† 追憶(仮)・3 †

深森 薫

  

「マーキュリー」
 「儀式の間」へと続く回廊の途中で呼び止められ、彼女はゆっくりと振り返った。漆黒の長い髪を結い上げ、儀礼用の純白の装束に身を包んだマーズが、小走りで後ろから追いついて彼女の隣を歩き始める。彼女もまた、同じ純白の装束に身を包んでいた。
「もう、伸ばさないの。髪」
「・・・ええ」
 尋ねるマーズに、微かに苦笑を浮かべて答えるマーキュリー。
「ふぅん。 ま、その髪も似合ってるけど」
「・・・そう?」
 ありがとう、とマーキュリーはさして喜んでいる風もなく無感情に答える。ぞんざいにも聞こえる彼女の返事にも、特に気を悪くするでもなくマーズはぽつりぽつりと話を続けた。
「−−−マーズ」
 不意に、マーキュリーが言葉を遮る。
「・・・ありがとう。私、大丈夫だから。心配しないで」
 俯いていた顔を少し上げて告げる彼女に、そう、とマーズは少し跋が悪そうに肩をすくめた。
 これから「儀式の間」で執り行われるのは、新しい守護神の叙勲。つまり、彼女の知らぬ他の誰かが、殉死したジュピターに代わりその称号を受け継ぐのである。
「・・・なら、いいけど」
 彼女の表情をちらりと窺い見て、マーズは溜息混じりにそう呟いた。

  

