。
返事はない。
よく見れば、膝の上の文庫本も眼鏡の奥の瞳も、閉じている。
「寝てる?」
やはり返事はない。珍しいこともあるものだ。
私は彼女の隣にそっと腰を下ろした。噂のカツサンド、彼女と一緒に食べようと思ったけれど、仕方がないので一人で食べることにする。
袋を開けるときに、がさがさと結構大きな音がしたけれど、やはり彼女は目を覚まさない。余程疲れているのだろうか。
(・・・それにしても)
居眠りをしているとは思えないくらい、姿勢がいい。俯いてこそいるけれど、船を漕ぐどころか、背筋を伸ばして微動だにしない。
そして何より、その顔。
瞼は固く閉じられて、少し眉間に皺が寄っていて、安らかに眠っているとは言い難い表情。安らかどころか、世の中の辛苦を一手に引き受けて、その痛みにじっと耐えているような、そんな顔。
―――嫌な夢でも、みてる?
起こした方が、いいのかな。
彼女のそんな姿を見ていたら、カツサンドの味は結局よくわからないまま食事が終わってしまった。
「・・・ゆり?」
もう一度呼んでみる。やっぱり目を覚ます気配はない。
ほんのひとときの休息の間でさえ、ぴんと背筋を伸ばし、何者にも寄りかかることなく、唇を真一文字に結んで固く目を閉じている姿は、いかにも彼女らしい。そういう強い所も、彼女の魅力には違いないのだけれど。
「・・・肩くらい、貸してあげるのに」
私は溜息をついた。
膝枕でも、私はウェルカムよ?
・・・貴女は『いらない』って言うだろうけど。
時計の針は、12時50分を指している。
予鈴が鳴るまで、あと5分。それまでは、寝かせてあげよう。彼女のことだから、私が起こさなくても自分で目を覚ますだろうけど。
せめて、それまで傍に居よう。
目覚めたとき、一番最初に目に入るのが私であるように。
ding-dong, ding-dong
鐘が鳴ると、彼女は俯いていた顔をはっと上げた。
―――ほらね。
彼女は、私がいなくったって、独りで起きられるんだから。
「おはよ」
私は、眩しそうに虚空を見上げる横顔に呼びかけた。
彼女はゆっくりとこちらを振り返って、
「・・・ももか」
大きく息を一つついて、そう言って、微笑んだ。
「おかえり。いつから、ここに?」
今日みたいに私が仕事から直接学校に来ると、彼女は『おかえり』と言って迎えてくれる。家でもないのに、おかしい、といえばおかしいけれど。
モデルじゃなくて、ただの女子高生の来海ももかに。
彼女の隣に。
そういう意味で、『おかえり』なんだと思う。
そう考えると、とても嬉しい。
「カツサンドみっつ分くらい前」
「何? それ」
彼女はくすりと笑いながら立ち上がり、制服の襟を正した。
それに合わせて私も立ち上がり、ふたり並んで教室へと歩き出す。
「美味しいって評判のお店の、ね。マネージャーさんに貰ったから一緒に食べようと思ったんだけど、ゆり、よく寝てたから、結局ひとりで全部食べちゃった・・・五時間目、なんだっけ」
「現文。で、美味しかった?」
「美味しかったけどね、行列に並んで買うほどじゃないと思う」
「でも、三つも食べたんでしょ」
からかうように、彼女が笑う。さっきまでの苦しそうな陰は、どこにもない。
「ゆりが呼んでも起きないからよ」
「あら。人のせいにする気?」
お堅いイメージの彼女がこんな軽口を言うことを、きっと他の誰も知らない。
「むー。やっぱカツサンドのことは内緒にしとけばよかったー」
―――おかえり。
苦しい夢の中から、私の隣へ。
《fin.》
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