木星は黒猫がお嫌い

深森 薫

  

 緩い傾斜のついた、少し大きめで使い勝手のいいキーボード。二四インチはあるカラー・ディスプレイ。休みなく働くディスク・ドライブにやや気むずかしいプリンター。天井近くには小さな部屋の壁面いっぱいの大型スクリーン。銀千年王国のコンピューター・ルームは理想の快適なオフィスの様相を呈していた。
「あぁぁぁぁぁっっっつ!また消えたっっっっつ!」
 ・・・最新鋭の機械か何だか知らないが、そんなことあたしには関係ない。コンソール・ボックスはやたら窮屈だし、ここのコンピューターはあたしに対してとっても反抗的だ。
「ああ、落ち着いて、ジュピター・・・大丈夫よ。回復機能で元に戻せるから、ね。」
 横から現れた白い指があたしのキーボードの上をちゃかちゃかと走り、さっき雲散霧消してしまったデータが画面の上に姿を現した。
「コントロール・キーがロックされてたのよ。・・・ほら、このキー。知らないうちに押してたのね。」
 そう言いながら、マーキュリーはほっとしたあたしの顔を見て小さく笑った。
「コントロール・キーとファンクション・キーとXのキーを一度に叩くとね、ほら。全部消えちゃうのよ。ファンクション・キーとシフト・キーって隣同士で慣れないと間違えちゃうから、気をつけてね。それで、もし消しちゃいけないものを消してしまったらね、オプション・キー・・・あ、その前にコントロール・ロックを解除しないと・・・このキーと左方向キーを同時に押せば回復できるの。」
 親切に教えてくれるのは嬉しいけど、だからって機械の使い方が易しくなるわけじゃないもんなぁ。
「・・・解った?」
「ん・・・あ、ああ、うん。ありがと。」
 とりあえず、左端のあのキーを押したのがどうやらいけなかったらしい、ってことは解った。
「・・・ジュピター?」
 一通り話し終えて自分の仕事に戻りかけた彼女が何かに気付いて戻ってきた。
「ん?」
「窮屈そうね。」
「・・・ああ。ここのボックスって、あたしみたいにでっかいのが使うことは考えてないみたいだね。膝がつっかえちゃって。」
 彼女はまたくすっ と笑うと、あたしの膝へ手を伸ばした。
 え・・・・・・・・・・?
 ・・・わっ! こんな所で、そっ、そんな大胆な!
 彼女の指先は、あたしの膝のすぐ横、コンソールの下の何やらスイッチらしいものを探り当てた。パネルがうんうんと音をたてて上に昇っていく。
「あ・・・・・・・・・」
 ・・・なぁんだ。
 ああ、またイケない妄想に走ってしまった・・・
「ジュピター、背筋伸ばして。」
「あ、はい」
「キーボードに両手置いて。」
「はい」
 マーキュリーってば、何をやらせても手際がいい。言葉少なな彼女の代わりに、上下するパネルと椅子がうなりを上げる。
「どう?」
「うん、さっきよか全然いいよ。」
「姿勢が悪いと疲れやすくなるから。じゃぁ、あとは自分で合わせてね。」
「うん・・・ありがと。」
 彼女は優しく微笑むと、自分のボックスへと戻って行った。窮屈なのを今まで我慢してたあたしの間抜けを馬鹿にする様子も笑う素振りもない。どこぞの誰かとはえらい違いだ。
 ああ。
 夢のような職場だ。
 うんざりするほど大量のデータ処理も、これなら全然苦にならない。明日も、あさっても、彼女の側で一日中キーボードを叩く。
 作業の初日、あたしは足どり軽くコンピューター・ルームを後にした。

      *     *     *     *

 翌朝、あたしはいつもより一時間半早く起きてコンピューター・ルームへとやって来た。早起きの彼女もさすがにまだ姿が見えない。あたしは一足先にコンピューターを起動させた。
 一時間ほど作業をした頃、不意に入口のドアが開いた。
「おはよう、マー・・・・・・?」
 開いたドアの向こうに人影はなかった。
「・・・どこ見てんのよ。」
 ぽかんと虚空を見つめるあたしに向かって誰かが言い放つ。声の主は・・・
 あ。いた。
「なんだ、ルナか。」
「あーら、なんだとは何よ。ご挨拶ね。」
 こいつの言葉には何となくトゲがある。マーキュリーには愛想いいくせに。まるでここのコンピューターみたいな奴だ。
「・・・で、プリンセスの側近がこんなとこに何の用だ?」
「何の用だじゃないわよ。あたしはあなたの面倒見に来たんだからね、マーキュリーの代わりに。」
 へ?
「・・・代わり?」
「そーよ。マーキュリーはクイーンの親書を持って今朝早く地球国へ発ったわ。帰ってくるのは明日になるそうよ。」
 ・・・聞いてないよ、そんな話!
「で、あなた一人じゃ何しでかすかわかんないから、あたしが様子見に来たわけよ。」
「何だよ、それじゃまるであたしが危ない奴みたいじゃ」
「じゅーぶん危ないわよ。」
「なっ・・・!」
「庭を黒焦げにした挙げ句に噴水を粉砕。」
 うっ。
「その前はヴィーナスの部屋をコナゴナに。」
 ううっ。
「ホールをぼこぼこにしたのもあなたじゃない。」
 うううっっ。
「お願いだからこの部屋は壊さないでよね。」
「ふん・・・・・・!」
 あたしは短い返事を吐き捨てると、コンソールの方へ向き直って作業を続けた。



