なまえをよんで


 ノイズの襲撃から一週間ほどが経ち、メイジャーランドの街も人々も、元通りの生活を取り戻しつつある、晴れた日。
 王宮の『謁見の間』では、叙勲の儀式が執り行われていた。


 宰相たちや近衛騎士団が居並ぶ中、楽団のファンファーレとともにレッドカーペットの上を進む、ひとりの少女。異世界の衣装―――いわゆる人間界のティーンズファッションに身を包んだ、ストレートの黒髪に気の強そうな琥珀色のキャッツアイが印象的な美少女である。
 少女は玉座から少し離れた場所で立ち止まると、滑らかな動作でその場にひざまづき、右手を胸に添えて頭を垂れた。
「セイレーン」
 楽団の演奏が止み、女王アフロディテの美しいソプラノが、石造りのホールに響きわたる。
「このたびは、未曾有の国難に際し、伝説の戦士プリキュアとして「幸福のメロディ」の楽譜を取り戻し、積年の仇敵ノイズを退け、見事このメイジャーランドを救ったこと。女王として、一国民として、まず何より、心から感謝いたします」
「……身に余る光栄に存じます」
 女王の言葉に、少女はそう言って一層深く頭を垂れた。
 アフロディテは気さくな人物とはいえ、この国を統べる女王、本来ならば少女にとって雲の上の存在である。いくら『伝説の戦士』プリキュアでも、異世界の住人である響や奏がそうするように、気楽に話すわけにはいかない。
 ちなみに、もう一人のプリキュア仲間であるアコは、目の前の玉座、女王とその夫、メフィストの間に、あからさまに退屈そうな顔をして座っている。王女としての正装に身を包み、眼鏡はかけていない。
「セイレーンよ。私からも」
 つづいて、メフィストが言葉を継いだ。
 一瞬、少女の肩がぴくりと跳ねる。

 『セイレーン』
 耳の奥で、記憶の中のメフィストの声が蘇る。
 『不幸のメロディを完成させるのだ。一日も早くな』

「改めて、礼を言う」
「……勿体なきお言葉にございます」
 目を伏せたまま、抑揚のない声で、少女は答えた。
「それでは」
 女王が、高らかに宣言する。
「セイレーン。貴女に、近衛騎士の称号を―――」
「女王様!」
 少女は不意に声を張り上げ、女王の言葉を遮った。
「……僭越ながら……どうか、私のことは、セイレーンではなく、エレンとお呼びくださるよう、お願い申し上げます」
 儀式を見守っていた者たちの声が、細波のようにざわざわと広がる。全く思いもしなかった少女の訴えに、女王は、それは何故ですか、と問うた。
「プリキュアになったその日より、私は人の姿のまま留め置かれ、妖精族としての資格を失いました。以来、私は黒川エレンと名乗り、仲間も皆私のことをそう呼んでおります。歌の妖精であったセイレーンは、もうこの世にはおりません。それに……」
 少女は凛とした声でそう述べて、少し逡巡し。
「……それに。その名で呼ばれることは、かつての過ちを思い起こさせ……少々、辛うございます」
 目を伏せたまま、絞り出すように、言った。
 少し驚いた表情の女王。
 アコは、相変わらずつまらなそうな顔をしている。
 メフィストは少し苦い顔をした。
「それは……ノイズに操られたが故の行いであろう。不可抗力だ、気にすることはない」
「貴男はもう少し気になさった方がよろしいですわ」
 女王の容赦のないツッコミに、メフィストはうぐっ、と言葉を詰まらせ、黙り込んだ。
「……セイレーン。貴女は既に、自らの過ちを悔い改めたのでしょう」
 女王の言葉に、少女は頭を垂れたままはい、と答える。
「だからこそ、プリキュアとなり、この国を救うために戦った。過ちは、十分過ぎるほど償われたと思いますよ」
「勿体なきお言葉、有り難く存じます。ですが」
 少女は顔を上げ、女王を見た。
「私自身へのけじめとして。どうか、セイレーンの名を捨てることを、お許しください」
 その顔に、女王は美しい金目の黒猫の面影をみた。
「……ほんとうに」
 真面目な娘ですね、と、女王は目を細め、
「わかりました。それでは、『エレン』。貴女に、近衛騎士の称号を授けます」
 玉座から腰を上げ、少女の元へ歩み寄る。ひときわ体格のいい近衛騎士が、一振りの剣を乗せた献上台を両手で掲げてその足元に控えた。少女とは旧知の仲であるその騎士は、彼女と目が合うと、髭をたくわえた強面に精一杯の愛想を込めてウインクして見せる。子供が見れば一発で泣き出しそうなその顔に、少女は少しはにかんだような微笑みを返した。
 そうしている間に、女王は献上台から剣を取り上げた。宝石が埋め込まれた柄頭に、繊細な造りの鍔。儀礼用の宝剣である。女王は金の象眼が施された鞘からするりと剣を抜くと、ひざまづく少女の肩にその刀身をぴたりと当てた。
「我、メイジャーランド女王アフロディテの名において、汝、クロカワ・エレンを近衛騎士に任命す。汝、礼節と誠実もて、我らが民を守る盾となり、我らが国に害なすものを打ち払う矛となれ」
 そして、厳かにそう告げると、少女の肩から刀身を離し、代わって切先をその鼻先へと突きつける。
「この命ある限り」
 答えて、少女はその刃に口吻けた。
 女王は満足そうに微笑んで、宝剣を鞘に収め、再び騎士の持つ献上台の上に戻し。
「エレン。これで貴女は、正式に近衛騎士団の一員となりました」
 高らかに、そう宣言した。
 一斉に、拍手と歓声が沸き起こる。
 女王の元に、もう一人、近衛の騎士が献上台を持って歩み寄った。先刻の騎士とは対照的な、細身に長いプラチナブロンドの長髪を持った美青年だ。少女とは旧知の仲であるその騎士は、彼女と目が合うと、端正な顔に微笑みを浮かべてウインクして見せる。ご婦人方が見れば一発で恋に落ちそうなその顔に、少女はやはり、少しはにかんだような微笑みを返した。
「貴女の歩む道が、光溢れるものであらんことを」
 女王は、献上台から取り上げた布を少女の肩に掛けた。背中に騎士団の紋章をあしらった、純白のシルクのケープである。
 少女は女王の顔を見て、
「……ありがとうございます」
 そして静かにそう言って、頭を垂れた。
 その途端。
「うおぉぉーセイレ……エレン!」
 女王の傍らに控えていた強面の騎士が、突然少女に抱きついた。
「おめでとう!近衛騎士団へようこそ!」
 続いて、細身の美青年も抱きついてくる。
「これで俺たちまた仲間だな!うんうん!よかった!」
 いつの間に現れたのか、赤い巻き毛の青年も加わって、たった今誕生したばかりの少女騎士をもみくちゃにする。
「〜〜〜っっっっ! あんたら鬱陶しいわぁぁぁぁぁっっっ!」
 ついに少女の被っていた猫が剥がれ、けたたましい怒鳴り声が謁見の間に響きわたった。