 やがて二人は「儀式の間」、彼女たちの背丈の倍はあろうかという両開きの豪奢な扉の前に辿り着いた。両脇に控えていた侍女たちが取っ手を引くと、扉はその重厚な外見とは裏腹な滑らかさでゆっくりと開いた。
 仄かに青みがかった大理石で統一された、広い空間。四階分はあろうかという吹き抜けの天井には、月王国の創世神話が描かれている。そして、正面の高みには玉座が据えられ、そこにはすでに女王が座っていた。女王もまた銀糸を織り込んだ純白の衣に身を包み、その横には、同じ衣装を身につけたまだ幼い王女が、小さな椅子に腰掛けている。
 「儀式の間」に一歩足を踏み入れた二人の背後で、再び扉が閉じられた。二人は玉座へと続く緋色の絨毯の上を静かに進み、女王の面前まで来ると膝を折り頭を垂れた。
「−−−ご苦労です。今暫くお待ちなさい」
 女王の短い言葉に深く頭を下げ、二人はゆっくりと立ち上がり、絨毯に沿って並び控えた。四守護神の定位置である。
 再び沈黙が辺りを支配した。普段はやんちゃな王女も、この空間の威厳に満ちた空気を感じ取っているのか、じっと黙って行儀良くその時を待っている。
 やがてほどなく、再び扉が開いた。
 ヴィーナスの登場である。そして、彼女に続いて入ってきた見知らぬ人物が、今日のこの儀式の主役だった。ヴィーナスより頭一つは高い長身と少しウエーブの掛かった栗色の髪が、先ず何より目を引いた。ヴィーナスはその人物の顔を見上げて一言二言交わすと、先の二人がそうしたのと同じように緋色の絨毯の上を玉座の前へと進み、膝を折り恭しく頭を垂れた。
「ご苦労でしたね、ヴィーナス」
 ヴィーナスは女王の言葉に応えるように礼を深くすると、ゆっくりと立ち上がり、脇で控える二人の元へと移動した。
「−−−では」
 ヴィーナスが下がるのを見届け、女王はゆっくりと玉座から立ち上がった。三柱の守護神が威儀を正す。
「これより、守護戦士の叙勲を行います。
 守護神の名を継ぎし者よ、前へ」
 栗色の髪を揺らし、その人は歩き始めた。背筋を伸ばし、長い手足をゆったりと動かして歩く横顔の精悍さは武道家のそれを思わせる。やがて彼女は玉座の前に来ると、先刻ヴィーナスがそうしたように、だが少しぎこちない仕草で、右手を胸に置き、跪いて深く頭を下げた。
 女王は玉座を下りて彼女の眼前に立つと、腰に帯びていた剣をゆっくりとした所作で鞘から抜いた。曇り一つ無く銀色に輝く刀身を面前にかざし、そして、足元に跪く彼女の首筋へと宛う。
「王国守護神の名を戴く戦士として、王国と王国を統べし女王への変わらぬ忠誠を誓いますか」
「誓います」
 彼女が初めて口を開いた。やや低い、張りのあるよく通る声で、突きつけられた刃にも動じることなく落ち着いた口調でそう答える。
「王国の安寧と繁栄が為、その身と心を捧げることを誓いますか」
「誓います」
「己が武功に走ることなく、四守護神が力を合わせ、その名に恥じぬ働きをすることを誓いますか」
「誓います」
「では」
 女王は剣を退き鞘に納めると、両手を頭上に高々とかざした。
 やがてその手の中に光が生まれ、黄金のティアラが顕現する。
「貴女に、木星守護神ジュピターの名を与えましょう。
 −−−面を」
 促されて顔を上げた彼女の額に、女王はティアラを授けた。
 瞬間、彼女の体が眩い光に包まれ、白の装束は戦士の装束へと変化した。緑と白を基調とした、木星守護神のそれである。
「貴女に課せられた使命、ゆめゆめ忘れることの無きよう」
 ジュピターの名を与えられた彼女は、はい、と頷き、再び頭を垂れた。
「セレニティ」
 女王が呼ぶと、小さな王女は高い椅子から降り傍へ寄った。女王はその小さな肩に手を乗せ、新たな守護戦士に引き合わせた。
「ジュピター、これは我が娘セレニティ。
 守ってやって、くれますね?」
「−−−命に代えても」
 答えて、ジュピターは顔を上げると、小さな王女の手を優しく取り、そっとキスを落とした。
 女王は満足げに微笑んだ。
「では、これで叙勲の儀式を終わります。−−−ヴィーナス」
 はい、と答えてヴィーナスが一歩前に出る。
「後はお願いしますよ」
 女王はそう言うと、王女の手を引いて奥の扉の向こうへと姿を消した。
「・・・さて。ジュピター」
 後を任されたヴィーナスが、緊張の余韻の残る沈黙を破った。
 呼ばれてゆらりと立ち上がったジュピターは、初めて仲間となる守護神達にまっすぐ向き直った。長身に見合った長いリーチ、鍛え上げられ均整の取れた体。儀礼用の装束の時と違い、戦士姿はそれを一層際立たせた。
「お疲れさま。そして、改めて−−−ようこそ、月王国近衛へ」
「ありがとう。どうも堅苦しい儀式は苦手だね、肩が凝るよ」
 ジュピターはそう微苦笑して、こきこきと首を捻った。瞳の色は翡翠、木星守護神を象徴する色だ。その澄んだ深みのある色は、彼女がこの使命を帯びる為に生まれてきたのではないかと思わせる程に、守護神の装束に似合っていた。
「じゃあ、ざっくばらんに紹介させて貰うわ」
 ヴィーナスはくすりと笑った。
「私はもういいわね。−−−こちらが、マーズ。術使いよ」
 よろしく、と小さく言葉を交わして握手をする。
「・・・で、こちらがマーキュリー。作戦立案は全部、彼女の担当」
 ヴィーナスとマーズの気遣うような視線を集め、マーキュリーはよろしく、と言って差し出しかけた手をふと止めた。
「・・・ごめんなさい。悪いけど・・・必要ないところでの戦士服、遠慮願えるかしら」
 軽く眉を寄せるマーキュリー。一瞬、目配せをするヴィーナスとマーズ。ただ事情を知らない当のジュピターだけは、別段気を悪くする風でもなく「ああ、失敬」と軽く言って、すぐに元の白装束へと姿を変えた。
「これでいいかな」
「ええ・・・よろしく」
 マーキュリーはそう言うと、卒なく笑顔を作って新しいジュピターと握手を交わした。
「さて。顔合わせの次は、覚えて貰うことが山ほどあるんだけど−−−とりあえず、パレスの中をいろいろと−−−」
 少し言い淀んで、ちらりと視線を走らせるヴィーナス。
「案内しないと−−−マーキュリー、お願い、できる?」
「ヴィー」
「・・・クィーンのご指名なのよぅ」
 マーズの上げた非難の声に、肩をすくめて答えるヴィーナス。
「・・・私は、構わないわ」
 当のマーキュリーがそう言って微笑を浮かべる。マーズは喉まで出掛かった言葉を不承不承に飲み込んだ。
「行きましょう」
 マーキュリーはちらりと一瞥する視線でジュピターを促し、そのまますたすたと扉に向かって歩き始めた。慌ててその後を追うジュピター。
 早足で去ってゆく二人の後ろ姿を見送ると、ヴィーナスとマーズは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく小さな溜息をつきあった。

