ヨウコ --- 正義と秩序の神・ファリスに仕える神官戦士

  

『---貪欲は、万人の心に巣食いし心の闇。
 欲に従い日を過ごし、欲のおもむくままを行うは、人を解き放つ業にあらず。
 欲に従い日を過ごし、欲のおもむくままを行う者は、欲に囚われ、欲に溺れ、
 大海を飲み干すとも、乾く喉を潤されること無きまま欲に滅する運命なり』

 高い天井を持つ石造りの建物のひんやりとした空間に、整然と並んだ長椅子。
 天窓から射し込む陽の光が、祭壇に掲げられた聖なる紋章を幻想的に照らし出す。

『秩序に従い日を過ごし、理性の命じるところを行うは、人を縛る業にあらず。
 秩序は欲を制し、理性は欲を圧する。欲の妄執より人を解き放ち、
 一滴の水で満たされるを知る術なり』

 厳かな雰囲気に満ちたファリス神殿の礼拝堂に、凛とした声が響き渡る。
 潤いと張りのある、落ち着いた声。

『------汝、心と意志もて貪欲を制すべし』

 並んだ椅子の最前列で頭を垂れ、一心に祈りを捧げる女性が一人。
 そしてその傍らに立ち、白い神官衣に身を包み、聖典を吟じる女性が一人。

『真理の兜を戴き、正義の鎧を纏い、信仰の盾を取り、
 誠実の小手を着け、従順の足袋を履き、神の言葉を護符とするならば、
 汝が心は破邪の刃となりて汝自身を助くるであろう』

 背筋を真っ直ぐに伸ばし力強く言葉を紡ぐその神官は、まだ歳若く、祈りを捧げる女性とは母娘ほども歳が違おうというほどだが、聖職者として信者の尊敬を集めるには十分な貫禄を備えているように思われた。
「・・・今日は、ここまでに致しましょうか」
 うら若き神官は、静かに聖典を閉じると、それまでよりも随分柔らかな声音でそう言った。
 整った、知的な顔立ちに微笑みが浮かぶ。黒曜石の瞳が白い肌に、肩でふっつりと揃えられた黒髪が詰襟の白い神官衣に、よく映えた。
 祈りを捧げていた婦人は、ゆっくりと手を解き面をあげると、はい、と静かに答えて頷いた。
「ヨウコさま。今日は、本当にありがとうございました。こんなにゆっくりお話を聞いて戴いて」
 すっかりお時間を取らせてしまって、と恐縮する婦人に、ヨウコはいいえ、と静かに首を振った。
「神官として当然の務めですし、それを務めることは、私の喜びでもあるのですから」
 そう言って微笑みながら、婦人に手を差し伸べるヨウコ。
「よい方向に事が運びますように。ファリス様のご加護があらんことを」
 婦人はその手を取って立ち上がると、深々と頭を下げて礼拝堂を後にした。

