4人の86時間

<2>

 9時過ぎには下田行き直通の特急列車は、熱海を過ぎて、伊東線に入る。
 キオスクで買った朝食は既にきれいに平らげられて、4人の座ったボックスシートの窓の向こうに広がる海は、朝日を浴びて光っている。
 
「それでさ、結局、うさぎちゃんはくることになったのかい?衛さん帰ってきてるんだろ?」
 通路側の席に座って食後用の緑茶入りペットボトルを手に持ったまことが美奈子に尋ねる。

「うん。衛さんはサンクスギビングデイのお休みの他に少し前後に休みもとって日本に帰って来てるんで、1週間はいるらしいの。それで、3日目の夕食から2人で下田に来るってことになってるわ。」
「それじゃあんまりいられないのね。無理じゃなかったのかしら。あんまり会えないんだし、うさぎちゃんは、ほんとはずっと2人でいたかったんじゃないかしら。」
 亜美がちょっと心配そうに言う。
 
「うーん。私もさすがにうさぎだけは無理には誘わなかったんだけどね。だけど、誘いの電話のあとで、2人で相談して行くことにした、まもちゃんもみんなと会いたがっているからっ、てうさぎの方から電話をもらったから、うさぎも衛さんも無理に来る訳ではないと思うわ。」
 
「でも、久しぶりに会えて楽しみね。」
 お茶のペットボトルをもてあそびながらレイがぽつりという。
 
「えっ、レイちゃん、それって誰と?」
「あっ、いやいや、もちろんみんなとよっ」
 隣に座っている美奈子の耳の地獄ぶりに改めて驚いたレイがあわてて応える。
「まあいいわ。」
 真意を聞きたいけれどもここで正面きって聞くのもちょっとと思った美奈子は、話題を変えた。
 レイは、4日目は学校が暦どおりあることから最初は3日目の晩に帰ると言っていたのだが、うさぎと衛が3日目の晩から来ると聞いてから、急に学校を1日休んで4日目までいると言い出していたのだ。
 
「あーあ。早く着かないかなー。体がうずくわー。」
「美奈子ちゃん、さっきからそればっかりね。よっぽど楽しみにしてたのね。」
 亜美が苦笑いで言う。
「そりゃーそうよー。こんなさわやかで運動日和の日にお天道様の下で発散しなかったらばちがあたるわよ。それに今回は、はるかさんたちも来るし、これに備えて久々にみっちり練習したし、ウエアも新しいの買っちゃったし。3日目の午後はみんなで、ダブルスの試合をするってことになってるし。思いっきりあたしの真の姿をみせてあげるわっ。」
 
 美奈子がレイ、亜美、まことの3人の参加者をそろえたことをはるかに報告した際に、外部戦士組一行を入れると8人になったことから、ただ練習するのも芸がないから3日目の午後は4組でダブルスのトーナメントをやろうといことになったのだ。はるかたちの方で優勝ペアには賞品も用意するという。
 
 
「何かこれにかけてるって感じだね。」「ほんとね。」
 まことと亜美は美奈子のはりきり振りを笑顔で茶化す。
 美奈子は、ちょっと何よーという顔をして、まことに矛先を向ける。
 
「そんなこと言って、まこちゃん達だって、いざ試合となれば熱くなること知ってるんだから。ところで、まこちゃんテニスラケット持ってなかったわよね。今日のやつはどうしたの?今回のために買ったの?」
「い、いやー、実はあれ、もらいものなんだ。」
 美奈子の問いかけに対するまことの答えはあまり歯切れが良くない。
「へー、ちょっと見せてもらってもいい?」
「別にかまわないよ。」
 
 まことは網棚にのせてあったラケットを降ろして美奈子に渡す。
 美奈子はすこしすり切れたカバーをあけて、まだ新しいタオルグリップの巻かれたラケットを手にとって重さや面の大きさをみた後、右手でグリップを握ってやガットの面を左手手のひらにぽんぽんとあてて感触を確かめた。
 
