木星は黒猫がお嫌い・2

深森 薫

「しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!」
 あたしは慌ててベッドから跳び起きた。祈るような気持ちで時計を探す。時計、時計・・・
「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!」
 その祈りもむなしく、時計の針は約束の時間から三時間も進んでいた。部屋を飛び出していつもの場所へ、裏のテラスへ駆け込む。誰もいない・・・いるわけがない。コンピューター・ルームは鍵が掛かっていた。
 どうしよう。
 怒ってるかな、マーキュリー・・・三時間だもんなぁ。
 いつもなら絶対にこんな事は無いんだけど、何せ今日は地球で五日間の地質調査をやっとこさ終えて帰ってきたばっかりで、ぼろ雑巾みたいにくたくたに疲れてたもんだから。
 まずい。ヒジョーにまずい。
 謝んなきゃ。・・・いや、
 こんな時間だからなぁ、明日の朝一番に
 ・・・いや、やっぱり今夜のうちに謝っとこ。
 でも、こんな時間に非常識だよな、やっぱ。
 うぅう、謝らないのとどっちが非常識かな。
 寝起きの頭で散々考えた挙げ句、あたしは一大決心をして彼女の私室のドアを叩いた。

 ほどなく内側に開いた扉から彼女が姿を現した。隙間から漏れた暖かい光が暗い廊下を微かに照らす。
「あら、ジュピター。もう起きたの?」
「ごめん! あの、ちょっとだけと思って横になったら、いつの間にか寝込んじゃって。その、そんな、つもりじゃなかったんだ、ほんの十五分、んん、十分だけ、って・・・・・・・へ?」
 “もう起きたの”?
 彼女はあたしの疑問に答えるように穏やかに告げた。
「さっき覗いたらよく眠ってたから、起こすのも悪いと思って。よっぽど疲れてたのね。」
「あ、うん・・・ここんとこあんまり寝てなかったから。」
 あ、あの部屋、見たのか・・・ちゃんと片付けてから寝るんだった。
 きまり悪く頬をぽりぽり掻いてるあたしに、彼女はにこやかに微笑みかけ、扉を開いて中へ入るよう促した。
「何にも・・・お茶ぐらいしか無いけど、良かったら。
 それとも、帰ってもう一眠りした方がいいかしら?」
「まさか。」
 答えてあたしは、招かれるまま部屋の中へと踏み込んだ。

 初めて見る彼女の私室。あたしは、部屋の真ん中でテーブルを囲むソファーの一角に陣取って、きょろきょろと辺りを見回した。シンプルな調度品、その中でも一際目を引く大きな本棚。もちろん中身はぎっしり。テーブルの上には飲みかけのカップと、読みかけの、彼女にしては薄い本。きちんと片付いて掃除も行き届いた、いかにも彼女らしい落ち着いた感じの部屋だ。
「ごめんね、ほんとにお茶しか無かったわ。」
 ティーセットを手に彼女が現れた。そういえば彼女が部屋着姿でくつろいでるとこなんて初めて見る。ゆったりとした浅葱色の衣の広めに開いた袖口や襟元が、彼女の華奢さを一層際立たせている。
「あ、いや、おかまいなく。なんか悪いね、折角くつろいでたのに。」
 そういって差し出されたカップに早速口をつけ
「熱ッ!」
 テーブルの向かい側で彼女がくすっ と笑う。
「目は覚めたかしら?」
「・・・おかげさまで。」
 寝ぼけた頭と気怠さの残る体に茶の香りがしみる。小さく溜息をついたあたしを見て彼女がまたくすっ と笑った。
「何?」
「ほんとに寝起き、って感じね。」
 言われてあたしは初めてガラス戸に映った自分の姿に目をやった。慌てて結んだ髪はボサボサで、一瞬それが自分だとは判らないくらい・・・うげげ、あたし、こんなんで城の中歩き回ってたのか。
「あ・・・ごめん、こんなカッコで、」
 ・・・って言っても、どーしようか。とりあえず髪をほどいて、手櫛で何とかしよう。
「あ、別にいいのよ、気にしないで。それより、」
 彼女は手にしたカップを置いて目を細めた。
「少し話を聞かせて?地球のこと。」

