交換条件

深森 薫

 

 「あ・・・」
 酒が切れた。
 カップボードから取り出した瓶の中身は、もう一口ぶんもない位だ。昨夜はもっとあるような気がしてたのに。
 ―――とにかく、晩酌もせず独り寝なんてできるもんか。
 あたしは誰にも出会わないようにこっそり部屋を抜け、地下の酒蔵へと向かった。

 厨房の入口。夜も結構更けた頃とあって、ここまで誰にも見つからずに来れた。手前の階段を下へと降りて重い扉を押し開けると、中から流れ出るひんやりと少し湿った空気が頬をぬらりと撫でてゆく。倉の中の手近な壁一面には棚が何段にも作られ、宮殿の者にはお馴染みのありとあらゆる酒瓶がぎっしりと並べられている。ちなみにその奥には大きな酒樽が、そして一番奥には国賓を招いての晩餐でもなけりゃお目にかかれない高級酒が、それぞれ眠っている。あたしはその辺の棚に積み上げてある瓶達の中からお気に入りの赤葡萄酒を一本引っこ抜いて、倉を出ようとした。
 ・・・待てよ?
 今夜は幸い、ここに来るまで誰にも会わなかった。あたしがここに来たことは誰も知らないはず。
 ・・・それなら。
 あたしはいつもの安酒を元の棚に戻し、一番奥の、とびっきり上等そうな葡萄酒の前に立った。戸口近くの安物と違って、こちらは一本一本大事に寝かされている。酒瓶を手に取ってほの暗い明かりにかざすと、深い、それでいて透き通った緋色が挑発するようにゆらゆらと揺れる。
 うぅーん。やっぱり高級酒は違う。早く帰って開けよ。
「だ・・・誰っ?」
 不意に入口の方から声がした。少し怯えた声、おそらく給仕係の遅番の娘だろう。レダか、アマルティアか―――ヘラだったら厄介かも。いい子なんだけど、ちょっと融通が利かないからな。とりあずあたしは酒瓶を持って、声の主の顔を見に戸口の方へと出て行った。
「ごめん・・・驚かせて、悪かったね。」
「ジュピター様?」
 其処に居たのは、肩で揃えた栗色の髪に、柔和な顔立ちの小柄な少女。
「イオ、か。やっぱりな、声で判ったよ。いつもこんな時間まで、ご苦労だね。」
 言って極上の笑みを投げると、彼女は顔を赤らめて目を伏せたが、不幸なことにその視線があたしの右手の酒瓶に留まってしまった。しかもラベルが丸見え。
 うげげ、やばい。
 あたしは一寸考えて、外の廊下をくるっと見回した。
「? ジュピター様、こんな所でいった・・・!」
 辺りに誰もいないことを確かめ、イオの腕を取って倉の中へ引き込む。よろけて倒れそうになった彼女の体を受け止め、静かに扉を閉めた。
「・・・ジュピターさ・・・」
「しっ!」
 言葉を遮られて息を飲むイオ。しばし沈黙があたりを包む。あたしはどさくさ紛れに彼女を抱えたまま、耳元に顔を寄せた。
「何してる、って、見たまんまさ。酒泥棒。」
 拘束している腕の輪を少し緩めると、彼女はリアクションに困った風にあたしの顔を見上げた。ふと、いたずら心が頭をもたげる。あたしはぐっと声を低く落とした。
「さて・・・目撃者は口封じをしないと、な。」
 琥珀色の瞳をぎょっと見開くイオ。その不意をついて、唇で彼女のそれを塞ぐ。慌てて身もがく仕草が可愛い。あたしは右手のボトルを脇の棚に置いて、もう一度、今度は少し強引にイオの体を抱き寄せた。

