4人の86時間

<3>

「しもだー、しもだー。終点でございます。」

 絶好の行楽日和にも誘われた大勢の観光客に紛れて、四人は改札を出た。
 駅前で少し早い昼食をとった四人は、まことの発案で二日目の昼食までの材料を駅前で買い込んで、目的地の保養所の近くを通る路線バス乗り場へと向かう。
「8人分もつくるのはホントに久しぶり。腕がなるけどちょっと大変だな。」
「大丈夫よ、あたしも手伝うから」
 支払いを終えて財布をポーチに戻しながら亜美は、ラケットを差し込んだスポーツバッグを肩にかけ、食材を詰め込んだポリエチレンの買い物袋を両手に持ったまことに言う。
 
 前を歩く仲のいい夫婦のような2人の背中を見ながら美奈子がレイに言った。
「ねー、どうして、亜美ちゃん「あたしたち」っていわないのかな。」
「そうね、亜美ちゃんはまこちゃんと2人でやるのもいいかなって思っているのよ。」
 さらりと言うレイに美奈子は提案する。
「だったら朝食ぐらい、一回、二人でつくってみる?そうでもしないとあたしたちもかっこつかないんじゃない?」
「そ、そうね、でもメニューを考えないと。」
「トーストとトマトとミルクっていうのはどう?」
「そ、それはちょっと・・。まあ、やるならもう少し考えなくちゃね。」
 いつもの4人の朝食ならともかく、はるかたちにも出す朝食のメニューとなれば、そう簡単にはいかない。
 少なくともこの殊勝な提案をする相方が依然としてこの手のことでは頼りにならないことだけは今の提案内容からも明らかであった。
 

 バス停を降りて保養施設までは昼前のさわやかな空気の中をゆっくり歩いて5分ほど。
 木々に囲まれたこぎれいなペンション風の建物がいくつか建っている。
 裏に柵に囲まれた土のテニスコートが数面あるのが見える。
 駐車場を見ると、乗用車やワンボックスカー等の車に混じって一目ではるかのそれとわかるスポーツカーが1台止まっている。
 
「あっ。はるかさんたちもうきてるんだ。」「ええと、1号棟だから、こっちよ、こっち。」
 美奈子が3人を引き連れて、一番端の建物へと向かう。
 
「しつれいしまーす。」
 正面の白いドアをノックしてから、4人がドアを開けると、廊下の向こうのダイニングルームでみんなに紅茶を入れているらしいみちるがこちらを向いて、こちらにいらっしゃいと優雅に手招きする。
 おじゃましまーす、といって4人が入ると、ダイニングテーブルに座って優雅にお茶を飲んでいるはるか、みちる、せつな、ほたるの4人が、いらっしゃいと声をかける。
 はるかがティーカップを片手に4人の方を向く。
 
「やあ、早かったね。子猫ちゃんたち。昼食は済ませてきたのかい?」
「はい、ばっちり駅で済ませてきて、もう準備おっけーですよ。」
 先頭を切って部屋に入ってきた美奈子がポーズをとってのとっておきの笑顔で応える。
「はるかさんたちも早かったんですね。」まことも笑顔でいう。
「まあね。ここは、抜け道がないから、渋滞にはまると悲惨だからね。早めにでてきて、こっちでゆっくりしてたのさ。」
 
 元気いっぱいだったら、部屋で荷物をおいて早速着替えてコートにでも出たらどうだい、こっちも食休みをしたら行くからといわれて4人は買い込んだ食糧をせつなに預けた後、2階の部屋に案内される。部屋は全部で6部屋。美奈子たちには隅から順に隣あった2部屋分の鍵が渡された。
 

「ねえ、ど、どういう組み合わせにしようか・・」
 部屋の扉の前でちょっとはにかみながらと結果のわかった問いをするまことを、美奈子とレイは何を今さらという顔をしてみる。亜美はというと顔を赤くしてうつむいている。
 美奈子の目が悪意で光る。
 
「ふーん、まだ選択の余地があるっていうのね、じゃあ、まこちゃん、あたし亜美ちゃんとっちゃっおーっと」
 美奈子はニカニカの親父顔になって亜美をほれほれこっちじゃこっちじゃと後ろから抱きついて胸元まで引き寄せる。あわてたまことは亜美の両腕をつかんで引き戻す。
「あ、あっ。あのさ、ほら、あたし、亜美ちゃんにテニスのこといろいろ教わってきてるし、まだいろいろ聞きたいことがあるからさっ、あたしが亜美ちゃんとの部屋になるよ。」
「あっらー。まこちゃん、テニスのことなら、この美奈子プロがじっくり教えてあげてもいいのよー。」
 美奈子は、綱引きの綱状態の亜美をつかんだままその肩越しにニカニカ顔を今度はまことに近づける。
「あっ、で、でもさっ、そのっ・・」
 
