「うっわ、マジ来海ももか!? マジ超ヤバい!」 ・・・えーと。 「すげくね? 生ももか! 超かわいいんですけど!」 「あ・・・ありがとうございます」 ・・・ココハ、ドコデスカ? 「とりあえず写メっていっすか?」 「あ、はい、どうぞ・・・」 今日は、同じ出版社から出ている別の雑誌―――ギャル雑誌の企画で、読者モデルとの対談の仕事で、とある猫カフェに来ている。 「脚ほっそ! マジヤバい!」 ・・・って、何で。 「すっげ! ウェストほっそ!」 何でギャル雑誌の企画に私が呼ばれるんですか。 何で猫カフェなんですか。 何でこの人たちは初対面でタメ口なんですか。 しかも何で呼び捨てなんですか。 そもそもこの人たちが喋ってるのは日本語ですか。 「ももか、色、白っ!」 「おめーが黒いんだろ!」 いや、私も言葉遣いでよく注意されるけど。 私、ここまで酷くないし。・・・いや。酷くない、と信じたい。 「そこまで黒くねーし!」 こっそり覗い見ると、マネージャーさんはこちらを見て苦笑いしている。 笑ってないで助けに来てよ! 「あー・・・あの、今日はよろしくお願いします」 「お願いされちゃった! どーすんべ!」 マジ帰りたい。 ・・・じゃなくって。本当に、帰りたいです。今すぐ。 とりあえず、ギャルの読者モデル達はスタイリングのために招集をかけられたので、私は暫し自由の身になった。 一緒に写真を撮るだけならまだしも、今日の仕事は『対談』。 あの子たちと会話をするんですよ? 私、自分のリスニング能力に自信が持てません。しかも、1対3。ライターさんが立ち会って下さるとはいえ、正直これは厳しいです。現場入り11分でもうすでに心が折れそうです、私。 小学生の時にスカウトされて以来、モデル歴6年近くになりますが、こんなことは初めてです。 「うっわ、猫すげー! 超かわいい!」 「写メ写メ!」 ・・・ついでに、猫と同レベルの扱いを受けたのも初めてです。 ギャル達の話し声で、ここが猫カフェであることを改めて思い出した私は、辺りをぐるりと見回した。猫たちは、毛足の長いカーペットの上で、あるいはあちこちに置かれたソファやクッションの上で、思い思いの格好でくつろいでいる。毛の長い子や短い子、縞模様の子、ぶち模様の子、その姿形も様々で。 と、私の視界の端を、黒い影が過ぎる。 ―――黒猫? 私は思わず目で追った。 長い尻尾をぴんと立て、しなやかに歩く所作に合わせ、細い体を包む艶やかな黒い毛並みが波打つ。 ―――綺麗。 黒は女を美しく見せるのよ、なんて。そんな台詞が脳裏を過ぎる。 だとしたら、この猫は雌なのだろうか。 ―――とりあえず、そういうことにしておこう。 沢山の猫たちの中にあって、彼女は異質だった。それは、容姿のせいばかりではない。猫にも人間のように「オーラ」というものがあるならば、彼女のそれは明らかに他の猫とは違う。そんな気がした。 その間にも黒猫は、真っ直ぐに前を見て歩いてゆく。そこらじゅうに陣取っている他の猫達にも、この猫の国に紛れ込んできた人間達にも、一切目をくれることなく。 ―――私の目は、彼女に釘付けだというのに。 やがてその黒猫は、キャットタワーの前まで来ると、たんっ、と床を蹴って、私の背丈ほどの場所に飛び上がり、そこに腰を落ち着かせた。 『・・・何か、用?』 不意に、頭の中で声がする。 『用がないなら、私は行くけど』 そう言って、歩き去る後ろ姿を思い出す。 艶やかな長い黒髪、一点の隙もない立ち居振る舞い。 ―――ああ。 ようやく納得がいった。 あの黒猫は、ゆりにそっくりなのだ。 だから私は、あの黒猫にこんなにも心惹かれる。 そして、この感覚。 これは―――恋に落ちる感覚。 ギャル達のスタイリングにはまだ時間がかかりそう。 私は黒猫にアタックするべく、席を立った。 あまり不躾に近づくと逃げられてしまいそうなので、黒猫が陣取るキャットタワーの、2m手前で立ち止まる。 そこで初めて、黒猫は私の存在に気付いた。アンバーの瞳が私に向けられる。 顎のラインはシャープな逆三角形。