足取り軽く裏庭をぬけたヴィーナスは、王女宮へ向かった。宿直の時のことを知っていたとは、ジュピターも案外侮れないけど、あれがフォボスとわからない辺りはまだまだよね。そうひとりごちる。ジュピターってば本当にからかいがいがあってかわいい。それがヴィーナスの偽らざる感慨だった。ジュピターとマーキュリーの見ていてじれったくなるほどの関係は、王宮に知れ渡っているというほどでもなくて、そのことが一層ヴィーナスの遊び心を刺激していた。 微笑みながらプリンセスの私室の前に立ったヴィーナスは、流石に表情をわずかにあらためた。ジュピターをからかって遊ぶのは、とても楽しいけれど、それ以上に大切なものがこの向こうにはある。プリンセスの許しを得て入室したヴィーナスは目を丸くした。パレスの中でも広い部類に入るプリンセスの部屋が色とりどりの布で埋めつくされていたからだ。きゃあきゃあと歓声が響いている。プリンセスが誰かを飾って遊んでいるのだろう。これは、退屈した時のプリンセスの遊びの一つだった。これをやるにはプリンセスの決して狭くないドレス室でも間に合わずにこういうことになる。どうやらマーズだけでなく、フォボスとディモスまで巻き込まれているようだった。 「あ、ヴィーナス、ほら見て。似合うでしょ。」 式典の時でもこうはいかないというほど麗々しく飾られたマーズをプリンセスがヴィーナスの方へと押しやる。その拍子に床に溢れた布を踏んでつまずいたマーズを、ヴィーナスは受け止めた。白と薄紅色が幾重にも折り重なったドレスに金を基調にしたアクセサリーの数々、軽く整えられうしろに流しただけの髪が流れる様は確かに美しかった。感嘆に軽く目を細める。 「気をつけて、マーズ。」 「ありがと。ヴィーナス。」 「やっぱり、ヴィーナスちゃんとマーズって絵になるわねぇ。ね、フォボスとディモスもそう思うでしょ。」 そっと足元に絡まった布をはずすマーズを支えるヴィーナスに、プリンセスが無邪気な声をあげる。微かに頬を染めるマーズの初々しさに内心で感動しながら、ヴィーナスはにっこりと微笑んだ。 「ありがとうございます。それで、セレネはどれにするの?」 誉め言葉を素直に受けとって、さらりと話題を変える。四守護神でもプリンセスを「セレネ」と呼ぶのはヴィーナスにだけ許された特権だった。フォボスとディモスに手伝わせて布の海を彷徨い始めたプリンセスの目を掠め、あらわになっているマーズの肩に軽く口づけると、ヴィーナスはプリンセスを手伝い始めた。 あれこれ悩んだ末にやっと選んだドレスを着たプリンセスを、ヴィーナスは一旦化粧台の前に座らせた。やや乱れた髪を梳く。細い金の髪が生み出す流れをいとおしむように。 「うーん。でもこのドレスだったら花が欲しいよね。やっぱりバラかなあ。ジュピターに持ってきてもらおうか。」 目線だけを上げて鏡の中のヴィーナスに向かって問うプリンセスに、一瞬だけどきりとする。プリンセスも、化粧道具を用意しているマーズたちも、それに気づかなかった。 「そうね、でもむしろ小さなペンダント一つ飾っただけの方が、帰ってドレスの清楚さが引き立つと思いますけど? それに、今ジュピターは忙しいみたいだから、引っぱり出すのもちょっとかわいそうだし。」 ついさっきからかいが過ぎて庭を破壊し、ジュピターと顔を合わせ辛いことなどおくびにも出さず、ヴィーナスは微笑んだ。ヴィーナスの勧めるペンダントを手にとって納得したらしいプリンセスに、フォボスがそれをつける。 その時、ノックの音がした。マーキュリーであることを告げるディモスに、遊び相手が増えたとプリンセスが顔を輝かせる。だが、入室の一瞬にマーキュリーが普段の温厚さを失っていることを、ヴィーナスは見抜いた。マーキュリーらしくもなく、扉を開ける音がほんの少しだが荒かった。扉を開けた一瞬の怒っているようで困っているような顔を見逃しはしなかった。大体の事情に見当をつけて、心の中で形ばかりの同情をジュピターに贈る。室内の様子にちょっとだけ呆れ顔を作ったマーキュリーが、一礼してからマーズを呼んだ。 「マーズ、あの、聞きたいことがあったんだけど、でも後でいいわ、大したことじゃないから。」 「ああ、待ってマーキュリー、今ヴィーナスと交代するとこなの。すぐに着替えるから。」 困惑の体で言うマーキュリーに脱出のチャンスを見出したマーズはさっさとドレスを脱ぎ始めた。プリンセスの相手は確かにもっとも大切な仕事の一つだが、こんなきせかえ大会に何時間も付き合わされていれば流石に飽きも来ようというものだった。残念そうなプリンセスを見ないふりして着替えるマーズに、セレニティは軽く頬をふくらませた。その頬を軽くヴィーナスがつついた。 「ほらほら、そんなに拗ねないで。私が遊んだげますから。」 子ども扱いにますますふくれるプリンセスに微笑みながら、ヴィーナスはマーズの着替えを手伝った。額飾りと小ぶりの髪どめその他のアクセサリーをていねいにはずしてゆく。ゆるく癖のついた髪を手櫛で整えた。 「お疲れ様。」 ねぎらってマーズを送り出す。やっと解放されて溜め息をついたマーズを、マーキュリーも優しくねぎらった。苦笑に近い笑顔を返しながら、マーズはマーキュリーに気づかれないよう手のひらの中のものを握り締めた。 コンピュータールームでデータの解析を手伝いながら、マーズはマーキュリーの目を盗んでそっと手の中の紙片を開いた。プリンセスの部屋を出る寸前にそっと忍ばされたそれには、今夜の約束の場所が記されている。そしてVの一文字。ヴィーナスの囁きを思い出して、マーズは顔を赤らめた。
−−−頑張れ!ジュピター 終
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