頑張れ!ジュピター3
高野 初音
「マーキュリー、居る?」
コンピュータールームのドアが開くと同時に明るい声が投げ入れられた。さっきまでインカムを通して聞いていた声だった。上機嫌で入ってきたヴィーナスに、呆れたようにマーズが溜め息をつく。マーキュリーと一緒にデータ解析を行っていた所だったのだ。マーズも庭での出来事を、始めから終わりまで聞いていた。
「マーキュリー?」
マーズにウインク一つ贈って、ヴィーナスは背もたれに手をつき背後からマーキュリーの顔をのぞき込んだ。首筋まで真っ赤になって俯いたまま、マーキュリーは固まっていた。手が膝の上でかたく握り締められている。
「マーキュリー?」
再度呼んでも返答がない。あらあらとヴィーナスは肩を竦めた。
「ね、マーキュリー。これで誤解もとけたでしょ。ちょっとふざけあってただけなの。今頃ジュピター、庭を壊して途方に暮れてるから行ってやってくれない?」
腰を落として、ヴィーナスは下からマーキュリーを見上げた。自分が元凶であることなどすっかり棚に上げて、笑顔で言う。それを指摘する冷静さを、マーキュリーも失っていた。
「ね、ジュピターのとこ行ってやって。二人で話してきて。二人が気まずいと、私も辛いの。今回のこと、私にも原因あるし。ごめんね、マーキュリー。ジュピターにもマーキュリーから伝えてくれない? 今ジュピター頭に血が上ってて、私が行くと余計に怒らせそうだし。マーキュリーだって、ジュピターにどう話していいのかわからなかったんでしょう。誤解だってわかったんだし、ね。」
口調だけは優しいヴィーナスの言葉に、内容も吟味せずマーキュリーはただ頷いていた。得たりとそっと笑んだヴィーナスが、マーキュリーの背に手を添えてコンピュータールームから送り出す。どことなくおぼつかない足取りのマーキュリーを、ひらひらと手を振って見送ったヴィーナスのずるさに、マーズは溜め息をついた。
「人の恋路を邪魔すると、ろくなことにならないわよ。」
「邪魔じゃないわよ。今だって、ほら、奥手な二人のためにこうやって。」
「余計なお世話って言葉、知ってる? 大体原因を作ったのはヴィーナスでしょ。わざわざ二人の間をひっかきまわすようなことしなくったって。」
「だって、あの二人見ていてじれったくってかわいいんだもの。」
指を組んで笑むヴィーナスに、おもしろいの間違いじゃない、という言葉をマーズは飲み込んだ。肯定されても否定されても怖いような気がしたからだ。ヴィーナスはマーズの忠告を気にとめた様子もなくにこにこと微笑んでいる。はっと気づいたマーズは、手を伸ばしてヴィーナスの通信機を切った。
「あん、マーズの意地悪。」
可愛らしくふくれっ面を作るヴィーナスのペースにのせられまいと、未練がましく文句を言うヴィーナスを放って分析中のデータに向き直る。
「あの二人がちゃんと仲直りできるかどうか、せっかくわかるのに。」
「余計なお世話だって言ったでしょ。」
「それじゃ、マーズ、遊びに行こ。」
「駄目。」
あくまで明るいヴィーナスの声を、マーズは言下に却下した。ヴィーナスが恨めしげな顔を作る。わざとやっているとわかっていてさえ可愛らしく訴えかけてくるヴィーナスに勝つ自信がないから、コンソールから顔を上げない。
「データ解析がまだ途中なんだから。マーキュリーを追い出した責任とって。」
そっけない台詞に、ヴィーナスは大仰に溜め息をついた。どんな反応を返すことも、マーズは我慢した。反応すれば、つけいる隙を与えることになりかねない。諦めて出ていくか手伝うかするかのをひたすら待った。ヴィーナスが移動するのを、緊張した全身で感じ取る。
「マーズ。」
ヴィーナスが、マーズの背後に立って、名を呼んだ。一房髪をつまみ取る。それまでとは全く違う響きに微かにマーズの肩が震えた。甘い、声。こんな風にマーズを呼ぶのはたった一人だった。
「じゃあ、これが終わったら御褒美をちょうだい、ね。」
反論しようとした瞬間、耳元に息を感じてからだが強張った。
「約束よ。」
掠れる寸前のひそやかな声で囁かれ、総毛立つ。優美に微笑みかけられれば、もう何も言えなかった。
どこかしら甘く、しかし少しだけ重い沈黙に満たされた室内に、コンピューターの作動音だけが響いていた。
−−−頑張れ!ジュピター・3 終
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