大きくて形の整った耳に、髭は綺麗な左右対称。近くで見ても、やっぱり美人さんだと思う。 「こんにちは」 私は、驚かせないように、できるだけ穏やかな声で、語りかけた。 「私、あなたと、お近づきになりたいんだけどな」 猫は、怯えることも媚びることもなく、泰然と私を見ている。 「あなたのこと、気に入ったの。あなた―――」 言いかけて、私は次の言葉を飲み込んだ。 『私の好きな人に似ている』なんて。 いくら相手が猫だからって、口説き文句としてはちょっと失礼だと思ったから。 「―――あなたを見てると、すごく安心するの。あなたに、傍に居て欲しい」 琥珀色の双眸を見つめているうちに、私は自分がこの猫を通して彼女に語りかけているような気分になってきた。 「あなたが傍にいてくれたら、私、今日一日乗り切れそうな気がする」 私は必死だった。偽りのない、心からの言葉を、こんなに一生懸命投げかける、なんて、人間相手でも滅多にあるものではない。 「だから、お願い。私の所に、来て」 私は一歩前に踏み出した。 猫は動かない。 もう一歩、踏み出す。 それでも、猫は逃げない。 もう一歩踏み出し、手を差し伸べる。 あともう一歩で、手が届く。 と、猫はひらり、と身を翻し、タワーから飛び降りた。 そして、私の横をすたすたと歩き、少し離れた所で振り返ると、そこに腰を下ろし、私の顔を見る。 抱っこどころか、指一本触れさせてくれない、なんて。 ―――そう簡単には、いかないか。 彼女だって、そうだったものね。 私はそこにしゃがみ込んで、黒猫に目線を合わせた。 「来て」 両手を広げて、懇願する。 「傍にいてくれるだけで、いいの。無理矢理抱っことか、しないから」 猫に必死に話しかける姿は、傍から見ればきっと滑稽だろう。 でも、私はいたって真剣なのだ。 「お願い」 黒猫は、真っ直ぐな姿勢で―――猫背ではあるけれど―――そこに座って、こちらを見ている。長い尾は体に添うように床に横たわり、先が前足の上にちょこんと載っていた。 「・・・来て」 猫は、逃げようともしなければ、こちらに来る気配もない。とりあえず、私のことを気には留めてくれているようだけれど。 「ももかー。そろそろ始めるわよ」 マネージャーさんの呼ぶ声がする。 ―――Time’s up. 「・・・はーい」 溜息混じりに返事をして、私は立ち上がった。 「じゃあ、早速始めましょう」 先方のライターさんの司会で、対談が始まる。 孤立無援の戦いの火蓋が今、切って落とされた。 「よろしくお願いします」 「『ちょりーっす』」 ギャル三人の声がハモる。 「えー、本日は、モデルの来海ももかさんをゲストにお迎えしました」 「いぇ〜い」 拍手をするギャル達。ネイルが、なんというか・・・これでもか、という具合に盛られていて、とにかく、凄い。 私、ファッションの話題で・・・いや、ファッションに限らず、この子達と会話、噛み合うのかな・・・。 「・・・ありがとうございます」 とりあえず、私は極上の営業スマイルで応えた。 内心は不安で仕方がないけれど。 「えー。まずは、今日のお洋服チェックから」 と。 ライターさんが座る椅子の後ろから、黒猫が姿を現した。 (え?) 彼女は先刻と同じように、尻尾をぴんと立て、悠然とこちらにやって来て、 (え? え?) 私の前を通り過ぎ様に、その長い尾で私の脚をするりと撫で。 (嘘!) 踵を返し、もう一度撫で。 そして、私の足許にちょこんと座った。 「あら、何だか、好かれてますね。ももかさん」 ええ、と生返事をして、私は足許を見下ろした。 目が合うと、彼女はふいと視線を逸らす。 ―――本当に、そんなところまで、そっくり。 「・・・はい。さっき、猛アタックしましたから」 そう答えた私は、たぶん今日一番の笑顔だったと思う。 鏡がないから、確かめようがないけれど。 「で。今日の服でしたっけ」 孤立無援だった私は、一騎当千の心強い味方を得て、攻勢に転じた。 「あ、はい。お願いします」 「まず、トップスですけど―――」 途中幾度か面食らうことはあったけれど、対談はなんとか無事終了した。 