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およしになってね爺ちゃん!


 大陸を貫き、西へ東へ人や物を絶えず運び続ける『銀の街道』。
 人々の営みは、永い時を経てこの大陸に幾つもの町を築き上げた。人智の及ばぬ未開の地が広がる世界にあって、町は人々の暮らしの主要な舞台である。その中にはより多くの人口とより多くの機能を備え、都市国家として栄えるものも現れた。これらの都市国家は『銀の街道』をはじめとする多くの街道で結ばれ、各々が競い合うように独自の個性を主張するようになる。
 ここグラシアも、そんな都市国家の一つだ。『魔法使いの王国』の二つ名で呼ばれるこの街には、大陸でも最大級の規模を誇る魔術師ギルドがある。二百年あまりの歴史を持つ眩しい白壁の建物は『白い家』と呼ばれ、この街のシンボルとして広く人々の知るところとなっている。
 そのグラシアの街の中、買い物客で賑わう大通りを連れだって歩く旅姿の四人連れがあった。
「…………魔法使いの国、っつってもさあ、」
 少しがっかりしたようにこぼしたのは、板金鎧にマントを羽織った長身の女戦士。背中に大振りなバスタード・ソードを背負っている。きょろきょろと辺りを見回す仕草にあわせて揺れる、ポニーテールの長髪は明るい栗色。
「何だか、普通の街だね」
「ジュピター、もしかして、住んでる人がみんな魔術師ばかりだと思ってたの?」
 その隣で、ラベンダー・グレーの法衣に身を包んだ司祭が柔らかく笑んだ。ジュピターと呼ばれた女戦士とは対照的な、線の細い白皙の美女だ。彼女の名はマーキュリー。胸に光る銀の聖印は、彼女が知識の神ラーダに仕える者であることを示している。
「……違うの?」
「そうね、確かに他の街よりは多いと思うけど」
「よかったぁ。そんなに魔術師がうじゃうじゃいたら、あたし困っちゃう」
 と言うのはヴィーナス。プラチナ・ブロンドの長い髪に大きな青い瞳。髪をかき上げ肩をすくめる仕草がいかにも年頃の娘らしい彼女は、
「だって、魔法の鍵はいくらあたしでも開けられないもの。それじゃ、仕事になんないわ」
 実は盗賊を生業としている。
「……あんた、この街で変な気起こすんじゃないわよ」
 すかさずマーズが釘を刺す。いかにも魔術師らしい黒のローブを身に纏い、昼間から黒いフードを目深に被っている。その美貌があまりに人目を引くことを、彼女自身が嫌ってのことだ。いくら美人でも、真っ黒尽くめの怪しげな女に声を掛ける男はそうそういまい。
「やん、変な気だなんて。
 マーズったらもう、嫌ぁだ、昼間っから☆☆」
 ヴィーナスはきゅんと肩をすくめ、握った手を口元に当てて小指を立てた。
「っばっ……っちょっ、あに考えてんのよあんたわっ!」
 マーズの声が思わず上擦り、フードの陰で白い頬にさっと朱が差す。
「んー、でも、折角だから夜這いでもかけちゃおっかな、今夜あたり☆ ねえ、マー……」
 ごぱぎゅっ!
 マーズの右フックに、ヴィーナス敢え無く石畳に沈む。
「や・め・な・さ・いっ・つっ・て・ん・で・しょ?
 え・ぇぇぇ?」
「をい……それ以上踏むと死ぬぞ…………?」
「そ、そうですよ―――それに、マーズ、私達先を急ぐんじゃありませんでした?」
 魔王が裸足で逃げ出すような大迫力のマーズに、あとの二人がブレーキをかける。
 まあ、どこの街でも見かける、よくある風景である。
「っ………………そうだったわね。
 馬鹿は放っといて、とっとと行きましょう」
 我に返ったマーズは石畳にへち倒れたヴィーナスにくるりと背を向け、再び歩き始めた。
 ―――先を急ぐ用事―――
 そう、一行がこの街を訪れたのには、理由があるのだ。

*        *        *


 三日前、一行はいつものようにルナル・シティの冒険者の店『青旗亭』で夕食を取り、それぞれ思い思いの飲み物を手に他愛のない話に花を咲かせていた。
「マーズってのは、あんたかい?」
 背後で聞こえた野太い声に、当のマーズは鬱陶しげに振り向いた。声を掛けてきたのは、がっちりとした体格の青年だった。ほどよくくたびれた硬革鎧に身を固めて戦斧を帯びたいで立ちは、冒険者のそれである。
「……そうだけど?」
 答えてマーズは葡萄酒のジョッキを置いた。闇色の瞳に、腰まで届く黒髪。街で出会えば思わず目で追ってしまいそうな程の美形だが、表情に不快の意がまるだしなのが悔やまれる。
 ナンパ目当ての並みの男なら彼女のこの一睨みで撃退されてしまうのだが、 
「グラシアの魔術師マーズだな?」
 男は動じることなく、詰問するような口調でそう続けた。
 マーズの眉がぴくんと跳ねる。見ず知らずの人間に素性を言い当てられるというのは、決して気持ちの良い事ではない。
「だったら―――何?」
 彼女は背筋を伸ばして身構えた。テーブルを囲んでいた彼女の仲間たちの間にも緊張が走る。
「あんたに、手紙を預かってきたんだ」
 鎧の男はそう言って、背負い袋から一通の白い封筒を取り出した。
「手紙?…………誰から?」
 男の態度に特に不審な点はないようだが、マーズは警戒を解かずに訊ねる。
「あんたの爺さんだ。グラシアの魔術師ギルドの」
 手紙を差し出しながら、若い冒険者は苦笑いを浮かべた。
「あんたのこと探すのに、随分手間取っちまったぜ。何せ爺さん『孫はわしにそっくりの超美人ぢゃ』なんて言うもんだからな。まさかほんとに美人だとは思わなかったんだ。……まあ、そんなことはいいとして、とりあえず中を確かめてくれ。前金は貰ったが、残りの報酬はあんたから頂戴することになってるんだ」
 マーズは封筒を手に取った。封蝋に押された紋章は確かにグラシア魔術師ギルドのものである。彼女は丁寧に封を切り、手紙に素早く目を走らせた。

『我が最愛の孫娘マーズへ
 この手紙を、お前は一体どこで読むのぢゃろうか。もしも運良くこの手紙がお前の手元に届いたなら、唐突で悪いができるだけ早くグラシアへ戻ってきておくれ。こんな手紙を書かねばならぬとは、わしも焼きが回ったもんぢゃ。いよいよわしも年貢の納め時かもしれんの。とにかく、一日も早くお前が戻ってくれるのをわしは心待ちにしておる。
『白い家』より愛を込めて ジジ

追伸 もしもこの手紙を受け取ったなら、これを届けてくれた者にお前から報酬を渡してやってくれ。お前には申し訳ないと思ったが、どうしても届けて欲しい手紙だったのでそういう約束にしたのぢゃよ。ほっほ』

 一通り読み終えたマーズはしばらく考え込んでいたが、やがて懐から黒い革袋を取り出し、その中の小さな石を一つ手に取った。オパールか何かのようにも見えるその石の青白い輝きは、よく見ると石自らが放っているものであることがわかる。
「……悪いけど、いまそんなに持ち合わせがないの。これでよければ、報酬として受け取って」
「魔晶石か、なかなかいい品だな」
 鎧の青年は、光る石を木彫りのような掌に乗せてしげしげと眺めた。魔晶石は上級魔法によって生み出された魔力の結晶と言われており、古代魔法王国の遺産として最も広く知られているものである。好事家のみならず賢者や魔術師など欲しがる人間は多く、高値で取引されている。
「まともに買えば一○○○フロルはする筈よ」
 思いがけない高額の報酬に、若い冒険者は満足した様子で仲間のもとへと戻っていった。
 一方マーズは再び手紙を読み返しながら、ずっと深刻な表情で考えに沈んでいた。 

*        *        *


「それで、マーズの家はどのあたりなんですか?」
 マーキュリーが訊ねた。手にした錫杖が、歩調にあわせて石畳をこつこつと叩く。
「『白い家』のすぐそば―――だけど、家は今誰もいないのよね」
「? でも、お爺さん危篤なんだろう? 家で寝てるんじゃないのかい」
 と、他の仲間より頭一つ分の高みからジュピター。
「あたしが旅に出てからは、『白い家』の自分の部屋で寝泊まりしてるわ。『魔術師ギルドはかわいいギャルがいっぱいいて淋しくないぢゃ』とかなんとか言ってね」
 祖父の台詞を再現しながら、マーズは微かに眉をぴくつかせた。
「ま、そういう訳だから、とりあえずギルドの方へ行くわ。
……みんな、付き合わせて悪いわね」
「やぁーだあ、悪いだなんて水臭い」
 いつの間にか復活したヴィーナスがひょいと現れ口を挟む。
「あたしと貴女の仲じゃないの。マーズが行くところならどこだって付き合っちゃうわ☆」
「……誰がいつあんたとあたしの仲になったのよ」
 唸り声にも似たマーズの抗議に、ヴィーナスはびしっ! と人差し指を立てて、
「それは勿論貴女とあたしが初めて出会った運命の夜、熱い口づけを交わしたその瞬間―――」
 ごがぶゅっ!
 人差し指を立てたままヴィーナスは再び石畳に沈んだ。