「プリンスの初期のグラファイトのデカラケでちょっと型は古いけど・・、でもいいラケットじゃない?誰にもらったの?」
「そ、それは・・」
 口ごもるまことの隣に座っている亜美が助け船を出す。
 
「それ、あたしがあげたの。母が病院で前からテニスをやっていたんで、家には、使わなくなった古いのが何本もあるのよ。だけど、そんなにあったってしかたがないから、ほら、買うと高いし、母にも頼んで、好きなのどうぞっていって1本あげたの。」
「ふーん。それぐらいのこと別に隠すことないのに・・。それで、何でこのラケットにしたの?」
「ほら、あたし、力はあるけどテニスはまるで素人だろ、だから、やってみるとなかなかラケットのいいところにちゃんとボールが当たってくれなくてさ。だけどこれは、面が大きくて結構よく当たるんだ。それにこのラケット飛びすぎないし。」
 まことが正直にこたえる。
 
「ふーん、たしかに、この型はラージサイズで面は大きいからスイートスポットも大きいわ。昔のタイプで厚ラケじゃないから球の弾きは良くないけど、まこちゃんのパワーがあれば特に問題はないわね。まあ、確かにまこちゃん向きだわ・・。で、飛びすぎないしっていうけど、ラケット選びの際は誰と試し打ちしたの?」
 美奈子一流の追求の始まりにまことと亜美は背中に冷たいものを感じる。
 
「は、は、それは亜美ちゃんと。だって、ラケット持ってるの亜美ちゃんだろ。他の人とできる訳ないじゃないか。」
「そ、そう。ちょっと、母の病院の敷地内のテニスコートを借りて試してみたのよ。」
「ふーん。試し打ちのためにわざわざ2人でコートを借りたのね・・。そう、このガットわりと硬く張ってあるわね。パワーヒッター仕様でまこちゃん向きね。なるほど。これは亜美ちゃんの指示ね・・。で、これ、一緒に張り替えに行ったんでしょ?」
こういう展開になるとシャーロックホームズの化身と化す美奈子の目が妖しい輝きを増してくる。
 
「う、うん。それ先々週の土曜日・・。試し打ちした後、亜美ちゃんにつれてってもらって・・。」
「先々週って、旅行が決まった次の土曜日じゃない。このタオルグリップもその時買ってつけたのね?」
「う、うん。練習しているときに、あたし手が大きいから巻いた方がサイズが合うし滑り止めにもなるよって言われて・・。」
 
「ねえ、まこちゃん?」
 ずいとにじり寄る美奈子にまことは座席の背もたれにへばりつく。
「な、なんだよ。」
「あんた、さっきから私のこといろいろ言ってるけど、まこちゃんこそこの旅行に期するものがあるんでしょ。」
「は、は、まあ。せっかくみんなでテ、テニスをするのにあたしだけ下手だったら、ほら、みんなにも悪いだろ?だ、だから、足引っ張らないようにしなくちゃと思っただけだよ・ ・。ね、ねえ亜美ちゃん?」
 戦線崩壊寸前のまことに助けを求められた亜美はつくり笑顔で援軍を繰り出す。
 
「そ、そうよ。せっかく泊まりがけで行くんだし、みんなでのびのび楽しくできればっていうことよ。」
 2人の態度にぴんと来るものを感じた美奈子は今度は亜美に矛先を向けた。
 
 
「みんなでのびのび楽しくねー。ねえ、亜美ちゃん。亜美ちゃんのラケットも見せてもらってもいい?」
「え、い、今?」
「そう。今。」
 
 網棚から亜美は恥ずかしそうにラケットを降ろして美奈子に渡す。
 真新しいカバーをはずす。プリンスのラージサイズの最新型のラケットだ。
 ラケットは軽め、ガットの張りも柔らかめで亜美向けだ。
 きれいなガットの真ん中には、テニスボールの明るい黄色の糸くずが付いている。また、滑り止めの巻かれているグリップには、汗で少し黒くなった跡がしっかりついている。
 美奈子はラケットに付いている糸くずを取ってふっと吹き飛ばすと亜美の方を向いた。

