ひとの恋路を邪魔する奴は

深森 薫

  

 足音が、聞こえる。
『・・・・・・・・・ジュピター・・・』
 誰かが、呼んでいる。あたしを。
「ふむにゃ」
『・・・ジュピター・・・・・・・・・・・・』
 うるさいなぁ、人がせっかくいい気持ちで寝てるのに。
「んがぁ?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
 何か言ってる。
「んあぁあ」
『・・・・・・・・・・・・』
「ああ、うん」
 そんなやりとりを何度か繰り返した後、足音は再び遠ざかっていった。



TRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

「のぉわぁああっっっつ!」
 突然大音響で鳴り出す呼び出し音に、あたしはソファーから十センチ飛び上がって、そのまま床に墜落した。あたし達守護神の持っている通信機は、呼び出し音が一回ごとにボリュームを増し、七回目には最大音量でエンドレスに鳴り続けるようになっている。
 誰だこのくそだらぁ! 人がせっかくいい気持ちで寝てるのに!
「はぁいぃ?」
「あの・・・え・・・と、ごめんなさい。」
 マ、マーキュリー! わあ、ごめん、前言撤回!
「もしかして、寝てたの、起こした?」
「えっ、あっ、うん・・・いや、いいよ、別に。ちょっとうとうとしてただけだから。」
 あぁあ、困らせちゃったよ。怒ってるように聞こえたかな、今の。
「・・・で、何?」
「あ、うん、折角ゆっくりしてる時に悪いんだけど、仕事の話なの。」
 彼女は普段のてきぱきとした口調に戻って話し始めた。
「明後日までに提出しなきゃいけないレポートがあって、それにこの間ジュピターにもらった地球の地質調査と生態系の定期調査のデータを使わせてもらったの。それで、調査者のあなたに一応目を通して、署名してもらえたらと思って。」
「あ、うん、いいよ。」
「じゃあ、今からちょっと寄らせてもらっていいかしら。急な話で悪いんだけど。」
「うん。・・・・・・えぇ?」
 今から? ここへ来るってぇ? わぁお!
「あ、うん! どうぞどうぞ・・・あ、でも、ここちょっと散らかっててさ、片付けるから、ゆっくり来てよ。」
 言いながらあたしはもうソファーから跳ね起きて、掛けていたブランケットを掴んで寝室へ走っていた。
「あ、そんな、ちょっと寄るだけだから、お構いなく。・・・それじゃあ。」
 彼女は言ってそっと通信を切った。
 いーえいえ、ちょっとと言わず、どうぞゆっくりしてって下さいな、っと。
 それからのあたしは実に素早かった。ぐちゃぐちゃの髪を整えてから、バルコニーでソファーのカバーとクッションの埃をはたく。脱ぎっぱなしの服を拾い集めて寝室へ放り込む。それから床にはいつくばって、落ちているゴミや髪の毛を拾いまくって、テーブルをきれいに拭いて、なんとティーセットの用意までできてしまった。
 よっしゃ、完璧。
 きれいに片付いた部屋を眺めてあたしは一人腕組みをして大きくうなづいた。ここにあたしが座って、こっちにマーキュリーが座る。書類に目を通したら、熱いお茶を入れてしばし談笑。そのうち夜も更けて、いいムードになっちゃったりなんかしちゃったりしてぇ♥
 よし。寝室も片付けとこう、念のため。
 あくまでも、念のため。
 毛布をたたんで、居間から持ってきて放り出したがらくたをクローゼットに隠した。それからベッドの端に立ってシーツを引っ張る。ヨレていた白い布がぴんと伸びた。
 ・・・・・・・・・・・・・むふ♥
 ・・・・・・はっ!
 いけないいけない。今はそんなイケない妄想にひたってる時間はない。 
 きちんとベッドを整えて、枕もぽんぽんと叩いてふっくら仕上げ。ここでもきれいに髪の毛を拾ってゴミ箱へ。ここまでやって居間へ戻った、