 大通りはやがて王宮前の広場に突き当たった。半円形の広場をぐるりと囲むように露店が建ち並び、老若男女が行き交う繁華街。ギルドの建物はそこから東に三ブロックほど奥まったところにある。大人が二人がかりでも抱え切れようかという重厚な円柱、豪奢な造りの扉を備えた玄関、その玄関へとつながる石造りの階段。魔法使いの王国の一等地を占める巨大な白亜の館、それがグラシア魔術師ギルド『白い家』だ。
「話には聞いてたけど……本当、凄いわね」
 と、マーキュリー。
「はあ。『白い家』ってより、『白い豪邸』だね、こりゃ」
 正面の尖塔を見上げながらジュピター。
「わぁお、ここがマーズの修行したところなのね☆」
 胸の前で手を組んで、ヴィーナス。
 仲間達が感嘆の声を上げる中、マーズだけはとりたてた感慨もなさげに正面の階段を上る。彼女にとって、『白い家』は自宅も同然なのだ。人の背丈の倍近くはあろう大きな扉は、賢者達の助言を求めて訪れる人々を迎えるために日中は開け放たれている。マーズは、あとに続く仲間達とともに玄関をくぐった。
 玄関ホールは吹き抜けになっていて、陽光の差し込む天窓ははるか頭上高くに設けられている。ひんやりとした石造りの広いフロアの奥には受付のデスクが設けられ、ギルドで修行をしている魔術師が交替で二人ずつ常駐することになっている。
 この日は、若い娘が二人で受付をしていた。
「いえ、折角ですが、遠慮します……」
「どぉーしてぢゃ? わしの弟子になればあっという間に魔術の達人になれるぞぃ」
 受付のデスクにかぶりつくように、娘たちに話しかけている小柄な老人が一人。紫のローブを身につけていることから魔術師であることは明らかだが、受付嬢たちにはあまり歓迎されていない風である。 「あの……大変有り難いお言葉なんですが……」
「わしのことなら気にせんでええ。お主らのような可愛い娘ちゃんはいつでも大歓迎ぢゃ」
 老人はつややかな頭を手のひらで撫でながら、満面の笑みで言う。
「はあ、でも……」
「毎日わしが手取り足取り指南して進ぜようぞぃ」
「ですが……」
「勿論、一人などとケチなことは言わん、お主ら二人まとめて面倒見るぞぃ」
 このやりとりを入口に立ち止まったまま凝視していたマーズは、
  つかつかつかつかつかつか
 受付に向かって足早に歩み寄り、
  しゅたっ
 どこからともなくスリッパを取り出すと、
  すばかぁーんっっっっ!
 陽光を受けて輝く老人の頭めがけて渾身の一撃を叩き込んだ。
「っ……なっ、なんてことをするんぢゃいきなりっ!」
「それはこっちのセリフよ! ったく、いい歳して恥ずかしいったらありゃしない!」
 今にも咬みつかんばかりの剣幕でまくしたてるマーズ。
「なんぢゃ、マーズか……」
 老人は、スリッパの痕が半円形に赤く浮かぶ頭をさすりながら、にっ、と笑った。
「……早かったのぅ」
「何よその言い草わっっっ! 自分が早く帰れって―――
 なっ、なぁにが危篤よ! よくもたばかったわねこの大ウソつき!」
「……危篤? 誰がぢゃ?」
 白々しい、老人の口調。
 マーズの柳眉が、きっ、と逆立つ。
「『誰がぢゃ』ぁ? あんな手紙をよこしておきながら、よくもまあぬけぬけと―――」
「わしは『危篤』などと書いた憶えはないぞぃ」
 したり顔で、老人が言った。
「お前が勝手に勘違いしただけぢゃ」
「……………………!」
 してやられたマーズは、言葉を詰まらせ鼻白む。
「…………あのぅ…………マーズ?」
 二人の激しいやりとりが途切れたところで、入口に突っ立ったままの仲間を代表してマーキュリーがおずおずと声を掛けた。
「そちらが……もしかして、例の、手紙のお爺さ―――」
「おぉお、こりゃぁまた可愛い娘ちゃんが大勢で。マーズの友達かのぉ?」
 老人は目にもとまらぬ速さで玄関口にやって来た。
「あ、ええ、はい……いつもお世話になってます……」
「はぁい☆ いつもお世話してまーす、お爺さま☆」
 たじろぎながら型どおりの挨拶をするマーキュリーを押しのけて、ヴィーナスがずずいと前に出た。ぶりぶりモードの笑顔で老人の手をしっかと握る。
「ほほーぉ、お主なかなかぷりてぃぢゃのう。どうぢゃ、ここはひとつわしの弟子にならんか?」
「きゃん☆ いーんですかぁ?」
「だぁから、お爺ちゃん! むやみに弟子入り奨めんのやめなさいっつってるでしょ!」
 復活したマーズが再び怒りの声を上げる。
「なぁにをカリカリしとるんぢゃ、マーズ? 別によいではないか」
「そうよ。私だって魔法の心得くらいなきゃ、マーズと釣り合いがとれないわ。だって、私たち将来を誓い合ったんですものね☆」
  しばぁーんっっっっ!
「くだらないこと言ってんじゃないの!」
 というセリフより先に、超高速で飛んできたスリッパがヴィーナスの顔面に激突、以後沈黙。
「……のう、マーズよ……」
 ひっくり返ったヴィーナスを眺めながら、老人。
「あによ」
「お前も、わしに似てなかなか面食いじゃのう☆」
 マーズの眉がぴくん、と跳ねた。右手を掲げ、細い指の複雑な動作で宙をかき回す。
「……『光の精霊よ、我が導きに応じよ……』」
  ずばぼんっ!
 現れた眩い光球が老人の後頭部に炸裂、老人も煙を噴いて撃沈。
「あぁぁっ! どいつもこいつも頭にくるったら!
 ……ジュピター! マーキュリー! 帰るわよ!」
「え? あ、あの、でも……」
「え……用事は―――?」
「見りゃわかるでしょ! 危篤どころか、殺したって死にゃしないんだから! こんな所に用なんかないわよ!」
 黒髪をはらりと後ろへ流し、きびすを返すマーズ。
 息巻く彼女はもう誰にも止められなかった。
「……相変わらずですね、マーズ」
 ふと、奥の方から声がする。
 静かな、それでいて凛としたその声はしかし、外へ向かっていたマーズの足を止める力を持っていた。彼女はゆっくりと振り返り、黒いその瞳に声の主の姿を映す。
「プルート……導師」
「気を悪くしたのなら、謝ります。が、貴女を呼び戻して戴いたのには、事情があるのです」
 すらりとした長身に、腰まで届く黒髪。
 整った知的な顔立ち。
 褐色の肌に、全てを見通す瞳は深紅。
 ノーブル・パープルのローブに長杖は、高位の魔術師である証だ。若く見えるが、実年齢は不明。
「帰る前に、貴女を呼び戻したその理由を、少し聞いては貰えませんか?」
 プルートの言葉に、マーズは右手を胸に添えた敬礼の姿勢で頭を垂れる。
「…………はい」
 その穏やかな口調の中に、ノーと言えない圧倒的な力が確かにあった。