 と、開け放たれた扉の向こうに消えてゆく背中を見送ったヨウコの視線が、柱にもたれて佇む人影を捉える。順番を待つ信者かと思い、どうぞ、と声を掛けようとしたところでヨウコは思いとどまった。
「・・・セイ?」
 呼びかけると、人影は軽く手を挙げて応え、礼拝堂の中へと歩み入った。ヨウコは静かな微笑みを湛え、高い天井に響く靴音に耳を傾ける。屋外の強い光を背景にシルエットでしか判らなかった人影が、近づくにつれてその姿をはっきりと現しはじめた。カーキ色の上衣に、革製の胸当てと肩当て、腰には小剣。街の衛視の制服である。
「ごきげんよう、セイ」
 ヨウコは、目の前まで来た相手に、もう一度名を呼んで挨拶の言葉を掛けた。
「よ。随分長いこと話してたじゃない?」
 そう言って薄い笑みを浮かべる衛視は、随分彫りの深い、整った顔立ちをしていた。長身に、亜麻色の短い髪。全てが中性的な雰囲気の持ち主だが、声は明らかに女性のそれである。挨拶に応えて軽く挙げた手のフォルムも、男性にしては華奢だ。女の衛視というのは、かなり珍しい。恐らく、ドワーフの魔術師と同じくらい珍しい。
「あら。もしかして、ずっと待ってたの?」
 ヨウコはくすりと笑った。
「そんなに暇なの、衛視って」
「ま、いいじゃない。街が平和な証拠だよ」
 別段気を悪くする風でもなく、セイはヨウコの言葉をさらりと聞き流した。
「それで。私に相談事? それとも日頃の行いを懺悔しに来たの?」
 式机の引き出しに聖典を収めながら、ヨウコが問う。
「いや? たまには、ヨウコに剣の相手でもして貰おうかと思って」
「・・・あのねぇ」
 セイの答えに、ヨウコは呆れたように溜息をついた。
「ここは神殿なの。剣の稽古場じゃないのよ? だいたい、衛視の訓練場がちゃんとあるでしょう」
「あそこは、どうも性に合わなくてね」
「そういう問題じゃないでしょ」
 ヨウコは再び、盛大に溜息をつく。こんなに協調性や規範意識の希薄な人間がどうして衛視などやっているのか、彼女はつくづく不思議でならなかった。
「とにかく、あなた衛視なんだから、衛視の訓練場で稽古なさい。それが筋っていうものでしょう」
「訓練場ならそこにあるじゃん」
 セイは、立てた親指を礼拝堂の横の開け放たれた扉へと向けた。
「どうしてもここで稽古したいなら、今すぐファリスの信者になることね。この先の人生誠心誠意ファリス様に尽くします、って誓うなら、私も喜んで相手してあげるわ」
 ヨウコはぴしゃりと言った。勿論、セイにその気がないことは百も承知したうえで。
「それは勘弁。どうせなら、もう一寸嬉しい御利益のありそうな神様がいい」
「・・・随分失礼なこと言うわね。仮にもファリスの神官に向かって」
 さすがにここまで酷い返事が返ってくるとは予想外で、ヨウコは思わずセイを睨め付けた。
「・・・どうしても駄目?」
「駄目」
「ちぇ」
「ちぇ、じゃないわよ」
「・・・仕方ないね。んじゃ、また来るわ」
 セイは大仰に肩をすくめ、ヨウコの背中の何故か真ん中辺りを軽く叩くと、その手をひらひらと振って挨拶した。
「また、って。あなた、ちゃんと衛視の訓練------!」
 言いかけて、ヨウコは不意に表情を引きつらせた。
 なにやら胸を押さえ、心地悪そうに背中を手で探ったり肩を捻ったりと急に落ち着きをなくした彼女を、セイはただにやにやと笑みを浮かべて眺めている。
「ちょっ------やだ、もう・・・・・・何するのよ!」
 ヨウコは頬を赤らめ、苛立たしげな声を上げてじろりとセイを睨むと、そそくさと奧の扉の向こうへ姿を消した。