*     *     *

 首尾は上々、誰に見つかるでもなく、いい酒は手に入るし、思わぬ収穫もあった。酒瓶を懐に隠して、あたしは自室に続く廊下を鼻歌まじりでふわふわと歩いた。
 と、角を曲がったところで、何をするでもなく壁にもたれて立っていたマーズと鉢合わせる。
「・・・ずいぶん御機嫌じゃない。」
「ん? まあね。」
 難しい顔で腕組みをしたマーズの口調は例によって不機嫌そうだったが、あたしは別段気にも留めず、その前をすり抜けようとした。
「可愛い娘じゃない。」
「・・・え?」
 あたしは思わず足を止めた。
「『目撃者は口封じをしないとな。』」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 あたしの脳味噌も止まった。
「ほんっと、相変わらず手癖が悪いわね。ほら、その懐の酒も出しなさい。」
「どっ、どっ、どどどうして・・・?」
「密偵はあたしの十八番だもの、この位何でもないわ。」
 マーズは、顔にかかる長い黒髪を白い指でうるさそうに払いながら涼しげに言った。
「みってい、って・・・あっ、あっ、あたしになんか恨みでもあんのか!」
「別に恨みなんかないわよ。ただ、頼まれたの。」
「誰に!」
「マーキュリーに。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今度こそ死んだ、あたしののーみそ。
 ざざざざぁーっ、と頬から血の気が退く音が聞こえる。
 くらくらくら、あぁあ天井が回る。
「ばぁーか、なに勘違いしてるのよ。誰があんたの浮気調査なんかするもんですか。あたしが調べてんのは葡萄酒の方よ。」
 マーズは呆れたように溜息をついて肩をすくめると、淡々と話をはじめた。
「ここ半年程、帳簿と実際の在庫がひどく違ってるらしくてね、さすがのマーキュリーも頭抱えてて、ぷっつんキレそうなのよ。被害額は推定であたし達の給料三ヶ月分。」
 給料三ヶ月分!
「賊はやたら高い酒ばっかり持ち出してるらしいわ。」
「あっ、あたしはそんなに・・・!」
「分かってるわ、あんたがちょろまかしてたのは安物ばっかりだもんね。こんな高い酒持ち出したのは今日が初めて。そうでしょ?」
  ・・・よく知ってるな・・・
 マーズはあたしの無言の返答に満足したように、硬い表情を少し和らげた。
「それで、ジュピター、あんたに相談なんだけど。」
「何だよ。」
「酒泥棒捕まえるのに協力してくれないかしら。勿論、ただでとは言わないわ。今まであんたが持ち出した酒のこと、マーキュリーには黙っててあげる。」
 ―――交換条件、か。
 何だかやることがヴィナに似てきたな、こいつ。こういう話に関わるとロクなことがない。今までの酒代まとめて返した方がよっぽどましだ。
「いいよ、別にその位バレたって。」
「・・・あら、そう。」
 突き放したつもりのあたしの返事に、マーズはすうっ と目を細めた。ううう、やな予感。
「イオ、っていったっけ、あの娘。」
 うっ。
「先週はレダ。その前はアマルティア。」
 ううっ。
「それから女王の侍女にも時々ちょっかい出してるでしょ。カリストとか、エウロパとか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・で、あたしに何をしろ、って?」
「いい子ね、やっぱり素直なのが一番だわ。
 なに、ね、ちょっとしたネズミ取りよ。犯人の目星はもうついてるの。あとは現場を押さえるだけ。」
 セリフはクールに決めながら、密かに拳をぐっと握り締めるマーズ。なんか気合い入ってんなぁ・・・。
 面倒なことにならなきゃいいが。

*     *     *

  きぃぃぃぃ
  ぱたん
「マーズ・・・マーズ、聞こえるか?」
「聞こえてるわよ、うるさいわね。通信機に顔近づけすぎじゃないの。」
 ちぇ、この愛想なしめ。
「・・・目標は今部屋を出た。」
「オッケー、おそらく目標は人気のない東の階段から地下へ向かう筈よ。あたしもそっちへ行くから、打ち合わせ通り先回りしてちょうだい。」
「了解。」
 夜も更けて、さすがの月王宮といえども廊下を行き来する人影はまばらだ。あたしは中央の階段を駆け降り、酒蔵の前に先回りした。扉の脇に置かれた空の水瓶の蓋を取り、その中に身を隠してターゲットを待つ。
 ほどなくして、廊下の向こうからかすかな足音が聞こえてきた。足音は扉の前で一旦止まり、静かに扉を開けて酒蔵の中へと入っていった。入ったきりなかなか出てこない。確かに一番奥の高級酒の棚まで入っているに違いない。
「・・・ターゲットは現在酒蔵を物色中、どうぞ。」
「了解。ヘマやって見つかるんじゃないわよ。」
 ちぇ。そんなの言われなくたって分かってら。
 そうこうしているうちに足音は再び酒蔵を出て、もと来た廊下を帰っていった。
「マーズ・・・ターゲットがそっちへ行ったぞ。こっちは尾行を開始する。」
 遠ざかる足音が曲がり角の向こうへ消えた所で、あたしは狭苦しい水瓶からやっと解放されて追跡を始めた。