「……話というのは、近頃この町で起こっている事件のことです」
 応接室のテーブルについたプルートは、そう話を切り出した。マーズとともにマーキュリー、ジュピター、ヴィーナスも応接室に通されテーブルを囲んでいる。マーズの祖父はわざわざマーキュリーとヴィーナスの間の席にもぐり込んで、やけに嬉しそうだったりする。
「……そんな、大事件が?」
 マーズが問うと、プルートは小さく頷いた。
「はじめは、単なる失踪事件でした。失踪したのは若い女性で、当然官憲も捜査に当たりましたが、それとは別に女性の両親が冒険者に捜索を依頼したのです。
 ところが―――
 彼女の行方を探していた冒険者達も、ある日突然行方がわからなくなったのです。以後、その冒険者達の捜索に乗り出した別の冒険者パーティーや捜査に当たっていた街の巡察官が、立て続けに行方をくらましました。その一方でやはり若い女性が次々に神隠しに遭っています。こうして不明者は雪ダルマ式に増えて、今日までに三十二人を数えました」
「……それは、大事件ですね……」
 と、マーキュリー。
「当然ながら、当局も事態を重く見ており、先日『白い家』に正式な依頼が来ました。が、この事件がただの失踪事件ではないことは明らかです。この『白い家』でも優秀とされるレベルの魔術師でなければ、とても太刀打ちできないでしょう。
 ―――貴女を呼び戻したのは、そういう訳です、マーズ」
 言って、プルートはマーズを見遣る。
「協力して、戴けますか?」
「…………はい」
 マーズは神妙な面持ちで、静かに頷いた。
「そうですか……助かります」
 プルートは微かに表情を和らげた。
「あいにく私自身は別件を抱えていますので、捜査に参加はできませんが、ジジ老師に代わりを依頼しています。あとの人選はお二人に任せますが―――」
 言いつつ、プルートはテーブルを囲む面々を見渡す。
「無理にギルドの人間から選ぶ必要はありません。魔術師ばかりでパーティーを組むのは、あまり得策とは言えませんから」
「どうせ手伝って貰うなら、可愛い娘ちゃんがええのぅ」
 ぼそりと漏らした呟きを聞きとがめ、マーズが刺すような視線を祖父に送る。
「はーい、あたしやりまーす☆」
 ヴィーナスが手を挙げる。
 マーキュリーとジュピターは互いに顔を見合わせ、
「マーズさえ良ければ、私たちも手伝いますが」
 そう言って、マーズの返答を促した。
「…………ありがとう」
 黒髪の魔術師は、ポーカーフェイスに微かな安堵の色を浮かべた。

*        *        *


 『白い家』を出た四人は、手がかりを求めて巡察官詰所へと向かった。ジジ老師はマーズに同行を拒まれ、置いてけぼりである。
 街は行き交う多くの人々で賑わっていた。物騒な事件が続いているとはいえまだ陽は高く、若い娘達の姿もよく見受けられる。どこにでもよくある、街の風景だ。
 目指す詰所は、王宮広場をはさんで『白い家』の反対側にあった。
「あのう……お忙しいところを、失礼します」
 マーキュリーの声に、居合わせた三人の巡察官が振り向いた。ある者は机の上に足を投げ出し、ある者は座ったまま船を漕ぎと、お世辞にも忙しそうには見えない。
「何ですかな、お嬢さん? 何かお困りですか?」
 立ち上がったのは、一番年かさに見える男だった。背の高い筋肉質の体躯に、陽に灼けた額が脂でぎらぎら光る。
「いえ、私たちは『白い家』の者で、例の連続失踪事件の件でうかがいたいことが―――」
「はぁ?」
 巡察官は、訝しげに顔を曇らせた。
「どういうことですかな?」
「当局からの例の事件の捜査依頼を、『白い家』が正式にお引き受けしました。その事はこちらにも伝わっていると伺いましたが?」
 と、マーキュリー。まるで自分が『白い家』の会員のような口ぶりである。もっとも、唯一『白い家』の正式なメンバーであるマーズに、まともな交渉などできないであろうが。当の彼女は、相手がだらしなく相好を崩して寄ってきた時点ですでに不快まる出しである。
「それで? まさか、お嬢さん達がその捜査をすると?」
 巡察官の口元が嫌な感じに歪んだ。
「そうですが」
「おいおい、参ったな……俺達の仕事はお嬢さん方の探偵ごっことは違うんだがなぁ」
「なんだぁ? ……はぁ! 俺達も見くびられたもんだな、おぉ? 当局は何を考えてるんだ」
 もう一人が寄ってきて口を挟んだ。こちらは色白で痩せぎすの、頭の頂上が少し涼しげな男。
「……とにかく、行方不明者の資料を見せていただけませんか?」
「あー……悪いがね、そういうものはむやみに部外者に見せるもんじゃないんだよ」
 明らかに軽蔑の色を含んだ巡察官の態度に、少なからずむっとする四人。マーズとジュピターはもう爆発寸前である。
「……ねーえ、おじさま達」
 と、ヴィーナスが猫撫で呼びかけた。
「資料見せてくれたら、いい物あげるんだけどな☆」
「ほう。一体、何をくれるのかな?」
 薄ら笑いを浮かべる痩せぎすの男の前に、
「はい☆」
 差し出されたのは、薄茶色の巾着袋。ちゃりんちゃりんと、音がそこはかとなくもの悲しい。
「うげっ……!」
 途端に男の頬がひきつった。必死に懐を探るが、目当ての物がある筈もなく。
「それから、このショート・ソード」
「何だぁこれ、まるで新品じゃんか。リンゴの皮むきにでも使うのか?」
 後ろからジュピターが口を挟んだ。
「うぐぐぐぐ…………」
 色白の男が沈黙したのを見て、
「それから、そっちのおじさま?」
 ヴィーナスは次に、色黒の男に向かってとびきりの笑顔を見せた。
「短剣にこんなケバい房の飾り紐つけるなんて、あまり実用的とは言えないわね」
「うぁっ……いっ、いつの間に……!」
 男は慌てて短剣を取り出した。柄の部分に結んであった飾り紐は、ヴィーナスの右手の先でくるくる回っている。
「ほらほら、こーんなものも☆」
 続いて鍵の束がじゃらじゃらと回る。
 巡察官の顔が凍り付いた。脂ぎった額が、脂汗で更にぎとぎと光る。
「……さて」
 ヴィーナスは飾り紐と鍵束をぽいぽいと放り投げた。彼女の青い瞳が、一瞬鋭い光を帯びる。
「これで全部、返したげたわよ。 さ、資料を見せて貰いましょうか?」
 巡察官たちも、もはや首を横に振ることはできなかった。


 メラニー・ウェル(女) 一六歳 ポター街
『銀匙亭』ウェイトレス 七月一二日
 ニヴァ・プーラン(女) 二二歳 大通り
ローランド商会勤務 七月二九日
 クラリス・バルボア(女) 一九歳 オールド街
ハリソン商店勤務 八月一○日
 ファラ・ドゥーガル(女) 二○歳 オールド街
『紅の剣亭』ウェイトレス 八月二四日
 モリー・ダンテ(女) 一九歳 大通り
仕立業 九月一一日

「……てんで、バラバラですね」
 マーキュリーは溜息をついた。これまでに行方をくらました女性たちの名前も、住所も、職業も、いなくなった日付も、一貫性は見られない。
「手当たり次第、ってかんじだよな」
 と、ひと事のようにジュピター。
「はい。人相風体の方にも、共通点はありませんでした」
 年かさの二人の巡察官は奥へ引っ込んでしまい、今は一番若い真面目そうな青年が彼女達の応対をしている。
「おや。この人は、一体……?」
 冒険者や役人の名がずらりと並ぶ中、一人の男の名がマーキュリーの目に留まった。

 ロイ・ドルトン(男) 四二歳 ゲート街
下水工 八月一一日

「ああ。この男ですか……ええと、仕事に出掛けたきり帰宅せず、とありますね。博打の好きな男で、あちこち借金をこしらえて、夫婦喧嘩が絶えなかった、とも。まあ、借金を苦に夜逃げ、という奴でしょう。友人知人もそう言ってますね。まあ、よくあるパターンですね。まったく、こんな時に、紛らわしい」
 そう言って若い巡察官は肩をすくめた。
「そう……かも、しれませんが」
 顎に手を当て、思考のポーズで呟くマーキュリー。
「もし、これも一連のものと関係があるとしたら―――偶然、事件に巻き込まれた―――何故?―――それは、彼がたまたま―――例えば、見てはいけないものを見てしまった……」
 心此処に在らず、といった感じの声音は、彼女の頭脳がフル回転している証拠である。
「―――一連の事件で、目撃証言は?」
「いいえ、それらしいものは何も」首を振る青年巡察官。
「…………すみません」
 と、ラーダ神の啓示を受けたかのようにマーキュリーは顔を上げた。
「市街地の地図はありますか? それと、地下下水道の見取り図、できれば同縮尺のものがあれば、それも」
 彼女は受け取った地図を広げると、行方をくらました娘達の自宅と勤務先がある場所に手際よく印を付け、通勤経路と思われるルートを線でなぞった。
「ほら……これを見て。
 まず、最初の二人。どちらも、おそらくこの橋を通って仕事に行っていた。それから、次の人と最後の人はこの橋を、四番目の人はこの橋を。そして―――この三つの橋の側には、それぞれ下水道の入口があるの。いくら女性とはいえ、大人ひとりを拉致して誰にも見つからずに済んでいるということは……すぐ手近に隠れる場所がある、という事で―――」
「彼女達は、仕事帰りにこの橋の所で襲われて、下水道に連れ込まれた?」
 マーズの言葉に、マーキュリーは大きく頷いた。
「そして、この人―――ドルトンさんは、仕事でたまたま入った下水道で何かを見てしまい、何らかの形で事件に巻き込まれた」
「……っぽいわ、ね」
 それ以上は誰も口にしなかったが、次にすべき事は誰の目にも明らかだった。

