2グラムの片想い
深森 薫
奇数月の二十日は、古武道専門雑誌「The KOBUDO」の発売日だ。
生徒会の仕事を終えたいつきは、その雑誌を買い求めるべく、自宅とは反対の方角にある書店へとやって来た。
自動ドアをくぐり、雑誌のコーナーに向かう。「The KOBUDO」は全国的にはマイナーな雑誌だが、明堂院流古武道のお膝元であるこの町では堂々たるメジャー誌。「本日発売」の立て札の下、平積みで売られている。今月の特集は大北流合気道、前号で予告を見たときから、いつきが楽しみにしていた企画だ。表紙を飾っているのもその若き女性師範である。
いつきは平積みの山の中から念入りに吟味し、紐の跡も誰かの手垢もついていない、綺麗な一冊を手に取った。そして、まっすぐにレジに向かおうとしたその時。
『星座占い大特集』
極太ゴシックで書かれた文字がいつきの目を捉えた。
『気になるあのコの性格から相性診断まで』
―――瞬間、ひとりの同級生の顔が浮かぶ。
桜の花が咲くように笑う、可愛いひと。
その特集記事が組まれているのは、「The KOBUDO」の一つ置いて隣の山、同じく「本日発売」の立て札の立てられた「Teenage Walk」、
文字通りティーンズ向けの雑誌だ。いつきが手に取ったとしても、何もおかしいことはない。いつきは素早く辺りを見回し、明堂の制服が見当たらないことを確認すると、一番上の一冊を素早く手に取り、その上に「The KOBUDO」を載せて早足でレジへ向かった。
*
自室の障子を静かにぴたりと閉めると、いつきは着替えもそこそこに座卓の前に正座し、文机の上に書店の紙袋を置いた。合気道の女性師範の特集記事を先月からずっと楽しみにしていた筈なのに、今ではもう一つの記事が気になって気になって仕方がない。いつきは「The KOBUDO」をそっと脇に置くと、「Teenage Walk」の表紙に向き合った。
(とりあえず、性格診断かな)
いきなり相性診断はハードルが高い。武道の稽古だって礼に始まり、柔軟運動や呼吸法から入るものである。いきなり組み合ったりしては大怪我のもとだ。まずは自分の性格診断から読むことにする。
(僕の星座は射手座だから)
中綴じの雑誌の、最初にある写真を満載したファッションのページはとりあえず飛ばし、真ん中の少し手前にある星座占いの特集ページを開く。性格診断は四月生まれのおひつじ座から始まり、そこから四枚ページをめくったところが射手座だ。
(火のエレメント、か。なんだか格好いいな)
射手座の基本性格
射手座の人は、明るく素直で、終わったことをいつまでも引きずらないポジティブ人間。誰からも好かれるタイプです。バイタリティあふれる行動派で、思い立ったらすぐ行動。体力や集中力があるので、忙しさが苦になりません。また、好奇心旺盛で、新しいことに挑戦したり、新しいことを勉強したりすることが好きです。ただ、考えるよりも先に行動し、「せっかち」と言われることも。加えて、少しおおざっぱな所があり、ケアレスミスには要注意。
(当たってる……? の、かな?)
体力と集中力は当たっているが、せっかちと大雑把はあまり思い当たる節がない。それらは武道では厳しく戒められる性質だから、武道をやっていなければ、もしかしたらそういう風になっていたのかもしれない。
(まあ、今日だってこの雑誌を衝動買いしてしまったわけだし)
そう自分の中で折り合いをつけて、いつきは先に進むことにした。
射手座の恋愛
射手座の行動力は恋愛でも発揮されます。好きになったらたとえ相手が高嶺の花でもまっすぐにアタックし、障害が多ければ多いほど燃え上がります。また、サービス精神が旺盛で刺激を求めるタイプなので、サプライズが大好き。おおらかで明るく、人を楽しませるのが好きな射手座の人はとてもモテる反面、浮気性なところもあるので要注意です。
「ふんふん……うえっ!? いやいやいやいや!」
いつきは思わず声を上げた。
(人を楽しませるのは好き……だけど、浮……いやいやいや!)