*     *     *

「・・・ずいぶん御機嫌ね、ヴィーナス。」
 踊るようなステップで意気揚々と自室に向かうヴィーナスの行く手を、相変わらず無愛想なマーズが阻んだ。
「珍しいわね、あなたが自分から迎えに来てくれるなんて。嬉しいわ。」
「別に好きで待ってたわけじゃないんだけど」
 ヴィナはお得意の甘い声を投げかけたが、その程度のことでごまかされるマーズでもない。
「ちょっと聞きたいことがあるの。」
「・・・なあに?」
 険しい表情のマーズに向かって、ヴィーナスは臆面もなく優美に微笑んでみせた。
「近頃、酒蔵の葡萄酒が盗難にあっていてね。貴女、何か知っているんじゃないかと思って。」
 マーズは相変わらずの口調で突き放す。軽く肩をすくめるヴィーナス。
「なぁんだ、もっと色っぽい話かと思ったのに。がっかりだわ。」
「話をはぐらかさないで。知ってるんでしょ。」
「何のこと?」
「とぼけないで。」
「だから、何のこと?」
 ヴィーナスは可愛らしく首をかしげ、大きな瞳でマーズの顔を真っ直ぐに見つめて囁くように答えた。
「そう・・・
 あまり手荒な真似はしたくないけど、貴女がそうやって白を切るつもりなら仕方ないわ。力尽くでも答えてもらうわよ。」
「え・・・・・・?」
 ヴィーナスの顔に驚愕の色が微かに浮かんだ。そしてヴィナは少し戸惑ったように両手で口を押さえ、恥ずかしげに体をよじる。
「そんな、力ずくだなんて・・・こんな所でそんな・・・マーズってば、大胆!」
「何考えてるのよこのスカポンタン!」
 ヴィナのおふざけにマーズは思わず声を荒げた。
「・・・いいから出しなさい、あなたが今蔵から出してきた、ゴールドラベルの極上の葡萄酒。どこに隠してるのか知らないけど、ネタは挙がってるんですからね!」
 ヴィーナスの眉がぴくりと跳ねる。
「一体何のことだか・・・? でも、怒った顔も綺麗よ、マーズ。」
 相変わらずふざけた調子だが、一瞬のうちにヴィーナスの周囲の空気が流れを変えた。それを敏感に感じとり、一歩後ろに退いて半身に構えるマーズ。
「逃げようったってそうはいかないわよ。
 ・・・ジュピター!」
 はいはい。
 気配を殺して二人のやりとりを傍観していたあたしは、やっとマーズの許しを得て階段の陰からヴィナの背後へと姿を現した。ヴィナは大して驚きもせず、あたしのほうを一瞥すると大仰に溜息をついて見せた。
「なぁんだ・・・折角これから二人きりでいいコトできるかと思ったのに。」
「誰がっっつ!」
 いちいちヴィナの言うことに反応するマーズ。律儀な奴だ。マーズって、意外といい奴なのかもしれない。
「ささ、いいからおとなしくお縄を頂戴しな、酒泥棒。」
「あによジュピター、いくらマーキュリーが相手にしてくれないからって、ちょっとデリカシー無さすぎない?人の恋路を邪魔してると馬に蹴られて」
  どこぉぉぉんっ!
 あたしの雷球を軽く跳んで避けるヴィナ。カーペットが焦げて床の石が崩れる。
「余計なお世話だ!」
「んもう、すぐそーやって怒るぅぅ。そんなことだからマーキュリーにも相手にされないのよ。」
「何だとぉぉぉぉっっっつ!」
「やめなさいジュピター! こんな奴のペースに乗せられてんじゃないわよ!」
 マーズの声に、あたしは辛うじて拳を抑えた。
 うにゅにゅ、おにょれヴィぃナス、人が気にしてることをぉぉ・・・
「あなたもよ、ヴィーナス。おふざけはいい加減にして観念なさい!」