*        *        *


 ジュピターは火口箱を取り出し、石を打った。手際よく、小さな火を大事に育てるように両手で包み息を吹きかけ、松明を燃え上がらせる。
「OK、ついたよ」
 松明はマーズに手渡された。
「……何だか原始的な明かりぢゃのう」
「火の精霊は手近に火がないと使えないの」
 ぼやくようなジジ老師が呟きに、マーズは憮然としたまま答える。
「古代語魔法を使えばよいではないか」
「それはそうだけど―――あたしには、精霊を使う方が性に合ってるみたいね」
 確かに、魔術師としての彼女は今すぐにでも導師としてギルドに受け入れられるだけの実力を持っている。が、精霊使いとしての彼女の力はそれ以上なのだ。
「そんなことより……一体何なのよお爺ちゃん、その恰好は」
 と言われる老師のいでたちは、必要以上に丈の長いローブに三角帽子を纏い、先端に星形の飾りがついた棒杖を持っている、といったものである。
「何を言っておる。昔から魔術師はずるずるローブにとんがり帽子、先に星のついたステッキと相場は決まっておるじゃに……ほれ、お前の分も用意してきたから、かぶってみぃ」
「嫌」
 ○・五秒で即答する孫娘。
「まぁそう言うな。ほれ、ステッキもあるぞぃ。先っぽの星がらぶりーぢゃろう?」
「はいはい、言ってなさい。
 ……それじゃ、行きましょうか」
 冒険者たちは、最初の二人の被害者が消えたと思われる下水口へと潜入をはじめた。カンテラを手に前方を警戒しながら先頭をゆくのは、盗賊のヴィーナス。後にマーズ、ジジ老師、マーキュリーが続き、最後尾をジュピターが固める、いつものフォーメーションである。下水の臭いはかなり不快なものだったが、三十二人もの人間を呑み込んだ得体の知れない危険の中に踏み込む、その緊張の方が今は勝っていた。


「…………しっ!」
 ヴィーナスが足を止めた。松明が丁度一本燃え尽き、二本目に火種を移した頃である。
 聞き耳を立てる彼女を、全員が息を殺して見守った。
「足音が、聞こえる―――正面よ」
 音はやがて、固唾を呑んで闇の向こうを凝視する皆の耳にも届いた。マーズが光の精霊を召喚する。皓々と輝く光球は天井づたいに滑るように前に進んだ。
 やがて現れたのは、五つの人影。剣を手にした者がいる。鎧を身につけているようにも見えた。
「冒険者……行方不明の?」
 近付いた彼らはしかし、生気のない土色の顔に虚ろな眼をし、体全体に不気味な黄色の燐光を纏っていた。それが生者の姿でないことは、その場にいた誰の目にも明らかである。
「うげっ……ゾンビぃ!」
 顔をしかめるヴィーナス。
「いえ……あれは、ゾンビじゃないわ。アンデッドには違いないけれど」
 すかさず、マーキュリーが訂正する。
「あれはワイトといって、人の気力をすする化け物よ。気力を吸い尽くされた犠牲者は同じくワイトになって、また別の人間を襲うことになるわ。」
「じゃあ……行方不明の人達って……」
「ここでワイトにやられて、ワイトになってしまった?」
「―――恐らく、ね」
 そう言っている間にも、冒険者のワイトはどんどん近付いてくる。
「―――やるしか、ないか」
 剣を抜き、先頭へと滑り出るジュピター。
「あっ……待って!」
「覇ぁっ!」
 マーキュリーの制止より先に、飛び出したジュピターが先頭のワイトと接敵する。どす黒く腫れぼったい顔をした亡者は、硬革鎧と手甲を身につけた、いかにも冒険者風。彼女は横に薙ぐ剣で敵のブロード・ソードを弾き飛ばし、返す刀を胴に叩き込んだ。
 一刀のもとに切り伏せた筈のワイトは、しかし体を少し傷つけられてたたらを踏んだだけだった。逆に、もがくように腕を伸ばした亡者の、鋭く尖った爪がジュピターの腕を掠め、うっすらと血を滲ませる。
「くっ……!」
 と、不意に頭の中を揺さぶられるような感覚が彼女を襲った。なお迫る亡者を咄嗟に足の蹴りで突き飛ばすが、充実していた気力が少し萎えたのが自分でもわかる。
「『全智の神ラーダよ、我に力を、
  この世ならざる魂を彼の岸へと還す聖なる光を』」
 祈りの言葉に応え、高く掲げたマーキュリーの掌から強烈な光がほとばしる。光を浴びたワイト達は苦悶するように咆哮し、一体が倒れた。動かなくなった死体からは、不浄な黄色の光が消えている。
「やれやれ……せっかちなお嬢さんぢゃのう」
 呟いて、ジジ老師が呪文を唱えた。力ある言葉が解放されると同時に、ジュピターの大剣とヴィーナスの短剣が魔法の付与を受けて青白く輝く。
「こやつら相手に普通の剣は効かんのぢゃ。ほれ、それで斬って見ぃ」
 魔力を付与された剣を振るい、ジュピターは目の前の敵に上段からの斬撃を浴びせる。神聖魔法の光を受けて弱っていたワイトは、着込んでいた硬革鎧ごと斬り伏せられ、あっけなく倒れた。ヴィーナスも一体を倒す。こちらは、ソフト・レザーの魔術士風。
「『火の精霊よ。
  我が導きに応じ、炎の矢となり敵を貫け!』」
 続いてマーズが精霊に呼びかけた。勢いを増した松明の炎は天井近くまで燃え上がり、そこから飛び出した炎の塊は一瞬亡者の体をぱぁっと包み込む。炎が消えたあとはワイト特有の黄色い燐光も消え、床に転がった死体はぴくりとも動かなくなった。
 最後にジュピターがもう一体にとどめを刺し、ワイトとの戦闘は決着を見た。
「……何だか、後味悪い…………ねえ……たしか、行方不明の人って、全部で三十二人、いたよね」
 転がった死体を見おろしながら、呆然とヴィーナスが言う。その声に、いつものきゃぴきゃぴとした調子は微塵もない。
「ええ。この人達を除いても、あと二十七人―――」
 マーズは、答えの途中で言葉を濁した。
「―――最悪ね」
「……私にもっと力があれば、この人達も、救えたかもしれないのですが……」
 錫杖を握り締め、マーキュリーは言葉を詰まらせる。
「仕方ないさ。それは、言いっこなしだよ」
 冒険者達の亡骸の傍らに膝をつき、一人一人瞼を閉じさせてやるジュピター。
「生き返らせてやるのは、無理だけど―――せめて、真っ当に成仏させてやろう」