 コンピューターの作動音とキーボードを叩く音だけが狭い室内に響く。隣にいるのが彼女なら、とてもいいムードなんだけどな。
「・・・作業がトロい。」
 隣はイヤミなくそ猫ときたもんだ。
「そりゃそうね、人差し指しか使ってないもの。」
「んなこと言うなら手伝えよ。」
「あたしの仕事じゃないもん、それ。」
 まともにこいつの相手をしてたら腹がたつ。あたしは猫を無視して努めて作業に集中した。
「ねえ。」
「あんだよ。」
 またルナが口をはさむ。
「何でセーブする度にいちいちディスクを出したり入れたりするわけ?」
「何で、って・・・何か間違ってんのか?」
「何でいちいちそんな面倒なことすんのよ。キーボード操作でやったら済む事じゃない?時間の無駄だわ。」
「キーボードで?」
 ・・・・・嫌・・・な沈黙。
「なぁにぃ? まさか、そーんなことも知らないで仕事してたのぉ?」
 思いっきり馬鹿にしたよな目つきと声音で黒猫が叫ぶ。んっとに嫌な奴だ。
「・・・知らねーよ。悪かったな。」
 知らないものは知らないんだから、あたしもそう答えるよか他にない。
「呆れた! よくそんなんでこの仕事やるなんて言い出したわねー。」
「うるさい、黙ってろ。気が散る・・・ああああああっっっっ!ほら見ろ、消えちゃったじゃないか!」
 入力したデータがまた消えた。確か、こういう時はこのキーと左方向のキーを・・・・・
 あれ?
「あのね、回復機能はそのキーじゃなくってオプション・キー。その前にコントロール・ロックを解除しなきゃ駄目なの。」
「あ、ああ、そうか。」
 慌てて言われるとおりに操作するけど。何も出てこないぞ?
「馬鹿ねぇ、消去しちゃった後に別の操作したら回復できなくなるのに。」
「・・・・へ?」
 ・・・ってことは、今までやったの全部パーってかぁぁ?
「そっ、そーいうことはもっと早く言え馬鹿!」
「だってぇ、まさか回復の操作方法知らないなんて想像もしてなかったもの。大体全部消しちゃうような操作ミスってしないわよ、普通。」
 う・・・
「ほんっとに機械オンチねー、あなたって。」
「ほっとけ!」
「大体何でこの作業自分でやるなんて言い出したわけ?コンピューターなんて使えないくせに。」
「何だっていいだろ。」
「・・・マーキュリー。」
 どきりとするあたし。肩が思わずぴくんと跳ねた。
「あー、やっぱりね、そんなことだろうと思った。」
 黒猫は意地悪く笑う。こんな奴の誘導にあっさり引っかかるなんて、あたし・・・すっごい悔しい。
「あぁぁマーキュリーもとんだ災難よねぇ、こんな機械オンチが四六時中側にいて足ひっぱるんですもの。」
「くっっ・・・・・・」
 機械オンチ。足ひっぱってる。・・・本当のことだけど腹がたつっ!
「ほんと、今時コンピューターの操作もろくにできないなんて、珍しいわぁ。天然記念物並みだわよ。」
「ぐっ・・・」
「まぁ、あなたみたいな野蛮人に惚れられたのが運のツキね。あたしゃマーキュリーに同情するわ。」
 ぴきっ
「ひっ・・・人がおとなしくしてりゃつけ上がりゃあがってこの三日月ハゲ!」
「なっ・・・何ですってぇ?」
「三日月ハゲって言ったのさ。いい気になってんじゃねえぞこのくそ猫!」
「へぇ。そのくそ猫にさんざん教えてもらってコンピューター一つまともに使えないのはどこの誰?」
「なにぃぃぃっっっつ?」
 あたしは黒猫の首根っこを、そいつが逃げるより一瞬早く捕まえた。首っ玉を掴まれて、なす術もなくぶらぶらぶら下がるくそ猫。いい格好だ。
「だーれが機械オンチの野蛮人だって?・・・え?」
「えー・・・それは、その、言葉のアヤというか、まぁ、」
 ちょっと凄んでみせると、とたんに猫の元気はなくなってしどろもどろになり始めた。あたしが凄めば妖魔もビビるんだ、当然といえば当然。
