★ あんふぁん・てりぶる ★

深森 薫

  

 大陸を貫き、西へ東へ人や物を絶えず運び続ける『銀の街道』。
 人々の営みは、永い時を経てこの大陸に幾つもの町を築き上げた。陣地の及 ばぬ未開の地が広がる世界にあって、町は人々の暮らしの主要な舞台である。 その中にはより多くの人口と多くの機能を備え、都市国家として栄えるものも 現れた。これらの都市国家は『銀の街道』をはじめとする多くの街道で結ばれ、 各々が競い合うように独自の個性を主張するようになる。
 ここグラシアも、そんな都市国家の一つだ。『魔法使いの王国』の二つ名で呼 ばれるこの街には、大陸でも最大級の規模を誇る魔術師ギルドがある。二百年 あまりの歴史を持つ白亜の館は『白い家』と呼ばれ、この街のシンボルとして 広く人々の知るところとなっている。今日もまた、魔術の道を志す多くの老若 男女がここに集い、切磋琢磨し、日々学問の修養と魔術の修行に励んでいた。

 

「・・・・・・ふう」
 せわしなく動かしていた羽ペンを傍らに置いて、プルートは大きく息をつい た。スレンダーな肩と首をこきこきと鳴らして、凝りをほぐす。朝からずっと この調子で執務室にこもっているにもかかわらず、机上にはいまだ羊皮紙の山 がでんと居座っている。
 導師プルート、名門・グラシア魔術師ギルドを預かる長。『白い家』ほどの大 きな組織をを束ねる立場ともなれば、公文書に目を通してサインをするだけで も半端な量ではない。世界一の魔術師といえど、このデスクワークをちょちょ いのちょいと済ませてしまえるような、そんな都合のいい魔法はさすがに知ら ない。
 ふう、とまた一つ息をついて、プルートは机上の片隅に置かれた呼び鈴を手 に取った。ちりんちりんと、涼しげな音−−−がしそうな鈴の筈が、何故かこ とりとも音はしない。実は呼び鈴の下に置かれた魔法陣が、別の場所にあるも う一つの魔法陣に音を転移させる仕掛けになっているのだ。古代魔法王国の先 人達が残した、高度な技術のささやかな結晶である。
 やがてノックの音があり、
「失礼します」
 小さく開かれた扉から少女が一人、姿を現した。年の頃はまだ十歳ほどだが、 黒ローブ姿がいかにも魔術師らしい。色白で、ぱっちりとした瞳。肩で切り揃 えられた黒髪の間から覗くのは、妖精族に特有の尖った耳。しかし、純粋なエ ルフのそれでないことは明らかである。何故なら、彼等の中に黒髪や暗紫の瞳 を持った者はいないのだから。
「お呼びでしょうか、先生」
 少女は両手で静かにドアを閉じると、くるりとプルートの方に向き直った。 この少女、実は現在この『白い家』でプルートを「先生」と呼べる唯一の人間 −−−正確にはハーフエルフ−−−なのである。ギルドの最高導師ともなると、 後進の教育は他の者に任せるのが普通。ましてや『白い家』ほどの名門の長と もなれば、その多忙さと責任の重さは想像を絶する。にもかかわらず、その名 門の長の直弟子として傍に置かれているこの少女。その値打ちたるや、いか に・・・?
「ええ、ホタル」
 プルートは微笑んで、少女の名を呼んだ。
「お茶にしましょう。『博物誌』の暗唱をおさらいしますから、持っていらっし ゃい」
 はい、と明るく答えて、ホタルと呼ばれた少女はドアの向こうへ取って返し た。
 プルートは再び書類に目を落とす。
 『白い家』の最上階に位置するこの部屋は、街中の喧噪ともギルドの人々の さざめくような話し声とも無縁の静けさを保っていた。聞こえる音といえば、 プルート自身が羊皮紙をめくる音と、時折サインのためにペンを走らせる音。 そして、弟子のホタルが控えている隣室からはかちゃかちゃと茶器の用意をす る音と−−−
  ずぼぼぼぅっっ!
『きゃっ!』
 −−−それから、お湯の沸く音。いつもと変わらぬ日常だ。
 やがて、再びノックの音がして。
「お茶のご用意ができました、先生」
 ティーポットと、砂糖壺と、二客のティーカップを載せた盆を、小さな少女 が重そうに運んで来る。
「ごくろうさま、有り難う」
 プルートはそう言って柔らかく笑むと、読みかけの書類に再び目を落とした。 彼女がその羊皮紙の束に最後まで目を通す間に、ホタルは再び隣室に取って返 し、革張りの分厚い書物を携えて戻ってくる。そうして弟子と師匠が揃ってソ ファーに腰を下ろす、頃合いを計ったように砂時計は紅茶の飲み頃を告げた。
 ホタルが紅茶を二つのカップに注ぎ分ける。子どもながらその手つきはなか なかどうして、堂に入ったもの。
「どうぞ」
 師匠であるプルートがカップに口をつけるのを見届けてから、ホタルは砂糖 壺の蓋を開ける。そのあたりの礼儀作法も大人顔負け。
「ああ・・・そういえば、ホタル」
 熱い紅茶を上品にすすり、一息ついたところでふと思い出したように、プル ート。
「そろそろ紅茶が切れる頃ではないですか?」
「えっ・・・? あっ、はいっ、そ、そうです」
 ホタルは慌てて答えた。まるでお茶を入れるところを見ていたかのような導 師の問い。超多忙な身でありながらこんな些細なことにまで気を回すことので きる先生を、ますます尊敬してしまうホタルだった。
「そういえば、そろそろマウンテンの初摘み紅茶が出回る頃ですねぇ・・・」
 また一口紅茶をすすって、プルート。あまり表情の変わらない人物だが、心 なしか少し嬉しそうにも見える。
「・・・では、ホタル」
「はっ、はいっ!」
 ホタルは砂糖の入った紅茶をくるくるかき回す手を止め、姿勢を正す。
「『博物誌』のおさらいが終わったら、お使いに行ってきてください。いつもの お茶屋さんで、マウンテンの初摘み紅茶を一ポンド。あと、雑貨屋さんでイン クを」
「はい!」
 笑顔に顔を輝かせて、ホタルは元気よく答えた。
 