そして、慌てて雑誌を閉じる。
(とりあえず落ち着こう!)
いつきは背筋を伸ばして静座すると、いつも道場でそうしているように、目を閉じてすっと鼻から息を吸い、そして口からゆっくりと、時間をかけて息を吐いた。
(当たるも八卦、当たらぬも八卦、っていうし)
そこは明堂院流宗家の娘。いつきはすぐに落ち着きを取り戻し、
(半分当たって、半分当たってない。サービス精神は当たってるけど、浮気性は当たってない。それでいいじゃないか)
気を取り直して、再び雑誌を広げた。
(さて。つぼみは、確か―――)
『―――ありがとうございます、いつき』
いつか、二人で出かけた日のことを思い出す。
『アクエリアス、って、水瓶座のことですね』
歩き疲れて公園のベンチで一休みしたときに、いつきが手渡したスポーツドリンクを見た彼女はそう言ったのだ。
『私の星座です』
(水瓶座、水瓶座、っと)
水瓶座のページは、射手座からさらにページを一枚めくったところだ。
水瓶座の基本性格
水瓶座の人は、知的で個性豊かな自由人。おおらかで優しくフレンドリーで、誰とでもすぐに仲良くなってしまいます。感受性豊かで感動屋な反面、物事を冷静に、大きな視野で客観的に見ることのできるクールさを持っています。まっすぐな性格で嘘が苦手なため、自分に対しても相手に対しても正直ですが、そのために周囲から浮いてしまうことも。また、強い感受性が怒りの感情と合わさると手が着けられないほど怒り狂うので要注意。
「うーん……」
優しい、のは間違いないと思う。デザトリアンと対峙し、こころの花を奪われた人の叫びに心を痛める彼女の横顔を、いつきは何度も目にしてきた。嘘が苦手なのも、それから感動屋なところも、当たっていると思う。だが、
(クール、ねぇ)
少々合点がいかないこともあるが、これも当たるも八卦、当たらぬも八卦。そう自分の中で折り合いをつけて、いつきは次の欄に目をやった。
水瓶座の恋愛
水瓶座の人は、そのフレンドリーさとは裏腹に、恋愛には非常に慎重です。一度恋人になってしまえば一途で長続きするのが水瓶座の恋ですが、その前に高いハードルが待ちかまえています。また、水瓶座は束縛されるのが大嫌い。自分の自由を奪う相手だとわかった瞬間に、心のシャッターをぴしゃりと閉めてしまいます。
「う」
ぴしゃり、の所でいつきは思わず息を呑む。彼女に心を閉ざされる様を想像しただけで、こころの花が萎れそうだ。
「……」
いつきは溜息を一つついて、雑誌をそっと閉じた。性格診断のページでこんなにダメージを受けているようでは、相性診断などとても無理だ。もし射手座と水瓶座の相性が悪かったりしたら、いよいよこころの花が枯れてデザトリアンになってしまいそうな気がする。
閉じた雑誌を机の端に押しやって、いつきはもう一つの雑誌、「The KOBUDO」を開いた。
* * *
えりかの居ない勉強会は、とにかく静かだった。
広い庭の向こうから微かに聞こえてくるのは、稽古が行われている道場の、板を打つ音と、気合いの声。純和風の造りをしたいつきの自室で、上座に通されたつぼみと、障子を背にしたいつきが斜向かいに座卓に着き、ひたすらに黙々とシャープペンシルを走らせる。無論、二人とも正座だ。
「……つぼみ。ちょっといいかな」
暫く経った頃、遠慮がちないつきの声に、つぼみは顔を上げ、ええ、と答えて小さく首を傾げた。