 待つこと二分。
  ばたん!
 再び、勢いよく扉が開く。
「-----セイ! あなたって人は・・・」
 憤怒の形相で、ヨウコが立っていた。
 形のよい眉は逆立ち、瞳に宿る光はいっそう強さを増し、唇は怒りにわなわなと震えている。更にこめかみがぴくぴく痙攣しているというおまけ付き。もしも怒りのオーラが目に見えるものならば、今のヨウコの後ろにはきっと紅蓮の炎が見えただろう。その姿は、先刻まで信者の話に熱心に耳を傾けていた優しい神官と同じ人物だとは思えない。
「そこに直りなさい!」
 彼女は手にした木剣の切っ先を、びしっ! とセイに向けて叫んだ。
「今日という今日は、その根性、徹底的に叩き直してあげるわ!」
「おお怖い。そんなにカリカリしちゃ、折角の美貌が台無しです。シスター・ヨウコ」
「誰のせいよ!」
 ヨウコはセイに向かって突進した。
 セイは礼拝堂の長椅子の間をすり抜けるように走り、中庭を目指す。
 中庭といっても、美しい庭園があるわけではない。四方をぐるりと建物に囲まれて陽があまり射し込まないその場所は、神官たちの武術修練場になっている。今も、革の防具を身につけた神官達が数人、訓練用の木剣や木槍を手に、威勢のいい声を上げながら打ち合い稽古をしていた。
 その中へ、二人は勢いよく飛び出す。
「お待ちなさいっ!」
 セイの背中に追いついたヨウコが、木剣を振り下ろす。
  ひゅん!
 セイは身体を捻ってそれをかわし、微妙な距離を保ったままヨウコに向かい合った。
「〜っ! 今日こそ絶対思い知らせてあげるわ!」
 ヨウコの息が少し荒いのは、激しい憤怒の所為だろう。彼女はこの位の運動で息が上がるようなヤワな鍛錬はしていない筈である。
「今日は遠慮しとく」
「遠慮はいらないわ!」
 叫んで、ヨウコが鋭く踏み込んだ。
  ひゅっ!
 返す刀が横に薙ぐ。
  ひゅんっ!
  ぶんっ!
  ひゅんっ!
 得物は木剣だが、それでも空気が切り裂かれるような音をたてる。
 続けざまに繰り出される斬撃を、セイは巧みな足捌きでかわした。つかず離れずの距離で、頬にかかる剣圧が皮膚を裂くような錯覚を覚える。
 いつの間にか周りの神官達も稽古の手を止め、二人の壮絶なじゃれ合いに見入っていた。
 ヨウコの動きが止まった。
 半身に構え、摺り足でじりじりと間合いを詰める。
 セイは幻惑するように上体をゆらゆらと揺らしながら、慎重に間合いを保つ。
 再びヨウコが仕掛けた。
  しゅっ!
 横一文字。
  ひゅんっ!
 縦一文字。
  ひゅっ!
 間髪入れず、下から上に振り上げるような一撃。
「うわっ!」
 セイの鼻先を木剣の切っ先が掠め、前髪を跳ね上げた。
 たまらず大きく仰け反ってバランスを崩すが、飛び退りながら地面を蹴って足を振り上げ、手を地についてくるりと一回転して何とかしのぐ。
 わっ、と、周囲の神官達から歓声が上がる。
「はっ!」
  ばっ!
 構えた瞬間、息をつく間もなく、ヨウコの気合いとともに木剣の切っ先が真っ直ぐに向かって来た。
「どわぁっ!?」
 鋭い突きを、セイは咄嗟に横跳びでかわした。とんぼを切る余裕もなく、受け身を取って地面を転がる。
「〜っ、ヨウコ! 死ぬ! いくら木剣でも今のは当たったら死ぬって!」
「大丈夫よ。木剣の訓練で死者がでたことは、まだ無いもの」
「私が第一号になったらどうすんの!」
「・・・それはそれで。天でファリス様に直々に根性叩き直して貰いなさい?」
 うふふ、と笑うヨウコの、目はちっとも笑っていない。
 ここに来て、さすがにセイの背中にも寒い物が走る。
  ちゃきっ
 ヨウコが剣を構え直した。
「覇っ!」
 気合い一喝、刃が一閃。
  びゅんっ!
 セイはしなやかな動きで、大きく跳び退ってそれをかわすと。
 ヨウコに向かって勢いをつけ、地面を蹴り。 
  たんっ!
 高々と跳んだ。その長身からは意外なほどに、軽やかに。
 そしてヨウコの頭上でくるりと身体を丸め。
 彼女の肩にとん、と手をつく。
 おおおお、と、溜息にも似たどよめきが見物人の間で起きる。
 そして、押されて二、三歩たたらを踏んだヨウコの真後ろに降り立つと。
 脱兎の如く駈けだした。
「んじゃっ、私はパトロールがあるからっ。失礼!」
 そして、元来た礼拝堂の入り口で振り返り、そう叫ぶと、あっという間に姿を消してしまった。
「んじゃっ、て! セイっ! 待ちなさいっっ!」
 肩で息をしながら叫ぶヨウコの声は、受け取る者もなく虚空に響いて消えた。
 固唾を呑んで見守っていた神官達が、一斉に拍手を送る。
 ヨウコははっと我に返った。
「うむ。いつもながら見事な模擬戦だ」
 見物の神官たちの中から、一人の男が歩み出る。がっちりとした逞しい体の持ち主で、ロマンス・グレーの髪と年輪を刻んだ顔に相応の風格が漂う。彼女と同じ神官衣姿だが、体格も年齢も二回り以上違う人間が着るとまるで別物である。
「・・・司祭さま・・・」
 模擬戦のつもりではなかったのですが、という言葉を、ヨウコはぐっと飲み込んだ。
「ヨウコ君ほどの使い手が一太刀も浴びせられないとは。あの衛視殿の腕前、実に見事だ」
 司祭は感服したようにうんうんと頷きながら言った。
 ------褒められたものなのは腕前だけですけど。
 再びヨウコはぐっと言葉を飲み込む。
「どうだろう、我らが神官戦士団にスカウトしてみては」
「! そ、それだけはおよしになった方が・・・お願いします」
 次の言葉は流石に飲み込むことができず、ヨウコは心から哀願した。

