4人の86時間
スキピオ
<1>
それは、1本の電話から始まった。
「おっはよー。あら、まだまこちゃんだけ?」
「やあ、美奈子ちゃん早いじゃないか。」
「あっらー。いつものことじゃないのー。」
今日は金曜日。勤労感謝の日。朝7時前。雲一つない快晴。東京駅の丸の内口前の広場の日差しもそろそろまぶしさを伴ってくる時間。そのまぶしさに負けないぐらいの晴れやかな笑顔の美奈子がいやーねーと手を振りながら応える。
「ははは。勉強会でも一度そのせりふを聞きたかったな。」
「なによ。まこちゃんますます亜美ちゃん化してきたんじゃないの?」
美奈子に対するお決まりのつっこみを入れるまことに対して、美奈子は口はふくらませても、目は変わらずににこにこしていて明るくいう。
「早くレイちゃん亜美ちゃんこないかな。」
「待ち合わせまでは、まだ15分もあるよ。だいたい電車の時間が決まってるんだから、早く来たって早く着くわけじゃないよ。」
「あーっ、また亜美ちゃんみたいなこという。昔のまこちゃんなら、しちめんどくさいこと考えないないで、そうだね、待ち遠しいね、とか言ってくれたのに。亜美ちゃんとずぶずぶになってから、どんどん私のところから離れていっちゃうのねー。」
その「ずぶすぶ」ってなんだと苦笑しながら、しかしいったん美奈子のエンジンがかかると手に負えなくなることを身にしみて知っているまことは、話題をずらす。
「しかし、また今日は朝からえらい張り切りようだね。そんなに最初から飛ばしてたら4日間持たないよ。」
「なにをおっしゃるウサギさんよ。あったかい伊豆で、温泉付きのペンションで、テニス三昧で、はるかさんやみちるさんたちにも私の真の真価を見せられるとなれば、ここを張り切らずにいつ張り切るのよ。」
話は3週間前の夜10時まで遡る。
自室の勉強机に座った美奈子は両手を頭の上にのせ背もたれにもたれかかってため息をつく。
「あーあ。地球を救ったご褒美にせめて期末試験ぐらい勘弁して欲しいわ。」
机の上には、日本史の教科書と授業中に描かれたと思しきマンガ絵がそこかしこに点在するノートがおいてある。
「あのねー。美奈子はもう高校生なんだから。1学期の成績覚えているだろ。また、2学期も駄目だと挽回するのあと大変だよ。ギャラクシアとの戦いは確かに大変だったけど、3学期のことを考えたら、ここはため息ついてないでそろそろ期末試験の準備を始めないと・・下手すれば留年みえてきちゃうよ。」
美奈子のベットの上でアルテミスが言う。
「そうはいっても、気合い入らないのよねー。あれだけのことが短い間にあって・・。でも、もし留年しそうになったら、最後は亜美ちゃんとうさぎちゃんが頼りだわさ。」
「え?亜美ちゃんはわかるけどうさぎちゃんに何を教わるの?。」
「そうじゃないわ。まずは亜美ちゃんをまこちゃんから取り上げて私専属にするの。」
「それでうさぎちゃんは?」
「それでもあたしがだめならうさぎはもっとだめなはずだから、たとえ留年するにしろ一人じゃないってことよ。」
覇気のない声で、しかしそれなりに理路整然と合理的な説明をする美奈子に対してアルテミスはため息をつく。
確かにうさぎの勉強の方も事態は深刻で、最近では、レイにはもちろん亜美にまでもう少し自分からやる気をみせないと駄目だといわれて、ほとんど突き放されているのだ。
いまだに続いている勉強会に、戦いの後は亜美が自分の勉強の都合がつかないからといって欠席が目立っているのもうさぎと美奈子にとっては痛手であった。
るるる・・・。美奈子の机の上の子機が鳴った。けだるく音源を取り上げると態度どおりのなま返事をする。
「はーい。もしもし」
「やあ。子猫ちゃん?」
声を聞いて美奈子はびくっとして椅子に座り直す。
「は?あ、あの、もしかして、はるかさん・・・ですか?」
「おじゃまだったかな?」
「いっ、いえー。大歓迎ですー。」
意外な、しかしお気に入りの電話の主に対して、体に精気を急速充填した美奈子は、さっきより1オクターブ高い声で応える。
「実はおりいってちょっと頼みたいことがあるんだけどいいかな。」
「は、はいっ。何でも言ってくださいっ。で、でも、何ですか?」
美奈子は、はるかと話をするのは大好きであるが、直接電話をもらうのは初めてである。
こんな時間に電話をもらってうれしい反面、正直、ちょっと怖い気もする。
はるかの低くゆっくりとした甘い声が聞こえてくる。
「旅行のお誘いなんだけど。いいかな?」
「りょ、旅行ですか?でも、それって・・・」
意外な誘いに、美奈子も二の句が出てこない。
「今度の勤労感謝の日の週、たしか十番高校では4連休だろ?」
「は、はい。確かそうですけど・・」
暦の上では、勤労感謝の日と土日で3連休である。しかし、十番高校では、連休の次の日が開校記念日でそれをつなげてこの週は4連休なのだ。