「もー、いいからいいからっ。結果のわかっていることで議論しない。さあさあ入った入った。」
 見かねたレイがずんずん亜美と美奈子の間に割り込むと、亜美の背中を押してまことごと2人を一番奥の部屋に押し込んで扉をばたんと閉めた。

「せっかくおもしろかったのに・・。」
 一丁上がりとばかりに軽く両手をぽんぽんとはたくレイの後ろから、美奈子は不満そうにつぶやく。
「まあ、いざって時のまこちゃんの歯切れの悪さにも困ったもんだけど、着いたそうそうあんまりいじめちゃかわいそうよ。さっ、あたしたちも入りましょ。」
 ちょっと振り向いた後、荷物を持って隣の部屋のドアを開けてレイがさっさと中に入る。
美奈子は、まっいいかと一息ついて、レイのあとを2、3歩歩く、と、今度はレイにゆっくりと言葉をかける。
 
「あの、でもさ。レイちゃん、私と同じ部屋になりたくて、止めたんでしょ・・。いいのよ。素直に言っても・・・・っと。」
 美奈子の顔にバスンと枕が飛んできてそこで話はとぎれた。
 

「結構いい部屋だね。」「ほんと。」
 部屋の広さは約12畳ほどの洋間。
 端の部屋なので、南側と東側に窓が付いていてとても明るい。
 南側を頭に、シングルベットが2つくっつけて並んでいて、その脇に、2人掛け用のソファと低い机が並べておいてある。トイレと洗面台とシャワーブースが西側に付いている。
「いつもながら美奈子ちゃんには困ったもんだよ。」
 荷物を部屋の隅に置いたまことはやれやれとソファーに身を沈める。
「ほんとね・・。でも、楽しいわ。」
 まことの隣にちょこんと腰を下ろした亜美は、部屋の上の方を見上げるようにちょっと顔を上げてほっとしたような笑顔で穏やかに言う。
 まことは、亜美のそんな様子を見て、安心した笑顔で亜美と同じ方を見て穏やかにつぶやく。
「そうだね。ほんとに楽しいよ。心の底から・・。ついこの間までの出来事が嘘みたいだ。」

 まことは思う。
 ギャラクシアとの戦いはそれまでの戦いの中でも特別だった。
 期間は短かったかもしれない。
 しかし、圧倒的な力を目の当たりにした戦いの最中の重苦しさ、それこそ地獄の釜を上から覗いているような絶望感はそれまでの戦いとは一線を画するものだった。
 あの時は何をやっていても黒雲が心にかかっていた。その日その日を刹那的に生きていた。凶弾に倒れたときも、勝てなかったという意識よりも、自分にとっては何か来るべき時が来たという感じだった。
 
 それが、プリンセスの力で奇跡的に復活して、それまでと同じ暮らしが始まっている。
 なんだか夢みたいだと思う。
 いや、今では、あっちが一夜の悪夢だったとさえ思える。
 もちろん、最初のうちは、夢ににうなされたこともしばしばだった。でも、最近はそんなこともほとんどない。

 むしろ、亜美の方が回復は遅いように見えた。
 元どおりの暮らしが始まっても、ぼーっと考え事をしていたり、どこか表情に暗い影が差している時がしばしばだった。
 どうしたの、と聞いても、ううん、大丈夫、有り難うとしか答えない亜美のそんな姿を見るたびに、元気になってもらいたい一心であの手この手で励ました。
 下校の際は、亜美を自宅に送ってから引き返して自分の家に帰った。
 夜中に亜美の家に特製のお菓子を作って届けた時もあった。
 土曜の晩には亜美の予定が合う限り家にも招いて、腕によりをかけた食事を振る舞った。
 そんなときは、なるべく泊まってもらった。
 最後のは、励ましとは別な動機が多分に含まれていたが・・。

 一緒にベットに入ると亜美はよく何かを思い出したように涙をみせた。
 抱きしめて、どうしたの、と聞いても、ありがとう、大丈夫だからもう少しこのままでいさせて、といって胸の中に顔を埋ずめてあたしのパジャマを濡らした。

 そんな亜美も1月ほど前からようやく普通に戻ってきた。顔の暗い影も差さなくなってきた。
 そう、3週間前に美奈子ちゃんから今回の話があって、学校で、亜美ちゃんも旅行に行こうよ、て誘った時にちょっとだけ見せたのが最後だった。