*          *          *
 

 ありとあらゆる品物が集い、人々のごった返す商店街。野 菜や果物を山と積み上げた露店や、丸裸の鶏をのれんのようにぶら下げた露店、 湯気をもうもうとあげながら饅頭を売る屋台。ずらりと並ぶ店の間を、老若男 女が絶えず行き交う。ホタルの姿もその中にあった。真っ黒なローブに身を包 んで歩く、人間離れした長い尖った耳の少女。さぞかし衆目を集めるであろう と思いきや、そこは街道沿いの大都市のこと、行き交う人々の中には妖精族の 姿もちらほらと見られる。エルフやドワーフの姿を見て珍しそうに振り返るの は、おそらくお上りさんだろう。
 ホタルはおつかいが大好きだった。
 大好きなプルート先生の、少しでもお役に立ちたいのはやまやまだけど、お 仕事の手伝いはとても無理。
 ホタルにできることといえば、先生のためにおいしいお茶をいれることと、 おつかいに行くことくらい。
 だから。
 ホタルは店先を飾る色とりどりの果実にも食欲をそそる屋台の香りにも惑う ことなく、行き交う大人達の間を縫うようにすたすたと歩いていった。
 市場の中でも少し品のよい店が並ぶ一画に、その店はあった。
 所狭しと並べられた産地と銘柄の書かれた木箱や壺の間をホタルが覗き込む と、奥に座っていた店主が立ち上がった。口ひげをたくわえた、背の高い、品 の良さそうな初老の男である。
「おや。いらっしゃい、お嬢ちゃん。今日は・・・いつものでいいのかな?」
 ルックス通りの柔らかな物腰で、店主が訊ねた。ここではホタルもすっかり 常連客の一人のようだ。
「・・・ああ、マウンテンの新茶かい。とびきり上等なのが入ったとこだよ」
 店主は奥の棚から白い壺を下ろしてきた。
「一ポンドだね」
 そう言って、スコップで茶葉をすくって天秤に乗せる、手つきは無造作に見 えるが目盛りは一発でぴたりと一ポンド。これぞ熟練の技。そうして取り上げ た茶葉を、店主は麻布で丁寧にくるんでホタルの持参した巾着袋へと入れてく れた。
「それがなくなる頃には、今度はアイランドの新茶が入るよ。先生によろしく 言っといておくれ」
 見送る店主にホタルは丁寧にお辞儀をして、再び雑踏の中へと戻っていった。

 

 人でごった返す石畳の通りを、ホタルは意気揚々と歩いていた。懐には、 買ったばかりの紅茶と、インクの小瓶。
『ごくろうさまでしたね、ホタル』
 そう言って出迎えてくれる導師さまの笑顔が目に浮かぶ。
 先生に喜んでもらえる。それだけで、ホタルは十分幸せな気分になれるのだ った。
「お嬢ちゃん」
いつか、ホタルも立派な魔法使いになって−−−
「そこの、黒い服のお嬢ちゃん」
 先生のお役に立てるように、なれたらいいな−−−
「そこの可愛いお嬢ちゃん」
 そう、姉弟子さまみたいに−−−
「−−−えっ?」
 呼び止められて、ホタルはふと足を止めた。
「そうそう、お嬢ちゃんのことだよ」
 声をかけた男は、そう言って微笑んだ。大人にしては、背の低い男である。 太い眉毛にぎょろりとした目つきで、無理矢理作った笑顔が不気味。
「あっ、え、えと・・・」
「ああ、そんなに怖がらないでおくれ。おじさん、悪い人じゃないからさ。た だ、お嬢ちゃんにいいものをあげようと思って」
 男はそう言って、かがみ込んで脂っこい顔を近づけてくる。
 『いいですか、ホタル』
 思わず後じさるホタルの脳裏を、プルート先生の言葉がよぎる。
 『知らない人にものをもらったり、ついて行ったりしては、いけませんよ』
 ホタルは大きく息を吸うと、思いきって口を開いた。
「あのっ、わ、わたし、知らない人にものをもらっちゃいけない、って、先生 が、」
「そうか・・・偉いね、お嬢ちゃんっ!」
 男はぶんぶんと首を縦に振る。
「うん、えらいねぇっ! 先生の言うことをちゃぁんと聞いてるんだなぁ。お じさんは感動したよっ」
 大げさに褒めまくられて、困ったように笑うホタル。まんざらでもないのか もしれない。
「先生のお言いつけならしょうがないよなぁ・・・いやさね、実は・・・」
 男は懐から小瓶を取り出した。
「とーっってもいい匂いのする香水があるんだけどね。おじさんみたいにむさ くるしい男が持ってても仕方がないから、だれか使ってくれそうな女の子にあ げようと思ったんだけど・・・先生のお言いつけならしょうがないよなぁ?」
 興味津々と小瓶に注がれるホタルの視線を、男は見逃さなかった。
「・・・でも、せめて匂いをかぐだけなら。先生も怒ったりしないだろう? こ れはね。とても珍しい、ブラック・ロータスっていう黒いハスの花から取った ものなんだ」
 男はそう言うと、コルク栓をきゅぽっ、と抜いて、小瓶の口をホタルの目の 前に差し出した。
 ホタルは少し迷って、やがて恐る恐る顔を近づける。
「それはそれは、いい匂いのする花でね」
 ほんのりと甘い芳香が鼻腔をくすぐり。
「この香水の匂いをかぐと、とてもいい気持ちになって・・・」
 頭はぼんやり夢見心地、体はふわふわ浮遊感。やがて。
 足下からへなへなとくずおれるホタルの体を、男は片腕で支えた。
「・・・ぐーっすり、眠れるんだな。これが」
 そう言って喉の奥でくくっと笑うと、男は眠ってしまった少女を抱き上げ、 雑踏の中へと紛れていった。
 