 KNOCK-KNOCK

 丁度そこにノックの音が。

 ドアを開けると、そこにはマーキュリーが愛用の水色の書類ケースを抱えて立っていた。
「・・・ほんとに、ごめんなさいね。せっかく休んでるところを。」
「あ、いや、全然。」
 答えながら彼女を招き入れる。かちゃり、と乾いた音をたてて扉が閉まった。飽きるほど聞き慣れた音なのに、今日は何だかとてもドキドキする。
 ちなみに、今日の彼女のいでたちはペールグリーンの衣。ゆったり目だけれども要所要所はぴったりしていて体の線も見える。そして、何と!  足元から腰の辺りまで、スリットが入ってたりなんかしちゃったりするのだ。いやはや彼女にしては珍しい。
 あたしがテーブルに案内して席をすすめると、彼女は書類ケースから紙の束を取り出した。
「じゃあ、早速なんだけど、これ。」
 表紙をめくると、数字と表とグラフのオンパレード、文章は何やら謎めいた専門用語の大カタログ。
 こんなの、あたしに一体何をコメントしろと言うのだ。
「あ・・・うん」
 とりあえずぱらぱらと「目を通」す。
「それで、よければ最後のページの・・・ここに、署名して。」
「ん」
 彼女は自分の署名の上の欄を指さした。あたしはとりあえず言われるままにペンを走らせる。
「はい、確かに。・・・ありがとう。」
 あたしの署名を確認しながら言う彼女。
 さあ、ここで逃してなるものか!
「どーいたしまして。大変だね、いつも遅くまで。・・・で、今日はもう?」
「ええ、今日はもう終わり。」
 彼女は書類の端をテーブルの上で丁寧に揃えると、慣れた手つきでそっとケースに収めた。
「そう。じゃ、お茶でも・・・もし時間があれば、だけど。」
 立ち上がりながら訊ねる。切り出し方はあくまでもさりげなく、さらりと。
「そうね。じゃあ。」
 そう言って彼女は柔らかく微笑んだ。あたしもにっこりと-----いや、ちょっとニヤけてるかも-----笑みを返していそいそと用意したティーセットに向かった。
 実はもう湯も湧いてたりするんだな、これが。
 温めたポットにとっておきの茶葉と熱ーい湯を入れて一分半。その間に待っている彼女の様子をうかがい見る。
 きょろきょろと辺りを見回す彼女。やっぱ、掃除しといて良かった。
 あっ!
 見えそで見えないスリットがとっても悩ましい。
 あぁぁうぅぅ。目のやり場に困っちゃう。
 ・・・あ、と、気を取り直して、一分半。一番香り高いところをお客用のカップに注ぎ、彼女の前に差し出した。
「ありがとう。」
 彼女はそう言うと、あたしが自分の分をテーブルに置き、席に腰を下ろして落ち着くのを待ってからカップに口をつけた。
「・・・あ。」
 ゆらゆらと揺れる紅い水面に視線を落とし、小さく息をつくように声を漏らす彼女。気付いてくれたかな。
「これって・・・」
「うん。」
 あたしは得意満面でうなずいた。
 よかった、気付いてくれた。
「あの時のと同じやつ。探してきたんだ。」
 あれはいつだったか、プリンセスとあたし達と五人で午後のティータイムに飲んだお茶。ヴィナが地球のマーケットで買ってきた、曰く『超レアな逸品』。味は渋みが少なくてまろやか、香りの方もハーブがよくきいていて、確かに美味しい。さすがのマーキュリーもこのお茶はいたく気に入って、いつも一杯しか飲まないところを二回もお代わりしたっけ。
「ほら、マーキュリー、すごく気に入ってたじゃないか。で、だから、その-----探して、来たんだ。」
 喜んでくれるかと思って。あれから地球に降りるたび、マーケットの端から端まで、何度も行ったり来たりして。探して、来たんだ。
 だって。そうすれば、
「喜んでくれるかと、思って。」
 あたしはただ固唾をのんで彼女の反応を待つ。
「・・・・・・ありがとう。」
 やがて彼女はそう言って、あたしに向かって微笑んだ。
 優しい視線があたしの胸を射抜く。大きく跳ねて一度止まった心臓が、今度は恐ろしい速さで打ちはじめる。
 きっと、これを極上の笑みというんだ。
 どうして、こんな表情ができるのだろう。
 あたしの気持ちを知ってて、そんな風に笑うのか。
 いや------
 そんな筈はない。
 だって、もしも、そうだとしたら。
 それは、とても罪なことだと思う。
「・・・・・・うん」
 やっとの事であたしは返事をした。そのあとは続かない。これ以上喋ったら心臓が口から飛び出しそう。あたしも彼女も、黙ってお茶をもう一口すすった。
 穏やかな、少し甘い沈黙。