「この式。最後の答えが合わないんだけど、途中の計算のどこが違ってるのかわからなくて」
「ちょっと失礼しますね」
いつきが苦笑すると、つぼみはそう言っていつきのノートを自分の方に向ける。そして、丁寧な文字で綴られた解のプロセスにさっと目を走らせ、
「あぁ、ここです」
すぐにそう言って、ノートをいつきに返した。
「この5、移項したのにマイナスがついてません。ここを直せばたぶん、解の公式を使わなくても解けるかと」
「あっ。うん、そっか」
それだけ指摘されれば、あとは間違いを正して計算をやり直し、
「本当だ、ちゃんと整数の答えになった」
ありがとう、と微笑むいつき。
「いいえ。あの、じゃあ、私も教えて貰っていいですか?」
先刻のいつきと同じように、つぼみが遠慮がちに問う。
「勿論。どれ?」
「これ、この She put her chopsticks on the table. っていう文なんですけど。いつきは何て訳します?」
つぼみはそう言って、手元で開いていた教科書をいつきの方に向けた。
「えーと。『彼女はテーブルの上に箸を置きます』……んん、『置きました』かな」
「それです!」
いつきの答えに、やや食い気味に、つぼみ。
「『put』って、過去形も現在形も同じ形ですよね。今いつきは、どこで過去形だって判断したんですか?」
「ああ。うん、それはね」
つぼみの前のめりにも慣れた様子で動じることなく、いつきは持っていたシャープペンシルの先で、件の『put』という語を指した。
「主語が『She』だから、もし現在形なら、ここに三人称の『s』がつくはずだよね。それがないってことは、過去形ってことだよ」
「……………………ああ!」
いつきの説明を咀嚼して、腑に落ちるまでおよそ六秒。目から鱗、といった風で頷いて、ありがとうございます、とつぼみは笑んだ。
そして、再び静寂が訪れる。
「いつき、つぼみちゃん。入るわよ」
そう言って障子を開けたのは、いつきの母、明堂院つばき。椿の花の如く、優美でありながら気取ったところのない、さっぱりとした人物だ。
「そろそろ休憩したい頃かと思って」
座卓に置かれたオレンジジュースのグラスの中で、氷がからん、と涼しげな音をたてる。
「ありがとうございます」
「あと、いつきにこれ、返しておくわね」
「! ……お、お母様、そ、れは」
小さくお辞儀をするつぼみの横で、いつきの目は母親が差し出したものに釘付けになった。いつきが結局最後まで読めないまま放置していた、あの「Teenage Walk」だ。
「星占いなんて面白そうな記事が載ってたから、ちょっと借りてたの」
椿の君はそう言って雷おこしの菓子鉢を卓に置いた。ごめんね、と悪戯ぽく笑う顔は、とても高校生の息子を持つ母親とは思えない。
(いつ見つけたんですかいつの間に持って行ったんですかどうして勝手に持ち出すんですかっていうかどうしてよりによって今このタイミングで返してくれるんですかお母様あぁぁ!!)
いつきは心の中で頭を抱えて喚き散らしながら、何とか平静を装い、短くいえ、とだけ答えた。
「星占い、ですか?」
椿の君が去ると、問題の雑誌に早速つぼみが食いついてきた。
「ああ、うん」
(こっちじゃなくて雷おこしの方に食いついて! あああそんなキラキラ期待の目で見られたら)
「……よかったら、見る?」
(って、言うしかないじゃないか!)