*          *          *
 

 頬に伝わる、冷たく固い床の感触。
「ん・・・・・・ん」
 ぴくりと睫毛を震わせ、ホタルはうっすらと目を開いた。
「あ」
 頭の上で、微かに声が聞こえた。辺りは暗く、空気はどこか湿っている。
「・・・気がついた・・・?」
 のぞき込む、少女が一人。歳の頃は、ホタルより少し小さいくらいだろうか。
「えっと・・・」
 ホタルは固い石の床に手をついて起き上がった。辺りを見回してみても、何 がどうなってここがどこだかあなたはだれだかさっぱりわけがわからない。
「・・・・・・うっく・・・ひっく、えっ・・・」
 悩んでいるその後ろから、泣きながらぐすぐすと鼻をすする音が聞こえてく る。振り返ると、暗がりにうずくまって泣いている子ども、たぶん女の子、が 一人。
「なぁ、もぉ泣くなよ」
 と、その隣で、ぺたりと座り込んで溜息をついている、男の子が一人。
「泣いたってさぁ。しょーがねーだろ」
「・・・だって・・・うっく」
 何だかよく分からないけれど、なんだか大変なことになっているようだとは ホタルにも分かった。
「あ、あの・・・・・・ここ、どこ?」
 とりあえず、目の前にいる女の子にホタルは尋ねた。薄暗くて何色か分から ないが、淡い色の髪を頭の上で二つに縛ってお団子にまとめた、少々変わった ヘアスタイル。
「・・・わかんない」
 少女はふるふると首を振る。おだんごから垂れ下がった髪の房が揺れた。
「じゃあ・・・どうして、ここにいるの?」
「わかんない・・・香水のにおいをかいで・・・気がついたら、ここにいたの」
「あっ・・・私も」
「・・・売られるんだ、おれたち」
 少年の声に、二人は振り向いた。
「さっき、お前をつれてきたやつらが言ってた。今晩むかえの船がきて、おれ たちつれて行かれるんだ」
「売られる、って・・・だれが買うの?」
 と、おだんご頭の少女。
「しらねーよ、んなの」
「売られて・・・私たち、どうなるの?」
「・・・きっと・・・ひっく・・・殺されちゃうんだわ・・・うっく」
 ホタルの問いに、うずくまって泣いていた少女が顔を上げた。
「あに言ってんだよ、こ、殺すわけねーだろ、わざわざ金はらって買うのに」
 少年は語気を荒げて、強がってみせる。
「ううん、そうでもないわ・・・暗黒神のいけにえには、子どもを使うんだっ て、聞いたことある」
 ホタルの言葉に、全員が凍り付いた。
「生きた子どもの心臓を、祭壇に供えて、暗黒神の復活を祈るんだって」
 いくらホタルが賢者の修行をしているといっても、まだ見習いの身で、しか も子ども。人身売買の何たるかなど、知るよしもない。
「生きた子ども・・・・・・殺さないの?」
 あまりのショックに、泣いていた少女は泣きやんでしまった。
「ばっ、ばかっ! 心臓取られたら死ぬにきまってんだろっ!」
 少年の目もうるうるしているように見える。
「あたしたち、みんな・・・?」
 おだんご頭の少女も、今にも泣き出しそうに。
 ただでさえ暗く冷たい小部屋に、重苦しい沈黙が降りる。
 ホタルはローブの胸を押さえた。懐に収めた棒杖の固い感触が掌に伝わる。 人さらい達も、まさか子どもがこんなものを持っているとは思わなかったのだ ろう。ホタルは少し考え、やがて唇をきゅっと結び、顔をあげた。
「逃げよう」
 その言葉に、無言でうつむいていた子どもたちも顔をあげる。
「逃げるの。みんなで、ここから」
 皆の顔を見渡して、ホタルはもう一度、力強く言った。
「・・・・・・逃げる、って。どこから逃げんだよ」
「そのドアから」
「・・・駄目よ。カギかかってるもの」
 一度は泣きやんだ少女も、再び泣き出しそうに声を震わせる。
「開けるの」
「どうやって」
 ホタルは懐からごそごそと棒杖を取り出した。
「−−−魔法で」
 少年は口をあんぐりと開けた。
 少女の涙も引っ込んだ。
「・・・すっごーい! あなた、魔法使いなのっ」
「しっ!」
 ホタルは唇に人差し指をあてて、歓声を上げるおだんご頭の少女をたしなめ る。
「外に聞こえちゃう。この杖を取り上げられちゃったら、魔法が使えないの」
「・・・すげぇ」
 やっとのことで絞り出したように、少年も感嘆の声を漏らす。
「本物の魔法使いなんて、おれ初めて見た・・・」
「じゃ、いくね・・・」
 ホタルは微笑んで応えると、きりりと顔を引き締めた。
