庭園で夜の空を見上げていたマーズを、そっとヴィーナスはうしろから抱きしめた。髪に口づける。 「驚いた?」 驚いた様子もないマーズにことさらに問うてみる。顔を上げるマーズの仕草にあわせて髪が揺れた。少しくすぐったく感じて、ヴィーナスは腕で作る輪をゆるめた。 「わかってたわよ。」 返答も予測のうちで、ヴィーナスは笑んだ。ゆるい拘束の腕をはずす。逃れ出たマーズがヴィーナスに向き直った。 「遅かったわね。」 わずかにこもる険に気づいて、ヴィーナスは怪訝そうな顔をした。それほど待たせたわけではなく、普段こんな言い方をするマーズでもない。 「ごめんね、待たせて。」 下手な言い訳などせず、ただ謝るだけで赦しを得ようとする。正面からマーズの視線を受け止めて揺るぎもせず微笑む。この笑顔に、マーズが逆らえないことをヴィーナスは知っている。かえってマーズの方がきまり悪げに視線を落とした。そこで、ヴィーナスの手首にうっすらと残る鬱血を、マーズは見咎めた。 「どうしたの、それ。」 「ああ、ジュピターとちょっとね。じゃれ合いが過ぎたの。」 嘘などつかずに事実を軽く告げる方が、こういう場合はよいと知っているヴィーナスは、あっさりと告白した。ジュピターの名前に、マーズの眉がよせられる。 「なあに、マーズ?」 「ヴィーナスはこの頃ジュピターと何やら親密な様子って噂、どうやら本当だったみたいね。」 親密、と言う言葉がどちらにもとれて、ヴィーナスはマーズの意図を測りかねた。軽く首を傾げ、問いかけを視線にのせてマーズを見やる。 「マーキュリーが困ってたわよ。」 敢えて表情を作るまいとしているらしいマーズの瞳が一瞬きらめいた。ヴィーナスはまばたきして、マーズをまじまじと見た。ヴィーナスにやっとわかる程度にうっすらと、マーズの頬が染まっている。 「ああ、妬いてくれてるんだ。」 感動にうっとりと呟いた。怒ったようにマーズがそっぽを向くのを、抱きしめた。 「マーズ、かわいい。」 強く抱きしめた後、しっかりと視線をあわせ告げる声ははずんでいた。 「そんな心配しなくたって、私が一番好きなのはマーズだから大丈夫。それとも、マーズは私よりそんな噂の方を信じるの?」 「別に気にしてなんていないわよ。それにヴィーナスの一番はプリンセスでしょ。嘘にしたって見えすいてるわよ。」 即座に返る答えには、どことなく拗ねた響きさえ感じられた。 「どうしたの、マーズったら。今夜はやけにかわいい。」 重なる感動に、これ以上ないほど気分が浮き上がる。 「一番大切なのはプリンセス。でも一番好きなのはマーズよ。プリンセスと同じくらい、マーズが大切よ。 だが、浮上するばかりの心を抑え、かえっておごそかにヴィーナスは告げた。その真摯な口調と視線に、詭弁だと、はねつけることができなかった。どうしていいかわからず、俯く。そんなマーズに莞爾とヴィーナスは微笑みかけた。 「大好きよ、マーズ。」 甘い声で耳元に囁く。俯いた頬に手を添え、上を向かせて口づけた。耳元に、頬に、額に、首筋に、そして唇に。柔らかな感触が心地よくて、いつの間にかマーズは目を閉じていた。手探りでヴィーナスの肩に縋る。寄り添う体が布越しにお互いの温もりを伝えあう。噂も、プリンセスのことも、考える余裕もないほどにヴィーナスの存在に満たされてゆく。それを少しだけ、ずるいと感じた。最後のラインでヴィーナスには勝てない。せめてもの抗議にマーズは、きゅっと指先に力を込めた。くすりと笑ったヴィーナスが口づけを深いものに変えた。ヴィーナスの気配がマーズを包み込み、深くまで染み入ってゆく。 夜はまだ始まったばかりだった。
−−−頑張れ!ジュピター・2 終
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