 シスター・ヨウコは苦労性。

−−−了


  

本SSのゲーム処理的セルフツッコミ(笑)

☆ブラのホック外し(難易度4、目標値11)

 着衣の上から片手で触ってホックを外すセクハラ悪戯です。シーフ技能がある場合は、シーフ技能レベル+器用度ボーナスを基準値に、6面のサイコロ2個---以後2D6と表記---で判定します。(技能がない場合は2D6のみで判定)セイの場合、(シーフ技能4)+(器用度ボーナス3)=7が基準値ですので、サイコロ二つ振って4以上が出れば成功です。
 ・・・ちなみに、完全にすり取ろうとするなら(やめなさい)、難易度はさらに上がります。相手の着衣にもよりますが、ヨウコの場合、詰め襟で合わせの深い長袖の神官衣なので、難易度は12、目標値19と設定してみました。これは、ヨウコが全く警戒していない場合の数値で、警戒している場合は目標値はあと1つ2つ上がるかもしれません。いくらセイでも6ゾロを出さない限り成功は望めないわけですが、それは36回に1回の確率で成功する計算だ、ともいえます。もっとも、そんなことをしていたら恐らく成功する前にヨウコに成敗されるでしょう(笑)
 かつて、花のお江戸の凄腕スリは、すれ違いざまに道行く人の下着すらすり取ることができた、という話(どこで聞いたんだ、深森)から考えてみました(笑)

☆戦闘・ヨウコvsセイ

 戦闘には、ヨウコはファイター技能、セイはシーフ技能を用います。
 ヨウコの攻撃が当たるかどうかは、ヨウコの(ファイター技能3)+(器用度ボーナス3)=6に2D6を加えた数値を用います。これが、セイの回避力を上回っていればヨウコの攻撃は当たったことになります。セイの回避力は、(シーフ技能4)+(敏捷度ボーナス3)+(自分からは攻撃せず回避に専念するボーナス2)=9に2D6を加えた数値になります。条件的には、ヨウコがかなり不利です。
 小説内ではやっていませんでしたが、更にセイがムキになるヨウコに挑発を試みる場合は、(シーフ技能4)+(器用度ボーナス3)+(部位狙い(頭)ペナルティ−4)=3に2D6を加えて判定します。目標値は、ヨウコの回避力(ファイター3)+(敏捷度ボーナス2)+(「強打」ペナルティ−4)=1に2D6を加えたもの。成功すれば、耳に唇を寄せてふっ、と息を吹きかけたことになります(笑)これで火に油を注ぐこと間違いなし。ただし、これを試みた場合、回避専念による回避力ボーナス2が無くなり、ヨウコの攻撃が当たる危険が増すことになりますので注意。

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