「『万物の根元たるマナ−−−』」
 上位古代語の複雑な音韻が暗い室内に響き渡る。少したどたどしくはあるが、 子ども達にとっては生まれて初めて耳にする『魔法の呪文』。注がれる、憧れと 尊敬の眼差し。
「『−−−開け』!」
  ぢゅぼっっっっ!
「をわっ!」
「きゃっ!」
 破裂音とともに、錠前は取っ手ごと吹き飛んだ。石の室内で反響する轟音に 思わず耳を押さえる子どもたち。ぎぃ、と開いたドアの向こうから、明るい光 が差し込む。
「わぁ、開いた!」
「す、すげぇ・・・」
 本物の『開錠』の術はもっと静かに発動するものなのだが。そんなことはも ちろん、子ども達の知るところではない。
「さ、逃げましょ!」
 ホタルが立ちすくむ子ども達を促す。
 どかどかと、外の廊下を近づく足音。
「なんだ、今の音は!」
「こっちだ!」
 廊下の曲がり角の向こうから、男が二人、姿を現した。街でホタルに声をか けた、あの小男もいる。
「あっ! ガキが逃げるぞ!」
「うわ。やべ、見つかった!」
 うろたえる子ども達。いきなりゲームオーバーか。
『−−−ホタル』
 ふと脳裏をよぎるのは、尊敬する姉弟子さまの声。
『私たちは皆それぞれ、仲間の命をその手に預かっているの。戦士はその剣の 一振りに、僧侶はその祈りの一節に、盗賊はその鍵開け一つに。そして、私た ち魔術師は、その呪文一つに』
 記憶の中の姉弟子さまは、厳しく、凛々しく、そして優しかった。
『だから、ホタル。どんなときでも、狼狽えては駄目。
 狼狽える暇があったら、呪文の一つも唱えなさい』
 時間にすればほんの一瞬のことだったのだろうが、ホタルが立ち直るにはそ れで十分だった。
「畜生ッ、このガキども、どーやって!」
 向かってこようとする男たちを見据えて、棒杖をしっかりと握りしめ。
「『空気よ変われ、万物の根元マナの力で、眠りをもたらす見えざる雲に−− −』!」
 「力あることば」を解き放つ。
  ずぼぼぼぼんっっ!
 見えざる雲、と言う割には心なしかうっすら紫色にも見える雲が彼らを包み 込み。
 屈強な男たちが、足下から崩れるように床に倒れた。
「わぁ・・・」
「すごーいっ!」
 少女たちの賞賛の声に、ホタルは照れくさそうに微笑んだ。
「よしっ。逃げよーぜっ!」
「あ・・・ちょ、まって!」
 追っ手が来たのとは反対方向に逃げようとする少年を、一番小さいおだんご 頭の少女が呼び止めた。
「☆っ、なんだよぉ」
「ねぇ、そっちからだれも来なかった、ってことはさぁ。そっちは行き止まり なんじゃない? こっちの、人が来たほうが、きっと外につながってるんだよ」
 真剣な顔で訴える少女。
「・・・おまえ、ちびのくせに頭いいなぁ」
「ちびじゃないもん、『バニー』って名前があるんだからっ。失礼しちゃうわ」
 少女はぷっ、とふくれて見せた。
「おうっ、そうか。おれはキュースケってんだ。よろしくな、ちびバニー」
 少年は親指で自分をさして、いかにも悪戯っ子らしい表情でにかっ、と笑っ た。
「・・・へんな名前」
 バニーがジト目で聞こえるようにぼそりと言う。
「なにをぅっ!」
「あたしはモモ。よろしくね」
 と、べそべそ泣いていた少女がまるで別人のように朗らかに笑う。
「えっと・・・あたしは、ホタル、っていうの・・・よろしく」
「『ホタルちゃん』。わぁ、すてきな名前! キュースケとは大ちがい」
 おだんご頭のバニーがきらきらと目を輝かせて言う。ホタルはとても照れく さそうに笑んだ。自分と歳の変わらない子どもにこんな風に褒められるのは、 おそらく生まれて初めてなのだろう。
「よしっ。じゃ、逃げよーぜっ」
 自己紹介も終わったところで、子どもたちだけのパーティーは何処にあるか ともまだ知れない出口を目指して歩き出した。ホタルの放った眠りの魔法の餌 食となって床ににごろごろ転がったオヤジたちの横をそろりそろりと、起こさ ないようにすり抜け−−−
「あ。ちょっとまって」
 と、キュースケの後ろを歩いていたモモが、何に気付いたのか倒れている男 の側にかがみ込む。
「モモちゃん? よ、よしなよ。危ないよ?」
「・・・へへー。いいものみっけ♪」
 心配顔のバニーをよそに、モモは得意満面の笑みで拾い上げた鍵の束をじゃ らじゃらと振って見せ、
「さ。行こ行こ!」
 意気揚々と、進行方向を指さした。

 