*     *     *     *     *

 地質調査のこと、帰りに寄った地球国の下町の様子、あたしの留守中の出来事、ひとしきり談笑した所で不意に言葉が途切れた。すっかり夜は更けて他に音をたてるものもなく、辺りは心地よい静けさに包まれる。流れる空気は少し重く気怠く、そして甘かった。
「あ、お茶・・・熱いの、入れ直すわね。ちょっと待ってて。」
 敢えて沈黙を破るようにそう告げると、彼女は静かに立ち上がり、ポットを手に部屋の奥へと進んだ。出涸らした茶葉をあける、ポットを温める、茶の缶を手に取る、彼女の仕草の一つ一つがスローモーションになる。広い襟元からのぞく肩のラインが動くたび、胸が高鳴る。得体の知れない何かに背中を押されて、あたしも立ち上がった。
「なあに? 何か」
 彼女が振り向くより一瞬早く、あたしの両腕がその肩に巻き付いた。彼女の手が動きを止める。
「お茶はもう、いいよ。それより・・・」
 そのまま力を込めて、細い背中を抱きすくめる。
「マーキュリーが欲しい。」
 窓の方をちらりと窺い見る。ガラスに映ったモノクロームの彼女の表情は読みとれない。はやる心を抑えながら、髪に、額に、ゆっくりと口づける。
「駄目、なんだ。
 仕事してても、何やってても、気がつくとマーキュリーのことばっか、考えてる。」
 向かい合い、顎に手を添え上を向かせる。前髪をかき上げると、少し恥じらい気味に見上げる瞳が揺れた。蒼い、瞳。空に掛かるあの星と同じ、あたしの心を惹きつけてやまない深い青。その青に吸い込まれるように唇を重ねる。肩先に彼女の細い指が触れるのを感じた。
「マーキュリー・・・」
 もう一度呼んで、今度は深く口づける。腰を引き寄せ、もっと深く。その度に彼女の体を緊張が走り、舌を絡めようとすると奥へ逃げていく。遊び慣れない、そんなところがたまらなく可愛い。けど、
 もう逃がさない。
 顎に掛けていた手を髪に挿し込んで、少し強引に引き寄せる。舌の根が痛くなるほど深く絡めると、その微妙な動きに合わせて肩に触れた彼女の指先が引きつる。
「ん・・・・・」
 鼻にかかったその声を合図に、離れた唇を耳許に寄せる。
「・・・好きだ、よ。」
 囁いて耳たぶに軽く歯をたてると、腕の中で彼女の背中がびくんと波打った。こんな時ピアスってのはちょっと厄介だ。イヤリングなら、手探りでも片手で外せるのに。
 そしてその勢いであたしは彼女を抱き上げた。
「軽いね・・・ちゃんと食事してる?」
 そのままきびすを返し、隣の寝室へと歩き始める。彼女は隠すように顔をあたしの胸元に埋めた。頬も耳も、首まで真っ赤に染まっている。
「うん、でも・・・ちゃんと、って言われると・・・自信ないわ。」
 居間からの明かりを頼りに、薄暗い部屋の奥へと進む。四守護神の私室は全て同じ造り。さっきまで談笑していた居間もこの寝室もそう広いものではない筈なのに、一番奥にたどり着くまでやけに時間がかかったような気がした。大きめの、たぶんあたしの部屋にあるのと同じベッドのその上に、静かに彼女を降ろす。
 そのまま倒れ込むように何度目かのキスをする。彼女の背をシーツの海に沈めて、今度はさっきよりも激しく、貪欲に、心ゆくまで互いの唇を貪る。右手は何か別の生き物のように彼女の裸の肩を探る。心臓が躍る。躰が熱い。めまいが襲う、天井が廻る。朧な意識の中で、唇から耳、首筋へと舌を這わせ、噛んでくれと言わんばかりに浮き出た鎖骨に軽く歯をたてた。
「あ・・・っっ」
 それまでずっと声を殺していた彼女が、初めて切なげな声を漏らす。その後は、あたしの髪を握りしめてまた声を殺す。
「そんなに我慢しなくたっていいのに。・・・恥ずかしい?」
 今にも消えそうな小さな声でうなずく彼女。ほんとに、可愛い。
 そんなやりとりの合間、胸元へ滑り込んだ右手が上衣を留める金具に触れた。
「駄目!・・・ジュピター・・・」
 彼女がその手を制止する。腕の拘束を逃れようと少し身もがきながら、掠れそうな声で請う。瞳には微かに不安の色が浮かんでいた。
「ドアの鍵・・・掛かってない・・・」
「・・・大丈夫、だよ。」
 さまよう瞳をのぞき込み、遮るその手を握り返して軽く口づけた。
「こんな時間に尋ねてくる馬鹿は、あたし位なもんさ。」
 やがて彼女の手からふっ と力が抜けた。もう一度留金に手を掛けたが、彼女はもうそれ以上抗おうとはしなかった。そして、留金を、外す、金属音。その音に気後れしたのか、身を硬くし、うろたえたように視線を泳がせる彼女。
「マーキュリー・・・」
 手を入れて、肩にかかった布を下へ落とす。