*        *        *


「……しっ!」
 ヴィーナスが再び足を止めたとき、松明は三本目を数えていた。
「―――後ろから、来てる」
 彼女の指摘に従い、マーズが先走らせていた光の精霊を後ろへ回す。
 黄色い光が見えた。相手は一旦立ち止まり、次には速度を上げて、こちらへ近付いて来る。老人が呪文を唱え、ジュピターとヴィーナスの剣に再び魔法の力を宿す。
 相手の姿がはっきりと見える距離まで接近した。ワイトが五体、いずれも冒険者風。
「『……聖なる光を』」
 マーキュリーが神聖魔法を放った。生者にとっては単に眩しいだけだが、亡者には滅びをもたらす光である。一体のワイトが黄色い光を消され、ただの死体となって地面に転がった。ジュピターが剣を正眼に構え、なお向かってくる四体のワイトに対峙する。
 皆の注意が後方に集まったその時。
 小石を踏みつける音とともに、パーティーの前方にも新手が現れた。崩れた壁の穴から、やはりワイトが、こちらは四体、硬革製の胸あてを身につけた揃いの制服姿―――巡察官である。
  ぎんっっ!
 巡察官ワイトが振り下ろす細身のショート・ソードを、ヴィーナスは短剣で受け流す。
「……ちょっ、そんなのありぃ? 死人の癖に!」
 ワイトの太刀筋は、素人のそれとは違った。生前に身につけた剣さばきは、亡者となっても体が覚えているのだ。愚鈍なゾンビと異なり、動きにもある程度スピードがある。
「『万物の根源たるマナよ―――』」
 すかさず魔法使い二人が構える。
「『火の精霊よ、我が導きに―――』」
 ざばざぁっっっっ!
 と、突如激しい水音が呪文詠唱を遮った。濁った水面が盛り上がり、その下からワイトがさらに三体。髪の毛から水を滴らせ、節くれだった赤黒い指を伸ばす。
 水際に立っていたマーズが足首を掴まれた。鋭い爪が皮膚を傷つける。
「っ…………!」
 ちくりとした痛みとともに、身の毛のよだつ嫌な感覚が足首から背筋を駆け上がり、頭の中を一瞬痺れさせた。そのまま自分を水に引き込もうとするワイトの頭を、彼女は咄嗟に持っていた松明で殴りつける。
「『万物の根源たるマナよ。
  その力、光の矢となり的を貫け!』」
 さらに老人の魔法が撃つ。足首を掴む手が離れた。
「……『火の精霊よ!』」
 すらりとした眉を逆立て、マーズが精霊に呼びかける。精霊使いはあらゆる精霊と心を通わせることができるが、各々相性の好悪がある。彼女の場合、最も相性のいいのが火の精霊だ。
「『我が導きに応じ、炎の矢となり敵を貫け!』」
 松明の炎は天井を焦がさんばかりの火柱となり、猛々しく渦巻き、雨のように亡者達の上に降り注いだ。
「『……聖なる光を』!」
 再びマーキュリーの神聖魔法。一際強力な光は全てのワイトを包み、灼いた。敵のみならず味方の目も眩ませるが、それを差し引いてもアンデッドに対する効果は絶大である。水中のワイト三体が活動を停止した。
「哈ぁっっ!」
 最初の四体を倒し、ジュピターがヴィーナスの援護に回る。袈裟掛けに振り下ろすバスタード・ソードの一撃で、早速ワイト一体が倒れた。数の上での不利がなくなり、俄然元気になるヴィーナス。ジュピターのように一太刀とはいかないが、じわじわと敵を追いつめ、倒す。
 そして、
「『万物の根源たるマナよ。
  その力、一筋の雷をなし、破壊の力もて空を貫け!』」
 老人の放った『雷撃』の呪文が、最後の二体を一気に片付け、乱戦に終止符を打った。
「……味な真似してくれるじゃない、三方から挟み撃ちなんてさ」
 プラチナブロンドの長髪をかき上げながら、ヴィーナス。
「後ろが五、前が四、それから……」
「水の中が三。全部で十二体ね」と、マーズ。
「……行方不明者はあと十五人ですね」
 マーキュリーの台詞に、全員がげんなりと顔をしかめた。とりわけマーズと、そう言ったマーキュリー自身の表情が冴えない。浮かんでいるのは疲労の色である。いかなる系統の魔法であれ、呪文の詠唱には高度な精神集中を必要とする。そのため、魔法の連続使用は術者の精神を磨耗させ、場合によっては意識を失ってしまうこともある。
 あと十五人が、仮に全てワイトとなって現れたとしたら。
 途中で、気力が尽きてしまう可能性も否定できない。
「……なんぢゃ、マーズ、もうバテたのか?」
 孫娘の顔を覗き込みながら、ジジ老師が言う。
「別に。バテてるつもりは、ないけど」
 図星を突かれ、少しむっとしたように、マーズ。
「ぢゃから言ったではないか……ほれ、このステッキを使うんぢゃ」
 そんなことにはお構いなしに、星形の飾りがついた棒杖をマーズに差し出す老人。
「だから、いらないっつってんでしょ」
「そうか? 役に立つと思うがのう。ほれ、この星、実は魔晶石で作ってあるんぢゃ。よくできとろう?」
 星形にカットされているが、ぼんやりと薄闇に浮かぶように青白く輝く様は確かに魔晶石のそれである。
「魔晶石……お爺ちゃん、持ってるの?」
 マーズの口調が少し明るいものになった。魔晶石があれば、術者の精神を消耗することなく魔法を使うことができる。
「おお、持ってきたとも。ほれ、使いやすいように全部ステッキにしてみたぞぃ。」
 そう言って老人は、星形カットの魔晶石をあしらった棒杖の束を得意げに懐から出して見せた。
 マーズ、凍る。
「ラーダのお嬢さんも一本どうぢゃ?」
「ええ、ありがとうございます、助かります」
「ちょっと! お爺ちゃん! どぉーして魔晶石をそんなファンシー小物なんかにする必要があるわけ?」
 マーズ、怒る。
「まあそう怒るな。……ちなみに、削った分の石は、この帽子にあしらってみた。小さなかけらでもちゃーんと魔力はあるからのう。どうぢゃ、スパンコールみたいでなかなかナウいぢゃろう? ほれ、これもかぶるとええ」
「はい、ではお言葉に甘えて」
「マーキュリー! あんたもあんたよ、そんなもん嬉しそうに受けとってんぢゃないわよ!」
「まあ、いいじゃないですか。デザインがファンシーでも、魔晶石には違いありませんし」
 帽子を頭に乗せつつ、マーキュリーは息巻くマーズの追求を穏やかな口調でにこやかに受け流した。
「いいなー、お揃いのステッキと帽子、可愛いくって。あたしも欲しーい☆」
 人差し指を唇に当てる仕草で、ヴィーナス。
「あんたは魔法なんか使わんでしょうが!」
「まあまあ。そんなに怒んないでさ、もらっときなよ」
 呆れたように頭を掻きながら、ジュピター。
「そうですよ。現実の問題として、この先同じようなペースで魔法を使っていたのではとても私達の精神力が持ちませんし、かといって魔法を使わずに済むとも思えません。魔晶石は絶対に必要です」
 たしなめるようなマーキュリーの言葉には、(お伽話の魔法使いのようなファンシーな姿を差し引いても)マーズを黙らせるのに十分過ぎる説得力があった。
「………………ああもう分かったわよ! 貰います! 貰えばいいんでしょ! 言っとくけど、あたしはこういうファンシー趣味は嫌いなんだからね!」
 そう怒鳴って、マーズは星のステッキを一本、祖父の手からひったくった。

*        *        *


 先刻巡察官のワイトが出現した辺りは、壁が崩れ、大きな穴が口を開けていた。穴の内側はある程度の広さの空間になっていたが、その趣は下水道とは明らかに違っている。
「ほぉ……まだこんなものが残っておったか」
 ジジ老師は感慨深げにしげしげと辺りを見回した。古代の遺跡のような雰囲気の漂うそこは、どうやらグラシア建国当時に使われていた地下墓地のようだった。フロアには墓碑が整然と並び、壁は人の名前の刻まれた石版がぎっしりと埋め込まれている。その石版の隙間に小さな出入口が切り取られ、さらに奥の部屋へと続いているようだった。
 次の部屋に入ったところで、何かが聞こえてきた。近付くにつれてそれは低い男の声となり、独特の韻律と抑揚を持った呪文のような調べとなる。そして三つ目の部屋に入る頃には、あまりにも有名な暗黒神の名が誰の耳にもはっきりと聞き取れた。明かりの漏れ来る部屋を前に、五人は互いに目で合図をし、剣を、杖を握る手に力を込め、意を決して一気に踏み込んだ。


