† ラストダンスは私に †

深森 薫

  

 月の女王の挨拶は拍手の渦で迎えられ、楽団の奏でる軽やかなワルツで舞踏会は始まった。広々としたホールの石の床は鏡のように磨き上げられ、シャンデリアのきらびやかな光を照り返す。女王の玉座は盛装した老若男女の舞うフロアを見渡す高みに設けられ、その両隣に月の王女と、主賓である地球国の王子の席が配されている。
 そして舞踏会の始まりとともに、女王と王女、王子の元へ、紳士淑女が次々と挨拶にやってくる。
「ほぉら、来た来た」
 あたしはプリンセスに耳打ちをした。
「稽古したとおりに、くれぐれも失礼のないように」
「・・・ジュピターに言われたかないわね」
 仏頂面でマーズが横からツッコむ。
「あんたこそちゃんと仕事しなさいよ」
 ・・・余計なお世話だ。
 今日のあたしの役目は、マーズとともに女王と王女の警護をすること。まぁそんなことはないとは思うが、訪れる人々の中に不審な者が居ないか、一応目を光らせる。
「ご機嫌麗しゅう、プリンセス・セレニティ。今宵は一段とお美しくあらせられる」
「ありがとうございます、ト・・・トランキリタティス伯」
 我が姫も何とか上手く挨拶をこなしている。前は『トランキリタティス』が言えなくて舌を噛んでたことを思えば、ずいぶんと進歩したもんだ。
 やがて挨拶の人の列が途切れると、地球の王子がおもむろに立ち上がった。
「おっ、いよいよ来るか、王子様」
 あたしはすかさずプリンセスに耳打ちをした。
「いいですかプリンセス。稽古したとおりに、ダンスは大マタ開かず楚々としてやるんですよ、楚々として」
「・・・わかってるわよぉーだっ」
 愛らしい仕草で、ちょっと舌を出してみせるプリンセス。
 そうしている間にも、王子は我らが姫の前へと進み出た。
「それではプリンセス、今宵のファースト・ダンスを私に」
 うやうやしく頭を垂れ、右手を差し出す王子。微笑んだ口元に、白い歯がきらりと輝く。好青年なのはいいけれど、爽やかすぎてちょっと鼻につくかな。
「喜んで」
 王女は一夜漬けの優雅な動作でその申し出を受けると、王子のエスコートを受けてフロアへと降りていった。
「・・・大丈夫かなぁ、うちのプリンセスは」
 あたしは、二人の後ろ姿を見送りつつ呟いた。
「大丈夫よ」
 横からマーズが応える。
「王子はよくできた方だし、日頃から鍛えておいでだもの。少々足を踏まれたってどうって事ないわ」
「・・・少々で済めばいいけどね」
「そうね、王子には今度から丈夫な靴を履いていらっしゃるように申し上げておかないと」
 マーズも言うことがキツい。
 ま、分かってたけどね。今に始まった事じゃなし。
 女王と王女の護衛があたし達の担当だが、まさか踊っている二人にべったりと張り付くわけにもいかず、とりあえずここからフロアで踊る王女の様子を目で追うことにした。隣を見れば、王子の護衛も同じように手持ち無沙汰そうにつっ立っている。金髪の堅物そうな男と、栗毛の大柄な男。
 確か地球の王子の側近は四人いたはずだ。
 あたしはフロアに目を走らせる。一人はすぐに見つかった。銀の髪の男、四人の中で一番腕がたつとかいう噂だ。丁度ヴィーナスと踊っているところである。そのすぐ傍には、王子と王女の踊る姿も見えた。さりげなく傍について警護の目を光らせてるあたり、さすがヴィーナス、ソツがない。
「へえ。ヴィナの奴、意外とまともに踊ってるじゃん」
 ヴィーナスのダンスの腕前ときたら、王女といい勝負なんだが。
「それは相手のリードがよっぽど上手いのね」
 マーズも辛口の感想を述べる。まったくだ、と相づちを打ってあたしは再びフロアに目を走らせた。王子の側近、あと一人は金髪の長髪で線の細い奴−−−
 んあ。
 いた。
 んにゃろ・・・よりによってマーキュリーと踊ってやがる。
 そりゃ、分かってるよ、この舞踏会は地球国との交流のためのもんだってね。そのためにあたし達四守護神も引っぱり出されて、警護するのにわざわざ盛装したり好きでもないのに地球の野郎と踊ったりしなきゃ・・・って、結構楽しそうだな、おい。
 んな笑顔で、見つめあいながら踊っちゃって、畜生。
 また踊りも上手いのが腹立つなぁ。・・・いや、あれはマーキュリーが上手いからそう見えるんだ。うん、きっとそうだ。
 そうこうしている間に、曲が終わった。
 をいこら。終わったんだからその手を放せ、その手を。
「ジュピタ、どこ見てんのよ」
 マーズの声でちょっとだけ我に返る。
「仕事しなさい、し・ご・と」
「うー・・・分かってるよ」
 分かっちゃいるけど、仕方ないじゃん、気になるんだから。
 プリンセス、プリンセスは・・・いたいた。はいはい、王子とよろしくやってます。異常なし。次の曲も王子と踊る模様、怪しい奴もいません。とゆーわけでマーキュリ・・・んあ。
 あのヤロ、まだいたのか。
 二人して、グラス片手に・・・何喋ってんだろ。
「ジュピタ、眉間に皺寄ってる」
 またマーズが横からツッコむ。
「この舞踏会は地球国との友好が目的なんだから。んな怖い顔でつっ立ってたら喧嘩売ってると思われるでしょ」
 喧嘩上等。売っていいなら売りたいね。
「言われたかないね。自分だって仏頂面の癖に」
「・・・だから私もここに居るんじゃない、あんたと一緒で」
 溜息混じりにマーズが言った。
「ごもっとも」
 それにはあたしも反論しなかった。あたしもマーズも外交には向かない。だからこうして、警護と称して舞踏会のカヤの外に放り出されてるんだから。でなきゃ、例えばダンスの上手さでいったら、フロアで踊ってるのがあたしで、ここにつっ立ってるのはヴィーナスの筈だ。マーキュリーは・・・まあ、何でもできるひとだからね。
 それにしても。
 まだ離れんか、あの男は。
 ニヤけた顔で笑ってんぢゃねーよ。
 あっち行け。しっ! しっ!
「ジュピタ、顔」
 またマーズ。
「るさいな、分かってるって」
 んあぁぁぁ気になる。
 気になる。あーぁぁ気になる。
 舞踏会、頼むから早く終わってくれぇぇぇ。
 あたしが心の中で地だんだを踏み続けている間も、楽団は次から次へと、軽快なワルツを奏で続けていた。