  がちゃがちゃ
 子どもだけのパーティーの、すっかりリーダー気取りのキュースケが、二つ 目の扉に鍵を突っ込んだ。見張りは先刻ホタルが眠らせた二人だけだったのか、 ここまで誰にも会わずに済んでいる。ラッキーといえばラッキー。
  かちゃっ
  ぎぃぃ・・・
 開いた扉の内側は小部屋になっていた。彼らが閉じこめられていたような殺 風景な小部屋に、大きな木のテーブルが一つ、あるばかりである。
「ちぇ・・・出口じゃないや。ここも」
 子どもたちのパーティーは、少し先にある次の扉にぞろぞろと移動した。
  がちゃがちゃ
 三つ目の鍵を突っ込んで、思い切りひねるキュースケ。普段あまり使われて いないのか、固い鍵を開けるのは子どもには骨の折れる作業である。
  がちゃっ
  ぎぃぃ・・・
 開いた扉の内側は、やはり小部屋になっていた。
「わぁ!」
 目を見張る子どもたち。空っぽだった他の部屋と違って、所狭しとモノの置 かれたその部屋は、どうやら武器庫のようだった。奥の壁面は、鎧や防具が雑 然と押し込められた棚。右手の壁面には弓が掛けられ、その下に長短様々な槍 や鉾を立てた樽がずらり。左の壁際の奥には重そうな斧が立てかけられ、手近 なところには木箱が積み上げられている。蓋が開いている幾つかの、中身は剣。 長いものから短いもの、幅の広いものから細身のものまで実に様々。
「すげぇ! かっけー!」
 キュースケは顔を輝かせて箱に飛びつくと、ショート・ソードを手にとった。 構えてポーズを取って、もうすっかり冒険者気分に酔いしれている。
「よしなさいよキュースケ、使えもしないくせに」
 これだから男の子って、と溜息をつくモモ。
「なにかあたしたちにも使えそうなもの、ないかしら」
「ねぇねぇ、これなんかどう?」
 木箱の中をのぞき込んでいたバニーが声を上げた。丁度子どもの拳ほどの大 きさの、黒い玉がぎっしりと詰まっている。
「・・・石? じゃないよね・・・なんだろう」
 のぞき込んで、ホタルが首をかしげた。手にとってみると、それなりの重さ はあるものの同じ大きさの石よりは軽い気がする。手触りは、なめしていない 革のそれに近い。
「石なげるくらいなら、あたしたちにもできるし。これなら当たったら痛いよ、 きっと。持っていこう!」
 そう言ってバニーは黒い玉をポケットに詰め込んだ。ホタルも倣ってせっせ とポケットを満たす。
「ポケットなんて、いくらも入んないわよ。これに入れて行こう!」
 モモは手近にあった麻袋の中身を床にぶちまけて−−−ばらばらと散らばる のは、盗賊の使う鍵開け棒−−−空になった袋にせっせと黒い玉を詰め込んだ。
「ほらぁ、キュースケも遊んでないで手伝いなさいよ」
「うわ・・・なんかうちの母ちゃんみてぇ・・・」
 ジャガイモを袋に詰め込む母の姿が思わず目蓋に浮かぶ。キュースケも仕方 なく剣を置いて、黒い玉を袋と自分のポケットにねじ込んだ。
 黒い玉を詰め終えたホタルは、立ち上がって入り口の方を振り返った。扉の 脇の小さな棚に、カンテラと油壺が並べられているのが目にとまり。
 再び蘇る、はじめての冒険の記憶。
『あのー・・・どうしてカンテラを点けるんですか?』
 そう問いかける、自分の姿が脳裏に浮かぶ。
『魔法の明かりがあるのに』
『ああ。・・・こういう、何が居るか分からない場所に入るときはね。明かりは 二つ用意するものなの』
 そう教えてくれたののは、美貌の盗賊だった。
『いつ、ひょんなことで消えるか分からないでしょう。とんでもない化け物に 出会った時に突然真っ暗になったりしたら、全員一巻の終わりだから。用心に 越したことはないの』
 ホタルはカンテラを手に取った。意外に軽いものである。
「ホタルちゃん? カンテラなんか、どうするの」
「・・・何か、役に立つかも、しれないから」
 ぱんぱんになったポケットを撫でながら尋ねるバニーに、どこかぼんやりと した調子で答えるホタル。携帯用の油壺も一つ、ついでに頂いていくことにし た。
「ふぅん」
 バニーはそれ以上聞かなかった。キュースケもモモも、別にツッコみもしな い。何せホタルは魔法使い(見習い)で賢者(同じく見習い)なのである。そ んじょそこらの子どもとは(たぶん)訳が違うのだ。文句があろう筈がない。
 ポケットをぱんぱんに膨らませて、一行は出口を求めて先へと進んだ。

 