「ルナ、お前さっきから何様のつもりだ、え? ちょっとばかし機械がいじれるからって、いい気になってんじゃねーぞ、おい。」
「え、あ、あ」
「親しき仲にも礼儀あり、っつーだろう、あぁ? 人を馬鹿にすんのもいい加減にしろよな。」
 そう言ってあたしは三日月ハゲを人差し指でぷにぷにとつついた。猫はすっかりビビりまくって半ベソかいてやがる。いい気味だ。
「あ、ああ、あ・・・・マーキュリー!お帰りなさい!」
 なにっ?
「いででででぇぇぇぇっつ!」
 一瞬ドアの方に気を取られた隙に、あたしの腕には赤い線が十本くっきり。
「んの・・・っ、思いっきりひっ掻きやがったなぁ!」
「へへーんだ、こんな子供だましに引っかかるなんて案外可愛いじゃない。暴れるしか能のない闘神ジュピター!」
 ・・・・・ひとの純情逆手に取りゃあがってぇぇぇ!
「絶っっっっ対許さんこのクソ猫っ!」
 あたしは椅子を蹴飛ばして立ち上がった。黒猫はキーボードの上を逃げていく。
「逃がすかっっつ!」
 この部屋、狭いうえにごちゃごちゃとがらくたが多くって自由がきかない。体の小さいルナの方が圧倒的に有利だ。
「へへーんだ、猫一匹捕まえられないの?『栄えある王国の守護戦士』が。」
「このっっ・・・おわわっっつ!」
 ぐわっちゃぁぁぁぁんんんん!
 接続コードに蹴っつまづいて、ディスクドライブとプリンターとわけのわかんない機械を二、三台ひっくり返した。
「あぁぁぁぁぁぁっっっっっ!何てことすんのよっ!」
「あたしだって好きでやってんじゃねえや!お前のせいだお前のっっつ!」
「ちょっと!人のせいにしないでよっっつ!」
 あたしの腕をかわして黒猫が跳ねた。あたしも跳んだ。
「そこかっっつ!」
 めりっ。
 振り向きざま伸ばしたあたしの手は、黒猫のかわりに二四インチディスプレイのど真ん中にめり込んだ。
「あぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!またっっつ!」
「お前が逃げるからだ三日月ハゲ!」
「逃げなきゃ殺されちゃうでしょうが!」
「殺しゃしないよ。ちょっといい気になってんのをシメるだけだっ・・・てぇ!」
 ぼきっ。
 ルナめがけて飛び掛かったあたしは、勢い余ってキーボードにぶつかった。
  ばばらばらばらばらばらばらっ。
 その拍子に、そこにあったデータディスクが床にばらばらと散らばった。
「逃げるな馬鹿猫っ! 」
  ぱきぱきぱきっ。
「だから逃げなきゃ・・・ あああああっっ!
「なな、何だなんだ?」
「踏んだ踏んだ、踏んだわね!マーキュリーのデータディスク!」
「なっ、・・・
 ぬわにぃぃぃぃぃっっっっ?
  ぱきっ。
 慌てて飛び退いた拍子にまた一枚踏んだ。
 彼女がずっと処理してたデータ。毎日朝早くから夜遅くまでこの部屋に詰めてやってた作業、それが全部入ったディスク。壊したディスクは全部で四枚。一枚のディスクにどのくらいのデータが入るものなのかはよく知らないが、相当な量であることは確かだ。あたしの全身から血の気が一気に引く音が聞こえる。
「しーらない。一抜けた!」
 ・・・あっ!しまった、猫!
「こら!ルナ!てめえ一人で逃げんじゃねぇっ!」
 気付いたときには後の祭り。がらくたになった最先端の機械とこんがらがったコードが転がる部屋にあたしは独り取り残された。
 ・・・・・・・・・ああ。
 ああああ。
 明日彼女に何て言ったらいいんだ?
 今度こそ、
 今度こそほんとに嫌われるかも。

 そしてあたしは途方に暮れた。

  

−−−木星は黒猫がお嫌い・終

  


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