  KNOCK - KNOCK

 ・・・・・・・・・・・・・・いた。
 こんな時間に尋ねてくる大バカが。
 あっという間だった。物音に怯えた小動物のように彼女はびくりと半身を起こし、息を殺してじっと居間の方を見つめていた。
  KNOCK - KNOCK
 再びノックの音と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「ごめんね・・・ちょっと待ってて。」
 彼女は急いで立ち上がり、乱れた着衣と髪を整えた。歩きながらしきりに首の辺りを気にしてる。あたしはベッドの上に起きあがって深く息をつくけれど、一度ここまで高まったものはそう簡単には落ち着かない。まだ喉の奥で心臓がばくばく暴れてる。
 ・・・誰だ、こんな時間に尋ねてくる馬鹿野郎は?
「マーキュリー。ごめんなさい、こんな時間に。」
 こ、この声わっ!
「ルナ? どうしたの、何か・・・」
 くっ、またお前か三日月ハゲっ!
「うん、それがね、クイーンのお部屋の端末がメイン・コンピューターにアクセスできないのよ。あたしも色々やってみたんだけど、どうしてもうまく動かなくって。もし忙しくなかったら、ちょっと見てくれる?」
「端末機自体は起動できるの?」
 急に『賢者』の声になる。
「ええ。」
「再起動してやってみた?」
「ええ。大抵のことはやったわ。それでも駄目なのよ。」
「他の箇所にエラーは?」
「他には異常は見あたらないんだけどね、中央にアクセスしようとするとエラーメッセージが出るの。」
「そう・・・先に行って待ってて。すぐに行くから。」
 ・・・なんだよ。なんで、
 なんで彼女はあんなに落ち着いて話ができるんだ?
 あたしはまだこんなに熱いっていうのに。
 まるで、なんにもなかったみたいに?
 少しだけ、彼女を恨めしく思った。
「ジュピター・・・・・・あの・・・・・・」
 いつの間にか彼女は寝室の入口に立っていた。胸元の、左手の陰からわずかに見え隠れする赤い斑痕が、さっきまでの出来事が夢ではなかったことを、そっと教えてくれる。
「分かってる、全部聞こえてたよ。・・・今日は、帰る。」
「・・・ごめんなさい。」
 申し訳なさそうにうつむく彼女。少しでもあたしのことを心残りに思ってくれているなら、それであたしは救われるのだけれど。
「おやすみ。あんまり無理すんなよ。」
 彼女の白い頬にキス一つ残して、あたしは部屋を出た。

 それにしても。
 黒猫め・・・
 いっつもいつも他人の邪魔しやがって。
 これはもう悪意があるとしか思えない。
 いつか・・・いつか皮剥いで、風呂場の敷物にして毎日踏んづけてやる。

 その夜はとても眠れそうになかった。

−−−木製は黒猫がお嫌い・2 終

  


(^^) よろしければ、感想をお聞かせ下さい。(^^)

↓こちらのボタンで、メールフォームが開きます↓
未記入・未選択の欄があってもOKです。
メールフォーム


小説Index へ戻る