センチメンタリズム

深森 薫

 

 病院のベッドでひとり、目を覚ます少女。
 ゆっくりと身を起こし、見覚えのない風景に落ち着かない様子で辺りを見回す彼女は、やがてサイドテーブルの上の新聞に目を留めた。小さな三面記事を目立たせるように不自然に折り畳まれたそれを、少女は恐る恐る手に取る。
『女学生愛の逃避行 聖夜に無惨』
 大見出しに続いて、家出をし行方不明となっていた二人の女学生が雪山で倒れているところを発見され、病院に搬送されたが、懸命の治療むなしく一人が死亡した、との旨が書かれていた。
 自由恋愛、という言葉すらなかった時代、心中未遂、しかも女学生同士の大恋愛は大衆の好奇心を大いに刺激した。記事はさらにこう続く。二人はさる名門女学校の学友で、友情はやがて恋愛感情に発展。両家の親たちが娘の「目を醒まさせる」為、各々に婚約者を宛行い強引に縁談をまとめようとしたが、そのことで娘達は将来を悲観し手に手を取って家出、心中を試みたものと思われる。亡くなった少女の葬儀は昨日、家族の菩提寺にてひっそりと執り行われた──
 暫し呆然としていた少女はやがて、新聞を握りしめ、ゆっくりと窓の外に視線を向けた。ガラスの向こうは一面の雪景色。遙か遠い山々の稜線に隔てられた地上の白銀と空の青が、鮮やかな対を成している。
 少女の頬を涙が一筋、流れて落ちた。


 ピアノのメロディとともにエンドロールが流れ、やがて、ディスクの再生が自動的に停止した。画面は一瞬のブラックアウトの後、いま現在放送中のテレビ番組に切り替わる。ハッピーエンドとはほど遠い結末の余韻に浸る間もなく、けたたましい笑い声がテレビから溢れ出す。
 時計を見れば、日付が変わるまであと一時間と少し。
「まこちゃん」
「……ん?」
 首を斜め後ろに傾けて亜美が話しかけると、少し気怠そうな声が返ってきた。
「ディスク、止まったわ」
 いま目の前のテレビに映し出されているような、どこか攻撃的な笑いが支配する享楽的なバラエティ番組の類を、亜美はあまり好きではなかった。それはまことも同じ筈なのだが、
「……うん」
 まことは生返事をするだけで、動こうとしない。できることならチャンネルを変えたいけれど、テレビのリモコンはローテーブルの上。まことに背中から抱きかかえられた今の姿勢のままでは、残念ながら手が届かない。
 まことの両手は亜美の胸の下でがっちり組まれていて、当分放してくれそうもない。仕方がないので、亜美は、まことの胸に背中を預けたままの姿勢で会話を続けることにした。
「……綺麗。だったわね」
 何が、とは言わない。正直なところ、何が綺麗だったか、と問われても、返答に困る。たぶん、作品全体の雰囲気が、とか、映像が、とか。主役を演じた二人の少女が──容姿だけでなく、魂だとか、その存在そのもの、だとか。そういったものを全部、含んでいるのだろう。
「ん……だね」
 少なくとも、まことには通じたようだ。
 通じている、と信じたい。そう亜美は思った。
「……」
 会話が、途切れる。
 テレビは相変わらず騒がしかったが、不思議とあまり気にはならない。亜美がまことの手に自分の手を重ねると、まことは亜美を抱く腕に少しだけ力を込めた。
「……なんか……」
 暫く黙っていると、今度はまことが口を開いた。
「重たい映画、だったね」
 そう言って、亜美のうなじに頬を寄せ、ごめん、と呟く。
 レンタルショップでこの映画を選んだのは、まことだった。今では有名になった女優の十代の頃の代表作というので、半ば直感的に選んで借りてきたのだったが、禁断の純愛を死をもって貫こうとする主人公の少女二人が、最後には死によって永遠に引き裂かれる結末はあまりにも悲劇的だった。
「そうね。でも」
 亜美は小さくかぶりを振った。
「こういうの、嫌いじゃないわ。物語として、あれ以上の結末も、あれ以外の結末も、ないような気がする」
 いい映画だったわ、と彼女が言うと、まことは少し安心したように、そっか、と小さく答えた。
 再び、沈黙が降りる。
 暫くすると、映画の余韻が冷めたせいか、テレビの音が耳に入ってくるようになった。いつの間にか、テレビではグルメリポートが始まっている。
「……鍋焼きうどん、かぁ……」
 呟くまことの声に、もう重苦しい響きはない。
「いいな。美味しそう」
「そうね」
 亜美が何気なく返事をすると、
「作ろっか」
「え?」
 事態は急展開しはじめた。
「いいけど。材料、足りなくない?」
「買いに行こう」
 こともなげに、まことが言う。
「今から?」
 亜美は時計を見た。日付が変わるまでもう一時間を切っている。
「ちょっと足をのばせば、二十四時間開いてるスーパーあるし。夜の散歩、結構楽しいよ?」
 まことはそう言って亜美を抱く腕を解くと、その肩をぽんと軽く叩いた。自分が立ち上がりたいから退け、という合図である。
「嫌?」
 亜美に続いて立ち上がったまことは、伸びをしながら軽く尋ねた。
「そういうわけ、じゃない、けど。夜中に出歩くのって、あまりいいこととは思えなくて」
 ──ちょっと、気がひけるわ。
 苦笑しながら、亜美。まことは、壁に掛かったハンガーからふたり分の上着を取りながら、真面目だなぁ、と軽く笑った。
「ま、確かにそうだけど。変なとこに行くわけじゃなし、そんなに悪いことでもないよね」
「それはまあ、そう、だけど」
 上着を受け取りながら、まだ少し煮え切らない様子で、亜美。
「大丈夫。夜道は危ない、っつったって、生身の人間はあたし達の敵じゃないし。受験生とか、塾終わって帰ったら、フツーにこの位になるじゃん?」
 最後の一言が殺し文句になって、亜美はようやく首を縦に振った。
 もっとも、最初からあまり反対するつもりもなかったが。