何食わぬ顔で言う、いつきの頭の中が絶賛パニック中なことは露ほども知らず、つぼみは例の雑誌と対面した。表紙にはもちろん『星座占い大特集・気になるあのコの性格から相性診断まで』の文字が踊るが、そのことには特に触れず、卓の上に雑誌を置いて丁寧にページをめくった。
(うん、まずは自分の性格診断だよね)
オレンジジュースに口をつけながら、つぼみが読んでいるページをちらりと確認するいつき。黙って見守っているつもりだったが、
「どうかな」
どうにも我慢ができずに、思わず聞いてしまう。
「当たってると思う?」
そうですね、とつぼみは少し考えて、
「あまり当たってない気はしますけど。堪忍袋の緒が切れると、っていうあたりは、当たってるかもしれませんね。
いつきは、自分の性格診断、当たってましたか?」
いつきの問いに答えると、逆にそう問い返した。
「あー……僕のは」
『浮気性なところもあるので要注意!』
「ぜんぜん当たってないと思うよ」
問題の雑誌の、問題のフレーズが頭を過ぎり、
「うん、全然」
いつきは念を押すように繰り返す。
「そうですか。占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦って言いますものね」
つぼみはふわりと微笑むと、雑誌のページをぱらりとめくった。つぼみの星座は水瓶座、最後から二番目である。ページを一枚めくれば、そこからは相性診断のコーナーだ。
「あっ!」
「えっ?」
不意に上がったいつきの声に、つぼみの手が止まる。
「えっ、あっ、いや、えっと」
慌てるいつき、
「どうかしましたか?」
落ち着き払ったつぼみ。
「その……」
占いの結果が怖くていつきが開けなかったページを、つぼみは平気な顔で開こうとしている。
「僕、そのページ、まだ……見てないんだ」
「えっ。そ、そうでしたか! ごめんなさい、先に見てしまって」
「あ、いや、そういうことじゃなくて」
いつきは、慌てて雑誌を返そうとするつぼみを制止し、
「……怖いんだ」
ぽつりと、そう零した。
「……怖い、ですか」
真意を測りかねて、つぼみはきょとんと首を傾げる。
「うん。占いの、結果を見るのが」
俯いて、観念したように、いつき。
「もし、占いが悪かったら……僕とつぼみの相性が悪い、って書いてあったら、って思うと、怖くて」
一度口にしてしまえば、自分でも驚くほど素直に本心が溢れ出る。そういえば、本当の気持ちを吐露することの大事さをいつきに教えたのは、他でもない、つぼみ達だった。
「ああ」
つぼみは得心が行ったように頷いて、
「そういうことでしたら、心配はご無用です。大丈夫、星座占いは私たちの味方ですよ」
一度閉じた雑誌を再び開いた。
「射手座と水瓶座は、すごく相性がいいんです」
そして、優しく言い含めるように語りながらページをめくる。
「『風水地火のエレメントでいうと、射手座は火、水瓶座は風。行動原理が似ていて共感できる部分が多く、それでいて異なる部分もあり、お互いを補いあえる良い関係』」
淡々と読み上げながらつぼみが差し出したページには、大きな文字で『射手座×水瓶座 85点』の見出し。
ほっと安堵するとともに、嬉しさに心が浮き上がったのも束の間、新たな暗雲がいつきの心に立ちこめる。
「つぼみは……すごいね」
自分はあんなに不安だったのに、つぼみは何の迷いもなくページを開いて見せた。
「僕は、ダメだな。相性が悪かったらどうしよう、って、そんなことばっかり考えちゃって」
ふたりの相性を気にしているのは自分ばかりで、つぼみはそんなことは気にも掛けていない―――そんな気がして、みるみる心が萎れてゆく。
「あ、いえ!」
分かり易く落ち込むいつきに、つぼみは顔の前でぱたぱたと手を振った。
「実は私、知ってたんです、射手座と水瓶座の相性。その雑誌をみる前から」
「えっ」
見頃を過ぎた向日葵のように項垂れていたいつきが、ぱっと顔を上げ。
「調べましたから。明堂学園に来てすぐ、『会長さん』を一目見たその日のうちに」
「えっ、えっ」
今度は驚きに目を見開いた。今日の彼女は感情がとても忙しい。
「えっ、なんで? 僕の誕生日は」
「明堂院会長は学園のアイドルですよ? ファンの方に聞けば、誕生日も星座も、血液型だってすぐに分かります。何なら身長体重、靴のサイズに帽子のサイズ、スリーサイズまで」
