レイ --- 『山百合亭』のシェフ兼用心棒

  

 宿屋兼酒場『山百合亭』。
 大通りから一本外れた、比較的静かな通りにあるこの店は、荒くれ者の集まる盛り場とは趣を異にする。テーブルを占めているのは、身なりのしっかりした商人風の男性や家族連れ、若い女性、男女のカップル、といった人々。安く腹一杯飯を食いたい、安酒を浴びるほど呑みたい、仲間とどんちゃん騒ぎをしたい、ウェイトレスの尻をお触りしたい、といった要求を持つ人々は寄りつかない類の店である。
 ------普通は。

「おい!姉ちゃん!酒持ってこいっつってんだろ!」
 アルコールで焼けた喉から絞り出すような嗄れ声で、客の一人が叫んだ。見るからに硬そうな黒髪と無精髭に埋もれた顔の中から、ぎょろりとした目が睨む。
「あ、は、はい!ただいまー!」
 応えて小走りでジョッキを運ぶのは、ユミ。トレードマークは栗色のツインテール、チャームポイントは愛くるしいタヌキ顔という、『山百合亭』の看板娘その一。
「遅ぇんだよ。ったく、サービス悪いなこの店ぁ!」
 ちっ、と舌打ちをして、連れの客が語気を荒げた。髭こそ生やしていないが、尖った顎と鼻に、爬虫類を思わせる目つきの、陰険そうな男だ。
「す、すみませんっ」
 ユミは小さくなって頭をぴょこんと下げた。
「あんだぁ? 鳩のなんたらかんたらって、これっぽっちしかねぇのかよ!」
 前に置かれた皿を見て、爬虫類男が言う。
「あ、えっと、山鳩のハーブグリル、です」
 盆を胸に抱いて、とぼけた答えを返すのは、看板娘その二、ショウコ。軽くウェーブのかかったハニーブラウンの髪を肩で切り揃えている。まだあどけなさが残る端正な顔立ちは、美しいというよりは可愛いという形容詞が似合う。
「んなこたぁ誰も聞いてねーよ!」
 爬虫類男は大きな掌でばん!とテーブルを叩いた。ショウコの肩がびくっ、と跳ねる
「高っけぇ代金吹っ掛けといて、たったこんだけしか肉がねぇたぁどういうこった、って聞いてんだよ! こういうのを世間じゃぼったくり、っつぅんだろ!」
「は、はぁ・・・」
 悪態をつきながら、男は鳩にかぶりつき、大トカゲのような仕草でその肉を引きちぎった。
「うぉっ。不味っ! こんな不味いもん食わせて金とろうっつぅのか、この店ぁ」
 連れの髭男も、自分の鳩肉にかぶりついた。
「おお、本当だ。すげぇ不味いぜ」
 くちゃくちゃと音を立てて噛みながら、尻馬に乗る。
「こんなもんに、俺らが汗水たらして稼いだ金は払えねぇよなぁ」
 汗水たらして働く、という言葉が最も不似合いな容貌の男達は、聞こえよがしにそう言った。
「まあ、そこは、ほれ・・・おい、姉ちゃん!」
 髭男が、こっちへ来いと招く。腕は丸太のように太く、指は木の根のようにごつごつと節くれ立ち、それらのことごとくが剛毛で覆われている。
 ユミとショウコは、どちらが行くかで二言三言もめていたが、結局ユミが渋々応じることになった。
「えっと、何でしょう・・・ぎゃっ!」
 迂闊に近づいたユミの腕を、毛むくじゃらの手が掴んで引き寄せた。
「俺らに不味いもん食わせた分は、この姉ちゃんたちにサービスしてもらおうや!」
 髭男はユミを膝の上に座らせて、がっちりと腰を抱き締めた。
「おおおおお客様っ、とと当店ではそのようなサービスは行っておりませんですのことで・・・ひゃっ!」
 頬にちくちくと髭が当たる感触がして、ユミの声が裏返る。
 居合わせた他の客達は、事の成り行きが気になりながらも、とばっちりが来ないよう、無法者達と目を合わせないようにじっと息を殺していた。
「お前も来いや」
 爬虫類男に手招きをされて、ショウコは怯えた表情でじりじりと後ずさった。
「来い、っつってんだろ。あぁ? 客の言うことが聞けねーのかよ!」
 男は眉間に皺を寄せ、椅子を蹴飛ばすように立ち上がって、ショウコの方へと歩み寄る。
 と、ショウコと男の間に、割って入る人影が一つ。男の、爬虫類のような顔と、真っ向から対峙する。
「・・・あぁ? 何だ、お前」
 厨房から出てきた、この店の雇われ店長兼シェフ兼用心棒、レイ。長身のすらりとした体躯に、亜麻色の髪、涼しげに整った顔立ち。美青年風の容貌の持ち主だが、歴とした女性である。