 ここに来てマーズのイライラはそろそろ限界に達していた。いつもはクールなその声にも険がこもる。すらりとした形のいい眉を逆立て、暗紫の瞳には怒りの色を灯す。ヴィナの言い草じゃないが、確かに怒った顔も―――いや、むしろ怒った時の方が綺麗なくらいだ。
「何よ、マーズまでそんなカリカリしちゃって、欲求不満かしら? 
 昨夜あーんなにイイことしたばっかりなのに」
  ずぼぼぼぼぼぅっっつ!
 マーズの掌がいきなり火を吹く。ヴィナもあたしも床に貼り付くようにして間一髪難を逃れた。
「それ以上言うと焼き殺すわよ!」
 をい・・・たった今焼き殺そうとしなかったか・・・?
「いやだわ、マーズ。本当のことじゃない。本当に―――
 良かったわよ、ゆうべのあ・な・た」
「へえ・・・そうなのか?」
「あんたには関係ないでしょっ!」
 普段は冷静・・・とは言えないが、あまり顔色を変えないマーズが、耳まで真っ赤になってあたしのツッコミを一喝した。
「ひどい! ひどいわ、マーズ! あたし達、あんなに情熱的な一夜を過ごしたのに・・・なのに、あなたはそれを否定するのね!」
「こっ、んなとこで何ってこと言うのよこの大馬鹿!」
「ん、もう。照・れ・屋・さん、なんだからぁ。」
「お黙んなさいっ!」
 こと人の神経を逆撫ですることにかけては、ヴィーナスは天才的だ。今あたしはしみじみそう思う。
「・・・ま、まあいいわ。今ここであなたを捕まえれば済むことだもの。酒蔵荒らしの現行犯でね!」
「・・・証拠は?」
 ヴィナは少し乱れた自慢の金髪を手櫛で軽く梳きながら、うるさそうに後ろへ払った。
「今あなたが隠し持ってる葡萄酒、ゴールドラベルの極上品。それで十分じゃなくて?」
「面白いわ、やってみてよ。やれるものなら、ね。」
 ヴィナの片頬がひくりと動いた。不敵な笑み。瞳にはあからさまな挑発の色。三人の間の空気は一気に張りつめ、虫一匹、風すらもすり抜ける隙もなくなった。互いに腹を探り合う中、マーズとあたしは両側からにじり寄るようにヴィーナスとの間合いを詰めた。お互いの息づかい、心臓の鼓動までもが間近に感じられる。
「やぁだ、ジュピターはともかく、マーズ、あなたまでそんな怖い顔して。」
 そう言いながら、ちっとも怖がってないヴィーナス。
「昨夜はとっても可愛かったのに。」
「・・・その手には乗らないわよ。」
「そうやって強がるとこも、好き」
「あーそう、そりゃよかったわね。」
 丁々発止のやりとりの中にも、一分の隙もない。
 こいつら、二人きりの時もこうなんだろうか・・・?
「あ。」
 ヴィーナスが、不意に何かに気付いたように声を上げ、口に手を当てた。
「マーズ、ごめんね。あたしったら、気をつけたつもりだったけど・・・キスマーク見えてる」
「えっ!」
「馬鹿っ! マーズ!」
 あっという間だった。マーズが激しく動揺し、均衡が破れたその一瞬をヴィーナスが見逃すはずがない。マーズもすぐに我に返り身構えたが、ヴィーナスは大胆にもその真っ向から挑み、
 跳んだ。
 こともあろうにマーズの頭の上を、くるりと体を丸め、長い脚を高々と上げて、ヴィーナスが飛ぶ。マーズの左肩にぽん、と手をつき、最後の仕上げに柔らかな金の髪でその頬を撫でていった。呆然としたまま肩を押されて一、二歩よろけるマーズの背後にふわりと降り立つと、ヴィーナスは脱兎のごとく駆け出した。
「マーズ! 何やって・・・・・・」
 言いかけて息が止まった。
「にっ・・・
 逃がすもんですか、絶対に!」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 マーズが、キレた。