*       *       *

 夜も更けて。
 宴の後のホールでは、侍女達が総出で片付けに走り回っている。
「うー・・・・・・ん」
 窓から漏れる薄明かりの中庭で、あたしは大きく伸びをした。夜風を頬に受けて、深呼吸を一つ。所詮は人工のものだと知っていても、やはり外の空気は気持ちがいい。
 ・・・さて。
 んじゃ、着替えてきますかね。これから引き続き夜通しの警備が待っている。今夜は国賓が山ほど泊まってるから、態勢はいつもより厳重だ。個人的には地球の連中がどうなろうと知ったこっちゃないけどね。
「ジュピター」
 ふと、後ろから呼ぶ声。
 トキメきつつ振り返ると。
 マーキュリーがそこに。いるんだな、これが。
 ストラップレスのドレスにシースルーのボレロ、舞踏会の盛装のままだ。華奢で可憐な彼女の、清楚な色香が引き立つ。
「お疲れ様」
 彼女は微笑んで、しずしずと歩み寄ってくる。
 その笑顔でそんなこと言われたら、疲れなんて吹っ飛んじゃうぅう。
「ん・・・マーキュリーこそ、お疲れ様。ずっと誰かが張りついててさ、モテモテだったじゃないか」
 できることならあたしも張りついてたかったよ。
「仕方ないわ。これも仕事のうちだから」
 そう言って彼女は軽く肩をすくめた。『仕事のうち』という言葉に、あたしは少しほっとする。別に楽しんでいたわけじゃ、ないんだ。
「私は今日はこれで終わりだけど。貴女はまだこれから不寝番でしょう? ご苦労様」
「うん。まあ、舞踏会の間はただ突っ立ってただけだし」
 あたしも軽く肩をすくめる。
「・・・そういえば、退屈そうだったわね」
 少し悪戯っぽく見上げるマーキュリー。
「まあね。何事もないに越したことはないけど」
「勿体ないわね。ジュピター、ダンス上手いのに」
「・・・まったくだ。あたしもそう思う」
 おどけて答えてみせるあたしに、彼女がくすりと笑う。あたしもつられて笑った。
 んー、いいねぇ、こういうの。会話を楽しんでる、って感じ。
「本当は、踊りたかったんじゃないの?」
「ん・・・まあね」
 溜息混じりに、ちょっと冴えない風にあたしは答えた。
 もちろん、踊りたかったよ。あの優男の代わりに、貴女とね。
「じゃあ−−−」
 言いかけて、彼女はあたしの横をすり抜けると。
 軽やかなターンで振り向いて、右手を差し出した。長いスカートの裾がふわりと舞う。
「ここで、一曲、いかが?」
 薄明かりに仄かに輝く、淡い色のドレスと透けるような白い肌。宵闇の中に浮かぶ立ち姿はガラス細工のように華奢で。
 目があった瞬間、切ないような痛みが胸を締め付けた。
「・・・・・・喜んで」
 伸べられたその指を包み込むように左手で受けて、右手を彼女の背中に添える。
 このまま力を込めて、抱きしめてしまいたいけれど。
「・・・・・・じゃあ、ワルツを」
 彼女の左手が、あたしの肩にそっと触れ。
 最初の一歩を踏み出す。いったん踊り出してしまえば、あとは身体が勝手に動いた。音楽はないけれど、宮廷円舞曲のメロディは耳の奥に染みついている。舞踏会には必ず演奏される、定番中の定番。
「そういえば、初めてね、ジュピターとこうして踊るの」
 うわぁ。
 そんな笑顔でんなこと言われたら。
「わっ・・・っと、ご、ごめん」
 足がもつれっちゃうじゃないか。
「うん・・・そうだね」
 とりあえず、笑ってごまかす。
「稽古するときは、あたし達二人とも教える方だし」
 彼女はそうね、と言ってくすりと笑った。