 外に出ると、皓々と輝く十二夜の月が辺りを照らしていた。
 夜の住宅街は、人通りどころか通る車もほとんどない。夕飯時には明かりの点いていた家々の窓も、この時間になると随分暗くなっていた。電柱の蛍光灯と白い月の明かりに、辺りの景色が青紫色に浮かび上がる。
「具は何にするかなぁ」
 スーパーを目指して歩きながら、ぼんやりと独り言のように尋ねるまこと。
「そうね……そうはいっても、遅い時間だし」
 あっさりしてる方がいいわね、と、亜美。
「そっか。んじゃ、鶏と長ネギ。ほうれん草……は、冷凍庫にあるから、あとは椎茸かな」
「お任せするわ」
 脳内シミュレーションに余念がないまことの横顔を見上げて、亜美はくすりと笑った。

 住宅街を抜け、表の通りに出ると、街の明るさも人通りもランクアップ。お目当ての二十四時間営業のスーパーは、ピーク時の混雑こそないものの、レジを通る客があまり途切れない程度には人がいる。
 そのスーパーの精肉売り場で、まことは呆然と佇んでいた。
「鶏、って、決めてきたのに」
  鴨モモ肉(国産合鴨) 九八グラム 三五二円
「鴨があるし」
 鶏と比べれば随分値が張るが、小さなパック程度の量なら決して手の届かない値段ではない。いっそ、目玉が飛び出るほど高ければ、諦めもつくというものなのだが。
「うー……」
「鴨って、脂が強いイメージがあるけど。実際どうなのかしら」
 横で亜美がぽつりと言った。
「あー。うん、そっか。夜中だしね。やっぱ、鶏にしとこう」
 そのひとことで迷いは一気に消え、まことは鶏肉を手に取った。
 その様子を見ながら、亜美は満足げに微笑む。
 まことが歩き出すと、寄り添うように亜美も歩き出した。
「……やっぱ、買い物来てよかったかも」
 不意に、まことがそう言った。
「? どうしたの、急に」
 首を傾げる亜美に、まことは少し照れたように、
「いつもは、さ。スーパーももっと混んでるし、ささっと済ませちゃう感じだけど。こうやって、どうしよう、とか、相談しながら買い物するって」
 ──いかにもラブラブ、って感じじゃん?
 前髪を掻き上げながらそう言って。
「っ、」
 亜美を赤面硬直させた。

「まこちゃん?」
 スーパーを出ると、何故かもと来た道とは反対方向に歩き出そうとするまことを、亜美は怪訝そうに呼び止めた。
「……一寸だけ、遠回りして帰ろう?」
 ね? と、お伺いを立てるように首を傾げるまこと。
 亜美は、仕方ない、という風に小さく笑うと、その隣にぴったりと寄り添った。
 来たときもそうだったが、住宅街の道に入ると、人も車も往来は全くなく、辺りはしんと静まりかえっていた。まばらに点いた防犯灯と月明かりを頼りに、二人はゆっくりと家路を辿る。頭上に月が出ている、ただそれだけで、二人は何となく安心できた。
「亜美ちゃん」
 歩きながら、まことはふと、彼女に手を差し伸べた。その意図を汲んで亜美が自分の手を重ねると、まことはすぐに、その手をきゅっと握り締めた。
「昼間じゃ、堂々とできないもんね。こんなこと」
「そうね」
 微笑する亜美。
 見上げる瞳と白い肌が、淡い月の光に冴え。
「──」
 見慣れているはずのその顔に、まことは思わず見惚れた。
 そして、不意に立ち止まり、
「? まこ──」
 亜美の華奢な体を、腕の中に収めたかと思うと。
 往来の真ん中で、その唇に口付けた。
「──! ちょ、まこちゃん!」
 我知らず張り上げた声に自分で慌てて、亜美は声を押し殺す。
「っ、いくら夜中だからって、こんな所で」
「ごめん」
 非難の声を遮るように、まことは自分の胸元に彼女を抱き寄せた。
「……あんな映画、観たせいかな。なんか、一寸、センチメンタルになってる。自分でも、なんかよくわかんないけど」
 ごめん、と。
 そう繰り返して。
「……もう」
 立ち尽くすまことの背中を、亜美は子どもをあやすようそっと撫でた。
「私達は、あの二人とは違うわ」
 まことがやっとのことで腕を緩めると、亜美は先刻と同じ微笑みを湛えて見上げた。
「時代も、立場も、何もかも。そもそも私達には、地球の規範は当てはまらない」
 そして、指の背でそっと、不安げに見下ろす頬に触れて。
「第一、雪の中で心中なんて。そんなこと、私達はもう経験済みじゃない」
 そう言うと、まことは目を丸くして苦笑した。
「……亜美ちゃんのジョークって、時々すごい毒があるよね」
「そうかしら」
 とぼけるように亜美がそう言って首を傾げると、
「そうだよ」
 まことはやっと、肩の力が抜けたように微笑んだ。
「早く、帰りましょう? まこちゃんが期待させるから、本当は早く食べたくて仕方ないのよ、鍋焼きうどん」
「え、何。色気より食い気なの?」
 戯けた風で亜美が言うと、まことの口調も明るくなる。
「そうよ。悪い?」
「ちぇー」
 そう言いながら、二人はまた手を繋ぎ合って、月明かりの家路を急いだ。

センチメンタリズム―――Fin.

  


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