  がちゃがちゃ
 キュースケは次のドアに鍵を突っ込んだ。錠前の奥まで鍵がしっかり入った ことを確認すると、迷うことなく反時計回りに思い切りねじる。四つ目ともな るとさすがに慣れたものだ。
  がちゃっ
「きゃっ」
「あっ!」
 錠前が回ったと思った瞬間、背後で聞こえた女の子たちの悲鳴。
「こんのクソガキども! どうやって抜けだしやがった!」
 腹がびりびりと震えるような野太い声がして。
 振り返ったキュースケとモモを、壁のような大男がホタルとバニーの襟首を 掴んだまま見下ろしていた。
「おとなしくしてりゃ、ケガせずにすむものを−−−」
 大男は鬼のような形相のまま、ホタルとバニーを猫の子のようにつまみ上げ る。
「〒£÷◇★∇∞□ЮД¶◆⊆∈≒!」
「≠>Ω☆×Σζ$#%&@※●!」
 声も出ないほどに首がぎゅうぎゅうと締まり、じたばたともがく二人。
「おいたが過ぎたようだなぁ。あぁ?」
 凶悪な人相で、ぎろりと二人を睨みつける大男。
 さっきまでの彼らなら、それだけで怯えて足がすくんでしまうところだった のだが。
「なっ・・・なにすんのよっ! 二人をはなしなさいっっ!」
 モモが叫んだ。震える声で、それでも負けないように睨み返して。
「・・・何だと このクソガキ!」
 大男の顔がモモの方に向いた、その瞬間。
 キュースケはポケットの中の黒い玉を掴んだ。
「−−−わぁぁぁぁっっ!」
 怖い気持ちを追い出すように叫んで、玉を男の顔面めがけて投げつけた。肩 には自信がある。河原での石の投げっこでは、年かさの少年たちにだって負け ない。
  ぼがんっっ!
「きゃっ!」
「きゃあっ!」
「うぐおぉぉぉっっっ!」
 耳をつんざく轟音。あろうことか、男の顔面にぶつかった黒い玉は火花を散 らして爆発した。
 これには投げたキュースケもおったまげた。両手で顔を押さえて床を転げ回 る大男を呆然と見下ろしている。
「どうした! 何だ今の音は!」
 しかしそれも束の間、向かいの部屋から別の男が飛び出してきた。
「うわっ、やべぇっ、見つかった!」
 我に返ったキュースケとモモは、放り出されてしりもちをついたバニーとホ タルの手をぐいと引いて、一目散に駈けだした。
「おいっ、大丈夫か!」
「捕まえろ! 逃がすんじゃねぇぞ!」
 振り向いている暇もなく、追っ手たちの声を後ろに聞きながら子どもたちは 走る。廊下はまた曲がり角になっていた。角を回ると、突き当たりにあるドア が目に飛び込んできた。これが出口に違いない。
「このガキっ、待ちゃあがれっ!」
 しかし追っ手もすぐそこまで迫ってきている。
「っ、このやろーっ!」
 キュースケがまた一つ、追っ手に向かって玉を投げつける。
  ぼんっっ!
「のぉわぁっ!」
 足下が弾けて、追っ手の一人が宙でくるりと一回転して背中から石の床に墜 落した。
「なにっ」
「エクスプロージブ・ブリット」
 エクスプロージブ・ブリット−−−古代の魔法技術によって、爆発の力を封 じ込められた弾丸である。ちなみに、古代王国の滅亡とともにその製造技術も 失われているため、現在では基本取引価格一個二五○○フロル。これ一個でロ バが三頭買えておつりが貰える。
「何でガキがんなもん持ってんだ!」
「誰だぁ、武器庫の鍵ィ持ってたのはぁ!」
 男たちが一瞬怯んだ。怒号が飛び交う。
 その間にモモが扉にたどり着いた。鍵はかかっていない。中は薄暗い小部屋 になっていた。奥には、上に向かう石造りの急な階段。天井には、跳ね上げ戸。 子どもたちは一列になって駈け上がった。
「このっ、待ちゃあがれっ!」
 男たちは、手を伸ばせば捕まりそうな所まで迫ってきている。一番後ろを走 っているのはホタル。
「えいっ!」
  がちゃっ!
 ホタルは油壺を石段に叩きつけた。携帯用なので中身はそう多くなかったが、 期待した効果をあげるには十分だった。
  ずるっ
「のわぁっ!」
  ごっっ
 先頭の男は足を滑らせ、顔面を思い切り石段にぶつけた。
「ホタルちゃんっ!」
 モモがホタルの手を引き上げる。階段を上りきったそこは、倉庫のような部 屋になっていた。
「畜生っ! ガキが・・・っ!」
 しかしその後ろからも男たちは押し寄せる。キュースケが、ポケットに無理 矢理詰め込んだ黒い玉を引っこ抜いて後続の追っ手めがけて投げつけた。
  がぼんっっ!
 玉は外れて手前の石段に着弾−−−いっそ命中していた方が、男たちにとっ てはよかったのかもしれない。
  めらめらめらめら
 破裂した弾丸はばらまかれた油に引火し、一瞬で燃え上がり。
  ころころころころ
 そこにキュースケのポケットからこぼれ落ちた黒い玉が一つ、二つ、三つ、 階段を転げ落ち−−−
  どがごぶごぼーんっっ!
「わぁっ!」
「ぐぉわぁっ!」
「うぎゃぁぁぁっ!」
「きゃっ!」
「きゃあっ!」
 腹の底がびりびりと震えるような轟音と、入り交じる悲鳴。