 そこは、更に広い部屋になっていた。真っ先に目を引いたのは、部屋の真ん中に描かれた、同心円に文字らしき物と幾何学模様とを組み合わせた奇妙な図形。そして一番奥には祭壇が据えられ、壁にもともと刻まれていた別の紋様の上に、暗黒神ファラリスの印がどす黒い赤―――乾いた血のような色の―――で描かれている。祭壇の横には錆の浮いた古い巨大な甲冑が置かれ、それに従うように剣と鎧で武装した亡者たちが十人ばかり、兵隊のように気を付けの姿勢で控えていた。
「そこまでよ、闇司祭!」
「…………誰だね、我々の祈りの邪魔をするのは」
 祭壇の前に跪いていた声の主が、ゆっくりと立ち上がり、振り返った。背の高い細身の男である。闇司祭と言えば黒いローブが相場だが、この男のローブはなぜか白だ。フードに隠れた顔はよく見えないが、ぎらぎらと輝く眼鏡と笑っているような口元だけがやけに目につく。
 男の横にはさらに二人の女官が控えていた。こちらは黒のローブを纏っている。双子のようによく似た顔立ちで、一人は黒髪、もう一人は赤毛。黒髪の方の女は、ねじれた長杖を握っている。
「おやおや……これは可愛い魔法使いさん達、私に何かご用かね?」
 白いローブの闇司祭は、嘲笑の混じった口調で言った。
 隣で二人の神官の含み笑いがハモる。
 それもそのはず、いい年をした三人の魔法使いがお揃いのラメ入りとんがり帽子に星のステッキという恰好で、大真面目な顔で並んでいるのだ。
「うっ……るさいわね! あたしだって好きでこんな恰好してんぢゃないのよ!」
 触れてはいけないことに触れられ、マーズ怒る。
「お前か、若い女ばっかりさらって隠してる奴は!」
 ジュピターが吠えた。いつもならここはマーズの役回りだが、今の彼女は怒りの焦点が少々ずれているので。
「隠す……? とんでもない」
 笑みを浮かべた男の口元が、ますます不気味に歪んだ。
「もちろん、有効に使わせていただいたよ、大いなる暗黒神をこの世に招くための、器として。……だが、あの娘達ではちと役者が不足だった……残念なことだ」
「っ……あんたねぇっ! 何様のつもり!」
 ヴィーナスも吠える。
「私か? ―――私はマスター・プロフェッサー、大いなる暗黒神ファラリス様の有能にして忠実なる僕だ。どうだね、君たちもファラリスの教えに従い、欲望のおもむくままに生きてみないかね?」
 闇司祭はそう言ってにたりと笑い、亡者達の方を顎で指した。
「ちなみに、こいつらは正義の味方気取りで我々に逆らった冒険者どもの成れの果てだ。君たちもこうはなりたくないだろう?」
「ふざけるな!」
 ジュピターは剣を握り締め、切っ先を闇司祭に向けた。ヴィーナスも半身になって構える。冒険者と暗黒神官、両者の間で膨れ上がる殺気。
「そうか……ならば、仕方がない。
 ―――シプリンくん、プチロルくん!」
「はっ!」
 双子が同時に答える。黒髪は杖を構え、赤毛は腰の円月刀を抜いた。
「そして、我が忠実なる下僕たちよ! この冒険者どもを一人たりとも生かして帰すな!」
 雄叫びにも似た司祭の呼び声に応え、祭壇の横に据えられていた黒い甲冑が軋むような音とともに動き出した。分厚い兜の奥で、赤い目がらんらんと輝いている。
「―――アンデッド・ナイト!」
 動く鎧の正体を、知識の神の司祭が看破した。
 が、その先を仲間に告げる暇はない。敵は暗黒神官三人と、血のような赤錆の浮いたグレート・ソードを携えた巨大な鎧、そして武装した戦士のワイト十体。
 戦いの火蓋は、すでに切って落とされていた。


「おのれ異教徒どもめ、まとめて始末してくれる!」
 自らをマスター・プロフェッサーと名乗った暗黒神官は、右手を掲げた。緩やかな身振りと低い呟きに呼応するように、銀色のリングが光る。
 古代語魔法の発動体だ。
「むう、魔術師か!」
 老獪な魔術師には、暗黒神官の唱えようとしている呪文が何なのかすぐに理解できた。魔法が完成してしまえば、こちらにとって大きなダメージとなる―――下手をすれば、全滅ということも。
 ジジ老師もすかさず呪文の詠唱に入る。その外見に似合わず、動作が機敏で口も早い。
「『……彼の者の動きを封じよ!』」
 老師の魔法が一足早く完成した。『力ある言葉』の解放とともに、白いローブの暗黒神官に向かってびしっ! と指を突き出す。
 マスター・プロフェッサーの動きが止まった。
 『麻痺』の魔法である。指一本、唇の動きまでも封じられ、呪文の詠唱もままならない。
 が、それは老師も同じことだった。『麻痺』の魔法の効果を持続するには、精神を集中しつづけなければならない。
 戦闘の行方は、若い冒険者達に委ねられた。

 不死者の軍団の前にジュピターが立ちはだかった。
「『全智の神ラーダよ、彼の刃に聖なる破魔の力を』」
 マーキュリーの祈りに応え、神はジュピターの剣に自らの力の一片を与えた。板金鎧や鎖帷子に身を固めたワイトは我先にと襲いかかってくる。
  ぎんっっっ!
 生者と亡者が刃を交わす。絶え間なく浴びせられる敵の剣をジュピターは自らの剣で弾き、あるいは紙一重でかわす。神の御光に白く輝く刀身が一閃し、正面の敵が一人倒れた。
 それでも敵は数で圧倒的に勝っている。すぐに返す刀で、右からの敵を蹴散らした。
 左の敵は―――間に合わない。
  ごっ!
 鈍い音がした。負傷覚悟で受け止めたフレイルの打撃はしかし、防具を通して左腕の自由を暫くの間奪う。
「ぐっ…………!」
 激痛に一瞬息が詰まった。生ける死体はなお、熟練の戦士の動きで攻撃を仕掛けてくる。
「『智神ラーダ…………聖なる光を!』」
 絶妙のタイミングで、マーキュリーの呪文が解き放たれた。一際眩しい、強い光が、石のフロアに不死者達の影を黒々と映し出す。
「『今一度―――光よ! 』」
 立て続けに放たれる魔法の力は容赦なく彼らを灼いた。白い光とともに、ワイト特有の不浄な黄色い燐光は次々に消えてゆく。
「このぉ!」
 体勢を立て直したジュピターが、お返しとばかりに大剣を叩きつける。神聖魔法を受けた不死者にとって、それはとどめの一撃となった。
 やがて十体の不死者の軍団はただの死体となり、一体残らず床の上に崩れ落ちた。
 残るは、不気味な黒い甲冑だけ。
 兜の奥、顔があるべき空間には瞳の赤い光と黒い虚無の闇があるのみ。アンデッド・ナイトと呼ばれるそれは、牛の首をも一太刀にできそうなグレート・ソードをがちゃりと構えた。
「……へえ。得物だけは立派なの持ってるじゃん」
 そう言って、ジュピターはまだ感覚の戻りきっていない左手をぷらぷらと振った。掌を濡らす血はズボンで拭いて、剣を構え直す。
 と、錆の浮いたグレート・ソードを構えた黒い鎧の、兜の奥で赤い瞳がぎらりと光った。
「っつ!…………?」
 不意に、ジュピターの背筋を寒いものが走る。頭の中を電流が流れるような感覚とともに、倦怠感が全身を襲った。
「ジュピター、視線に気を付けて……アンデッド・ナイトの視線は、人間の精神力を奪う力を持ってるわ」
 そう警告するマーキュリーの消耗も小さくはなかった。強力な魔法は多大な精神集中を要し、精神を疲労させる。額にはうっすらと汗が滲み、魔晶石もほとんど魔力を使い果たして輝きを失っていた。
「……OK、わかった!」
 二、三度頭を強く振って、ジュピターは飛び出した。

「ぬううううううぅぅぅぅぅぅぅ」
「ううううぅぅむむむむむむむん」
 ジジ老師とマスター・プロフェッサーは、互いにぴくりともせず睨み合いを続けている。

「『大いなるファラリス、黒き欲望の神。
  我が敵に傷を、苦痛を与えよ!!』」
 シプリン―――『プロフェッサー』は黒髪の闇神官をそう呼んだ―――が叫んだ。デーモン・スクリームと呼ばれるルーンの、不気味な音韻が辺りに響く。
 マーズは胸の前で腕を十字に組んだ。高めた「気」を集中し、盾のようにかざして敵の魔力を弾き返す。
「『……火の精霊よ!』」
  ごうぅっ!
 マーズの反撃。彼女の精霊語に応え、渦を巻く松明の炎。敵も同じく自らの「気」でを集中させる。火は不可視の力を帯びた掌に遮られ四散した。
 間髪入れず唱えられる古代語の呪文。
 同じ呪文を唱える二人の声は、不協和音となって陰鬱な室内に響く。
「『……破壊の力もて―――』」
「『―――空を貫け!』」
 術が放たれるのも同時。
  ばぢばぢばぎぃぃぃんっっ!
 魔法の力が生み出した稲妻は宙でぶつかり合い、激しい音と閃光を残して無へと還っていった。
 なお呪文を唱え続けるシプリン。
「『黒き欲望の神よ―――!』」
 放たれた暗黒神の力が、かまいたちのように空間を渡る。
  びっ!
 阻みきれなかった衝撃波がマーズの頬を掠め、白い肌にうっすらと血を滲ませた。互いに一歩も退かぬ魔法戦、実力はほぼ互角。先に魔力の尽きた方が負けだ。
 手持ちの魔晶石には限りがある。
 相手にどの程度余力があるかは不明。
「こんな消耗戦……らちがあかないわね」
 呟いてマーズは、右手の甲で頬を拭った。