「ええ……スリーサイズなんて自分でも知らないのに……」
困惑顔のいつきに、つぼみはくすりと笑んだ。
「その時はただ、少しでも『会長さん』のことが知りたくて一生懸命でしたから。星占いはもちろん、血液型占いや六星占術に四柱推命、九星気学。いろいろ読み漁りましたし、書いてあったことも勿論覚えてます」
「えっ」
「射手座の人は、明るくて社交的。お祭り好きの行動派」
「えっ、えっ……」
「ポジティブで、楽観的。好奇心旺盛で、常に刺激を求めるチャレンジャー」
「え、ちょっ、」
立て板に水。つらつらと流暢に並べ立てるつぼみに、いつきは別の意味で困惑する。
「男女を問わず人気者で」
「あわわわわ待って待って」
頭を抱えておろおろし始めるいつき。もはや困惑どころではなく、
「気が多く、移り気」
「あーーーー!」
いたたまれず、とうとう数学のノートの上に突っ伏した。
「まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、ですから」
あまり気にしなくていいと思いますよ、と、少し笑いながらいつもの穏やかな口調で、つぼみ。
「それに。占いに良くないことが書いてあるのは、だから諦めよ、ということではなく、心に留めて戒めよ、ということですから」
「……うん」
突っ伏したまま、ノートの数式に向かって返事をするいつき。残念ながらつぼみは射手座の浮気性を否定したわけではないので、実のところ気休めにもなっていない。
「そもそも、占いの性格診断に書いてあるのは、ごくごく一般的で曖昧な、誰にでも当てはまることばかりなんですよ。それを、多くの人が自分にだけ当てはまる、当たっている、と思いこんでいるだけで。ちなみに『バーナム効果』っていうんですけど」
「うん……」
「でも」
いつまでたっても立ち直らないいつきの気持ちを知ってか知らずか、つぼみは言葉を続け、
「実際に知り合ってお近づきになったいつきは、そんな占いなんかよりもずっと素敵な人でした。凛々しくて、真っ直ぐで、強くて、格好よくて。それでいて誰よりも優しくて、ちょっと繊細で、すごく可愛いひとでしたから。人には添うてみよ、馬には乗ってみよ、とはよく言ったものですね」
いつものように諺で締めくくった。
「……」
広げたノートに突っ伏したまま微動だにしないいつき。気の毒なほど真っ赤になった耳たぶが、色素の薄い髪の間から覗く。
『水瓶座の人は、知的で個性豊かな自由人』
(そうだよ)
『物事を冷静に、客観的に見ることのできるクールさを持っています』
(僕だって覚えてる。水瓶座の性格診断。だって)
『まっすぐな性格で嘘が苦手なため、自分に対しても相手に対しても正直』
(つぼみのこと、だから)
「いつき? どうかしましたか?」
あまりにも動かないいつきを不思議に思い、首を傾げるつぼみ。
「…………かも」
「え?」
「当たってる……かも。すごく。星占い、性格診断」
蚊の鳴くような声で、やっとのことでいつきが声を絞り出すと、
「えっ、」
つぼみが息を呑んだ。
「それって……もしかして、『気が多く、移り気』のところ……ですか」
その声音に、不安が滲む。
「えぇっ!? いやいやいや違う違う! そうじゃなくて―――」
慌てて飛び起きたいつきの目の前に、僅かに憂いを帯びたつぼみの顔があって。
「そんなこと……」
かあっ、と音がしそうな勢いで赤くなる頬を隠すように、いつきはまた俯いた。
「そんなこと……ないから、絶対……」
口を開けば飛び出そうなほど激しく打つ心臓を右手で押さえながら、震える声を絞り出す。
「そうですか」
つぼみはふい、と表情を緩め、
「それなら。よかったです」
涼やかに微笑んだ。
その顔が視界の端に映った瞬間、
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
いつきはまたノートの上に突っ伏した。
「!? いつき!? ちょ、どうしたんですか!?」
(クールなつぼみ……カッコいい……)
ふたりの心を秤にかけたなら。
砂糖小さじ半分だけ、いつきの片想い。
《fin.》
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