「ねえ、亜美ちゃん?」
 にじり寄る美奈子に、今度は亜美が目の下の筋肉を使って笑顔を作りながら背もたれにへばりついた。
「な、なあに?美奈子ちゃん。」
「これ、いつ買ったの?」
「いつって?・・そ、それは先々週の金曜日・・。」
「先々週の金曜日って、行くって決まったすぐ後で、まこちゃんと練習した日の前の日じゃない。で、それから何回使ったの?」
「あ、あの、コートでは、たしか・・4回・・。」
 購入してから今日までの休日の回数と同じ回数の返答には、レイはもちろん、さすがの美奈子も驚きを隠せない。
 
「ほ、ほら、あたし、勉強が遅れちゃってて、最近運動やってないから。す、すこしは体を動かしておかないとけがしちゃいそうで・・、そしたら、みんなの足ひっぱちゃうと思って・・・」
 作り笑顔で顔で手をぱたぱたさせて言う亜美のいい訳はほとんど説得力がない。
「コートでは」と言うからには他に素振りや壁打ちをやって、さらには亜美のことだからテニスの本を買い込んで戦術の研究にも余念がないことぐらい聞かなくてもみんなにはわかる。
 
「それで、練習は、だれとやったの?」
 美奈子の質問がもう一つの核心に近づく。
「そ、それは・・・」
 亜美の顔は赤くなり、伏し目がちになる。
「それは、ほら、あたしが頼んで一緒にやってもらったのさ。あたし、素人だから、一人であんまり下手だとみんなに迷惑かけちゃうからって。」
 とうとうまことが観念したように横から白状した。
 
「ふーん。迷惑かけないようにのために、2人で毎週土日に・・」
 
 攻撃が終わりそうもない美奈子に、それまでおもしろがって聞いていたレイが、まあまあ、と助け船を出した。
「美奈子ちゃん、それぐらいで勘弁しましょうよ。要するにまこちゃんも亜美ちゃんも今回一生懸命テニスをやるっていうことよ。あなただって真剣にやってくれる人と一緒にやった方が楽しいでしょ。」
 
 レイは亜美の方に身を乗り出している美奈子の額を右手で押さえて、頭を背もたれに押し戻す。と、美奈子は、額を抑える手の手首をぐいとつかんだ。
 
「ちょっと、レイちゃん?」
「な、なによ。離してよ。」
「この右手はいったい何をやったらこうなるの?」
 美奈子が手首をつかんでみんなの前で開かせた右手の手のひらには、人差し指の付け根に絆創膏がまいてある。小指とくすり指の付け根には、しっかりと固いまめができている。
 レイは、あははと手を引っ込めた。
 
「ほ、ほーっほっほっ。こ、これはね、そう、11月は七五三の月でしょ。うちの神社も結構かき入れ時で、お払いのやりすぎでまめができちゃったのよ。今日だって休みもらうの大変だったんだから・・・。本当よっ。」
 突っ込みを入れることすらためらわせる言い訳のしらじらしさに、3人はあきれ顔で絆創膏の貼られた手をぱたぱたしているレイを見つめる。
 
 結局、4人は4人ともそれぞれ性格が異なるが、負けず嫌いで勝負になると熱くなるという点では見事なほど似ているのであった。
 

「まあ、いいわ。やっぱりこのメンバーはこうでなくっちゃね。それでこそやりがいがあるってものよ。」
 美奈子は腰の脇で握った左手の拳にぐいと力をいれた。

  

<続く>

3へ

スキピオさんのサイト:
下駄を履くまで

頂き物小説Index へ戻る