「哈っっ!」
 赤毛の神官が細身の円月刀を振りかざす。舞うようなしなやかな動きで、薙払う白い刃は鋭く風を斬る。
 刀を握る腕が伸びきる瞬間。
 身体を低く沈め、ヴィーナスが懐にもぐり込んだ。
 逆手に握ったショート・ソードの、柄に掌を添え―――
  どぅっっ!
 唐突に、強烈なショックが襲う。
 棍棒で殴りつけるような打撃は完全に不意打ちとなり、ヴィーナスを突き飛ばした。
「ぁぐっ!」
 革鎧ではそのダメージを防ぎきれない。胸を打たれ、息が詰まった。殆ど無意識に受け身を取りながら床を転がるヴィーナス。
 プチロルが放ったのは『気弾』の魔法である。「力」を意味する魔法語一語で発動するこの術は、元々神官の護身のためのものだが、高位の司祭ならば雄牛の体当たりにも相当する打撃を与えることができる。
 肩で息をするヴィーナスを、再び暗黒魔法が襲った。無論彼女も抵抗を試みるが、防ぎきれなかった不可視の力が鎧や皮膚を掠め、傷つけてゆく。
「……これだから、魔法使いは……」
 誰にともなく呟いて、再度ダッシュするヴィーナス。右に左にステップを踏みながら相手を幻惑し、
  たんっ!
 瞬間の動きで死角に入る。すり抜けざまに突き出したショート・ソードに、確かな手応えが感じられた。
 プチロルの表情が苦痛に歪む。
「……っ…………おのれ!」
 唸るような声とともに放たれた『気弾』の衝撃波が、空気を震わせ、逃げる彼女の背中を捕らえた。
「!」
 ヴィーナスの身体が床を転がる。
 今度のそれは、受け身などではなかった。

「ふむむむむむむむむむうううううぅぅぅ」
「むううううううぅぅぅぅんんんんんんん」
 固まったまま睨み合うジジ老師とマスター・プロフェッサーの頬を一筋、汗が流れた。

 ひゅん、と鋭く風を斬るバスタード・ソードを、亡者の騎士の両手剣が受け止めた。
 ジュピターは攻撃の手を緩めない。相手の剣が防ぐより早く、次々に、鎧の腕を肩を、激しい金属音と火花を散らせ打ち据える。
 生身の人間ならばとうに参っているところだが、中身は実体のない霊である。多少効いてはいるものの、分厚い鉄の鎧越しにはなかなか決定的なダメージが与えられない。
  ぶんっ!
 グレート・ソードの薙払い。動きが大きい。
 黒い鎧の、胴ががら空き。
「はぁっっっ!」
 体重を掛けたジュピターの突きが、板金鎧の継ぎ目を破り、魔力を帯びた刀身を深々と食い込ませた。生命を持たぬ筈のアンデッド・ナイトが、痛みを感じているかのように咆哮し、苦悶する。
 ジュピターは剣を引き抜き、跳び退った。
「―――っとぉあ」
 と、踏んだ石畳が割れ、足を取られてバランスを崩す。
 剣を振りかぶるアンデッド・ナイトの姿が視界に入った。
 心臓が跳ねる。体の奥で警鐘が鳴る。
 次の瞬間、脇腹に灼けるような熱さが感じられた。
 やがてそれは激痛に変わり、体中を突き抜ける。
「ぐぅあっ!」
 消し飛びそうになる意識を何とか持ちこたえる。
 視界の隅には、再び黒い鎧が映っていた。

「『……漆黒の闇となり空間を満たせ』!」
 マーズの呪文に応じ、双子の暗黒神官を闇が包んだ。それでどうなるわけでもない、ただの時間稼ぎではあるが。
「ヴィー!」
「はぁい……嬉しいわ、心配してくれて」
 口の端に滲む血を拭いながら、ひらひらと手を振るヴィーナス。軽口のつもりだが所々声が掠れている。
「……それだけ元気なら、もう一仕事できそうね」
「何か―――策が、あるの?」
 ヴィーナスの問いに、マーズは小さく頷いた。
 そう言っている間にも、敵は彼女の放った魔法の闇を打ち消し、姿を現す。
「あの二人、いっぺんに相手にできる? 少しの間―――ゆっくり二十、数えるくらい」
「……OK、任せて」
 ヴィーナスはそう言ってウインク一つ、再び敵の間合いへと飛び込んでいった。

  がぎしっっっ!
 金属の軋む音がして、黒い鎧の姿は消えた。
 マーキュリーの放った『気弾』の術が、鎧の亡者を突き飛ばしたのだ。彼女はジュピターの元に駆け寄り、すぐに次の呪文を唱えた。
「『―――我が手に力を、傷つきし者に癒しの恵みを』」
 傷口に添えられた掌に癒しの力が宿る。拍動に合わせて疼く熱さはほのかな暖かさに変わり、潮が引くように痛みが消えた。
「……大丈夫……ありがと」
 ジュピターは肩で大きな息をしながら、その視野の端には不器用に起き上がる黒い鎧の姿を捉えていた。不安顔のマーキュリーとはほんの一瞬だけ視線を交わし、すぐに剣を構える。左の腕はほとんど無意識に、彼女の前に庇うように差し出す。
「兜の中―――顔面を、狙える?」
 戦士の背中越しに、マーキュリー。
「中の霊体に、直接剣の魔力をぶつけるの」
 ジュピターは黙って頷いた。
 立ち上がったアンデッド・ナイトは再び向かってくる。
  ぎんっっ!
 再び刃と刃がぶつかった。その次にはジュピターの狙いすました一撃がアンデッド・ナイトの手首を打ち、剣をたたき落とし、
「おぉりゃぁぁっっ!」
  がぎっ!
 白く輝く刀身を、兜の中に突き刺していた。
  おおおおおおおおおおおおぉんっっっ!
 耳をつんざく、断末魔の咆哮。
 それを最後に、怪しく光る瞳の色は消え去り、鎧は支えを失ってがしゃがしゃと床に崩れ落ち転がった。

 円月刀を構えるプチロルに、ヴィーナスが突進する。
 弧を描く刃の軌跡を横飛びでかわした。
「馬鹿め、それで裏をかいたつもりか!」
 ヴィーナスの動きを読んで、気弾の術を放つ闇司祭。
 衝撃波は虚しく空気を揺らした。
「はっっっ!」
 小さな構えから鋭い振りでナイフを投げるヴィーナス。
 プチロルの読みの裏をかいて放ったナイフは、呪文を唱えるシプリンの右肩に傷をつけた。唐突な痛みに思わず詠唱を中断する。
「へーんだ。あんたたちみたいな腐れ神の犬に、誰がやられるもんですかぁ」
 ヴィーナスはそう言って舌を出し、あかんべぇをしながらへらへらと手を振る。
 この瞬間から、彼女が双子の闇司祭の共通の敵となった。
「おのれぇぇっ!」
 憎悪の形相で曲刀を振るうプチロル。ヴィーナスはわざと相手の間合いに入り、挑発しながら紙一重で刃をかわして逃げる。狐の追跡をかわす兎のような複雑な動きで幻惑しつつ、もう一人が呪文を唱えると、絶妙のタイミングでナイフを飛ばして邪魔をする。
 その隙に、マーズは懐から横笛を取り出した。
「『風乙女よ、封印を抜け、我が導きに応じよ』」
 精霊語の呼びかけに、笛はひとりでに音を発する。笛の中に封じられていた風の精霊が解き放たれたのだ。陰鬱な地下の澱んだ空気が流れ始めた。
「『……清らかなりし風の乙女。
  時に木の葉を撫でる風、時に木の葉を散らす風』」
 歌うようなマーズの呼びかけとともに、渦巻く風は次第に勢いを増す。彼女の魔力を受け、風の精霊力が強くなっているのだ。長い黒髪が宙に舞い上がる。
 敵がこちらの異変に気付いた。マーズの使おうとしている術が自分達に致命傷を与えるものであることにも、ヴィーナスの挑発が陽動であることにも。
 二人の闇神官は呪文を唱え始めた。
 狙いは黒髪の精霊使い。
「『大いなるファラリス―――』」
 ヴィーナスが間に飛び込む。
「『―――我が敵に傷を、苦痛を与えよ!』」
 二人分の暗黒魔法が、ヴィーナスを襲った。正面で腕を組んでガードするが、それでもダメージは小さくない。体中に焼け石のつぶてをぶつけられたように、痛いというよりは、熱い。たまらず彼女は床に片膝を突いた。
 その時、マーズの呪文が完成した。
「『風の精霊よ、その力もて、かの者達の音を封じよ!』」
 精霊は一陣の風となって敵に向かう。力を増した風の精霊は、たちまち二人の闇司祭を沈黙の呪縛に付した。
 あっと叫んだその声はしかし、音を成すことはなく。
 次の瞬間、二人の顔が恐怖に歪んだ。
 やがてほどなく、乱戦は決着をみた。