 騎士叙勲の儀式と、それに伴う一通りの行事を終え、少女は王宮の庭をひとり歩いていた。近衛三銃士の熱烈な歓迎にもみくちゃにされ、人々の祝福に礼を言い、笑顔で応え、まだ日も高いというのにもうヘトヘトである。笑顔の作りすぎで、頬の筋肉が痛い。
「……はぁ……」
 やがて噴水のほとりに腰を下ろすと、少女は盛大に溜息をついた。
(やっぱり)
 ぷらぷらと脚を揺らし、空を見上げる。
(騎士の叙勲なんて、受けなきゃよかった……かな)
 なぜそう思うのかは、自分でもよく分からない。ただ、人々から「おめでとう」と祝福を受ける度、『騎士エレン』と呼ばれる度、尊敬の眼差しを向けられる度、胸の奥が苦しくなった。
「帰っちゃおっかな……姫には悪いけど」
 向こうの世界へ戻るときには一緒に行こうと、アコと約束した。父王がきっとしつこく引き留めるだろうから、迎えに来て欲しい、とも言われていた。けど。
(やっぱり)
 これ以上ここに居るのは、いたたまれない。
(帰ろう)
 腰を浮かせかけた、その時。
「……ーン……」
 自分を呼ぶ声が、聞こえた気がした。
 妖精だった頃と比べれば随分落ちたけれど、それでも聴力は人並みよりははるかに優れている。
 少女は耳を澄ませた。
「……イレーーーン……」
「ハミィ!?」
 少女は思わず応えた。応えた後で、後悔した。
 彼女に―――ハミィにだけは、『おめでとう』とは言われたくない。何となく、そう感じた。
 しかし、少女の胸の内とは裏腹に、たった一度応えただけの、その声を頼りに、ハミィの呼ぶ声はまっすぐに少女の元へと向かってくる。いくらドジで抜けているとはいえ、流石は妖精族だ。
 そして、
「セイレーン! 見つけたニャ!」
 白い猫が、姿を現した。
 正確には、猫の姿をした妖精族、この国で最も美しい歌声を持つ種族である。そしてこの白い猫は、少女の最も古い友人であり、この国で唯一「幸せのメロディ」を歌うことを認められた、最高位の歌姫なのだ。
「ずーっと探してたニャ!」
 ハミィは、少女の膝に飛び乗ると、白い毛並みに枯れ葉屑をつけたままそう言った。おそらく、彼女の声を頼りに、灌木の茂みを突っ切って真っ直ぐに走ってきたのだろう。
「ああ、ごめんね……で、そんなに急いで、どうしたの?」
 少女はそう言って、ハミィの顔に付いた枯れ葉の屑を指先でつまみ取りながら、精一杯に笑った。
 ハミィから告げられるであろう、『おめでとう』の言葉に備えて。
 が、
「セイレーンは、セイレーンって呼ばれるの、いやニャ?」
 ハミィが発したのは、少女が予想だにしなかった言葉だった。
「……え?」
 虚をつかれ、少女は言葉に詰まる。
「ハミィはセイレーンのこと、いつもセイレーンって呼んでたニャ。ちっちゃい頃からずーっと、セイレーンって呼んでたニャ。でも今日、セイレーンはみんなの前で、セイレーンって呼ばないでって言ったニャ。もしかして、セイレーンは、ハミィがセイレーンのことセイレーンって呼ぶの、いやだったニャ?」
 懸命に話すハミィの、表情は少し悲しげで。

