頑張れ!ジュピター2

高野 初音

 

 庭園で夜の空を見上げていたマーズを、そっとヴィーナスはうしろから抱きしめた。髪に口づける。
「驚いた?」
驚いた様子もないマーズにことさらに問うてみる。顔を上げるマーズの仕草にあわせて髪が揺れた。少しくすぐったく感じて、ヴィーナスは腕で作る輪をゆるめた。
「わかってたわよ。」
返答も予測のうちで、ヴィーナスは笑んだ。ゆるい拘束の腕をはずす。逃れ出たマーズがヴィーナスに向き直った。
「遅かったわね。」
わずかにこもる険に気づいて、ヴィーナスは怪訝そうな顔をした。それほど待たせたわけではなく、普段こんな言い方をするマーズでもない。
「ごめんね、待たせて。」
下手な言い訳などせず、ただ謝るだけで赦しを得ようとする。正面からマーズの視線を受け止めて揺るぎもせず微笑む。この笑顔に、マーズが逆らえないことをヴィーナスは知っている。かえってマーズの方がきまり悪げに視線を落とした。そこで、ヴィーナスの手首にうっすらと残る鬱血を、マーズは見咎めた。
「どうしたの、それ。」
「ああ、ジュピターとちょっとね。じゃれ合いが過ぎたの。」
嘘などつかずに事実を軽く告げる方が、こういう場合はよいと知っているヴィーナスは、あっさりと告白した。ジュピターの名前に、マーズの眉がよせられる。
「なあに、マーズ?」
「ヴィーナスはこの頃ジュピターと何やら親密な様子って噂、どうやら本当だったみたいね。」
親密、と言う言葉がどちらにもとれて、ヴィーナスはマーズの意図を測りかねた。軽く首を傾げ、問いかけを視線にのせてマーズを見やる。
「マーキュリーが困ってたわよ。」
敢えて表情を作るまいとしているらしいマーズの瞳が一瞬きらめいた。ヴィーナスはまばたきして、マーズをまじまじと見た。ヴィーナスにやっとわかる程度にうっすらと、マーズの頬が染まっている。
「ああ、妬いてくれてるんだ。」
感動にうっとりと呟いた。怒ったようにマーズがそっぽを向くのを、抱きしめた。
「マーズ、かわいい。」
強く抱きしめた後、しっかりと視線をあわせ告げる声ははずんでいた。
「そんな心配しなくたって、私が一番好きなのはマーズだから大丈夫。それとも、マーズは私よりそんな噂の方を信じるの?」
「別に気にしてなんていないわよ。それにヴィーナスの一番はプリンセスでしょ。嘘にしたって見えすいてるわよ。」
即座に返る答えには、どことなく拗ねた響きさえ感じられた。
「どうしたの、マーズったら。今夜はやけにかわいい。」
重なる感動に、これ以上ないほど気分が浮き上がる。
「一番大切なのはプリンセス。でも一番好きなのはマーズよ。プリンセスと同じくらい、マーズが大切よ。
だが、浮上するばかりの心を抑え、かえっておごそかにヴィーナスは告げた。その真摯な口調と視線に、詭弁だと、はねつけることができなかった。どうしていいかわからず、俯く。そんなマーズに莞爾とヴィーナスは微笑みかけた。
「大好きよ、マーズ。」
甘い声で耳元に囁く。俯いた頬に手を添え、上を向かせて口づけた。耳元に、頬に、額に、首筋に、そして唇に。柔らかな感触が心地よくて、いつの間にかマーズは目を閉じていた。手探りでヴィーナスの肩に縋る。寄り添う体が布越しにお互いの温もりを伝えあう。噂も、プリンセスのことも、考える余裕もないほどにヴィーナスの存在に満たされてゆく。それを少しだけ、ずるいと感じた。最後のラインでヴィーナスには勝てない。せめてもの抗議にマーズは、きゅっと指先に力を込めた。くすりと笑ったヴィーナスが口づけを深いものに変えた。ヴィーナスの気配がマーズを包み込み、深くまで染み入ってゆく。
 夜はまだ始まったばかりだった。

−−−頑張れ!ジュピター・2  終

  


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