 階段の出口が煙突のように白煙と黒煙をもうもうと吹き上げる。けほけほと 煙にむせながら、子どもたちは再び駈けだした。
 倉庫を出ると、そこは通路になっていた。それまでの薄汚れてごつごつとし た岩肌ではなく、自分の顔が映りそうなくらいに磨き上げられた石の廊下。と ころどころには真っ白な大理石の彫像まで飾られている。どこかの金持ち屋敷 なのだろうか。子どもたちには皆目見当もつかない。
「なんだなんだ、何事だ!」
「こっちだ!」
 追っ手を蹴散らしてほっとしたのも束の間、廊下の曲がり角の向こうから、 新たな敵が現れる。こぎれいな館には不似合いなならず者風が二、三人。
「うわっ、なんだあの煙は!」
「賊だ!」
「いや、ガキだ!」
「捕まえろ!」
「馬鹿っ、火ィ消すのが先だっ!」
 ふたたび迫る追っ手の影。
「うわっ、まぢぃっ!」
「こっちへ!」
 子どもたちは慌てて傍の部屋に飛び込んだ。真っ白な布で覆われた長テーブ ルと椅子。どうやら食堂らしいが、金持ち屋敷はスケールが違う。一度に二十 人は座れそうなテーブルが三列。その上に飾られた燭台はもちろん銀製。天井 には、シャンデリア。ずらりと並んだ椅子の一つ一つも、彫刻の施された一級 品である。
「待てっ!」
 追っ手の気配に、子どもたちはすぐさま身を屈めた。
「・・・確かに、こっちに逃げたぞ!」
「探せっ!」
 聞こえてくる声は二人分。子どもたちは半ば這うようにしてもう一つのドア を目指す。
「くそっ、どこに隠れてやがるっ!」
「おらおらっ、出てきやがれっ!」
 追っ手たちはどうやら二手に分かれたようだ。大声で怒鳴り散らし、威嚇の つもりだろうか、時折椅子をがつんと蹴飛ばしながら室内を探し回っている。 相手がもしも大人なら、潜んでいる敵に自分の居場所をわざわざ教えるような ことはしないだろうに。
 彼らは子どもたちを甘く見すぎていた。
「−−−っんのやろーっ!」
 キュースケが立ち上がり、
  どこーんっっ!
「はぐふぅっっ!」
 不意打ちのエクスプロージブ・ブリットをお見舞いする。
「なにっ」
「たーーーっっっ!」
  ずぼーんっっ!
 仲間の災難に気を取られたもう一人に、続いてモモが一発。これも不意打ち で二人目が撃沈。
「やりぃ!」「やったぁ!」「こっちよ!」
 子どもたちはもう一つのドアから飛び出した。
 再び、先刻と同じような廊下。左側と、正面に続いている。どちらも先で曲 がっていて、その向こうがどうなっているかは分からない。
「うーん・・・どっちが出口かしら」
「おいバニー、どっちが出口かわかんないのかよ。さっきみたいにさぁ」
 キュースケが口をとんがらせて言う。
「そんなの、分かるわけないで−−−」
「いたぞ!」「こっちだ!」
 ゆっくり悩む間もなく、ふたたび始まる逃亡劇。
 選択の余地はない。子どもたちは正面に続く通路を駈けだした。
「このっ・・・追ってくんなっ!」
  がごーんっっ!
「うぉっ」「怯むな!」
「捕まえろっ!」
 そうは言っても大人には大人のメンツというものがある。おじさんたちも必 死なのだ。
 しかしこの子どもたちもただ者ではない。
「キュースケっ、彫像を壊せば邪魔になるよっ!」
 例えばこの、バニー。小さいからといってナメていると痛い目に遭う。
「をうっ!」
  がごごごーんっっ!
  ばらばらばらばらばらっっっ
 真っ白な大理石の裸婦像が瓦礫となって男たちの頭上に降り注ぐ。瓦礫なら まだいいが、中にはちょっぴし大きなかけらもあったりして。
「うわっ!」「いづっ!」「うがっ!」
 悲鳴とも怒号の入り混じった声を後ろに聞きながら、走る走る子どもたち。
「上だっ!」
「だめよっ! 行き止まりだったら−−−」
 不安そうに言うホタル。
「そんなこといったって! ほかに逃げるとこなんてないよ!」
 モモの叫ぶ声とともに、子どもたちは目の前に現れた階段を駆け上がった。
「くそっ!」「どこに行きゃあがった!」
 階下から聞こえる、男たちのわめく声。
  がちゃっ
 と、子どもたちの眼前に伸びる廊下の途中で、ドアが一枚開いて。
「何事だ、騒々しい!」
 男が一人顔を覗かせた。太い眉毛に鼻髭。年齢も風格も、彼らを追いかけ回 しているチンピラたちとは一線を画している。どうやら、この館の主らしい。
「うわぁっ!」
  ごがーんっっ!
 突然現れた男にキュースケが思わず一発をお見舞いする。
  どたどたどたどた
  ふみふみふみぎゅむっ
 へち倒れたおじさんを踏み倒して子どもたちは駈け抜けた。
 嵐のような一団が過ぎ去って。
「っ・・・・・・なんだあれはっ! 用心棒どもはどうしたっ!」
 おじさんはむくりと身を起こし。
「捕まえろーっっ! 逃がすな! 殺してもかまわんっ! 追えーっっっ!」
 子どもたちはとうに逃げてしまった、無人の廊下に濁った怒鳴り声がこだま した。