 がちゃっ!

 突然、扉の開く音が背後から聞こえた-----なぜか、部屋の中で。全く唐突な大きな音に驚かされ、警戒し構えて振り返ったあたし達の目の前に。
 あたしとマーキュリー、二人だけの筈の部屋に突如現れた、湯上がり姿のヴィーナス。
 オフホワイトのバスローブ一枚で、濡れた髪をタオルで拭きながら、上気した肌にほこほこと舞う湯気を纏って。襟の深いカットからのぞく悩ましい胸元とすらりと伸びた脚に、不覚にもちょっとだけドキッとしてしまう。
「ふぅ。あぁ、さっぱりした。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 それはあたしの想像をはるかに超越した出来事だった。
 どうしてここに風呂上がりのヴィナが現れるんだ? ここはヴィナの部屋だっけか? いや、確かにここはあたしの部屋だ。 じゃ、ヴィナがあたしの部屋の風呂に入ってたのか? いや、だって、でも、じゃあ、いつ入ってきたんだ? どーやって入ってきたんだ? どこから?
「ジュピター、タオルとバスローブ、勝手に借りたわよ。それから、シャンプーと、ボディーソープもね。」
「へえ? ・・・あ、うん。」
 ああ、ほんとだ、あたしのバスローブ。ヴィナには一寸丈が長い。
「ねえ、ジュピター、あたしの服は? ・・・あれ、マーキュリー、来てたの・・・ねえ、あたしの服どこにやったのぉ?・・・あっちの部屋?」
 言いながらきょろきょろと辺りをひととおり見回して、ヴィーナスはぱたぱたと奥の寝室へと入っていった。
 服、って、ああ、さっき片付けたやつ、
 が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・あ?
 あああああああああっっっつ!
 ちょっと待て! こっ、ここっここっここここのシチュエーションわっ!
「あっ、こっ、これは・・・!」
 あたしは慌てて振り返った。
「------お邪魔・・・だったみたい、ね。」
 マーキュリーは一瞬合いかけた視線をふいと逸らし、傍らの書類ケースを拾い上げ立ち上がった。俯き加減の頬は、少し赤くなって、かなり強張っているように見える。
「いやっ、違うっ! そうじゃ、そうじゃなくて! これは、その」
 事情を説明しようにも、あたしにもさっぱりわけが分からない。あたしの方が説明してもらいたいくらいだ。
「じゃあ、このレポート、明日には提出させてもらうわ。本当にごめんなさい、こんな時間に。お茶、どうもごちそうさま。じゃあ。」
「ああ、いや、その・・・ああっ、ちょっと!」
 彼女はビジネスライクな口調で早口に言うと、あたしが言葉に詰まっている間にすたすたと歩き去ってしまった。
「違うんだ! マーキュリー! これは!」