「レイさま!」
 思わずレイの背中に取り縋るショウコに、レイは下がっていろ、と手で合図をする。
「------お客様」
 レイが口を開いた。凛とした、張りのあるアルト。
「料理がお口に合わなかったそうですが」
「おうよ。あんな不味い物客に食わせるたぁ、ふざけた店だぜ」
「そうですか。大変申し訳ありませんでした。他の料理とお取り替えしますので、食べ残されたものをお返し下さい・・・おや」
 レイはテーブルの上の皿をちらりと見て、
「おかしいですね。不味いと仰る割には、綺麗に召し上がっていらっしゃる」
 わざとらしく、少し驚いて見せたかと思うと、
「不味かった、というのは、ただの言いがかりじゃありませんか?」
 きりりと表情を引き締め、男を見据えてそう言った。
「何だと?」
「------代金を払って、お引き取りください。他のお客様に迷惑です」
「うるせぇ!」
 男はレイの胸倉を掴み、カウンターに向かって突き飛ばした。
 椅子ががたがたと倒れ、レイはしたたかに背中を打ちつけた。
「レイさま!」
「かーっ、面白くねぇ! おい女!ありったけの酒出しやがれ! ・・・んぐ」
 怒鳴りちらしながらくるりと背中を向けた男は、いつのまにか立ち上がったレイに襟首を掴まれた。
「言っておきますが」
 顔を近づけ、先刻と変わらない静かな口調で、レイ。
「先に手を出したのは、あなたですからね」
 襟首を掴む手を放した、次の瞬間。
「なん・・・んがっ!」
 振り向こうとした男の顎を、掌底で思い切り叩き上げた。
 間髪入れず、体を捻り、たたらを踏む相手に向かって大きく踏み込む勢いで、鳩尾に肘を叩き込む。
 更にとどめの一蹴りで、男の体は店の戸口から表の通りに弾き飛ばされた。
「お客さんのお帰りだよ。ショウコちゃん、テーブル片付けて」
 息一つ乱すことなくそう言って、レイはつかつかとテーブルの髭男の元に向かう。
「・・・え、あ。は、はいっ」
 呆気に取られていたショウコは、慌ててレイの後に続いた。
「------お客様。当店のウエイトレスはそのようなサービスはいたしておりません。他の仕事に差し支えますので、手をお放しください」
 レイは髭男の傍らに立つと、慇懃な言葉で、淡々と告げた。ユミは今にも泣き出しそうな顔で、それでもなんとか耐えている。
「あぁ?何だ、お前は」
 髭男は顔をしかめて、ぎろりとレイを睨み上げた。
「一応、この店を預かっている者ですが」
 レイは動じない。
「はん」
 髭男は鼻で笑って、
「そうか。俺はお客様だ。お客様は神様だろ?」
 にやりと開いた分厚い唇の間から、乱杭歯を見せた。
 レイは小さく溜息をつくと、
「ユミちゃん。ちょっと歯を食いしばってて」
「え、え?」
 そう言って、髭男の座っている椅子の背もたれに手を掛け。
 そして、椅子の脚を払いながら、ぐい、と背もたれを思い切り後ろに引き倒した。
「のわっっ!」
  どがちゃーーん!
 派手な音をたてて椅子はひっくり返り、男はしたたかに後頭部を床に打ちつけた。テーブルの上の物もことごとく床にぶちまけられて、見るも無惨な状態である。
「ぐぶっ!」
 ついでに、膝に抱いていたユミの後頭部が男の顔面にヒットした。
「おっと失礼。ちょっと手元が狂いました。・・・ユミちゃん、大丈夫?」
 レイは涼しい顔でそう言って、ユミに手を差し伸べる。
「レイさま〜〜〜っ」
 ユミは半泣きで、縋るようにレイの手を取った。ひっくり返されて頭を打ったことよりも、解放された喜びの方が大きいようだ。
「さ、お帰りはこちらですよ。代金はテーブルの上に置いてってください」
「ごっ・・・ごの野郎! おどぅるあ!」
 髭男はむくりと起きあがると、意味不明の、文字通り獣のような咆吼をあげて、すたすたと戸口の方へ歩くレイの背後に突進した。
「レイさま!」
 振り下ろされる拳を、レイは最小限の動きでかわすと、当て身で男の突進の勢いを戸口の方へ向けさせる。
  ごっ!
「がっ!」
 少し角度が足りなかったか、髭男は戸口の柱に激突し、敷居の上に崩れ落ちた。
「ああ、本当に手元が狂った。失礼。・・・ついでに言うと、野郎じゃないから」