  

 「儀式の間」から続く回廊はやがて、中庭を横に見ながら隣の棟へと続く渡り廊下に変わった。
「−−−この先は管理棟」
 きょろきょろと辺りを見回しながらついて来るジュピターにはお構いなく、マーキュリーは先に立って早足に歩いてゆく。
 マーキュリーが扉の前に立った。
「この辺りは施療セクションで−−−」
 彼女が横のパネルに触れると、扉は滑るように開いた。
「ここが処置室。基本的にはセルフサービスで、普段は無人よ」
「セルフ・・・」
「大抵のものは揃っているし、見れば解るわ」
 ジュピターの何か言いたげな様子を無視して、マーキュリーは説明を続ける。
「医者はいないのかい? その・・・大きな怪我なんかの時は」
「−−−どうしても必要があれば、私が」
 渋々答えるマーキュリー。
 へぇ、と感心したように声を上げ、
「そういうことなら。怪我するのも、悪くないね」
 ジュピターはそう言って悪戯っぽく笑った。
 マーキュリーは答えるどころか一瞥もくれることなく、踵を返して部屋を出ていった。
 時折すれ違う侍女たちは皆、二人の姿を見るや立ち止まり畏まって頭を垂れる。守護神が二人も、滅多に身につけることのない礼装で歩いていれば、無理もない話である。
「・・・ここがコンピューター・ルーム」
 マーキュリーがまた扉の前で立ち止まり、先刻そうしたように横のパネルに触れた。
「貴女が使うことはまず無い−−−貴女が、というより、私以外の人が。使うことは、無いと思うけど」
 二人が足を踏み入れると同時に、照明が室内を照らし出した。
 巨大なスクリーンが先ず目を引くが、それ以外は壁面に沿ってコンソール・パネルとディスプレイが数面並んでいるだけのシンプルな部屋である。
「勿論、必要があればいつでも使って貰って構わないわ。守護神なら−−−」
 マーキュリーは言いかけてふいに言葉を切ると、一寸待って、と言ってコンソール・パネルのスイッチを入れた。
「セキュリティに、あなたのデータを入れないと」
 機械の作動音がして モニターが発光を始めた。リズミカルに小気味よい音を立てて、彼女の指がキーボードの上を走る。
 やがて、モニターの画面が切り替わり。
「・・・まず掌紋の登録からね。そこのパネルの上に、両手をかざして」
 目の前の画面を見つめる彼女の横顔とその手先の動きに見入っていたジュピターが、その言葉が自分に向けられたものだと気づくには瞬き五回ほどの時間がかかった。
「え? ・・・・・・あ、ああ。こう、でいいのかな」
 答えの代わりに、ひたすらキーボードを打つマーキュリー。
「次は声紋。マイクに向かって喋ってみて」
「何か、って」
「別に、何でもいいわ。『開け胡麻』でも何でも」
「・・・『開け、胡麻』」
「次は人相と、網膜パターン。モニターに顔を近づけて。−−−目は閉じないで、眩しくても我慢して」
 首を傾げながら、それでも素直に言われたとおりに声を出し、顔を近づけ、画面と睨み合うジュピター。
 キーボードの上を忙しく踊っていたマーキュリーの指が、最後にぱしっ、と小気味よい音をたててコンソール・パネルから離れた。
「・・・OK。出来たわ」
 彼女はくるりと椅子を回して立ち上がると、行きましょう、と短く言って、ドアに向かって足早に歩き始めた。一瞬呆気にとられたジュピターは、少し遅れてすぐにその後を追った。