 

 おじさんを一人蹴散らしてから二つ目の角を曲がると、もつれそうな足を 何とか前に出しながら走る四人の、眼前の風景が不意に開けた。バルコニーの ような手すりの向こうに、一階から吹き抜けになっている広い空間。
「出口よっ!」
 手すりから身を乗り出すようにして、モモが声を上げた。
 そこだけで舞踏会が一つ開けてしまいそうな広い玄関ホール。吹き抜けの天 井には満艦飾の天井画と、豪奢なシャンデリア。二階のバルコニーからは階段 が弧を描いて階下へと伸びて。ぴかぴかに磨かれた床の上には上質の絨毯。
 そして、外へと続く、両開きの扉。
 わぁ、と歓声を上げる子どもたち。
 しかし。
「いたぞ!」
「捕まえろ!」
 大のオトナがよってたかって子どもたちを待ちかまえていた。
「うわっ」
 引き返そうにも、後ろからも追っ手が迫っていることは明らかだ。パニック に陥る子どもたち。
 −−−ただ、一人を除いては。
『狼狽える暇があったら、呪文の一つも唱えなさい!』
 ホタルは正面をきっ、と見据えて棒杖を構えた。
 小さな両手が複雑な印を結ぶ。
「『万物の根元たるマナ・・・』」
「こんのガキがぁぁぁっっ!」
 獣のような咆吼が子どもたちを威嚇する。
 ホタルの心臓もびくりと跳ねる。
『−−−止まっては駄目!』
 耳に蘇る、姉弟子さまの叱咤の声。ホタルはすぅ、と息を吸いこんだ。
「『その力、我が手に集い、光となりて・・・』」
 少し舌足らずな声は古代の言葉を紡ぎ続け。
「『的を貫け!』」
  びひゅしゅしゅごごふぅぅぅっっっ!
「うわぁぁぁぁぁぁっっっ」
「ひぃぃぃぃっっっっ!」
 解き放たれた呪文の力は巨大な光の洪水のように階段を下り、屈強そうな男 たちを蹴散らして。
  ぶぐふぉぅっっ!
 いかにも重厚で頑強そうな正面の扉を、周りの壁ごと、半ば消し炭と化しな がら破った。
「うわぁ・・・」
「・・・すげぇ・・・」
 初めて目の当たりにする魔法の凄まじい威力に、呆然とする子どもたち。ふ らつく頭を軽く振って気を取り直し、ホタルは周囲を見渡した。
 煙を上げ、崩れかけた正面の扉。くっきりと焦げ跡のついた絨毯。
 立ちつくしたまま、あるいは階段を転げ落ちたままの姿勢で凍り付いた男た ち。
『−−−時には、さ。
 ハッタリも必要なんだよ』
 そう教えてくれたのは、陽気な女戦士だった。
『そりゃ、戦って勝てなかないけどさ。向こうが大人しく退いてくれるなら、 それに越したこたぁないだろう?』
 ホタルは深呼吸を一つすると、階段の下にへたり込んだスキンヘッドの大男 に目をつけ、じっと睨み据えながらびしっ! と杖の先を向ける。
「ひっ・・・」
 海坊主のような男の、顔中の皮膚が引きつり。
「ひっ、ぎぃやぁぁっぁあぁっ!」
 ばたばたと這いつくばるようにして逃げ出した。
 一歩一歩、(本人は)刺すような視線(のつもり)を投げながら階段を下りる ホタル。そのあとについてゆく子どもたち。
「うわぁぁぁっ!」
「ひぃぃぃっ!」
 ホタルの杖が向けられるたび、いい大人が情けない声を漏らしてすくみ上が る。人の波が退いてできあがった花道を、子どもたちは出口に向かって行進し た。
  ばたばたばたばたっ
 二階から、今更のように慌ただしい足音がして。
 館の主人とその手下数名が姿を現す。
「なっ・・・どういうことだこれわっ!」
 怒り心頭のおじさん。声はひっくり返り、顔は今にもぷっつんして倒れそう なほど真っ赤である。
「きっ、きききさまらっ! 何をしとるっ! 捕まえろっ! 殺せっ!」
 退きまくっている周りの空気には全く気付かぬ様子で、おじさんは一人で息 巻く。
「・・・うるさいわねっ・・・」
 モモが持っていた麻袋をぶんぶんと振り回した。
「あっかん・・・」
 一、二の−−−
「べーっ、だ!」
 三!
 子どもたちは脱兎のごとく駆け出した。
 麻袋は高々と宙を舞い−−−

 

 −−−そして、重力の法則に従って落下。
 

*          *          *
 

「あーあ。すっかり日が暮れちゃったね」
 石畳の街をとぼとぼと歩きながら、バニーがこぼす。
「もうおなかぺこぺこ・・・はぁ」
「俺も。・・・あーあ、また母ちゃんに怒られる」
 こんな遅くまで一体どこほっつき歩いてんだいこのバカっ、と言って、両手 の指でツノをつくってみせるキュースケ。
「正直に言えばいーじゃない。『人さらいにさらわれてたんだ』ってさぁ?」
 くすくすと笑いながらモモが茶化す。
「よせやい。ウソツキはドロボーのはじまりだ、って。父ちゃんにまで殴られ ちまう」
 ホタルもバニーも、一緒になってくすくすと笑う。
「・・・あ。あたしの家こっちなの」
 不意にモモが立ち止まる。
「そっか。俺んちはこっち」
「えー。あたしもこっちなのにぃ」
 バニーが渋る。
「なんで嫌そうな顔すんだよ」
「・・・あ、わたしはこっち・・・」
 バニーとキュースケの漫才にくすくす笑いながら、少し寂しそうに、ホタル。
 夕暮れの街角でしばし沈黙する四人の子どもたち。
「そっか・・・んじゃ、またなっ!」
 やがて、しんみりとした空気を払いのけるようにキュースケが大きな声で言 った。
「・・・うんっ! またねっ!」
 少女たちもぱっ、と笑顔になった。
「またねっ!」
「・・・またね」
 くるりと背を向け、駆け足で家路をたどる皆の背中が人混みに消えてゆくの を見送って、ホタルも『白い家』目指して歩きだした。
 −−−プルート先生に、何て言ったらいいんだろう。
 それを思うとちょっぴり悩ましかったが、
 −−−こんどはいつ、みんなに会えるかな。
 そう思うと、心はうきうき。とってもうれしい気持ちになれるホタルだった。

 

 −−−ちなみに。
 グラシアでも有数の名士、ジルコン卿の邸宅に賊が侵入、火を放って館の半 分を吹き飛ばしたというニュースはかれこれ一週間、街の人々に話題を提供し 続けた。当局は総力をあげて賊の行方を捜しているが、いまだに未解決のまま だという。
 蛇足。

−−−あんふぁん・てりぶる ・・・終

  


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