 突然、大の男二人が店の中から転がり出てきて地面に這いつくばったのだから、前の通りはあっという間に黒山の人だかりである。
「かっ・・・こ、んの野郎!ぶっ殺してやる!」
 先に転がっていた爬虫類顔の男がむくりと起きあがり、腰に帯びていた小剣に手をかけた。
「だから、野郎じゃないんだけどな・・・しょうがない。ユミちゃん、麺棒とフライパン取って」
 溜息とともに髪をかきあげて、レイ。
「へ・・・ほぇ?」
「早く」
「あ、は、はい!」
 ユミは一瞬ぽかんとした顔をしていたが、すぐに弾かれたように厨房へ飛んでいき、持ってきた麺棒とフライパンをレイに手渡した。
「さんきゅ」
 レイは店の表に出ると、麺棒を右手に、フライパンを左手に握り締め、応戦する構えを見せた。
 野次馬がわっと沸いた。
「いいぞー! 兄ちゃん!」
「よっ、兄ちゃん! それでやる気か!」
「面白ぇ、やれやれー!」
「に、兄ちゃんって・・・」
 がっくりと肩を落とすレイ。
「なっ・・・ななななめた真似ェしやがって!」
 爬虫類男はわなわなと怒りに震え、顔を真っ赤にしながら小剣を抜いた。
「絶対許さねぇ! そのスカしたツラぁ切り刻んでやる!」
 男が仕掛けた。勢いよく踏み込み、上段から振り下ろす。
 麺棒もフライパンも使うまでもなく、レイは体捌きでそれをかわした。
 返す刀も、軽い足捌きで。
「どぅおりゃあぁぁぁ!」
 いつの間に起きあがったのか、髭男の方がレイに掴みかかろうと突っ込んでくる。
「おっと」
「でぇい!」
 巧みなステップで突進をかわしたところに、爬虫類男の剣。
  ぎんっ!
 胸元で、フライパンが剣の一撃を受け止める。
「おおっ、あの兄ちゃんなかなかやるぞ!」
「いいぞー! やれやれー!」
「レイさまー! 頑張ってー!」
 ウェイトレス二人が、野次馬に混じって黄色い声援を送る。店内にいた客も見物モードで、もう商売どころではない。
「くっそー! どこまでも人をおちょくりやがって!」
  ぎっ!
 振り下ろされた剣を、交差した麺棒とフライパンで受ける。力比べでも、レイは一歩も退かない。
「んだらぁっ!」
 意味不明な叫び声を上げて、髭男が拳を振り上げる。
 レイは崖を駆け上がる鹿のような身のこなしで、ひょいと後ろへ跳び退った。
「のわっ!」
 バランスを崩し、前のめりに倒れ込んだ爬虫類男と、突っ込んできた髭男が交錯する。
 群衆から、笑い声混じりの歓声が上がった。
「こんのぉ、ちょこまか逃げやがって!」
 先に立ち上がったのは、髭男の方だった。狩人に襲いかかる手負いの熊のように、両手を前に掲げて掴みかかろうと息巻く。レイよりも頭一つ以上大きな相手は、体中に筋肉の鎧を纏っているようで、少々殴ったところで対して効きそうもない。が------
「うぉぉぉ!」
 どんなに鍛えても、強くならない部分はあるものだ。
 例えば、耳朶。
  ごっ!
 下から上へと、麺棒を鋭く振り抜く。真剣なら、耳朶が落ちている。
「づっ!」
 髭男が一瞬怯んだ、その隙に、レイは懐に飛び込んだ。
「はぁっ!」
 突き上げる渾身の一撃が、喉元に食い込む。
「!」
 巨体が一瞬仰け反り、そして、地面に崩れ落ちた。
「がっ・・・・くはっ、げほっ・・・」
 喉を押さえ、苦しげに、文字通りのたうち回る髭男。
 おおおおお、と地鳴りのように野次馬が沸いた。
「んの野郎ぉぉぉ!」
 続いて、爬虫類男が小剣を振りかざす。
  ぎんっ!
 上段から振り下ろされた刃が、フライパンの底に激しくぶつかり、鋭い音を立てた。
  ぎんっ!
  ぎんっ!
 立て続けに繰り出される斬撃のことごとくが、フライパンに阻まれる。
「いいぞー!」
「やれやれ、やっちまえー!」
「どうしたー! その剣はオモチャかー!」
 野次馬のボルテージも最高潮に達し。
  ぎんっ!
 数度激しくぶつかり合ったところで、レイが動いた。
 突いてくる相手の剣を、僅かの動きでかわし、
「はっ!」
 横薙ぎに、鋭く振り抜く一撃が、男の横面を殴打する。
 そして、追い打ちをかけるように、後頭部に振り下ろす一撃。
 声も上げず、男はのびてしまった。