 
 お勉強が遅れてるし、とか言って迷っていたけど、いったんオーケーしてくれると、むしろ亜美ちゃんの方が積極的だった。
 ラケットを持っていないあたしには家にたくさんにあるからといって、わざわざコートをとって試打までさせてくれて譲ってくれた。グリップやガットの調整も亜美ちゃんのアドバイスだ。
 その後の3回の土日は、コートをとってあたしを練習させてくれた。
 そこまでしてくれて大丈夫なの、と聞くと、私も新しいラケットに慣れておきたいから、むしろ付き合ってくれて助かるわ、と言ってくれた。
 この優しさ、人への気遣いは相変わらずだ。
 もちろん亜美ちゃんはテニスを一から丁寧に理論立てて教えてくれる。
 最初は全然できなかったサーブもバックハンドもそれなりにできるようになってきた。
 できるようになってくるとテニスも楽しくなってくるし、何より、亜美ちゃんと共通の新しい趣味を持てるということがあたしの心を躍らせた。


「さてと。じゃあ着替えていってみようか。美奈子ちゃんもやる気まんまんみたいだし。」
まことは立ち上がって、うーんっと背伸びをした。
「そうね。そうしましょうか。」と亜美も明るく答える。
 まことは、テニス専用のウエアを持っていない。白のポロシャツと緑の短パンだ。ガットを張り替える時にテニスショップで買った緑のリストバンドを左手にして、これだけは前から持っていたテニスシューズを持てば準備は完了だ。
 着替えを終えてさあてと後ろを振り返ると、着替えの終わったの亜美がこちらを向いて立っていた。

 白い丸首のシャツに、ライトブルーのスコート姿。
 靴下と、右手に巻いた汗ふきようのリストバンドもライトブルーだ。
 
「あ、あの、亜美ちゃん・・」
 まことは目を丸くして、ほとんどおやじ状態で亜美の姿を上から下まで視線を往復させる。
「へ、変身したんじゃないよね・・・。」
 ふふふっ とくすくす笑いをして亜美がちょこっとポーズをとって尋ねる。
「どう?似合う?」
「似合うっていうか。可愛すぎ・・。」
 まことは顔を真っ赤にして答える。
 
 戦っている時と大差ないかっこうなのに、何でこんなに可愛く見えるんだろう。
 違うところっていえば、ティアラをしていないところとチョーカーをしてないところとブーツを履いてないところと・・。
 
「有り難う。褒めてもらってうれしいわ。まこちゃんもかっこいいわよ。」亜美がにこっと素直な笑顔を見せる。
 そうか、これだ。これが、違うんだ。やっぱり、平和っていいもんだ。この笑顔を守るためなら、何でもできる。

 さて、行くか、ともう一度亜美の方に目をやる。
 青みがかった澄んだ瞳、少し胸の膨らんだ清楚な白いシャツ、スコートからのびた少し細くて引き締まったきれいな足。
 まことの中で、情欲という名の洪水が理性という名の堤防を押し流す。
 駄目だ、我慢できない・・。
 
 まことは愛しい者に精一杯の柔らかい笑顔を浮かべて亜美の前に歩を進める。
 亜美も立ち止まったまま、ちょっと顔を赤らめて、少し上目遣いでまことの目を見る。
 まことは亜美の細腰に手を回して、亜美の唇に自分の唇をゆっくりと重ねる。亜美も目を閉じてそのまままことを受け入れる。まことの両手に力が入り、亜美の体は弓なりに浮き上がりまことの体に埋まるように密着する。
 
「ん・・、ん・・。」
 亜美も目を閉じたまま自分からまことの唇を求めるように、両手をまことの肩に回す。
「ん・・ん・・・んっ。」
 
 しばしの間の後、唇が離れる。まことは腕の力を緩めて亜美を地面に降ろすといたずらっぽく笑いながら亜美にそっと言う。
「そんなにかわいいと、襲われちゃうよ。」
「うん・・、そしたら守ってくれる?」
 亜美も少しだけまことに巻き付けた腕の力を抜いてまことの目を見つめてまことと同じ笑み浮かべてささやく。
「もちろんさ。ぜったい・・。何があっても・・。」
 まこともゆっくりとささやくともう一度亜美の腰に添えた腕に力を入れた。

「行こうか。美奈子ちゃんたち待ってるし。」「うん・・。」
 しばしの間の後、腕の力を緩めて、亜美の腕が自分の肩からほどかれたことを感じたまことはラケットとテニスシューズを持って扉に向かった。

 廊下に出ると、既に着替えてラケットとシューズを抱えた美奈子とレイが立っている。美奈子は白のウエアにオレンジのスコート。レイは白のウエアに赤のスコートだ。
「なんか、みんな自分のカラーで統一してるねー。」まことが言うと、
「まこちゃんはいっそのこと変身しちゃったら?そしたらそろうわよ。」
 美奈子の軽口に4人はふふっと笑って、階段を降りていった。

  

<続く>

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