 『セイレーン! すごいニャ!』
 少女の耳の奥に、ハミィの声が蘇る。
 『やっぱり、セイレーンがいちばん上手だニャ!』
 今よりも少し幼くて、舌足らずで。
 『セイレーン、ありがとニャ!』
 屈託のない明るさで。

「……別に、そんなこと―――」
 戸惑いながら言いかけた少女の瞳から不意に、大粒の涙が零れ落ちた。
「ニャニャッ!?」
 頓狂な声をあげて、ハミィはごめんニャと繰り返す。

 『セイレーン……何をしている!』
 メフィストの声が。
 『セイレーン、よかったニャ!』
 ハミィの声が。

「っ、ちが―――」
「ごめんニャ、そんなにいやだったニャ!」
 白い猫は、少女の膝の上でおろおろと狼狽え。

 『セイレーン!』
 怒りに満ちた、響の声が。
 『セイレーン? どうかしたニャ?』
 心許ない、ハミィの声が。
 『セイレーン……あなたねぇっ!』
 苛立ちを露わにした、奏の声が。

「ハミィ、ぜんぜん知らなかったニャ……ごめんニャ」
 そして、しょんぼりと俯いた。

 『ハミィは、セイレーンのこと、大好きニャ!』
 真っ直ぐな、ハミィの声が。
 『だいだいだーいすきニャ!』 

 ―――胸の中を、満たしてゆく。

「別に……いいわよ」
 溢れる涙はそのままに、少女はすん、と鼻を鳴らしながら、うなだれるハミィの頭に掌を乗せ、わしわしと少し荒っぽく撫でまわした。
「呼ぶな、って言ったって、あんたのオツムじゃどうせすぐに忘れて、またセイレーンって呼んじゃうでしょ」
「ガーン! セイレーン、いまヒドいこと言ったニャ!」
 大袈裟にに嘆くハミィに、
「……冗談よ」
 少女はくすりと笑って。
「ハミィは、特別だから。今のままでいいわ」
 目を細め、微笑んで、伸ばしたTシャツの袖口で涙を拭う。
「……とくべつ、ニャ?」
 そして、ハミィがそう言って首を傾げると、
「そう。特別」
 少女は小さく頷いて、ハミィの白い額に自分のそれを重ね。
「ハミィは、特別。だから、いいの」
 噛みしめるように、繰り返した。
「じゃあ。セイレーンのこと、セイレーン、って、呼んでいいニャ?」
「ええ」
 そして、少女が心からの微笑みを浮かべると、
「よかったニャ!」
 ハミィは、安心したように、笑った。

(―――ああ)
 こんなにも真っ直ぐに心を傾けてくれるひとを、騙し、傷つけ、裏切ったセイレーンを。
(私はやっぱり、許せそうにない)

「……さて。そろそろ帰ろっか、響たちのとこへ」
 少女はそう言ってハミィを抱き上げ、立ち上がった。

 ―――自分自身にさえ許してもらえない、可哀想な、セイレーン。

「奏が、ケーキ焼いて待っててくれる、っていってたし」
「奏のケーキ! 早く食べたいニャ!」
 ハミィが全身で喜びを表す。

 ―――けれど。
(世界中で、たった一人。ハミィ、あなただけは)
 昔と何一つ変わらないまま、彼女に寄り添ってくれるから。

「姫様も一緒に連れてこい、って言われてるんだけど。姫様どこにいるか、ハミィ知ってる?」
「アコなら、アフロディテさまたちと一緒にいたニャ」
「あー」
 父王メフィストの鬱陶しい親バカっぷりを想像して、うんざりしたような声を漏らしつつ。

(私は安心して、『セイレーン』にさよならが言える)

 エレンは、王宮に向かって歩きだした。


《fin.》

  


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