 群衆がわっと歓声を上げた。
「レイさまー! かっこいー!」
「やるなぁ、兄ちゃん!」
「かっけー!」
「すげぇな、何者だ、あの兄ちゃん!」
「・・・兄ちゃん兄ちゃんって・・・」
 レイはがっくりとうなだれた。もしかしたら、これが今日受けた最大のダメージかもしれない。
「ほーい、どいてどいてー」
 と、そこへ、人垣をかき分けて、馴染みの顔が現れた。
 衛視のセイである。
「ありゃ。なぁんだ、もう終わっちゃったの?」
「ああ、セイ様、ごきげんよう・・・って、そんな、残念そうに言わないでください」
 レイは困ったような顔で言った。
「や。山百合亭の前で喧嘩だっていうから飛んできたんだけどさ。しかしレイが当事者だとはね」
「すみません」
 肩をすくめるセイに、レイは姿勢を正して小さく頭を下げた。
「ま、いいけど。で、喧嘩の原因は?」
「ええと、まあ、営業妨害というか・・・」
「はーい! はい! この人たち、言いがかりつけて食い逃げしようとしてたんです!」
 口ごもるレイの後ろから、看板娘その二・ショウコが元気よく躍り出た。
「はーい! はい! ついでにセクハラもされました!」
 看板娘その一・ユミが続いて躍り出る。
「なにっ! ユミちゃんにセクハラとは。そりゃ、万死に値するね。即刻逮捕だ逮捕」
「・・・その台詞を貴女が言いますか、セイ様・・・」
 ユミの小声のツッコミはさらりと聞き流し、セイは地面に転がるならず者達に縄を打ち始めた。
「あの、セイ様・・・私は」
 その背中に向かって、レイがおずおずと声をかけた。
「ん? 何?」
「私は、どうなるんでしょうか」
「どうなる、って?」
 振り向いたセイは、何のことかわからない、という風に首をかしげ。
「あとは私がやっとくから、レイは店に戻っていいよ」
 再びならず者達を縛る作業に戻った。
「喧嘩両成敗ではないのですか?」
「や、どうしても成敗されたいっていうなら、やぶさかではないけどね・・・喧嘩両成敗、っていうのは、どっちもどっちな時に言うことであって。どっちが悪いか誰の目にも明らかな場合には成立しないと思うんだな・・・お。財布発見」
 セイは爬虫類男の腰巾着を取り上げると、しゅるりと紐を解いて中身を確かめた。
「なんだ。食い逃げなんかしようとする割には、結構金持ってんじゃん? ・・・レイ、こいつら、幾らぐらい飲み食いしたの?」
「え?」
「はーい! 二人合わせてエール7杯、料理2皿で、占めて15ガメルになりまーす!」
 呆気にとられるレイの後ろから、看板娘その二・ショウコが元気よく躍り出た。
「はーい! ついでに乱闘騒ぎでお皿とかジョッキとかだいぶん壊れました!」
 看板娘その一・ユミが続いて躍り出る。
「ひい、ふぅ、みぃ・・・んん、いいや。全部貰っときな」
 セイは巾着の中身を数えていたが、途中で面倒になったのか、袋ごとぽいっ、とレイに投げ渡した。
「え、ええっ!?」
 レイは困惑顔で財布をキャッチしつつ、何か言いたげにもごもごと口ごもっていたが、
「はーい! ありがとうございます!」
「セイ様も、また来てくださいね!」
 ウェイトレス達がそう言ってしまったので、今更受け取れないとは言えないレイであった。

 砕けた食器、こぼれたエールで濡れた床。店の中には、ならず者たちの狼藉の痕が残っており、フロアはなんともいえない雰囲気に包まれていた。楽しい食事を邪魔されたという腹立たしさ半分、ならず者が叩きのめされる様を見てすっとした、という気持ち半分。そんな客達の視線が、店に戻ったレイに一斉に注がれる。
「えー。------みなさん」
 レイは声を張り上げた。よく通る、張りのある声だ。
「今日は、大変失礼いたしました。お詫びと言っては何ですが、ワインかエールのどちらか一杯、サービスさせていただきます。お好みのものを、ウエイトレスにお申し付けください。
 レイが微笑むと、張り詰めていた空気がふいと緩み、誰からともなく拍手が湧き起こった。
「今後とも、『山百合亭』をどうぞご贔屓に」

 この一件以来、『山百合亭』は女性客がやたらと増えたとかいう話である。

−−−了

マリみてRPGへ戻る  薔薇の館1F倉庫へ戻る