 でも−−−そんな楽しいひとときも、いつまでも続く訳ではなく。
 ワルツは終曲を迎え、二人の足も自然に止まる。息がぴったり合ってるようで、何だか嬉しい。
「・・・ありがとう」
 言って、あたしはそっと手を放す。放さなくていいものなら、放さないけど。
 ううん、と小さくかぶりを振って、マーキュリーもそっと手を引いた。
「私も、楽しかったわ。素敵なラストダンス、ありがとう」
 彼女の言葉に、あたしの心臓が大きく跳ねて、止まり。
 まるでヘヴィメタにあわせてツイストしながらモンキーダンスでもしてるかのように激しく動き出す。
 ラスト・ダンス。
 その特別なダンスのパートナーに、彼女はあたしを選んでくれたと?
 それって−−−それって、もしかして−−−
「じゃあ、お務めがんばって−−−」
「待って!」
 咄嗟に、あたしは彼女を引き止めた。
 大きな声に、彼女は少し驚いたように立ち止まる。
「あっ、あの・・・」
 振り返った彼女に、
「・・・あたしは、今のがファースト・ダンスなんだ・・・」
 あたしは左手を差し伸べた。
「だから、もう一度、踊ってくれるかな・・・今度は、あたしのラスト・ダンス」
 その時のあたしの声は、震えていたかもしれない。
 彼女は俯き加減に頷いて、おずおずと右手を差し出した。
 あたしは左手でその手を受けて、右手を背中に添える。さっきよりも、少しだけ−−−少しだけ、近付いて。
「・・・スロー・ワルツで、いいかな」
 胸元で、彼女が頷く。表情は見えない。
 やがて小さなステップを踏みはじめる。ゆらゆらと波に揺られるように、ただリズムを刻むだけの。互いの身体が微かに触れあう微妙な距離で、布越しに伝わるほのかな温もり。
 もうちょっと、だけ。
 右手で、背中を引き寄せた。彼女の肩に少し、緊張が走る。
「やっぱり・・・ラスト・ダンスは、特別な人と、踊りたいから」
「・・・・・・うん」
 返ってくる、小さな答え。
 彼女も、そう思っているのだろうか。
 そう思って、それであたしと踊ってくれたのだろうか。
 それとも−−−
 知りたい。
 そんな衝動にかられて、ステップを踏む足を止める。
「ねえ・・・マーキュリー」
 少し身体を離して、名を呼ぶ。
 見上げる彼女と視線が出会って。
「・・・マーキュリーは、あたしのこと・・・・・・」
「あーっ、いたいた、ジュピターっっっ!」

 ・・・★◎¥$:※%#&▲・・・!
 後ろからけたたましく呼ぶ声が、全てをぶち壊す。
 マーキュリー・・・離れるのは速いんだな、これが。
 くっつくのはあんなに時間かかったのに。
「ジュピタ、警備の分担決めよう・・・何、まだ着替えてないの?」
 ヴィーナス・・・どぅぉぉーしてこんな時だけ仕事熱心なの!
「っあ・・・そ、それじゃあ、お務め・・・ご苦労様。お先に」
 あたしが引き止める間もなく、マーキュリーはそう言ってそそくさと行ってしまった。
 ・・・・・・・・・・・・あぁ・・・
「あ? あらら? もーしかして、お邪魔だったかしらぁ〜」
  ごんっっっ!
 目の前に現れたそれを、あたしは思いっっっきり、どついた。
「痛ぁぁい・・・ちょっとジュピタ! 殴ることないじゃない!」
「やかましいっっ!・・・着替えてくる。待ってろ!」
 脳天をおさえてぶーびー文句を言うヴィーナスを置いて、あたしは自室に引き上げた。
 綺麗に片付けられ、ひっそりと明かりの落ちたホールは宴の後のわびしさが漂っていた。
 あたしのハートも宴の後。
 ・・・はあ。

−−−ラストダンスは私に・終

  


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