「うがががががががががががががががふが」
「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎんぎ」
 額に青筋をたてながら、ジジ老師とプロフェッサーは歯をくいしばり睨み合いを続けている。
「…………さて、残るは―――」
「このふざけたオヤジだけね」
「よりによって、暗黒神を祭るなんて」
「許せないな」
 一連の事件の黒幕に、冒険者達が詰め寄る。
「『強制』の術で魔法を封じます」
 マーキュリーが一歩進み出た。本来温厚な彼女も、さすがに表情が険しい。
「―――死をもってではなく、生涯を費やしてその罪を償うべきでしょう」
 冷たくそう言って、彼女は錫杖を正面に構えた。
 『強制』は絶対の使命を相手に与える術である。この術を受けた者は、使命に反する行いをしようとした途端に苦痛をもって戒められることになる。一種の呪いであり、高位の司祭のみが使える術だ。
 地下墓地の石室に、澄んだ声が響き始める。神聖語を解する者などいないにもかかわらず、誰もが思わず聞き惚れてしまう、そんな詠唱である。
 その厳粛な空気の中を、不意に強い殺気が走った。
「ぁぶない!」
 ジュピターに思いきり手を引かれ、マーキュリーの呪文は中断する。一瞬前まで神官の立っていた場所を、銀色の円盤が風を斬って通り抜けた。
 全周を鋭い切刃に縁取られた、ドーナツ状の円盤―――チャクラムである。
「マーキュリー!」
「大丈夫……法衣の端が、少し、切れただけ」
 鎧の胸に抱き留められたマーキュリーは、少し喘ぎながら答えた。
 チャクラムの次の標的は、闇司祭と睨み合いを続けている老魔術師だ。
「お爺ちゃん!」
 マーズの叫ぶ声。老人は魔法に精神を集中し続けていて、身に迫る危険には気付いていない。
 咄嗟に体が動いたのはヴィーナスだった。老師のローブの襟首を掴まえて力一杯引っ張る。勢い余った老師は尻もちをつく。精神集中が途切れ、闇司祭にかけられていた麻痺の魔法の効力は失われた。
「くはぁ……おおぉ、カオリナイトくん!」
 自由になった闇司祭は、不敵な笑みを浮かべた。その視線の先に現れたのは、暗殺者スタイルの長身の女。ウエーブのかかった赤毛をなびかせ、美しい顔には氷のように冷徹な表情が貼り付いている。腕と脚を大胆に露出したコスチュームは体の線をはっきりと型どり、胸元は刺激的なVカット。手には細いチェーンで編まれた手袋をつけている。これであの剣呑な投げ武器を操っているのだ。
「マスター・プロフェッサー!」
 女は単身向かってきた。呪文を唱えようとしたマーズをチャクラムで牽制し、一気に間合いを詰める。
 恐ろしく動きが速い。
  きんっっ!
 いつの間にか手にした細身のショート・ソードで、ジュピターと斬り結ぶ。
「くっ……このぉっっ!」
 鍔迫り合いから、ジュピターがカオリナイトを突き飛ばした。その動きに合わせて、暗殺者は勢いを殺すように自分から飛び退る。
「カオリナイトくん!」
 マスター・プロフェッサーが呼んだ。
「……ここは分が悪い。一旦引き揚げるとしよう」
「はっ!」
 女暗殺者は身を翻しマスターの許に寄る。
「……それでは諸君。
 今日の所は勝負を預けておくとしよう」
 闇司祭はそう言って、白いローブの懐から巻物を一本取り出した。
「ふはははははははははは……さらばだ!」
 高笑いとともに派手なアクションで巻物を広げる。
 と、闇司祭と女暗殺者の姿が陽炎のように揺れ、次の瞬間には跡形もなく消えた。
 黒い野望の根城となった地下墓地の遺跡に、暗黒神の祭壇と犠牲となった人々の死体を残して。

*        *        *


「そうですか―――」
 『白い家』の執務室でマーズから一部始終の報告を受け、プルートは深い溜息をついた。
「大変なミッションでしたね」
「……はい……」
「貴女が気に病むことはありませんよ、マーズ」
 答える若い魔術師の、ポーカーフェイスのその裏で吹き荒れる感情を察し、ギルドを預かる最高導師は穏やかに諭した。
「この度の失踪事件は一応の解決を見たわけですから。貴女の報告から判断しても、プロフェッサーと名乗る闇司祭はかなりの実力の持ち主のようです。今回はそんな人物の存在が判っただけでも収穫と言っていいでしょう。」
「はい」
 にこりともせず相づちを打つマーズ。
 プルートはそれと判らぬように軽く溜息をついた。もっとも、自分の弟子がそんな言葉で納得する人物ではないことなど、はじめから分かっていたが。
「……何はともあれ。私としては、あなたたちが全員無事だったので、正直ほっとしているところです。」
 導師もまた、そのポーカーフェイスを微妙に和らげた。

 執務室を出た二人は、階下の応接室へと向かった。すれ違う魔術師たちの誰もが、最高導師の姿に最敬礼で畏まる。
「……では、もう、行ってしまうのですか」
 軽く後ろを振り返りながら、プルートが問うた。
「はい」
 マーズは師であるプルートの半歩後ろを歩いている。
「もう少し、ゆっくりして行ってはどうですか」
「…………私は、ギルドを飛び出した身ですから」
 マーズは伏し目がちに答えた。
「別にそんなことを気にする必要はありません。ギルドとしては、むしろ貴女には導師としてここにとどまって欲しいくらいなのですから」
 マーズは答えない。
「―――もちろん、無理強いするつもりはありませんが」
「……申し訳ありません」
 プルートはそっと首を横に振った。
「ですが、貴女が必要だと思ったなら、その時にはいつでも帰っておいでなさい。此処が―――『白い家』が、貴女の家なのですから」
「…………はい」
 マーズは少しはにかみながら頷いた。
「さあ、仲間がお待ちかねでしょう」
 そう言って、プルートは応接室の扉を開いた。

 室内からは、陽気な笑い声が聞こえてくる。
「……なーんて言うんぢゃよ」
「へーえ、そうなんだぁ。かっわいーい☆」
「そうぢゃろう? 今ぢゃあーんな偉そうなことを言っとるが、小さな頃はよくぴーぴー泣いておったわい。夜なんぞ、トイレどころか一人で寝るのも怖……」
  すばかぁーんっっっっ!
 高らかな音とともに、老人がテーブルに突っ伏した。つややかな頭に、スリッパの赤い跡がくっきりと浮かぶ。
「おっ……お爺ちゃん! 変なこと吹き込まないでよ!」
 スリッパを握り締めるマーズの手がふるふると震えた。
「……わしゃ嘘は言っとらんぞ」
「そーいう問題じゃないの!」
「大丈夫よ、マーズ……今はあたしが一緒だもの。独り寝なんかさせないわ☆」
  かぷしっっっっ!
 饒舌なヴィーナスの口にスリッパが突っ込まれる。
「くっだらないこと言ってんぢゃないの! ほら、ぐずぐずしてないで。とっとと行くわよ!」
  ぱきっ
  ぽりぽりぽり
「……行く、って……?」
 ピーナッツを剥いては頬張りながら、ジュピター。
  ぱぱきっ
  ぽりぽりぽりぽり
「何か用でもあんの?」
 長椅子に脚を投げ出し、鎧も脱いで、すっかりくつろいだ様子で呑気に訊ねる。
「って、その用が済んだからこの街出て行くんでしょ!」
「あにカリカリしてんのさ。折角故郷に帰ったんだから、ゆっくりしてきゃいいじゃんか」
  ぱききっ
  ぽりぽりぽりぽ
「あんた達がくつろぎ過ぎなの! いいから支度して!
 ……って、マーキュリーは何処よ」
「ラーダ神官のお嬢さんなら、蔵書室ぢゃぞい」
 頭をてかてかと撫でながら老人が言う。
「そうそう」
  ぱきっ
 ジュピターはピーナッツを高々と放り上げると、口で器用にキャッチした。
  ぽりぽりぽりぽりぽり
「そりゃもう、嬉しそうに降りてったよ。ありゃあ、当分動かないと思うね」
「無理矢理連れ出したりしたら、罰が当たるかもよぉ……」
 ヴィーナスも復活して口を挟む。
 プルートの口元にも、思わず笑みがこぼれた。
「……これは、ゆっくりして行けという天の啓示ですね」
「………………」
 マーズはただ苦笑するよりなかった。

 まだまだ続く四人の旅も、とりあえずここで一回休み。
 マーズの故郷グラシア、またの名を『魔法使いの王国』。

《fin.》

  


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