  がっちゃぁぁんっ!
 ヴィーナスはそのまま廊下の突き当たりの飾り窓を破って中庭に飛び出した。ここは二階だが、そんなことあたし達守護戦士にはどうってことはない。マーズとあたしも後を追って宵闇の中へと飛び出した。もちろん、あたし達の能力はこんな非生産的な鬼ごっこのためにあるわけではないのだが。
「―――言った筈よ。
 逃がさない、って。」
 マーズはヴィーナスを視界に捉えると、おもむろに両手で印を切りはじめ・・・
 うげげ、その構へわっっ!
「わっ! マーズ! やっ、やめれ!」
「蛇火炎!」
  ずぼぼごぅごぅごごぉぅっつ!
 双頭の炎の蛇が恐ろしい速さで辺りの木々を呑み込みながら地を這い、炎の壁が辺り一帯を取り囲んだ。さすがのヴィーナスも行く手を阻まれ立ち止まる。ついでにあたしたちもすっかり火の中に閉じ込められちまった。
 ・・・要するに、中庭が丸ごと火の海、ってことだ。
「さあ。観念しなさい、ヴィーナス。」
 軍神マーズ。彼女のことをそう呼ぶ者もいる、けれど。
 刃向かう者には情け容赦ないその戦いぶりから付いたあだ名は、月王国の『鬼神』。
 ・・・確かに鬼だよなぁ・・・
「逃げられるものなら逃げてごらんなさい。」
「捕まえられるもんなら捕まえてごらんなさい。」
「言ったわね!」
 先に仕掛けたのはマーズ。ヴィーナスは右へ左へマーズの攻撃を全て紙一重でかわす。
 おー、すごいすごい。こりゃ御前試合の上を行く真剣勝負だね。
「って、ちょっとジュピター! ぼさっとしてないであんたも手伝いなさいっ!」
「あー、はいはい・・・っとぉ!」
 立場上あたしもマーズに加勢する。が、ヴィーナスのすばしこさは並じゃない。二人がかりでも取り押さえるのはちと厄介そうだ。
「何やってんのジュピター!さっきから逃げられてばっかじゃない!」
「うっ、うるへー! 自分だって!」
 そこまで言われちゃ仕方がない。ならば奥の手を。
 あたしは両耳のピアスをはずし、ヴィーナスの額めがけて投げつけた。一個、もう一個、その度ひゅんと音をたてて空を裂くつぶてを、上半身のすばやい動きでかわすヴィーナス。
「へんだ、そう何度も同じ手にひっかかるもん・・・!」
 あたしに対しては警戒を怠らなかったヴィーナスだが、それ以外は一瞬ノーガードになった、そこにマーズがタイミングよく飛びかかる。後ろから羽交い締めにして、二人もんどりうって地面に転がった。
「ぁ痛・・・・やだ、こんなところで押し倒すなんて」
「誰がよっ!」
 ヴィナも懲りないが、マーズもいちいち反応のいい奴だ。ヴィナが面白がってちょっかい出すの、分かるような気がする。
 ・・・・・・あ?
 ふと、ひんやりと冷たい風が頬を撫でる。振り仰いだ空にはきらきらと七色に輝きながら舞う小さなつぶて。
 これは―――
 光っているのは氷の粒。無数の氷のつぶてはやがて視界を遮るほどに空を埋め尽くし、荒れ狂う炎の中にいながら思わず身震いするほどの冷気が辺りを包んだ。
 まさか―――
 やがて炎はその熱を力を奪われ、みるみる小さく暗くなっていく。
「何やってるのあなた達っ!」
 どえぇぇぇっっっつ! やっぱりぃぃぃぃぃっっつ!
 耳をつんざくマーキュリーのソプラノ。いつもは王国で一番温厚なはずの彼女が、今日は今にもキレそうな凄い剣幕でどなり込んで来た。普段怒りつけない人間が怒ると、なにかこう悲壮な感じすら漂うものだ。
「いくら何でも悪ふざけにも程があるわ! 守護戦士がパレスを燃やしちゃいました、なんて。笑い話にもなりやしない!」
「あっ、いや、あっ、あたあたあたたママママ・・・」
(あたしは関係ないぞ、火ィつけたのはマーズだからな、と言ってるつもり。)
「何やってるもなにも。酒泥棒とっ捕まえたわよ、あなたのご注文通りね。」
 庭を丸焼けにした張本人のマーズは、悪びれもせず、地面に突っ伏したヴィーナスに馬乗りになったまま淡々と答えた。マーキュリーは少し鼻白んだが、やはり怒り冷めやらぬ様子で先を続けた。
「いくら何でももう少しやり方があるでしょう?」
「いいじゃない、この程度、貴女なら簡単に消せるんでしょう? 酒泥棒を放っておくこと考えたら、中庭の一つや二つ安いもんだわ。」
「ねえぇ、あたしはやってないってばぁ。」
 ぼぐっ。
 じたばたともがくヴィーナスを、鈍い音がするほど殴りつけるマーズ。
「往生際が悪いわねあんたわっ! いい加減にしないと怒るわよ!」
 ・・・もう怒ってんだろーが・・・
「だからぁ、証拠は?」
「証拠はあるわよ、ここにね! 」
 マーズはヴィーナスの胸元に無造作に手を突っ込むと、葡萄酒のボトルを求めて懐を探った。
「ちょっ・・・いや、あ、あん」
 わざとらしく怪しげな声をあげるヴィー。ふと横を見ると、マーキュリーの顔が少し赤い。この程度で赤くなるなんて、ほんと、可愛い。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・むふふ♪
「・・・・ない!」
「・・・・・・・・・・・・な?・・・何だってぇ!」
 血相を変えて叫ぶマーズの声に、あたしはイケない妄想からいきなり現実に引き戻された。
「ない、って、んなバカな!」
「バカな、って、ない物はないのよ!」
「そんな簡単に言うな! ここまでやって、これから一体どーすんだよ!」
「んなことあたしの方が聞きたいわよ!」
「だからぁ、言ったじゃない、あたしは知らない、って。」
 少しむっとした口調で言いながら起き上がるヴィーナス。マーズは不承不承その拘束を解いた。
「じっ・・・じゃあ、何で酒蔵なんかに行ったんだよ!」
「あぁ、あれ? ちょっと夕涼みに、ね。」
 ヴィーナスは体中の土埃を払いながらさらりと答えた。
 どこの世界に酒蔵で夕涼みする奴がいるってんだ。
 だけどこのままじゃ証拠不十分だよなあ。
「誰が酒泥棒よ、失礼しちゃうわ、まったく。」
 そう言いながら特に怒った様子も見せず、ヴィーナスは憮然としているマーズに向かって優美に微笑んだ。
「ねぇマーズ、遊んで欲しいなら最初からそう言えばいいのに。素直じゃないんだから・・・
 ・・・いいわ。後で行くから、お部屋で待っててね★」
 最後はすれ違いざま、吐息混じりに耳元で囁かれる。こうなるともう完全に勝負あり、マーズはもはや戦闘不能。去って行くヴィーナスの背中を半ば放心状態で見送るしかなかった。
 はぁぁ。結局骨折り損、か。
「・・・・・・それで?
 酒泥棒がどこにいるんですって?」
 どっきぃーん。
 マーキュリーの声はひどくトゲトゲしく聞こえた。
 うげげ、もしかして、今のあたしたちって、すごぉーくまずい立場にいるんじゃぁないだろうか。
「ヴィーナスやジュピターはともかく、マーズ、あなたまでこんな・・・!」
 ・・・ヴィーナスやジュピターはともかく。
 ヴィーナスやジュピターは。
 ヴィーナスやジュピターは。
 ヴィーナスやジュピターは。
 ともかく。
 ともかく。
 ともかく。
 ともかく。
 ・・・・。