 ばっ、たん。

 彼女の姿が閉まるドアの向こうに消えて、あたしはしばらく幻を見た者のように一人残された。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 何だったんだ、一体。
 悪い夢か、これは。
 振り返ると、テーブルの上にはティーカップが二客。開け放したバスルームからは白い湯気。
 残念ながら、現実だったらしい。全部。
「ねーえ、ジュピター。あたしの服どこにやったのよぉ。」
 寝室から、黄色い声のあとに続いてヴィーナスが再登場。
「ねぇ、ジュピタ------」
 あたしは刺し殺すように視線をヴィナに向けた。
「やかましい! なぁーにが『あたしの服ぅ』だっ! だいたい何でお前がここにいるんだ!」
「あに怒ってんのよ。・・・何で、って、そんなのしょーがないじゃない。言ったでしょ、あたしの部屋のお風呂、排水溝が詰まっちゃったって。」
「だから! いつ入ってきたんだ! 誰に断って!」
 ヴィーナスは艶やかな金色の洗い髪を大きめのタオルで拭う手を止めて、目を白黒させた。
「やぁだ、何いってんのよぉ。さっきちゃんと断ったじゃない。」
「いつ!」
「だからぁ、さっき。ジュピターがそこのソファーでうたた寝してた時。」
 気付いているのかいないのか、ヴィナはあたしのイライラを募らせるようにのらくらと答えを返す。
「あたしは聞いてない!」
「聞いてない、って。だって、返事したじゃない。」
 不満そうに、拗ねたように口を尖らせるヴィナ。
「知るか! あたしは寝てたんだ! 用ならちゃんと起こしてから言え!」
「いっっくら起こしても起きなかったのはどこの誰よ。・・・あれ、マーキュリーは?」
「・・・・・・・・・・・・帰った」
 唸るようにあたしは答えた。いま一番触れたくない話題である。
「帰った・・・? はぁ! 帰しちゃったの? だらしないわねぇ。あんたがそんなだから、いつまでたっても深い仲になれないのよ。」
 ヴィナは呆れたように声をひっくり返らせた。
ぴきっ
 それは、いくら温厚なあたしとはいえ許せない一言である。あたしの頬を耳を一気に血が駈け登り、躰が熱くなる。
「なっ・・・この野郎! 誰のせいだと思ってんだ!」
「んもう、自分の甲斐性なしをすぐそーやって人のせいにする。」
「お前にだっきゃあ言われたくねぇっっつ!」
 どこぉぉんっっつ!
 ヴィナめがけて放った雷球に石の床が砕けて破片をまき散らし、カーペットの端が焦げてきな臭い煙が立ち昇る。ヴィナの姿は見当たらない。
 おにょれ! どこに行った!
「ジュピタぁーん♥ こ・っ・ち・よぉん。早くぅ、来・て♥」
 ぞわわっ
 なんちゅう声を出すんじゃ、気持ち悪い!
 声がしたのは上の方だった。体を返して振り向いたあたしの視界に飛び込んだのは、
 一面の、白。
「わ、あぷっ!」
 ばさっ、という音がして顔に触れるタオル地の柔らかな感触。視野を遮られ、呼吸も詰まったあたしは一瞬パニック状態に陥った。
「いつも同じパターンじゃ、そのうち飽きられちゃうわよ。じゃあねっ♥♥♥」
 少し湿った肌触りと石鹸の匂い。うっぷ、これ、あいつの着てたバスローブだ。
「ううーっ、ぷぅ! まてっ! この・・・」
 すぐにローブを跳ねくりのけたが、ヴィナの姿はどこにもなかった。
 いつのまにかバルコニーへ出るガラス戸が開いて、きぃきぃと小さな音をたてて揺れている。人の気配はどこにもなく、ただ夜の風だけがカーテンに戯れ、肩で息するあたしの頬を撫でてゆく。バルコニーの向こうは、物音一つない漆黒の宵闇。
「うあぁぁぁぁぁっっっつ! くそぉぉぉっっつ!」
 頭を抱えてわめいたあとは、再び夜の静寂。
 おのれヴィーナスぶっ殺す!
 あぁぁぁマーキュリー絶対誤解してるよぉぉ。
 今度という今度はほんとに許さんぞヴィナ!
 うぅぅぅ明日マーキュリーに何て言おう。
 あたしが拳を握り締めて頭を抱えているそのうちに、静かに、静かに、夜はいつも通りに更けていった。

  

−−−ひとの恋路を邪魔する奴は・終

  


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