エリコ --- 魔術師にして賢者

  

「『ぐぇ。ぐわがぎゃごぅーぉぅ』」
「『ぐえ。ぐわがぎゃごーう』」
 『山百合亭』の入り口をくぐったヨウコは、思わず足を止めた。昼餉時にはまだ早く、客の姿のまばらな店内に、明らかに人語とは異なる音を発するテーブルがある。彼女は眉を顰めつつ、店の奥を覗き込んだ。
「んー、語尾がちょっと違うわね。『ぐぇ。ぐわぎゃごぅーぉぅ』」
 音を発しているのはエリコ。ヨウコの友人で、魔術師にして賢者である。ちゃんとした人語も時々聞こえてくるから、おそらく本物のエリコであろう。
「『ぐえ。ぐわがぎゃごーう』」
 そして、その真似をして珍妙な音を発しているのはユミ。この『山百合亭』の看板娘である。エリコの斜め向かいの席に、手習いを始めたばかりの生徒よろしくぴんと背筋を伸ばして座り、懸命にエリコの発する妙な音を再現しようと奮闘していた。
「『ぐわがぎゃごぅーぉぅ』」
「『・・・ぐわがぎゃごーぉぅ・・・?』」
「ごきげんよう、エリコ、ユミちゃん・・・何してるのよ」
 ヨウコはテーブルへと近づき、二人に声を掛けた。
「ヨウコさまっ! いらっしゃいませっ!」
 ユミの表情がぱっと明るくなった。
 その目が、『助けてください』と訴えている。
「何って。見ればわかるでしょう。ユミちゃんにリザードマン語教えてるの」
「・・・・・・。 わからないわよ、そんなの・・・・・・」
 ヨウコは溜息をつきつつ、エリコの向かいの席に腰を下ろした。
「・・・で。エリコ、どうしてリザードマン語なんか知ってるわけ? 他に、もうちょっと役に立ちそうな言葉がありそうなものだけど」
 人間と交流のある種族の言葉、例えばエルフ語やドワーフ語などの方が余程役に立ちそうである。それ以前に、人間の言葉である西方の方言を習う方が先ではないか。
「リザードマン語ができれば、ドラゴンと話ができるのよ。何だか素敵じゃない? ちなみにわたくし、リザードマン語はもう完璧なの。今習ってるのはゴブリン語よ」
「・・・・・・・・・・・・」
 もう、どこからツッコんでよいやら。
「・・・ドラゴン、って。どこにいるのよ、そんなもの」
 それでも、とりあえずツッコミを入れてみるヨウコは律儀である。
「ある日突然、この町にドラゴンが来たりすることだってあるかもしれないじゃない。その時になって慌てたって遅いのよ?」
 ・・・そんな事、あり得るの?
 あり得たとして。慌てる、の意味が違うと思うわ・・・
 というか、私の生きているうちに来て欲しくない、そんな日・・・
「・・・で、どうしてゴブリン語なんか習ってるわけ」
「だって。面白そうじゃない? ゴブリンと口喧嘩とか」
「・・・・・・・・・・・・あ、そう」
 ヨウコは頭を抱えた。
 ツッコめばツッコむほど、ツッコみどころがネズミ算式に増えていく。
 しかし、エリコが魔術師ギルドでリザードマン語やゴブリン語を習っているということは、それを教えることのできる人物がギルドに存在する、ということだ。そのことの方が、驚きかもしれない。
 恐るべし、魔術師ギルド。
「まあいいわ・・・ユミちゃん、私にオレンジペコ一つね」
 ヨウコは不屈の精神力で立ち直ると、ユミににこやかな笑顔を向けてそう言った。とりあえず、この哀れなウエイトレスをマッドな賢者から救い出してやらねばならない。
「今レッスン中だから後にして」
「エリコ・・・あのねぇ。ユミちゃんも仕事が」
「はい、ユミちゃん、もう一回。『ぐぇ。ぐわがぎゃごぅーぉぅ』」
 ・・・聞いてないし。
 ヨウコは諦めたように溜息を漏らし、頬杖をついた。
「『ぐえ。ぐわがぎゃごーぉう』」
「『ぐぇ。ぐわがぎゃごぅーぉぅ』。・・・ヨウコもやってみる?」
「・・・遠慮しておくわ」
 哀れユミは、次にヨウコ以外の客が来るまでリザードマン語のレッスンを受けなければならないようだ。そして、それまではヨウコのオレンジペコもお預け。
「『ぐわがぎゃごぅーぉう』」
「『ぐわがぎゃごぅーう』」
「『ごぅーぉう』」
「『ごうーぉう』」
 ・・・この音、今夜夢に出てきそう。
 ヨウコはまた、盛大な溜息をついた。
 溜息の分だけ幸せが逃げるというが、エリコのおかげでこれまでどれだけの幸せが逃げたのだろう。
 ・・・はぁ。

−−−了

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