「そこで、伊豆の下田で温泉とテニス三昧っていうのはどうだい?たしか美奈子はテニスは結構自信があるんだろ?一度お相手できればと思ってね。」
確かに、美奈子のテニスはイギリス仕込みで、自分でも自信はある。四連休も特にどうでもいいような予定しか入っていない。
しかし、はるかが自分を誘うなんていったいどういう風の吹き回しだろう。
いってみたいのは山々だが、みちるさんは知っているのだろうか。
それよりレイにはなんて言ったらいいんだろう。
まことたちにはなんて言ったらいいんだろう。
いろんなことがぐるぐる頭の中を回る。
「え、ええ。で、でも私でいいんですか?それに、あの・・、その・・、みちるさんは・・・?」
「やあ、もちろん一緒さ。せつなやほたるもね。」
冒頭の低い声とは打って変わってさらりという。
「それで、美奈子には、まことやレイたちを誘ってもらおうと思ってるんだけどどうだろう。」
美奈子は椅子からずり落ちた。
要は、こういうことであった。
ギャラクシアとの戦いも終わり、はるかたち一家も平穏を取り戻した。
あの戦いでは、内部戦士たちと外部戦士たちとで意思の疎通が十分であったとはとても言えなかった。
そこで、たまには、慰労も兼ねてみんなでゆっくり旅行でも行ったらどうだろうと、ほたるとせつなが提案して、予定もちょうど空いているはるかとみちるが、ただ観光するのも何だから、みんなで何かスポーツでもしたらどうだろうということで、意見がまとまったというのである。
場所は伊豆の下田のテニスコート付きのペンション風の宿泊施設。みちるが海王財閥の保養施設の1棟を貸し切りで確保した。
但し、貸し切りの分、宿泊期間中の炊事、掃除、風呂等のまかないはすべてセルフサービスである。
ずっこけてはみたものの、美奈子にとって悪い話ではなかった。というよりは、話を冷静に整理するとかなりわくわくする話であった。
まず、テニスは、大好きなだけでなく結構自信がある。
在英中は、現地の施設が充実しているせいもあって毎日のようにやっていた。
日本の中学に入って、バレーを始めるかテニスを続けるか迷って、結局バレーを始めたものの、テニスもやめたわけではなく、たまに近所のテニスクラブでやっていて腕は落ちていないと自覚している。
他のメンバーはと言えば、亜美、レイ、まこととは以前中3の時、十番中学のコートでみんなでやったことがある。その時の見たてでは、亜美、レイはそれなりにできるが自分の方が明らかに上である。
また、本来この手の話であればヒーロー候補一番手のまことは、幸いにしてテニスに関してはずぶの素人である。
外部戦士の方に目をやれば、もう一人のヒーロー候補のはるか本人はレースで遠征中のスタッフと始めたのがテニスとのなれそめだという。
みちるもキャリアは長いがそれほど熱心にやっていた経験はないというし、せつなは就職先の学校で、他の先生と始めたということであれば腕は知れている。
中学1年生のほたるに遅れをとるとは思われない。
ということで、うまくいけば、というより、普通にいけば、旅行中は、これだけの多芸多才の面々を押さえて自分がヒーローになれる見込みが大である。
しかも、戦士たちの休息会となればこの期間勉強ともおさらばできる。
宿泊費用も食材代の実費だけでいいという。
炊事がセルフサービスといっても、これはまことが一人いれば万全である。
「なんか、すっごくいいお話だと思いますー。せっかくのお話ですから絶対みんなを集めてみせますわ。」
椅子に座り直して、美奈子は力強く応える。
「そうか、ありがとう。さすがは、内部四戦士のリーダーだな。美奈子に頼んで正解だったよ。」
はるか一流の歯の浮くようなせりふが美奈子の士気を更に盛り上げる。
「はい、もー絶対大丈夫ですから。泥船に乗った気でいて下さいーっ。」
「ははは、相変わらずかわいいねー。まあ僕は大船の方に乗らせてもらうとするよ。あ、そうそう、僕らはほたるの学校の関係で、一日早く帰るけど。皆さんは4日間ご自由にどうぞ。じゃあ頼んだよ。」
「あ、レイちゃんたち来たよっ」
亜美とレイが一緒にやってきた。
「おっはよー。遅かったじゃないの。」にこにこの美奈子が言う
「おまたせ。でも、まだ待ち合わせ5分前よ。美奈子ちゃん今日は早いのね。」
「ほーんと。お勉強会でも一度そのせりふ聞きたかったわー。」
亜美、レイのお決まりの突っ込みにも今日の美奈子は笑顔で受け流す。
「まあまあ、今回はお勉強のお話はなしなしっ。さあ、ホームに行きましょ。」
旅行カバンとテニスラケットを抱えた4人組は、東京駅の駅舎の中に吸い込まれて行った。
<続く>
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