「じゃあ、最後に集合写真撮ります。折角猫カフェなんで、皆さん、一匹ずつ抱っこして下さい」 ・・・それはちょっと、困る。 さっき、『無理矢理抱っこしたりしない』って約束したのよね。 ギャル達が気に入った猫を捕まえに行っている間に、私はとりあえず、彼女にお伺いをたてるべく、足許を見下ろした。 手を差し伸べても、逃げない。とりあえず、触らせてくれるつもりらしい。 そっと頭を撫でると、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。 見た目の通り、黒い毛並みは艶々としていて、触り心地も抜群。 「・・・ってことなんだけど。抱っこしてもいいかしら?」 って、訊いてはみるけれど、そもそも私の言葉が通じているのか微妙だし。ってか、多分通じてないよね。 私が動けずにいると、彼女の方が動いた。 彼女は私の座るソファの上にひらりと跳び乗り、私の顔を見上げた。 「・・・いいの?」 ―――じゃあ、遠慮なく。 彼女の体を持ち上げ、膝に載せると、彼女は少し身じろいで、居心地のいい体勢を見つけて落ち着いた。 そうしている間に、ギャルモデル達が思い思いの猫を抱きかかえて戻ってくる。 「皆さん、準備はいいですか? じゃあ、撮ります」 カメラマンさんが、シャッターを切る。フラッシュが眩しいのか、彼女は心地悪げに目を細めた。 その表情まで、眉間に皺を寄せた誰かさんにそっくりで。 そう思ったら、急に、本物の彼女に会いたくなった。 「ももかさんって。猫、お好きなんですか?」 帰り際に、カフェの店員さんにそう声をかけられた。 「え? あ、はい」 とりあえず、当たり障りのない答えを返すのは、たぶん職業病。実際は、猫一般が特に好きなわけでも嫌いなわけでもない。そりゃ、かわいいものは人並みに好きだけど。 「そうですか、それで。・・・いえ、あの黒猫、本当は、カフェの猫じゃなくて、店のオーナーさんの飼い猫で、リリー、っていうんですけど」 ―――何て、偶然。 ゆりに似た猫の名前がリリーって。 話が上手すぎて、却って嘘臭い。 「オーナーさん以外の人には全然懐かなくて、私達には抱っこどころか撫でさせてもくれないんです」 「そうなんですか・・・」 そんな猫を、一見さんの私が抱っこしちゃったものだから。猫カフェの店員さんとしては、いたくプライドを傷つけられたことだろう。 「余程ももかさんのこと気に入ったみたいですね。ほら」 促されて振り向くと、噂のリリーちゃんが、ちょこんと座ってこちらを見ている。 「また・・・来るわね」 私は屈み込んで彼女に目線を合わせ、そう語りかけた。 彼女はふいと視線を逸らし、踵を返してすたすたと店の奥へと消えていった。もしかしたら、『さよなら』を言いあぐねていた私の気持ちを見透かして、そうしたのかもしれない。 店を出て、マネージャーさんの車に乗り込む前に、私は電話をかけた。 「あ。もしもし、ゆり?」 『うん。何?』 相変わらず素っ気ない返事だ。 『今日は仕事、って、言ってなかったかしら』 「ん、今終わったとこ。で、今からそっち行っていい?」 『別に、いいけど・・・何かあった?』 素っ気ない癖に、気遣ってくれるところがいかにも彼女らしい。 「あったといえば、あったかな。とにかく、ゆりに聞いてほしいこと。20分くらいで着くと思うけど、車だから、渋滞に引っ掛かったらもう少しかかると思う」 『そ。じゃ、待ってる』 深刻な話でないことが伝わったのか、少し安堵したような声で、彼女。 私は電話を切って、車に乗り込んだ。 ―――今度、彼女と一緒にあの店に行ってみよう。 黒猫と、彼女。 とてもよく似た二人は、気が合うだろうか。 もしかして、お互いにやきもちを妬いたりしてくれるだろうか。 両手に花の自分を想像して、思わず緩む頬を押さえながら、私は車の後部座席に体をうずめた。
《fin.》
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