 あたしって、ヴィーナスと同レベル?
 マーズより1ランク下?
 ・・・しくしくしくしくしくしくしくしくしく・・・
「はっ・・・そっ、そうだわ! その代わり安い方の葡萄酒の行方は分かったわよ。ほら、犯人はここ!」
「あっ! こら、マーズ! お前、約束が違うぞ!」
「あら、結局捕り物は失敗だったもの、契約は無効よ。
 ま、潔く自分の罪はつぐないなさい。」
 自分のことは棚に上げていけしゃあしゃあとそんなことを言うマーズ。このへん、ヴィーナスといい勝負だ。
「こっ・・・! このくそマーズ! きったねぇぞ!」
「あら、だったら私にもしておけばよかったわね、『口封じ』。」
「うっ・・・・・・・」
 うにゅにゅ・・・人の弱みにつけ込みやがってぇぇ・・・
「ジュピター! あなたってひとは一体・・・!」
 あぁぁ怒ってる怒ってるぅぅ。
「じゃ、そゆことで。おやすみっ!」
「あっ、こら、マーズ! 何が『じゃ、そゆことで』だ!
 火ィつけたのお前じゃないか! おい! こら!」
「ジュピター! 聞いてるの!」
 ・・・くすんくすんくすんくすんくすん・・・
 やっぱり転職しようかな、あたし。

―――交換条件・終




  


(^^) よろしければ、感想をお聞かせ下さい。(^^)

↓こちらのボタンで、メールフォームが開きます↓
未記入・未選択の欄があってもOKです。
メールフォーム


小説Index へ戻る