  

「ここが守護神のプライベート・セクション」
 マーキュリーの淡々とした説明は続く。
「一階は主に、ライブラリーとコモン・ルーム、それから、ダイニング。部屋の向こう側は中庭に開けているわ」
 そう言って各部屋を指さしながら、二人は足早に廊下を歩いた。先刻見た管理棟の無機質なそれと違い、内装も照明も、柔らかく暖かみのある色調や質感で彩られている。
「そして−−−二階は、守護神の私室が」
 廊下を端まで歩くと、マーキュリーは一度足を止め、少し重い足取りでゆっくりと階段を踏みしめ始めた。
 二階の廊下も、一階とほぼ同じ色調で統一されていた。
「・・・ここからが、守護神の私室よ」
 絨毯張りの長い廊下に、木目調のドアが四枚、同じ間を隔てて並んでいる。
「一番手前がヴィーナスで−−−」
 マーキュリーはゆっくりと歩を進め始めた。
「その隣が私−−−」
 ジュピターも歩調を合わせてゆっくりと進む。
「次がマーズ−−−」
 ドアとドアの間隔は随分と広く。
「・・・そして−−−」
 やがて、最後のドアの前で二人は立ち止まった。
「−−−ここが、あなたの、部屋に」
 マーキュリーはドアを開けようとしなかった。ジュピターがちらりと視線を投げると、彼女は小声で「開いているわ」と促した。
 ゆっくりとドアが開き。
 へぇ、とジュピターが感心したように呟いた。
 高い天井にシャンデリア。厚みのある絨毯敷きの床に、センターテーブル、大振りなソファ、飾り戸棚。ベランダへと続くガラス戸に、飾り気のないカーテン。決して粗末とはいえないそれらは、全てが元々この部屋に備え付けられたもので。
 マーキュリーは息を呑んだ。
 他の守護神達のように私物を置いたり、自分の好みの調度で部屋を飾るなどということを殆どすることの無かったジュピター。今目の前にある部屋の光景は、かつてその人が生きていた頃と何ら変わっていなかった。
「凄いな。破格の待遇だ」
 ジュピターはしげしげと室内を見回し、ソファの座面を掌でぽんぽんと叩いた。
 その声にふと我に返ったマーキュリーは、二、三度小さく首を振って気を取り直し。
「・・・こちらの手前の扉がバスルームで−−−それから、その奥にある扉が、寝室」
 ジュピターの言葉には応えることなく、それだけを告げた。
「この部屋にある物は自由に使って。自分の好きなものを持ち込んで貰っても構わないわ。必要な物があれば、そこの呼び鈴で人を呼んで」
 じゃあ、と踵を返して立ち去ろうとするマーキュリーを、ジュピターが呼び止めた。
「何?」
 マーキュリーは立ち止まり、身体ごとゆっくりと振り返る。
「・・・あのさ。・・・マーキュリーって、付き合ってる人とか・・・居ないの」
 前髪をかき上げながら、ジュピター。
「・・・・・・いないわ。今は」
「だったら、あたしと−−−」
 ぱしん、と平手を打つ音がして、言葉はそこで途切れた。
「・・・用件。それだけなら、失礼するわ」
 マーキュリーは変わらない口調でそう言うと、再び踵を返してその部屋を後にした。

  

−−−追憶(仮)3・終

  


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